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ダインコートのルージュ・その31


   『代理戦争』



 19世紀半ばから、清国の上海には『租界』と呼ばれる外国人居留地がある。 アヘン戦争でぼろ負けし、英国が永久的に所有した土地で、1842年に誕生している。

 さらにアロー戦争(1857〜1860)では、英仏両国に清国は本格的にボコボコにされ(北京まで占領された)、その他の列強諸国も乗り込んできた。  ほぼ半植民地化した清国で、上海租界はもはや治外法権(やりたい放題とも読む)地区である。そんな場所なだけに、商売や取引もやりやすいことおびただしく、一攫千金を夢見る連中がどっと押し寄せ、後年『魔都』とまで呼ばれるようになる異様な雰囲気があった。

 当時の租界の写真を見ると、近代的なビルがぎっしりと立ち並び、路面電車が行き来し、その間を埋めるように自動車が走りまくっている。当時の清国は道の舗装すらよく知らない。またこんな光景はヨーロッパでもまず見られない。まさに上海租界は、時代をブッ飛ばした近代都市となっていた。

 あと30〜40年ぐらいすると、怪しげな一子相伝の拳法家が、ここを舞台に大立ち回りを繰り返すような『混沌の極み』となるのかもしれないが、さすがに今はそこまで酷くはなっていない。

 とはいえ、英国、フランス、米国の軍隊が駐留し、ひと儲けをたくらむ商人たちが世界中から群がり、本気で怪しげなアジア風の衣服をつけた人間たちが、上目づかいに街中を闊歩している様子は妙に落ち着かない。英国中心の香港の方が、まだ分別というものが感じられる。

 当然日本の商社も、この怪しげな街に勇を奮って飛び込んでいて、すでにその数は数十社。在留する日本人も2千人を超えていた。こうなると、国としても武力で保護しない訳にはいかない。既に清国は国家としての体を成しておらず、ワイロの額の大きい方に味方するというありさまだ(この時代だけか?)。治外法権つまり法が通らないなら実力しかない。現在帝国陸軍の2個中隊が常時駐在している。

 この数を見るとかなり少ないように見えるが、へたに大部隊を駐在させると、他国の部隊を刺激してしまいかねない。何と言っても租界の主体は英仏なのである。両国もその程度ならと黙認している状態だ。義和団の乱の鎮圧で、日本の陸戦部隊の恐ろしさも知っている者は多く、各国軍隊も軽視していない。そして、日本が一番本国が近い。


 上海最上級ホテル「大神界」は、地上22階建てで、高さも一番高い。そこの最上階にあるレストランバー“イルパラッツォ”は、街並みを一望できるので、裕福層に人気のスポットである。

 贅を尽くしたレッドカーペットを踏み、巨大な黒檀のドアをくぐると、北欧製の高級なテーブルと高い天井をド派手に飾りつける豪奢なシャンデリアが、これでもかと言わんばかりに室内を飾り立てる。

 もちろん中には、紳士淑女の服装をきめて、黄金や宝石だらけの指輪やドレスを見せつけ合い、下品な笑いと欲望に脂ぎった野獣のごとき者たちの群れが、夜のイルパラッツォを占拠していた。
 大使級の外交官もいれば、巨漢の駐在武官もいる。暗黒街の顔役から清国軍閥の将軍なども珍しく無い。金や女の話はもとより、危ない取引や物騒な軍事機密まで、自分を誇示するためか平然とわめきあう様は、まるで猛獣が吠えているかのようである。

 イルパラッツォの酒の席で、最近よく話題にのぼるのが、毎夜現れる特等席の美女の話。

 長い艶やかな黒髪を流し、象牙色の肌は明らかに東洋人だろうが、彫りの深さに絶妙の鼻すじと大きな瞳は、東洋人離れした美貌だった。野獣のごときここの客ですら、簡単には声をかけられない気品もある。そのため二十歳前にも、二十四,五歳にも見える。

 身体にぴったりした燃えるような赤いチャイナドレスに腿の付け根まであるスリットを入れ、細身のしなやかそうな身体にも関わらず、ベル型の豊かな胸がずっしりと重そうに揺れる。豊かな腰つきなのだが、足が長くすらりとしているため、逆に細身が強調されている。あまりの絶妙な身体つきに、身長も168センチほどあり、人種も国籍も判別付けがたい。“エヴァン”という、謎めいた名前だけが“イルパラッツォ”にひろまっていた。

