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建国戦記 第10話 『扶桑連邦領事館』
1540年4月1日
信秀は扶桑連邦と交流を始めて1年半が経過していた。
当初は扶桑連邦の存在に懐疑的だった周辺勢力も扶桑連邦が里見氏を制圧し、関東で勢力を拡大させると誰もがその勢力を認めるようになっていたのだ。周辺勢力からの攻撃を難なく撃退していく力も侮りがたしと知らしめていたし、信秀の縁故を使って後奈良天皇に見返りを求めずに多大な献金を行ったことも知名度向上に繋がっている。
扶桑連邦との関係を強めていた信秀は尾張統一どころか、未だに信秀は清洲三奉行の一つを務める弾正忠家の当主に留まっていた。しかし、その経済基盤は確実に強固なものに成長している。
扶桑連邦と締結した通貨条約によって信秀は鐚銭を集めるだけで膨大な利益が発生していたのだ。鐚銭の永楽銭1貫文であっても、重量が釣り合えば扶桑連邦の1文銭との交換が可能だったからだ。しかも、希望すれば1文銭を扶桑連邦が提供してくる永楽銭1貫文との交換も可能だった。周辺勢力から鐚銭を集めるのも簡単だった。扶桑連邦から輸入したものを売り出せば、幾らでも高値で売れたからだ。信秀の力が向上するのも当然の流れと言えるだろう。
しかも敵対する勢力からも積極的に鐚銭を集める幅広さだ。そして、扶桑連邦は日本国内の通貨事情の向上に合わせて、それなりの通貨を回収して利益を得られたので双方が満足した利益を得られるようになるという理想的な形態だった。
こうして信秀は清洲三奉行の因幡守家と藤左衛門家どころか、尾張守護斯波氏に迫る尾張国を代表する勢力へと成長しつつあったのだ。そのような情勢下で信秀と、その惣領である吉法師は勝幡城の南南東10.5kmに設けられた扶桑連邦領事館に出向いていた。その扶桑連邦領事館は蟹江の従来からある港を避けた海岸線に建てられている。
左右非対称の日本型モダニズムでデザインされた4階建のガラスカーテンウォールになっていた。また、ガラスと言っても普通の硝子ではなく特殊アクリルになる。正面は開放的な印象に対して、それ以外は非常に厳重に防御的に造られていた。警備として2個分隊の兵士が常駐しており、有事の際には防御用の要塞となるように作られているので、相応の防御力を有していると言えるだろう。加えて小規模とはいえ専用の港を有しており、物資の行き来を専用に行えるようになっている。領事館を中心に周辺500mの租借料として、毎月200貫(20万銭)を信秀に支払っていた。大々的に土地を開発するつもりは無いが、将来的には飛行船の飛行場を作る予定だ。
また、吉法師が扶桑領事館に行き来できるのには訳がある。
尾張国南西部海東郡の中島郡に跨る勝幡城で幼少期を過ごしていたのだ。2ヶ月前から信秀の指示によって守役の政秀と共に月に2度は扶桑領事館に顔を出すようにしていた。信秀の吉法師を優れた技術を有する扶桑連邦に触れさせて、思考に柔軟性を持たせる目的があったのだ。また、惣領として勝幡城の近辺の統治経験を担わせる名目で、扶桑連邦の技術を活かした領地開発が行えるように、少しづつ準備が進められていたのだ。
その扶桑領事館の2階に設けられた会議室に高野が、信秀、吉法師、政秀の3人を前に話している。三人が座るのは椅子ではなく慣れ親しんだ畳床机だ。高野は信秀との会談を行うために定期的に扶桑連邦領事館に出向いており、会談後にこのように会議室で話す時間が増えている。さゆりは高野の護衛を兼ねているので、名目として会議室の一角で議事録を作成していた。議事録を作る際には電子機器は使わない。まだ電子機器などの機材は見せない方針になっているので、さゆりはペンを片手にノートに書き記していた。
そして、話の内容は企業経営の解決策として提唱されてきたロジカルシンキングの概要だ。このような特別授業のような場は信秀が驚異的とも言える扶桑連邦の合理思考を少しでも触れたい希望で最近始まったもので、最初の頃は計算の基礎である加法、減法、乗法、除法からなる四則計算から始められており、今では計算機科学等の一部であるロジカルシンキングにまで及んでいた。
「論理思考の要点としては、
問題を定義して、原因究明を行って
解決するべき課題を制定する事が重要になります」
「最初の定義づけが大事と言うわけか」
ペンで白板(ホワイトボード)に書かれた文字を見て信秀は唸る。白板(ホワイトボード)は、その利便性から信秀から売却を求められて、ペンと共に弾正忠家に売られているので、馴染みのあるものになりつつあった。
「そうです。
目標の制定を間違えば対処療法的…すなわち場当たり的な対応になるでしょう。
それでは余計な費用や労働力やかかる時が出てきますし、
