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建国戦記 第一章 第03話 『基本方針2』


西暦1546年(天文15)4月24日 早朝。

幕張近海に第3任務艦隊が到達すると直ちに偵察行動を開始。

偵察活動によって上陸予定地点の付近に脅威目標が無いと判明すると、攻略作戦の計画に従って黒江大佐が上陸第一波の第一中隊を直卒して目標海岸への上陸を果たした。

その30分後、目標海岸の一帯を完全に確保したと判断した黒江大佐は、大隊本部の設営に取り掛る。それと同時に近辺制圧用を担当する上陸第二波の第2中隊に上陸命令を出す。中隊長は二条カオリ大尉であった。

第2中隊の上陸完了後に幕張湾にて設営隊の擬化工兵隊の上陸も続けて開始される計画である。ここまでの経過では敵軍からの反撃は全く無かったが油断は出来ないだろう。 確保した海岸堡を基点にして、要衝各地にて強固な防御拠点を構築し、最小の弾薬消費量で防衛可能な態勢を構築していくのが防衛作戦の根幹だったからである。

彼らが大火力にて北条軍の本拠地を一気に吹き飛ばさないのには理由があった。

制圧兵力が無い現状でそのような事を行っても、その一帯が無政府状態になるだけであり、民を苦しめる行動にしかならないからである。それに、現段階で北条軍を完全に撃滅しても北条家の領土を狙う上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏連合軍と戦端を開くだけで、メリットなどは全くなかったのだ。

何事を成すにも軍需物資の生産態勢の確保が急務であろう。

幸いなことに下総国のある関東一帯を防衛すべき北条軍は己の勢力圏の一部が攻められている事に、まだ気がついていない。1538年に里見軍によって焼払われ、北条側の豪族である原胤清(はら たねきよ)によって従来の小弓城から北に1kmほど離れた低台地に城を復興を終えたばかりの小弓城を15発の127o艦砲によって無力化していた事が大きく効いており、その砲撃の際に城主の原胤清も城と運命を共にしている。

異常を知らせるべき監視所を兼ねた城が瞬時に消え去ることなどは流石に「相模の獅子」と謳われた名将として名高い北条氏康も想定外であろう。

高野達は当然、その隙を逃さなかった。

上陸の4時間後には近辺制圧用の部隊が下総国の街道を押さえるべく小弓城から3kmほど北東にある、小弓城の出城にして下総国と上総国を繋ぐ街道を眼下に納める二重に上る土塁と城兵の通空と障害を兼ねた空堀を有する方形単郭式の立堀城の一帯を占領していたのだ。

矢継早な行動である。

原胤清の息子である原胤貞(はら たねさだ)が立堀城の守備に就いていたが、備(そなえ)と言われる30人の隊を10隊以上を組み合わせて作り上げる足軽兵力を招集する前に精密艦砲射撃にて戦死していた。戦力掌握の時間すら与えない素早さであろう。シーナ・ダインコート大尉が率いる第3中隊による第三波上陸も行われ、南方の磁鉄鉱の制圧へと向かった。第四波は各分隊に分かれて治安維持部隊として動く予定である。

しかし、制圧部隊からの情報が集まるにつれて、高野達の予想を上回る事実が判明した。

小弓城の城下町はともかく、その周辺の平山村と辺田村を初めとした20あまりの村落は困窮振りは予想以上のもので、長年の戦乱に伴う戦費から発する重税が彼らの生活を限りなく圧迫していたのだ。その深刻さは秋の収穫次第では人間が人間を間引きする程に困窮している村もある程だった。









上陸から2日後。

下総国のある関東一帯を防衛すべき北条軍を率いる北条氏康は遅らせながら断片的な情報を入手していたが、彼にしては珍しく判断に悩んでいた。

小弓城の城下町に居た商人からの情報によると、なんら予兆も無く城が大爆発したと言うのだ。判断に悩まない方が不思議であろう。

本来ならば千葉城の南部の守りの要衝である小弓城に起こった出来事に対する詳細な調査を行うべきであったが、史実で行われたように北条軍は河越城の戦い(河越夜戦)を目前に控えていたために軍を動かすことは適わず、詳細な情報が得られなかった事が悩みの原因であった。

それでも、詳細な状況を知るべく小規模な斥候を送りだすのは流石の決断力と言えよう。

そして皮肉な事であったが、
大鳳の会議室でも北条と同じように高野は頭を悩ませていた。
予想以上に悪い占領地の状況が原因である。

会議には高野、さゆり、真田に加えて、現地を見まわっている黒江の代わりとしてリリシア・レイナードが居た。彼女は黒江の副官であり、さゆりや上陸部隊として参加したカオリやシーナと同じ電子知性体である。その外見は美しく整った容貌を有しており、パイロープガーネットのように赤い瞳の中には、強い意志と人々を人を惹きつける輝きを宿していた。腰まで流れる髪が魅力的な妖艶な美女であろう。

