■ EXIT
ダインコートのルージュ・その31


≪エキゾチック・テレス 8≫


月の無い夜、空を見上げる者はいない。

真の闇の帳の中、一人になるのは恐ろしい。

まして月すらいないなら、どれほど闇は恐ろしい。




かすかな風鳴りと、闇の中にさらに暗い姿が、ゆっくりと雲に沿うようにして動いていく。

楕円に近い巨体を、光学迷彩がぼやけさせ、闇の一部のように見せている。

帝国重工の誇る多目的飛行船『銀河』である。



「あと10分で、目的地上空につきます。用意はよろしいですか?。」

「いいわ、準備OKよ。」


特殊作戦群所属、銀河パイロットの大家中尉が、静かに声をかける。

応える穏やかなアルトは、テレス・ロペス・ニキーネ大尉。
黒い軍事用ジャケットに身を固め、長い藍色の髪もヘルメットに納め、凛とした美貌にゴーグルを下ろした。

「降下後、予定通りキャンプに帰投します。」

「了解・・・でも、軍事作戦じゃないんだから、もう少し焼いてくれてもいいんじゃない?。」

「勘弁してください、テレスの相手にいちいち焼いていたら、こっちの身が持ちませんよ。」

アゴのでかい気難しそうな顔がにやけ、急に砕けた口調の中、ほんの少し男と女の色香が会話に混ざる。



デンマークに銀河で同行した特殊作戦群の小隊は5名。

全員男性で、もちろんこの作戦に最も適した人材ばかりだが、最終的にはテレスの好みで選んである。ただし、その選考度合いが容姿でないことだけは間違いなく、全員がお互いの顔を見て『俺の方がましだ』と安心したほどだった。


作戦の初期、彼女がスウェーデン貴族と関係を持ち始めるまでの期間、隊員たちは精神安定剤の役も仰せつかっていて、全員テレスとは関係している。もちろん大家もたっぷり搾り取られた口である。
彼女の獰猛さは雌虎そこのけで、優秀かつ若い精力に満ちた隊員が5人もいて、かなり苦戦していたほどだった。しかし、彼らががんばらないと、何かのきっかけで興奮状態になったテレスは、手の付けられない凶暴さに変ずることがある。
もちろん、誰ひとり文句を言うものはいなかったが。


「間もなく目的地です、カウントダウン入ります。5,4,3,・・・」


ゴーグルに赤外線視界を開き、視界内に次々と映し出される形象化された地形映像と位置情報を正確に把握する。

ヘルメットに仕込まれる極薄型第8世代型ユビキタスシステムが、彼女の視点の動きで、送られてくる情報を統合整理し、必要最低限の情報を自動的に表示。
骨伝導マイクで、テレスの命令だけを拾いあげ、絞りこんだ情報を数字や形象化して次々と表示する。

各情報の表示速度は、0.2秒。

カウントダウンのわずか5秒間に、脳裏に焼き付けた情報は100を越える。

それを残らず整理し、現実に即応させて対処する能力は、帝国の準高度AI陣の中でもトップクラスのテレスである。


「・・2、1、0!」

カウントゼロと同時に、恐れ気も無く闇夜にダイビングをかける姿は、黒豹のようなしなやかさと力強さを秘めていた。


彼女ほどの技量があれば、情報無しでも暗闇での降下ぐらいできないことはないが、作戦総合指揮者である“さゆり”嬢と高野司令は、万が一の油断を絶対に許さない。

地形映像は高高度無人探査装置の映像解析をソフィアと研究陣が行い、様々な諜報活動を通じて、徹底した調査とデータ収取をしてくれたのは、イリナ嬢と広報部一同。

北欧要人行動心理分析は、イリアがその強力なプロファイル能力で十二分に行っている。

そして、今夜の飛行のみならず、テレスの影の警護と欲求解消、服や宝飾品の搬送、クリーニング、飛行船のメンテ、火災その他の演出に忙しく駆け回ってくれたのは、特殊作戦群北欧活動小隊みなさんである。


彼女の活動の陰で、帝国重工メンバーたちは総力をあげてバックアップしてくれている。テレスはそのことを、一瞬たりとも忘れたことはない。



バッと闇色のハングライダーが5メートルを超える翼を開き、テレスをふわりと支え降下させていく。

雲が流れている、あと10分もすれば、濃い雲が取れて月夜が戻ってくる。

冷たい夜気の中、ゆうゆうと降下していった。



そして、いま彼女が降下しているのはデンマーク、コペンハーゲンにある王城の一角である。




カサッ、カサカサッ


かすかな草鳴りの音とともに、手入れの行き届いた王宮の庭を、何かがこそこそと動き回っていた。

背は170センチぐらいに見えるが、やたら手足が長く、しかもせむしのように背中を丸めている。

地を這うような動きが、まるでクモのような不気味さで、しかもほとんど音がしなかった。

黒っぽい手足にぴったりした服に、頭巾までかぶり、ほとんど顔も見えない。
だが、その血走った不気味な目を見れば、まともな人間だと思うものはまずいまい。


足を止め、空を見ると雲が動き始めているのに気づき、速度を急に早めた。
もうすぐ月が出ることに気付いたのだ。

王宮のさほど高くない塔の下につくと、手に強く曲がった金属の爪のような器具を付けた。 三本の強く曲がった爪を、塔をくみ上げた石の隙間にひっかけ、するすると上り始める。

