ワイアットの逆襲 第06話【月軌道会戦】
グラナダの極周回円軌道に乗りつつあるマゼラン級戦艦ネレイド。その艦内にあるCDC(戦闘指揮センター)にて、スタッフが慌しく動き回っていた。
「軌道傾斜角プラス5度修正…
月上空120km…5…4…3…2…1…極周回円軌道に乗りました」
「うむ…観測密にせよ」
航海参謀の報告にワイアットは満足そうに返事をした。
第5任務艦隊の速度は既に秒速7.92kmという第一宇宙速度を超える速度に達しており、ジオン艦隊が迎撃出来るような速度ではなかった。地球連邦軍は戦艦のみならず巡洋艦ですら各サイドに対して無補給で到達できる長大な航続距離を有している。これは、第5任務艦隊の各艦が多くの推進剤を消費して行った加速・減速の賜物であろう。
もちろん、月重力を利用した重力ターンによる航路変更も大きな助けになっている。
「90秒後にグラナダを射程に捉えます」
「砲撃目標は補足出来ているか?」
「給料分の仕事をお見せしましょう。
もっとも、EWB-65とのデータリンクによって高精度の観測データが得られているので、
先ほどの艦隊戦よりも楽なぐらいです」
「砲戦パターンは一任する」
「了解!」
ワイアットの言葉に砲術参謀は嬉しそうに応えた。
連邦宇宙艦隊の真骨頂とも言える艦隊砲撃戦にて戦果を出せるのだから当然であろう。
「通信参謀、グラナダに向けて警告はどうなっているか?」
「360秒前から港に対する砲撃を行う内容をリピートにて送信しております。
少し前に撃破したジオン補給艦隊の通報が届いているはずなので、
10分位の余裕はあるかと…」
ワイアットは警告を出すことによって、無関係な一般市民の損失を避けようとしていた。例え避けられなくても、避けようとした行動は後々に生きてくる。
「その程度の時間ではグラナダ内部に機材を退避させる時間はあるまい。
ふっふっふっ、狙い通りだな…」
「そうなれば、動ける艦艇もその大半が推進剤不足のまま出てきますね」
ロドニーが追従した通りに、状況の進展はワイアットの思惑通りに進んでいた。
戦略的に優位な状況にある第5任務艦隊は、グラナダ宙域の戦場を支配していると言っても過言ではない。ワイアットの手のひらの上で踊っているジオンのグラナダ艦隊は彼が最も望んでいる行動をとっていたのだ。
「グラナダ港から離脱を開始した艦艇確認、
5…いや6隻…艦種ムサイ級軽巡洋艦5、チベ級重巡洋艦1…
本艦隊のコース上空高度745km、ベクター(方位)1-33-5、小規模のジオン艦隊補足…
砲撃戦射程ギリギリです。
更に外周部に同規模の艦隊を補足、こちらは砲戦有効射程外」
「ジオン軍はミサイル迎撃に徹するつもりか…
此方の罠に掛かったな。艦隊は射界に入り次第、各艦艇は所定の目標を攻撃せよ」
「了解! 攻撃パターンF1、攻撃を開始せよ。
トレース(主砲自動追尾)」
ワイアットの指示によって砲術参謀が張りのある命令を下す。砲術士官にコンソールキーに備え付けられた実行キーを押すと、艦隊データリンクを介して
第5任務艦隊の旗艦ネレイドと電子的に連結している戦艦3隻、重巡洋艦1隻、巡洋艦18隻
の各艦艇に対して圧縮暗号化が施されている電子信号が送信される。
旗艦からの電子信号を受信した各艦艇の火器管制装置(FCS)は直ちに、
レーザー測定の誤差を修正し終えると、すぐさまに主砲の起動信号を送り込む。これまでの行程は旗艦からの信号受信から1万分の1秒に過ぎなかった。
ジオン公国軍が恐怖している地球連邦軍の高性能電子装置と連動した、
レーダー統制射撃が始まろうとしていた。
このように複雑な弾道計算を一瞬にして終わらせてしまう優れた電子演算装置も強大な国力を有する地球連邦だからこそ作る事が出来たのだ。ジオン公国軍がミノフスキー戦術にこだわる理由は、
地球連邦軍の優れた電算装置と連動する、それに勝るとも劣らない連邦製品の電波誘導兵器に対抗できないからだった。それの力を大きく削ぐ為に否応なしにミノフスキー粒子に頼るしかない。長い歴史の積み重ねによって発展してきた電子装備の開発競争では純粋に国力と開発能力がモノを言う。
そのようなジオンの小癪な戦術を嘲笑うかのように、
ワイアットは無闇にミノフスキー粒子を散布できない戦場を作り上げていた。
グラナダは工業地帯でもある。
このような場所で無闇にミノフスキー粒子を散布すれば、どうなるであろうか?
