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ダインコートのルージュ・その31


『代理戦争 茶会その1』



帝国重工本社、第七応接室(貴賓客用)。


 のびやかな弦の音が、優雅に流れていく。

 高野主催のお茶会に招かれた偉石真吉備は、イリアのヴァイオリンに聞き惚れる。

 小柄で丸顔、丸眼鏡だが、太い眉毛の下の眼光はただものではない。

 日本が朝鮮半島を手放すという、歴史に残る離れ業をやってのけた直後、半島へ渡り、世界を見聞し、ロシア宮廷からヨーロッパはもとより、南北アメリカ大陸、アフリカからインド、東アジアにいたるまで放浪して帰ってきたというツワモノ。日本へ帰国した後に発表した『植民地異界』は、世界の植民地政策を真っ向から否定し、政策の論拠を完膚なきまでに破壊しつくしている。この論文は論壇に激震を起こし、ついたあだ名が『論壇のナポレオン』という。傲岸不遜を絵に描いたような性格だが、子供が大好きで、イリアを実の娘のように溺愛していたりする。

「音ののびが一段と良くなったね。耳に心地よいよ。」

 真吉備に褒められ、イリアも嬉しそうに頬を染める。
ロシアの宮廷演奏家や、欧州の一流のヴァイオリン演奏者の生演奏を聴きまくった耳は、この時代では一番確かだろう。イリアとしても、ぜひ聞いてほしい聴衆の一人だ。

 今日のイリアは、黒を基調にフリルの多いドレス姿であるが、白いリボンやレースが縦横に走り、黒いエナメルの靴に白いレースのロングソックスという、ゴシックロリータの真髄とも言えそうな姿である。

 そこへ持ってきて、童話の妖精のように美しいプラチナの髪に青い目をした細身の美少女ときている。本人は気に入っているのだが、正直このかっこうで外へ出れば、かなり危うい気がするのは私だけではあるまい。


コポポポ・・・


 イリナの入れた香りの高いダージリン、柔らかい白に浮かぶ鮮やかな花柄は、無数の点を並べて描かれ、重なり合う花弁の玄妙不思議な色合いがまた美しい。伊万里の磁器のティーカップで、薄く繊細な磁器の白さに淡い紅色がみごとに栄える。


「そういえば、ガスリー大使はティーセットでえらい目にあったらしいな。」

「あら、もうお聞きになったんですの?。」

イリナが真吉備の早耳に、青い美しい目を開き、ちょっと驚いた顔をする。



 伊万里のカップも帝国重工が現れる前は、三時代も四時代も前の、野暮ったい重たげなしろものであった。


 日本製の陶器は、一時はヨーロッパに大変愛されたが、清国産が大幅に安売りを仕掛け、海外市場を失ってしまう。すっかり落ち目だったのだが、そこへ帝国重工現れる。

 写真誌なるものが登場し、強烈なカラー写真で美しい女性たちや新しい科学、文化活動に映像美、そして軍の兵器や装備などが目の玉を叩くような衝撃を与えた。しかも女性たちはサービス満点、ミニスカートだのビキニなる極小の水着だの、肌も露わなグラビアを惜しげもなくさらけ出し、世の男の度胆を抜いた。

 『んなところに真っ先に喰いつくんかいっ!』などと怒る方もあるかもしれないが、女性の美は時代を越えて強烈なものである。ましてや『解放派』の先陣を切っているのがイリナやリリシアのような超のつく美女たちときては、強烈すぎるのも無理なかろう。

 さらに、テレビジョンなる動く映像が登場し、誰もが衝撃に我を忘れて見入ってしまう。



 異文化としか言いようが無い映像世界に触れた人々は、夢中で語り合い、あるいは記録をし、あらゆる製造にかかわる者たち、すなわちクリエイターを猛烈に興奮させた。陶磁器製作者たちも例外ではない。


『目に焼き付けた画像や映像を、いかにして実体化するか。』


 その興奮が強烈な創作意欲を湧かせ、野心的なデザインの陶磁器が次々と生まれ出る。

 イリナ嬢を始めとするグラビアの美しい女性たちの、肌も露わな陶器の人形も、当然のごとく数多く出来ている。しかも、作るほどにリアル化し、今では生き生きとした躍動感まで備え付けた逸品が、新聞にまで紹介されたりする。ついにはまつ毛まで再現して、見事な等身大イリナ嬢を作り上げた奇人がいるが、それがまたすぐに売れたというのだから、何やら未来の構図を思わせるありさまだ。


