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ダインコートのルージュ・その31


『歴史の枝道』『名刀・2』



(この物語は、帝国戦記とも、ダインコートの本編とも、全く関係の無い歴史の片隅のささやかな一幕です。MORIGUMA)



冷え冷えとした空気は、すでにマイナスに近い。

雪深い新潟の冬が、周りを白く埋めている。いずれ2メートル近い雪の中にすっぽりと埋まるのだ。


カンッ!、カンッ!、カンッ!、


だが、その小屋の中は灼熱と火花の狂乱が舞い踊る。


特殊な土を使った『るつぼ』の中で、

極めて厳密な成分配合をされた鉄と素材が燃え上がり、

溶けた鉄が形を整えられ、

今叩きのばされていく。

何度も、何度も、叩きのばされ、折り返され、熱せられ、また叩きのばされ、

飛び散る火花の色、大きさ、形、

鉄の色、冷え方、固さ、音、

山浦と老鍛冶清光は、一瞬たりとも目をそらさず、変化のすべてを目に焼き付けていく。

この寒空に何度も水垢離をしたが、白装束は今や汗にまみれ、さらに体の奥から吹き上がる熱で、手足が突き動かされる。




山浦は、清光の秘伝を教えてくれと頼みこんだ。

だが、清光は一言『いやだ』とにべも無く断る。

教えるぐらいなら、抱えたまま棺桶に入るとまでわめいた。



「打たせろ、こいつを。俺の息が続いたなら、秘伝で焼き入れをしてやるぜ。」



山浦は一言も無かった。老鍛冶の心情はよくわかる。

『どうせ死ぬなら、刀鍛冶として死にたい』のは、彼も同じだ。




極寒の中、水垢離まで恐れ気も無く浴び、灼熱の火事場で鎚を打つ。


すでに鍛冶を始めて6日目。


始める前にちらつきだした雪は、鍛冶小屋の周りに厚く積もっている。

これほど過酷な環境で、老人の生命が持つわけが無い。


「げほっ、げほっ」

咳とともに、唇から赤い滴が垂れる。

昨日から、血が止まらない。


だが、その鎚は止まることを忘れたかのように、激しい火花を散らし続ける。 すでに死相すら帯び始めた清光の、眼光だけはらんらんと光っていた。


山浦も、取りつかれたように鎚を打ち、熱を上げる。



山浦の祖父も、鍛冶場で死んだ。
父親も卒中で倒れた後、『刀を打ちたい』とうわごとを繰り返し、ある夜寝床からはいずり出て、鍛冶場で息絶えていた。



鍛冶は途中で止められない。
今止めれば即座に刀は死ぬ。
そして老齢の清光に、この後はありえない。



人は死ぬ。

見果てぬ夢を追い求め、夢をかなえること無く死んでいく。

だが、それでも一歩でも近づこうと追い求め、道半ばにして死んでいく。

後に続く者は、その死骸を踏んでもう一歩登るのだ。

どれほどの死骸が、はてしない道に積み重なっているのだろう。

そして、自分もいつかその一つとなるのだろう。


激しい咳と血しぶきが飛ぶ。だが、槌を打つ手はますます勢いを増す。



自分が清光であれば、止めるぐらいなら死を選ぶ。



数十度繰り返す強熱の儀式、叩きのばし、鍛え上げ、小刀の形をようやく作り上げると、あとは刃の部分に土を塗り、熱した後急冷する『焼き入れ』を行う。

強度や硬度を変化させる技法で、単純そうだが、その温度や条件、タイミングは秘伝中の秘伝であり、水の温度をこっそり触った弟子が、その場で腕を切り落とされたという話すらある。


