ワイアットの逆襲 第29話【誤算 前編】
「敵重巡、加速中!」
CDC(戦闘指揮センター)で報告を聞いたワイアットは一瞬だけ苦虫を潰したような表情を浮かべるも、直ぐに意識を集中させた。
(クソっ、なかなか距離が縮まらない。
やはり事前に逃走ルートを調べていた向こう側が有利か…
次に打つ手となればミサイルで退路を掻き乱すつもりかもしれん。
大丈夫か…いや、厳しいがまだ挽回は可能だ!)
ワイアットが挽回できると考えていた根拠は次のようになる。
重巡が暗礁宙域の中を逃走するにしても最大戦速で航行を続けられない点に集約されていた。MS隊による献身的犠牲によって重巡ヴォルフが連邦艦隊との距離を稼いだとはいえ、障害物の回避行動や航路変更時による減速などを行う必要がある。重巡ヴォルフが大破覚悟で加速を行ったとしても障害物の大半を重巡自体が受け止める事になり、後を追う連邦艦には危険な障害物が大方弾き飛ばされた状態で進めるのだが、ワイアットは状況を楽観視していない。何しろミサイルの爆発によってデブリ帯をかく乱されれば、重巡ヴォルフの航路にデブリ帯を散乱させることが可能だったからだ。
ワイアットとしては何が何でも、自分を名指しした重巡ヴォルフを宇宙から消し去ってしまいたい。戦艦が大破しても構わぬ覚悟であった。連邦の膨大な工業力ならば戦艦の大破といえども比較的容易に修理する事ができる計算もある。
むしろワイアットによって暗礁宙域に入る前に敵MS隊を削れた事は僥倖だった。暗礁宙域の中でMS隊による待ち伏せがなくなっただけ掃討が容易くなるし、危険度もかなり減る。
ワイアットに新たな一報が入る。
「MS隊、敵MS隊の掃討を終えました」
報告を受けたワイアットは数秒考える。
(ともあれ、時間のロスは惜しい。
ここは分派するしかないか)
「よし。MS隊に対して直ちに帰還命令を出せ。
敵艦に対する追撃は戦艦隊のみで行う。
フッドは空母戦隊と行動を共にしMS回収後に第9艦隊と合流せよ。
万が一に備えて第9艦隊に迂回させるのだ」
「アイ・サー」
こうしてワイアットの命令によって1隻の重巡に対して、戦艦「ネレイド」「ナガト」「イセ」「コロラド」の4隻による追跡が始まった。先頭を進むのは当然、戦艦「ネレイド」である。ワイアットは自らの生存率を高めるために勇気を見せる必要があった。他の戦艦を先頭にした場合、被弾状況によっては速度を落としてしまうことを懸念していたのが理由だ。軍隊というものは不思議で、司令官が勇気を示せば部下もその勇気に感化されるものだった。現にワイアットが乗艦するネレイドの士気はきわめて高く、並大抵の損害では止まる事は無いと確信させる程だ。
これはワイアットによる一種の開き直りだった。
核攻撃によるテロの危険性に比べれば、
戦場の危険などは危険に入らないと…
重巡ヴォルフは連邦艦隊から逃げるように減速可能なぎりぎりの領域まで加速を続ける。ハルトマン少佐の命令により船底部ハッチから重量物の投棄が始まっていた。投棄を行う理由は簡単だ。僅かでも軽くなれば減速・加速力が増す。しかし、その重量物投棄の中での例外だったのが、故障機として残っていた1機のMS-06Fだった。両手の駆動系に重大な問題を抱えた機体である。本来なら真っ先に投棄対象になってもおかしくは無かったが、先ほどから整備兵による何かしらの作業を受けていたのだ。
艦長席に座るハルトマン少佐は航路図を見ながら
連邦艦隊の動向を確認する。
「熱量はどうだ?」
「赤外線反応は4つに減少。
ただし熱源自体は上がっており、
確実に高加速状態の戦艦と思われます」
「相変わらずワイアットは忌々しいほどに果断だな…」
航路図と照らし合わせて表示された連邦艦隊の位置からハルトマン少佐は直ぐに事情を察した。
(MS隊回収を空母に任せて戦艦だけでの追撃か…
おそらくは1隻は空母と行動を共にし、別働隊と合流して回りこむ気だな。
逃げ切るためには大胆な策を採ってでも距離を稼がねばならぬ。
しかし重巡1隻ですら逃さぬとは予想以上に苛烈だな)
ハルトマン少佐が持つワイアットに対する評価は更に上がる。そして苛烈な件に関してはハルトマン少佐がワイアットを名指しした事が最大の要因だったのだが…。
「連邦艦隊、熱源反応から単縦陣に変更を確認」
「単横陣ではなく単縦陣!?」
砲戦に適さない陣形に重巡ヴォルフの艦橋は騒然となる。これまでにワイアットが行ってきた経緯から、ジオン兵にとってはワイアットが行う理に反する行動ですらも何らかの罠の予兆に見えてしまった。
「落ち着け。
どちらにしても我々は撤退に専念する。
有視界戦闘圏に入る前にミノフスキー粒子濃度25%で散布開始!
