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ダインコートのルージュ・その31


『歴史の枝道』『名刀・3』



(この物語は、帝国戦記とも、ダインコートの本編とも、全く関係の無い歴史の片隅のささやかな一幕です。MORIGUMA)



しんしんと雪が降りしきっている。

 東北の冬は重く、そして静かだ。

 白い闇に閉ざされ、振り積もる雪は家の軒よりも高くなる。



 カンッ、カンッ、



 鉄を打つ熱い音も、雪に吸われ、遠くへは響かない。


 雪に覆われた小屋も、その中は灼熱と火の粉が散り、振り上げる鎚が激しく火花を散らす。


 ときおり、ミシリと屋根が鳴る。おんぼろだが柱だけは立派な小屋は、雪の重みにもしっかり耐えていた。


 刀鍛冶の山浦は、少し前に老鍛冶清光の野辺送り(葬儀)を済ませた。 情の厚い東北の人たちは、激しい雪の中、簡素な葬儀にも丁寧に礼をして清光を送った。 偏屈者で、隣近所というようなつきあいの無い清光だが、鍛冶の腕は確かだったし、何より死は誰しも平等にやってくる。

炭屋や米屋にはたまっていた『つけ』を払ってやり、酒をふるまうと、村人もすっかり打ち解けた。

ただ、なぜか味噌屋がつけを取りに来ない。この時代、米と味噌が無ければ、食生活は成り立たないのだ。

『最後にやりかけの鍛冶を済ませたいんだが』

と村長に効くと、人のよさそうな恰幅のいい老人は、

『あんたが使うんなら、清光じいさんも文句はいわんよ』

と笑って答えた。

じいさんの小屋を片付けるにしても、雪が止む春を待たないと無理なのである。


清光の残した秘伝を再現するために、山浦は一心に鉄を打った。

汗が飛び、火花が散る。


ようやく仕事が一段落すると、水と塩を口に放り込む。


トントン


小屋の入口を誰かが叩いた。


「だれだい?」

「山浦清さんはこちらですか?」


戸を開けた山浦は、最初雪だるまが2体立っているかと思った。

それは、体中雪だらけの二人の青年だった。

良く見ると、肩や帽子などにあきれるほど雪が積もっている。歩いていたならここまで積もる前に落ちるはずだ。


「ど、どうしたんだ?、はよ入んなさい。」


外でかなり長いこと待っていたと思われる二人は、すでに唇も紫に近かった。


「失礼します。」


雪だらけの外套を脱ぐと、背負った荷物をおろした。体つきはたくましいが、かなり若く二十歳前に見えた。

「初めまして、自分は友樹有介、彼は同僚の谷垣東友と申します。帝国重工新潟支社の者です。」

非常に折り目正しい話し方と、姿勢の良さは、『まるで軍属のようだな』と山浦は思った。


山浦が思うのももっともで、これも実は帝国重工の活動が影響していた。


帝国重工は勤務時間外での自己研鑽を推奨していて、いろいろな便宜もはらっている。

武道、スポーツ、文化活動などなど、かなり多彩である。

もちろん、社員だけなどという野暮なことは言わない。少年から高齢者まで、広く門戸は開かれている。

会場設備、指導者、連絡方法など、貧しい地方ではなかなか出来ないことが得られるため、これが非常に評判が良かった。

特に雪に閉じ込められて鬱屈している若者たちにとって、これほどありがたい発散法は無い。

ただ、想像の斜め上を超えて、雪の中を2時間かけて訪れる熱意の塊のような若者も多すぎて、遭難の心配やら、人数制限があるのに外から見るだけでいいからと、黒山の人だかりになったりと、退屈し切っているのもあるのだろうが、その熱意は凄まじい。


 また、元々教育熱心な東北では、若者を育てることには並々ならぬ情熱を燃やす者が多い。地元の名士たちも『そりゃあありがてぇことずら』とすぐに協力を始め、頼まれた学校や軍や警察などは、二つ返事で身を乗り出してきた。地縁血縁が濃厚な分、規則や法律などすっとばして話が通じてしまうところが、怖いぐらいである。

 それでなくても帝国重工の名前と活動は、地元に非常に受けがよい。最初帝国が支社を作った時は、おびえ切っていた地場産業も、船便が驚くほど良くなり、帝国内での事務手続きや集配の効率が高いおかげで、きわめて安い取り次ぎ料で、仕事が効率よく回ってくるので、帝国がくる前より利益額も利益率も格段に良くなっている。



