Chapter 11 旅立ち
―――――声が、聞こえる………。
誰かの泣き叫ぶ声が。
この声は―――――少年だろうか。
悲しみに塗(まみ)れた悲鳴。
血に汚れ、恐怖に涙を浮かべた褐色の肌の少年が、目の前に現れた。
様々な―――――本当に、様々な光景が彼を飲み込んでいった。
虚ろな目をした少年は―――――己が神のために迷わず母を撃ち殺し。
生への渇望を滲ませた少年は―――――廃墟の中をひたすら駆け、降り注ぐ光条の先に新たな神を見。
神と共に戦うことを許された少年は―――――多くの、大切なものを失った。
それらの光景が少年に触れる度に、少年は大きく、強く成長してゆき―――――。
―――――やがて、青年となった。
お前は誰だ?
何故ここにいる?
何故―――――それほどまでに、苦しげな表情が出来る?
どれだけ問いかけようとも少年は答えず、辺りは少年の悲壮と、周囲の闇を表すかの如く静かだった。
まるでそれは、少年自身のようであった。
きっとこの少年は、空っぽで―――――生きる意味を、人の存在する理由を―――――そして、自身の存在する意義を求め、苦しみ続けてきたのだろう。
それが容易に理解出来るのは、自分もその意味を問い続けてきたからか―――――。
『全く。何やってんスか』
突如、虚空に響く別の声。
『皆まだ、必死に生きてるっスよ?』
『世界を、変えようとしてる』
まだ、青年に比べれば少年、少女と呼べるであろう容姿をした2人が、青年にそう語りかけている。
そうか。
皆まだ、戦っているのか―――――。
続いて、2人の次に現れたのは、眼帯を付けた1人の男。
『言ったはずだぜ、刹那。お前は変われ。変われなかった………俺の代わりに……―――――』
刹那と呼ばれた青年の下から、ゆっくりと漆黒の虚空へと消えていく3人。
帰っていくのだ。そう漠然と考える目の前で、青年は彼らへ手を伸ばした。
彼らは消えていく。
『生きている………お前はまだ……』
自らの代わりに、逞しく、美しく咲き誇る一輪の花を、光を残して―――――。
『生きているんだ…………』
残り香のように、刹那という青年と花とを残した暗闇に、眼帯の男の声が反響すると、ややあって、決意の表情を浮かべた刹那の身体が光に包まれていく。
そうだ―――――まだ俺は、生きている。
仲間が戦っている。生を勝ち取ろうと、必死に―――――。
ならば、自分はこんなところで寝ている場合ではない。
人類の生きる明日を、この手でつかみ取るために―――――自分は、戻らねばならないのだ。
そう考えた途端、今度は自分の前に、多くの人々の姿が見えた。
これまでの戦いで―――――無念にも散っていった、友。
変われなかった、者達。
『オージェ。負けんなよ?』
『貴方には、私達がついてるから』
『あいつの鼻をあかしてやろうぜっ!』
「皆…………」
彼らの姿が重なり、やがて大きな光となって、オージェの身体を包み込む。
「そうだな。奴に見せつけてやろう」
暖かな光に包まれたオージェが浮かべるのは、青年と同じ決意の表情。
「人は………こんなにも、変わることができるのだということを…………!」
次の瞬間、オージェの身体が大きく輝いていく。
そして、その大きな輝きが収まった時―――――そこには、静かな黒を映す虚空だけが広がっていた。
☆★☆★☆★☆
「……………っ!」
オージェの意識が戻ると、そこはジブリールのコックピットの中だった。
計器は、モニターやレーダー機器を中心に侵食を受けていたがいくつかはまだ生きていて、機体がELSに侵食されていくことを示すアラートが五月蝿く鳴り響いている。
『モウスグタ………モウスグ、君ノ全テガ僕ノモノニナル! フッ、ハハハハハハッ!』
『先輩っ! 起きて下さい、先輩っ!』
続いて聞こえてきたのは、ダブルオーライザーELSの勝ち誇った笑い声と、切羽詰まったナナオの声。
ああ、そうか。結局、彼女も巻き込んでしまったのか―――――。
もう、ここまででいいだろう。
イノベイターとしての直感が、イカルスはまだ飛べると―――――彼女はまだ、生き残ることが出来ると知らせている。