工場の生産ラインを司る電子装置がミノフスキー粒子の影響を受けて工業精度が下がってしまう。
当然ながら精度の悪い工業製品の価値は下落する。そして、精度の悪い工業製品を作り出す工業地帯を所有していてもジオン公国からしても旨みが少ない。
こういった背景から、第5任務艦隊が装備する電子装置は、ジオンの切り札であったミノフスキー粒子の制約を何ら受ける事が無い。優れた連邦製の電子機器の性能を完全に出し切る事が出来るのだ。
ワイアットは敵地にも拘らず、絶妙なタイミングを付くことによって、地の利をも得ていた。ジオン公国軍がミノフスキー粒子を散布すればグラナダの工業生産に重大な影響を及ぼす。戦術的に必要であっても政治と経済の理由から散布が出来ない。
第5任務艦隊に所属する戦艦4隻、重巡洋艦1隻、巡洋艦18隻が装備するそれぞれの主砲がレーダーシステムの恩恵を受けながら一斉に火を噴いた。ミサイルもミサイル発射管から次々と放たれていく。ワイアットはこの戦いで艦隊が保有するミサイルは全弾撃ち尽くすつもりだった。
連邦の攻撃に対して泥縄的に対応しようとしていたグラナダ近辺のジオン艦隊は驚愕した。そしてグラナダにあるジオン公国軍突撃機動軍司令部にいるキシリア少将は思わず叫んだ。心の底からの叫びと言っても過言ではない。
「謀られたっ!」
キシリアのこの叫び声は、グラナダ周辺のジオン軍が共通する思いであったであろう。
連邦艦隊の砲撃は一部の狂いも無くグラナダ港から退避中の重巡洋艦チベと軽巡洋艦ムサイ5隻に降り注いだのだ。
グラナダ港には一発も着弾が無い。
グラナダ港から緊急離脱を図った軍艦はグラナダ上空に飛来すると思われていたミサイル群に備えたために、満足な回避行動すら行えなかった。そもそも推進剤すら満足に積み込んでおらず、ミノフスキー粒子の影響下ではないグラナダ近辺においては標的に過ぎなかった。
連邦艦隊の容赦の無い第一射の数百に達する主砲の火線は、次々と退避中のジオン艦艇を打ち抜いていく。艦砲を回避できた船は皆無だ。第二射は必要なかった。耐え切ったかに見えたチベ級重巡洋艦も他のムサイとやや遅れて爆沈した。運の悪いことに、ミサイル迎撃の為にグラナダ港から出撃していたMS部隊の一部もその攻撃に巻き込まれていた。
「おのれっ 連邦めぇ!」
キシリアはあまりの被害の大きさに呪いの言葉を吐くが、ワイアットの攻撃はこれで終わらなかった。紳士的なワイアットは御もてなしの心が豊かなのだ。
「まさかっ!」
キシリアがそれを悟ったときには遅かった。
ミノフスキー粒子の影響下に無い宇宙空間を合計500以上に達するミサイル群が低軌道上のジオン艦隊に向って行った。砲戦距離としては適切でなくても、ミサイル戦では十分に射程距離内だったのだ。これは、グラナダに対する総攻撃という固定観念に囚われたジオンの大失敗とも言える。例え今から散布しても間に合わない。
初期型のムサイ級軽巡洋艦の武装は、連装メガ粒子砲3基、145型大型ミサイルランチャー2基、Cクラス小型ミサイルランチャー10基だけであり、対空砲は皆無であった。
連邦の優れた無線誘導兵器を防ぐために作られたミノフスキー粒子の恩恵が得られないジオン艦隊は余りにも貧弱であった。
6隻にしか満たないジオン艦隊に、連邦艦隊からの電波誘導を受けたミサイルが降り注いでいく。当然、主砲クラスのメガ粒子砲はミサイル迎撃に徹してはいない。1隻あたり80発以上のミサイルが降り注いだことになる。対空砲があったとしても甚大な損失になるであろう。
まして、連邦艦では当たり前のように装備されている、近接防御火器システムに対応した対空砲すら無かったジオン艦艇は悲惨に尽きる。
月周辺に展開していたジオン艦隊は有効な迎撃を行うことも出来ずに、次々とミサイルの直撃を食らって爆沈していった。ジオン月面方面軍の受難はこれだけではない。
外周部に展開していたジオン艦隊にもミサイルの第二波が襲い掛かっていく。周部のジオン艦隊は独断でミノフスキー粒子の散布を開始していたが、濃度が十分な量に達する前にミサイル攻撃に晒されてしまった。1割程度を無効化しても、如何する事も出来ない火力差であった。