 帝国重工にしても、地域支配などする気も無ければそんな暇もない。各地の産業が発達してくれないと、総合的な技術レベルや産業の進化が進まず、目標の宇宙事業に届かない。

 地方が元気がよくなり、新たな産業を起こし、人材を育ててくれないと、まず手が足りない。未来とはいえ、宇宙進出を目指すためには、万単位の技術者、科学者がいる。国内産業も今をアリとするなら、象より強大にならねばならない。何より、社会システム全体を宇宙進出へまで高度化するには、産業を極限まで発達させないと、宇宙進出どころか国家破綻がやってくるのは、21世紀で嫌というほど経験させられている。

 『軍隊』は経済効率を無視した組織と思われがちだが、機械化や効率化がほぼ無理な『医療』や『福祉』は、それよりさらに経済効率が下がる。歯止めが無くなると底無し沼となり、国家経済を逆に飲み込んでマヒさせてしまう。それを受け止めるだけの社会の体力、つまり高度な経済体系が絶対必要不可欠。『地域振興は経済振興の基本であり、経済振興無くして国家はありえない』のだ。


 反面教師の例だが、21世紀の一時期『日本はムダな地域振興政策を潰して、福祉を活性化すればそのまま経済は活性化する』と思い込んだ与党が生まれたが、わずか3年で国家経済を破綻へと追いやった。

 『仕分け』と称して地方の公共事業を乱暴に潰し、あるいは削減して、日本各地の事業所や会社組織が数多く潰れた。当然失業者が急激に増大、福祉に対する『妄想』(与党と政権は政策のつもりでいた)は現実の前にはティッシュよりも簡単に敗れ、経済は悪化する。失業者の増大と連鎖する年金の悪化と福祉や医療費の急増、地方の公共事業を潰したことで都市部への人口集中と地方過疎の加速、さらに地方の人口減と産業減による人手不足で、豪雪や豪雨などの毎年の災害対策費ばかり膨らみ、個人消費は落ち込んで税収も当然悪化、結果赤字国債は削減の公約を無視して増大した。子供でも予測できそうなドミノ倒しなのだが、政権も与党も『妄想』に執着して、失敗した時の対策すら立てていなかったのだから手に負えない。

 ムダと決めつけて『仕分け』で災害対策費を削り切った後を狙うかのように、大震災と大津波と原発崩壊が起こったのは、世界屈指の災害大国であることを忘れきっていた与党と政府の宿命だろう。

 山は上るより降りる方が難しいのである。飛行機はソフトランディングし損なったら墜落だ。

 福祉で経済振興出来た国は、人類史上存在しないし、未来永劫あり得ない。福祉で経済振興をはかろうとした『妄想』は、単純に経済振興を止めただけだった。余計だろうとなんだろうと、経済振興を止めて企業を潰せば、何十倍も国家運営が難しくなる(というかまず不可能)。最後は国民に重税をかけたあげく、その予算で懲りもせず『妄想』を再度やろうとして、珍しく国会へ全国から100万人規模の反対デモが行われ、突きつけられた内閣不信任案に対して与党と総理は衆議院を解散して悪あがきにあがいたが、総選挙では跡形すら残らず消滅する。だが、その後の日本は悲惨な後遺症にのたうちまわることになった。




 『産業振興と産業構造の調整は車の両輪、健やかな社会成長をする上で必要不可欠』という、国が滅びかねなかったほどの教訓は、帝国重工にとって最重要課題の一つとなっていて、二度とふたたび『事業仕分け』のような愚行を起こさせないよう、政治と経済には、細心の注意を払っている。


 海上輸送を整えて活発化するのも、産業の情報化による構造改革を行うのも、帝国重工は表立ってやったことは一度も無い。常に裏方でそっと行い、確実に実用的な方向へ進め続けているだけなのだが、何しろ国民の方が、人間同士のネットワークで誰がやっているのかをすぐに察知してしまう。いまや『神様、仏様、帝国様』だった。


 おかげで帝国の信頼は絶大で、根が朴訥な東北人たちは、信じると愚直なまでに打ち込んでくる。また、学校にしろ軍や警察にしろ、そういう所は指導に特別熱心な人間が多いため、寝食を忘れかねないのめり込みようで、友樹たちのような若者は、その強く影響を受けている。

 結果優秀な人材が続々と生まれていて、これは帝国にとってもうれしい副産物といえた。もちろん東北に限らず、この動きは全国に広がっているが、東北の熱意は、その中でも群を抜いていた。




