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転移戦記 第03話 『第一特務艦隊』


東方地域の地図



日本帝国はレンフォール王国との交渉を行う傍ら、旧中国大陸方面を瑞穂大陸と命名し、その瑞穂大陸の調査と開発を始めていた。瑞穂大陸が他に先んじて開発や調査が始められたのは、この地方ならば部分転移してきた上海や大連などの港湾が使用可能だったからである。

それに現状の日本帝国には、
新たに港を開発するような余力はなかった。

手始めとして支那駐屯軍は第1軍、満州地域に展開していた関東軍は第2軍へと改編とし、湾岸拠点を守りつつ、幾つかの部隊が民間企業からの技術者と共に内陸に向けて資源探索を始めている。探索に必要な予算と資材は天皇の勅命の下に陸海軍の規模縮小に伴う軍事費削減によって捻出していた。今までなら、いかにして軍事費を得ようと考えていた陸海軍も資源供給不足という現実的な問題から渋々ながらも応じていたのだ。

第一、資源が入らなければどうにもならないし、産業が崩壊してしまう。

それに燃料がなければ車両、航空機、艦艇の戦力維持すら難しい。

これらの事情から資源供給不足と軍縮の影響は昭和12年から計画を進めていた陸軍の軍備充実六年計画と海軍の第三次艦船補充計画にも大きな影響を与えていた。

帝国陸軍では昨年の7月7日に起こった蘆溝橋事件を機に大増員が行われる筈だったが、増強どころか逆に宇垣軍縮から保っていた17個師団基幹から5万(14個連隊)の兵力が削減されている。削減された人員のうち、熟練工や技術者は産業にまわされ、それ以外の人員は瑞穂大陸の開拓要員として回されていたのだ。

キメラ戦で能力不足が明らかになった九五式軽戦車は資源問題もあって既に生産が終了となっている。

更には開発中だった九七式軽装甲車も、防御力と火力不足からブルドーザーなどの重機として再設計が行われる事となったのだ。新大陸の開発には重機はどれだけあっても足りないからである。陸軍が簡単に軽戦車を諦めた背景は、開発費の節約―――すなわち、重機の開発ならば軍事費とは別に確保されていた事が大きい。

陸軍は開発力の維持の為に軽装甲車を生贄にしたのだ。
だが、この経験が後の一式半装軌装甲兵車の開発に結び付く事になる。

軽戦車だけでなく、維持費軽減と兵站に対する負担の軽減から、旧式及び戦力不足が著しい野砲が削減となった。準正式採用として考えられていた十四年式100o榴弾砲(十四年式十糎榴弾砲)も安全面の問題と整備部品の種類を増やさないように生産停止となっている。輸送力の少なさから火力と信頼性を犠牲にしてまで軽量化を推し進めてきた陸軍であったが、兵員数減少から火力を持って敵対勢力と対抗するべく、野戦に於いて運用する砲は九四式山砲、機動九一式100o榴弾砲(機動九一式十糎榴弾砲)、九六式150o榴弾砲(九六式十五糎榴弾砲)に絞られる事となったのだ。

長射程だが重量の嵩む八九式150o加農砲(八九式十五糎加農砲)は九〇式240o列車加農(九〇式二十四糎列車加農)や試製四十一糎榴弾砲と共に要衝・拠点防衛用に配備される事になる。

また、キメラから放たれる光弾による対空射撃による被害も馬鹿に出来ず、消耗を避けたい陸軍航空隊の思惑と資源事情も相まって旧式機の大半が予備機状態になっていたのだ。現状で動けるのはキメラ警戒と地形調査を行う偵察機のみになっていた。航空機に関しては海軍も同じで、その活動が大きく制限されている。航空機の活動制限にはガソリン温存もあったが、本当の問題は航空用潤滑油にこそある。

日本帝国では実用的な溶剤抽出法が確立されておらず、
安定した質と量の航空用潤滑油が作れない。

日本帝国で最も進んでいた日本石油や燃料廠でも少量生産ならともかく、
現実的な量の生産は車両用の潤滑油が限界だった。

ある程度の生産が出来る航空用ガソリンも欧米と比べて冶金技術が立ち後れから水素添加用反応塔に不可欠な摂氏500度の状態で炭化作用に耐える特殊鋼が極めて少量しか作れず、低オクタン価ガソリン製造が精一杯である。精製方法もアメリカで行われているような流動接触分解ではなく、日本では技術力と基礎工業力の不足から初期的な熱分解法が限界だった。 これに関してはアメリカと比べれば基礎で15年遅れ、応用分野では25年以上の差があったので仕方がないだろう。

