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ダインコートのルージュ・その31


≪エキゾチック・テレス14≫


『拝啓 ヨシュア・ヒア・レイフォルデン様。

 いえ、私たちの間では堅苦しいあいさつは抜きでしたねシュアちゃん、マリーシャです。オランダの夏はいかがですか?。

 幼馴染のシュアちゃんがレイフォルデン侯爵家にいき、二人のお子さんがすくすくと育っている事は、私たちスウェーデン女性の誇りとするところです。これで侯爵家も安泰ですね。先妻お二人を亡くされ、おさびしかった公爵様をしっかり支えて上げてくださいませ。

 思い返せば、テレスおねえさまのご寵愛とご指導を受け、スウェーデン内外に飛び立った女性は貴方や私を含めて54名。私の知る限り、一人の例外も無く子供を授かり、夫から愛され、放蕩者だった相手が家にいつくようになり、『妻にするならスウェーデン女性』とまで欧州の貴族界に言わしめるようになりました。おねえさまの教え『性の改革』がどれほど大きなものであったか、私もホーコン陛下に嫁いでから本当に良く分かりました。これからもスウェーデン女性の誇りを胸に、そして喜びと幸せを守って夫や子供たちと仲良く過ごしていきましょう。

 ああ、最後に少し思い出したのですが、シュアちゃんの旦那様は海軍大臣でしたね。それではご存じかしら?。わがノルウェーでは、おねえさまが派遣された日本と交易や交流が盛んなのですが、今度軍艦を買うようにしたらしいのです。私には良く分からないのですが、『薩摩級』とか言う軍艦の名前がチラチラと聞こえます。ホーコン陛下は女性に軍事の話は聞かせたくないと思ってらっしゃるのか教えてくれませんが、シュアちゃんの旦那様はご存じないかしら。もしご存知でしたら、教えてくださいね。

親愛なる幼馴染へ、あなたのマリーシャより。』




 5年前、テレス嬢がスウェーデンにいた時、実に奔放な生活を豪快に楽しんでいた彼女は、両刀使いの本領発揮で、大勢の少女たちとも楽しく関係を結んでいる。

 現ノルウェー王ホーコン7世の第一王妃となったマリーシャも、そのただれた関係にしっかりはまった一人で、彼女主催のお泊まり会を何回も開き、テレスと楽しくてたまらない経験をいっぱい遊んでいる。小柄でほっそりおとなしげに見えるが、性格的には学校のボスタイプ。テレスと初めて遊んだ時、その快楽と思想に心酔してしまった。

 スウェーデン社交界にマリーシャの派閥とも言える同世代の女性の友人は数十名におよび、その全員が彼女の指揮の元、テレスと関係している。しかも手紙に出ていたように、テレスの『性の改革』を受けた少女たちは格段に美しくなり、快楽に大胆になり、男性を喜ばせる技巧を身につけたため、非常に高率で旦那さまから大変愛されるようになって、子供がしっかり出来ている。その評判がまた評判を呼び、後継ぎが出来ずに困っている家系(それも王族や大貴族が多い)に、次々と望まれて嫁いで行った。今やマリーシャの世代の『スウェーデン女性』は、欧州における閨閥(血縁によるネットワーク)にも似た一大勢力なのである。

 マリーシャは今なお中心的存在として、彼女たちに大きな影響力を持っていた。前の話で、テレスを第一王妃に迎えたいととんでもない事を言いだしたのも、彼女の影響力と後に出てくる能力をもってすれば、できないことではないらしいのである。

 スウェーデンにいた頃に、テレスはマリーシャ達のつながりをなんとなく知っていた。欧州のあちこちの国々に彼女たちが嫁いで行っていることも、帝国広報部の情報網から聞いていたので、そこからも『薩摩級』軍艦への関心を煽り、『ノルウェーが購入するらしい』という欺瞞情報を流す事をマリーシャに依頼した。もちろん、それ以外にも色々なルートから情報を流すようにしたのだが・・・、マリーシャ達のパワーはある意味テレスの想像をはるかに超えていた。