「高野はるな大・・・いえ、はるなさんから、の荷物が届いています。」

 はるな大尉は防衛軍の軍属ではあるが、パティシエとして、買う人の思いや夢を壊さないのように、外では所属や地位は名乗らないようにしている。もちろん、山浦ともはるな個人としての取引とつきあいしかない。また、榛名のお菓子を愛好する各国外交官や王侯貴族たちは、軍属と分かると警戒して、親しく接してくれなくなってしまうのも困る。

 それでも所属は防衛軍なので、荷物の輸送も、防衛軍のはるな大尉から帝国重工新潟支社の特急便ルートで送られている。この時代は宅配便などないのだから、こうでもしないと荷物の受け渡しなどで時間がかかるのだ。友樹もその点は露わにしないよう、注意を受けていた。

この寒い中、ろくなものを食べていないだろうと、はるなは心配して、野菜の缶詰やその他体によさそうな食料と、帝国重工の作業着など衣類を届けさせていた。


「ああ、すまん。ところであんたら、いつからそこに立っていたんだ?。」


照れたように友樹という青年が笑った。谷垣も苦笑いしている。

なんと彼らは1時間ぐらい前から、鍛冶が一段落するのを待っていたのである。なんでまた?、と仰天する山浦に、

「自分のじいちゃんも、鍛冶をやっていまして、うっかり扉を開けるとえらく怒られました。」

確かに、焼き入れをする時など、部屋の温度が変化しただけで失敗することがあるのだ。

 じいちゃんの鍛冶の様子をこっそりのぞき見ていたころを思い出し、また、一心不乱に鎚を振う山浦の姿に、若い彼らは感動して夢中で見ていたのだった。 働く人に純粋に尊敬の念を覚える若者たちこそ、日本文化の一つの結晶だろう。

とはいえ、辛抱強く待っていてくれた二人に、申し訳ない気持ちで急いで酒をふるまった。 冷え切った体を温めるには、酒や風呂が一番である。東北人らしく、二人は気軽に茶碗酒を干した。


「ところで、謙信味噌のおまさって人、知らないかい?。」

友樹が意外な顔をした。

「はい、知ってるというか、私の母方のひいばあちゃんですから。」


 はるなは、山浦に食料品を運ばせる際に、地元に親戚の多い人間を頼んでいる。 田舎は地縁や血縁が非常に濃厚で、見知らぬ土地にいる山浦には、そういう顔の広い人間が役に立つからだ。

 そして『謙信味噌のおまさ』こと、谷口まさの家系は、かなり多産系らしく、一族が非常に多い。 友樹有介のようなひ孫は、直系傍系も含めると100名を軽く超えてしまうほどだ。たとえ友樹以外の他の誰が選ばれても、どこかでつながりがあって不思議ではない。  あっけにとられた山浦だが、おまさこと谷口まさという女性、いや女傑は相当な有名人だった。


 一族の最長老で、いまだかくしゃくとして大店を取り仕切る彼女は、『それだけ』でも女性でありながらかなりの力がある。

 夫は早く亡くしているが、『その後に』女手一つで、味噌のかかわる大豆、塩、こうじ等の取引から、酒や食料品、帝国の進出から港湾に来る貿易船の補給事業などを始め、貿易にも手を広げ、いくつもの会社を立ち上げて、きちんと堅実に業績を上げさせていた。

 81歳の今でも、朝五時には起きて、店は自分で取り仕切っているのだから、怪物じみている。

 飢饉が起これば、私財をなげうって救済に走ったことも1度や2度では無く、陛下から表彰までされていた。

 帝国重工がバックに立って始めた奨学金制度にも、各地の財界人たちがそれを母体とした地区システムを作り出していたが、その中の『東北会』の大株主の一人でもある。友樹もその奨学金制度で勉強し、帝国重工に入社できた一人だ(おまさの親族とはいえ、傍系であり、実家は貧しかったのだ)。

 おかげで、おまさにたのまれたら、命もいらないという人間は山ほどいる。

 まして選挙制度が始まり、地域から代表者を選ぶようになると、『彼女の眼鏡にかなわなかったら、当選はまず無理』と言われている。事実、例外は一度も無い。


「いやはや、とんでもないおばあさんだな。」

山浦は半分あきれた声で、首を振る。


 ただ、この年になると、若い時の知り合いはほとんど亡くなっていて、幼馴染であった清光は最後の一人だったらしく、ぶつぶつ文句を言いながらも、何くれなく世話を焼いていたそうである。清光の鍛冶小屋も実はおまさの持ち物で、友樹はほかの親族と交代で、屋根の雪下ろしを手伝っていた。



