■ EXIT
ダインコートのルージュ・その31


≪エキゾチック・テレス13≫


日暮れのノルウェー王宮から、急ぎ足で出てきた男がいる。大柄な体格で忙しそうに出ていく姿は、門衛も顔パスだった。

 油田鉱区統括のレザラス長官である。

 だが、王宮を離れると急にそわそわし、日暮れの暗がりにまぎれるように、人気の無い電話ボックスを見つけて飛び込んだ。

 欧州では19世紀から公衆電話があったが、ノルウェーにもそれなりの公衆電話がある。ただ気候が荒い土地柄らしく、鉄板製のかなり頑丈な作りになっていて、窓も小さい。

『はい、交換台です。』(まだ機械式電話交換機は入っていない)

「フランス公使館につないでくれ。」

 プツリと音がして電話が切り替わった。

『フランス公使館でございます。本日の業務は終了しております。』

「すぐに公使のエリバラ氏を呼び出してくれ、レザラスと言えばすぐわかる。急げ!。」

『エリバラ様に何の御用でございますか?。』

「ノルウェー石油鉱区統括のレザラスだ!。すぐ伝えなければキサマの首が飛ぶぞ!!。」

『だからあ、ノルウェーのおえらいさんがフランス公使様にぃ、何の御用だって聞いてるのよ。』

 電話越しのはすっぱな声が、電話ボックスの外からも聞こえた。一瞬、呆然となるレザラス。


ギャリリリリリリリリリリリ


 凄まじい音が、電話ボックスに巻きつくように響いた。


ガキャンッ


 何かをはめる音がした。メキッと鉄板製のボックスがきしんだ。あわててドアに飛びついたが、ピクリとも動かない。窓に顔を当てると、外ではあの女が悪魔のような薄笑いを浮かべていた。王宮で悪魔のように咆哮した女。恐ろしいような知恵で罠の計画を国王に提言し、身震いしたレザラスは、思わず連絡を取ってしまった。

『テレス・ロペス・ニキーネ!』

 女の持っている受話器は、ボックスの電話線とつなげられていたらしい。

「な、何をする?!」

『何をするぅ?。油田警備の機密情報を聞いた直後に、フランス公使に急ぎ連絡を取るようなやつが言う事?。』

 電話から聞こえてくる声に、言葉を詰まらせるレザラス。自分が内通していることは全部ばれているのだ。

 実はテレスは内務大臣のモンフェと、少し前から連絡を取り合っていた。石油鉱区でのテロ行為も知っていた。そしてテレスは凄腕の大商人だったモンフェを知っている。ノルウェー王国成立の立役者、現国王の後ろ盾。この男が手を尽くしていて『全く手掛かりが無い』という状況はありえない。そこからテレスはある推測を伝えていた。


『ノルウェーの内部、それもかなり上級の者が手引きをしているはず』


ダボッ、ダボッ、ダボッ、ダボッ、

 テレスに同行した特殊作戦群の一人が、音もなくボックスの上にいた。何か重たい液体のような物が、ボックスの上からかけられている音がした。ボックスの隙間からの匂いに、レザラスが縮みあがった。

「が、が、ガソリン?!」

 窓の外のテレスが、銀色の小さな箱のような物を出した。同じ物を、フランス公使から送られて彼も使っていた。大日本雷他亜社製の超高級油性発火器具。ふたを開け、ひとひねりすれば、大きな炎を上げてくれる。

