■ EXIT
ダインコートのルージュ・その31


≪エキゾチック・テレス11≫


『日英同盟』


『北欧の連合ですら頭が痛いのに、困ったことだ。』


 大英帝国中枢部で、バルフォア卿がつぶやいた言葉は、そのまま欧州の困惑を表している。


 スウェーデンがノルウェーとの同君連合を解消し、独立国として認めた。


 これだけでも、覇権主義の欧州各国には驚愕の事態である。一度つかんだ支配権は、天地がひっくりかえっても離さないのが当時の常識だった。

 それに感服したわけでもないだろうが、デンマークやフィンランドも急速に接近を始め、スウェーデンを中心とした北欧の連合体が出来始めている。

 一国一国は微々たるものだったが、ノルウェーの海底に油田が見つかったあたりから目算は大きく狂った。


 通常ならば、油田発見と同時に利権をにらんだいがみ合いが起こり、スウェーデンは絶対にノルウェーの同君連合を手放さず、王子を迎えるデンマークとの争いになるはずだった。ころあいを見て割って入り、調停と同時に利権の大半を奪えると見込んでいたのに、争いの火種どころか煙すら立たない。これはまずいと、デンマークの英国同調者(すなわちスパイ)を使い、お家騒動を引き起こそうとした。ところがノルウェーかデンマークによほどの傑物がいたのか、この作戦は見事に潰されてしまった。

 バルフォア自身は優れた政治家であり、暗殺などと言う個人的な暴力による暗い手段は本能的に嫌うが、何しろ日露戦争の勃発であまりに忙しすぎた。

 仕方なく大部分を部下に任せていたため、デンマークの現場で暗殺と言う安直な手段を選んでしまったのだった。しかし、部下を選んだのは自分であり、責任は全て自分にある。バルフォアは淡々と後始末をした。



 スウェーデンの鉱物資源はかなりの優良資源だが、それだけなら大して問題も無く価格を操れる。だがここにノルウェーの石油つまりエネルギーが加わると、製造から輸送、その他各種産業まで大きく伸び始める。これは恐ろしく厄介である。イギリス国内の産業は、将来のライバルが出現することになりかねない。

 何よりこの連合には、『背中』を心配する必要がない。

 どんな剣術の達人でも、『背中』つまり背後は常に弱点である。

 どんな強大な国家でも、国境全部を万全に防備しようとしたら、間違いなく国防費で破産する。まして空軍が生まれていないこの時代、軍の機動力はたかが知れている。防御の厚い地域が必要である以上、薄い地域つまり『背中』は、同盟を結んだり、婚姻をしたり、そちらの国を経済で支配したりして、必ず作らざるえない。

 北欧は北極という人跡未踏の極寒の地を背負っている。逆に言えばそちらから攻められる心配が全くない。四方八方目を配っておかねばならない欧州とはかなり違う。人口こそ少ないが、向けるべき戦力はまず南を向いておけばよい。そこへ横方向の北欧各国が協力同盟するならば、国土防衛に必要な戦力は相当絞り込める。


 その点、イギリスも島国なので比較的有利そうに見えるが、この国も実は無理に力でまとめた歴史があるため、内部に火種がかなりあり、国土防衛以上に国内治安のための兵力が必要だ。

 英国と何度ももめ事を起こしたデンマークも、ノルウェーの石油の利権の一部が流れ込むわ、広大な海上防衛がぐっと楽になるわで、英国の恐怖は格段に下がる。

 そして見かけ上は、アメリカ企業と組んだスウェーデンが北欧を巧妙にまとめ出しているとしか見えない。ノルウェーの石油も、同じアメリカ企業が全力で乗り出しているのだから、大英帝国といえどへたに手を出せない部分がある。これがノルウェー単独やスウェーデンとの共同事業であったならば、海軍力で無理やりに押さえてしまい、所有権を既成事実化してしまう事もありえたが、イギリス製綿織物などの広大な市場をもつアメリカとはさすがにもめ事は起こせない。第一、日本海海戦の絡みで売った英国製軍艦の代金すらまだ払ってもらっていないのだ。バルフォア卿と言えど、これは躊躇せざる得ない。