 翌日、山浦はおまさの店を訪ねた。

店の左側に巨大な味噌樽を2段にずらりと並べ、端まで100歩ぐらいはありそうな大きな店で、ちょっと驚く。

店先では、手ぬぐいをかぶった小柄なご婦人が、せっせと雑巾をかけていた。

藍染の和服に、良く洗濯された割烹着がまぶしい。

凜とした姿勢ときびきびした動きが心地よく、大きな店を一生懸命磨いている小柄な姿が、ある種気の毒なほどかいがいしく見えて、手拭いの下の面影がとても美しく見えた。30過ぎぐらいだろうか?。


「谷口まささんの店はここかね?」


 女性に声をかけて1秒後、山浦は腰を抜かしそうになった。


「ん?、ワシに用かい?」


 くるっと(この動きからして、早い)、こちらを向いたのは、しわの中に目と口が埋もれているような顔だった。

思わず、夜中に『こんな顔かい?』と向けられる怪談を思い出してしまう。もちろん今は真昼間。ひさしぶりに雪もやんで、お日様が差している。


 良く見れば、色こそ白いが、確かにしわだらけ、髪は真っ白、

ただ、動きがきびきびしている点だけが前と変わらず、そこに山浦も錯覚させられたらしいが、正面から見るとかえって妖怪じみてくる。

友樹が言っていたように、確かに80前には見えない。


おばあさんの人の悪そうな笑いは、こちらを向いた時の衝撃を、十分知っているらしい。


気を取り直して名を名乗る。

「刀鍛冶の山浦 清です。先日亡くなった清光から頼まれてきました。」


だが、横からどなり声がした。


「なんだあんた?。谷口商店の会長は忙しいんだ。勝手に面会なんぞできんぞ。」


頭がかなり薄くなった、目の細い酷薄そうな太った男が、青筋を立てて走ってきた。

「刀鍛冶なんぞに用は無いずら、さっさと帰れ帰れ!。」

すごいけんまくだが、おまさは気にもせず山浦をじっと見た。

「やかましい仁(ひとし)。」

大きくはないが、凄みのある声で、仁と呼ばれた男はびくっと口が止まる。

「会長なんぞとよぶでねえ、みっともねえ。」

「おふくろ、あんな道楽もんとか、ショーガクキンとか変なのとかかわるでねえよ。」

「ワシが会う人ぁ、ワシが決める。お前がいらんこと口だすでねえ。」

ぎろっと睨まれると、その迫力ははたから見ている山浦すらぞっとする。

この男は息子らしいが、とても面と向かって反論などできるような気量は無さそうだ。

だが、その分他人に矛先を向けるのは得意らしい。

「何見てんだよ、さっさと帰れ!、どいつもこいつもおふくろに頼りやがって!。」

おまさは雑巾をしまいながら、辛辣に一言。

「東町の川あとの土地なんぞ掴んで、3000円丸損したのを尻拭いしてもらったのは誰なんだい?。」

 男は急に舌でも噛んだかのように黙ると、そそくさと逃げ出した。
昔川があった場所というのはたいてい地盤が軟弱で、水気が多いため、木や紙や土の日本家屋や蔵を作るのには向いていない。この時代の人間なら常識だし、そういう土地柄を聞いて利用法を決める。鉄を扱う鍛冶職は、当然水気を嫌うので、土地柄はかなり用心する。山浦ですら、知っていることだが、この男はそれを怠って丸損したらしい。3000円となると、21世紀で言う3000万ほどにもなる。


「すまないねえ、ちっと一休みするかいね。」


コタツのある部屋へ招かれる。

「さっきのはワシの5番目の子でな、他に会社は任せてあるんじゃが、なんかと言っちゃあここに入ってきたがる。」

「はあ。」

山浦のようなタイプには、一番分からない言葉だろう。自分の仕事に人生全てを注ぎ込み、刀のためなら何でも放り出して、こんな場所まで来てしまう男である。親に尻拭いしてもらうぐらいなら、飢えて死んだ方がましだ。逆にそういう飢え死にしかねない人を、ほっておけないおまさのような女性を『侠女』(仁侠の志を持つ女性)というのだろう。