「やめろ、止めてくれ、助けてくれええええっ!」

「いいわよ、止めても。」

 思わぬ声に、混乱した思考が静止する。ボックスの下から、その小さな銀色の箱が押し込まれる。

「でもね、止めたところで助かると思ってるの?。」

 窓に新聞の切り抜きが押し付けられる。ガソリンを吸って切り抜きが張り付いた。
『哀しき愛。夫の後を追った妻とそのお腹の子供。』

「先日殺された見習い技師には幼馴染の妻がいてね、足が不自由だけど彼に望まれて結婚したの。でも、あんたの裏切りが家族全員を殺した。」

 レザラスがガソリンまみれのボックスの中でへたり込んだ。

「見習い技師だけじゃない。夫を殺され、祖父を殺され、父親を殺された家族、いえスウェーデンとノルウェーの全国民が絶対に許さないわ。地の果てまであんたとあんたの家族、一族全員を追いかけて一人残らずなぶり殺すでしょうね。ホーコン国王陛下も、モンフェ内務大臣ももう知ってるわ。1時間すれば、王宮全部が知ってるでしょうね。明日には王都の人間全部が知るわ。フランスが助けてくれるとでも思ってるの?。裏切り者を助けるなんて、誰がすると思うの?。」

 じゃあね。と平然とした声がして、コツコツとブーツの音が去っていく。

『助かった・・・・?』

 ほんの少し、パニックを起こしていた精神が緩んだ。逃げたかった、何かを考えるより、まず逃げたかった。この箱からも、現実からも、自分のしでかした罪からも。だが、すぐに気づく。恐ろしく頑丈に締められた電話ボックス。大人の腕ほどもありそうな鎖がギリギリと締めつけ、頑丈な錠前がかけられて全く動かない。電話線は切られていて、どこにもかけられない。

『だ、誰かを呼ばないと・・・え、誰かを呼ぶ??』

 現実からも逃げていた精神が、ここへきて現実を直視させられる。

 大声を上げたり、ドアを手でたたき続ければ、だれかが来るかもしれない。だが誰もすぐにはドアは開けられない。いや誰かを呼べば、誰かがさらに来る。いつかドアが開くとして、その時周りには野次馬がどれだけいるのか。そして警察も来る。自分の事も必ず誰かが気づくだろう。その瞬間野次馬たちは残忍な暴徒と化し、怒声を放ち、自分の全て名誉も何もかもをはぎ取って晒し者にする。身動きできない自分を取り巻き、無数の暴徒が怒りの声を上げて糾弾する光景がおぞましく浮かび上がった。そしてドアが開けられた瞬間に襲ってくる。家族も、親族たちも全員・・・・。

 ようやく、ここが13階段の一番上だと気づいた。首にはすでに縄がかかっていた。  あの悪魔のような女は、見逃してくれたのでは無かった。完全に運命の決まってる自分を、ただ放り出したのだ。苦痛と恐怖と死しか残っていない牢獄の中に。

人の声と足音がした。

「ひい・・・・っ!。」

恐ろしかった。何もかもが。

「なんか、ガソリン臭くねえか?」

不審がる人の声、近づいてくる足音。

『くっ、来るな、来るな来るな来るな来るなああああっ!』

 ある種の人間にとって、何もかも暴かれる事は死の恐怖よりも恐ろしい。古代の刑罰に置いて、町中を引きまわし『さらし者』にする事は、死に勝る恥辱を与えるためである。誇りも名誉もはぎ取られ、さらされた人間は一刻も早く殺されることを望むようになる。

