Chapter 6 結ばれる思い
「連れ去られた? おい、どういうことだそれ!?」
周辺の警戒を続けていながら、非戦闘時のため緊張の緩みかけていたベガ艦橋に、キールの大声が響き渡る。
和やかな静寂が訪れていた筈の空間に突如として沸き起こった大きな声に艦橋にいた誰もが視線を向け、さすがに自身の声の大きさを自覚したのか、キールは通信を持ち運び可能なPDAに移して艦橋を後にする。
「で、どういうことなんだよ一体!?」
廊下を歩きながら、PDAの画面に映る焦った様子のオージェへ、小声で怒鳴りつけるようにキールは訊く。
『言ったとおりだ。拘留していた野盗が脱走してナナオを連れ去った。目的は解らんが、俺1人で指定されたポイントまで来るよう要求があった』
「何……それだけか? 他に要求は?」
『ない』
焦りを滲ませながらはっきりと言うオージェに、キールは訝しげに眉を顰める。
犯人の狙いが読めない。
誘拐というリスクを犯してまで彼が得ようとするものは、金でも逃走手段でもない。ただ、オージェに1人で来るようにとの指示だ。
そんな、一般的に見た利益からかけ離れた―――――むしろ、せっかく逃げおおせたチャンスを棒に振るような犯人の行動が、彼には理解できなかった。
そんな彼にも構わず、オージェは相変わらず焦った様子で捲くし立てる。
『ジブリールを出す許可をくれ。………いや、小型艇でもいいんだ。貸してくれ!』
「………解った。だが、申し訳ないがジブリールを出すわけにはいかない。小型の戦闘機でよければ手配しよう」
『……ありがとう』
手短に礼を述べ、すぐさま通信を切るオージェの人間らしさ≠ノ不謹慎ながら苦笑して、キールは続いてMSデッキへ通信を繋いだ。
☆★☆★☆★☆
「待ってくれ!」
キールとの通信を切り、MSデッキへと走るオージェを、1つの声が呼び止めた。
「…………艦長」
立ち止まり、向き直った先にいた声の主―――――フィリス=ラフェールは、沈痛な面持ちでオージェをじっと見つめていた。
その目にある思いを察し、オージェは焦る気持ちを無理矢理押さえ込んで聞く姿勢をとった。
「………行くのだな」
「キールから聞いたのか」
「…………ああ」
本当は偶然にも通信の内容を聞いてしまっただけなのだが、そこには触れずにフィリスは問う。
「それは、罠かもしれない。否………確実に罠だ」
「解っている」
「危険だっ!」
「……解っている」
急に声を張り上げた彼女に臆することもなく、オージェは淡々と言葉を紡ぐ。
それになんだか拍子抜けに似た思いを抱き、フィリスは再び声を落とした。
「怖く………ないのか?」
「俺が死ぬことは怖くない。だが………ナナオは、あいつは死んではいけない人間だ。他者と交わり、思いを共有することが出来る人間だ。だから、あいつは殺してはいけない。だから…………俺は行くんだ」
はっきりとそう言い切るオージェの口調に、フィリスは彼の真なる思いに否が応にも気付かされた。
そして、悟った。
自分が彼女≠ノは、もう決して敵わぬことに。
戦場で生まれた儚き初恋。
だがそれも、この2人の何よりも変え難い数年には決して及ぶことは出来なかった。
それはフィリスにとって悲しいことだったが―――――同時に、清々しさすら感じていた。
だから。
「…………解った。彼女のことを、頼む」
「………ああ」
快く、送り出すことすら吝かではなかった。
「…………」
再びMSデッキへと駆けていく、恋焦がれた男の背中を見送り、女は一筋の涙を流しながら踵を返す。
己が未練を、断ち切るが如く―――――。
そして。
女の思いが敗れたその時、彼らの乗るベガから少し離れた場所へ1つの流星が地へ落ちていったが―――――ベガの艦橋はおろか地球周回軌道に駐屯している連邦軍にすら、それを感知することは出来なかった。
☆★☆★☆★☆
「ここか…………」
