■ EXIT
角無島大乱戦・前夜祭その4
英国領香港からは、わずかな航海で支那大陸に上陸できる。 粗末な石組みの埠頭に小柄で細身、見かけ30歳程度、茶色の髪が豊かでひげも無くにこやかな修道服の男性が降り立った。船はただの商船で、同時に荷物や人がどっと降りてくる。 迎えに出たのは、これまた質素な修道服姿の男性二人。一人はかなりひげが濃い。 「マイン・マクドガル司教様、お迎えに上がりました。」 にこっと笑いかけ、マクドガル司教はうなずいた。 「ボッカ牧師とリキョウル司教ですな、お迎えありがとうございます。」 質素清貧を教えとするプロテスタントらしく、どちらも極めて飾り気が無い。 「今日はまた『大勢で』おいでですな。」 すでに頭の白くなりかけたリキョウル司教が、少し驚いたように言う。 「ありがたいことです。」 マクドガルは、なんのてらいもなく応える。 だが、そこにふらっと近づいてきた者がいた。 「あんた、マクドガル司教さんかい?」 厚手の、元は白らしいほこりまみれのシャツに茶色のベスト。粗末な灰色のズボンと薄い靴。小柄なマクドガルより頭一つ大きい上に、筋肉が浮き出た体には傷も多い。見るからに危険な臭いがする。 すうっと、その身体が前に滑るように出た。かなりな体術を極めた動きで、何気なく伸ばされた手の爪が黒い。爪の先に毒がまぶしてあり、爪でどこを傷つけても相手は致命傷となる。支那の暗殺には、よく使われる手法である。もちろん、本人はあらかじめ解毒薬を飲んでおくのだ。 だが、男の動きが乱れた。 突然、足元に数本の腕が伸びる。 商人風の男とその妻が、飛び込むように男の足を掴みに来た。 荷物が、男の体に飛んだ。 荷物を運ぶポーターが、それを投げつけた。 ロープが束になって襲った。 船員が抱えていたロープの束を投げつけた。 棒がなぐりかかった。 デッキの掃除ブラシの柄が、音を立てて殴りつける。 回り中の人間たちが、突然襲撃者に襲いかかった。 驚愕しながらも、襲撃者は動きを一気に加速し、それらの動きをすり抜けるようにしてマクドガルへ飛びかかった。 『一撃喰らわせて、その向こうの海へ飛び込めば逃げ切れる。』 ゆっくりした動きで、マクドガルが笑ったまま、両手を持ちあげた。 まるでおどけるように、顔の前でパンと手を打ち鳴らした。 そのままサイドステップで、右へ動くと、襲撃者はドダダダダダッと派手な音を立てて転がった。 右手を振りかぶり、左足を上げたままの姿勢で、石の彫像が転がるかのように。 転がり終わっても、その姿勢はピクリとも動かず、白目をむいたまま硬直していた。世に言う瞬間催眠と言う術である。しかし、座っている相手ならまだしも、動き回る高を相手に一瞬でかけてしまうその技量は、まさにとんでもない。 「マクドガル様、ご無事ですか?!」 デッキの掃除ブラシで殴りかかった船長が、声をかけ、他の襲撃者を襲った人々も口々にマクドガルの名を読んだ。 「大丈夫ですよ。私と共にある皆様のおかげで、何事もなく無事です。」 「プロテスタントの鎖たる我々、共にある家族の為に身を投げ出すのは当然でございます。」 この船の乗組員や従業員、乗り込んでいる商人達にいたるまで、全員がマクドガルに連なるプロテスタントの教徒であった。 パン 手を鳴らす音と共に、襲撃者の目が開いた。 茶色の目が、怯えた光を浮かべ、周りを見回し、両手両足が頑丈で大きなイスに、ぎっちりと縛り付けられて座らされている。 何より、周りはかなりにぎやかだった。 素朴な教会の建物、礼拝堂の中で、大勢の人間が運んだり指示したり、地図を見て話し合ったりしている。 『な、なんなんだこりゃあ?。』 顔つきだけは、凶暴そうなふてくされた表情を浮かべているが、目が内心をばらしていた。 自分が縛られてこのありさまなのに、周りはごく普通に仕事をしている。