 自分は、ここで『さらし者』にされる。嵐のような罵声を浴びせられ、恥を全て暴かれ、20数年の努力も名誉も何もかも失い、石を投げられ、糾弾され、開いた時は・・・・。

『いやだ、いやだ、いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ』

 恐怖で息が止まりそうになり、涙と鼻水でグジュグジュになりながら、押し込まれた銀色の箱を、震える手が握り締めて、カチンと開いた。




シュボッ









『声の分析終了いたしました』

 手首に巻かれたシンプルで美しい時計が、テレスにだけ聞こえる信号を発する。レザラスの声を解析し、それと同じ音波をくみ上げるプログラムを構築し終えたのだ。



『はい、交換台です。』

「フランス公使館につないでくれ。」

プツリと音がして電話が切り替わった。

『フランス公使館でございます。本日の業務は終了しております。』

「すぐに公使のエリバラ氏を呼び出してくれ、レザラスと言えばすぐわかる。急げ!。」

テレスのハスキーな声が、レザラスのだみ声に変換されて受話器に流し込まれている。

『こんな時間に何事かね?、レザラス君。』

「ああエリバラ公使、困ったことが起こった。ダイア商会本社から取締役の一人が視察に来る。」

『それがどうかしたのかね?』

「腕利きの調査員や開発部隊を引き連れてくるらしいんだ。下手なことをすれば、こちらのしっぽを掴まれてしまうかもしれない。どうしたらいいんだ。」

困り果てたような声をわざと出して、おびえる小心者を演出するテレス。

『何を馬鹿なことを恐れているんだ?。何人連れてこようが、取締役は一人だろう?。それに我々にとっては、アメリカの鉱山会社などアリのようなものだ。』

“我々”という言葉に、テレスの目が光る。

「だが、本当にほかの連中も協力してくれるのか?」

『おいおい、君に記憶力は無いのかね?。本国のパーティで引き合わせたドイツとイタリアの大使たちは約束しただろうが。』

テレスの誘いの言葉に気づかずに、公使は内実をさらけ出した。やっぱり、とテレスは白い歯をかみしめる。

 ロシアは対日戦で手いっぱいなため、北欧へ手を回すゆとりは全くない。イギリスはホーコンの即位前のデンマークでの騒動で、軍艦を失うほどの手痛い失敗を喰らって、下手に乱暴な手出しはしないよう用心している。だが、飢えた虎の群れのような欧州諸国には、平然と乱暴な手段を使う横暴な国家はいくらでもある。中でもフランスやドイツは、大国のロシアやイギリスが手控えている現在、北欧によだれをたらして狙っても、少しも不思議ではない。こすっからいイタリアも抱き込んで、イギリスやロシアに口出しをさせないつもりだ。そしてこのころの二流国家アメリカがこの三国に噛みつくことは、まだまだ無理である。

「あんたにもらったのは、金と口約束だけだ。もしばれたら、俺は破滅するんだぞ!。」

 テレスの研ぎ澄まされた聴覚が、電話の向こうのかすかな舌打ちを聞き取った。だが、今の段階でこの協力者に逃げられれば、ここまでの苦労が水の泡になることはわかりきっている。

『落ち着きたまえ。要はそいつさえいなくなれば、あちらの思惑は完全に失敗するのだろう?。そうなれば、油田の利権は他社に譲渡せざるえまい。そうなれば君は家族とニースの高級住宅地で、一生のんびり優雅に暮らせる。南国の太陽は素晴らしいぞ。二日後に我が国の軍艦ポティチェリがオスロに寄港する。それに家族と一緒に乗りたまえ。なに、少し早目のボーナスと思ってくれてよい。』

 芝居気のある公使の口調に、テレスの方が苦笑する。どうやらレザラスの役目は終わったと思われたようだ。おそらくフランスの軍艦に乗ったが最後、家族丸ごと海の藻屑になるのだろう。

うれしげに感謝の言葉を口にする相手に、公使は横柄にいつも通り計画を知らせたまえと言った。




 王宮へ戻ったテレスは、ホーコン国王とモンフェ内務大臣それにマリーシャの前で、今の電話でのやり取りを再生して聞かせた。すでにレコード式蓄音機は広まっているので、会話の再生はさほど驚かないが、会話の内容はさすがに驚かされる。

「やれやれ、これでは電話でうっかりした事も話せないな。」

ホーコンがわざとピントをずらして、話を始める。

「大事な事は直接話すのが一番です。」

「おねえさまの声音、まるでレザラス本人のようでした。びっくりしましたわ。」

 音声変換は、テレスのかくし芸という事にしてある。そしてレザラスは焼身自殺したという事になるだろう。彼の家族はつらい思いをすることになるだろうが、リンチにあうことだけは免れるはずだ。

