■ EXIT
角無島大乱戦・前夜祭その1
1909年半ば、日本領台湾と支那大陸の間、台湾にすこし近い海上ある小さな無人島、地元の人間が角無島(ツノナシジマ)と呼んでいた島。本土で誰一人知らぬそこを、ある小さな政党代表者が取り上げたことから、日本と清国の間で衝突が始まっていた。 だがこの騒動は、いきなり二国間に大騒動を引き起こしたかと思えば、それだけに治まる様子も見せず、さらに規模と複雑さを増し、収拾のつかない混乱へと広がっていくことになる。 後の歴史に長く爪あとを残し、歴史学者たちですら頭を抱えた『角無島大乱戦』は、同時多発的に無数の問題と混乱を引き起こしていた。 これは、騒動を起こすべくして起こすように、集まってきた者たちの話である。 さて、物語を始める前に、一つ確認しておきたい。 『時空間は連続している』と言われている。つまり、『時間も空間もつながりを持ち、切り離せない』と理解して良いかと思う。 時間は時間だけでは存在しえず、空間は時間無しには存在はありえない(色即是空空即是色)。簡単に言えば、コインの裏表。 とすると、突如20世紀初頭に現れた21世紀の日本の最新鋭艦隊とその部隊員たちは、どう見ればよいのだろうか?。 彼らは、ある一定の空間と質量を持ってこの世界に現れた。と言うことは、同時に彼らの時間も持ってきたことにはならないだろうか?。 何しろ巨大な艦隊丸ごとである。ほんのわずかとはいえ、この世界の空間と時間に影響が出ても、不思議は無い。 あふれそうなコップに、ビー玉を放り込めば、当然こぼれだす。時間も同じことは言えまいか?。 水は片方にだけあふれるわけではない。回り全部に圧力が加わる。 時間も、未来にだけ変化が起こるとは限らない。過去にも影響が出ても不思議は無い。 だが、そうなると、『この世界が、前と同じ世界とは言えなくなってしまうのではないか?』。 高野指令や、真田技術幕僚などは、そういう疑問を抱いたことがある。ただ、バカらしくなってすぐに忘れてしまった。 もしそうならば、ここは前とは違う世界、パラレルワールドと言うことになってしまうが・・・、だからと言ってどーしようも無いのである。 タイムトリップ(時間旅行)であろうと、パラレルトランスポート(異世界転移)であろうと、彼らにはどーしようも無い。 前と同じ状況を作り出せば、もしかすると同じことが起こるかも知れないが、起こらなければ単純に核ミサイルの嵐で消滅するだけだ。 だから、過去が少し違おうが、世界が少し違おうが、今彼らがいる世界であることに、かわりは無いのである。 バシッ、ビシッ、バシッ、ビシッ、 背筋がそそけ立つような音、肉を叩き、皮を剥ぎ、血しぶきを散らす音。 「叩けい!、もっと叩かぬか!!」 わめき散らす男の声。 死に物狂いさえ感じさせる音が、石積みの地下室に響き渡る。 ほの暗いランプの明かりは、 石の台に横たわる、たくましい血まみれの背中を浮かばせる。 まわりには、3人の黒い地味な服を着た男たちが、 目を血走らせ、汗を滴らせながら、太いムチをしならせ、叩きつけていた。 だが、 台から聞こえる声は、呻きでも、哀願でも、苦痛でも無い。 「叩けい!、もっと叩かぬか!!、そなたらの信心はその程度か!」 そう、石の台の上に横たわる背中から、その声はしている。 2メートル近い巨人で、その背中に無数の傷を負いながら、ムチを叱咤し、激励し、怒ってすらいた。 そして、周りの男たちの地味な服は、修道服である。 ビチッ ついに一人のムチの先が、ちぎれて飛んだ。 それで気が途切れ、力が抜けた男が、よたよたと足を踏み、下手り込んだ。 