■ EXIT
ミシェイルの野望 第06話 「悪魔の戦略」


雷雨の中、昼にもかかわらず薄暗い執務室にはミシェイルしか居なかった。

その中でミシェイルは直接刃を交える事無く、
知られずにアカネイア聖王国を弱らせていく方法を考えていた。

今考えているのは裏の戦略であり、ミネルバやマチスはもとより、誰一人にも言うつもりの無い影の内容である。
しかも、影の戦略は本当の意図は隠し、別の結果の経過の中に埋もれさせる算段だ。

更に決して書類として残さない程に用心していた。

「どうしたものかな」

ミシェイルは亜麻流行による穀倉地帯の干渉とは訳が違う、 「脚気」によってアカネイア聖王国を混乱させようと考えていた。

脚気とは、ビタミンB1(チアミン)の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす疾患の事を指す。また、ビタミンB1はお酒のアルコール分解するにも必要で、それが体内で不足すれば食事の際に飲む葡萄酒すらも危険な物へと変わっていく。

特に酒の消費が多く、娯楽の少ない農村地帯を視野に入れていた。

娯楽の減少は社会不安を煽れるだけでなく、
農家が潰れれば食料自給率を減らすことが出来るのだ。

これは、国家の基本であり生命活動に必要不可欠な食糧生産の屋台骨を
へし折る過程の一つとなろう。

ミシェイルは更に考える。

「視点を変えてみるか……」

幾つかの考えをミシェイルはシミュレートしながら考える。

麦や小麦は余りにも多種のパンで使われており、いきなり無くすのは不可能だな。
となればパンの材料を徐々に白米に変えていくしかないか……
問題は米の入手になるが、これは倭刀と一緒に入れば実行に移せるだろう。

「悪くないな」

執務室の窓から見える荒れ模様の空を見ながら呟いた。

麦で作られたパンで大部分のビタミンB1を摂取している低所得者にとって、
麦の途絶は脚気の誘発に等しい。

しかもミシェイルの考えた案は、徐々に麦の価格を高騰へと導き、市場での麦の量を減らして、代用食として白米パンを代用食として普及させていく手順になっている。最初は玄米比率を高めにしてビタミンB1を急に減少させず、徐々にビタミンB1の少ない白米に変えて行き市場に浸透させていく念の入れ具合だ。


『食』を遅効性の『毒』に変えていく、悪魔の戦略ともいえる。


「そうなると幾つかの対処を考えておかねば…」
白米パンはアリティアを発祥の地にしてしまおう。
何らかの手段で知られたときに被害を受けるのはアリティア王室だが、彼らも大好きなアカネイア聖王室に討たれるなら本懐に違いない。

人は信じたいものを信じるからな、アカネイアの奸臣に利で動かせば思惑通りになる。 いっそ奸臣には、利はグラ国側から提供していると信じ込ませるのも一興だな。

グラ王国は元々アリティア王国から王位継承権問題で分離した国家で、それなりの確執があった。ミシェイルはその点を突こうと考えた。水面下に潜む問題を最大限に利用するのが国家戦略であり、ミシェイルの考えは別に卑怯でもなかった。ただ、時代を先取りしすぎているだけだ。

面白いように策が沸いてくるミシェイルは、
ニヤリと笑みは陰謀家の様な笑みを浮かべていた。

「ふっふっふっ……圧倒的ではないか、我が策は……」

ミシェイルは更に脚気を活用する案を考えていく。
「脚気」をアカネイア聖王国産の「酒」が原因という情報を流すのも面白い。
酒という娯楽が制限もしくは減少すれば、新たな娯楽を欲するのは人の必然…
さすれば我が国で量産する書物が入り込む隙も出来よう。
時に備えてプロパガンダ等の情報戦略も練っておかねばな……


これはミシェイルがミネルバとマチスに話したアカネイアが敵対行動をとった時に切るカードとして準備している食糧戦略とは違う、自衛の幅を超えた攻撃的な策謀である。

病を操作する事によってアカネイア聖王国の人口を減らし国力を落とさせていく予防攻撃的な側面を有している。しかも攻撃手段とは極めて気が付きにくい悪質さもあった。

ミシェイルは多方面から己の策を冷静に分析して修正していく。彼は肉親や仲間に対する優しさは大きく増したが、敵や敵に協力的な者に対する冷徹で容赦の無さは遥かに大きくなっていた。

水面下で練られている策略は見えない牙となって動いていく。

「色々な策を張り巡らせるには単位の統一が必要不可欠…いや、むしろ他国と連動した経済活動や遠距離間の正確な情報やり取りにこそ必要だな。資金と正確な情報が無くてはどの様な策も動かしようが無い」

