■ EXIT
建国戦記 第08話 『接触 後編』


1538年9月28日

扶桑連邦が織田家との会談を望んでいる情報は直幸と重一の双方が出した早馬によって、那古野城に居た信秀が知る事となった。信秀は受け取った情報を精査した結果、それを最重要なものとして処理していく。戦国時代の武将には似使わないぐらいに経済感覚と合理性に富んでいたことには、彼の精神性が大きく寄与している。 信秀は人間関係への恬淡さ、あるいは淡白さがあった。故に主従の情や親疎によって特定の誰かを優遇するのではなく、根本にあるのは有能な人物に対しては優遇して、無能を遠ざける合理的な思考の持ち主だったのだ。有能な大橋氏と、それなりに信頼している直幸の情報から、扶桑連邦は小さな勢力では無いと確信していたのだ。

「真に殿自らが赴くのですか!?」

「そうだ」

信秀の言葉に周りの家臣が驚く。
驚くも何も信秀からすれば当然の結末だった。

扶桑連邦から送られた贈り物は驚愕の一言だったのだ。戦国時代においては戦略物資と言ってよい「塩」、杉原紙とは比べ物にならない「高品質の紙」、高級趣向品の「砂糖」である。加えて、見た事がない程の工芸品である「瑞穂水瓶」が2つが加えられていた。信秀はまだ実物を見ていないが、重一からの報告なので透明の工芸品という報告を疑わずに受け止めている。 それよりも、贈り物として梱包されている木箱はどれも寸分たがわず均一な寸法で作られていたことは、別の意味で驚愕であり、こは無視できない情報と言えるだろう。直接の利益に寄与しない事にも労力を割く余力がある証拠であったし、労力があったとしても同じようなことを真似するのは困難だった。贈り物を鑑定したのは直幸に求められて目利きに優れた重一だったので情報に信頼が置ける。

これらの情報を加味すれば、友好の品として貴重品を大量に用意する経済力、巨大船を保有している技術力を加味すれば、勢力としての力は大名に匹敵ないし、一部は凌駕しているといってよいだろう。

「赴く理由が判らぬか?」

信秀は少し間を置いて言葉を続ける。

「尾張の土地は肥沃故に周辺国から狙われている。
 近江では浅井亮政(あざい すけまさ)が国人を纏めて勢力を増しつつあり、
 美濃には政情不安定ながらも土岐家が居るのだ。
 何より矢作川より東が問題だろう。
 内乱を収めた今川義元(いまがわ よしもと)が勃興しており油断ならない。
 だが我々が有力な存在と結びつけば話は別だ」

道理である。信秀は近隣勢力を危険視していた。今川氏が北上して武田領である甲斐国に本格的な侵攻を行うとは思えなかった。軍事力の優劣よりも現実的な問題が理由である。甲斐国は稲作をするのに不向きな土地の多く、多大な苦労を払って奪い取っても旨み少ない。金山などの鉱山運営もあったが、それらの運営には多くの労働力が必要なのと相応の技術力が必要だった。それに金が安定して長期間採れる保証がない。向かうならば北条側か、松平清康(まつだいら きよやす)の死亡によって混乱している三河を制して織田側に攻め入るだろう。残念なことに 織田の兵は他国と比べて精強とは言いがたかった。

そして敵は外だけではない。

信秀は国主ではなく、斯波義統(しば よしむね)に尾張守護代家として清洲織田氏(大和守家)に仕える織田信友(おだ のぶとも)の家臣(清洲三奉行家)の一人だった。いわば信秀は斯波氏の陪臣である。そして、斯波氏にはもう一つの尾張守護代家である岩倉織田氏(伊勢守家)があった。信秀の勃興とも言える程の財力と武力の拡大は、岩倉織田氏を大いに警戒させており、有形無形の数々の妨害を受けていたのだ。信友も信秀の力のつけように対して多少の危惧を感じていたのを、信秀自信が敏感に感じ取っていた。これらの理由から信秀は大きな勢力との結び付きを欲していたのだ。朝廷への献金もその一環である。