「も、申し訳ございません。」 他の二人もそれで力尽きて、座り込んだ。 「そなたら、鍛え方が足らぬぞ。」 先ほどの激怒の声が聞き違いかと思うほど、落ち着いた静かな声で、巨漢が悠然と起き上がる。 「我ら神の使徒たる者たちは、いかなる苦難にも耐えて、人々を天上へ導かねばならぬ。その道は苦しみと涙に満ちておる。強くならねばならぬ、迷いなく研ぎ澄まさねばならぬ。」 抑揚迫らぬ声は、朗々と暗くおどろおどろしい石の部屋に響き、まるで光を放つかのような穏やかさである。 だが、その声はむしろ3人には苦痛であり、申し訳なさに、何度も石の床に己の額を叩きつけた。 男がゆっくりと歩を進める。 鍛えに鍛え抜いた肉が傷を締め、血が即座に止まる。数時間にわたるムチ打ちも、何の疼痛も無いかのように、ごわついたシャツを着て、分厚い修道服を身につけた。 このようなムチ打ち、長時間の不眠や無言など、キリスト教でも修業としておこなわれる。だが、それにしてもこの男の体力は異常であり、脅威ですらある。 「エイメン」 男が太くごつい指先で十字を切り、3人に祝福を与えた。己の訓練に立ち向かった事に対して。 「聖騎士(パラディン)さま・・・」 「ラルト・ヴァレンタイン様・・・・」 「ありがとうございます!」 3人は血まみれの額をあげて、涙を流しながら礼を繰り返す。 男は、悠然と石の階段を上がり、明るい月の光の中に出た。 右の頬に傷があり、顔は子供がおびえそうなほど歪んでいる。薄い茶色の髪は短く、巨大な肉体は圧倒的なまでの質量を内包していた。 しかし、小さな丸メガネを長い鼻に乗せると、その視線は穏やかになり、奇妙な愛嬌すら生まれている。 太った小柄な男と、痩せた背の高い鼻ひげの男が、やはり修道服姿で現れた。 「司教様、ご報告に上がりました。」 太った方の男が、頭をゆったりと下げた、もう一人もそれにならう。 司教と呼ばれた男、ラルト・ヴァレンタインは石像のように、身動きもせずそれを聞いていた。 「ロシア正教の使徒、エフェメ・ララストヌスが東清鉄道(満州鉄道の前身、ロシア帝国所有)の長春駅で確認されました。」 「ふふん、邪教が『鉄のララストヌス』を送り込みよったか。」 だが、細い方の男が、少しせっかちそうに言った。 「プロテスタントの使徒、マイン・マクドガルも香港で上海への船に乗ったとの情報が入りました。」 「『笑鎖のマクドガル』までもか・・・、やあれやれ、困ったものよのう。あのお方にも。」 少しも困ったようには聞こえない、楽しそうな口調である。ただ、周りの者たちは最後の『あのお方』の意味は分からない。 「邪教どもも、『聖騎士』の出撃に焦っておるのでしょう。」 太った方が、可笑しそうに言う。 「だがしかし、ララストヌスもかなりの“後輩”を連れ込んでいるそうだぞ。マクドガルは8部隊の“連鎖”が確認されている。」 細い方が、少し神経質そうに言う。 「なに、我が聖騎士団の前には、何ほどの事もない。」 悠然とつぶやくその声に、二人は歓喜の笑みを浮かべてヒザをついた。 「それにしても、考える事は同じか・・・」 「はい、ロシア正教側は、半島のゴミの中から太宗(唐王朝の名君)の秘密墓地のありかを見つけ、発掘したそうです。」 ヴァレンタインの声に、太った方が、ちょっと眉をしかめてつぶやく。 「プロテスタントの輩も、始皇帝の墓地を掘り返して、おびただしい竹管(書物)を見つけたとのこと。」 細い方は、声をひそめて苛立たしそうに述べた。 「我らとて殷の記録と、孔子の原書を見つけたからこそ、乗り込むことになったのだがな。」 クックックッと、ヴァレンタインが笑った。 