後に、レンフォール王国から魔法精製による特殊鋼や錬金術に使用する触媒材によって改善するが、それは双方の技術交流が進む未来の話であり、現状では高オクタン価ガソリンと航空用潤滑油の生産は未来技術に等しい難事だった。

そして軍縮は陸軍だけではない。

膨大な資源と予算を必要とする海軍の軍縮は必然だった。
ただし、海軍の軍縮は陸軍と比べて控えめに留まっている。

それは、昭和12年(皇紀2597年:西暦1937年)10月19日、ディクトリアス連邦が障壁喪失後の東レニウス海調査の為に編成して、送り込んできた東レニウス辺境巡察艦隊と発生した上海沖海戦が原因だった。瑞穂方面艦隊(旧・支那方面艦隊)から、軽巡「那珂」を除いた南雲忠一(なぐも ちゅういち)少将率いる第8戦隊の軽巡「鬼怒」「由良」と、駆逐艦「峯風」「島風」「灘風」「汐風」の艦隊による攻撃によって、重巡1隻、駆逐艦6隻からなる敵艦隊のうち、駆逐艦5隻を沈めるものも、敵の攻撃によって軽巡「鬼怒」、駆逐艦「島風」「灘風」を喪失していたのだ。

異世界初の海戦は痛みわけで終わり、
上海沖海戦で得られた情報から敵軍の海軍力が侮れない事が判明する。

真偽はともかく、レンフォール側から聞かされていたディクトリアス連邦が東方進出に備えて拡張を進めてきた大海軍の存在を考慮すれば、海軍力の整備に手を抜くわけにはいかない。制海権を喪失してしまえば、外地から資源を運び込まねばならない日本の死活問題にもなる。

このように、的確に上海沖で敵艦隊を迎え撃てたのは、大陸方面に於いて多発するキメラとの遭遇からディクトリアス連邦の海上戦力による偵察を兼ねた限定攻勢を予見した、山本五十六(やまもと いそろく)海軍次官の働きかけの賜物だった。海軍次官は海軍大臣の補佐役で親補職でも親任官でもなく、かつ専門に管轄する事項もないが海軍大臣の直接の補佐役として、本人の実力次第では非常に大きな政治力を発揮し、海軍を方向づけすら可能な職務なのだ。

山本次官の行動が無ければ敵に航路情報が早期に漏れていたのは疑う余地がない。

だが、帝国の現状を考えれば必要だと言えども無制限に軍拡を行うのは不可能だった。

海軍では第三次艦船補充計画の目玉として建造に向けて準備を進めていた新型戦艦のうち第2号艦(武蔵)が一時凍結となっている。新型戦艦の第1号艦(大和)と、新型空母の第3号艦(翔鶴)や第4号艦(瑞鶴)が凍結にならなかったのは、上海沖海戦とレンフォール王国から聞かされた資源情報が関係していた。航空兵力の使用制限があるにも関わらず空母を建造するのは、2隻の竣工後に戦艦からの改装艦だけに燃費が悪い空母「赤城」「加賀」と、旧式艦の軽空母「鳳翔」を順次に予備艦状態へと移行する代わりだったのだ。

潜水艦の建造計画は無期延期であった。

もっとも計画の中で凍結を免れて、規模を改題して起工が始まった艦艇も存在する。未知の世界で行動する上で、正確な海図の作成が不可欠な事を踏まえて測量艦は規模が拡大し、「筑紫」「三保」「拓洋」「若狭」の建造が計画されていた。資材を運搬する為に輸送艦「樫野」も凍結は行われていない。

また旧式潜水艦の大半は資材として解体されることが決まり、
それに伴って潜水艦隊は縮小されていた。
潜水艦の維持には多くの希少資源と潤滑油が必要だからである。
トン当たりの維持費は水上艦艇の8倍以上にもなった。

更には軽巡「球磨」「多摩」「北上」「大井」「木曾」「天龍」「龍田」が燃料と機材の節約のために予備艦状態に置かれている。そして旧式駆逐艦の中で一部の船が測量などを行う雑務艦に改装するべく、ドック入りになった船も存在していたのだ。

このように資源不足を理由に軍縮が進められる中、
再び価値が生じた兵科もある。

その筆頭が騎兵部隊だった。

騎兵ならば歩兵部隊には無い快速を生かして広範囲を調査する事が行える。精密な調査は徒歩で行う必要があったが、概略情報を集める範囲ならば問題は無い。そして、機動力を発揮しつつも貴重な燃料を消費しないのも大きなメリットである。