信秀は武力はともかく、貴重品を多数作り出すような生産力はまだ有していない。扶桑連邦の存在は信秀にとって大きな機会に思えるのも当然の流れといえた。

「大量の貴重品には武力だけでは得られぬ結果が生み出せる。
 重要な物資も然り」

話の半分も理解できていない家臣に話しながら信秀は思う。武士は何も生み出さん。税を徴収して始めて武士や兵が戦える。しかしながら税収は簡単には上げられない。重税を貸せば民が飢えてしまうし、離散や逃亡によって税収すら減ってしまうので長期的には利益にならぬと。そして領地拡大は容易には行えない。国内での過度な物資調達は物価上昇を招いて民の生活に打撃を与えてしまう。だかこそ信秀は扶桑連邦が強いと理解できたのだ。

「戦いにはより多くの物資、それを調達し得る銭が必要だ。
 均一化された品物を量産できるとなれば、その力は侮れんぞ」

銭の重要性を理解している信秀らしい考えだろう。本拠地と定めている那古野城も、経済力と、それに支えられた軍事力があったからこそ、1532年に今川側から奪い取って保持することが出来ていた。

「わしの見立てでは扶桑連邦の力は強大と言ってよいが、
 我々との交流に何らかの利点を見出している。
 故に交易関係を結べるだけでも我らにとって大きな助けになるだろうよ」

清洲織田家や岩倉織田家ではなく、
ワシの家に来たのは訳が深そうだがな。
そういった事実を好機と感じた信秀の乾いた笑いが響く。

扶桑連邦は、と信秀は続けた。「他国が出来ぬこと行う。巨大船に起重機、どちらも我々どころか、この日ノ本に存在しない技術だ・・・面白くなってきたぞ。彼らの目的が何なのかは分らぬが、尾張の米を狙ってくる隣国よりは、はるかにましだろう」

その力強い発言に家臣たちは押し黙る。的確な分析に家臣たちからは反論が出てこなかった。信秀に反対するにも合理的に納得させねばならなかったので、容易いことではない。安全性を盾に反対しようにも飛鳥が停泊している津島は織田家の勢力圏であり、扶桑側の人員は多くても100人を越えるような事は無かった。数の上では織田側が圧倒的に優勢だ。

そして、扶桑連邦の王が有する地位は、当時の朝臣からすると、皇族を除く臣下の中では事実上の最高位にあたる朝臣(あそん)から3つ下の道師である。階位も向こうが上であり、信秀が出向くことに不自然は無い。

信秀の言葉を聴く家臣たちの中には、文化人であり和歌や茶道などに通じた平手政秀(ひらて まさひで)も混じっていた。彼は次席家老であり、信秀の息子である吉法師(きっぽうし:信長の幼名)の傅役(もりやく)であったが、報告の為に那古野城に来ていたのだ。信秀と付き合いが長い政秀には、信秀が珍しく静かながらも気持に熱を帯びているのを感じ取っていた。

「我々が間違わなければ大きな利になって帰ってくるだろう」

高価な贈り物を無料で送る存在は居ない。安易に信じるのは愚か者のする事だが、下手に警戒して機会を逃がすのは愚か者以下の所業と信秀は考えていた。少なくとも会って損は無いと判断している。何しろ強い勢力と交友があるだけでも周辺諸国への牽制になるからだ。こうして、信秀は家臣の反対を退けて僅かながらの家臣と護衛と共に騎馬で津島へと向かうのだった。これほど信秀が急いだのは、扶桑連邦が他の勢力と接触するまえに会談したかったからだ。

那古野城を出発した信秀の一行は翌日の昼前には津島に到着する。早速、蔵に収められた贈り物を軽く目を通してから、信秀は重一の屋敷に向かって詳細な報告を受けていた。一通りの報告を聞き終えると、重一が「瑞穂水瓶」が納められている木箱を持ち出してくる。

「これが例の瑞穂水瓶になります」

「見てみよう」

木箱を開けた信秀は絶句した。思わず瑞穂水瓶を落しそうになる。透明は判る。だが、全ての箇所に突起も無く滑らかと言う言葉すら足りぬほどの触り心地。どのような製法なのかも思いも浮かばない。

「透けている入れ物とは凄まじいな」

「御意」

今の重一は冷静だが、実際は信秀に渡す前に一度中身を見ており、その時は驚きの声を上げたぐらいだ。重一は最初は瑞穂水瓶は氷で作られた湯呑み茶碗かと思って、解けないかと焦ったが、触っても氷のような冷たさで無いと確認すると安堵すると同時に、そのような品物を作り出した扶桑連邦の技術の高さに畏怖すら感じるようになっていた。また、信秀に渡す前に中身を見たのは好奇心よりも、危険物が入っていないか確かめる意味合いがある。