なんとも奇妙な光景だ。 「さて、清国の人、名前を教えていただけますか?。」 マクドガルは流暢な広東語を話した。中文と呼ばれる広域言語と、北京語も話せるが、香港周辺では広東語が一般的だ。 襲撃者は、口を閉ざしていようとして、勝手に動き出す事に驚いた。 「高 円清・・・な、なんでオレ名前を??。」 「ふむ、高さんですか。では、なぜ私を襲ったのですか?。」 どうしても口が止められなかった。 「密告、が、あった、英国、から、キリスト、教、司教が、来るから、殺せと、領主が、」 マクドガルがこの男を昏倒させたのも、この自白に近い言葉も、催眠術の一種である。 後催眠という技法で、失神している間に命令を植えつけ、後から命ぜられるとそれに従ってしまう。 もちろん、人間を完全にコントロールするなどできはしないが、目が覚めてすぐの行動や、このように全身縛り付けられた状態で、口だけ動かせるようにしてあると、逆に強く作用する事が可能になる。 「あなた、黒流ですね。」 支那に根深く広がる、極悪非道の裏組織である。 否定したくても、否定を身体が拒んだ。歯を食いしばって何とか耐えたが、それはうなずいたのと同じだった。 青ざめた顔が、紙のように白くなる。 汗が、嫌な汗が、ダラダラと顔や体を流れ落ちる。 全身がガタガタと震えだす。 もうだめだ、縛り付けられて名と顔を晒し、命令をばらし、所属組織までばらしてしまった。 逃げても地の果てまで追われて、捕まえられて、死ぬまで切り刻まれて、殺され続ける。 『殺され続ける』、とは奇妙な表現だが、殺さず死なさず、死ぬことを許さず拷問を加え続けるそれは、まさに『殺され続ける』だった。 あの恐怖を思い出すだけで、今死ぬ方がはるかに楽だった。 舌を噛み切ろうとして、マクドガルが素早く目の前に指を突きだす。 「凍る、お前の舌も顎も凍る。」 まさにその通りとなる。 「ひ、ひなふぇろ、ひなふぇろおおおっ」 どうしても歯が噛めない、舌が動かない。よだれが流れ、今度こそ恐怖で泣き叫んだ。 椅子ごと転げ、全身が痛んだ。 引き起こされて、目の前にマクドガルの笑顔があった。 足のロープが解かれた。 気がつくと手のロープも解かれていた。 口だけが凍りついたままだ。 瞬時に立ちあがって、マクドガルを殺そうとした。 『殺せば、助かるかもしれない。』 ただ恐怖だけがあった。それが殺戮の衝動へと駆り立てる。 だが、立ちあがった瞬間、パンとマクドガルの手が胸の前で打ちあわされた。 高の両手も、胸の前で合わさっていて、離れなくなった。 マクドガルの両手が静かに下げられる。 高は両手を合わせたまま、その場にヒザを折った。 さらに手が下げられ、高はひざまづくと、床に伏していた。 手を拝むように合わせたまま、顔を床につけて土下座をしていた。 何かが、高の中で折れた。完全に折れて、絶望だけが全てを染めていた。そこにはもう、怒りも、反抗も一切湧かなかった。 これは自分とは、何かが完全に違う人間なのだ。手を出したことだけが間違いだった。だが、もう全てが遅い。 長い事、乾いていたはずの涙がこぼれた、ボロボロボロボロ、止めようが無かった。 怯えた子供のような顔で、高は泣き続けた。 「私の側にいなさい。何も恐れる事はありません。ここにいる皆があなたを守ります。もちろん私もです。」 優しく言いながら、そっと首元を叩く。 恐る恐る、硬直が解けた首を上げた。舌の硬直も解けている。 聞いた言葉が信じられず、呆然とした顔で。 「お、お、俺は殺し屋だぞ・・・。」 「あなたは、最初に私の名を尋ねました。私の顔を見て尋ねました。ただ殺す者は、相手の事など確認しません。ましてや自分の顔を晒すことを極端に嫌います。」 じっと、茶色の目が真摯に彼を見つめている。 「どんなどん底に落ちていても、あなたは自分を隠せない。」 