 ノルウェーの海底油田や、スウェーデンの鉱山開発、同君連合の解消とノルウェー独立、北欧連合へのフィンランドまで巻き込んだ大連動など全てが計画的に仕組まれたもので、見え隠れするアメリカ企業が“実は”日本の帝国重工がでっちあげたダミー会社な上に、日本へ資源をこっそりと運ぶために全力で尽くしているなど、いかにバルフォアが世界的に優秀な政治家であろうと、神ならぬ身には気づくはずも無かった。

 その上、この大計画を中心で進めていたのが、たった一人の女性の奮戦であったなど、男性優位が骨の髄まで染み込んでいるこの時代には、『想像を絶する超現象』とまで言っていい。たとえどれほど優れた情報網を持っていようと、英国首脳部はその女性の名すら気にも留めなかっただろう。ただ、これがばれた日には、大英帝国はいかなる手段を尽くしても、日本を完全に焦土にせずにはおかないだろうが。



 前にも書いたように、どれほど慎重にしてもし過ぎることは無いほど、帝国の本質は丁寧に隠さねばならないのである。そのために日本と帝国重工も更なる手を打っていた。



 閑院宮載仁親王(かんいんのみや ことひとしんのう)という天皇のご一族がいて、1904年頃には帝国陸軍少将になっている。この時代、天皇家の子供は悲惨なほど短命で、一族の有望そうな人物に皇位継承権である親王を与えておかないと、何が起こるか分かったものではなかった。閑院宮は史実でフランス留学後、フランス陸軍大学まで進み、日露戦争に従軍している。


 日本海海戦直後、39歳の閑院宮載仁親王は英国王室を表敬訪問した。

 何しろフランスに長く留学していただけに、欧州各国にも顔が広く、英国王室は特に知り合いが多い。中でも次期国王であるプリンス・オブ・ウェールズ(皇太子、後のジョージ5世)とは親友と言っていい。14歳から海軍にいて軍歴が長く、日本を訪問したこともあり、その腕には日本で彫らせた竜の入れ墨があるという英国王室としても相当な変わり種の皇太子である。

 この皇太子、実は兄がいて王位は継げないと確信されていた。ところが1892年にこの兄が肺炎で頓死したため、皇太子を継がざる得なくなったといういきさつがある。砲艦の艦長はやるわ、航海好きで“セイラー・キング”などとあだ名されるわ、射撃の名人だわ、王家の一族でありながら軍人一筋で通すつもりだったらしい。当然閑院宮と面識があったのはそのころで、フランス陸軍とはいえ同じくしっかり軍の教育を受けた閑院宮とは、ことのほか話が合った。しかもこの二人は同じ1865年生まれ、つまり年が全く同じなのだ。公式な記録は何も無いが、この二人は血の気が多かったのか、酒の会話から殴り合いのケンカまでしたことがあるらしい。


 元々趣味が狩猟と切手収集という皇太子、閑院宮が来るや領地の狩猟地へ連れて行き、丸二日狂ったように狩りをしたそうである。連れて行く皇太子も皇太子だが、ついていった閑院宮もそうとうだろう。後には名君として歴史に名を残す英国王となるが、皇太子時代はけっこう荒っぽい性格だった。