 まずテレス自身は想像もしていなかった事だが、この5年ほどの間にスウェーデンでの彼女は『伝説の聖女』に等しい崇拝の対象となっている。

 マイナスを極めるとプラスへと転じるように、『卑俗』も極めると『聖』へと転化してしまう事がある。奔放極まりない彼女の足跡が、大衆には大人気であり、憧れとなる。彼女と触れ合った人々は、強烈すぎる思い出が『過去』という美しい飾りをつけられ、記憶の最上位に飾られる。ついにはテレスのさまざまな伝承まで生まれる始末であり、信じがたい事実がおびただしく混ざっている上に、それを語る人々が未だ生きて活躍しているのだから止まらない。


 その一人であるマリーシャは、敬愛するおねえさまの頼みに全力でお応えした。知りうる限りの友人やつてに、似たような手紙を実に多様な技法で出している。そして、彼女の友人たちも『テレスへの愛情と感謝』は一度たりとも忘れた事が無かったのである。


 この時代の若い女性にとって、結婚とその後の生活、特に夜の生活への不安は大きい。

 21世紀のように、あたりかまわず性の情報があふれ返っている時代と違い、世間の情報から遠ざけられていた女性たちはいかなる運命も『諦めて受け入れる』以外存在しなかった。当然受け入れる事が出来ずに苦しみ、あるいは夫婦としてうまくいかず、子供も出来ず、夫も家から離れてしまう不幸な女性は数多い。テレスのように『快楽に前向きでパワフルで美しい』お手本など、欧州のどこを探しても見当たらない。その実例を見て、触れて、感じた経験は世界を一変させてしまう。世界が変わった女性が他の女性たちと全く違う輝きを持つのは当然であり、それに男たちが魅了されても不思議では無かった。そんな女性たちが、今や『伝説の聖女』であるテレスの事を忘れるわけが無い。

 凄まじい勢いで、欧州各国を郵便が飛び交い、たまたま近くにいた女性たちは馬車を飛ばして話しあい、夫や友人をこき使って徹底的に情報収集に努めた。

 いやもう、軍事機密ダダ漏れ。

 だが、情報を集めさせられた方の夫や友人たちの方が、『薩摩級』の正体に気づき愕然となった。

 『薩摩級』とは日本の新造戦艦の名称であること。排水量は2万5千トンを超え、あの『ナガト』にはおよばぬものの、かなりの戦闘力(それを疑う者は世界の海軍関係者には一人もいなかった)を有することは間違いないこと。もしそれが葛城級いや雪風級の戦力であったとしても、その軍事的圧力は欧州各国の海軍関係者をパニックに追い込みかねないこと。そして何より恐ろしいのは、今ノルウェーが異様に親密に、日本と交易や交流を行っていることだった。

 さらに問題をこじれさせたのは、この情報を集めさせられたのが当時の国家の要職を占める大貴族たちであり、人間で言うなら心臓部直撃となってしまった事だ。他の部局や軍関係者たちならなおさらだが、下からの情報ならまず疑ってかかれるが、目上からの情報を疑うなどほとんど出来ない。

『ま・・・まさか?』

各国諜報部を始め海軍関係者は全員自分の耳を疑い(恐れ多くて相手の言葉は疑えない)、そして恐怖と理性の戦いに必死にならざる得なかった。ノルウェーの日本への入れ込みようは半端ではなく、しかも他国にない太いパイプがあるのか、技術者や科学者などの人的交流までかなりの規模で成功させている。もちろんそれは、私企業レベルの交流がほとんどなのだが、それすら成功していない他国から見れば、この噂の恐怖は嫌な冷や汗が出そうなリアルさを帯びている。しかも噂だけにたちが悪く、北欧仕様の砕氷能力の極めて高い、機動力に特に優れた船らしいとか、氷を打ち砕くためにナガトの巨砲をのせているとか、聞きたくもないおぞましいデマが混ざり合っている。

 いったい何が起きたのか?。

 最初はスウェーデンの女性たちにあおられた欧州各国だったが、必死に情報を収集し、ノルウェーで起こった事件が次第に明らかになっていく。前の話で書いたように、これがノルウェーが首謀者たる三国に突きつけた形なら、むしろ好都合!とノルウェーを叩くのだが、周辺全ての国が同時に知っていき、上から非難が巻き起こっていくのは、止めようもなければ逃げようも無い。そして理性的に考えれば、三国の非道は言うまでも無い。特にフランス、ドイツ、イタリアの外務大臣たちは、真っ青になった。この結果としての軍艦購入となると、誰もノルウェーを責められない。