予定通りに撤退路に入るぞ」
(ワイアット…恐ろしい男だ。
既に此方の作戦を見破っていたか。
いや、あの艦隊行動を見れば事前に予測していたと言ったほうが正しいだろう)
ハルトマン少佐は連邦艦隊の意図をこう見ていた。最前列の戦艦が中破ないし大破すれば後列に回り、序列の戦艦が砲戦を行う。
そして残る3隻の戦艦がビーム砲と機銃で重巡ヴォルフが引き起こしたデブリ帯かく乱によって降り注ぐだろうデブリの中から危険なものを破壊していく。そうなってしまうと戦力の優勢な連邦側が最後に生き残る…
ハルトマン少佐の考えは正しい。
ワイアットの作戦はまさしくその通りだったのだ。
ワイアットは戦後を見越した戦術の考案に余念がなかった。ワイアットにとって最良の結果はジオン軍の残党が決起しない事だったが、かつては強大な戦力を保有しながらも、最悪の結果によって命を落としていただけあって、楽観も油断もしていない。故にワイアットは時間の余裕があればカニンガム少将と共にジオン軍対策を練っていたのだ。しかも、政治環境の整備のためにゴップ大将を介して幕僚会議の同意を得られた、連邦軍の基本戦略方針の一つとして構築される本格的なもの。
幕僚会議を動かした決め手になったのは、「寡兵で物量戦に対抗するには複雑な地形を盾にした不正規戦しかない。早期に備えなければ、その負担は膨大なものになるでしょう」と、ワイアットの提言である。
その基本戦略方針の中には公国軍第六パトロール艦隊が行うような暗礁宙域に潜むジオン軍への追撃及び哨戒作戦も含まれていた。故に、ワイアット率いる部隊(第7艦隊)がデブリ圏内での戦闘訓練の経験を有していたのだ。このように事前にデブリ帯での戦争訓練を行っていたからこそ、現在行われている公国軍第六パトロール艦隊との戦いがスムーズに移行していた。
また、暗礁宙域に対する対策はハード面にも及ぶ。
地球連邦軍の対宇宙要塞戦およびジオン軍潜伏先の暗礁宙域を焼き払う兵器として多数の小型ミラーパネルを用いたソーラー・システムの開発が進められていたのだ。計画コードは「システムT」である。史実と頃なるのはソーラー・システムが複数個同時の製造が進められていたことと、射撃システムとして中継艦を介して北米防空司令部(シャイアン・マウンテン空軍基地)と接続する事によって高精度の射撃が可能になっていた事だろう。
データ連動にはミノフスキー粒子の影響を殆ど受けないガイドレーザーを使用する。既に北米防空司令部(シャイアン・マウンテン空軍基地)の基地改修と測的支援艦「チトセ」「チヨダ」「ミズホ」の建造が進んでいた。
これらの事からワイアットは自らの生存の為に万策を尽くしていたと言っても良いだろう。もっともこれらの働きが、ジオン軍からの敵意をより買うことになるのだが、現段階のワイアットには知る由も無い。
ハルトマン少佐に報告が入る。
「後20秒で敵主砲の射程圏内です」
「判った、搭載MSへの作業はどうか?」
「後5分で完了するとの事です」
「計画通り進める。
ミサイル攻撃及び急減速に備えよ」
重巡ヴォルフは連邦艦隊に対して牽制攻撃用のミサイルを放つと急減速を行う。重巡ヴォルフは必要分の減速を終えると針路をデブリ帯の中心である暗礁宙域に向ける。重巡ヴォルフはすでに幾つかのデブリとの衝突で小破に近い損傷を受けていたが、それだけの無茶をしなければ連邦艦隊に捕捉されていただろう事は想像に難くない。もちろん、MS隊の決死の貢献によって重巡ヴォルフは砲戦を受ける前に撤退行動に入れた事も大きな要因だったが。重巡ヴォルフは熟練の舵取りによってデブリとして擬装されていた、小さな航路に慎重でありながらも急いで入っていく。この航路こそが作戦コードF4として用意されていた追撃が険しいルート4-5だった。
重巡ヴォルフはデブリ帯に設けた小さな回廊を通って進む。
連邦艦隊がルート4-5に入る前に重巡ヴォルフからミサイルが発射され、ルート4-5の近辺のデブリ帯で爆発した。周辺のデブリ帯を大きく掻き乱す。
「連邦艦隊は?」
「信じられません!