場合によっては状況の悪化すらありえます」
「具体的にはどうなるのだ」
吉法師が疑問を言う。
頭の回転が速い信長は自分自身の回答は出ていたが、高野の考えが気になって聞く。
この場では疑問があれば忌憚なく言うのが決まりになっている。必要以上の敬語や礼儀も効率性を妨げるので不要とされていた。
「戦争で例えるなら敵軍に先手を討つために出撃したは良いが、
偵察を怠って行動すれば、
敵部隊を見失ってしまう可能性も出ます。
兵力展開の時間が延びるほど兵糧が余計に消耗するだけに留まらず、
敵に主導権を奪われる危険性が出てくるでしょう」
教授と言われるほどの知性を持っている高野らしく、説明は簡略でありながらも判り易く噛み砕いて説明している。信秀は戦争だけでなく領地の統治に置き換えて聞いていた。政秀も自分の経験則と置き換えて納得し、吉法師は経験が乏しくても感覚的に理解して興味深く耳を傾けていた。
「どうすればよい」
「まず、体系化できる問題解決方法は、
全体と要素の関係、原因の究明、解決策の検討、これら三つに要約できます。
つまり、先ほどの戦を例にするなら、
自軍と敵軍の位置関係、
敵部隊を捕捉出来ない原因究明、そして対策になりますね。
偵察部隊を増員する、或いは撤退するなり、
最終的な損得を考えて行動すれば大きな損害を避けられるでしょう」
高野は指を順次折って説明した。三人は手短ながらも合理的な説明に納得する。
色々な例に当てはまるので、やや古い考えを持っている政秀すらも物事の体系化の考えは、これまでの高野の授業を受けてきた事によって、なんとか受け入れる事ができていた。
「なるほど…」
三人が納得した様子を見て、
高野は言葉を続ける。
「軍事力についても同様です。
自領の経済力と人的資源を正しく認識して整備を進めなければ、
経済的な破綻になるでしょう。
何より徴兵は行うだけ支配地内での資材や食料の消費が進みます。
資材と食料が枯渇すれば、あとは坂を転げ落ちるような事態になるでしょう。
すなわち、権威や習慣に囚われずに物事を要素に分解、
あるいは要素を統合し、本質を見極めていけば、
問題点と解決策も自ずと見えてきます」
説明しながら高野は思う。
理解力の高さは流石は信長の父といったところか。
経済的な重要性を誰よりも理解しているだけあって、吉法師…
いや、信長も将来が楽しみだ。
高野は多忙であったが、この時間を楽しんでいた。
未来に向けて進んでいる実感が心を満たしている。破壊行為とは違った充実感と言えるだろうか。
もちろん、勢力の長としての損得もある。
信秀との友好度が上がるし、信秀や吉法師(信長)がより合理的な思考になればとの打算があった。合理的な思考になれば、不用意な武士階級の拡大は、平和な時代になれば経済力の足かせにしかならないと理解させる意味が大きい。高野たちはこの時代に民主主義をもたらすつもりは不可能だと理解している。まず、民の教育水準が必要水準に達していない状態で行っても、有権者が各々の短絡的な欲求を追求した衆愚政治にしかならず、結局は大きな悲劇を招いてしまうのを歴史から学んでいたのだ。
それからしばらくして、高野の特別授業は終わりとなった。
時間は丁度15時を指す。
「よろしければ、帰る前に食堂でお茶でもどうでしょうか?」
信秀は高野からの申し出に快く受け入れた。高野たちは4階の食堂へと移動する。座る席は蟹江の海岸線が見える窓の良い席だ。食堂の一角には、信秀の護衛として来ていた武士たちがお茶を飲んでいた。
5人が席に着くとすぐさま女給がやって来る。高野たちが来る前から裏では準備が進められており、直ぐに対応ができるようになっていたのだ。信秀、政秀、吉法師も3度目でなので慣れたもである。流石にここでは、畳床机ではなく普通の椅子に座っていた。座り方は畳床机に腰を下すように股を開いてい腰を下していたが。
「今日のお勧めは何かな」
信秀は女給に聞く。信秀たちは、この場所に居る女給は扶桑連邦で駐在武官の資格を持つ軍属と聞かされているので、身分の云々を気にすることは無かった。実際は準高度AIであったが、彼らにそこまで説明する事は無い。
「チーズケーキがお勧めになります」
牛乳をベースに湯煎焼きでふわっとしっとりした生地で作られたケーキである。日本式に進化したスフレチーズケーキ(和風チーズケーキ)と呼ばれるものであったが、扶桑連邦では、多種多様なチーズケーキを引っ括めてチーズケーキと読んでいた。カタカナを使ったのは「醍醐焼き菓子」と言ってもしっくり来ないのが最大の理由だ。また、カタカナが生まれた時代より前に日本列島から旅立った末裔にもかかわらず、カタカナなどが扶桑連邦で使われている理由は、ある時期まで定期的に日本列島まで行き来していた事を理由にしていた。