狙いは、15メートルほど上の部屋の窓。その窓はカギが閉まらないよう、細工されているはずだった。



爪をひっかけ、そっと窓を開けると、塔の壁を蹴り、爪を支点にしてふわりと部屋に飛び込んだ。


だがまさか、その後ろつまり外の空中から、誰かが飛びかかってくるなど、想像できるはずもない。
そして、飛び込んだ部屋の窓の下から、唸り声とともに巨大な何かが飛び上がって来ることなど予測できるわけがない。



大きなハングライダーの翼を瞬時に切り離し、空中から侵入者に躍りかかったテレスは、猛烈な速度で前に一回転し、長い足をナタのように振りおろす。
日本古来の武術、真伝骨法の秘術『あびせ蹴り』である。

通常の強い蹴りだと、地面などを蹴った反動を相手に叩き込むのだが、空中ではそれは出来ない。
『あびせ蹴り』ならば空中から重力+回転で、落下のエネルギーをさらに増幅して叩き込める。
しかも、蹴り技でありながら超接近状態で放たれるため、かわすのは非常に難しい。そして大きい窓とはいえ、身体を丸めた状態で飛びこめる。


 ヴ・・・・・ンッ


襲いかかるテレスのヒールが空気を震わす。
殺気に、ギリギリ身体をひねろうとした侵入者の後頭部がぐしゃっと凄絶な音を立て、そのまま肩を鈍いへし折れる音が打ち砕いた。


完全に不意を突かれた侵入者は、同時に後頭部から肩に強烈な打撃を受け、首に恐ろしい牙が噛みつき、叩き落されて、転げまわる羽目になった。

侵入用具であり、同時に強力な武器になるはずだった爪は、攻撃のみには有効だが、自分の首にくらいついてくる巨大な獣には、防ぐどころか邪魔になるだけだ。爪に塗るはずだった毒は、まだ取り出しさえ出来ていない。しかも左肩から先が動かず、頭にすごいダメージがある。

真伝骨法の『あびせ蹴り』は、並みの人間なら即座に首がへし折れても不思議ではない。ましてや獰猛苛烈で聞こえたテレスの一撃、耐えきったこの侵入者こそ褒められて良い。

だが、さすがにダメージは消しきれなかった。
目測を誤り、足を踏み外した侵入者は、まっさかさまに15メートル下の石畳へ転落した。

巨大な獣は、後ろに落ちる相手を蹴ってとび下がり、無事だった。

だが、もう一人黒装束の小柄な姿が、あちゃ〜という顔をして、下をのぞきこんでいた。



テレスが降下してくると、すでに侵入者が窓にとりついていた。しかも、手には武器ともなるカギ爪までつけている。

とっさにハングライダーから窓に飛び移る離れ業を決断し、大型とはいえ窓に飛び込みながら、空中技で最大の攻撃力を持つ『あびせ蹴り』を放ったため、手加減が出来なかったのだ。できれば、相手を無力化したうえで捕えたかったのだが。