『お答えできませんな。我がノルウェーはそれなりの覚悟をもっております。』

 各国に呼びつけられたノルウェー大使たちは、噂の真相を述べるように尋ねられて一様にこう答えている。

 しかも、情報関係者だけで止めていたつもりだった機密が、これまたダダ漏れ状態で広まっていく。それはそうだろう。かんじんかなめの元気極まりないスウェーデンの女性たちを中心に、ガンガン情報交換をして、事の真相を広めまくっているのだ。女性の口に戸を立てるなど、突風を紙一枚で支えるより難しく、ファイル交換ソフトに流されたデータより始末が悪い。当然情緒的にノルウェーには同情論が高まる、それも上流階級の女性たちから。敵に回したら、妻ほど怖い女はいない。お陰で担当者たちは誰もかばってくれない。いとあわれ。



 実を言えば、あまりの『噂』の早さにテレスの方が驚くばかりだが、この点『噂』を武器、防御、砲弾、毒薬と自在に使い分けるのは貴族階級のたしなみであり、何よりそれを奔放自在に操れるマリーシャの才能は、誰も想像していなかった。彼女がスウェーデンの社交界で若い女性たちのボスとして君臨していたのは、この群集心理を操る能力がずば抜けていたせいだった。

「おーっほっほっほっ、おねえさま、連中が『おふくろの胎から出てきたことを死ぬまで泣き叫ぶぐらい』後悔させて差し上げますわ!。」

 先日のテレスの怒りの悪魔顔より、今高笑いのマリーシャの方が、よっぽど悪魔そのものという顔つきだったりする。ホーコン陛下にはこの顔は見せられないなあと、思わず苦笑いするテレスである。


 情報に素早い大英帝国はもちろん、普段はド鈍いロシアも火のついたような噂の勢いに気づき、両方が本気で怒り出す。仏独伊三国にとっては、まさに藪をつついて大蛇が2匹も出てきたようなものである。



 そのさなかに、驚くべき知らせがドイツの諜報関係者へ飛び込んできた。


『薩摩級戦艦、ノルウェーへ向けて出港したもよう』


 この情報を受けたドイツ“陸軍”情報担当将校は、大急ぎで首相に知らせ、それを止めようが無い海軍に激怒し、上を下への大騒ぎとなった。

 今回の騒動で一番の特徴は、『あまりに錯綜する情報が多すぎる』ことにある。本物かニセモノか見分ける暇も無く、次々とあちこちからあふれてくる状態に、こんなとんでもない情報が軍の情報担当将校から飛び込んできたのだから、仰天するしかない。

 すでに日本の艦隊が大西洋を縦横無尽に駆け巡り、日露停戦に反対しているドイツもフランスも艦隊を次々と漁礁にされるありさまで、今やフランス本土にまで日本軍が上陸して大戦果をおさめている。この『薩摩級』なる戦艦は奪うか撃沈するかしたいところだが、すでに海上戦力は植民地を保持する限界まで下がっていた。ここで手を出して勝てる確率はほぼゼロ。ドイツ海軍は全てを失って当分の間は名前だけの存在になりかねない。そうなれば植民地は完全に本国と切り離され、ドイツ経済も同時に崩壊する。手が出せるわけが無かった。

 ドイツのパニックは、あっさり(上流階級から素通し)全欧州に伝わり、各国首脳やアメリカ大統領まで知るレベルの騒動になった。

 ちなみに、アメリカ大統領はデオドア・ルーズベルトだったが、『ノルウェーが日本の薩摩級戦艦購入』という情報を聞き、血圧が190を超えてしまい、その場にぶっ倒れた。日本海海戦で大損害を被り、国家予算がひっ迫している状態で北大西洋にまで防衛戦力を配置せざる得なくなったら、間違いなく予算の底が抜けるからである。しかし、どこも事情は似たようなもので、今や日本に叩かれまくっているフランスにいたっては、外務大臣と経済大臣と海軍大臣が、責任のなすり合いから殴り合いのケンカにまでなっている。この殴り合いは、巨漢の海軍大臣が経済大臣に後ろから首を絞められ、チビの外務大臣には腕に噛みつかれ、けっこういい勝負だったらしいが、その様子まで赤裸々に噂で流されてしまって赤っ恥もいい所である。