 ここで、狩りをしながら重要な話がなされている。


「ミヤ(閑院宮のこと)、君の祖国は大活躍じゃないか!。」

 見事な銀ぎつねをしとめ、ジョージ(皇太子)はかなり上機嫌だ。銀ぎつねは百匹に一匹いるかいないかという偶然の産物で、価値も非常に高い。

「降りかかる火の粉を払っているだけだよ。私たちはロシアに何か悪いことでもしたのかね?。」

 閑院宮の銃声、シカが見事に射倒される。

「あははは、君らしいなあ。我々が獲物を打つのに、理由がいるのかい?。」

 唇をへの字にする閑院宮、南にいるというだけで、ロシアにとっては獲物と見られる。

「えらく見くびられたもんだ。」

 もう一発、今度はキツネをうまくしとめた。

「我々は負けてやるつもりはサラサラ無い。」

 銃をおろし、皇太子の方を見る。

「だがジョージ、少し心配な事がある。」

 閑院宮の真剣な目に軽くうなづくと、二人は馬から降りて獲物を集めた。
普段なら自分たちで火を焚いて、湯を沸かすという徹底した狩人ぶりなのだが、今日は閑院宮についてきた女性が、手際よくお茶の用意をしてくれた。しかも、ティーポットも使わずに紅茶を入れたのだから、皇太子はすっかり驚いてしまっている。それで無くとも、二人のハードな狩人ぶりには、SPですら死に物狂いでついてきているのに、小柄で目の覚めるように美しい美少女は、白と赤の愛らしい乗馬服姿で楽々とついてきていた。その笑顔は、輝くプラチナの髪もあいまって、見とれてしまいそうだ。初めてみる実物のイリナ・ダインコートは、実に衝撃的だった。

「いったいどうやって入れたのかね?」

 プラチナブロンドに大きな青い瞳の愛くるしい少女は、にこやかに笑って答えた。

「日本の紙は、とても多種多様でいろいろな仕事ができるのですよ。」

 薄く透ける紙を折った袋を湯につけると、見事な濃いオレンジ色が染みだしてくる。

 ティーバッグは史実では、1908年に紅茶の貿易商であるトーマス・サリヴァンによって偶然に発明された。その時は絹の袋に入れて送ったのを、受け取った人間がそのまま使うものと勘違いしたそうである。それで最初は絹の袋で紅茶を出していたらしい。もちろん帝国重工の女性陣は、そんなものを待ってなどいられず、さっさと作らせている。1904年の段階では、そろそろ試験的に公爵領などへの輸出も始まるぐらいで、英国人が知らないのは無理もない。

 ブランデーを落とし、甘く温まる紅茶は、狩りに疲れた体には至福の一杯だった。

「で、ミヤ、心配な事とは何だね?。」

「ロシアの同盟国たちも黙ってはいまいが、それも我々は覚悟の上だ。だが、同盟国は更に他の国ともつながりがある。英国とて長い歴史の中ではさまざまなつながりを持つだろう。私はこんなつまらないことで君と闘うのは嫌だ。」

 二人は八の字の鼻ひげを(なんとこの二人、鼻ひげの形まで同じである)、ゆっくりのうなづかせた。

 どちらも軍人としての筋はしっかり持っている。死ぬべき時に死ぬ覚悟もある。戦場で出会うことになれば、どちらも恐れることなく戦うだろう。だが、他人の愚行に巻き込まれるような、愚かしい戦いは己の名誉を汚すだけだ。

「あの連中(フランスやドイツ)は、ぜひとも我が国を巻き込みたいと色々策動をしているよ。」

 ニヤッと、凶悪な笑いを浮かべる皇太子。その笑いはフランスやドイツをせせら笑っていた。

「実際我が国としても、迷惑極まりない話だ。これまで散々敵対してきてくれたくせにな。」

「おいおい、いいのかこんな場所で私に話して?。」

 基本的に人の良い閑院宮は、外交情報を漏らす皇太子を心配そうに見た。

「かまわんよ。それにいい加減対策を立てておかないと、本気で巻き込まれてしまう。」

 骨の髄まで船乗りだった皇太子は、争いごとの悪辣な手段を結構見ている。船の国旗をすり替えたり、船そのものを入れ替えたりして、難癖をつけるぐらいいつやられてもおかしくない。フランスの船がいつの間にか英国籍に変わっていたりしたら、とんでもない事になる。一番怖いのは、それが不意打ちでやられる事だ。人間カッとなると冷静な判断は出来なくなる。国同士も同じで国論が一気に反日に傾く可能性もあった。そして『海の上で日本と争って良い事など一つも無い』というのが皇太子の偽らざる心境だった。これもまた骨の髄まで船乗りだった皇太子ゆえの優れた直感である。海に関する限り、チェンバレンだろうがバルフォアだろうが、この皇太子には束になっても及ばない。