高は、若かりし頃に拳法の修業に命をかけた事があった。強くなれるなら、どんな苦しみも耐えられると思った。自分の全てを捧げて構わないと思った事があった。ある事件で転落して、人生のどん底に落ちても、まだそのプライドだけは、捨てられないでした。 「キリストは、娼婦も強盗も許し、救い、共にありました。何も恐れる事はありません。」 「・・・・・!」 高は息をのんだ。そこにいた人々も微笑んでいた。 嘲笑ならすぐ分かる。何をどう隠そうと目の色だけは隠し様がない。 だが、嘲笑は一切無かった。それゆえに痛みが、心の底からわきあがった。 『救い』とは、恐怖からの解放である。この時、高は転落して初めて『救い』を感じた。 今度こそ、本当に赤子のように泣きながら、マクドガルのヒザにすがって泣いた。 周りはそっと微笑みながら、まるで変わらぬように仕事をしていた。 「私はあなたを、笑って許そう。」 『このお方に全てをゆだね、ただついていこう。』 高は止まらぬ涙の中、そう決意を新たにした・・・・・・・・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・・・・・・・時もありました。 それから5日後、高は自分の恥ずかしい光景を思い出し、死にたくなる。 教会の礼拝堂に、若い牧師たちが100人以上集まり、マクドガルが壇上に上がる。 ちなみに、最前列右端に、牧師の黒い服を着せられ、死にたいぐらい恥ずかしい思いで立っているのが高である。 首には、30センチはあろうかという、でかくて銀色キラッキラの十字架をかけられ、それが目立ってしょうがない。 「さあ皆さん、左手には聖書を持って、右手を上げて、サンッハイ!」 「「「「「「「「「「「アーメン!」」」」」」」」」」」」」 建物が揺れそうな声が響く、が。 「声が小さいですよ、もう一度おおっ!」 「「「「「「「「「「「アーメン!」」」」」」」」」」」」」 鼓膜が耳鳴りを起こしそうになる。 「ほらっ、そこ高君。手の上げ方をもっと元気に!、もう一回いいっ!」 「「「「「「「「「「「アーメンッ!!」」」」」」」」」」」」」 ステンドグラスがびりびり震えている。 『・・・・・・・・・なんか、本気で死にたい・・・・・。』 「いいですかあ、支那人は声と勢いです!。相手をぶったおすぐらいの激しさで説教をするのです。一晩中論戦できるぐらいの精力が必要です。負けてはなりません。相手が怯えてひざまずくぐらいの、偉大なる神の子キリストの熱意で押して、押して、押しまくるんですよおおっ!!」 「ウオオオオオオオオオオッ」 「マクドガル様ああっ!」 「やってみせますううううっ!」 恍惚とした目と、凶暴なまでの絶叫、質素な建物がゆれるほどのそれは、ほとんど狂人の群れである。 しかも、教会はまるっきりあけっぴろげなので、すでに信者となって朝のお祈りに来た支那人たちは、その光景を見ていて、ひざまずいて祈ったりしている。なんだなんだと寄ってきた連中も、異様な熱気にあてられ、酔い痴れたような顔となって、次々とひざまずいて祈り始める。 この日の朝の集会だけで、熱狂的な信者が120人ほど増えたそうである。 「どおしたの高君、元気がなさそうに見えるよ。」 先ほどの集会の余波なのか、まだハイな気分が満々のマクドガル。 「いえ、なんでもありません・・・・」 思わず半目で答える高。なんか自分が殺し屋だったことが、すごくばかばかしい小さなことだったような気がしてくるのは、気の迷いだと思いたい!。 「あーそうそう、こないだの様子、たまたま外遊にこられていたカウンターベリ大司教様とパー香港提督様にえらくうけてたよ。」 なんのことだ?。一瞬首をかしげる彼に、ぴらっと顔ほどもある大きな写真が見せられる。 マクドガルのひざで泣きじゃくってる彼の、決定的瞬間!