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ダインコートのルージュ・その31


『代理戦争 茶会その2』



 さて、お茶会の続きである。

 伊万里のカップがいかにすばらしかろうと、しょせんイリナの入れる、芳醇で香気の立つ紅茶の引き立て役である。

 鼻に抜けるすばらしい香りと、唇を潤す味わいは陶然となるしろもので、世界的な優れたティーカップも3秒で忘れ去られる。

 またイリナもイリナで、白いホワイトブリム(フリルのついたかぶりもの)に、藍色のエプロンドレスは清楚で飾り気のないシックでシンプルなヴィクトリアンメイド服でおもてなし。長いきれいなおみ足は、見えない場所なのにレースのロングソックスにガーター止めなのだから、ある種の趣味人たちは鼻血を出しそうな、清楚萌えの服である。

 このかっこうで、プラチナの髪に青い瞳で見とれるような彼女にお茶を入れてもらえるなら、喜んで万札を出すようなお人が山ほどいそうだ。

 また、デザイン的にも、イリナは『動』の動きで見せるスタイルであり、イリアは『静』すなわち演奏で聞かせ、なおかつ栄えるスタイルと言える。



「・・・・・・・・」


 神妙な顔をして、芳醇なバターの香りが立ちのぼる菓子を味わう真吉備。

 ロシア皇帝のそばに2か月もいたことがあるこの男、グルメでも日本では指折りで、宮廷晩餐会の調理人が参考意見を聞きに来るほどだが、ここではぐうの音も出ない。

 テーブルにあるのは、これも世界的銘品と誰もが言ってはばからない、パティシエはるなのお菓子。

 今日はさっくりとしたフィナンシェ。

 こんがりきつね色は、プレーンなマドレーヌに似ているが、絶妙な焼き加減で、喉を鳴らしたくなる焦がしバターの香り。千葉の牧場から、注文に応じて朝絞られた乳から作られて即持ってくる新鮮最上級品のバターは、味も香りもたまらない。さっくりとした歯ごたえの後、濃厚な甘味とバターの味わい、ふんだんに使ったアーモンド末が、それをうまく散らしていくらでも食べられそうな軽さに仕上げてある。

 そのシンフォニーはすばらしいバランスと切れ味で、男女を問わずファンが多く、特にこわもての軍人オッサンたちの『隠れ甘党』派には絶大な人気がある。


 こわもてだろうと、軍人だろうと、オッサンだろうと、甘いものが大好きな奴に国境はないが、さすがにカラフルで可愛らしい、イチゴやらトッピングチョコやら、クリームワフワフの女の子向けのお菓子は食べたくてもプライドが許さない。万が一、ひげがクリームまみれになった光景を部下に見られたりしたら、その場で恥辱のあまり腹ぐらい切りかねない、ナンギな人たちなのである。

 特に陸海問わず士官クラスは、案外甘党が多く(頭を使うせいかもしれないが)、女性たちがパクパク食べているのをうらやましげに見てしまうことがけっこうある。

 そんな立派な軍人ひげを生やした将官たちでも、シンプルな外見で口元も汚さないフィナンシェは、プライドがギリギリ許せるスタイルであったのだ。

 おかげで今や売り切れ必死。純朴なお使い少年下士官が恥ずかしそうに頬を染め、大きな袋を下げて出ていく光景は、榛名の一つの名物かもしれない。

 と言うわけで、イリナとて榛名に前もって予約をこっそり入れておかないと、まず間違いなく買いそこなう。



「いつも榛名のお菓子には驚かされるが、この飾り気のないお菓子は、一切の装飾を跳ねのけて欧風菓子の真髄が味わえるな。だが・・・、」


 口を濁す真吉備に、イリナが『何か問題でもありまして?』と心配そうに聞いた。


「いや、各国の宮廷料理人がこれを食べたら、おそらく自殺したくなると思うのでね。ちと気の毒になった。」


 真吉備は毒舌だが、こればかりは席の一同、高野公爵にいたるまで、一瞬『ああ、やっぱり・・・』と珍しい力無い笑いを浮かべている。実を言えば、すでに被害者はかなり出ている。


 日本を訪れる王侯貴族の中には、料理人を連れている者も少なからずいる。そういう連中は当然国家での地位も高い連中が多いので、諜報部局の盗聴もかなりの確率で行われる。そのため内情も良く分かるのだが、運悪く(?)榛名のお菓子を主人か、料理人か、あるいは両方が口にした場合、料理人に満足できず首にしたり、料理人が自信を失って行方不明になったり、榛名に『修業させてくれ』と頼み込んだりとまあ、かなり悲惨な結果が出ていた。


 それに『榛名』の名パティシエこと高野はるな大尉の手際、腕前は見事に尽きるが、実はこの時代にはまだ開発されていなかったり、ハッキリとした体系化されていない技法やレシピがずいぶんあり、世界中でここだけと言う味がやたらとある。

