■ EXIT
角無島大乱戦・終焉へのカウントダウン
日本帝国首都東京、帝国重工本社。 しっとりとした緑の中、見え隠れする三階建ての建物。茶色のレンガ壁と重厚な石材の組み合わせで、獅子が伏せたようなおもむきがある。 だがその素材は、高機能セラミックと衝撃吸収材を組み合わせ、耐火、耐震、対爆などの機能を併せ持ち、大型ミサイルの直撃にも耐えうる強度を持っている。 さらに驚くべきなのは、樹木の巧妙な配置に隠れて分かりにくいが、建物から50メートル以上離れると、樹木、建物の形、防壁の形状、それらが計算され尽くした配置で、中・長距離狙撃をできる場所がどこにも無いのである。そして50メートル以内となれば本社の防護壁内部、たとえ映画の007が一個部隊いたとしても、余裕で瞬殺してしまえる。 今なお、忍び込もうとする愚か者は絶えないが、99%が防護壁までたどり着く事も出来ず、お帰り願っている。そしてごくまれに防護壁に手を掛ける事が出来た者は、その場で脳にダメージを与えられて昏倒し、じっくり頭の中を底の底まで調査される事になる。 ただ、この日はそんな生優しい防御プログラムではなかった。防護壁の脳ダメージは最強レベルにまで上げられ、脳に損傷を起こしてもなんら不思議は無い状態だった。さらに防護壁内部、茂みや物陰を伝うように、無数の多脚砲台『タランチュラ』が、蠢いている。 足を伸ばせば4メートルを超え、ほとんど無音で100メートルを3秒で走破し、単体の戦闘能力は、この時代の完全装備の陸軍一個中隊を、楽々と撃破できる火力を持つ、この時代にはあり得ないモンスター兵器である。もし、侵入者がタランチュラを見たならば、その人間はすでに死んでいなければならない。もちろん、施設内の対人・対物レーダーや、各種防御はフル稼働状態。 その意味するところは、侵入者は一片の容赦も無く『殺戮する』。 デフコンでいうなれば3、ほぼ準戦争状態であり、これ以上となると『オールコンバットモード(完全戦闘状態)』(13話参照)になる。その理由は、この日帝国重工のあらゆる組織が、緊急メンテナンスを命じられ、必要最低限の業務や行動事業しか行えない、それゆえ、侵入者には一片の情け容赦もかける余裕が無い、ということになっている。 だが、本当の理由は、帝国重工のあらゆる緩衝、調整、その他様々な処理を行う準高度AI群の娘たちが、一人残らず内部勤務を命じられ、外部との接触を禁じられているからだ。いったい何が起ころうとしているのか。 世界のいかなる要塞よりも、はるかに堅固な帝国重工本社。その中心とも言えるのが、最高指揮官高野指令の指令室。 今やパートナーとして確固たる地位を得ている、AI群の最高位高野さゆり嬢が側に控え、かいがいしく世話を焼いている。緑や花も多く、この上も無く快適な空間で、高野指令は寝る間も惜しんで、いくつもの案件と試案を重ねていた。 はたから見れば、いかにも幸せそうに見える二人だが、側にいるさゆり嬢は、いつもハラハラし通しだ。 何しろ高野は質素な生活しか望まず、『寝る場所さえあればいい』と、最初は小さな平屋の建物にしようとしたり、『食事はさゆりの味噌汁と麦飯があればいい』と、彼女が嬉しさで赤くなりそうな事を言ってくれたりする。 本当はさゆりも、それで寄り添って生活できるなら、何一つ言う事は無いのだが、盗聴、誘拐、暗殺、略奪ETC・・・。帝国重工総帥という立場は、愚か者たちが煩わせる事おびただしい。 高野が安心して寝ることも出来ない生活は絶対にさせられない。食事にしても、自分の手作りは望むところだが、高野のハード極まる分刻みの生活と心身の疲労は、それを十二分に解消できるバランスと調整が必要だ。 料理のプロが厳選した素材による、質素な一汁二菜と麦飯。木綿の下着に既製品の上下、夜にはほんの少し酒をたしなみ、朝は五時に起きだして心身の鍛錬に汗を流し、足を延ばせる風呂が唯一の贅沢というのが高野とさゆりの日常である。 高野とさゆりの小さな、しかし絶対にかなわない夢は、小さな家で二人で寄り添い、質素だが温かい毎日を過ごし、花や野菜を育て、稲を豊かに実らせて、みんなで幸せに笑いながらごはんを食べる事なのだ。