「それにしても、フランスとドイツ、そしてイタリアまで組んでいたとはな・・・。」

 国王がようやく核心に触れた。剛毅な彼もさすがに言葉をためらう。あの3国相手では、ノルウェーは虎の前のネズミに等しい。だが、じっと縮こまっていれば、ますますかさにかかってやりたい放題に詰め寄ってくる。国王は強く歯をかみしめると、ぐいと顔を上げた。すでに腹は決まっている。あとは一歩を踏み出す勇気を奮うだけで良い。ただ、その一歩こそ『勇気ある者』にしか許されぬ決断なのだ。その顔を見て、テレスがにこっと微笑む。

「とりあえず、私がネズミを退治するから、後の計画をよく練っておいてね。」

 ネズミすなわち暗殺者を『捕まえる』という選択肢ははなから無い。対等な相手ならば突きつけて証拠とすることもできるだろうが、帝国重工のメンバーの知る限り、相手かまわず対等とか平等などという言葉が通貨のように通用するのは、それこそ21世紀でも平和ボケの極致のような日本だけだ。下手をすれば、捕まえた暗殺者を突きつけたとたん、『名誉を汚された』と怒り狂い、問答無用に戦争を仕掛けられる。『力が正義、勝った方が正義』それが20世紀。甘い考えで見誤れば、即座に破滅だ。









 フランスのエリバラ公使には、偽の視察予定を伝え、レザラス自身は王宮に詰めておかねばならないため、動くことが出来ないと言ってある。これまではレザラスの車が、そのまま暗殺者の移動手段になっていたようだ。

 視察はまず、眺めの良い高台から一望し説明を受けた後、桟橋の手前の休息用の商館に入り、それから掘削現場に向かうコース。当然『眺めの良い高台』が最も狙いやすい。その高台の後方200メートルほどの場所、木の枝でカモフラージュした深い木陰の中に、こっそりと潜む人影があった。

「ふむ・・・あれか。」

 高級そうな乗用車から、数名の人間が吐き出され、一番最後に大柄で黒い服を着て、目深にソフト帽をかぶった男がゆっくりと出てきた。周りと比べても一段体格が大きく、身長も185はありそうだった。何より周りの人間たちが、そいつを一番目上に扱っている。

「でかいだけに、狙いやすくて助かる。」

 目標に比べて、深い木陰の中の姿はかなり小さかった。ふところから長い紐のようなものを出す。短い丈夫そうな布きれの両端に、よくなめした皮を編んだヒモが一本ずつついている。左手が、両端を鋭く尖らせた手のひらに隠れるほどの石を取り出すと、布きれを掴み、同時に革ひもを右手が掴んだ。

ヒュルルル・・・

 石を入れた布きれが勢いよく振り回され、かすかに風を切る音がしたかと思うと、尖らせた石は光のように飛び出した。

 これは投石器と呼ばれる、個人用の武器である。スリング、投石紐とも呼ばれ、極めて簡便な反面『習得に最も時間のかかる兵器』とも言われている。見た目に反して、極めて殺傷率が高い。通常の銃弾はせいぜい数グラムだが、投石は数十〜百グラム以上あり、古代の投石兵は有効射程距離が400メートルを超えていたと言われている。このように両端をとがらせた石を使うと、皮鎧ぐらいでは防げず、死傷者が続出した。ちなみに拳銃の有効射程距離は数十メートル。200メートルは通常小銃の射程だ。

ドスッ

 鈍い音が聞こえたような気がした。


 巨体の背中、それもほぼ心臓の位置に突き刺さったそれは、アバラをへし折り、筋肉を突き抜け、そこらじゅうに血液をぶちまけながら貫通する。血まみれの石ころが、兵器であることに気づく人間はまずいない。崩れ落ちる姿をろくに確認もせず、木陰の姿は逃げ出そうとした。暗殺の現場に長居は無用である。だが、研ぎ澄まされた暗殺者の神経が、ぞくりと震えた。

『ソコニイタカ』

 声が聞こえた気がした。振り返る瞬間に、左手がもう一つ石を取り出し、布を掴んだ。右手が両端を絞り振り回す。視界の端に、真っ黒い影のような巨体が、みるみる迫ってくる。木陰の男がにやりと笑う。この距離では拳銃は役に立たない。一方的に投石が攻撃できる。たとえ小銃(有効射程400)があったとしても、狙いをつけている間に打ち殺せる。

ゴッ!