ただし、価値が復活したのは偵察及び資源地帯の探索として用いる用途のみであり、
決して戦闘用ではなかった。

皇紀2597年(西暦1937年)9月11日には内陸部探索に赴いていた第6師団所属、長谷川正憲(はせがわ まさのり)大佐率いる歩兵第47連隊がキメラの集団に襲われ撃退したものも大損害を受けており、それ以後は精神主義が横行していた陸軍でもキメラに対して軽火器で戦うには無謀の認識が広がっていたのだ。

歩兵と大差の無い騎兵の火力では悪戯に犠牲ばかり強いてしまう。

もはや転移前とは違って赤紙一枚で兵員を補充できるようなご時世では無くなっており、陸軍は兵員の消耗に脅えながら行動しなければならなかった。この様な事情から旧満州方面に展開していた騎兵第1旅団、騎兵第4旅団からなる騎兵集団も今では探索部隊として活躍している。

数多くの部隊を探索要員として振り分けた帝国政府の決断は無駄ではなかった。

レンフォール王国から伝えられた概略情報を元に、探索部隊の1部隊が大連から北北東150kmの土地、つまりかつての地名で言うならば営口の位置する場所に露天掘りが可能な豊かな鉄鉱脈を広範囲にわたって広がっているのを発見している。来年の冬頃の完成に向けて鉄道第3連隊が鉄道敷設作業に入っていたのだ。

ただし、肝心の油田に関しては順調とは言い難い。

もちろん、この世界も油田はある。

しかし、利用目的は大量に消費する燃料としてではなく、一部地域に於いて天然アスファルトや建築資材として利用されるに留まっていた。故に油田開発など積極的に行われているはずも無く、帝国政府が一から調査を行わなければならなかった。

現在のところ大連付近にあった小さな油田しか確保していない。
中には尼瀬油田級の極小油田も含まれている。

この様な状況にもかかわらず、帝国に拭いがたい絶望が蔓延しなかったのは、
レンフォール王国から知らされていた一つの油田情報の存在が大きい。

その油田情報は内容からして中規模と言っても良さそうな油田だったのだ。

だが、それを獲得するためには大きな障害が存在している。なにしろ、その油田があるネレウス諸島は艦隊泊地に適した天然の良港があった為にディクトリアス連邦が来るべき南方進出に備えて整備を進めていた基地のひとつ、ローサス軍港があったのだ。上海沖で交戦した東レニウス辺境巡察艦隊もそのローサス軍港を母港にしている。

日本側は、この重要な情報の真偽を確かめる為に上海から地中海に至る途中に給油用の潜水艦を配置し、12機の海軍新鋭飛行艇である九七式飛行艇による航空偵察を行い、そのうち2機が別々の地点で、かつての地球にあった克拉瑪依(カラマイ)の黒油山のように原油が湧いている露天の油田のような存在を幾つか確認していた。

もっとも情報の代償として、5機の九七式飛行艇が未帰還機となっていたのだが。

目標のネレウス諸島は日本本土から西に約2700kmも離れており、上海沖海戦からの経験と、行動力と展開能力からして、侮っては戦える相手ではないだろう。乏しい資源の中で帝国政府が新型戦艦と新型空母の建造を進めていたのも、他の石油産出地が見つからなければ軍による油田占領作戦を考慮していたからであった。希望を繋ぐ軍拡として陸軍からの支持も得ていた事が、日本がどれほど期待しているかが良く分かるだろう。

このように日本帝国は政府と軍が石油を求めて一つになろうとしていた。














昭和12年(皇紀2597年:西暦1937年)11月4日

陸海軍の合同作戦の前段階として、小沢治三郎(おざわ じさぶろう)少将が率いる第一特務艦隊が上海を経て地中海に侵入を果たしていた。この名称は第一次世界大戦でも使われた名称でもある。

レンフォール側から陸地付近を示す航海図を受け取っていたが、自分たちとこの世界の測量方法の差があった際に大事故になりかねなく、その誤差を調べるための調査であった。

これはネレウス諸島に進出するための前段階である。

航路が判明すれば、戦艦「扶桑」「金剛」「霧島」、空母「赤城」「加賀」を基軸とした艦隊と上陸部隊が合わせた攻略部隊が編成される事になるだろう。海軍だけでなく陸軍も本気だった。揚陸艦「神州丸」を始めとした艦艇に完成したばかりの九七式中戦車を扱う、精鋭の戦車第3連隊を投入する意気込みを見せている。