「おめえさんや清光には、一番わかんねことよな。」

カッカッカと笑う声は、障子が震えかねないぐらいでかい。

山浦は清光の亡くなった時の様子を話し、頼まれていた刀をそっと差し出した。

ふぅと息を吐くと、小柄な姿が、一回り縮んだように見えた。

店の番頭が、おやつの小ぶりなおにぎりに梅干しと味噌をそえ、番茶を持ってくる。ちょうど休み時間であるらしい。

「ワシもながいこた、ねえからの。あっちでたっぷり愚痴言うてやるずら。」

小ぶりなおにぎりを二つに割って、パクパク食べながら、あの世で愚痴を言ってやるのが楽しみだと、皺だらけの顔がニタニタ笑う。

地獄の閻魔大王でもこの笑いを見たら、引いてしまいそうだ。

あの世で清光は、さぞ油をしぼられるだろうなと、同情したくなった。

おまさは刀をさやから半分出すと、シワだらけの顔の中から片目をグリッとひんむき、じっと刀身を見つめる。

「あれも、少しはましなもんを残したようだの。ワシんとこにある152本の刀の中でも、ちょっとねえしろもんだ。」

「152?」

思わず聞き返してしまう山浦に、おまさはニタリと笑う。白い歯がずらっと並ぶのが異様だ。

長年の味噌のツケだったり、借金のカタだったり、そして飢饉の救済を行ったときにせめて持って行ってくれとあちこちで押しつけられたりと、蔵の肥やしになっているのだそうである。

パチリとおさめる動きも、堂に入っている。


「あんたの、おかげだろ、あんがとうよ。」

静かに三つ指ついて、丁寧に礼をする姿は、礼儀や作法が凝縮したような美しさで、品格があった。一流料亭の美人女将がそこにいるような錯覚すら覚える。

山浦の方が、その姿に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、力いっぱいぶざまに土下座してしまうほどだ。


「ところで、味噌のこと聞きにきたんだろ?。」

 小刀の技法は、それまでの清光のものではない。だが焼き入れはおまさも知っている清光の越後鍛冶のもの。だとすれば、山浦と共同で刀を打ったに決まっている。おまさは味噌の配合を包み隠さず教えた。

山浦は、それをていねいに書き写した。

「そいにしても・・・、刀鍛冶で食っていけるのかね?。」

 清光はおまさの幼馴染の最後の一人、それもあって何くれとなく世話を焼いてやった。とはいえ、明治維新以後、刀鍛冶は食っていけるような仕事では無い。おまさが色々面倒を見てやらなかったら、とっくに飢え死にしていたはずである。仁というさっきの息子が、『母親の道楽』と見て腹を立てたのは、そういういきさつもある。

「俺の刀を必要としている人が、俺を生かしてくれてます。」

「そうかい、そうかい。」

山浦の自信に満ちた一言で、何かを察したおまさは、シワを深くして嬉しげに笑った。

腹が満ちたのか、すたすたと背丈よりも高い脚立を持ってくると、猫のようにひょいと上がって、神棚に清光の刀を置いた。って・・・81だぞおい。

『本気でこのばあさん、人間かよ?』

猫又とか言う妖怪は、人の姿に化けることがあるらしいが、まさか尻尾がはえてねえだろうなと、あきれてしまう。

脚立からおりて、たたもうとしたおまさに、『出雲』と『スサノオ』という清光の最後の言葉のことを聞いてみた。

おまさの顔つきこそ変わらないが、ぴたりと動作を止めたところを見ると、心当たりがあるらしい。


その時、表が騒がしくなった。


「帰れ帰れ!、会長は今日は誰とも会わんと何度もいうとるずら。」

「昨日ひいばあちゃんから、おいでと言われています。」

「俺は聞いてない、だから帰れ!」


表でまた誰かが押し問答をしているようである。

すたすたと、表に出ていくおまさ。


「店先でやかましいわ!。太一、今日はカリウリアン号の臨検に立ちあう予定じゃったろうが!。介三郎、トラックの配送おわったのかい!11時までだったろ!!。」


いかつい顔つきの日に焼けた男をしかり飛ばし、ひょろ長い顔つきの中年男をにらみつけ、二人はあわてて逃げ出した。


「すまんかったのう、友樹。」


昨日の若者がニコニコしながら立っていた。


「おひさしぶりです、おまさばあちゃん。」

「ワシとしては、お前のような若い衆に、もっと来てほしいんじゃがな、あいつらときたら・・・。」

「おお友樹君、昨日はすまなかったなあ。」


 太一は長男の息子、つまり孫で、介三郎は三女の入り婿である。

先ほどの仁もそうだが、おまさに近づく人間に神経をとがらせていて、親族という特権を振りかざし、何事も『自分』を通して決めるように、どうにかして持っていこうとしているのである。そんなわけで、お互いも激しくにらみあっている。