獣はノルウェーオオカミという、子牛ほどもありそうなオオカミで、なぜかテレスには牙をむかず、きょとんしたような顔で見ていた。


「グランディ、侵入者か。」

眠そうな声で、しかし枕元の40センチほどの小剣を持って、むくりと金髪の青年が起き上がった。カール第二王子である。
オオカミの名前がグランディであるらしい。

フンフンと、困ったような声を上げるグランディに、ようやく雲が晴れて月光が現れ、銀色を帯びた茶色の体毛を輝かせる。

そして、月光の中に見知った顔が現れるのを見て、王子の目が丸くなった。

濃い藍色の髪、小麦色の肌に美しくまろやかな懐かしい頬笑み。


「テレス・・・テレスではないか?!。」

「お久しぶりでございます、カール王子。」


巨漢の王子は、満面の笑みを浮かべ、テレスを軽々と抱え上げた。


「おお、夢ではない、この柔らかさ、温かさ、輝く瞳、間違いない!。」


笑いながらテレスを高く差し上げて振り回し、腕の中にギュッと抱き込んだ。

激しい抱擁の中、熔けるようなキスを強く交わしていると、ドアが激しくたたかれた。

「王子、カール王子、何事かございましたか?!」

もちろん、おっとり刀で駆け付けた、衛士の連中である。

「ええい、いまどききおって、無粋な。」

まあ、遅すぎるのもはなはだしいが、第二王子の警備なぞこんなものであろう。




「やれやれ、せっかくの再会が台無しになってしまったな。」

騒ぎそうな衛士を、『女性が来ておるのだぞ、静かにせぬか』と平然と怒鳴りつけ、テレスの事は『公然の秘密』の既成事実にしてしまい、最後はグランディンをけしかけるそぶりすら見せて追い出した。まあ、あのオオカミなら、軽く唸るだけで、並みの兵士ごとき腰を抜かしかねない。


王子は手ずから暖炉に火を入れ、湯を沸かし、ゆっくりと紅茶を入れた。

この時代、火を焚く事は、人をもてなす基本である。
まきを組み、火種を入れ、徐々に火を炎に変えていくのは、手間もひまもかかるが、その苦労こそがもてなしそのもの。

ましてや深夜、わざわざはるか下の階で寝ている執事を叩き起こすより、自分で入れた方が速いし邪魔されない。

もちろん、テレスはそのことをよく心得ている。

「でもカール、襲撃者の事は調べさせなくてもいいの?。」

呼び捨ての響きが、王子の口元を嬉しそうに動かす。
日本で二人きりの時は、そうしていたのが、昨日のように思い出される。

「私の周りがきな臭くなっているのは、わかっていたからな。グランディもモンフェがつけてくれた。」

名前を呼ばれたオオカミは、ワフと小さく吠えた。
しかも図々しいことに、テレスの座っているソファで、彼女の腰に密着するように丸まっていて、テレスに優しくなでられて目を細めている。

「ああ、モンフェというのは、ノルウェーの商人でな、私と懇意にしている。」

イタリア製らしい、白磁のティーカップに鮮やかな赤が引き立ち、よい香りの湯気が立ち上る。
グランデイはご主人が来ると、そそくさとテレスの横をゆずった。頭がいいのか、よほどしつけられているのか。

「モンフェ?・・・モンフェ・レグリ、ノルウェー最大の商人で、レグリ商会の頭首ね。」

「そうだ、色々私に尽くしてくれるが、私の周りがきな臭くなる原因でもある。」

紅茶を飲みながら、テレスがくすりと笑う。
もちろん、彼女が今夜突然空から来訪したのは、そのきな臭い動きを察知したからである。



いつ王子を訪問するかを“さゆり”たちと直通回線で相談し、王城の侵入経路などを調べている時に、別のグループが、彼女と特殊作戦群小隊の前の方で、同じように調べていたのだ。

攻城戦用の偵察ならとにかく、テレスのような特別な理由が無い限り、少人数でこういう城に侵入しようとするのは、暗殺である場合が多い。殺すだけなら、一人でこっそりと忍び込み、目的の人物を一刺しして逃げるのが、一番確率が高いからだ。

城は軍との戦いを目的に作られている、それだけにこっそりと忍び込むための対策は、案外されていないものだ。

そして、調べているのがカールのいる塔となれば、他に対象者がいるわけがない。


またこういう時、調べている連中は、侵入と逃走経路を用意する役で、暗殺者そのものは実行時にしか出てこない。

これを捕まえても、警戒させるだけで面倒な事になる。泳がせて、襲撃時にカウンターアタックを喰わせるのが一番だろう。
テレスと3人の特殊作戦群小隊、迎え撃つには強力すぎるほどだ。

ただ、ちょっとだけ不運だったのは、今夜の襲撃の予定までは掴んでいたが、相手の都合で少し早まった事だった。
普通なら、こんな離れ業を取らなくても、正面に空中から先回りしたテレス、背後から小隊が襲うだけで侵入直後に無力化できる。



「なるほど、王様が欲しいということね。」

ノルウェー王家は、かなり以前にペストの猛威に滅んでいる。

中核を失い、今やスウェーデンに『同君連合』という実質的に支配される立場にあるノルウェーは、何とか独立したいと願っている。そのための新たな核が、新しい王家の設立だ。人間は人間にこそ納められたいという


カールは静かにうなづく。

「私としても、悪い話では無いしな。何より彼らの苦境をみて、男として感じるものがある。」

単に他国の支配下にあるというだけでは無く、欧州列強の企業進出に、地場産業が壊滅し、ノルウェーは凄まじい苦難な状況にあった。
おびただしい国民が、貧しさに耐えきれず、新天地を求めてアメリカに移住していく。
国民の減少は、そのまま国力の衰退であり、先細りとなっていく。