ならば―――――未来を勝ち取るのは、自分の役目だ。
―――――ガゴン。
『え………な、何!? 機体がっ……!』
いきなりドッキングが解除され、段々とジブリール本体から遠ざかっていくイカルスに困惑するナナオの声が、オージェの耳に届く。
ジブリールのコックピット内からイカルスのコントロール権を奪い、強制的にベガへの帰還軌道へ乗せた。
『コントロールが利かない………まさか、先輩っ!?』
操縦桿をガチャガチャと弄り、いよいよ制御が不可能と知ると―――――はっとして、ナナオはオージェの姿が映るモニターを見た。
モニターの中の愛する人が、ふっ、と微笑む。
「いい女になれよ、ナナオ………」
それだけ言い残し、敬礼すると、オージェの側から通信が切れ―――――。
『い………いやああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっ!!!』
漸く、自分が逃がされたのだと知ったナナオの絶叫が響き、山吹色の粒子の残滓を残し、イカルスは飛びすさっていった。
残されたオージェは、後ろ髪を引かれる思いを感じながら、もう既に侵食により多くの機能の失われた計器を弄った。
☆★☆★☆★☆
「おい、まだオージェは見つからないのかっ!?」
「駄目です! シグナル消失、応答なしっ!」
一方の、ベガ艦橋内。
そこでは今、オペレーターが、必死にオージェの行方を探していた。
傍には、スターダストが回収されたことにより無事生還を果たしたキールが、焦りを滲ませた表情でそれを急かしていた。
周辺宙域は未だ、多くのELSが席巻していた。
最高司令部であるソレスタルビーイング号からも先程、艦隊の損害が50%を超えたとの報告を境に交信が途切れた。
敗色は濃厚。
しかし、最後の最後まで皆、諦めることはなかった。
これまでに散っていった、多くの命のためにも。
今も忙しなく、迫るELSを迎撃するべく怒号が飛び交う中で、キールに急かされる形ではあれ、オペレーターは必死にオージェの姿を探す。
―――――と。突如、キールのいるのとは違う場所の計器が鳴り、そこに向かい合っていたオペレーターが驚きを露わにしつつも報告した。
「い、イカルスを捕捉! 本艦への帰還軌道に入っていますっ!」
「「何だと!?」」
これにはキールだけでなく、指揮をとっていたはずのフィリスまでもが驚愕し、指揮を中断してまでオペレーターへ聞き返す。
「確かか!」
「は、はい!」
「何やってるんだ、あいつはっ………!」
キールが毒づく。
言葉の意味を理解していたフィリスは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながらも、自らのすべきことを優先して指示を飛ばした。
「ハッチ開け! 整備班に着艦の準備をさせろ!……万が一に備え、医療班も待機させておけっ」
「はっ!」
最後の言葉は、ナナオが負傷していた場合を想定してのものであった。
それならば、あのオージェがわざわざ彼女だけを帰還させた理由には十分であると考えたからだ。
キールも同意見なのか、向けた視線の先にいた彼はしっかりと頷いた。
フィリスの言葉に返事を返し、MSデッキに通信を繋ぐ男性オペレーター。
その後すぐに、今度はイカルスのコックピットと通信が繋がり―――――直後、艦橋にいたクルー達は息を呑んだ。
通信が繋がったことを示すブツリという音の直後聞こえてきたのは、いつもは笑顔を絶やさぬ彼女の、啜り泣く声であったのだから。
「どうした!?」
「どこか負傷したか!?」
心配する2人の声に、ナナオは涙声で辛うじて答えた。
『先輩が………先輩がっ……』
その言葉に、全てを悟った2人。
息を呑んだクルー達の前で――――― 一際大きな赤い光が、弾けた。
☆★☆★☆★☆
『………何ノツモリダイ?』
機体をゆっくりと侵食して、その体躯を白銀へと変えていきながら、ELSはオージェへ問いかける。