 今日も、彼女は夜の特等席に来た。
 貸切のパーティでも無い限り、窓際のその席だけは、毎夜必ずあけてある。

 ぬばたまの闇のような髪は艶があり、夜景やシャンデリアの光がはじけ散るようだ。大胆極まりないスリットから覗く足は、カモシカのそれのように細くしなやかで、足首がまた細い。足首の細い女は夜が激しいと言うが、この美女と一夜を共に出来るなら、どれほど金を積んでも構わないという男も多い。だが同時に、うっかり手を出すにははばかられる何かも、敏感に感じ取る。

 揺れる大きな胸に見とれる者、スリットから覗く足をチラチラとのぞき見する者、夜景を見る横顔から細い折れそうな首筋へ舐めるように見つめる者、視線が集中する。

 マティーニのグラスに、そっと紅色の唇が触れ、残る紅が異様に鮮やかだ。

 フランス外交官のフォトラフが、ごくりと息をのみ、意を決して近づく。

「ミスエヴァン、今宵私と飲みませんか?。」

 だが、象牙の彫り物のような彼女は、まるで反応を示さない。夜の街並みをじーっと見ている。露骨な無視に、がっかりするフォトラフだが、まだ諦めきれないのか、もう一言声をかけようとするが、別の人間がその横にぬっと現れてぎくりとした。

「ミスエヴァン。」

「うん。」

 呼びかけにゆっくりと顔をむけるエヴァン。だがその表情は鈍く、何の感情も浮かんでこない。ただ、彼女が誰かの声に応える所を見た者はほとんどいない。

「なんだ君は、私がこちらの女性と話しているんだぞ。」

 エヴァンは何のことだろうという程度。男は頭を短く刈り上げた東洋人で、身長は彼女と同じ程度の168、175を越えるフォトラフと比べれば、かなり小さい。ただ、コートの下はかなりかっちりとした体つきで、どこか軍人の生真面目さを感じさせる21,2歳ぐらいの男だった。

「話しかけただけと、話しているというのは違うと思いますが?。」

 流暢なフランス語で返され、かっとフォトラフの顔に血が上る。ましてや東洋人に口ごたえされるのは、プライドが大きく傷ついたと思い込む。外交官とはいえ、貴族のお坊ちゃんで、東洋人はムチで叩かないと話が分からないと思い込んでいるタイプである。加えて学生時分はボクシングをやっていて手も早い。

ガッ

 左ジャブが鈍い音を立てた。しかも指輪だらけの拳とくれば、破壊力はかなりのものだろう。だが、伸びた手が戻らない。

 「ぐっ?!」

 拳が相手の左手に掴まれ、まるで牙を突き立てたかのように指先が拳に食い込んでいた。手がびくとも動かない。

 メキ、メキ、メキ、

 拳が嫌な音を立てる。

 「ぐ、ぐ・・・」

 激痛を必死に噛み殺し、フォトラフの顔が真っ赤になる。

 「少し静かにしていただけませんかねえ。ここはお酒を飲む場であって、ボクシング場じゃありませんよ。」

 最後に少しだけ声にドスを加え、ちょっぴり本気を出しかけると、フォトラフはあうあういいながら床に座りかけた。はた目には泥酔して正体を失っているようにすら見える。周りも『ちっ、酔っぱらっただけかよ』と、関心を持った視線が失せた。

 男はボーイを呼び、『この男性は酷く酔っているようだ』と10ポンド札を握らせて追い出させた。ようやく解放された手は、拳の形のまま半分潰れ、動かすこともできないようである。エヴァンの向かいに腰かけると、わずかに唇が動いたが、店の喧騒にまぎれているのか、誰も何も聞こえなかった。

『処理終わりました。死後硬直八時間、誘拐直後に四菱の支店長は殺されていたようです。』

『そうか、ごくろう。』

二人とも声がほんの1メートル以内にしか届かない、特殊な発声法だった。男はロックでバーボンを頼んだが、こちらはまともな声である。

『今の対象法は40点だな、もう少しスマートにやれ。目立ち過ぎだ小山田。』

『勘弁して下さいよ、こんな所でまで“鬼アザミ”に採点されても嬉しくない。』

『上官への悪口はマイナス20点、赤点決定だ。』

 長い赤のキセルに、刻み煙草を詰め、火をつける。チャイナ服の美女は、それがまた異様に似合う。  エヴァンと呼ばれるこの女性、国防軍少佐で諜報関係にも能力が高い特殊作戦群の一員、準高度AIの百合京子という女性だ。おしとやか極まりない名前の持ち主だが、名前に関しては部下たちの評判は芳しくない。ちなみに彼らの呼ぶあだ名は“鬼アザミ”。見た目はきれいだが、トゲだらけで恐ろしくて触れないという意味。ちなみにエヴァンという名前は特等席の予約名で、名前から国籍や関係一切を分からせないための単なる偽名である。