 だが何と言っても、明治維新とモダニズム、新しく登場した紅茶やコーヒー、洋食の文化にあった陶磁器はいくらあっても足りなかった。

 目の覚めるような陶磁器が次々と発表され、国内市場が活性化した。

 そして目の肥えてきた日本人は、さらにさらに上へと進化し続けた。

 この辺は国内市場で激烈なしのぎの削り合いをし過ぎて、異常進化をとげてしまった携帯電話と一脈通じるものがある(もっとも進化しすぎて、他国の通信会社や機関から、『日本のケータイは手に負えない』と受け入れられなかった皮肉な結果を招いてしまうのだが・・・)。

 各地の陶磁器の名品は、日本人特有の異常な向上心と追及力に磨きまくられ、薄く、強く、あるいは独創的で、モダンで、鮮やかに、繊細に、驚くばかりの変身と進化を遂げ続ける。気がつくと訪れた海外の賓客たちが、目を剥くような芸術品レベルの陶磁器が、巷に百花繚乱となっていた。




 さて、少し前に日本担当公使から全権大使に繰り上がり、現在活躍中の在日アメリカ大使ジョージ・ガスリー氏。



 公使時代から庶民派で、それらの陶磁器には注目していた一人だった。

 日露戦争の日本海海戦の結果、なんだかんだと本国で大騒動が持ち上がり、大統領の急死(暗殺)から大使の任命を受けるために凱旋帰国する事となった。

 全権大使となれば、一国の代表者として、最大の権限をもつ役目であり、外務大臣と対等に話せる地位である。奮発してお土産に五組ほどティーセット(イリナ嬢お勧めの窯元)を買って帰った。スズランやキョウチクトウなど、素朴な植物をていねいに描き、柔らかにわずかに歪ませた器の形が、植物の絵を生き生きと見せる、とても印象的なカップだった。だが、後で非常に後悔するはめになった。

 と言っても、お土産そのものはとてもよろこばれている。

 ただ問題は、一組がニューヨークはササビーズのオークションに出品されてしまい、1000ドルで買ったはずのそれが、10万ドルで落札されたのである。

 このオークションは社会福祉つまりチャリティ目的のオークションだったので、普通ここまで極端な価格は出てこない。だが、植物学者の大金持ちと、菜食主義で有名な企業のトップがセットに惚れこんで奪い合いになり、この日一番のハンマープライスとなってしまった。

 このニュースは新聞一面トップで扱われ、結果アメリカ中のバイヤーたちが、目の色を変えてガスリーの元に押し寄せた。もちろん、日本の陶磁器についての情報欲しさだが、何しろ欲に血走った眼をした巨漢の米国人が、我先にと押しかけるとなると、パイソン(アメリカの野牛)の群れと変わらない。しかも、面会の予約を抑えようと、電話が鳴りっぱなしである。

 気の毒に彼の休日はすっかり台無しとなり、ついには一日中鳴り響く電話にブチ切れて、線をぶち切ってしまったそうである。残りの四組も色々な問題を引き起こしたらしいが、本筋では無いので止めておく。





「お気の毒にな。」

「話題性抜群でしたしね。でも、こちら(日本)も大変でした。米国の方たちって、遠慮が無いんですもの。」

 イリナが言うのは、帝国重工や四菱などの国際的な商社に、米国のバイヤーたちが直接交渉しようと乗り込んできて、ずいぶんもめたのだ。


 以来、世界の高級陶磁器は、日本製が話題をさらいっぱなしであり、それまでの世界的な銘柄のマイセンもボーンチャイナも清国陶器も、バイヤーや好事家に鼻にも引っ掛けてもらえず、真っ青になっている。

 さすがにそれぞれの国宝級の最上級陶磁器は別だが、売り上げつまりは利益の大半を占める、普通に売り買いされる高級品が売れないのでは、産業として大打撃だ。特に清国は官制、つまり国がバックアップした製造業者があり、その売り上げは国庫に入る。衰弱していく清国にとって、大事な収入源であっただけに、ますます苦境に追い込まれていくことになる。


 だからと言って、日本がホクホクかと言うとそうはならない。現在国内市場が活性化して、商品が本気で足りてないのである。

 日本の海外向けの大きな窯元は、清国の安売り大量販売にとっくの昔に全部潰されていて、この時点で洋食器に挑んでいるのは、異端派とも言える製作意欲の激しい小さな窯元がフル操業状態。全部国内手工業で、大量生産ができないのだ。主流である和食の窯元は、取引先との契約もあり、そう簡単には製造形態を変えられないし、急に生産も増やせない。日本への注目が集まっているので、ジャポニズム(日本風)ブームで引き合いが増えていて、こちらも足りない。さすがの帝国重工も、陶磁器の増産にまで手を回す余裕は無い。