全員、おまさの店である谷口商店を、どうにかして受け継ぎたいらしい。


 谷口商店の系列にある企業は、すでに20数社あり、その頂点に谷口まさがいる。

谷口商店を受け継げば、おまさの後継者と目され、その系列下にある全ての企業を握れるつもりらしい。

だが、凄腕の企業家である一面、おまさは豪放磊落な性格で、その財産を飢饉の時には平然と人助けに使い、あるいは若者を育てる奨学資金の大株主になったりと、財産に執着せず、使う時の剛毅さも半端ではない。

その上、削いだ竹のようなスッパリした性格の男を好み、見どころがあると見れば、平然と養ってやったりする。

谷口商店でも、気に入った相手にあっさり譲りかねない。

一部の、財産に執着する親族たちから見れば、自分のものになるはずの財産をばらまかれたり、見知らぬ若造たちの奨学金とやらに使われたり、変な男が入ってきたりと、胃が痛くなるほどハラハラさせられる。

そういう連中が、おまさの周りにしがみついて離れようとしないのだから、まあ、困ったものだ。


「あほか」


連中の事を聞いた山浦は、本気であほらしそうにつぶやいた。

「なんでかね?。」

おまさがニヤニヤしながら、尋ねる。すでに知っている答えを聞く教師のように。

「大慶直胤(たいけいなおたね)っつー刀鍛冶がいます。見た目の美しさでは、これほど姿のいい刀はありません。だから、美しい刀を眺めたいのなら、それが良いでしょう。ですがね、毎日毎日、すり減るばかりに刃物を使う人がいます。日本刀の強さと切れ味を心底欲しがっています。そのために俺はここへ来ました。」

えらく抽象的な言い方だが、要は何が必要かなのだ。

はるな嬢だったら、大慶直胤の刀など、見もしないだろう。口はばったいが、山浦の刀だからこそ、大金を支払ってくれた。

そしておまささんが何をしているかを見たら、何を求められているかぐらい、分かりそうなものじゃないか。


「ケッケッケッ、ええねえ、ええねえ。お前さんも新潟に住まないかえ?。」


この妖怪ばあさん、山浦の事が気に入ったようである。




「友樹もすっかりええ男になったのう。」

目をかけているひ孫も来てくれて、おまさはご満悦らしい。

「昨日は、山浦さんの仕事場に、配達にいったんだよ。」

「おめえが配達?。」

友樹は若いながら、新潟支社の若手まとめ役で、普通は配達になど行かない。

おまさの情報網からすれば、これは少し異常な事態である。

「山浦さんは、帝国重工の偉い人・・・まあ、ばあちゃんならいいか。防衛軍の大尉さんから頼まれて仕事しているんだよ。そちらから、新潟で顔の広い人を頼むといわれて、行ってみたんだ。」