 黒いよくわからぬ顔面に、加速された石が飛ぶ。400メートル先のリンゴを打ち抜き、ツバメすら撃ち落とした石が、正確に巨体の顔へ飛んだ。

ガッ!

 巨体の右手が、その射線をはじき、石をそらした。普通なら右手が砕けている。

 木陰の姿の左手が投げた石が、布にはまる。同時に紐が握られて振り回される。その間コンマ2秒。コンマ5秒で投石、ムチのようにしなった瞬間、左手が投げた石が布にはまり、右手が紐を握り振り回す。次々と打ち出される石は14個を超え、そらしきれぬ石が、何かを鎧のようにまとった顔や体をかすめだす。200メートルの登り坂を15秒で詰めた脚力は凄まじいが、距離が近くなれば、石のコースを読む余裕は無くなる。

 黒い巨体は、テレスのまとった簡易装甲システムである。これはある意味パワードスーツに近いが、体格を小さく見せるためほぼコアの部分だけをまとっていた。ブーツ以外はライダースーツ程度の厚さで、運動性や移動のサポートが良い反面、付属火器が無く、胴や手足以外はかなり弱い。背中の一撃は、ほとんどダメージ無く止められたが、顔や頭に当たればほんの一瞬だがダメージが入る(ソフト帽には、防弾兼耐衝撃システムが仕込まれていた)。足が止まれば、こちらが危ない。なまじ遠距離射撃兵器を持っていたため、特殊作戦群のメンバーは更に後方1キロの場所にいて間に合わない。しかも想像以上に連射スピードが速い!。テレスがグロッグ改造銃を抜いて狙う瞬間に、間違いなく顔面に一撃喰らう。ショットガンかマシンガンでもない限り、拳銃では5メートル以内へ近づき連射するしかない。

 急に投石のリズムが変わった。近距離になったため、振る時間を短縮して連発したのだ。一発がもろ彼女の眉間のコースに乗った。回避も防御も間に合わない!。

「?!」

 その瞬間、テレスの黒い姿が左右に分かれた。簡易装甲システムの緊急射出装置で、テレス本体は右に飛び出したのだ。ほんの一瞬の差で投石がかわされる。だが、次石はすでに装填されてテレスを追っていた。右後ろに飛び出す彼女を自動追尾のように回転する投石紐が追い、気配が止まった瞬間放った。こちらに攻撃を仕掛けるために止まった瞬間だった。

ヴンッ!

 気配のど真ん中に、その腹か胸に突き刺さる投石。
 だが、投石は空を切った。

『その兵器でもここは無理よ!』

 テレスはブーツの動力機構を全開にし、バスケットプレイヤーのように高く高く真上に飛び上がっていた。そして横回転の運動エネルギーで飛ばす投石器は、全周360度を攻撃できる反面、真上に攻撃する方法は無い。

 ムチのようにしなった彼女の全力が、指先に集中する。ダンクシュートのように、真下に、装甲の背中にめり込んだ投石が飛んだ。

 顔を上げたせむしの男の、眉間が割れた。




『やっぱり、あんただったか。』

 眉間が割れ、脳がはみ出したせむしの男。乳房に感じた異様な右手の感触は、テレスの直観通りとんでもない技量を持っていた。ただ、いかなる『技量』も、単純に『技量』でしかない。地位とも、人間性とも、運不運とも関係が無い。

 わずかに気が付いたせむしの男は、テレスの顔を見てにやぁと笑うと、右手の親指を拳の間から突き出して、息絶えた。



 その頃、フランス領のシャラント・マリティーム県の大西洋沿岸部、県都ラ・ロシェルが日本軍に落とされていた。

 その後、恐るべき情報が欧州各国の情報部を駆け抜ける。

『ノルウェーが、日本から『薩摩級』軍艦の購入を決めたらしい』と。
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