「幸い、阿呆な支那の袁は、日本と国交を断絶した。これ幸いなるかな。」 半月を仰ぎ、歌うようにハレルヤと口にする。 「隣国とはどこでどのような歴史があるか知れたものではないのは、欧州の政治のABCだが、東洋はさらに奇怪よな。殷(支那の歴史上最初の王朝とされている国)の王が、王子への秘伝書に『xxたる蓬莱(日本)は、敬して注視し遠ざけよ』、つまり常に用心して何があっても逆らうなとあった。」 「東洋史の謎とされた、歴代支那の王朝が日本に一切手を出さなかった理由ですな。支那をもあっさりと征服した異国異民族のモンゴルは、それを知らずに2度派兵しましたが・・・、まさか2度とも破れ去るとは。」 太った方の修道士が、『信じられない』という表情を浮かべ、月を見上げて嘆くように言う。 この修道士の感情は、おそらく欧州や中東でなければ分からない。さらに支那や朝鮮にいたっては、『ありえない』として、認めようとしないだろう。 チンギス・ハンという大征服者を王にいただいた13世紀のモンゴル人たちは、人類史上最大規模の世界帝国、『モンゴル帝国』を作り上げた。当時の世界人口の半数以上が、その配下に置かれたというのだから、シーザーだろうとナポレオンだろうと、規模と壮大さでは足元にも及ばない。これまた人類史上最大の粗大ゴミ万里の長城は、支那の王朝皇帝たちの、モンゴル系騎馬民族へのどうしようもない恐怖で作り続けたシロモノだ。そして、当然のように支那全土や朝鮮半島はもとより、ロシアや中東、ヨーロッパにいたるまで大侵略は実行され、全てがその馬蹄の下に屈した。 その影響で、ロシア・ヨーロッパでは『タタールのくびき』という恐怖の象徴となり、また、ロシア帝国においてはアンチキリスト(キリストの対極となる悪魔)がアジアから現れるとまで信じられ、共に恐れられてきた。さらに19世紀後半から20世紀にかけては、その恐怖が元となって『黄禍論(一種の黄色人種恐怖症)』が沸き起こった。正史の第二次世界大戦中の、アメリカにおける日系人の強制収容という、移民国家としては後々まで後悔することになった最悪の失策も、『黄禍論』が大きく影響しているというのだから、何と6世紀も後にまで、世界に大きな影響を残し続けたことになる。 その恐怖の大征服国家、しかも最盛期のモンゴル帝国が、2度も遠征に失敗する国家があったなど、欧州人としてはどうにも信じがたい。ましてや、それこそ『やりたい放題』征服蹂躙され、人口が半減ではすまないほど殺されまくり、生き残った女たちはモンゴル人の子供をうじゃうじゃ産みおとす羽目になった支那や朝鮮にいたっては、信じろと言う方が無理かもしれない。 「明では、元の失敗とそれが伝わっていたようで、ヒデヨシ=トヨトミの朝鮮征伐の時にも、及び腰で40万もの大軍を送って負け続けましたし。」 痩せた方の修道士の言葉に、太ったほうがけげんな顔をした。 「朝鮮征伐は明が撃退したということになっていたようだったが?。」 痩せた方が哀れむように言う。 「この野蛮な国が、事実をありのままに書くわけが無いでしょう。第一、本当に勝っていたなら、懲罰軍を送り込んでいますよ。あの頃すでに、日本の金貨幣は世界一の品質と流通量を誇ってましたし、価値も比較的安かった。支那も朝鮮も、日本相手の貿易ではぼろ儲けをしていたんですから。」 なるほどと太ったほうがうなづく。大陸の貨幣は銀が主体で、金は非常に高かった。日本は金の産出量が多く比較的安かった。その差額でぼろ儲けをしていたほどだから、本当に勝っていたなら懲罰軍を送って、その金を略奪すれば、常時真っ赤な国家財政が一気に黒字転換できたはずである。 