 加えてややこしいのは、日露戦争の影響で戦争バブルが世界的に発生していること。

 ロシア債権を元手に資金を借り出し、より儲かる投資先につぎ込むアホが山ほどいて、『日本の陶磁器は儲かるぞ!!』とアメリカ発の情報から、世界中のハゲタカどもの注目を集めてしまった。

 こういったバブルが後でどれほど悲惨な敗残処理を産むか、21世紀から来た帝国重工の中心メンバーは嫌というほど知っている。

 もうじきロシア債権は弾け飛ぶ。すると、ロシア債権が元手の資金が全部ダメになる。となれば、日本の業者や取引先に約束していた支払いも出来まい。三段論法で、悲惨な目に合うのは日本の窯元と取引業者になりかねない。他の物価もバブル資金の影響でめちゃくちゃになる。帝国重工の厳重な忠告もあって、通産省は大慌てで、厳しい取引制限をかけているありさまだった。


「この間、通産関係のある部署にいる友人からぼやかれたよ。『戦時のこの時期にもっと積極的に売り込むべきではないのか?!』とな。」

 この時点では、まだ日露戦争は集結していない。戦費の確保は国家として必須事項だが、不足しているわけではない。ただ、役人として安全策に貿易の拡大を願っているということだ。

「今の日本の生産力で、海外の飢えたバイヤーに喰いつかれたら、根こそぎ奪い取られた上に、あわてて増産することになる。そうなったら出来の悪い商品があふれたあげく、必ず生産過剰を起こす。戦争の後には、不景気が必ず来るもんだ。売れなくなったら、小さな業者はまとめて潰れる。その辺は思いっきり説教しておいたがな。」


『風が吹けば桶屋が儲かる』という日本伝統のカオス的経済理論(?)があるが、真吉備のそれも良く似ている。


 うあ〜と、こめかみや背中に汗を感じたイリナとイリア。思わずその友人とやらに同情したくなる。

 真吉備先生の説教と言うのは、かなり恐怖の噂になっていて、あの光る眼でにらまれると、蛇ににらまれたカエルのように、思わず正座してしまい、たっぷり2時間は説教で動けないため、その後丸2時間ぐらい足のしびれがとれず、激痛でのたうちまわることになるらしい。


「それに、」


人の悪い笑顔を浮かべ、紅茶を一口。

「おそらく清国が、日本製の模造品を山ほど作って売ろうとする。ここで下手な商品を出したら、つけこまれてこちらがダメージを追うな。取引制限はむしろ正しい選択だ。」

 先ほども書いているが、清国には官制の窯、つまり国がバックアップした製造業者があり、国家の収益源の一つになっている。今の混乱した清では、是が非でも金を稼ごうと、模造品だろうとなんだろうと平気で作ってくる。低いレベルで争えば、日本がバカを見る。相手にしないのが一番である。




 さて、まだお茶会は始まったばかりだが、ここで上海租界の一角に目を投じてみたい。




 その頃、上海の港では、東南アジアから来た船が荷を下ろしていた。

 さほど大きな荷物ではないが、その警備の厳重さから、かなりの貴重品である事が分かる。

 ただ、みょうなのはそれに携わる人間たちが、ひどく表情が暗いことだ。

 荷揚げのにぎやかさはあるが、うっかり荷物を落とした運搬人は、その場で死ぬほど殴られた。


 落ちた箱が破損し、中の袋の口からこげ茶色の固まりが転げ出ていた。アヘンである。この塊を砕いて粉にして、キセルなどで煙草を吸うように吸引するのだ。より精製された粉末状のモルヒネもあるが、こちらは高い分もっと包装が頑丈だ。さらに高級品のヘロインはこういう運び方はしない。


 倉庫では、待ち構えていた清国の商人や役人らしい者たちが、群がるようにして交渉を始める。どれもこれも、欲に目が血走り、口から泡を吹かんばかりにして少しでも有利に交渉を進めようと必死だ。今一番儲かるのは、アヘンやモルヒネであり、それを少しでも多く、有利に入手するのが金持ちになれる早道だからだ。もちろん、仕入れた商品は一分一秒でも早く清国で売りさばく。


 18世紀に、茶、陶磁器、絹などで膨大な貿易赤字を抱えた英国は、苦し紛れにアヘンの輸出に手を染め、19世紀に清国とアヘン戦争を起こす。ただし、最初はとにかく、膨大なアヘンを買いつけて清国内で売りさばいたのは、やはり清国人であった。