さすがに友樹も、おまさ相手ではひ孫と曾祖母の会話というわけにはいかない。

仕事場の様子や、感じたことを細かく聞き出し、おまさは友樹に尋ねた。


「もし、自分が一生の恥だと思うことがあってよ、死ぬ間際にそのことを伝えた男がいたとする。おまえならどうするね?。」

友樹はちょっと眉を寄せた。

「それをしてやらなきゃならねえよ。恥をさらしていうなら、相手を男と見込んでるんだから。」

礼儀正しそうな、おとなしく見えた若者が、その時だけはギラリと目を光らせた。凶暴な野性が見える目だ。


「くっくっくっ、こいつはのう、今でこそしゃっきりしてるんじゃが、以前は新潟一の悪童だったわ。そらあもう、悪さも悪し、暴れて暴れて手が付けられねえぐらいだった。」

そのくせ楽しそうな口調は、そのころからひ孫を気に入っていたのだろう。

どちらかと言えば、少年っぽいテレ方で、友樹は頭を掻いていたりする。

だが、ケンカで負けたことが無く、一時は千人を超える手下を率いて、暴れまわっていたというのが、どうにも今の姿とは重ならない。

「こいつをぶん殴ってのしたのが、清光の友達で、帝国に招かれて来た大東亜流柔術の達人じゃった東亜廣介よ。」

当時最強と噂されていた柔術の達人で、友樹をぶん殴っただけではなく、その場で手下の学生たちも100人以上のしたそうである。

小柄で羽織はかまの東亜が、鼻歌を歌いながら、ゴミでも放り投げるようにブン投げ、殴り倒していく光景は、今でも語り草になっている。

天地がひっくり返ったような衝撃を受けた友樹は、丸三日東亜の道場の外に座り込んで入門を許された。


「ま、おめえがそう言うなら、せにゃなるまいのう。」


おまさは、脚立に上がると、もう一度神棚に手を伸ばした。

神棚の後ろをごそごそと探り、細長い物を出してきた。

それは、柄もついていない短刀の刀身だった。比較的細身で反りがある。

だが、山浦は眉をひそめた。まだ未完成、打ちかけのしろものだったからだ。


「清光ん片目をつぶしたのが、これじゃ。あれは、ばちが当たったというとった・・・」


中国地方の山地は、古来から『たたら』という製鉄が行われていた。

日本刀に使うような高品質の鉄は、そうそうどこでもは作れない。

ある時、出雲(今の島根県)へ鋼を仕入れに行った清光は、妙にこそこそと帰ってくると、鍛冶小屋にこもった。

だが、鍛冶の最中に恐ろしく大きな火花が散り、偶然片目を直撃したのである。


その時のことを、看病してくれたおまさにだけ告げていたのだった。


出雲には、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が降りたち、ヤマタノオロチを退治した伝説がある。

当然、素戔嗚尊を奉った神社も多いが、大きなものばかりではない。小さな、誰も知らないような祠(ほこら)も多い。

そして、たまたま清光が目を止めたのは、丸石をいくつも奉った小さな祠だった。

こういう丸石を奉った祠は、日本各地に無数にある。

清光でなければ、それに目を止めることは無かっただろう。

その赤みを帯びた丸石は、まぎれもなく鉄鉱石だった。

長年鉄を見続けてきた清光は、その石が妙に気になった。気になるだけではなく、ついにそれを持ち出し、極めて鉄の純度の高い石であったために、それを混ぜた鋼を造らせた。

だが、奉られていた石を持ち出した後ろめたさと恐れは、現代人に想像もつかないほど重い。

片目を失ってからは、打ちかけたそれを二度と触れようとしなかった。

しかたがないので、おまさが預かっていたそうである。



山浦は、しげしげと刀身を見続けた。

確かに、妙な鋼だった。これまで見てきた、どんな鋼とも違っている。

色合いは似たようなものがいくらでもある。だが、長年鉄を見続けてきた者にしか分からない違い、妙な艶と暗さ、妖しい何かを秘めていた。

この何かが、清光に強い禁忌すら破らせて、祠の石に手を出させたのだろう。

刀鍛冶の本能が、ふつふつと興味を沸かせていた。

だが同時に、死ぬ直前に後悔を残し、満足して死ねなかった清光の懺悔もまた分かる。

あの死に際の言葉は、刀鍛冶としての欲求と後悔の混ざり合ったものだったのだろう。


さいわいなことに、おまさはその祠のある場所を聞いていて、しかも川のそばだという。

ならば丸石は、川の上流から来たものだろう。


「これは、私がお返ししてきましょう。」

「ん、それがええ、あれ(清光)がしまいまで気に病んでたことじゃろうとおもうでな。」


おまさはゆっくりとうなずいた。




約二十数億年前、先カンブリア時代と言われる原始の海の中に、シアノバクテリアやストロマトライトと呼ばれる光合成生物が大量に発生した。

彼らは二酸化炭素を吸い、酸素を吐きだした。

次第に海水中の酸素濃度が高まってくると、それが水中の鉄イオンと結びつき、酸化鉄に変えた。これが沈殿・堆積して、鉄鉱石の鉱床を形成したと言われている。

しかし、先カンブリア時代末期(6〜8億年前)に、ストロマトライトは急激に減少する。その頃に、彼らを餌にする生物が出現したためと考えられている。




四日後、

出雲の朽ちかけた祠に、奉書紙で包んだ刀身を置くと、山浦は静かに手を合わせた。

この辺も雪は多いが、新潟ほどではない。

祠の近くの川辺に、祠の丸石と似たような石を見つけると、ゆっくりさかのぼり始めた。

この川の上流のどこかに、鉄鉱石の鉱床があるはずである。



川は小さく、山もかなり低い。

人気のない川べりを上がっていくと、同じタイプの石がずっと見かけられる。

『こりゃあ、源流近くかもしれんな。』

だが、人気が無いはずの後ろから、何人もの気配がついてきた。

『六人・・・いや八人か。』

気にしないつもりだったが、相手の方が足を速めてきた。

「おっさんよう、ちょっとまてや。」

「どこいくんだ、どこへ。」

どう見てもならず者、片目の潰れている者や、指が足りないのもいる。

「何か用か?。」

足を止めた山浦へ、へらへら笑っている真ん中の男が、

「おう、用も用よ。どこ行くのか、何でこんなとこうろついてるのか、教えてもらおうじゃねえか。」

「何でお前らに教えにゃならん?。」

山浦の態度を、びびっているとおもったのが、全員ゲラゲラと笑いだす。

「口がちっちぇえのか?。ちくと横に裂いてやれば、ピーチク話し出すんじゃねえか?。」

「そっちの樹は、吊るすのによさそうだぜぇ。」

八対一なら、普通勝負にもならない。逃げられないよう、取り巻こうとして、ドスッと鈍い音がした。

「う・・・げ・・・」

後ろに気配を感じた時、杖代わりに拾っていた80センチほどの樹の枝の先が、ならずもののみぞおちにめり込んでいた。 反対側の男が飛び掛かったが、握っていた柄の部分をそのまま突き出し、下あごを見事なカウンターで突き上げる。