2045年に起こった東欧紛争時にて日本国に逃れて移住した白人が少なくなかった。そのような背景もあって、リリシア達のような擬体が存在している。受け入れ理由は、アメリカからの移民受け入れ圧力と、環境ホルモンによる国土汚染によって人口が目減りしていた事が要因であった。

リリシアは言う。

「民生活力の低迷だけが問題ではありません。
 不安定な治安に加えて日蓮宗と真言宗の対立も深刻と言えます」

「宗教対立は利権の切り崩しで対応していきます。
 治安が回復し、民衆の心を掴めば改革も進めやすくなりますので、
 先ずは年貢削減(減税)を条件に兵農分離を推し進めていきましょう」

リリシアの言葉に高野が応じた。
治安維持と民心掌握の為だけに兵農分離を行うのではなく、集めた武器を鉄に戻して農具に転化する目的もあったのだ。一石二鳥の案と言えよう。

高野は尋ねる。

「捕虜の状況は?」

「捕えた652名の内、
 屯田兵として働く事を了承したのは585名ですが、
 事前予測の通り同意した彼らの殆どが足軽であります」

「やはり武士階級の土地に対する執着は根強いか…
 ともあれ、585名ならば攻略した城の蔵からの捻出で当座の支払いは補えます。
 計画通り進めてください」

城にあった蔵とは「金蔵」「米倉」「塩蔵」「武具蔵」の事である。

そして、史実に於いても足軽は兵站輸送や土木作業に従事させられる例も多くあり、また足軽に対する報酬は多くに於いて、武士と違って貨幣によって支払われていたのだ。足軽層の利用は直轄領拡大を狙う高野たちの戦略に一致していると言えよう。協力しない足軽は捕虜にした武士の中で帰順しなかった者と共に北条側の領地へと追放となる。

余談だがここで恭順に応じた武士は後に警察署長や部隊長になるのだった。

また、このように既得権益に連なっていた武士が一部であっても高野達に下ったのは、圧倒的な火力に負けたからではない。天文9年(1540年)6月に後奈良天皇が自ら書いた戦乱に苦しむ民を憂うる奥書の一文に応じて、戦乱に苦しむ日の民を救うべく高天原から来たという話に圧倒されたからである。

はっきり言って日本神話と被る壮大な展開であろう。

しかし、その言葉を笑い飛ばそうにも航空機に加えて、沖合いに停泊する城がちっぽけに見えるような3隻の海浮かぶ鉄の軍艦と、それらを上回る2隻の超々大型艦船が限りないほどに信憑性を高めていた。

それに、さゆり達の容姿が余りにも美しく、神々しさすら感じさせたのも大きい。

国防軍の擬体は美少女系から美女系をカバーする幅広さであった。その理由は性格の良く献身的な彼女達に対して大多数の男性が、サイボーグという理由で険悪に扱わないようにする為に、21世紀初頭に栄えたオタク文化を参考にしてつくられていた事にある。その効力は戦国時代でも色褪せはしなかった。

また、アリバイ工作も抜かりない。

上陸作戦が行われる1週間前まで、数人の特殊作戦群の護衛と共に"さゆり"が後奈良天皇が眠る寝所に忍び込んで、"さゆり"が脳波キーボード・マウスに使用されているニューラルデバイスを応用した装置によって天孫降臨を仄めかす様な演出を行っていた。後奈良天皇は慈悲深く清廉な人柄だけに、天孫降臨の演出は効果覿面であったのだ。

さゆりが窺うように尋ねる。

「ところで、高野さん。
 年貢はどのくらいに抑えますか?」

「城下集落であった平山村は大きく荒廃しており、
 復興させる事が急務でしょう」

「予想を上回る荒廃ですからね…」

リリシアが寂しそうに言う。
高い愛国心を持っている彼女達にとって、時代は違っても祖国には変わりは無い。

さゆりが年貢の量を気にしていたのは、年貢として納められる農作物は食糧として使う以外にも、工廠艦の施設にて資材や燃料に転化が出来るからであった。資材や燃料として転化が出来るだけに多くの量を確保したかったが、戦乱で荒廃しているとなるとそうはいかない。特に城下集落であった平山村は北条軍と里見軍との度重なる衝突によって、大きく荒廃している。

「まず、農村に於ける年貢負担を2年に限り1割とします。
 そのうちの半分は飢餓対策として備蓄を進めていきましょう」

高野は決断した。
それに対して、誰よりも早く計算結果が得られる"さゆり"が懸念を口を出す。

「年貢なしで燃料や資材生産は大丈夫なのでしょうか?」

「3隻の通常動力艦の活動を長期間抑えれば、
 最低限の資材生産と陸上輸送用の燃料の捻出が出来ると考えていますが、
 真田准将、如何でしょうか?」

「ああ、それなら何とかなるだろう。
 しかし…これから始まるであろう奴隷貿易に対する
 作戦が遅れるのは残念じゃて……」

真田が無念そうに言う。

だが、真田には準備が整わないうちに下手に欧州を怒らせる事の大きさを知っている。 確かに史実に於いて行った鎖国の際に警告した後に外国船を追い出していた時代もあったが、奴隷船に対する私掠行為となると話は別だった。