かく乱したデブリ帯の中を突っ込んできます。
あ、あいつらには恐怖心が無いのか!?」
(恐怖はあるだろうが、それを上回る士気の高さと、
戦艦の堅牢さを信じているからこそ行える行動だろう。
まさに勇将の下に弱卒なしだな)
ジオン公国軍では戦前から連邦戦艦に対する対策が練られていたが、実弾兵器を用いた策では現実的な打開策が浮かばず、最終決断として選ばれたのが核弾頭による攻撃だった。この事から堅牢さが判る。故にデブリ帯の中で加速すれば損傷は避けられないだろうが、その程度で行動不能になるほど連邦戦艦は柔ではなかったのだ。
しかも戦艦隊は防空射撃を行うことで降り注ぐデブリへの迎撃すら行っていた。改良が進んだ連邦軍の火器システムによって多くのデブリが戦艦の装甲への大きな脅威にならない程度の小さなデブリに砕かれていった状況から、相応の効果を出しているのが判るだろう。
ジオン艦艇ならば大破確実だろうと思われる、かく乱するデブリ帯の中を突き進んでくる連邦艦隊に対してもハルトマン少佐は冷静だった。
なにしろ、ここまではハルトマン少佐の予見どおり。
「そろそろ時間だな、格納庫はどうか?」
「準備完了との事です」
「タイムスケジュール開始。
ミノフスキー粒子濃度35%で追加散布!
20秒後にF作戦を開始する」
濃密なデブリ帯の中を進む重巡ヴォルフの船底部ハッチからMS-06Fが投棄される。このMS-06Fは突貫作業によってプログラムで動くように改良されたもの。ただし、連邦軍が保有するような高度な無人機ではなく、決められた動きをするだけの単純なものだった。もちろん、戦闘機動などは行えない。
通常のMS-06Fと大きく違うのは、胴体部に艦載機に対して着艦進路を示すガイドビーコンの発信装置が取り付けられていた。このガイドビーコン発信装置は重巡ヴォルフの艦首MS発進口に設置されていたものを外したものだ。発信装置と言っても発光部のみなのでサイズはさほど大きくはない。
プログラムに従ってバックパックの両側面に装備した固体ロケットブースターが点火する。バックパックに有するスラスターが飛行航路の調整の役目を負う。MS-06Fが向かうのは後方から猛烈な速度で追ってきている連邦艦隊。
「MS-06F、飛行航路に問題ありません」
「チャンスは一度っきりだ」
MS-06Fの投棄から1分後、MS-06Fに仕掛けられたガイドビーコンが起動すると、ほぼ間を置かずに重巡ヴォルフの後部砲塔からビームが放たれた。ガイドビーコン起動に備えて事前に準備していただけに連邦艦隊よりも動きが早く、ビームの一線がMS-06Fの融合炉を貫く。
ビームが貫いたMS-06Fを中心に通常の爆発とは違う、
強烈な閃光を伴う大爆発が発生する。
この大規模な爆発はMS-06Fに搭載されている熱核反応炉に於ける炉本体の爆発だった。融合炉の破壊に於いては実弾兵器では起こらないが、ビーム兵器を用いて破壊した場合に生じる、熱プラズマ化した燃料が高温を周囲に放ちながら拡散する核爆発に近い現象。MSの融合炉は核分裂反応を前提とした作りになっていないので、純粋な核兵器と比べて威力は格段に落ちるが、それでも通常爆薬を上回る規模の爆発が生じる。
また、レーダー射撃でもないのに、これほどの射撃精度を叩き出したのは、MS-06Fに着けられたガイドビーコンが融合炉に直撃するように設置されていたのが理由だ。MS-06Fの爆発が収まる前に重巡ヴォルフは最大濃度でミノフスキーの散布を行う。
CDC(戦闘指揮センター)で重巡ヴォルフの追撃の指揮を採っていたワイアットは、その閃光に大きく驚く。
(核兵器!?
いや、MSの融合炉爆発か!)