 この時代の秘伝なんぞと言うのは、あいまいな口伝が大半で、それを現実化できるまで訓練を積むしか方法が無かった。

 『○○度でxx分』だの、『グラニュー糖○○g、バニラビーンズ何粒』だのは、台所用計量器などまだ開発すらされていないこの時代では測りようが無いし、温度も触ったり、焦げる色や油の音を見聞きする感覚で理解するしかない。まして文章化するには、料理人が文章の読み書きができるのが前提だが、この時代に貴族ではあるまいし、文章の読み書きが出来る料理人など世界中で日本以外にいるわけがなかった。

 こういう技法やレシピが、ハッキリ文章化されて世界に広がるのは、21世紀直前ぐらいまで待たねばならない。

 そういうわけで、どんな大富豪もグルメ貴族も、どこにも無いものは食べようが無いのだから、榛名と比べるのは酷と言うものだろう。


 ここだけの話、榛名のお菓子を味わった王侯貴族たちは、何とかはるな大尉をスカウトできないかと躍起になっていて、実際さらわれかけたこともあった。


 海軍と関係の深い佃島(つくだにじま)は、海産物を使った佃煮も名物で、買い物ついでに寄った高野はるなは、路地裏で6人の白人男性に囲まれた。

 142センチの彼女は、デニムのマイクロミニにハイヒールのハーフブーツと黒のストッキング、ダボダボの黒の長そでシャツを組み合わせたなかなか元気な格好だが、いかんせん可愛らしい外見にピンクのポシェットまであいまって、下手をすると中学生ぐらいに見えてしまう。

 対して囲んできた男たちは、最低でも176センチと当時の日本人から見れば巨漢ぞろい。ほとんど肉の壁にすっぽり包まれたような状態で、何をどうしても彼女とは比較しようが無い。

 加えて日本の女性は愛らしく、清潔で肌がきれい、黒髪が美しく礼儀正しいので、幼女嗜好的に『可愛い』と妙な手を伸ばす欧州人も多く、この中にもそういう傾向のがいたらしい。コートの前を広げて取り囲むという、何やら変態か犯罪者じみた行為ではるなの姿が消える。


 だが・・・・・・・いかに小柄で可愛らしい外見をしていようが、一皮むけば生粋の軍人。近接格闘では特殊作戦群の隊員から恐れられ『鬼姫様』と密かにあだ名されるリョウコとも、互角に戦えるプロフェッショナルである。実年齢もしっかり成人女性。


 ニコニコほほ笑む彼女の両そでから飛び出したのは、刃渡り20センチほどの調理用ナイフ。だが、特殊な木目模様を持つ刀身の輝きは、不気味すぎて寒気がするほどの妖しさで、ダマスカス鋼と呼ばれる21世紀でも本物は未だ再現不可能な刀身だった。

 製造法は完全に途絶えていて、木目模様は20世紀でも作れたのだが、古代の刀身の中から21世紀の最先端科学の発明であるカーボンナノチューブ構造が発見され、再現は完全に暗礁に乗り上げた。炭素原子のチューブ構造は、ダイヤモンド以上の強度や硬度、耐熱性や耐摩耗性その他あらゆる科学分野に一大変革を引き起こす可能性を秘めている。

 ところが、この時代に生き残っていた刀鍛冶の一人、山浦清という男が、はるな嬢が21世紀から持ってきた不完全なダマスカス刀(料理用)を見て、何かにとりつかれたように挑戦を繰り返し、ついにはカーボンナノチューブ構造を持つ高炭素の特殊鋼を作り上げてしまった。鉄でありながらダイヤモンド並みの硬度を持ち、研ぐには工業用ダイヤモンドが必要だが、丈夫で切れ味『非常識』。電話帳の上に落とすとすっぱり切断してしまう狂気の逸品である。


 「ウフフフ、新しいケーキのデコレーション、思いついちゃった。」


 背筋が寒くなるような可愛らしいウフフの直後、両手に輝くナイフをきらめかせ、はるな大尉は6人に『襲いかかった』。




 30分後。




 連絡を受けて駆けつけた、警備部隊の隊員たちは、路地の光景に凍りつく。


 無様に泣き叫び、助けを求める6人の白人男性たち。


 一糸まとわぬスッポンポンで、頭までツルツルに剃られた連中は、電柱やら、軒下やらに、両手両足をエビぞりに縛られて吊るされていた。あまりに怪しすぎる光景は、見た方が思わず正気を失いそうになる。

 吊るされている連中は、完全におびえ、泣き叫んでいて、警備部隊の男性隊員たちも、『は、半端じゃねえええええっ!』と恐怖に縮みあがった。

 ちなみに、そばには『6人がかりで女性を襲った卑怯者の末路』と大書されている。おかげで誰も助けようとはしない。

 群がる野次馬は圧倒的に女性が多く、どこか気の毒そうな笑いを浮かべる男性に比べ、きゃあきゃあ言いながらはしゃぎまくっている女性たちは、どこか猫がネズミをいたぶるような残酷な楽しさに満ちていて、小型写真機のフラッシュも絶え間なく、写しているのも100%女性である。自業自得とはいえ、吊るされている連中は深刻なトラウマを抱えることになった。