「それにする!」
甘いものが大好物になった吉法師が即座に応じた。彼は前々回にレア・チーズケーキを食べており、それ以後、その味に病みつきになっていたのだ。信秀も息子である吉法師が甘いものの時に見せる、普段とは違った年齢相応の無邪気な表情に心の中で苦笑いしつつ、同じものを頼むと言う。政秀も同じように続く。領事館で食べるものは、どれも外では食べられない美味なので心待ちの時間とも言えるだろう。結局のところ、全員が同じレア・チーズケーキとセットメニューの紅茶を頼む事になる。紅茶は国産紅茶用として品種改良されたべにふうき系列のものだ。
しばらくして女給がモダンな印象のティーカートを押してやってくる。漆黒の板を金色のフレームによって覆われているモダンな印象のティーカートの上段にはケーキが飾られており、中段にはティーポットとティーカップが載っていた。頼んでいないケーキも載っていたが、それは見栄えとして必要な演出でもあるし、追加の注文を受けた際に即座に応じられるようにする心配りの一つ。高野達の席の横に着くと、手馴れた様子で準備を進めていく。最初の頃は毒見を兼ねて政秀が先に食べていたが、今ではそのような事は無い。
席に並ぶと、皆が口に入れていく。
「美味い!」
信秀は絶賛する。
口の中に入れたときに、ふわっと優しい食感が堪らぬ。
芳醇な味わいがまた良し。
癖になりそうだ。
「お土産用のケーキも用意しましょう。
ただし、品質の期限が短いので当日中にお食べください」
信秀の様子を見てさゆりが気を利かせた。
こういった細かな気配りは副官として、多くの人々と折衝しなければならない、さゆりは自然と鍛えられていた。電子知性体であっても経験を通じて成長できる良い例と言えるだろう。
「有り難い」
高野の申し出に信秀は喜ぶ。
吉法師はお土産のケーキが誰に行くか、
自分に来る可能性があるか思案を巡らせる。
歴史が証明するように美味を握る者は強い。権力に近づくほど、美味は生活の軸の一つになり得るからだ。つまり、配慮したくなるし、手に入れたくなる。だが、流石というべきか。軍事力、経済力、文化力に勝る扶桑連邦を理解させられたが、自分たちも少しでも彼らに追いつきたいと信秀は思うようになっていた。ケーキの一部はお抱えの料理人に渡して研究用にするつもりだったのだ。
ケーキを食べ終えると自然と紅茶を楽しむ時間へと移る。
「前々から疑問に感じるのだが、
鐚銭の受け入れを無制限に行っても、
お前たちには損は無いのか?」
吉法師は疑問を口にする。
彼は子供らしくない振る舞いが少なく、気性がやや激しく乱暴な資質があったが、扶桑連邦領事館ではそのような感じは殆ど感じられない。少なくとも、扶桑連邦領事館では一人の人間として見られており、自分に対して好意や興味を持って接してきているのが判るからだ。見るに足る、接するに値する存在として見られていることが、高揚を感じさせる。織田弾正忠家の家臣の中には吉法師の弟である勘十郎の方が礼儀正しく、彼こそが嫡男に相応しいと囁く者も少なくない。だからこそ、扶桑連邦領事館は斬新であり、吉法師には上手く言語化には出来なかったが、理解者であるような気がしたのだ。
要約すると、吉法師は珍しい知識に触れられるのが新鮮なのもあったが、扶桑連邦領事館で過ごす時間が楽しかったのだ。だからこそ、好意と疑問が混じった質問を放った。
「織田弾正忠家に銭を集めて力の底上げをするのが一つの目的です。
そして、鐚銭であってもその数は無限ではありません。
織田弾正忠家に銭が集まっただけ、その他では銭不足が進みます」
「つまり戦わずして周辺地域の弱体化を進めるのか…」
信秀も金銭的な利益だけでなく通商条約がもたらす軍事的な利益も理解しおり、2年限定の通貨条約の延長をどのように切り出そうかと悩むぐらいだった。あまりにも自分たちに利益があり過ぎるので、どこまで譲歩を行えばよいか迷うのも当然といえば当然の流れであった。この様にして吉法師は経済の流れを少しづつであったが理解していくことになる。
そして、信秀の不安は杞憂に過ぎない。扶桑連邦側としては信秀が望む限り、当面は通貨条約を続けていく心算だったのだ。
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【あとがき】
今年も宜しくお願いします。
10話から吉法師(信長)側の描写を少し増やしました。次からは少しづつですが、勝幡城周辺の開発などが進んでいく事になります。扶桑連邦側の描写も必要なら書いていきますね!
(2019年01月19日)
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