だが、争いばかりのこの世界では、そんな可憐で美しい夢は、見果てぬ遠い遠い夢であった。 「『アマゾンを舞う1匹の蝶の羽ばたきが、遠く離れたシカゴに大雨を降らせる』か・・・。」 指令がふとつぶやいた言葉に、さゆり嬢が反応する。 「『バタフライ効果』と呼ばれるカオス力学の言葉ですね。小さな要素の組み合わせでも未来に大きな影響を与えると言う意味と、どんな小さな要素も影響するため、未来の予想は不可能であるという意味もあります。」 淡い水色のスーツを着用し、長い艶やかな黒髪が、はっとするほど白い肌を際立たせる。小さな卵形の顔に、絶妙のバランスで配置された大きな黒い瞳と清楚な口元は、男の庇護欲を掻き立てる。さゆりは高度AIだが、何か気になることでも?とわずかな表情が語る様子を見れば、彼女が人工知能などと思う男はこの世に一人としていないだろう。 「うん、そうだね。ただ江戸時代の日本で言われた『風が吹けば桶屋が儲かる』のように、小さな要素そのものの組み合わせは、『道理』という東洋哲学的な法則論も成り立つ。」 さゆりは軽くうなづく。未来は不可視だという西洋哲学的な意見と、世界の力のベクトルを、大きな方向性として読み取る極東の東洋哲学的意見。高度AIと言えど、どちらも否定はできない。AIの分析的思考からみれば、西洋哲学的な意見に軍配が上がりそうだが、彼女や彼女の妹たち準高度AIの持つ豊かな感情は、東洋哲学的な思考と方向性無しには生まれなかったのである。 「歴史を知り、様々な力を持っていたはずの我々も、日露戦争は避けようが無かった。出来れば避けたいとは思っていたが、避けられない以上、最大限利用できる形にはした。それでも無駄な戦いは避けられなかった。そしてこれから起ることも不可避だ。人の力とは・・・・・・。」 ふと、口をつぐむ高野指令。心を許しているさゆりの前で、思わず弱音を吐きそうになる。日本の目指す宇宙への道は、あまりにも遠い。輝かしい未来とはいえ、壮絶なまでの道筋は、どんなわずかな変動も様々な影響を受けて動く。これから起る巨大な動き、それが起こす数々の変動、そして知ることが出来ない『バタフライ効果』が、どれほどの影響を引き起こすのか、実のところ分かりようが無い。『蟷螂の斧』、未知という巨大な車輪に刃向かおうとするカマキリ、そんなマイナスのイメージすら湧いてくる。高野とて人間なのだ、あまりに重い物を背負う時、人は砕けそうになる。 さゆりがそっと、その大きな背中に寄り添った。 「私が、お側にいます。あなたは一人ではありません。私が、そしてみんなが一緒に背負います。」 背中の温かく柔らかい感覚に、全身が包まれるような癒しを感じ、指令は涙ぐみそうな自分を必死に押さえた。 後に『角無島大乱戦』と呼ばれ、さらに大事件を引き起こしていく騒乱。それは、支那が日本に仕掛けてきた想定外の出来事だった。もちろん、帝国重工が支える日本からすれば、愚かしい矮小な行動にすぎない。 だが、それは、地鳴りとともに何もかもを飲み込む大雪崩の、最初の雪玉であった。投げた本人はおろか、誰もが想像もできない騒動へと広がりつつあった。もはや止めようも無ければ、避ける方法も無かったのである。 上海へ迫る暴徒の大軍は、さらに巨大化し、地を埋め尽くす五十万の大軍となった。 この規模になれば、もはやイナゴや大火災のような天災と変わらない。狂気に満ち、略奪をし、女を犯し、通り道にあるあらゆるものを食い尽くし、破壊し、放火し、奪い尽くしていく。人間としての理性など、かけらほども残っていない。 この狂気の引き金は清の袁世凱の陰謀だったが、これほどまでの暴徒の大雪崩となるのは、秦から続く支那のエセ国家支配が、性懲りもなく何十度も繰り返してきた『いつもの結末』であり、麻薬アヘンがそれをあおっていた。 支那の清朝末期、あきれるほど膨大な量のアヘンが、支那に流し込まれた。アヘンは人を殺す毒ではない。つらい日常を忘れさせ、夢の無い毎日に一時の夢を見させる。