一斉に掴みかかろうとした3人は、振り回した杖の先が目のあたりを叩き、視力を失ってぶつかり合いダンゴになった。

残った3人がふところから短刀を取り出したが、杖の先が土にめり込むと、跳ね上げられて泥が大量に飛んだ。

もちろん、ならず者たちは目つぶしでのたうちまわり、直後に脳天を打たれてひっくり返る。


刀鍛冶は、刀の使い方にも通じていなければならない。

山浦は剣はそこそこ2段程度だが、杖術には天秤があり、免許を許されるぐらいの実力がある。

そして、襲われて許せるほど寛大な人格はしていない。


「ま、運が良ければ、クマが見つける前に誰かに見つけてもらえるだろ。」


頑丈なつたで、ぎりぎりに縛り上げられて、か細い悲鳴を上げる連中を見もせずに、すたすたと歩きだした。

連中を絞り上げて聞き出したのは、実につまらない話だった。

おまさの親族たち、仁や太一らが、山浦がおまさから何かを預かって出た事を知り、不安のあまり手を組んだのだった。

どうしようもない小物たちだが、小物ゆえにどんな残酷なことでもやりかねないのが、危険だと言える。

だが、最近すっかりおとなしくなったので、忘れているのだろうが、あの友樹がいる。

あれを怒らせたら、あんな小物たちはすぐ潰されるだけだ。




たいした苦労も無く、川の源流近くに上ってきた。

途中に鉱床があったならば、そこから上の河原の石の質も変わっていたはずだ。

「オマエ、ナニヲシテル?」

たくましい体つきに、獣の毛皮をまとった男が二人、森の中から出てきた。山人たちだ。




8億年前、天敵の出現に絶滅に瀕したストロマトライトも多くの種族を生み出し、必死に戦ったことだろう。

中には、己を守るために海底に出現した新素材、酸化鉄を細胞壁に応用した種族も出現した。

酸化鉄とタンパクの複合装甲をまとい、再び勢力を盛り返したストロマトライトだったが、この世に絶対はない。

その頑丈な複合装甲を破って、ストロマトライトを食い荒らすウィルスに近い生物が出現する。

鉄以上に固く丈夫な管を作り出し、木造船の底を食い破る船虫のように、管でストロマトライトの装甲を破って、内側にもぐりこみ貪り食った。

しかも材料はどこにでもある炭素原子、それを組み上げてダイヤモンド並みの硬度を持つ管、カーボンナノチューブを作ったのだった。

内側から食い荒らされたストロマトライトの外壁を、無数のカーボンナノチューブが突き破り、周りのストロマトライトにおびただしい子供のウィルスが襲い掛かった。


固い装甲は同時に重く、インド程度の狭い範囲に大繁殖していたその種族は、わずか1億年ほどの間に全滅した。 同時に、ストロマトライトを襲っていた生物も、その餌を失い変異消失していった。


彼らの屍は、純度の高い良質の鉄鉱石となり、またおびただしいカーボンナノチューブを含み、億年単位の地殻変動の中、世界の各地に分かれていった。

その一つがインドの山奥であり、その一部は日本列島の中にも残った。

ダマスカス鋼の元となった、インドのウーツ鋼は、製造法が完全に途絶えているが、それを作れる鉄鉱石が尽きたためではないかという説がある。




山浦は、山人たちに案内を頼み、良質の鉄鉱石の鉱床を見つけた。

おまさの後押しと、帝国重工の金属研究所の協力、それに山人たちの盟約もあり、ささやかな採掘がはじまった。

その鉄鉱石は、おびただしいカーボンナノチューブを含んでいた。




そして、一つの刀が完成する。

刀鍛冶の魂に、21世紀の技術と、越後鍛冶の秘伝と、誰も知らぬ種族の生存をかけた戦いの名残が合わさって。




世界に何か影響があるわけではない。

鉱床は小さく、山浦が作る刀は年に数えるほど。

ただ、そこに込められた魂は、今なお熱くたぎって、戦い続けている。
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