ワイアットの放ったミサイル第二波の攻撃を受けた外延部を航行していたジオン艦隊も次々と海の藻屑と化していく。
鉄量の差によって第5任務艦隊が再び圧勝を収めたのだ。各個撃破のお手本とも言える戦いだ。
ワイアットの仕掛けた罠は非常に紳士的らしく辛辣で、なおかつエレガントであった。
攻撃予告を行うことによって、港から脱出してきた十分な加速を得ていない鈍重な艦艇を安全な場所から狙い撃ちにしていく。もし港から出航しなければ予告どおりに港を吹き飛ばせば良かっただけである。
グラナダ港と居住区の間には幾つもの隔壁が存在しており、港が爆破されたとしても内部の重要区画には大した影響が出ないようになっている。徹底的な艦砲射撃か核攻撃でも行わない限り、簡単には突破できないのだ。
更に副次効果として、グラナダ市民に対して大きな犠牲を与える事無く、ある程度の戦争の恐怖を教える事も計算に入れていた。親ジオン思想の危険性を間接的に教育したのだ。これも一種の艦砲外交とも言える。
彼は戦後の戦略を見越しており、ジオン軍に対しては一切の容赦は行わないが、可能な限り宇宙市民の心境を害さないように心がけていた。遠慮なくコロニーの住民ごと連邦駐留軍を攻撃したジオン軍との差別化に繋がると彼は考えていた。
長距離光学観測によって戦果を確認していたワイアットは満足そうな表情を浮かべる。
マイクを手にとって政治的攻撃を含めた攻撃終了の宣言を、重要地域に向けたレーザー通信を用いて始めた。
このワイアットの演説の送信手段として使用されるレーザー通信においてはマゼラン級4隻がそれぞれ送信方向を担当して、広域をカバーする用に計られていた。
すなわち旗艦のネレイドは月周辺、ナガトはサイド6、フッドは地球、シャルンホルストはサイド3を担当している。生き残っている人類の過半数がワイアットの演説を耳にすることになるだろう。
「諸君!
先ほど発生した月軌道会戦にておいて、地球連邦艦隊は勝利を収めることが出来た。
ルウムでの借りを少しばかり返す事が出来たであろう。
ここで我々が全力を持ってグラナダ港に立て籠もるジオン軍に対して攻撃を行えば、
ジオン公国の継戦能力は大きく減退するに違いない。
本来なら戦果の拡大を図るべきである…
しかしっ、これ以上の月面での戦果拡大を狙うのはグラナダに住む市民にも、
不幸な戦災が及ぶ可能性が出てきてしまうであろう。
忘れてはならない。
例えジオン占領下にあろうとも、グラナダに住む民もまた地球連邦の市民である!
我々は計画的な組織的虐殺を行ったジオン軍とは違うのだ!
一般市民に対して無闇に犠牲が出るような戦いは戒めるべきである。
今一度、思い出して欲しい…
我々は栄光ある地球連邦軍であり、
地球圏の民を守るホプロンであり、スクトゥムであり、醜の御楯である。
地球圏を守る軍として、連邦市民に危害が及ぶ事は望まない。
よって我が艦隊は攻撃を停止して月軌道より離脱する事を宣言する。
遅くなったが、第5任務艦隊に所属する諸君らの働きに感謝する!
以上だ…」
ワイアットは一撃離脱に徹しなければならない現状を逆手に取った演説を終えると、
当初の計画通りに艦隊の離脱を命令した。
彼は英国紳士らしく去り際も、キザで格好良く決めていった。彼は勝てる冒険はするが、不確定要素が高い負けるような冒険は行わない。優雅に事を済ませる事こそ紳士なのだ。
ワイアットの演説を享けて、連邦艦隊は意気揚々と月軌道からの離脱に取り掛かる。
月の重力を利用して軌道修正を行って、双曲線軌道に乗るとジオン勢力圏から離脱していった。
推進剤の余裕があるとはいえ無尽蔵ではない。2、3回の加速・減速分の推進剤は残しておかなければ、不測の事態が起こった時に、情報収集艦を襲おうとしたジオン艦隊と同じような末路になるであろう。戦史に詳しいワイアットは無謀な事を戒めていたのだ。
月軌道戦役においてジオン軍が受けた損害は小さくは無く、
開戦前から立てていた戦争計画に狂いが生じ始めていた。
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