ただ、悪質な習慣性と、心身を徐々に崩壊させ、生きながら死んでいくだけである。 前にも取り上げたが、支那の支配層は金儲けに夢中になって、国中に狂気のごとく売りさばいた。いくらでも売れる、買った人間は止めようとしない。これほど儲かる商品は無い。 支那では一般庶民など家畜と同じである。支配層の贅沢と血族の繁栄のみのために、税を絞りとられる。政治などそのついで。 それを隠そうともしないで、贅を尽くした高楼邸宅を三重五重に張り巡らせ、金にあかせて美女を数え切れぬほど囲い、美食と美酒に明け暮れて豚のごとく太るのを『美徳』と言って大威張りする。細かい行政に悩んだり、つまらぬ社会整備にひまを取られるのは、『小人』のする事であり、そんな事を大国の支配層がする必要は無いと、本気で信じている。 当然取られる方の庶民はたまったものでは無く、必死に税を逃れようとする。これはなかなか絞り切れない。だがアヘンなら、死ぬまで金を払い続けてくれる。 そして買うほうの庶民も、アヘンを売りさばくような支配層に支配されていれば、その生活は死ぬよりつらい。まさに地獄。 そうなってくると、アヘンはもはや麻薬というより、現実を“うさ”忘れるための酒やタバコの延長、『嗜好品』になってしまう。いやむしろ悪く言えば『現実逃避』、良く言えば『気休め』であり、現代で言うなら、変だと思っても『気休め』に止められない化学工業製品、『健康食品』だろう。 (現代のインターネットやテレビ、大手ドラッグやコンビニで売りまくっている『健康食品』の9割以上が中国・韓国で作ったり、日本で詰め直しただけの『工業製品』だという事を考えると、むしろはるかにたちが悪い。厚生労働省が青くなっている腎臓透析患者の急増の背景も、案外こういう問題があるのかもしれない。) アヘンすら、苦痛を忘れるための『健康食品』になってしまうほどの支那。そして支那はそのアヘンで滅びようとしている。いや、アヘンで滅ぶのではなく、アヘンに溺れないとやっていけないから滅ぶ。 まともな考えなどというものは、どんどん無くなっていく。アヘンが効いている間は判断力は衰え、意識はもうろう。効果が切れれば、疲労は強く、気分は悪く、身体の調子も狂っていく。わずかな事にも激高しやすくなり、簡単に死ぬような事をしでかすようになる。要するにそこらじゅうキチ○イだらけになるという事だ。まともな人間がいたとしても、そんな中に放り込まれたら、間違いなく精神がおかしくなる。 もちろん、そんな中ですら、未来を憂いて国を良くしたいと思う人間も多数いた。しかし、国を良くしたいと思うならアヘンを捨てねばならない。そんなもったいない事を、支那の支配層と中毒患者たちが出来るわけが無い。この辺、仁義はあっても道徳は無い支那は、極東の島国にいるヤクザよりはるかに始末が悪かった。 支那で最大の革命リーダーだった孫文も、支那に居場所が無くなり、海外に逃亡するより他に無かった。 機会を見て、日本に助力を募ろうとしたが、神の悪戯か、支那は日露戦争を契機に日本と国交を絶ってしまっていた。支那のあまりの態度とその後の反日魔女狩りのような不幸で、日本からも支那は見捨てられ、縁を切られ、日本で高い教育を受けていた孫文の手駒も支那国内の魔女狩りでほぼ壊滅。どうにもならなくなった孫文が、最後に頼ったのがロシア軍である。 だが、ロシア軍に密かに根回しを行って、孫文を利用してはどうかと提案したのは、日本の海軍大佐広瀬武夫だったりする。ロシア軍は彼の忠告を好意を持って受け入れたので、孫文を援助することがきまったのだから、これはもう歴史の皮肉と言う他は無い。 そしてロシア軍の援助を受けて革命組織の建て直しを図っていた孫文は、あるきっかけを得て、哀しいほどに少ない手勢を率い、アジデーター(扇動)で支那人たちをあおり、革命の火を放つことになった。 その全てを理解し、支那のあまりの愚かしさと、同じ人間としての恥ずかしさに肩を落とす高野。 データを検証するまでも無く、この先何が起るかを、彼と帝国重工幹部、そして日本のもう一人の哲人、吉備真吉備は予測していた。 