『今更ソンナコトヲシテモ、取リ付イタ時点デモウ侵食ヲ止メルコトハ出来ナイ。ソンナコト、君ニモヨク解ッテイルダロウニ』
言いながら、また少しELSがジブリールの機体を侵食していく。
四肢はもう、殆ど取り込まれつつあった。
『ソンナ悪足掻キハ止メテ、イイ加減僕ノ一部ニナレ。ソウスレバ、キット楽ニナレルサ』
「………違うな」
ELSの言葉に、それまでだんまりを貫き通していたオージェが口を開く。
その声音に迷いはなく、確たる思いに満ちていた。
「俺がやっているのは、悪足掻きなどではない。俺はまだ…………解り合えると信じている。お前と………」
『馬鹿ナ。正気カ? 解リ合ウモ何モ、僕ハ今、君ヲ殺ソウトシテイルンダヨ? ソンナ相手ト、何ヲ…………』
「出来る」
ELSの言葉を遮り、変わらぬ確固たる言葉でオージェは言い放つ。
「ここまで来て……漸く解った。俺がイノベイターとして革新したのは、誰かと解り合う勇気が、俺に必要だったからなのだと。そして、理解した今ならそれが出来る。出来ると…………信じている」
オージェは、虚空へ手を伸ばした。
そしてそれに呼応するように、ジブリールガンダム自身が侵食されていない部分を動かし、自らELSへしがみつく。
それは、戦火の中抱き合っているようにも見えて―――――故に、ELSは思わぬことに当惑する。
『ナ、何ヲ…………!?』
「あの男は、確かに怒りや憎しみ、多くの負の感情に塗れた、哀れな存在だったのかもしれない。だが、本当にそれだけか?………なめるなよ、異星体。人間はそこまで、単純な存在ではないぞ」
オージェがそう語りかけると、ELSの中に、それまで彼が見たことのない光景が広がった。
それはまだ、男の家族が殺される前の記憶。
その頃男はまだ幼く、家は決して裕福ではなかったが、いずれも、幸せそうに笑う年相応の少年の姿がそこにはあった。
当然、そんな彼の心の内には、負の感情などなく―――――代わりに、心地好い正の感情に満ち満ちていた。
『バ、馬鹿ナ………人間ガ……人間トハ、モット愚カナ存在デハ………』
困惑するELS。
それまでに見てきた人間像を否定されたような気がして、訳が解らなくなる。
しかもそれは、誰に突き付けられるでもなく、自分の意識の中から―――――今まで見向きもしようとしなかった場所から浮かび上がってきたもの。
オージェの言葉に何も言い返せないでいるELSへ、オージェは諭すように語りかけ続けた。
「人間とはそういうものだ、ELS。誰もが一言で語り尽くせぬ幾つもの仮面を持っている。人はその中から、その時に一番合っていると思った仮面をつけて、日々を生きている。ただ一面だけを見たところで、その人の全てが解るはずがないんだ」
だから、と前置いて、オージェは更に言葉を紡ぐ。
革新者として。
ガンダムパイロットとして。
そして―――――人間として。
「だからこそ、解り合う必要がある。人間も。ELSも。全ての生きたいと願う者達が、笑って暮らせる世界にするために。そして―――――俺は信じている。お前と俺も、きっと解り合えるのだと」
『…………1ツダケ、聞カセテ欲シイ』
オージェの言葉を、途中から1言も発さずに静かに聞いていたELSが、唐突にそう口を開く。
『君ハ………コンナ世界ニモ、救イガアルト思ウカイ?』
「………そうであってほしいと、願っている」
『………ソウカ……』
心なしか、僅かなりとも救われたようなELSの呟きに、オージェは決意と共に声を張り上げる。
「ELS、旅に出よう! 旅に出て、俺と共に様々な世界を見よう! そして教えてやる。人間というものをっ!」
『イイノカイ? 僕ト一緒ニイルトイウコトハ、僕ハ何時(イツ)デモ君ヲ取リ込メルトイウコトダヨ?』
言っている傍からビキ、と音を立てながらまた少し、ジブリールをELSが覆う面積が大きくなっていく。
常に共にいる限り、その危険は常にオージェに付き纏う。
ELSとは本来そういうものであり―――――故に、この大戦とも呼べる戦いが起こったのだ。
オージェはELSの言葉を鼻で笑うと、清々しい笑顔で告げる。