「艦隊防空警報発令! 比べ物にならぬデブリが来るぞ!」
ワイアットが叫ぶように命令を放つ。
流石に爆発に巻き込まれるような事は無かったが、先ほどのミサイル爆発とは桁違いの規模でデブリ帯のかく乱が起こる。各艦にデブリの数々が降り注ぐ。
連邦軍の優秀な防空火器が自動迎撃に入るが、重巡ヴォルフが追加で散布した高濃度のミノフスキー粒子の効果もあって、先ほどよりも迎撃効率が下がっている。そのような状況下に於いて4戦艦の中でもっとも多くのデブリが降り注いだのは矢面に立つ戦艦「ネレイド」だった。もちろん「ナガト」「イセ」「コロラド」にも弾丸と化したデブリが猛烈な速度で襲う。
「被害状況知らせっ!」
「現在計測中!」
ワイアットの声にCDC(戦闘指揮センター)の各オペレーターは艦艇の状況を調べていく。爆心地から距離が離れていた事と、純粋な核兵器と違って限定的な爆発もあって、ネレイドの損害は中破、他の戦艦は小破判定に留まっていた。しかし、4艦ともEP(電子防護)対策もあって電磁パルスの影響を殆ど受ける事は無かったが、先頭を進んでいたネレイドは猛速で降り注いだ破片によってレーダー機器及び長距離光学観測装置に大きな損害を受けてしまう。他の3隻はネレイドよりは軽微だったが、それでも索敵機器になんらかの損害を受けていた。
「敵艦は!」
「捕捉できず!
恐らくデブリ帯のかく乱及び、
高濃度のミノフスキー粒子の散布が原因と思われます」
「なんて…ことだ…」
報告を受けたワイアットは提督席に呆然とした様子だ。ワイアットにはこのようなデブリ帯の中での追撃戦では目標の位置が判らなければ継続するのは難しい事が否応もなくわかっていたのだ。
(こ、この状況からの追撃は無理だ…
止むを得ないが、
現状ではあの重巡の追撃は別働隊に任せるしかない。
強行して私が戦死してしまっては本末転倒だ)
ワイアットの落胆の様子を見たカニンガム少将を始めとする各士官は市民の危険性を減らせなかった事に対する悔やみからの様子と勘違いしていた。この様子が人伝に広まり、マスコミに取り上げられ、それが巡り巡って英雄としての評価を高める事になる。
ワイアットは万が一に備えを思いつく。
「カニンガム少将、レーザー通信は使えるか?」
「問題ありません」
「よし…
第12任務艦隊にレーザー通信だ」
第12任務艦隊は、マゼラン級戦艦「ガーランド」「ホルムズ」「オーウェル」、アンティータム級空母2隻、サラミス級巡洋艦15隻からなる第58戦隊を中核に編成された部隊。無論、2隻の空母の艦載機はMSである。この第12任務艦隊は第2任務艦隊と第9艦隊がジオン軍パトロール艦隊を撃破した後にオデッサとソロモンを繋ぐ資源輸送航路に対する通商破壊任務を行うための戦力だった。戦略状況によってはソロモンの主要兵站線に差し掛かるL5宙域とL2宙域の中間部への展開も視野に入れている部隊であり、その権限はワイアットが有している。ワイアットの戦略の基本はジオン軍に息つく暇を与えない事なので、このような戦力が用意されていたのだ。もちろん、第12任務艦隊も例に漏れずブースターを装備しており、長距離移動も短時間の間に行えるようになっていた。
ワイアットは第12任務艦隊に命令を下した後に、
4隻の戦艦は整然と撤退を開始する。
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【あとがき】
久しぶりの更新です。重巡ヴォルフの追撃に戦艦3隻、空母2隻、巡洋艦15隻からなる第12任務艦隊が追加(怖)
【Q & A :現段階におけるジオン公国軍の戦闘艦艇の累積被害は?】
グワジン級戦艦
【撃沈】 「グワラン」「グワバン」
チベ級重巡洋艦
【撃沈】
「ラワルピンディ」「ピネラピ」「コルモラン」「フェルスト」「ヨルク」
軽巡洋艦 【撃沈】41隻、
小型艦艇 【撃沈】23隻、
補助艦艇 【撃沈】124隻
【ジオン艦隊の残存戦力(ワイアットの獲物)】
戦艦8、大型空母1、重巡37、機動巡洋艦7、軽巡88、戦闘用艦艇61隻、補助艦艇210隻
↓
戦艦8、大型空母1、重巡37、機動巡洋艦7、軽巡83、戦闘用艦艇61隻、補助艦艇210隻
意見、ご感想を心よりお待ちしております。
(2014年05月25日)
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