 基本的に自分の一族以外はどうでもいい、というのが支那社会の基本姿勢であり、他人がどうなろうが儲かれば良いという思考は、アヘンの莫大な儲けにためらいもなく飛びついた。また、それを罪悪視するほどの知識も道徳観念も、『ほとんど持っていない』。

 清国の法律では、麻薬の売買は死罪という決まりが出来ているが、取引にかなりの役人が入り込んでいることからも分かるように、法律の意味は無いに等しい。



 ただ、同情するわけではないが、支那大陸では『法律』と言っても、まず理解できる人間が2%もいない。

 というのは、役人や僧侶や一部の商人以外は、まず文字の読み書きすらできないのである。

 たとえ麻薬の売買が死罪であっても、そもそも麻薬が何か、法律が何かすらほとんど誰も知らない。

 その地方を統治する役人である行政長官が、『罪』と言えば、それを言われた人間は罪人となり、『死罪』と言えば、その人間は死刑となる。説明は不要。法律を判断するための役人であり、法律はその頭の中に入っている。土民はそれに黙って従えば良い。たとえ、役人がアヘンをばらまき、売りさばいたとしても、その善悪を判断する方法が、土民には一切ないのだ。



 つまり・・・・・、もし英国がアヘンを持ち込まなかったとしても、この国の末路は変わりようがない。


 支那(シナ)大陸では、これまでも、そして清国や後に出てくる国家もそうだが、あちこちにカビのように新興国家が自然発生し、発生と同様に腐敗を始め、数年から数百年で勝手に崩壊していくのである。



 別な面では、理性をマヒさせ苦痛や恐怖を忘れさせる麻薬は、戦場の恐怖を忘れさせ、戦闘で多少の傷や痛みにひるまず戦うためにも用いられることがある。ただ、それが麻薬である時点で、救いとなる部分は何も残らない。

 恐怖を忘れるためか、けが人でも戦わせるためか、あるいは報償のかわりか、清国軍内部での蔓延はさらにひどい。

 日清戦争で清国があっさり負けた理由の一つが、軍内部でのアヘンの蔓延と言われているほどだ。

 中には、褒美の麻薬欲しさに狂ったように戦うという、本末転倒の状況すらある。そして、麻薬の金欲しさの略奪や強盗も異常に増加していて、清国内部の混乱は一層拍車がかかっていた。

 そして、誰もそれが正しいのか間違っているのか、考えることすら無かった。





 アヘンの取引には金や銀の貴金属が、最も有利に交渉を進めることが出来るが、長年のアヘン貿易は、清国の貴金属そのものを大量に吸い上げていて、価格を高騰させている。そのくせ銀はメキシコに巨大鉱山が発見されて、世界的な価値はかなり下がっていた。

 茶も以前は有効な取引材料だったが、インドで茶の栽培が盛んになり、紅茶がメインになってくると、そちらも不利となった。

 絹も価値はあるが、紡績機を導入して大量に織物を作り出すようになった西欧から見れば、量の差は歴然としている。

 役人らしい一人が、懐から一枚の皿を出して見せた。焼き具合と色合いから、国の統制を受けたかなり良い焼き物だと分かる。おそらく官制の窯の役人なのだろう。それが大量に入手できるというジェスチャーを必死に演じ、交渉をしようとした。だが、受け取ったイギリスの商人はしげしげと見つめたあと、いまいましげに皿を叩きつけた。

 甲高い音がして、皿が砕け散る。

「上級のモルヒネが欲しかったら、日本の陶磁器を持ってこい!」


 麻薬の取引に参加させてもらうため多額のワイロを使った役人は、泣きながら帰ると、陶工たちに目を血走らせて厳命した。

「日本の陶磁器と同じ物を作れ!、そっくりに作れ!、何としても高く売れる商品を作れ!!」

 真吉備の予感した通り、似ても似つかぬ『日本製』を名乗る陶器が、大量に作られ始める。



 だが、真吉備はこうも言っていた。

『戦争の後には、不景気が必ず来るもんだ。』



 やがて、ロシア戦時国債のバブルは弾ける。日本が警戒した危機は、必ず世界中に襲ってくる。

 作り主と同様に、大量の『まがいもの』には、行く場所などあるはずもない。

 そして皮肉なことに、清国の中枢部はそういう細かいことはとんとご存じない。

 高い利率を期待して、国費をはたいて大量に抱え込んだロシア国債が、まさか『紙くず』になるなどとも思ってもいないのと同様に、世界的に高名な清国の陶磁器が、売り物にならないまがい物だらけになっているなどとは、想像すらできないのである。
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