歴史上、支那の国家は例外なく『放漫財政大赤字』。まともに財政を考えたら間違いなく気が狂うレベルのひどさだ。軍隊という暴力で、奪えるだけ奪った金と民から絞れるだけ絞った税で、つなげるだけつないで、後は野となれ山となれ。そういう支那の国家が、日本軍を本当に負けさせることが出来たなら、是が非でも日本に大軍を突っ込んで、ぺんぺん草も残らないぐらい何もかも奪い去っている。 「明はヒデヨシの死で引き上げる日本軍を追撃して、どうにか面目を保った。後から勝った勝ったと喧伝はしたものの、恐ろしくて後は一切触れないまま。」 痩せた方の修道士は、意地悪そうに笑う。 「おかげで気の毒なのは朝鮮で、知らぬふりをする明にも怒れず、日本も怖い。通信使と称して日本へ慰安の使者を長いこと送り続けた。」 「コウモリよろしく『楽して稼ごう』とした報いだ。“なんじ勤労に励み、怠けること無かれ”である。」 ヴァレンタインの言葉に、2人も可笑しげにわらった。“怠ける”は、朝鮮の致命的な病気であったからだ。それが過ぎて、とうとうこの世界から消えうせてしまったが。 「それに、その行為こそが明の狙いだったのよ。迷惑ばかりかける朝鮮だが、放っておけば、両方に怯えて勝手に日本へ慰安の使者を送るのは分かっている。それが一種の罰にもなるということだ。本来ヒデヨシが『朝鮮征伐』を行ったのは、愚かな連中が日本を下に見て、外交でその面子を潰したからぞ。それを激怒した明がとがめて朝鮮を征伐しても、日本と直に対峙せねばならなくなる。そうなると、大国のメンツが潰れる。戦術、兵站、兵器、貿易力、戦国時代を経て当時のアジアで最強の戦力を持っていた日本には勝てぬからな。」 そのころ16世紀は、鉄砲の出現で、世界の戦場そのものが大きく変わる時代であった。強力で携帯可能な兵器の『火縄銃』の出現で、数の優位が意味を失ったのである。どんな大軍でも、銃を並べて撃たれては、最前線の兵がたまらない。 支那の歴史上でも、銃という名前だけは13世紀頃からあったが、どちらかと言えば大砲の変形に近く、しかもお粗末で、武器としてはまったくものの役に立たない代物だったため進歩も発展も無かった。明国の『銃』10丁あっても、日本の火縄銃1丁に及ばない。ましてや火縄銃の数が、明国の数千倍。勝負にならない。 明国の『銃』はお粗末で、形だけのしろものでしか無く、銃身がしょっちゅう破裂するので味方の損害の方が恐ろしい。鉄の質や加工技術が極めて悪い上に、火薬の分量や扱い方、火薬カスの掃除、輸送や補給、普段の手入れにいたるまで、ひじょ〜〜に大ざっぱ(大陸的?)。これでまともに使える方がどうかしている。 当然、大型火器、大砲などもあるにはあったが、質が悪く話にならない。 ましてや生産能力が、質・量ともに日本とは比較にならない虚弱体質。 当時の日本は、16世紀の世界において、世界最大の火縄銃保有国だったのである。 新しい技術開発や、知識の蓄積が無いため、明は1にも2にも人数で押すしか能が無い。だが、日本相手にはそれすら通用しない。 日本は火縄銃の生産能力を元に、単発先込めの火縄銃を交代で連射させる戦法を作り、射撃能力だけで戦線を打ち崩すことが可能となった。その上器用な日本人は、複数の砲身を使った連射性能すら持つ銃まで作り始めていた。これでは数倍の兵力があっても、近寄るだけでなぎ倒されてしまう。 基本的に先陣は精鋭部隊が受け持たなければならない。先陣が負けて逃げ出すと、後ろの部隊まで恐怖に崩れてしまう。だが、訓練された銃砲部隊を持つ日本相手では、前に立った部隊から全部打ち崩され、結果全部隊が壊滅する。織田信長が武田の騎馬隊を全滅させた長篠の合戦のようなものだ。