そして孫文が立ち上がるきっかけとなり、これから起こる角無島大乱戦の中盤最大の事件、それは後に『上海大撃滅事件』と呼ばれるようになる。 帝国重工地下には、『第二指令室』と呼ばれる戦時の指揮を行う部屋がある。すでに高野やさゆりの他に、真田他主要メンバーが巨大な立体スクリーンを見据えていた。 「あとは、上海とその後だが、すでに対応は済んでいると思うが、確認しておこう。」 さゆりがすっと立ち上がって、空中に現れる淡い蛍光色のボードを示す。 現在の上海上空、特に戦場と鳴る北北東は、厚い雲に覆われているが、高高度無人監視装置の電子の目は、電磁波、赤外線、紫外線、熱量、その他様々なデータを読み取り、リアルタイムで刻々と送ってくる。 第二指令室のサブコンピューター(AI群と相互リンクしメインコンピューター並みの能力と処理スピードを持っている)で各種データを総合し、相互補正を行われた映像は、50万の人間一人一人までも読みとれそうな映像が可能だった。 「現在、上海北部から北西部、距離およそ50キロの所に、かなりな集団が動いています。この集団を核として、暴徒は現在およそ50万人。確実に上海へ向かっています。すでにたどり着いている小集団もいますが、上海租界の常駐軍に恐れをなして、後の集団が来るのを待っています。」 ピッと、画面が変わる。 上海の連合常駐軍の様子だが、各国様々な軍隊が、全部でもおよそ8千というところだろう。装備はそれなりに充実しているが、何しろ数が少ない。 わあああああぁぁぁぁぁぁ ぼろをまとった小集団が後ろを向いて笑った。 それこそ地を埋めるように、わあわあ騒ぎながらやってくる無秩序な集団。統一性も無く、勝手に騒ぎ蠢く無数の虫のような光景は、見ていて気分が悪くなりそうだ。 同時に上海連合常駐軍は、ここから見ていても分かるほど動揺している。 この当時、大軍相手に拠点防衛の最新兵器である機関砲は、まだ上海には据えられていない。 大砲はそれなりの数そろえているが、さほど新しいタイプではなく、一発打つと次の砲弾を入れて打つまでに一分近くかかる。連発すれば加熱し、冷やさないと次の弾を装填しても、高い確率で誘爆を起こしかねない。 たとえ機関砲があったとしても、50万対8千では、勝負にならないだろう。 常駐軍は浮足立ち、逃げ腰の兵士もかなりいた。 叱咤激励する上官たちも、ある『約束』が無かったなら、さっさと逃げ出している。 米軍の少将で、臨時の最高指揮官でもあるフレッガー・ノストラモスは、本気で祈りながら必死に光学測定器で大群の位置と、そして『時間』を測っていた。 「よし、打てっ!」 広すぎる、わずかな起伏のある平地に、ボス、ボス、ボス、と頼りないような音と振動を起こして、大砲の砲弾が打ち放たれる。 ヒュルルルルルウウウウ だが、その音に重なるようにして、暗く雲が垂れ込めた空に、背筋が寒くなるような音が走る。 『きたっ!、本当にきおった!!』 フレッガーは、悪魔の進軍ラッパのようなその音に、目を輝かせた。 ドッ! すさまじい衝撃と、爆発の粉塵が飛び、恐ろしい広さで地面が吹き飛んだ。 クレーターは10メートルを超え、周り100メートルの人が吹っ飛ばされる。 暴徒たちは密集していた。それが、ゴミのように飛び、クズのように吹き散らされる。 人の体が、部品が、飛び散り、形を失い、天に舞い上がり、地に伏し、吹き飛ばされ続ける。 次々と着弾するそれは、想像を絶する破壊と暴虐だった。 「見ろ、見ろ!、人がゴミのようだ!!」 フレッガーは、顔を真っ赤にして、絶叫した。 絶望にひしがれかけていた各国駐留軍たちは、大声を上げ、恐怖を感じていた大群が吹き散らされていく光景に、躍り上がる。 もちろん、連中の大砲は撃ち続けているが、あまりに数も威力もけた外れだ。 それは後方15キロの海上から、特殊なフロートをつけた雪風級軍艦『長浜』『伊丹』『長手』の艦砲射撃だった。 数日前、租界各国の駐留部隊は、上海に来ていた秋山中将からある提案を受けていた。 