というやつである。 「ちょ・・・・・・・っ?!」 理性が吹っ飛び、彼の鋼鉄並みの指先が、その写真を空中でばらばらに引き裂いた。掴んだのではなく、指先が宙を切ると同時に紙がばらばらにされたのだ。丸い指先がほとんどカッター並みの切れ味を持っている。この指にかかれば、心臓をつかみ出すことも、頚動脈を切り裂くことも、造作も無い。実際彼が殺した人間は数十名にのぼり、殺しそこなったのはマクドガルぐらいなものである。 「おーすごいすごい。ちなみに大司教様と提督様に見せたのは、8ミリフィルムに写したやつなので、映画は大変感動されておられたよ。英国でもパイロットフィルムとして、映画にして全英で流すそうだから、楽しみにしていたまえ。」 「お、お、俺の人権はどこにあるんだああっ!?」 思わず、襟首掴んで絞め殺したくなるが、なぜかこの男は捕まらない。指の間からスカッと抜けてしまう。ほとんどお化けか妖怪である。 「人気が出るからいいじゃない。それよりさ、この映画で大英帝国の議会も本気になるとおもうよぉ。」 「な、なにをですか。」 「君は王になってみないか?」 高は、一瞬自分の耳を疑った。だがあいにく、耳はかなり良い。 ちょっとこの帽子をかぶってみないか、とでも言うような気軽さで、何かトンでもない妄言を聞いた気がする。 「えっと、なんておっしゃいました?。」 引きつった笑顔で、思わず敬語を使って問い返してしまう高、正直理解したくない!。 だが、にやりと笑ってマクドガルは再度口を開く。 「君は、王になってみないか?、と尋ねたんだよ。」 なにをどー返事しろというのだ?。 素で返すのが良いのか?、あるいは聞いたことがあるイギリス風ジョークというやつか?。 「王だよ、王、王様、君たちの国で言うなら皇帝だ。」 3度繰り替えされて、さすがにジョークで逃げるような話ではないことだけは、確認できたような気がする。 だけど、確認できたからどーしろというのか。 「どーだ、大英帝国が後ろ盾でやりたい放題だぞ、男なら一生に一度ぐらいやってみたいと思わないかい?。」 面白い遊びでも思いついたかのように、目をキラッキラさせて楽しそうに言うマクドガル。 正直この時、高は暗殺者をやっていた自分より、マクドガルの方がよっぽどキ○ガイかも知れないと、本気で思った。 「アノデスネ、やってみたいとは思いますがね、」 本来殺し屋なんぞをやる人間は、かなり現実的でなければならない。 現実を受け入れて、臨機応変に対応しないと、殺し損なうし、逃げそこなう。だから理性的に返答し、現実的な思考で相手を落ち着かせようと、無い頭を必死に絞った。 だが、キチ○イに理性的な返答するのは、実は非常に危険である。理性が効かないからキ○ガイなのだ。 高はこの返答が完全に地雷を踏んだと、後々まで反省するハメになった。 「そーか!、やってみたいか!!。そりゃあ良かった、早速会議だ!。全員集合せよ!」 「ちょっ、待て、何寝ぼけたこと言ってんだ!。」 あわててその口をふさごうとして、目の前でパンと手を打ち合わされ、間抜けな格好で硬直する高。 「なに、なに、心配は要らない。知ってるかい?、漢の初代高祖は、単なる町のならず者だったそうだ。明の朱元璋は、こじき坊主から成り上がった。殺し屋から皇帝になった男なんて、こんな面白い歴史はめったに無いよ!。実にすごい、事実は小説より奇なりだ!。」 はしゃぎまくるマクドガル、周りに集まってきたプロテスタントの皆様は、面白そうにメモを取り、意見を交わし、計画書の作成に入った。 『お、お、俺の人権はああああああああああああああああああっ!』 硬直したまま、心中で絶叫する高であった。(チーン) 「いや実際、君はかなり有望株なんだよ。」 