ミシェイルは地方によってバラバラだった単位を統一しようと考えた。

距離は北極から赤道までの子午線の長さの1,000万分の1の長さを1メートルとしよう。

「まてよ、どうやって測るんだ?」

ミシェイルは理論だけ先走った自分の考えを恥じると、
代案を考え直した。
仕方が無い、こちらで作ったほぼ1メートルのサイズの原器を作ってそれを基準にするしかないが、地方によってバラバラな単位よりは100倍マシだ。

重量は水の質量を基準にする。
時間に関しては1日24時間に再編する為に各都市にオベリスクを立てて日時計で 図るしかないが……日照データ不足の現状では無理だな。あとは力関係の単位か… 1秒間につき75kgの重量を1メートル動かす力を1馬力とするか…

「後は……結果がそうなるように、各々が気持ちよく動ける段取りを考えるだけだな」

ミシェイルは締めくくるように呟いた。

「役者は楽器の音にあわせて舞台で楽しく踊るがいい……」









それから、2ヶ月月日が流れ、季節は夏から秋へと移り変わった。

マケドニア国内では学問所の開設や、一部とは言え王軍の兵組織改変が進められていく。

それらが進むと、マケドニア国内で新単位の制定が行われた。軍や政府機関で1メートル、1キロ、1馬力、などの新単位が用いられるようになる。さらに新単位を基準にトンやキロメートルなどの上級単位も設定された。これらは試験的に動き出した活版印刷機の助けもあって動き出しは上々であった。

そして、大きな変化といえば、街道の整備を初めとした交易路の拡大に着手したことだ。

国内街道の全ての整備には途方もない資金と資材、そして人的資源が必要になるが 飛竜によって行われる交易がもたらす利益が不可能だった事に現実味を持たせていた。

小規模ながら飛竜を使用し交易は、少数の荷物で多くの富を得るために 証書為替や嗜好品を中心に始められていた。従来の交易に比べて恐ろしく早く、そして安全に行われる交易はマケドニアに確かな富を落としていった。確実な利益が出れば1個中隊規模で行われていた飛竜による交易も、1個大隊…2個大隊へと拡大していく。

素早く、安全。

それは、アカネイア大陸の誰もが予想しないほどの富を生み出していく。
どのような凶悪な山賊や海賊であっても、 マケドニア竜騎士隊は危険地帯を通る際には数十〜百近くの竜騎士隊で行動しており、自殺志願者でもない限り手出しできなかった。

また、大抵は飛び道具の届かない上空を飛行している。

竜騎士隊の都市進入の了承を得ていない都市との交易の際には、地上に待機しているマケドニア王室の息のかかった商隊が郊外にて仲介を行った。

これにも二つのカラクリが隠されていた。
一つは竜騎士隊はベテランとルーキーの混在隊であり、交易を兼ねた飛行訓練である。 二つ目は、現地部隊だけでなく将軍にも一切知らされていないが、有事の際に侵攻の先導隊として働けるように地形の把握をも兼ねていた。平和は戦争の準備期間とはよく言ったものであろう。


マケドニア王国に出向しているアカネイア下級役人が、 竜騎士隊が交易先で製作してきた地図の有無を尋ねてきたときに 、ミシェイルによって設立された新部門『情報部』の責任者である マチス総監は笑顔で言った。

「安全な交易には正確な地図が必要不可欠ですから」

正論である。

隙の無い正論故にアカネイア下級役人はそれ以上の追及は行えなかった。このとき、介入を行おうとした下級役人の情報はマチスによって徹底的を集められる。分析の結果、賄賂による買収に応じそうな役人は"グラ国"からの密偵として接触を行い買収して行った。そして買収に応じなさそうなアカネイア下級役人は、知らないうちに"作られた"確かな証拠によってアカネイア聖王国から背任罪や陰謀罪 が言い渡されて行く事になるだろう。マチス機関の活躍によって嘘と真実を適度に混ぜ合わせた情報が作られ、彼らを追い詰めていく……