これで広大な平原が広がる支那大陸に入られては、遮蔽物が無いため、日本に好き放題に蹂躙されてしまう。何とか半島内部で止めようと、明軍も必死になったが、山岳の多い朝鮮半島では、大軍の展開には向いていないため、これまたゲリラ戦の得意な日本軍に、好き放題に狩り殺されていた。 海戦でも、李 舜臣(り しゅんしん)らが最初だけは、奇襲攻撃で何とか損害を与えられたが、それまでが一方的に負け続けの朝鮮・明海軍に、日本が油断していただけで、後はまるで勝てなくなる。だいたい一般の海賊『倭寇』にも勝てない朝鮮・明の海軍が、『倭寇』の親玉とも言える、狡猾極まりない日本の海軍大将たち、それも日本の正規軍相手に勝てるはずが無かった。あまりに負け続けで、精神状態まで不安定になった李は、ある手引きで日本側から漏らされた機密情報すら『策略だ』と思い込んで完全に無視し、結果大敗北して朝鮮国王から投獄されてしまう。 李は、こののち何とか汚名を挽回しようと、必死に戦うが、海戦でおびただしい日本軍の鉄砲の流れ弾に当たり、あっさり死んだ。いとあわれ。 これで、日本内部の凄まじい暗闘が無ければ、本当に日本軍は明国にまで攻め込んでいただろう。先に書いたが、明に機密情報まで漏らして政敵を抹殺しようとするなど、日本軍はあまりに強すぎ、手柄争いから内部抗争が激化して足が止まってしまったのだ。統率者であるヒデヨシが高齢化のため朝鮮に渡れず、統制が乱れたことと、独立採算制度の強かった派遣軍の大名たちが、領土や財宝の確保に躍起になったためでもある。 ヒデヨシが死んで、ようやく自分たちだけでは戦闘を継続できないと気づかされた大名たちは、仕方なく帰国を始めた。明と朝鮮連合軍は何度か休戦条約を破ってだまし討ちを仕掛けたが、勝てない。10倍近い戦力差のあった対島津戦(泗川の戦い)ですら徹底的に打ちのめされ、明・朝鮮連合軍は7割以上殺されている、これはもう皆殺しと言っていい。『鬼石蔓子(キシーマンズ:島津)の恐怖』は明軍全体にまで鳴り響き、正史の21世紀までその呼び名が残っている。明国や朝鮮は、全てを押し隠そうとして、虚偽に虚偽を重ね、必死に誤魔化したが、さすがに海外の記録まではどうしようもない。 スペインやポルトガルも、宿敵であるオランダやイギリスも、支那のていたらくをせせら笑っていた。何しろこれからたっぷり生き血をすすり尽くす『お客さん』である。バカはバカであればあるほど都合がいい。歴史を虚飾で誤魔化すバカは、中でも最高にハッピーな『お客さん』になることは、世界中を荒らしまわった経験から、よ〜く知っていた。事実その通り、支那は明から清までの間、すすりにすすられつくして、屋台骨までがたがたになる。 この時代は、大航海時代に乗り出した欧州各国が、世界戦略に目覚めた時代でもある。 単なる勇気と偶然が、とてつもない富を生み出す。しかも見つけた新天地は、単なる財宝などと違い、長期にわたっておびただしい富を搾り出すことが出来る。だが、それにも思わぬ落とし穴があった。 大航海時代の先達、新大陸を発見したスペインやそれを追ったポルトガルは、一足先におびただしい富を手に入れたが、財宝に酔い痴れて、国内産業の衰退を起こしてしまう。 産業とはつきつめれば『財』を得るための活動だが、アメリカ新大陸での略奪や鉱山の発見などで、膨大な『財』が無条件に流れ込んでくると、当然産業を育てるより手っ取り早い。まだ工業化も始まっておらず、微弱だったそれらの国内産業は、あっという間も無く崩壊した。そして一度衰退した産業を育てなおすのは、とてつもなく手間がかかる。