奴隷は白人諸国に於ける産業の生産力を維持するうえで必要不可欠である。そして、生産力が下がって喜ぶような国家や商人は居ない。日本に於ける奴隷貿易の多くを司っているのは中国商人とポルトガル商人である。

双方に於ける商人の背後には日本を上回る大国が控えていた事が問題であった。

特に危険なのが世界的な交易システムを築き上げたポルトガル海上帝国を背景とするポルトガル商人であろう。彼らの利益を大きく害すれば、下手をすれば戦争にすら繋がる恐れがあったのだ。それも起こるのは直接戦争ではなく、祖国にて行う戦争の中では最悪の部類に属する、敵も味方も同じ日本人と言う代理戦争であろう。

この時代に於けるポルトガル海上帝国の力を持ってすれば、
武力を欲する大名を焚きつける事など容易いと言える。

それらを抜きにしても、有色人種と比べて白人種族の技術力と海軍・海運力があまりにも優越していた事が大きく、またそれらを支える経済力と生産力も無視することは出来ない。

軍事技術の一端で言えば以下のようになる。

対城塞用重砲の実用化に加えて、1494年のフランスでは牽引可能な車輪付砲架型大砲が実用化されており、実戦にて使用すらされていた。そして、1542年の段階でライフルの銃身にストレートライフリングすら施されている。

その翌年の1543年に日本の種子島にてマッチロック式銃(火縄銃)が伝来するのだが、イタリア戦争では既に拳銃が使われており、またマッチロック式銃より進んだマスケット銃に代表されるホイールロック式銃が実戦にて使われていたのだ。

そして、織田軍と今川軍の間で桶狭間の戦いが起こる頃には、欧州ではハンマーと火打石で点火するスナップロック式銃すらも実用化され、追い打ちを掛ける様に日本に於いて織田軍が長篠の戦いで火縄銃を集中投入する頃には、欧州ではペーパーカートリッジ(紙製薬莢)すらも発明されるのだ。

単純にまとめれば日本は火器技術に関しては100年以上も遅れている事実である。

さゆりが言う。

「私も悔しい……ですが、今は耐えて関東東部と房総半島一帯に於ける
 新国家の建国が何よりも大事だと理解しています」

「そうじゃな、足元を固めることから始めよう」

誰よりも愛国心に溢れる"さゆり"が我慢している現状で、自分だけが抑えないのは大人げないと自覚している真田が応じるように話題を変えた。電子知性体達の愛国心を疑うものは国防軍人には居ない。

さゆりと真田の言葉に高野が締めくくる。

「痩せ細った土壌の回復、疾病対策、治水工事…
 やらなければならない事は多くに及びます。

 ただし、屯田兵が植える食物の種は艦内にある食糧生産システムから
 持ち出したものなので、次の収穫は期待できるでしょう」

食糧生産システムとは日本の農林水産技術から生まれた食糧工場の一種である。史実に於いても2008年から南極基地などに設置され、野菜などを人工的な光や温湿度管理と時間差栽培によって常に新鮮な野菜などが食べれるようになっていた。それの改良発展型と言えば分りやすいであろう。もちろん種も改良されており、高い収穫率を有しつつも味も良く冷害や病気に極めて強いものになっている。

このように高野たちの領地経営が始まろうとしていた。
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【あとがき】
高野たちは関東東部と房総半島、つまり上総国(千葉県の中部)、下総国(東京都の隅田川東岸、千葉県の北部、茨城県の一部)、安房国(千葉県の南部)の一帯に新国家を建国し、特定大名(たぶん信長)と同盟を結んで日本国の戦乱を鎮めようと考えています。

日本列島にて確保する領土はそこまでですが、後に南方に向けて拡大(悪)

さて、国名が問題だなぁ…

「倭国」「日本」「瑞穂国」「葦原中国」「秋津島」「磯城島」「日出処国」

神話を見てみると、色々出てくるけど…葦原中国などはピンと来ないw
日本や日本帝国は、日本列島に出来る統治政権の為にとっておきたいので没。

となると日本皇国かな(笑)


【Q & A :奥書の一文って?】
(今茲天下大疾万民多阽於死亡。朕為民父母徳不能覆、甚自痛焉)

今や天下には疾病が蔓延し多くの万民が斃れて死んでいく。私は民やその父母の為に徳を施すことが出来ず、甚だ自分の心を痛めている。  です。

意見、ご感想を心よりお待ちしております。

(2010年04月27日)
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