『現在、日本は清国と国交を断絶しており、皆様の要請で在留しているとはいえ、上海で表立って戦うのは国際世論上よろしくない。』 全員むっつりとして、秋山の言葉を聴いている。日本の恐るべき戦闘力を、日本海海戦から目の当たりにしてきた各国部隊は、これを日本らしい遠慮と判断した。ただ、それで日本に帰られては、上海は暴徒と貿易両方の意味から困ってしまう。しかし秋山の提案は予想外のしろものだった。 『だが、たかが暴徒に背を向けて逃げ出すなど、歴史あるサムライたる日本軍として恥辱の極み。そこで、勇敢なる各国軍人の諸君に、少しお手伝いをいただきたい。』 駐留部隊に大砲をあるだけ並べてもらい、連射し始めると当時に、港につけた軍艦から艦砲射撃で殲滅すると言うのである。 艦砲射撃の恐ろしさは、士官レベルなら誰でも知っている。軍艦の大砲は、通常の陸上を運ぶ砲よりはるかに大きい。ましてやあの日本の軍艦である。雪風級軍艦『長浜』『伊丹』『長手』がこちらに向かっていると聞いて、自分に向けられるわけでも無いのに、本気で青ざめた。 ナガトショックと呼ばれる衝撃を世界に引き起こした日本海海戦、だがその前哨戦ともいえる佐世保湾海戦こそ、見る者は見ている。 雪風級の巡洋艦2隻と10数隻の護衛艦で、5倍を超えるロシアの大艦隊と同等以上の戦いをし、軍事関係者をこぞって驚愕させた。巡洋艦が戦艦をはるかに越える戦いを見せたのである。それが3隻となれば、世界の第一線級戦艦10隻を超える戦力と言うことになる。 『しかし、それでは我々が勝ったように見えてしまうではないか?。』 おそらく50万が100万でも、彼らは疑いもせず同じ事を聞いただろう。それほど日本の軍艦への畏怖は激しかったのだ。 『上海の守護は、今も、これからも、駐留部隊である貴方達こそ中心なのだ。その士気を失うような事は日本はしたくない。たのむ、一緒に戦ってほしい。』 軍人たちは全員うなった。 確かに、ここで日本が単独で暴徒を打ち払えば、駐留部隊の面子は丸つぶれになる。かといって、50万の暴徒に立ち向かうには駐留部隊はあまりに数が少なすぎる。租界も軍も、損害をこうむれば、責任を取らされることは間違いない。日本としても、これ以上清国に関係するつもりはさらさら無いと言っている。ならば日本に少し恩を着せて、本国での名誉を得られるなら言う事は無い。ましてや日本は一緒に戦ってくれと言っているのである。何より時間が無さ過ぎた。 幸い、下手に時間を潰す事の愚かさに気付かないほどの愚物は、この場には居なかった。彼らは少し話しあった後、秋山の方を向き直った。 『秋山、ここだけの話だが、国々の総意でもある。日本に少し恩を着せる形になるが、むしろ我らこそ日本の好意を絶対に忘れない。私たちの名誉にかけて誓おう。』 上海の港は、かなり喫水が浅く、良港とはいえない。 現代で言う駆逐艦クラスの雪風級軍艦では、下手をすると座礁しかねないが、巨大なフロートを広げ、固定砲台として使うのならば、フロートで船底は守られ、底面積が広がりゆれや反動が減ることで命中精度も上がる。 高高度無人監視装置のデータと射撃の連動で、上海北方幅5キロの範囲に、マス目を潰すように砲撃が落とされていく。 地を覆うような暴徒の大軍が、5キロの死の帯にそって止まった。何しろそこから先にいけば、絶対に死ぬとしか思えない。 激しい上昇気流が呼んだのか雷鳴が鳴り出し、すぐに大粒の雨が落ちて来た。 天をひっくり返すような土砂降りが、恐怖に震えた大軍を無情に叩きつけた。 全てが、雷鳴と雨の中に覆い隠された。 「ヨウ化Agハイブリッドミサイルによるウェザーコントロール、順調に稼働。最終段階に入ります。」 『長浜』のオペレーターが、冷静に状況を告げる。 突如振りだした大雨も、防衛軍の気象コントロール兵器によるものだったのだ。かつて一度だけ、日本は気象コントロール兵器を使用した事がある。それは東京湾で、ある凶悪なテロリストを、協力者のオーストラリア船籍の船ごと吹き飛ばす時だった。一切の痕跡を、誰にも見せないように隠すために。 