当然税収は落ち込み、国家に必要な金は、ますます貿易に頼らざる得なくなり、国内産業は育たない。つまり、金を手に入れれば入れるほど衰退する泥沼にはまり込んだのだ。 スペインやポルトガルを、後から追いかけてきたオランダやイギリスは、反省を学んで国家と世界の戦略を生み出し、国家の自力をつけていった。貿易で得た利益を直接浪費するのではなく、再投資して産業の活性化を行うよう、構造改革や法整備を行っていったのだ。そこからオランダは東インド会社という巨大組織を作り上げ、イギリスは『日の沈まぬ帝国』と呼ばれた巨大国家となる。 ただ、実を言えばこれをほぼ同時期、あるいは欧州より早く手をつけていた国が、アジアに一つだけ存在する。そう、また日本である。 戦国の終焉を宣言した徳川幕府というか、その根本を作り上げた徳川家康は、幕府を開くと同時に、日本各地で大土木工事を始めた。一つには、大名たちの金庫を空にして、戦いをしにくくするためもあったが、何より『日本の産業構造を根底から変えさせた』のである。 治水、都市、築城、港湾設備などの大型土木工事を行うには、それを支える緻密な経済政策と、膨大な働く者たちの衣食住の生産、流通、管理などの仕組みや計画性が必要になる、言ってみれば徳川家康は、日本全土の構造改革を大断行したのだ。戦国時代は、軍事力で手っ取り早く『他者から奪う』という手もあったが、徳川幕府の下ではそれは出来ない、やらせない。自然、各藩は、軍事の戦闘部隊中心から統治や経済などの官僚中心に変わらざる得ない。また、そういう構造改革が出来ない藩は、容赦なく取り潰された。この点が豊臣時代と最大の違いと言える。 これには、各国の貿易商たちも震え上がってしまった。『これでは歯が立たない』。 強力な大砲や多くの武器弾薬を持ち、船団を組んでやりたい放題にアフリカやアジアを略奪・搾取してきた欧州の貿易商たちだが、国家が大号令を発してその根底を改造し、社会改革を断行するなど、欧州でも見たことも聴いたこともない。分かりやすく言えば、巨大な石がごろごろして、大砲一発で崩れそうな斜面が、突然細かに組み上げられた盤石の石垣になったようなものだ。いかに武器弾薬を持とうと、たかが貿易商の船団ぐらいでは、手も足も出ない。これも日本が鎖国を宣言したとき、ほとんどの国家があきらめた要因の一つと言える。 その後も日本に対しては、極めて慎重な態度を取り続け、日本がキリスト教に一方的な弾圧を加え、鎖国を発表しても、どこの国も仕方がないと諦めた。 カソリックもプロテスタントも、布教を通じて、日本国の調査を行っていたが、担当者たちは双方かなり優秀だったらしく、『日本が鎖国をするなら、そのまま閉じこもらせておいた方が良い』と結論付けた。 何しろ、火縄銃の保有量だけでも、本国の審査官が『嘘だ!』と怒鳴るほどであり、軍艦や航行能力、先に述べた国家プロジェクトともいえる日本全体の構造改革まで考えれば、これ以上世界に出てこられては困る存在となっていた。日本の弱点は、銃弾になる鉛と、火薬の材料の硝石が少ないことぐらいである。もし、インドなどの大生産地と結びついてしまえば、欧州の方がアジアから追われる側になりかねない。その辺の裏事情も、ヴァレンタインらは知っていたが、この先は関係が無いので割愛する。 ただ16世紀のアジアにおいて、支那の大国を『ただのアジアの一国』としか見なかった国は、日本以外には存在しない。 織田信長の『南蛮趣味』も有名だが、当時の日本人は支那など眼中に無かった。いや古来(おそらく大和朝廷以前)から、世界レベルの情報収集こそ、日本のエスタブリッシュメント(社会を代表する支配階級)のたしなみだった。