「我が国では、『義を見てせざるは勇無きなり』と言うわ。」

「それは、君の教えてくれた『俵百俵』にも通じるものがあるな。」

テレスのことわざの説明に、目を輝かせる。

あるものを配るだけなら誰にでもできる、だが、本当に勇気のある者なら、その先にあるものを見すえて義(人として本当にやらなければならない事)を行わねばならない。



『もっとも、私たち(帝国重工)がここにいるのは、日本にそれが出来なかったからなんだけどね・・・。』



テレスの胸が、チクリと痛む。
日本が世界の愚行に巻き込まれ、一度滅んだからこそ彼女たちは今の世界にいる。


『あるものを配るだけ』の手軽さと愚かさに陥った国会と政府は、手軽に出来ると思い込んだ外交で失態を繰り返して各国にボコボコにされ、世界的な資源投機がゲームのようにリセット出来ないと気づくまで振り回され、お手軽なゲーム感覚で吹きまくったマニュフェストはほぼ100%不可能で取り返しがつかなくなり、手軽にジャブジャブ絞りだせると思い込んだ無駄削減は一滴すら出ず『あるはずのものを配りまくる』国家予算は破綻寸前大赤字、原子力政策の重大さを気づかぬまま高速増殖炉の大失敗をこっそりリセット(無かったことに)し、地震と津波の大天災にお手軽なはずの国政がマヒし、同時発生した軽水型原子炉の複数連続爆発崩壊は高速増殖炉の大失敗と同じ理由だった、とまあ『冗談にもほどがあるドミノ倒し』で日本を転げ落ちさせた。

世界の一部の研究者たちは、日本の国政が混乱したことが、世界経済と情報を混乱させたと責任論を展開したほどだった。
何と言っても、日本は世界経済の大国であり、世界最大の債権所有国家でもあり続けたのだ。

その意見は、テレスもある部分では間違ってはいないと思っている。

日本の政府要人たちの一番の愚行は、行政上最大のコンピューターであり、車で言うならエンジン制御システムとナビゲータシステムである『高級官僚』を悪と決めつけ、『政治主導』の名の元に切り捨てまくった事だった。どんなに扱いにくかろうが、失敗や悪い事もあろうが、目と耳を切り捨てたら、足も動かなくなる。転げ落ちる過程をちょっと見れば、外交、市場経済、財政、エネルギー政策、専門的行政、自衛隊etc、高級官僚をしっかりこき使わないと、できるはずの無い重大事項ばかりである。それを無能極まりない政府要人たちは、自分をスーパーマンか神様とでも思ったらしい。

たった2年で日本は、坂道を転げ落ちる石に等しい状態へと落ちた。
恥ずかしい事に、その頃には世界中から、日本の国政は本気で馬鹿呼ばわりされていた。


それでも何とか国民の無償の努力と血と汗で日本は保ったが、世界中からなめられまくったあげく、いいように使われてとうとう戦争に駆り出され、先頭に立たされて核の集中攻撃で真っ先に吹き飛ばされたのが、彼女たちの大鳳艦隊だった。


『二度とあんな恥ずかしい思いはしたくないし、日本人にさせたくない。』

この世界の日本の教育は、成績一辺倒の過熱状態にならぬよう、細心の注意を払い、人格作成と人間修業に必ず結びつくよう厳密に研究されている。ただし、楽して出来るような愚劣低レベルな教育は全くとられていない。汗水流さねば、現実の厳しさには耐えられないのだから、厳しいのはむしろ愛情である。

その激烈な反省があるからこそ、カールが日本の教育に感動したのは、無理も無い事なのだ。


抱きよせる腕に、素直に抱かれ、胸元のボタンを外されていくと、内側からの圧力で弾けるように広がる胸元。

「ほお、なるほど。グランディが妙に懐くはずだ。」

彼女の豊かな美しい乳房の間に、金の鎖で大きめの指輪が下げられている。
カールが日本を離れる時、彼が指から外しテレスに渡した古びた純金の指輪だった。

シンプルで幅広の、彼女には大きすぎる指輪だったが、こうしていつも身に着けていた。 内側には、細かな彫刻でかすかに『愛する者へ』とデンマーク古語で掘り込まれており、17世紀ごろのものではないかと思われた。
さほど価値のあるものではないが、その文字がテレスは気に入っていた。そして、それを送ってくれた人の気持ちもまた、彼女にはとてもうれしいものだったから。

指輪からご主人の臭いを嗅いだので、グランディはテレスを侵入者とみなかったのだろう。


甘く二人は抱き合った。

まだ夜明けまでは時間がある。

二人はそのままソファに倒れ込んだ。
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