だが、いつしかオペレーターは泣いていた。表情も変えず、行動速度も落とさず、ただ泣いていた。彼女は準高度AIの一人、瑞間幸恵という。そして、連動する『伊丹』『長手』の準高度AIたちも、はるか日本の帝国重工会議室で、それを見ているイリナたちも。 それを側で見ているしかない風霧部長も、真田技術幕僚も、己が背負うべき罪に激しい痛みを感じていた。 『感情のオーバーフロー・・・高野つらかろうな。』 緊急時や戦時には、AIの娘たちには感情制御プログラムという緊急措置が掛けられる。それによって、激しい感情による思考・判断・行動の阻害を極限まで減少させる。 だが、それは感情を完全に消してしまうのではない。感情を消してしまうと、再起動をかけようが、プログラムの修正を行おうが、再び復活することは無いからだ。人間でさえ、感情すなわち精神を破壊された場合、直す方法が無い。 どれほど押さえ込んでも、激しすぎる感情はどこかでオーバーフローを起こす。それが、まず涙となって現れる。それでもAIの娘たちは、全てを一瞬の乱れも無く行っていく。 これがどれほど残酷なことか。 人なれば、無意識に意識の封印を掛けることも、視界をそらし避けることも出来ただろう。 だが、AIの娘たちは、何一つ見逃すことなくそれを見なければならない。 そして、この後の光景を。 司令官である高野は、歯が砕けるばかりに食いしばり、己の罪に耐えていた。AIの基本構造を作り上げたのは彼である。感情の核とも言える部分を育てたのも彼である。AIの娘たちは皆自分の娘にも等しいものを感じている。その娘たちに、どれほど残酷な仕打ちを強制し、その悲しみを背負わせねばならないのか。 『すまん、我が娘たちよ。すまん・・・・。』 しかし、その犠牲の上でなければ、未来はあり得ない。人の愚かさが憎かった。争いを己の利益としようとする醜く肥大しきった欲望が、心のそこから呪わしかった。修羅となり、悪鬼外道に堕ちてもかまわなかった。禍根だけは絶っておかねばならない。 人類の理性が未成熟だった三千年前。 数限りない無理と嘘を掛け合わせ続けた果てに生まれたそれ。 人類が未成熟だったゆえに、暴力と欲望だけが極限まで肥大し、人の皮をかぶった最悪の略奪者を頂点として、一番楽な『暴力』すなわち軍で、無理と無茶でツギハギしただけの集団が、国家を名乗った。 際限ない贅沢の限りを尽くし、民の税を絞りに絞りあげた。 永遠の生命を求めて、人体実験を繰り返した。 権力を絶対化、永遠化したいために、万里の長城まで築いてしまった。 それが国家だと主張して、人間を何一つ認めようとしなかった。その全ては個人の否定の上に存在する砂上の楼閣。 人間を認めたら、皇帝の存在が消えうせる。同じ人間とされてしまう。 人間を認めないが故の、極限まで権力の部品にしてしまうグロテスクな権力構造。それが『支那』。 未成熟な人が、未成熟な国の形を成そうとして、未熟なまま固まってしまったあり方だった。 人を認めないがゆえに、文化ができない。 人を認めないがゆえに、歴史が認められない。 人を認めないがゆえに、他者を理解しない。 そのまき散らず汚物は、欧米以上に汚らわしく、一切の進化を拒み、人の未来を閉ざしていた。 その汚物の城を、自己崩壊させねばならない。 そのために、今、幻想の柱を砕く。 「SBミサイル発射!」 2発のミサイルが発射された。 雨の中、超低空を飛行するミサイルは、誰の目にも止まること無く、ヒョウタンのような形でのびた40数万の大軍、その左右最大の集団のど真ん中に落ちた。 ハロゲン酸化剤等によるサーモバリックと呼ばれる特殊爆薬が、固体から瞬間的に気化することで、粉塵と強燃ガスの複合爆鳴気が作りだされる。その速度は音速すらも超える秒速2000メートル。 そして、複合爆鳴気が、爆発した。 2000度を越える衝撃波が、地上にあるあらゆる存在を喰らった。 赤黒い爆風がみるみる広がる。超高度映像、巨大すぎるゆえにゆっくりに見えるそれは、3秒で10キロ四方を覆い尽くした。 人だったものが、赤黒い帯に捕えられると次々と消滅し、粉砕され、全ての形を失っていく。 