 余談だが、この後洋菓子店『榛名』で販売されたデコレーションケーキは、ケーキの上で踊りまくる愛らしい肌色の裸ブタの砂糖飾りが、誕生パーティ用などに大好評だったそうだ。




「日本では無いだろうが、これが清国だったら、軍属とはいえ、はるな嬢は誘拐されるかもしれんな。」


 真吉備のつぶやきに、思わず心の中で否定してしまう一同。

『しれんな、じゃなくて、すでにされかかりました!。』

 日本ではという部分が、妙にこたえる。


「あそこでは一流の技術者や能力を持つ者は、良くさらわれる。ましてや今の清国は無政府状態に近い。そうなると金持ちたちはその地方の有力者に頼らざる得ない。だが、あそこで有力者と言えば、無頼の親玉のような連中ばかりだ。」

 要するに、ならず者を大量に抱え込んで、暴力で何でも片付け、金にしようとする盗賊や山賊の親玉と考えていい。連中の血なまぐささは、日本の暴力団程度ではくらべものにならない。


「そういう連中が、金持ちやなわばりの地域に『守ってくれ』とすがりつかれ、勢力が膨れ上がる。と、どうなるかな?」


 真吉備の何気ない問いかけに、イリナは美しい眉を曇らせる。とてもではないが、ろくでもない光景しか想像できない。


「イリナ君がたぶん思っている通りだよ。」


 その眉の動きを見て、真吉備も同意する。


「欲をどこまでも膨らませ、際限の無い人、物、金の奪い合いになるだろう。

・・・・・ならず者の親玉のような連中が、どんどん殺し合い、あるいは配下におさめて吸収し、最後に残ったのが支那(シナ)大陸の支配者となる。」



 普通の人間なら、さぞうんざりする話だろうが、真吉備のまなざしは怪しい光すら帯びていた。


 高野やさゆり嬢も注意深く聞いている。


 そしてその後ろに、ひっそりとたたずむ美しい死神のごときシーナラングレー。


 ちなみにこの部屋、のんびりした雰囲気を漂わせた豪華な『ただのお茶会』のように見えるが、イリナのお手伝いをしているメガネのおっとりしたメイド姿の女性や、そばの控室に気配を消して待機しているのは、シーナの直属部隊のメンバーである。帝国の誇る特殊作戦群の指揮官でもある彼女の直属部隊は、全員戦闘特化型の擬体と能力をもつ準高度AIで構成されている。その戦力は、一個小隊で主力戦車を含めた21世紀の陸軍特殊部隊一個中隊を軽々と撃破する。

 またこの部屋、第七応接室は対核シェルター並みの防御があり、同時に対諜報用の最上級の防衛も施されていて、外部との遮断も完璧に行われている。

 長いテーブルでわずかに離してある高野とさゆり嬢の席は、非常事態に備えて短時間だが強力な電磁障壁による防衛ラインと、退避用のシュートまで席の下に準備されている念の入りようだ。最悪の場合、イリナとイリアを切り捨ててさえ、二人を退避させるためだ。

 つまりこの部屋には、この茶会のためだけに、けた外れの戦力が投入してある。


 なぜか?。


 帝国重工は、偉石真吉備を安全な人物とは毛ほども思っていない。


 この時代、この世界において、何の権力も持たない小柄なアジア人が、世界を遍歴するなど、狂気の沙汰であり、実質不可能と言っていい。

 ダルマ宰相とあだ名され、大政治家として歴史に名を遺した高橋是清は、学生時代に海外留学をするつもりで渡航したら、なぜか奴隷として売られてしまったという事実が、世界の危険性を物語っている。



 これは『危険』とか『無謀』とかの常識的な言葉では測れない、異常事態とすら言って良い。



 その常識をぶち破って決行しえた人間が『安全』でも『無害』でもあるはずが無い。

 彼の発表した『植民地異界』は、論壇に激震を与え、未だにその余波が止まる気配も無い。もし欧州で、植民地政策を真っ向から否定して、そのあり方を完膚なきまでに破壊しているこの論文を発表していたら、危険思想としてまちがいなく逮捕されている。

 また正史であったなら、日本でも真吉備は、明治政府に一級危険人物として社会から隔離された可能性が高い。

 ちなみに、帝国重工のデータバンクでも偉石真吉備は、猛毒のごとき一級テロリスト『共頭佐全』(ダインコート『闇の争い』参照)と同ランクの危険指定をされている。

 ただし、『猛毒』と『妙薬』は、使い方一つで決まる。

 社会から隔離するより、社会に広めることで凶悪な効能を薄め、貴重な薬効として大事に使う事を決めたのが高野の決断であった。


   一口紅茶を飲み、再び真吉備が口を開く。


 だが、芳醇な紅茶で潤された口から出た言葉は、黒く、毒々しく、どこまでも救いの無い闇だった。
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