「な、なにがですか・・・」 はしゃぎまくったマクドガルは、ふと気が付くと5時間ほど彼を放っておいたことを思い出し、あわてて硬直を解いた。 かなり鍛錬は積んでいる高だが、5時間も硬直状態が続くと、全身恐ろしいほどの筋肉痛で、身動きも出来ない。もちろん気力もほぼ尽きている。 「この国で、新たな王を立てようとしたら、なにが一番恐ろしいと思うかね?。」 「ん、まあ・・・・暗殺ですか。」 21世紀の現代で言うなら、テロと言うところだが、この時代ではそういう思考は存在しない。 誰より、高自身が、目の前のマクドガルの暗殺を命ぜられて来たのである。 厄介な人間は闇に葬るのが一番。これは人類の歴史上、延々と繰り返された当たり前の処理方法だ。 支那では、ちょ〜〜っと度が過ぎるが。 「そー言うことだ。だったら、暗殺する側の人間は簡単には殺せまい?。」 「殺せますよ、簡単に。」 自分が殺し屋だからこそ、闇の恐ろしさも良く知っている。自分程度すぐ殺せるに決まっている。 だが、マクドガルはその思考を、まるで紙を読むように読み取っている。 「だったら、簡単に殺せる力をこっちに引き込んでしまいなさい。キミだって、ある程度気心の知れた人間がいないわけじゃあるまい。」 高は何を言われたのか、一瞬分からなかった。 「誰だって、殺し屋やチンピラのまま使い捨てで死にたくは無いでしょ。だったら、その連中全部を乗っ取って、キミがボスになればよろしい。何しろ大英帝国の後ろ盾があるんだ、嫌というやつがいるのかい?。」 高はぞっとして、背中の毛まで逆立つような恐怖を覚えた。それほどに、このにやつく司教の申し出は甘美で恐ろしかった。 おそらく、その申し出に乗る人間は多い。いや、かなり簡単に組織を乗っ取ってしまえるだろう。組織にこき使われていた高だからこそ、この恐るべき申し出の効果が良く分かる。 表ざたに出来ないような、闇の仕事を請け負う支那の裏組織は、国の組織と鏡を写したようにそっくりだ。と言うのも、裏と表は癒着してべったりとくっついているからである。 今の清国のように、国ががたがたになると、裏と表の境もますますあいまいになり、同時に裏の組織もかなりがたがたになってきている。国がしっかりしてる時は、裏も表ざたにならぬよう慎重に事を進め、逆に組織は引き締まるのである。おかげで今や、仁義もへったくれもあったものではなく、外道そのもののやり口ばかりが横行し、嫌気がさしている人間も多かった。大邸宅を構え、兵隊に周りを守らせられる大幹部はとにかく、庶民の間に紛れ込んで、密かに生きていかねばならない下っ端たちは、その庶民に恨まれて狙われるようになると、たまったものではない。 「それに『中山靖王劉勝の末裔』、いや『三国志の英雄、劉備元徳の末裔』と言った方が聞こえがいいかな?。そういう人間はなかなかいないんでね。新しい王にはぴったりじゃないか。」 「な・・・・なんでそれを知ってる?!」 今度こそ、驚愕のあまり筋肉痛すら忘れて身を起こす。祖先の言い伝えこそあったものの、あまりにばかばかしくて、恥とすら思い、隠していた秘事である。 「うっふふ〜ん、それぐらい知らないで、キミを王に立てようなんて思わないさ。」 立てた指を左右に振って、にまっと笑うマクドガル。あまりに怪しい笑顔に、こいつは人の皮をかぶった鬼(支那で言う悪霊・悪魔)ではないかとすら思えてならなかった。 ただ、側にいるボッカ牧師とリキョウル司教は、微妙な顔をしている。 だいたい、襲ってきた暗殺者が、偶然『三国志の英雄、劉備元徳の末裔』などということが、ありうるだろうか。いくら荒唐無稽珍百景、空想満載4000年の歴史を主張する支那とはいえ、1800年前の人物では嘘くさすぎる。もしそれが本当なら、そこら中に三国志の子孫が転がっていないと可笑しい。 実を言えば、マクドガルが高を瞬間催眠にかけて昏倒させた後、一度催眠を深くかけなおし、イロイロと彼の事を聞きだした。