何も無い荒野の、40数万の暴徒。この条件に最大級の効果を発揮するのが、SBすなわちサーモバリックと呼ばれる特殊な気化爆薬だった。 十数気圧に及ぶ燃焼ガスは、圧力だけで内臓破裂を引き起こす。 まして2000度を越える高温のガスが、衝撃波と暴風を同時に起こしたかのように、長くあらゆる存在を嬲り尽くす。 半径一キロ圏内の、8万の暴徒が内臓破裂と肺を焼かれ即死し、跡形もなく消滅した。 もう一発も、6万の暴徒を巻き込み、即死させた。彼らは幸せな方だろう。 だが、即死をまぬがれた37万あまりの暴徒達の方が悲惨だった。 3分の2は、即死を免れただけで、爆風の影響で大地と激しいダンスを踊るはめになった。荒れ地の岩や石ころは、巨大なおろし金のように、人の姿を遠慮会釈なく削り落していく。半分は内臓破裂や肺の崩壊で血を吐き、2時間と経たぬうちに死んでいった。 残りは人の姿すら保てぬ有様で、悲惨な状況のまま荒れ地をのたうち回った。 残り3分の1は、自分の見たものを受け入れられず、あるものは発狂し、あるものは殺し合い、あるものは川に飛び込んで浮かんでこなかった。 しかも、清国、上海租界、その誰一人として本当の事は何一つ分からなかったのである。 細く、高い歌声が、静かに白い喉からこぼれおちる。 さまよう命よ 我らのレクイエムを 暗闇の中 心すら忘れ 群れ集う闇に黒き人々 我が手は震える 無知なる罪人たちよ 思いすら忘れ 絶望に狂い 獣のまま堕ちていくなら 痛みをこらえ私は切る 宇宙(そら)の光 導くためにも 報われぬまま、堕ちる人よ、願わくば輪廻に戻れ 途切れる命よ 我らのレクイエムを 作戦が完全に終了し、祈りの歌声が静かに艦橋に響く。 『伊丹』『長手』の準高度AIたちも、帝国重工のイリナたちも、今同時に歌っているだろう。 50万もの犠牲とその光景、あまりにも悲惨なそれは、準高度AIたちの感情にも負荷が大きすぎる。 人間の男性兵士すら目をそむけ、女性たちは耐えきれず嗚咽する。 感情制御はかかっても、記憶が残る以上、その負荷を消すことは極めて厳しい。それを解消するための最上位手段が『レクイエム(鎮魂歌)』だ。 準高度AIの情報リンクを作り、死者の冥福を祈り、鎮魂の祈りを歌という形にする。それが感情の負荷を大きく和らげる。 それは高野の、AIの娘たちへの贖罪と言ってもいい。 おびただしい歌を背負い、己の重荷に耐えて、高野は未来への道を血まみれになって切り開く。 彼女たちの歌声を、誰も止めはしない。 戦いの後、一人の人間として祈りをささげる事を、日本人は決してためらわない。 全ては終わり、歌声の間、艦長は帽子を外し、黙祷を捧げた。 それは地獄だった。 見渡す限り、地面が死体で埋まり、どこも地面を踏むことが出来ない。 地平線の彼方まで、黒く焦げた死体で、汚物で、人体の部品や臓物で、埋まりつくしていた。 地獄を見たものの運命は悲惨だった。 偶然通りがかってしまった商人たちは、大小便を漏らして発狂し、あるいは夢にうなされて自殺し、寺に引きこもってしまった者もいた。 誰にもどうしようもなかった。 風が吹けば汚臭が体中を嘗め回す。 息をすれば、肺から腐敗するような臭気にむせる。 目に映る光景は、正気を貪り食っていく。 どんな世界にも、最下層の人間はいる。 人のやりたがらない、汚れた仕事をさせられる人間はいる。 死体処理の役を押し付けられて、やってきた者たちも、2日と持たず逃げ出した。 それだけの死体を、動かすすべも無ければ、埋める場所も無い。 そもそも荒野と言うのは、掘る土もろくに無い。岩だらけ、石ころだらけの土地だから荒野なのだ。 燃やすマキなどあるわけが無い。 馬でも牛でも、近寄るだけで嫌がり、暴れて逃げる馬すらいた。 ショベルカーもブルドーザーも無いこの時代、数十万の死体をどうするすべも、誰一人持っていなかった。 そして、動かせないものは隠しようが無い。 何度も何度も、汚れた仕事をさせられる人間は来たが、あまりにも死者が多すぎた。 