「上等だ。やれるものならやってみろ」
『…………フッ、ハハハハハハハハッ! 本当ニ面白イ奴ダネ、君ハ! コノ僕ニ! コノ状況デ! ソコマデノ啖呵ヲ切レルノダカラ!』
オージェの啖呵にELSは一瞬呆けると、やがて声を大にして笑った。
そして理解した。
もしかしたら、これこそが彼の言う、解り合う≠ニいうことなのかもしれない、と―――――。
『イイダロウ、人間。ドコマデデモ付キ合ッテヤル! ケド、忘レルナ。少シデモ人間ニ可能性ナドナイト思ッタラ、僕ハ君ヲ容赦ナク喰ラウ!』
「その言葉、そっくりそのまま返してやろう」
不敵に笑い合う両者の間でふと、変化が起きた。
ジブリールを覆っていたELSの身体が光を発しながら、ゆっくりとジブリールに染み込むようにして吸い込まれていく。
やがて全てが白銀と黄金の巨躯に消えていくと―――――機体全体が、白銀に輝いた。
そして。
「トランザム!」
瞬時に紅く変色した。
膨大なGN粒子の奔流が―――――ゆっくりと機体を包み込んでいく。
大天使の名を冠した羽衣は、燃えるような赤へとその姿を変えていった。
神秘的な赤に包まれつつあるコックピットの中で、オージェの金の瞳に、モニターに表示された文字が映った。
『Let's GO.』と。
「ああ………行こう」
きっ、と前を見つめるオージェの先には、漆黒の虚空。
これから彼は、旅に出る。
それは、長い、長い―――――果てしなく続くこの宇宙(そら)を巡る、永遠に思える旅。
別れを告げるように、オージェは母なる地球を一瞥し―――――やがて、機体をワープさせる。
2人が消えた後には、暖かなオレンジ色の光が瞬き―――――残り香の如く、いつまでも輝き続けていた。
☆★☆★☆★☆
「! これは………」
「どうした、刹那?」
オージェがいたのとは違う、別の宙域。
今は少し、戦域の真っ只中なから離れた星の海の中を、翡翠色の粒子の尾を靡かせながら飛ぶ、青き機体があった。
機体名、ダブルオークアンタ。そしてそのガンダムマイスター、刹那=F=セイエイ。
この世界において全てのきっかけを作った組織、ソレスタルビーイングの一員にして、オージェ=ジルヴァーニュを革新の境地に至らしめた、真の先駆たる革新者―――――人類最初のイノベイターである。
そしてクアンタのコックピット、刹那の握る操縦桿の傍にはホログラムが浮かび上がっており、紫のパイロットスーツを着、同じく紫の短髪の下の鋭い目を眼鏡で隠した青年の姿が投影されていた。
彼は、ティエリア=アーデ。
量子型演算処理システム、ヴェーダの生体端末たる存在、イノベイドであり、ヴェーダを陰ながら、中から管理・統制する存在である。
最初の呟きは刹那より発せられたものであり、ティエリアがそれに問いかけた形となっていた。
刹那はイノベイターであり、故に常人には理解し得ない多くを感じ取ることができる。
それを理解してのティエリアの問いであったが、果たしてそれは正しかった。
「………声が、聞こえた」
「声………だと?」
ティエリアの問いに刹那は、ああ、と頷いた。
「声だ。対話の声………解り合うための言葉……」
「そうか…………」
普段表情に乏しい2人が、笑った。
この広大な宇宙の中で、解り合う、解り合おうとする道を選んだ者達がいた。
それが、これからまさに対話へ向かう彼らには―――――たとえ小さな一歩でも、それは決して不可能ではないと、奮い立たせてくれる彼らの存在が嬉しかったのだ。
「…………行こう、対話を果たしに」
「ああ。行くぞ、刹那!」
臨むのは、異種との対話。
全ての悲劇をその手で終わらせるために、クアンタは飛ぶ。
それから暫くして、静まり返った戦場。
そこに浮かぶ花が―――――ELS達の作り上げたそれが、解り合った証として強く―――――美しく、咲き誇っていた。
人類はこの時、確かに明日を掴み取ったのだ。
互いが互いを理解し合える。
そんな未来の、第一歩を。
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