たとえば仏教は、インドの宗教であり、本来の教えは梵語(サンスクリット:インドの古い言語)である。東大寺宝物殿である正倉院の中を見れば、東南アジア、インド、中東のものが山ほどある。何より、飛鳥時代の聖徳太子が隋に送った国書に『日の昇る国の天子より、日の沈む国の天子に・・・』とまったく対等に書いた文書を送っている。隋は黙って国書を受け取り、返礼の使者まで送っている。この関係の奇怪さは、当時の常識では考えられない。まさしく現代に通じる、日本唯我独尊の超水平思考といわざる得ない。 21世紀現代でも、『朝鮮征伐』はやたら話題にされて、まだ言ってるのかと日本人はあきれてしまうが、支那の近隣でここまでやらかして、現在も存在している国は、モンゴルと日本だけである。支那人や朝鮮人たちにとっては、まさに二大トラウマ。歴史上消すことが出来ないので、未だヒステリーを起こすらしい。それを間近で見ていた欧州人たちは、朝鮮をあっという間に制圧し、押し寄せる明軍に攻めかかっていく日本を見て、心底驚愕している。『こんな国に出てこられては、たまったものじゃない』。 それから300年、今日になって、それらの古い記録は封を解かれ、調べなおされている。アジア史も全力で調査が行われていた。 『知識は力となる』、新天地の調査と研究が急速に、しかも猛烈に進められていき、歴史学者たちの知らないディープな研究が、各国首脳や直属の研究者、宗教関係者、そして軍と結び合って、ひそかに進められていた。当時の人間たちの中には、ネット頼りの現代人よりも、はるかに世界を知っていた者がいたのである。 ヴァレンタインらは、そういう機密に触れることを許された人間である。 「孔子が蓬莱と呼ばれた日本に恋焦がれていたのは、我ら欧州人ですら知っていたが、一番弟子への秘伝書に、『かつて日本が、文明以前の我が国とどのような関係であったか、口が裂けても口外せぬこと』とあった。おかげで一番弟子は、師匠の恋焦がれを受け継いでしまい、単独で日本までいってしまった。一人でだぞ?。あの時代にその勇気、我ら神の使徒たる者たちも、見習わねばならぬ。」 月を見ながら、ふと息を吐くヴァレンタイン。 「師である孔子を、よほど日本に連れて行きたかったのであろうなあ・・・。もう一度渡海して、髪が真っ白になるほどの恐怖と闘って、孔子のそばにたどり着いて死んだそうだが・・・・・。」 『聖騎士』たるヴァレンタインですら、孔子の一生の願いと生涯を思うと、切なさすら感じてしまう。争いのない国を恋焦がれ、一生焦がれ尽くしたあげく、失意のまま孔子は死んでいる。それから1800年、まるで孔子の一生そのままに、支那は孔子の願いとは全く異なる形のまま、何も変わらないまま、『争いしか無い国』のままである。 「哀れなるこの国の民を、我ら神の使徒が救わねばならん。ましてや、日本の縁が切れたとなればなおさらよ。」 ヴァレンタインの周りに、血と火薬の臭いが立ち上る。いや、彼の周辺全てにいつの間にか無数の人間がひざまづいて祈っていた。皆、鉄と血と火薬の臭いがする人間ばかりである。 イタリア、スペイン、ポルトガル、ドイツ、フランスなど、カソリックの各国から密かに集められてきた戦力と、無数の重火器、それらが支那最大の貿易港である上海にぞくぞくと集結しつつあった。見かけ上は、租界の各国それぞれが少しずつ戦力を増やしただけにしか見えない。しかも、イギリスもロシアもそれらの動きを知っていて、黙認していたのである。
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