 向かいに座ったのは、諜報活動や部隊指揮における副官の小山田良平。“鬼アザミ”にしごき抜かれただけはあって、腕の方はご覧の通りだが、恐ろしい教官に未だに頭は上がらない。

 上海租界での日本の正式な駐在軍は帝国陸軍2個中隊だが、国防軍からも少数ながら密かに駐在している。京子がここに陣取っているのは、この席からが日本人が多く住む地区を一望できるからだった。視力が数値上4.0を越え、夜の闇でも昼間のように見通せる彼女には、ここからさまざまな動きが見える。コソコソしたことを昼間からやる馬鹿はいない。それにここでは、思わぬ情報を拾えることがある。

 『陸軍はしっかり押さえておけ、袁の挑発には乗るなよ。』

 『やっぱりあいつですか。』

 わずかに口をへの字にする小山田。最近日本人や日本企業を狙ったテロが頻発していて、誘拐事件の直前には帝国重工の支社に時限式の爆弾まで仕掛けられていた。かなり組織だった活動で、尻尾を掴めなかったのだが、誘拐事件を起こした時、余計な欲をかいて身代金をいただこうと画策したのが致命傷となった。

 『清の武官が、必死に英仏の行政長官に根回しをしていた。』

知らないとはいえ、京子の目の前でである。

 『まあ、しばらくはおとなしいとは思うがな・・・』

 犯人は50名ほどの規模の部隊で、明らかに軍の訓練を受けており、装備もそれなりに充実していたが、たてこもっていた高台の古い城跡が土砂崩れで谷間に丸ごと崩落し、一人残らずこの世から消え失せている。

 もちろん偶然では無い。城跡の下の地盤に、対戦車ミサイルの進化系で、分厚い城壁や要塞の門もぶち破れる多層集積型形成炸薬弾をマッハ2まで加速して叩き込む新型携帯ミサイル『RAIJIN』をぶち込んだのである。超高速の運動エネルギーに加え、多段階式爆発のエネルギーの大半が前面の一点に集中する特殊な炸薬は、おどろくなかれ、地下施設破壊用のバンカーバスター並みの貫通力を発揮する。わずか3発で、山の強固な岩盤そのものを崩壊させたのだった。

 ちなみに『RAIJIN』は専用の台座か車両が必要で、大型のパワードスーツでもない限り個人で撃つ事はまず無理、射程距離も2キロ弱とかなり短いが、運動エネルギーが最高になる500メートルから1キロの距離なら、コンクリート製トーチカだろうが、21世紀の爆発装甲をつけた主力戦車だろうがぶち抜ける。

城跡丸ごと生き埋めにした指揮はもちろん、“鬼アザミ”である。

 『ご苦労だった、今日はとことん飲め。私も飲む。』

 ぎくっとする小山田、茫洋とした百合の表情にほんの少し艶があった。 “鬼アザミ”のしごきに耐え抜いて、副官までついてこれた部下は今のところ小山田だけだ。小山田が作戦で大けがをした時、親身になって看病してやった縁で男女の関係にもなっていたが、ベッドの中でも“鬼アザミ”は変わらないので、嬉しいやら恐ろしいやら、複雑な表情の小山田君でありました。  



 清国も、その前も、数百年ごとにこの地域に現れる新興軍事国家は、4000年あまりの間ほぼ共通して『内政が無能』で、栄華の限りを尽くした王宮を造るために地元民から絞るだけ絞り尽くしたあげく、内乱を多発させて自滅している。

 アロー戦争の時も、清国は太平天国の乱など、大規模な内乱で国を半分奪われ、同時に英仏と戦争してしまったのだから、万全でも勝てるはずの無い相手に、万が一の奇跡も無かった。そしてとどめが日清戦争である。世界の大国相手なら負けてもまだメンツがあったらしいが、『アジアの盟主』という安物のメッキまで、小国のはずの日本から実力ではぎとられ、完全にメンツが潰れた。