キールから戦闘機を借り、軌道エレベーターを降りてきたオージェは、コンテナに載せてきた戦闘機に乗り込み、誘拐犯の男が指定してきたポイントへ移動していた。
戦闘機とはいっても内部には粒子貯蔵タンクが内臓されていて、尾から推進剤の代わりにGN粒子を吐き出し続けている。
今戦闘機のキャノピー越しにオージェが見るのは、眼下に広がる鉱山地帯。
そここそが、男が指定してきたポイントであり、オージェが目指すべき場所でもあった。
着陸できそうな平地にゆっくりと戦闘機を着陸させると、銃の用意をして、暗く、まるで地獄への入り口のような威圧感を放つ坑道へと、オージェは足を踏み入れていく。
少し歩いていくと、この坑道のものらしいトロッコが見えてきた。
オージェは近づき腰を降ろすと、レールを手袋を嵌めた手で撫でる。
「大分埃が溜まっている。今は使われていないのか………」
そんなことを呟きながら、オージェは大した感慨も湧かぬが如く早々に立ち上がり、奥へと進んでいった。
焦りに駆られる心は彼の歩を進め、冷静な行動を齎す思考を奪っていく。
それは彼自身にも解っていたが、焦りを鎮めることは出来なかった。
暫く歩みを進めていけば、見えてきたのは開けた1つの部屋のような空間。
そこでレールは途切れており、方々には採掘途中であったらしい石の塊が転がっている。
おそらくは満足に鉱物を含んでいない石ころを蹴り上げ、オージェは正面に目的のものを見つけた。
「よぉ、兄ちゃん。通信画面越しに見るよりずっと男前だなぁ」
「…………約束どおり、1人で来た」
「先輩っ!」
男の軽口を無視し、睨みつけると同時に、彼奴の腕の中に拘束された状態のナナオの姿を確認し、安堵する。
しかし、まだ油断は出来ない。
未だ彼女の身の自由は敵に委ねられており、いつ危険に晒されるか解らないのだ。
オージェの態度に男はさして気分を害したふうもなく、くっくっくと笑い声を上げながら男は両手を仰ぐように掲げた。
「ここがどこだか知ってるか? ここはな、MSの装甲に使う純度の高い鉱物を掘り出してた鉱山だ。少し前まではここも割と賑わっていたんだぜ?」
「目的は何だ!」
全く噛み合わぬ両者の会話。
男の言葉に付き合う素振りすら見せず、ホルスターから拳銃を抜き構えるオージェに、「おー、怖い怖い」と、全く動じる風もなく男はわざとらしく大仰にリアクションを返し、それが更にオージェの神経を逆撫でする。
「………別に、何も望んじゃいねえよ。ただ、俺を倒した男ってのがどんな奴なのか。この世の終わりが訪れる前に、会っておきたかったっつーだけの話よ」
「この世の、終わり…………」
それまでの軽い口調は形を潜め、どこか遠い目をしながら話す男に、オージェは拳銃を降ろさぬままとりあえずは冷静さを保って聞き返した。
「そうよ。お前さんも気付いてるだろう? あいつらは………ELSって奴は、侵略者だ。こっちの言い分なんざ聞きやしねえ。一方的に、ただ奪っていくだけだ」
男の話に、オージェは身じろぎせずに眉だけを顰める。
確かに、オージェがELS達に抱く感想もそんなものだった。
だが―――――男の言葉には、何故か素直に同意できない。
思考の中で、何かが違うのだと、頷いてはならぬと何かが叫んでいる。
その不可思議な感覚にざわつきを感じながら、オージェは尚も男を睨んだ。
「なら、奴らの餌食になる前に、せめて復讐を遂げておくってのもまた一興だろ?」
「復讐、だと?」
「そう、復讐よ」
オージェはすぐさまイノベイターとしての力を発現させた。
彼の思いを探るために。或いはそれこそが彼のこの不可解な行動の根本原理となっているやもしれないから、その真意を探ることは事態を打開する一歩となりうるかもしれない。
黄金に光る眼が、彼の心を映し出す。
見えたのは―――――赤。
怒り、欲望。―――――そして、血。
彼の中に眠るあらゆる負、あらゆる悪意が赤という色を投影し、そのあまりに紅い闇にオージェは何かが焼ききれるような不快感を覚え、思考の読み取りを中断した。