いつしか、誰もがそのあたりを『地獄』と呼び、半径50キロの広大な土地を避けて、う回路のみを通るようになった。 だが、そこから漏れ出る狂気、恐怖、憎悪、欲望、ありとあらゆる闇が大陸全土を覆っていく。 その伝播は、ろくな通信機関も無いはずの人々の口を、恐ろしい早さで伝わり、わずか二日後には北京の路地裏ですら『上海大撃滅』と、50万の死体の噂は持ちきりだった。清の形骸だけの政府も、各地の豪族や軍閥も、必死に止めようとしても止まらなかった。 「70万の暴動が、全部叩き殺されたアル。」 「俺は100万と聞いたぞ、見渡す限り死体で埋まってるそうだ。」 「それを見ちまった安陳の奴が、笑いながら飛び降りちまったアル」 「わずか八千の西洋の軍隊が、笑いながら皆殺しにしたそうアル。」 「お、俺の、軍にいる息子を呼び戻さねえと、殺される!」 これまで繰り返し起った暴動や反乱は、全部他国の軍に制圧され続けて来た。最大の反乱だった義和団の乱ですら、日本の活躍で完全に打ちのめされた。 だが50万の暴動となれば、どんな理由や動機であろうと『三国志』でしか聞かぬような、歴史に残る大反乱であり、これによって上海は火の海となり、外国諸勢力は“眠れる獅子”支那の力に驚き、軍は威信を取り戻し、世界にその名を再び轟かすようになるだろう、と妙に芝居じみたウソ臭い噂が必死に流され続けてきていた。 もちろん、火をつけた袁世凱や、その手下、雇われている裏の汚い組織黒流などの必死の情報操作である。 だがまさか、上海に到達する前に、わずか八千の軍にたやすく全滅させられてしまうなど、誰一人想像も出来なかった。 『欧米の軍隊はそこまで進んでいるのか!』 『日本はそれすら打ち負かすほど恐ろしい!!』 『絶対に勝ち目がねえ!、戦争や戦いを挑むのは馬鹿のする事だ、金持って逃げろ、女子供連れて逃げろ、逃げろ!』 “眠れる獅子”はただの死体に過ぎなかった。 暴力に対する信頼は完全に崩れ落ち、暴力そのものの支那の軍隊は、自殺するための収容所にしか見えなくなっていた。 見た者が狂気に陥り、悲惨な死に方をするほどの惨状と恐怖は、みるみる増幅して伝播していく。 『戦えば死ぬ』その恐怖だけが、支那人たちの骨を腐らせ、理性を腐敗させた。 軍から真っ先に逃亡者が続出した。戦場に出るなどまっぴらだと、末端の兵士たちが、持てるだけの武器や資材を掴んで、我も我もと逃げ出した。指揮官たちも恐怖に囚われ、ありったけの金を掴んで逃亡した。 袁世凱やその関係者たちは、全力で日本を落とし入れるための墓穴に、自分がそのまま埋まっていく事に呆然とする他無かった。 『大国』の幻想は完全に打ち砕かれた。 そして、軍が消えうせた瞬間、支那で国を名乗る者は消えうせる。 『支那では、軍が国を名乗って支配し、軍が消えれば全て終わる』 支那の歴史と構造を、過去の遺物や記録から調べ上げた欧米列強は、そのおかしな仕組みについて、調査に協力していたフリーメイソンの学者たちの説明もあり、ようやく理解していた。 『軍は国家の維持に必要な物ではあっても、軍は国家ではいられない。』 欧米では当たり前以前のことだが、 軍とは究極の階級制度であり、その意味するところは『現状維持』、獣の毛や牙である。 国家とは生体そのもの、その意味するところは『変化流転』、常に新陳代謝し、入れ替わり続けねば生きていけない。生体で入れ変わらない組織は『ガン』である。 軍が国家を気取ろうとするなら、常に他者から奪い続け、盗み続け、支配下全てを押さえ続けなければならない。それしか存在し続ける方法が無い。すぐ破綻するのは当然だ。支那の場合は、下手に広い分、破綻を繰り返し、繰り返し、そして最終的に全土が破綻してようやく終了する。 各国にその解説をしていたフリーメイソンの学者たちは、最後にこう提言した。いや、提言というより、煽っただけだ。 『国が消えた以上、その後は誰が拾うかである。』 そして、同時に『革命』が始まる。
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