 二人の目の前に広がる百万ドルの夜景上海租界は、さらに輝きを増し、同時に深い闇をまとうようになる。あとは清国の滅亡へ一直線であり、その血をすすり、肉を刻むようにして、栄華を誇っていた。














 帝国重工本社


 広報部の風霧部長とイリナ・ダインコートがさゆりの執務室に入ってきた。高野司令も側にいる。イリナは彼女らしくなく、表情がかなり固い。

「上海租界でまたテロです。四菱の支社長が誘拐と、帝国重工支社に爆弾が仕掛けられていました。」

さゆりが美しい卵型の顔を、憂鬱そうに向ける。

「支社長はご無事?」

 自分の支社より四菱の方を心配するさゆりは、とてつもなく善良なわけではない。 帝国重工ならば支社であろうが、爆弾ぐらい仕掛ける直前から見つけて処理できるからだ。ただ、普通の商社にはそのような対処能力など無い。そしてこの時代の誘拐は、現代よりはるかに荒っぽい。

 イリナが、これも悲しそうに首を振る。誘拐と同時に殺され、身代金だけ奪おうとされたのである。

 上海租界に駐在している日本軍は、数こそ少ないがこの世界とは隔絶したレベルであり、これまでもかなりのテロを事前に防いでいた。彼らですら間に合わなかったのなら、責めるのは酷というものだろう。

 日露戦争が鎮静化し、もうすぐ終戦協定が結ばれるだろうと言われている。だが同時に、租界では異様にテロが増えていた。それも日系企業や日本人を狙ったものばかりだ。元々影では血なまぐさい面をもつ租界だが、商売の邪魔をしては儲けが無くなるので、組織同士の抗争はあっても、それ以外のテロは案外少なかった。この件では租界の実力者たちの方が困惑し、怒っているほどだ。

 ちょっと見れば、ロシア側か停戦に反対していたフランスあたりのように思われるが、こんな場所でテロを起こしても、ばれれば国際的に立場を悪化させるだけであり、戦局的にも何の意味も無い。

 「袁世凱が半狂乱のようです。」

 風霧が少し苦い口調で言う。小山田君が『袁』と言っていたのは、袁世凱のことだったのである。この一言で、さゆりも高野も理解した。



 袁世凱は、現在清国の軍のトップと言える存在で、日清戦争を引き起こした張本人と言っていい。

 良くも悪くも東アジアの血が凝り固まったような人間で(極東と呼ばれる日本とは正反対)、権勢欲や名誉欲が異常に強く勢力絶倫、分かっているだけでも一妻九妾との間に17男14女をもうけている。最初は役人を目指したが、科挙(国家公務員上級職試験のようなもの)に2度落ちて諦め、軍人に鞍替えした。陸軍の近代化を進める役割を担いつつ台頭し、彼自身が作り上げた軍事力を背景に政治的にも大きな権力を振るい、欧米諸国では彼のことを「ストロング・マン」と呼んでいる。正史ではその後一時失脚するが、辛亥革命の混乱の中で清政府と孫文らの革命派との間で巧みに遊泳し、中華民国大総統となり、革命派を弾圧するとともに、インフラや軍備の充実などの面から国家の近代化に当たった。さらに一時皇帝に即位したが、内外の反発を買って退位、失意のうちに没した。

 日本に朝鮮を渡すことの惜しさと、日本に勝ってアジアの盟主というアピール欲しさに、戦争まで引き起こしたのだが、敗戦で責任を取るどころかさらに権力を強化している。その辺、権力闘争はかなりうまかったらしい。

 ただ自大野郎そのままというか、国外のことは案外見えていなかった。

 というのは日清戦争後、朝鮮半島はロシアに譲渡され、ロシアが半島の大改造を始めた。このときはじめて、袁世凱は気が付いた。朝鮮半島がロシア領になれば、巨大な海軍を持つロシアは、北京のすぐ東に港を持ち、清国を囲い込むことができる。まさに清国と、それを牛耳っていた袁世凱は、喉元に刃を当てられたような恐怖を味わうことになった。

 その袁にとって、日露戦争は干天の慈雨、棚からぼたもちに等しい幸運に見えた。

 日露に中立を唱え、このまま両者が共倒れになれと、図々しい願いをずっと唱えていたが、それでもロシアが勝つよりは日本が勝つ方がはるかに好ましいとは思っていたらしい。こっそり日本に色々と協力を申し出ながら、ロシアから勝って、日本が半島を奪い返し、そのまま日露がいがみあいを続けて、それを裏であおりながら、しかも清国には目を向けないように計らうという、取らぬ狸のなんとやらまで計算している。身勝手な図々しさも極まれりだが、本来権力闘争に明け暮れ、それだけで権力を築いてきたこの男には、呼吸をするより普通の思考なのだ。