ほんの僅かの間。
結局全てを把握することは出来なかったが、本質は大体掴むことは出来た。
「お前の両親は………軍に、国に殺されたのか」
オージェの言葉に、男は一瞬驚きに目を瞠るが、すぐにもとの軽薄な笑みに戻る。
昔―――――まだ連邦軍が発足していなかった頃。
この近辺は、人類革新連盟の管轄下だったと聞く。
その時代、まだ鉱山として機能していたここは、人類革新連盟も当然目をつけており、様々な技術者と労働者が行き交っていたという。
だが、その実ここは地獄だった。
後の調査で、人類革新連盟がここに勤める労働者達に与えていたのは、かなり劣悪な労働条件であったことが発覚した。
行き過ぎた労働に、過労や飢餓で死んでいく人々。
後にソレスタルビーイングの介入により解放されていなければ、ここは今も尚死人の山を築いていたかもしれないのだった。
男の両親は、この山の労働者の1人だった。正確には、男の父親が、だが。
ここまで思考を読んだオージェは、今なら先程男が言った「賑わっていた」という言葉が全くの皮肉であることが、理解できるように思えた。
「そうだ。だがな、俺はお前達に一片の復讐心も持っちゃいねえぜ。そりゃ、最初はお前達を恨んだがな。今じゃもっと楽しいことはあるって気付いたから。復讐鬼になってる暇なんざこれっぽっちもなかったんだよ!」
これも、真実。
彼の中には様々な悪意が渦巻いていた。
しかし、その中に軍を恨み、世界を憎む心は驚くほどに少ない。
そして。それ以上に大きいのが―――――。
「俺はな、楽しいんだ。他人から物を奪うのが! 何か大切な物を奪った時の泣きそうなあの顔がっ! 俺と同じ様に、大切なものを奪われたやつの憤怒に満ちた表情が堪らねえんだよ!」
略奪への、狂ったような快楽。
「それで、俺からナナオを奪おうと言うのかっ!?」
「ああ、そうよ。だがな、今の俺は世界の危機っつー奴に絆されて、最高にいいことをしたい気分だ! だから………そうさな、選ばせてやるよ」
言い、男はナナオの頭を掴み、彼女の首筋へナイフを突きつける。
彼女が「ひっ!?」と小さく声を上げるのにも厭らしい笑みを浮かべながら、男は言った。
「この嬢ちゃんが死ぬか、アンタが死ぬか。選ばせてやるよ。優しいよなぁ、普通なら嬢ちゃん殺して終わりのとこだってのになぁ! ははははっ、自分の優しさに涙が出てきちまうぜ! がはははははははっ!」
「貴様っ!」
銃を持つオージェの手が震える。
引き金に指はかかってはいるが、それも表面上。
力など全く入っていない。―――――入れられるはずもない。
今、この引き金を引いているのは自分ではない。目の前の男の方だ。
引き金を引き、放たれた弾丸は男の喉笛ではなく、自分が守るべき人―――――ナナオの首から鮮血を迸らせることだろう。
それは、最もオージェが恐れることであり―――――最も、あってはならないことであった。
「で? どうするよ。俺はどっちでもいいんだがなぁ………」
「せ、先輩っ…………!」
ナナオの首に僅かにナイフの刃先が刺さり、微量の血が刃を伝う。
その赤に、オージェは決意した。
静かに目を閉じ、旧型の銃、ワルサーに似た黒光りした銃の銃口を、こめかみへと突きつける。
「…………ほう、死を選ぶかぁ!」
「先輩っ!? いやっ、死なないでっ!」
視界を失い、真っ暗になったオージェの耳に、必死に叫ぶナナオの声と感情が届いてきて、オージェの胸が痛む。
だが、こうするしかない。
考えてみれば、いい機会ではないか。
これまで散々自分の存在に悩まされてきたのだ。
もうそろそろ、ここで―――――楽になってもいいのではないかと。
そう思えば、失おうとしているのは自分の命であるというのに、恐怖は嘘のように感じられなかった。
引き金に指をかけ、ゆっくりと力を入れ―――――。
―――――ソレデ、イイノ?