第一特務艦隊の編成は戦艦「山城」、軽空母「龍驤」、重巡洋艦「青葉」「衣笠」、水上機母艦「能登呂」、海防艦「常磐」「春日」、測量艦「膠州」、駆逐艦「桃」「樫」「檜」「柳」の12隻であった。作戦を支援する補給部隊も既に第一特務艦隊の後を追う様に広島県の呉から出航している。

地中海の内海では上海沖海戦を上回る敵艦隊との遭遇の可能性もあった為に、重油節約の状況にも関わらず主力艦の参加となっている。山城は日本戦艦の中で最も燃費が良い扶桑級戦艦だからこそ参加できたのだ。つまりこの艦隊は山城と龍驤を除けば燃料の多くを石炭で補える石炭・重油混合罐の機関だったのだ。

不幸中の幸いか、この「青葉」「衣笠」は先月から行われるはずだった近代化改装が転移現象のゴタゴタで着手されておらず、石炭と重油の同混焼缶のままだった事も本作戦の参加に繋がっている。また日本各地から可能な限り集めてきた新鋭機の九七式艦上攻撃機を搭載した龍驤の燃費も悪くは無い。

ともあれ、厳しい燃料事情の中から調査任務にも関わらず、
異常なまでに防御を考慮した編成と言えるだろう。

また、山城の艦長だった阿部嘉輔(あべ かすけ)大佐は企画院に招聘となっており、代わりとして1年早く角田覚治(かくた かくじ)大佐が艦長として着任している。

昼戦艦橋で小沢が未知の海域に視線を向けながら話していた。


「まさか大正生まれの駆逐艦が第一線に復活するとはね。
 かつて遠く欧州の地中海まで遠征した艦が、
 今度は異世界の地中海を航行するとは奇妙な縁だよ」


山城艦長を務める角田に小沢は穏やかに言う。
角田も全くですと同意する。


「全くです。
 そういえば、奇妙と言えば敵の小型艦も普通ではないとか?」

「情報では、キメラとはまた別の魔法兵器からなる無人艦らしい。
 廉価で量産できるので特に敵国では警備艦として多用されてるようだね。
 上海沖海戦で捕虜が得られなかったのもその為だろう」


日本軍は長谷川中将を通じてレンフォール軍から連邦軍が使用する兵器情報を大まかに入手していたのだ。これにはレンフォール側の思惑もある。積極的に情報を伝えて、情報不足による敗北を防ぐためであった。 日本帝国が敗北すればレンフォール王国にとって悪夢の第二戦線が発生してしまう。現在のレンフォール王国とクノール公国を中心とした南方諸国による奮戦は要衝に立て篭もっているからこそ得られる抵抗と、レンフォール王国は誰よりも理解していたのだ。

角田が困惑したように言う。


「標的艦のように無線操作する船なら想像が付きますが、
 自立行動とは理解し難い話です」

「現に自立行動を行うキメラは陸軍が度々遭遇している。
 魔法と言う未知の技術の我々の常識を当てはめるのは止めた方が良い。

 どちらにしろ、この世界の独自技術を侮るわけにはいかん。
 あの欧米ですら異世界から国家を召喚する術など持っていなかったからな。
 持っていたら支配植民地を増やすために使っていただろう」

「確かに…」


海面に視線を向けた小沢は思う。

地中海か…名前から想像していたように穏やかで美しい海だな。
これから戦いが起こるかもしれないと考えると、
余計にそうおもえてくるのかもしれん。

小沢は考えを切り替えて航海参謀に現在座標を確認する。

やがて艦隊上空に九七式飛行艇が通過していく。この機体は長い航続距離を生かした哨戒活動に就いていた。可能な限りの支援体制が行われている証拠でもある。 油田確保に繋がる作戦だけに失敗は許されない。やがて1機の九七式飛行艇から北東約550kmの地点に3隻の大型艦を含む敵と思われる19隻の艦隊が航行しているのを発見した情報が伝えられてきたのだ。
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【あとがき】
今回は状況説明が8割(汗)
また地図は暫定なので、少し変わるかもしれません。

ともあれ、航空兵力が大規模に使えない日本軍(涙)
3割〜4割の機体不調及び突発的な墜落を覚悟すれば自国産の航空用潤滑油でも飛べますが、流石にこの段階ではそのような選択肢はできないでしょう。

そして、ディクトリアス連邦の大洋進出の先に存在する日本列島…
お互いの衝突は避けられません。
ただ、運河が完成するまで敵の補給線が限定されるので本格的攻勢が無いのが幸いかな。


意見、ご感想を心よりお待ちしております。

(2011年08月01日)
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