 ただしこの情報は、後日になって間違いとわかった。


 大西洋へ遠征するためにいろいろ仕様を変えていた防衛軍艦隊の移動を、“陸軍”の諜報部員が新型戦艦と間違えたために起こったという、笑うに笑えない誤報だったのである。おかげでドイツへは非公式にだが非難が殺到。ドイツ皇帝のお怒りで、情報担当将校は8階級降格という、前例のない悲惨な降格記録を作る羽目になり、一兵卒としてアフリカの最前線へ送られたらしい。

 このあたりになると、テレスもマリーシャも、帝国重工広報部ですら全く何も知らないうちに起こっていたというのだから、噂というのは恐ろしい。情報を間違えたのはドイツ情報部でも、それをここまで混乱させて『鵜呑み』にさせてしまったのは、某ゲームの有名な魔法呪文『メダパニ』のような噂の魔力である。


 とはいえ徐々に情報が集まるにつれて、次第に理性の方が強くなっていくのは自然の理だろう。整理されてきた情報から各国少しずつ落ち着いてくる。現在ノルウェーには1万トンを超えるドックは無く、そのような巨艦を購入したとしても、整備する術がない。理性的に考えれば、ありえない話である。事実ノルウェーが購入を決めたのは、6000トンクラスの大隅級で沿岸警備ぐらいの軍艦だった。


 だが突如、ホーコン7世は油田開発のための特別議題を議会に提出した。新しい巨大な港湾の開設と、超大型ドックの建設(サイズは明らかにしていない)、そして軍事基地としての施設の整備。


 すでにノルウェー国論は煮えたぎっている。 ノルウェーでダイア商会へ行われた数々のテロ、スウェーデンからの怒りで潰された面子、罪の重さに耐えきれず焼身自殺した石油鉱区統括長官の残した通話記録、ノルウェーから大事な油田を奪おうとさまざまな圧力をかけてくる国々。この点、日清戦争での勝利に横暴な三国干渉で権利を放棄させられ、怒りに燃えた日本の『臥薪嘗胆(丸木の上に寝て、苦い肝を舐める生活をしてでもこの屈辱を晴らす)』に似ていると言えた。

 新生ノルウェー王国では、新聞はもとより、国内の軍関係施設や行政機関には、毎日定時に重要な発表や事件の経過を張り出させ、ラジオ放送等も活用して各地で流している。ホーコンは日本での経験から、情報の早さと文化度の高さがある程度まで比例すると見取っていて、情報のスピードを上げるために、さまざまな工夫を凝らしていた。人間は文化の高い所ほど魅力的に見える。米国への移民を減らし、ノルウェーを衰退させないための工夫が、同時に国論をまとめるためにも非常に役立っていた。


 そしてホーコンは最後の一手を打つ。

「我々は親交を深める日本に、この港湾を進呈し、恒久的な貿易基地を作って共に発展する事も考えたい。」


 一つの例だが、この頃の清国はアヘン戦争での敗北の代償の一つに、香港とマカオという二大良港を英国に奪われ英国領とされていた。自由貿易港となった香港とマカオは凄まじい繁栄を謳歌し、同時におびただしい混沌を同居させるようになる。それに匹敵するような事を、自ら日本に行おうというのだから、各国首脳は飲みかけた紅茶を噴き、思わずひっくり返った。

 これはもう『薩摩級』どころの話では無い。

 他の北欧三国は一斉に賛同の意を示し、ノルウェーの日本基地を窓口とする北欧貿易圏を作ろうという話まで出てくる。もちろん、ノルウェー以外の三国は自分の腹が痛まないのだから、喜びを隠しきれないようですらある。イギリスが香港などを足がかりに、どれほどの暴利を得て繁栄しているかは、もはや知らぬ者はいない。まして日本の商品の競争力は世界を圧するほどのものがあり、香港のような自由貿易港をノルウェーに作られた日には、これまでの商品ルートは壊滅しかねない。同時に、それまでそのルートを指をくわえて見ていた者たちに、新たな可能性が大量に生まれるかもしれない。逆に東洋という未知の巨大な市場への、太い進出ルートも確実に期待できる。各国貿易関係者が一斉に騒ぎ出す。