そして高の出身が劉備元徳と同じタク郡(と言っても九州二つ分ほどの広さがある)であることから、『三国志の英雄、劉備元徳の末裔』という捏造した記憶を、催眠状態で無防備な高の記憶に刷り込んだのである。 催眠術もそうだが、暗示や刷り込みや洗脳など、脳は同じ事を繰り返すと、それになじんで術にかかりやすくなったり、デタラメでも信じやすくなったりする。ましてや支那では誰でも知ってる三国志演戯(物語風に書き換えた三国志)、街角の講釈師(面白い話でお金をもらう芸人)やお芝居、物語などで知らない者がいないぐらい有名である。そういう土台がある上で、催眠状態で刷り込まれたら、誰でも違和感なく本気にしてしまう。 そしてマクドガルは、英国十字教教会の司教であると同時に、秘密結社フリーメイソンに名高い『十博士』の一人、『幻想博士』の異名を持つ催眠術師という、もう一つの顔を持っている。人の意識も記憶も、たやすく書き換えてしまう恐怖の術者だった。 ずばずば言い当てられて、仰天している高だが、全てマクドガルに催眠状態で聞きだされたか、覚えこまされて本気にしているだけなのだ。 マクドガルにとっては誰でもいいのである。自分を狙った殺し屋なら、使えるだけ使って、骨までしゃぶり尽くしても、誰にも文句を言われる筋合いは無い。 『さあ、道化君。これからキミの大芝居が始まるのだ、がんばってくれたまえ。』 操り人形は、自分が操り人形であるとは思わない。マクドガルとその後ろにいる大英帝国の糸のままに、その思考すら操られる。 「キミら支那の過去を調べて、よく分かったよ。我らは始皇帝の墓地を調べたんだがね。支那は世界でもかなり古い植民地帝国なんだ。どこかの氏族一族が全土を支配して植民地にしてしまう。それが壊れれば、別の一族が全土を植民地にする。好き放題搾り取って国をだめにして、また別の一族が恨みで植民地にして仕返し以上にだめになるまで搾り取って・・・と、延々いやもうそればっかり2千年、よくやってきたもんだと思うよ、あきれたね。孫文っていう支那の革命家を知ってるかい?。彼はこう言ったそうだよ。『清国から独立したい』って。自分の国から独立したいって何なの?と思ったんだけどね、何のことは無い。植民地で嫌だから、自分たちが仕返しして、搾り取る立場になりたいだけなのさ。」 高はもちろん読み書きも出来ないし、植民地だの始皇帝だの、そういう言葉になると、なにを言っているのか良く分からない。 ただ、孫文と言う男の名前と『清国から独立したい』という気持ちだけは、激しい痛みと共に感じた。 自分が殺し屋に堕ちた理由、全てに絶望したそれが、心の闇の奥底からふつふつと湧き上がってくる。 「王に・・・なれるのか?。」 「さあ、どうだろうな。キミしだいだが、やってみる価値はあるんじゃないか?。」 急に、まじめに、そして一番効き目のありそうな言葉をぶつけて突き放す。本当にやりにくいお人だ、マクドガルと言う人は。 「それに、面白い芝居も用意しようと思ってね。」 「面白いなら、いいだろう。」 ぞっとするような冷たい声で、高は答えた。マクドガルの言外に、英国の操り人形という意味がひしひしと感じられるが、それならそれで構わない。暗殺者の王、いいじゃないか。だったら思いっきりこの国を壊してやる。 彼にとっては、何もかも憎い。憎くて憎くて、もうなにを憎んでよいか分からないまでになっている。 どん底にいたと思ったら、マクドガルにぽっきり折られ、己の奥にもっと深い底があることに気がついた。 『だったら、何もかも憎めばよい』 己の奥底から聞こえてくる声、そう、それならやってやる。 だが、はたしてその声が、自分のものなのか、誰からか作られた声なのか、彼には分かるはずも無かった。
■ 次の話
■ 前の話