「これを見てより一層確信した。
 会談を受け入れて良かったと思う」

「御意」

信秀は幾つかのやりとりを経て、扶桑連邦の巨大船を眺められる埠頭に立っていた。会談に先立っての扶桑連邦の飛鳥への下見である。周囲にはお供が居るが、その数は僅かであった。信秀の思いは飛鳥を見て、その作りに貴婦人のような気品を感じ取った。折りたたまれた帆がまるで幾多に重なった華やかな長羽織にも見える。それでありながらも、灰色基調の船体が相まって、何処かしら力強さすら感じさせた船だ。信秀は飛鳥を見て何故か日本書紀に書かれていた神功皇后(じんぐうこうごう)を連想し、瑞穂水瓶とはまた違った、驚きと期待が入り混じった思い募る。

「見よ、あれほどの船を我ら、
 いや日ノ本の職人たちが作れるか?」

「無理でしょう」

政秀が答えた。彼も飛鳥の姿に心奪われている。政秀も随伴員として信秀に着いて来たのだ。その政秀の隣に重一も立っている。 何しろ政秀は信秀に吉法師の教育などの途中経過を報告しに那古野城に来ており、信秀が居なければ那古野城に滞在する理由が無い。随伴した理由は報告に加えて扶桑連邦に対する興味も僅かにあったのも否めないが。また、政秀は信秀が重一から報告を受けている間に会談に向けた手はずを整えていた。信秀は扶桑連邦に対して無用な緊張や警戒をあたえない様にあまり近づかずに飛鳥を観察する。

「だろうな。
 で、報告があった起重機とはどれのことだ?」

「あちらでございます」

重一はそう言ってクレーンに向かって指を差す。それから胸元から起重機を写し書きした和紙を取り出して信秀に渡した。重一は技術資料になるだろうと、部下に命じて描かせていたのだ。無論、高野たちも技術盗用の危険性は理解していたが、直接火器に転用できる技術でなければ、ある程度は隠さないようにしていた。

「なるほどな。
 今の我らには巨大船どころか、
 より小さい起重機の製造すらも不可能だろうよ」

信秀の視線の先には起重機があった。遠目でも起重機が複雑な機材の塊であるように思われる。そして、日本には遣隋使として中国などに人員を運び込んだ例はあったが、航海技術の限界から航海が行える季節が限られており、また船も、波浪や強風に弱く、波切りが悪く不安定で、約半数が日本に帰国できなかった船である。

「御意にございます。
 それと扶桑連邦の船ですが真水に困っていないと思われます」

「真か?」

重一の報告に信秀は驚きの様子を浮かべた。人である以上、水は欠かせぬが、どういった事だ。信秀は雨水からの補給を考えるも、絶対量が足りないと思うし、第一運頼みの航海など外交や要人を行う船で行うとは到底思えない。

「はい。
 彼らが購入した品物に食料どころか真水もありません。
 食料に関しては保存食が考えられますが、水ばかりはどうにもなりません。
 しかも、身なりすら清潔そのものなのです・・・」

「船であっても十分な水を確保する手段を有しているか」

報告を聞いた信秀は重一の情報収集に満足すると同時に、思った以上に扶桑連邦が進んだ技術を有していると理解させられた。何より、目の前にある船は文献で読む、遣隋使船と比べて巨大さは当然として安定性が良さそうだ。信秀の下見は己の決断が良い結果に流れつつあると感じさせた。より扶桑連邦への興味を強くする。

「会談はあの船の中で行ってみたいものだ」

乱世の高波に備えようと扶桑連邦との交渉に挑もうとしていた信秀だが、そこには打算だけでなく扶桑連邦への純粋な興味が大きく加わるようになったのだ。信秀の意向は扶桑連邦の連絡役として津島に上陸していた今村に伝えられた。信秀の申し出に対して高野は直ちに快諾し、会談は飛鳥内で行われることになる。
-------------------------------------------------------------------------
【あとがき】
会談が始まると書きましたが、前置きが長くなったので次回に回すことにしました。 そして、調べれば調べるほど、周辺国の敵に足を引っ張る味方を掻い潜って家を大きくしていった、信秀って凄い人物だと痛感しますね。

(2018年11月25日)
■ 次の話 ■ 前の話