 そして、日本の恒久的な基地が出来てしまえば、その軍事的圧力は欧州にとっては説明不要なほど恐ろしい。逆に煮えたぎったノルウェー国論は、この英断(まだ構想程度で日本の意見すら聞いていないのだが)に、大歓声を上げる始末。日本の大西洋での活躍が、欧州に圧迫されてきた北欧の民の留飲を思いっきり下げていたのが分かる。


『止めてくれ!』


 真っ先に悲鳴を上げたのが、情報に鋭敏な大英帝国だった。英国にとってみれば、これは完全にとばっちり。巻き込まれ型の災難と言えた。それも超弩級の大災害に等しい。日本と先日ゆるやかな同盟を結んだとはいえ、軍事的圧迫はカルシウムを良く取る英国人にすら相当なストレスだ。はっきり言って止めて欲しい。一つ高い目線から見れば、欧米の美味しい日本製品市場や東洋の独占的な市場が蚕食されかねない恐怖があり、国内産業の危機とすら言えた。

 次に悲鳴を上げたのは、当然のごとくロシアで、大国といえど東西両方の海の出入り口に恒久的基地など作られてしまっては、海での動きが完全に封じられてしまう。

 他の国々も、本気で恐怖に囚われ出した。国際秩序の崩壊にもつながりかねないこの動きは、欧州の致命傷にすら成りえる。

 先日の騒動が笑えるほどの緊張と怒りが、フランス、ドイツ、イタリアの三国に向けられる。北欧四国が全力で協力したら、日本はどこまで化けるか分かったものではない。しかも感情論的にも、国益的にも、ノルウェー王の決断(まだ決めたわけですら無いんですが)は責める理由が無い。ここまでノルウェーを決断させた無様な三国に、怒りが集中するのは当然と言えた。

 最初に耐えられなくなったのはイタリアだった。

 元々大した考えがあって協力したわけではなく、『うまそうな話に一口のろうか』ぐらいの感覚だったのだが、今や完全に震えあがっている。大英帝国を中心とした不穏な動きに敏感に反応し、恥も外聞も無く、特命大使がノルウェー在住公使を連れて王宮へ走り込み、ホーコンにとにかく土下座して謝罪しまくった。理由は言わず、『言わなくても分かってくれ』とばかりにひたすら謝罪し、責任も取るし賠償もすると言い、よほどの事でない限り貿易や外交の条件も飲むので謝罪を受け入れて欲しいと全面降伏である。ホーコンはとりあえず何も言わず追い出したが、イタリア特命大使は日参してくるようになる。

 ドイツとフランスは、この問題に関してはこじれにこじれ、危うく戦争になりそうな気配すら漂ったが、ロシア皇帝が直接送りつけた外交官の一喝が効いたらしく和解して特命大使をおくる事となった。場合によっては、イギリス、オランダ、スペイン等にロシアまでが協力して両国の海上封鎖を考えていたらしい。

 実際はノルウェーの海上封鎖の方がずっと楽なはずだが、ちょうど両国が日露戦争の停戦反対を強硬に主張しているタイミングでもあり、日本を刺激したくない各国の思惑もあった。何より、ハタ迷惑な両国へきついお灸をすえるにはこれ以上のチャンスはなかったのである。この時期を狙って見事な一手を打ったホーコンこそ褒められていい。


 この場合、先に来ていたイタリア大使に主導権があり、屈辱的な条件とはいえ両国にはそれを覆すような気力も無くなっていた。何よりイギリスを始め、各国公使たちが三国の大使の動きを一瞬も見逃さないほど見張っている。


 さすがに三国うちそろって謝罪に来たとなれば、むげに追い出すわけにはいかず、ノルウェーはじっくりと各国の言い分を聞き、これまでの事実を克明に比較しながら、さしずめ閻魔大王のような厳しさで検証していく。