交易が順調に拡大していく様子を見て、ミシェイルは執務室に文官達を集めて言った。

「うむ、第二次計画の実施を行う。
目標は郵便事業の立ち上げと、それに伴う通信網の開拓である。
各自の努力奮闘に期待する」

第二次計画…
証書為替だけでなく、手紙や書類などの運送も視野に含めて拡大していく。
世界の郵便制度の先駆けとも言われるマケドニア郵政事業が誕生した瞬間であった。

航続距離と速度に勝る竜騎士隊を遠距離輸送、積載量は少ないが機動性と離着陸性能に優れた天馬隊を軽量近距離輸送に仕分けして業務の効率化を図っていく。

郵便を利用する者は他者と比べて情報で優位に立ち、それは商売においても大きな影響を及ぼしていく。ミシェイルやマチス以外、誰もその本質を理解していなかったが、 マケドニアの握ろうとしている情報網という分野は経済発展に必要不可欠だけでなく、政治や軍事においても非常に重要である。

基本設備を設けた後に多重化していく。
これが成功すればマケドニア王国はアカネイア聖王国の知らぬところで 大陸経済に強い影響力を有するようになる。

問題が無かったわけではない。

従来の仕組みから大きな富を独占していた商人達の既得権と正面から衝突し始めたのだ。










就寝に着く前の時間、いつもと同じようにミネルバはミシェイルの部屋で語らっていた。

ミネルバにとって将来の方向性の為の確認と言うのは既に名目であって、本心は誰にも邪魔されずにミシェイルと少しでも長い間一緒に居たかったのだ。もう心には気恥ずかしさは無かった。それどころかミネルバの気持ちはミシェイルの姿を見ていると幸せに感じる程に達していた。

「……交易をより大規模に行うためにも1年後を目処に船団貿易を行おうと思っている」

「船団貿易…ですか?」

「ああ、飛竜だけでは必要量を賄えないからな。
 それに後々に必要になる」

「海賊は如何するおつもりで?」

「対策はある。性能に大差が無い大型商船の群れの周りに、
 護衛艦隊を常に貼り付けておく。比率としては商船20隻に軍艦6隻だ」

「流石です…兄上…それなら海賊は襲えませんね…」

ミシェイルは船団護衛形式によって確実に交易を成功させようとしていた。
通常の交易では独航艦であり、稀には20隻に達する船団もあったが1隻が100トン級の小帆船であり、海賊に襲われれば殆どの場合において、なすすべも無かった。

しかし、ミシェイルの考えはスケールからして違っている。

中継艦の構想と重なるが、商船の設計すらも統一して、管理と運営効率の向上を考えている。重量600トンのシップ級帆船で構成された大型外洋商船と、それを護衛する外洋戦列艦 ―――全長は65メートル、重量1850トン、メインマストの高さは50メートルで、オーク材やチーク材だけでなく、一部だが鉄鋼板を装甲版として採用した型―――を想定しており、大海軍の設立すら念頭においていた。

このように正真正銘の軍艦、しかも軍事思想に長けた護衛部隊に守られた船団では、海賊程度の戦力では到底太刀打ちできない。

そして、現段階において制海権を完全に確保する必要は無い。航海中のマケドニア国籍の船舶さえ守りきればよいのだ。そうなれば、海賊は割りの合わないマケドニア船団を避けて襲いやすい他国の船に狙いが向く。これは不要な軍事活動によって国力消費を抑えるためではない、ミシェイルの狙いは更なる高みを目指していたのだ……


ミネルバの顔は赤く染めながら、 兄ミシェイルの発言に耳を傾けながら熱病に掛かったように見惚れていた。 その原因は葡萄酒だけではない。


そんな中、ミネルバは思っていた。

私は兄上が大好きだ。
私は兄上の事を考えると幸せな気持ちで一杯になれる。

強い意志を感じさせる瞳。
斬新な構想を次々と打ち立てる頭脳。

そして、本当の魅力…熱い情熱に隠された、私達を想ってくれる優しさ。
兄上に触れられると心が高まる、心臓の鼓動が激しくなり体が熱くなる。

震えるくらいの多幸感……

でも…幸せなのに、この不安は何?
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【あとがき】
ちなみに、マチスは謀略を行う際にインセンティブ制度を導入して、買収に応じた売国奴のヤル気を高め面白いように使い潰したりしますw。

子供の頃に昔のヨーロッパの戦争で攻城戦時に投石器に死体を載せて、疫病誘発を目論んで貯水池に投射した事が記された文献を読んで「はぁ!?」っと驚いた記憶があるけど、コントロール出来ない疫病を広めて何がしたいんだろう……と思った。


【主要メンバー状態】
マケドニア国で新単位が適用されました。
マケドニア国の交易は順調のようです。

ミシェイルの食糧戦略に厚みが増しました。
ミシェイルは船団護衛ドクトリンに気が付きました。
ミネルバの気持ちに変化の兆しガガガガ……
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