清光が塗っているのは、味噌と赤土、そして秘伝の調合薬を混ぜたものだった。

21世紀の現代でも、ヤスリの焼き入れには味噌を使っているが、日本刀に使うのはめずらしい。


赤熱した鉄を水に入れれば、水蒸気の気泡や爆発で、均等に急冷できなくなる。

それを防ぐための土なのだが、清光の秘伝はさらに特別な意味があった。



「ふいごを踏め、3度踏め、ゆっくり踏め!。」

良く乾かした後、高熱を発する松炭で強く熱し、山浦が3度目の踏み込みを終えた瞬間、一気に水に入れる。


シュウウウウウウウウウウウウウッ


香ばしい香りが、鍛冶場に立ち込めている。

「越後鍛冶秘伝、み焼き。」

ぼそりと、清光はつぶやく。

このために特別に調合した味噌での焼き入れ、その内容を誰にも悟らせぬよう、名前すら簡略してつけられた秘伝だった。


味噌と配合薬で発生した高熱の炭酸ガスが封じ込められ、年輪状の層の境目に急速に浸透する。
高炭素の層が、わずかに色を変え、黒い層を生成していく。 急冷とともにそれはしっかりと封じ込められた。


正史の日本海海戦で、旗艦であった戦艦三笠には、クルップ鋼というその当時最新鋭の装甲版が使われていた。
わずかにニッケルやクロムを含む鉄に、炭酸ガスを吹きつけて焼き入れをし、表面に高炭素の強靭な層を造る(浸炭焼き入れという)のである。
同じ厚さで強度は5割増しになるという。


山浦が持ち込んだ数種類の鋼の中で、清光が選んだのはまさにそういう鉄だった。


会心の手ごたえに、にやりと清光が笑うと、白目を剥いてその場に倒れた。









「ん・・・・」


ゆっくりと瞼が開く。

汚い天井が目に移り、清光は起き上がろうとして、全く力の入らない事に気がつく。


ミシッ

かすかに家がきしんだ。雪がかなり積もってきたらしい。



「じいさん、めがさめたかい。」

「か、刀は・・・・」

声が自分の物ではないかのように、出てこない。


「いま研ぎあがったところだ。」


目の前に、闇と光の結晶が光った。

刀身全体を年輪のような紋が覆い、焼き入れを入れた刃の部分には、白と黒の層があらわれている。

あの『み焼き』が、紋に黒い層を浮かび上がらせていた。

固さとしなやかさ、それが刃に多層構造を現わし、妖しい妖気を放っていた。


通常の鍛え方であれば、焼き入れで硬化させた後、適度な焼きなまし(熱した後ゆっくり冷やす)を行い、ガラスのような硬さを下げて、粘り強さを与えねばならない。

だが、この刀は層ごとに極端な両方の性質を持ち合わせている。

いわば刃に硬さの違う層が現れ、ミクロのサイズでみればのこぎりのように歯が立っている。

それが刀鍛冶の目には、妖気として映るのだ。

この刀なら人間など豆腐のように切れる、そして恐ろしく粘り強い。



震える手で、その刀を掴んだ。

最後の最後に、これほどの刀を打てた喜びが、眼尻からポロポロと零れ落ちていく。



「これを・・・謙信味噌のおまさに・・・渡して・・・くれ・・・・」



うなずく山浦に、にたあっと清光が笑う。


「味噌のこたあ・・・おまさに聞かなきゃ、わからねえ・・・、言うつもり・・・無かったんだが・・・な」


最後まで人を食ったじいさんである。それこそが、秘伝の最後の要点だったのだ。

だが、急にかっと目を開いた。



「い、出雲、出雲だ、いず、もへ、いけ・・・、すさ・・の・・・お・・・・」



その謎の言葉を残し、老鍛冶は力尽きた。




『出雲とスサノオ?・・・たしか古代の日本神話にそういう話がありましたね。』


電話の向こうで、はるなが首をひねる声がする。

清光の最後の言葉が、あまりに謎めいていて、元々頭の周りがさほど良い方ではない山浦にはどうしようもなかったのだ。


『イリナ・ダインコートさんがそういう話に詳しいので、聞いてみましょう。』


電話がさらに帝国重工の内線を呼び出す。



明るい、はきはきした声が電話に出た。声だけでも美人だと思えそうである。


ダマスカス刀と作刀の様子と、清光の言葉を聞いたイリナは即答した。


『出雲とスサノオの組み合わせなら、日本最古の書物と言われる古事記の話ですね。

 天を追われたスサノオが降り立ったのが出雲で、そこでヤマタノオロチを退治する話になります。

 そのときオロチの尾から出てきたのが、後の朝廷に伝わる三種の神器の一つ、天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ・別名クサナギノツルギ)です。』