「っ!?」
不意に、オージェの脳内に響くように聞こえてきた声。
声は反響し、オージェの中へゆっくりと染み渡っていく。
「誰、だ………?」
「あ? 何言ってんだお前?」
男が、突然のオージェの言葉に訝しげに問うが、そんなことは今のオージェにはどうでもいい。
あの声―――――ちょうど、脳量子波を受けたような感覚だった。
だが、オージェにはそれが誰のものなのか、皆目検討がつかない。
今この場にいるのは、自分とナナオを除けば、男しかいない。
ナナオはイノベイターへ変革し始めているが、見たところ死のうとしている自分に必死に語りかけている。声とは無関係だろう。第一彼女はまだ、イノベイターとしての力に不慣れなのだ。あそこまで明確に意志を通わせるのはまだ不可能だ。
かといって、男は論外であるということも明らかである。
では、一体誰なのか。
そう思考するオージェだが―――――。
「おら、早くしろよっ! この嬢ちゃん殺されたいかっ!」
「ひゃああぁっ!?」
より一層凄みを利かせて脅しにかかる男に、思わずナナオが上げた悲鳴に、オージェは気のせいだと思考を捨てた。
否、捨てざるを得なかった。
彼にとって重要なのは、誰のものかも解らぬ声に、幻聴に耳を傾けることではない。
ナナオの命を救う。これしかない。
「待てっ!」
焦り、銃の引き金を引こうとしたオージェ。
しかし、それまでの覚悟も瓦解するほどありえない≠烽フをその視界の中に認めたことで―――――瞠目した。
彼の―――――男の背後に、うねる白銀の液状化した何かが、突如視界に入ってきたからである。
「何、だ………あれは……」
オージェが呟くと、漸く男も振り返ることでその存在に気付いて、呆然とする。
「な、何だよこりゃぁ!?」
「ひいぃっ!?」
男が腕でナナオの首を抱えたまま後ずさるが、それは逃げようとしての行動でないことはオージェにも解った。
おそらくは、恐怖により腰が引けただけ。
目の前の未知≠ノ対し、身体がささやかな防衛行動を行ったに過ぎない。
しかし、その程度でその存在から―――――ELSから逃れようとしていたとしたら、あまりにも甘い考えだ。
満足に動かないのに気付いてか、ELSはその身体を波打たせながら男へじりじりと迫っていく。
「ひっ………来るな、来るなああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
恐怖のあまり、男は腰に差していた銃を抜き打ちで放つ。
おそらく、居眠りをしていた看守からくすね取ったのだろうが、全くの無駄である。
銃弾は液状の身体に吸い込まれ―――――貫通することすらなく取り込まれ、消えた。
恐怖のあまり男の腕の拘束が緩んだらしく、その隙を見計らってナナオはオージェの下へ逃走する。
「先輩っ!」
「ナナオッ! 走れっ!」
頷き、走り来るナナオを両手を広げて受け止めてやる。
「先輩っ…………」
「ナナオ、無事でよかった」
腕の中で泣きじゃくるナナオを、確りと抱きしめる。
―――――そして。
「う……わあああああああああぁぁぁぁぁぁ………」
2人の目の前で、断末魔の悲鳴を上げながら、男の身体が液状体へ飲み込まれていく。
この数分間の間、オージェを散々苦しめて見せた男の最期は―――――あまりにも、呆気なかった。
「最期には、自らを奪われたか…………」
因果応報だ、と切り捨ててしまうことは簡単だ。
しかし、それでは彼があまりにも不憫に見えて、オージェは目の前でうねるELSをじっと見つめた。
終わったか。同時にそう思った―――――矢先のことだった。
―――――コレデ、カワレタ?
「っ!? また声っ!?」
聞こえたのは、先程と同じ、脳量子波に干渉するような声だった。
「せ、先輩。今の声って………!?」
どうやら、今のはナナオにも聞こえたようだ。
解らない、とだけ答え、オージェは目の前のELSに目をやる。
ELSは未だに、その液体染みた身体を波打たせ―――――どんどんと形を変えていく。
「まさか…………」
その変わっていく姿に、オージェは1つの予測を立て、同時に驚愕を意を示す。
ELSがこれまで変身してきたのは、自動車や列車、トラックにヘリなどの機械にミサイルなど、無機質なものが多かった。
金属生命体である以上それは当然のことかもしれないが、これまで彼らがそれ以外の―――――有機物の姿を真似たことは、一度もなかったのだ。
だが、今ELSが目の前で変貌していくのは―――――。
「ひ、人…………!?」
―――――ナナオが呟いたとおり、人間だった。
とはいっても、実際に人間に擬態したわけではないだろう。
おそらくだが、中身はELSの白銀そのものに違いない。
―――――ソラ、ヨンデル………。
「空…………?」
おそらくは声の主であろう、ELSに訝しげな視線を送るオージェの目の前で、当のELSは突然光を発する。
眩い光に、オージェとナナオは目を塞いだ。
それほどの、極光。
直視できないほどの輝きが数秒続き―――――漸く収まった時、そこにELSの姿はなかった。
「助かった………のか?」
「先輩…………」
腕の中から聞こえてきた声に、オージェは我に返り、彼女の方を見た。