 大使級の貴族や官僚も含めた首謀者たちの処分や追放、被害者への賠償と責任、イリュミン・ダイア商会への賠償、ノルウェーへの賠償と貿易や外交での優遇などが極秘裏に決められた。さすがに三国の面子までは潰さないよう、小国のノルウェーとしては細心の注意を払って交渉を行っている。また、暗殺の実行犯であるせむし男と組んでいた数名の男女も捕えられ、スウェーデンに引き渡された。

 同時に、ノルウェー内部ではお祭り騒ぎの様相を呈しだす。海上輸送が大きな産業であるノルウェーにとって、ドイツやフランスとの交易が有利に進めば、運輸や商売の儲けはこれから十二分に期待できるからだ。

 そして、北欧各国へはマリーシャ王妃が自分の情報網をフルに使って、上手に火消しをしていく。

 英国やオランダなどの公使も、新しい港湾施設について色々な意見や条件などを提示し、国王たちと何度も会見していた。核心の情報『日本の貿易基地』という事には、一言も触れようとしない。これこそわざとである。彼らもまた『言わなくても分かってくれ』という悲鳴を上げているのだ。すでに着手して始まっている新型港湾の計画を、頓挫させれば莫大な損失が出るだろうが、それでもこれ以上欧州に緊張を招くのは、まかり間違えば大戦争にも発展しかねない。各国とも、いろいろ良い条件を提示し、何とかこの計画を止めるか方向変換してくれるよう必死だった。もちろん、日本へも連絡を取ろうとしているのだが、何しろあまりに遠すぎる上に、日本からすればこれほど美味しい条件を提示されて、止めるなど考えにくかった。



「さて、日本としてはどういう返事をくれるであろうかな?」

 芝居がかった口調で、ホーコン7世が悠然と尋ねる。

「ノルウェー王国のご好意は、本当にありがたいと思いますし、その価値も理解しているつもりですが、なにぶん日本は東洋の小国、はるかな欧州に貿易港を持つほどの余裕がありませぬ。身の程を知る事こそ、我が国の文化と伝統、そこをご理解いただきたく思う所存でございます。」

 片ひざをつき、優雅に応えるテレス。だが、プッとホーコン、テレス、マリーシャが同時に吹いた。そして爆笑する三人。

「残念な事だが、そのような事情であれば致し方あるまい。それでは新しい港湾は、油田のための大型タンカー基地として整える事にいたそう。」

 芝居は最後までやらねばと言わんばかりに、笑いすぎて涙を拭きながらホーコンが言う。何しろこれならば、計画はほとんど手直しも必要が無いぐらいだ。というか、最初からこれを狙った計画だったのである。良質な油田が近くに生まれ、その輸送方法が整備される事は、欧州経済にとっても悪い話では無いのだ。


 日本からやんわり断られ、それではと欧州全体への利益となるように、国策を変更する。あまりに出来過ぎかもしれないが、これで欧州各国は腰が抜けるような安堵を味わうだろう。ノルウェーが欧州の一員として協力することを、姿勢で表した事になるからだ。北欧連合もそれに同意する事で、欧州との緊張はほぐれる。そしてほぐれる事で欧州や将来のアメリカへの抜け道、つまりレアメタルやレアアース等の資源の搬入口ががさらに増やす事が出来るのだから、日本や帝国重工としても本当に歓迎すべきルートなのである。



「おねえさま、マリーシャがんばりましたでしょう?。」

 見かけ20前にしか見えない幼顔の王妃のおねだりに、テレスも苦笑してしまう。

「マリーシャがんばったわね。ご褒美は何がいいかしら?。」

「お泊まりをしていってくださいませ、おねえさま。私ず〜〜っと願っておりましたの。おねえさまと陛下、そして私の3人で過ごす夜を!。」

 この奔放な王妃のあけすけなお願いに、やっぱりとあきらめ顔のテレスと国王。

『まあ、ノルウェーの女性たちに『性の改革』を進めるのもいいかもね。』

 もちろんテレスはノルウェーに骨をうずめる気などさらさらないが、帝国重工きっての『開放派』特攻隊長としては血が騒ぐ。北欧は将来相当『開放的』なお国柄になりそうである。
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