最後の言葉に、山浦とはるながあっと息をのんだ。ここでも刀につながりがあった。


『先ほどのお話の中で、二つ気にかかる点があります。』


イリナは、帝国重工広報部に所属する準高度AIの女性である。

帝国重工には、彼女ら準高度AIの上位として高度AIの『高野さおり』嬢がいる。

情報処理能力や、多次元的分析能力などの基本的能力では、圧倒的にさおり嬢の方が上なのだが、準高度AIの女性たちは実に個性が豊かで思わぬ力を発揮する。

例えば高野はるなは小柄な外見に似合わず、格闘戦に優れた能力をもつ戦闘特化型の擬体なのだが、なぜかお菓子作りに没頭してしまい、今や広くファンを持つだけではなく、宮廷晩餐会や外交交渉などの場面には無くてはならぬ存在となっている。

そしてイリナ嬢は、広報部という多種多様な情報を取り扱う部署で、その能力をいかんなく発揮するだけではなく、情報と情報をとんでもない角度から結びつけ、現実に応用してしまう直観力に近い能力を身につけていた。


『まず山浦さんと清光さんの会話の流れからですが、おまささんという人は、味噌の製造法を知っているだけではなく、出雲とスサノオ、つまり天叢雲剣とかかわりのある何かも、知っているのかもしれません。』


山浦の奥歯が、ミシリときしんだ。


『そしてもう一つ、』


イリナが慎重に言葉を選ぶ。

『山浦さん、刀というのはどれぐらいの期間保てるのでしょうか?。』

『ほおっておけば、10年で赤さびだらけになるな。良い刀なら、毎日手入れを欠かさなければ、1000年でももつ。ただし、使えばあっという間だ。』

刀鍛冶として、山浦は即答した。

湿気の多い日本では、鍛えに鍛えた鋼でも、すぐに錆びてしまう。

下手な刀だと、錆び以前に時間経過で歪みや亀裂を起こす場合すらあり得る。

実際、飾り物の模造刀などは、素振りをしただけで折れることもめずらしくない。

もちろん、『良い刀』つまり優れた鍛えを行って生まれた刀ならば、その金属の組成構造が極めて頑丈であるため、長い時間の中でも歪みや亀裂を起こさない。


ただし、刀は使うためにこそある。そして実戦で使われれば、あっという間に消耗する。


『天叢雲剣は、記録にあるだけでも2000年、伝承に基づく歴史を経ているとしたら3000年から5000年前の剣です。』


青銅などの儀式用の剣であるならば、それだけ長期間あっても不思議ではない。

青銅は、金属としても比較的長く持つ性質を持っている。

だが、天叢雲剣は別名草薙(クサナギ)の剣。日本武尊(ヤマトタケル)との伝承も有名である。

日本武尊(ヤマトタケル)が、日本各地を平定して回るときに持っていたと言われる剣が、そんな儀式用の物であるわけがない。


そして、古事記や日本書紀の物語は、鉄器を豊富に持つ民族(大和朝廷)が、青銅器主体の民族(地方豪族)を平定していく物語だという者もいる。

その主役級の日本武尊が、最強の武器である鉄の剣で各地を平定していくのは当然だ。。

だが、それほど古代の実戦で使われた鉄の刀が、錆びず、折れず、曲がらず、存在しえるのだろうか・・・?。


『たしかダマスカス刀の元は、ウーツ鋼と呼ばれるインドの鉄でしたね。

 インドには『デリーの鉄柱』と呼ばれる、野外にあって1500年以上錆びない鉄柱があります。

 この鉄柱も、材料はウーツ鋼ではないかと言われています。』


『えっ・・・・?!』


あまり頭のまわりが良いとは言えない山浦でも、天叢雲剣とダマスカス刀が、次第に近づいて見えていた。
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