 だがしかし、日本の勝ちは見えてきたが、日本が半島を再び占領するような様子も無ければ、外交的にそういう態度すら見えない。それどころか外交筋では、日本は領土割譲を全く関心が無いというではないか。あらゆる手練手管を使い、日本の態度方針を徹底的に確認したが、出てきた答えは『まさにその通り』。


『なぜだああああああああっ?!』


 日本の領土的無関心に本心から絶叫し、袁世凱は頭を抱えた。袁のような欲望の固まりのような人間にとって、領土をめぐっていがみ合い、奪い合うのが国家という存在であり、日本の態度ほど理解不能なものは無い。

 このまま北京に居座り続ければ、自分が危ない。

 しかし南京などに遷都すれば、北方に築いた自分の軍事的勢力(北伐という)が無意味になる。王都のそばに軍事力を握っているから権力となるのであって、広大な清国の単なる田舎の軍隊では何の意味もなくなってしまう。
 以前は、大国にヘタレで奴隷根性の朝鮮がいたが、今ではそれも全くいない。『利用できるときは使ってやる』としか考えていなかった袁世凱、今になって半島の人間が移民させられたことを(その時は何とも思わなかったが)、本気で後悔し始めた。どんなにいらんと思っても、いればクッションぐらいにはなったはずである。

 是が非でも朝鮮に日本を引き入れるために、素直に頭を下げるという思考が無い袁世凱とその民族は、へたくそな陰謀で日露戦争を継続させるか、あるいは日本に他国と戦争を起こさせようと躍起になっていた。



「ばれてないと思っているあたりが、救いようが無いわね。」

さゆり嬢もさすがに腹に据えかねたのか、かなり辛辣な口調だ。

「いや、案外もっと思い切っているかもしれんな。」

そばにいる高野指令が、全員がぎくりとするような言葉を平然と吐いた。

「ばれていてもいいと?」

風霧が少し不安そうに言う。高野指令とは長い付き合いだが、指令がこういう言い方をするときは、とんでもない事を思いついている事が多い。

「最悪、日本と清国が戦争になってもいいと思っているだろう。」

「マジデスカ・・・?」

イリナが少しおかしな口調で、思わず問い返してしまう。かなりショックらしい。

「だからこそ、こそこそテロなんかやっているんだろうな。誰がしたとははっきりわからない形で、日本が怒って戦争を仕掛ければ、逆に大声を張り上げて日本を悪者にして、他国から援助を受けながら戦争を続けるつもりだろう。」

 高野の言葉に、風霧も、さゆりもイリナも、思いっきり嫌そうな顔をした。

 そういう戦い方で、旧日本を散々振り回した毛とか蒋とかを思い出したのである。この辺りはかなり時代を先取りした感じだが、日夜権力闘争に明け暮れ、政敵を抹殺し続けた某国人だけに、思考回路は似たようなものなのだろう。

 高野は戦争と言ったが、ようは日中戦争と同じ退却戦を繰り広げ、広い大陸をひたすら逃げ回り、ゲリラ戦をして時々戦果をあげ、戦争をしているようなムードだけ保ち、金と武器を欧米からゆすり取りながら、今の半植民地状態も脱却していくつもりだ。言ってみれば『代理戦争』である。

 日本の脅威は今や世界で認めざる得ない。しかもメンツを潰された国々には、当然日本憎しの派閥が大勢いる。袁に協力する国家も少なくはあるまい。また戦争となれば租界を始め他国の人間たちは逃げ出さざる得ない。袁たちにとっては、後は取り放題である。

「とはいえ、もう少し情報が欲しいな。またお茶会をお願いしようかね。」

 さゆりがうなずく。風霧とイリナも一瞬とまどったが、すぐに理解した。欧州関係なら帝国重工はかなりの情報網がある。北米ならば妙采寺が強力なパイプを持っている。ただ清などアジア関係となると、さすがに少ない。だが、世界中に知り合いを持ち、アジア情勢にも極めて詳しい人間がいた。

「あの先生なら喜んで来るでしょうね。」

さゆりが苦笑し、イリナも苦笑い。『論壇のナポレオン』こと偉石真吉備である。
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