 皇太子は薄い灰色の目をキラッと向けた。

「どうだ、同盟を考えてみないか?。」

「どんな同盟だね?。」

皇太子の口から飛び出した思わぬ言葉に、閑院宮の方が思わず身を乗り出してしまう。

「相手が他国と戦争になったら、中立を守って、戦争をできるだけ早く収めるように努力する、というのはどうだ?。」

「おお、それはいいな。」

 閑院宮は本気で喜び、イリナは驚愕を抑えるのに本気で苦労した。イリナは閑院宮とも何度も話し合い、できるだけ『相手が他国と戦争になったら、中立を守って、戦争をできるだけ早く収めるように努力する』という形の同盟へ誘導するよう色々計画や計略を練っていた。何より、英国にその提案をさせるように持っていくのが、計画の一番のキモだった。そのためだけに皇太子を狙い、その友人である閑院宮にご足労を願い、イリナ自身が英国くんだりまでやってきたと言っていい。ところが話は一足飛びに、いきなり核心を突いてしまった。

『私、いったい何のために英国まできちゃったんでしょ?』

 うまくいったのはうれしいが、あまりにあっさり行き過ぎて、イリナはどうにも脱力しそうでした。

 この後、皇太子のご意向と英国議会や政府の方針、そして日本の意向も合致して、英国が申し出る形で日英同盟が結ばれることになります。何しろこの同盟、史実の日英同盟に比べても『相手の邪魔をしない』というだけの極めてシンプルな内容のため、あっという間に結ばれます。正直、日本海海戦のあまりの無双っぷりに、英国はかなりドン引きしていて、間違っても日本ともめることはごめんだと政府首脳部も頭を痛めていたので、このシンプル極まりない同盟はあっさり話が進んだのでした。

 そして直後に日本の海軍が大西洋でフランスやドイツを叩きまくる壮絶な有様を見て、議会が本気で安堵したのは言うまでもありません。何といってもこの時代、古代のヴァイキングのように日本がいきなり英国本土を強襲略奪するというようなおバカな行動を取るのじゃないかという恐怖が、ニュースのたびに国民の妄想にわき起こります。おバカなマスコミの中には黄禍論を本気にする連中もいます。日英同盟がその防波堤としても非常に役立つことになりました。そして日本の隠れ蓑としても、同盟を結んだ国には何となく気が緩み、日本のこれまでとこれからの大陰謀はますます見えにくくなるのでした。


「イリナ嬢、もう一杯もらえるかな?。実にうまかった。」
「私ももらおう。うまかったよイリナ。」

「あ、はいはい。少しお待ちくださいませ。」

 いそいそと入れる後姿を見ながら皇太子が、

「う〜む、いい腰つきだ。どうだ英国に来ないかね?。」

 いやもう、目がランランと輝いている。早くも虫が騒いでいるらしい。
閑院宮のおつきに誰が行くかという事で、テレスも行きたそう(というかついでに北欧も)にしていたのだが、今の段階では北欧と日本の関連をあまりに強く印象付けると何かとまずいので、帝国重工の看板娘とも言えるイリナが来たのだった。それとテレスの性格上、皇太子でも平然と誘惑(というか味見?)しかねない。いやそれぐらいでは済まない騒動が想像できてしまうのだから、危なくてどこでもは行かせられないのが欠点と言える。あまりにやり過ぎて、北欧の後始末で大汗かかされた広報部では、『爆弾娘』とか『爆弾ちゃん』などというあまりありがたくないあだ名までちょうだいしているらしい。

 とはいえ、イリナも人の事は言えないほどのトラブルメーカーであり、際立って役に立つ半面、後始末が大騒動になるのはさほど変わらない。

「おいおいジョージ、彼女は我が国の至宝だ。そうそう簡単にくれと言われても困る。」

 にぎやかに言い合いをする二人を見ながら、無事帰れるのか少々心配になるイリナでした。
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