オージェの胸に顔を押し付け、泣きじゃくっていた彼女だが、今では幾分落ち着いているように見える。
それでも顔を上げない彼女に、オージェが不思議に思っていると。
―――――パンッ。
「…………!?」
頬を、平手打ちの衝撃が襲った。
「な、ナナオ…………?」
思わぬ行為に遭い、呆然としているオージェの声に、漸くナナオが顔を上げた。
その目に溜まるのは―――――大粒の涙。
「先輩は馬鹿ですっ!」
オージェが何かを言う前に、ナナオは叫ぶように捲くし立てる。
「さっきあの人が脅した時………先輩、死のうとしてました!」
「…………俺が死んでいれば、お前は助かった」
否。
オージェがあそこで死んだとしても、男が素直に約束を守ってナナオを解放する保証などないことくらい、冷静な頭で考えれば解ることだ。
「嘘っ! 先輩は逃げようとしていただけです! 自分から! 生きることからっ!!」
彼女の言うとおりだ。
何もかもから逃げようとしていた。
彼女を助けようとしたことを免罪符として、死という安寧を得ることで、自身の存在から、心の葛藤から逃げようとしていただけだ。
「俺は…………化け物だ」
だから、もうよかった。
自分という存在から逃げ出すほど弱く醜い自分を知られてしまったのだ。
もう、奥底に秘めていた思いを知られようが、構わなかった。
「人の心を読める化け物だ。人より2倍もの寿命を生きる怪物だ。俺は………」
―――――生まれてきてはいけない存在だったんだ。
その言葉を聞き、ナナオはオージェの心に巣くう闇がどれほど大きなものかを知った。
軍に縛られることを恐れ、イノベイターとしての自分を隠し、全てから逃げ続ける日々。
心優しい彼にとって、その時間はきっと何よりも苦痛であったに違いない。
にも関わらず、世界はそんな彼に見向きもしないで―――――今、再び重圧を彼に背負わせようとしている。
それは、彼女には到底理解できないほど大きな苦痛なのだろう。
―――――だが。
「…………やっぱり、先輩は馬鹿ですっ………」
やはり、この世界は不完全で、残酷で―――――しかし、狂おしいまでの慈愛で溢れている。
オージェの身体をその腕で強く抱きしめ、ナナオは子供をあやす母のように優しく語りかけた。
「…………私が、います。他の誰が先輩を拒絶したって、私が先輩を愛します」
ナナオの言葉に、オージェははっと目を瞠った。
信じられないと。
拒絶されるものとばかり思っていたオージェはしかし、今まで自分がイノベイターであることが解ってからも、変わらず接してくれたことを思い出した。
そして、今。
自分の所為で怖い思いをしたというのに、そんな自分に全く臆することなく愛すると誓ってくれた女性は―――――とてもいじらしく、美しく思えた。
「………俺は、化け物だ」
「……そんなこと、ありません」
「俺は、嘘も平気で言う」
「……知ってます」
「俺は……お前を愛しきる自信がない」
「私が愛します」
わざと拒絶の言葉を並べ立てるも、すぐに確りとした言葉を返され、オージェはそれ以上言葉も出なかった。
これまでも、キールが助けてくれた。
ジェイクが、重く圧し掛かる葛藤をやわらげてくれた。
そして今この時、ナナオが暖かく包んでくれた。
今まで心を硬く縛っていた鎖が、音を立てて千切れ飛んでいく。
気付けばオージェは涙を流しながら、ナナオの華奢な身体をきつく抱きしめていた。
ひとしきり泣いた後、2人はどちらからともかく口付けを交わした。
互いに愛し合う、その証として。
「…………ありがとう」
礼を述べるオージェの顔に、もはや迷いはない。
思いを察したナナオが、少し困ったように微笑んだ。
「………行くんですね」
「ああ。お前はここに残っても………」
「もーっ。馬鹿言わないで下さい。言ったでしょ、愛してるって。私も一緒に、たとえ地の果てだろうが宇宙の果てだろうが、どこまでも着いていきますってば♪」
二の句も言わせまいと、ナナオはオージェへそう微笑みかけた。
敵わないな、と呟きながら、オージェは笑う。
久しぶりに―――――本当に久方ぶりに、彼が心の底から笑った瞬間だった。
「解った。俺の愛は大きいぞ? お前に受け止められるか?」
「お望みとあらば♪」
いつもの如く、どこか子供っぽい口調で返すナナオに、オージェの中で大きな活力が湧いてくるのを感じた。
今なら、MS1個師団だろうが宇宙怪獣だろうが、どんなものにも負ける気がしなかった。
「…………では、行くぞ。ちょっと、地球を救いにな」
「はいです!」
元気よく拳を振り上げるナナオを伴って、オージェは歩き出す。
自らの答を探す旅路へ―――――そして、彼の戦場へ。
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というわけで、今回はナナオとのカップル成立&フィリス完全に失恋の回、でした。
今回出てきたELSですが、後に重要な意味を持ってきます。完全にオリジナル設定&展開となりますが………ああ、読者の皆様の反応が怖い……!
では、また次回まで。失礼します。
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