■ EXIT
ダインコートのルージュ・その31


≪エキゾチック・テレス 6≫


19世紀末、東南アジア最東部、日本という国に突如現れた『帝国重工』。

出現したとたんに、わずか数年で世界の話題をさらうほどの科学技術と、奇跡のような商品を開発していた。

だが、どれほど優れた科学技術と、商品化の力を持っていても、どうにもならないこともある。

その最たるものが『信用』という、見ることも計ることもできない、無形の力だった。



『信用』を端的に言えば、経験であり、経歴であり、活動の記録であり、その評価である。



単純に物々交換なら物しだい、相手の事などどうでもいい。
金貨や現金を使ったやり取りならば、こんな面倒なものは無くてもいい。

だがしかし、金融という巨大な力を借りたいならば、これなしには成り立たない。


たとえば、

信用のない相手には、銀行は一文たりとも貸してくれない(小切手も手形もありえない)。

資源を輸入したければ、現金や貴金属を持って、相手の国までいかねばならない。

もちろん、保険なんて夢のまた夢、信用が無ければ相手にもされない。



言ってみれば、一定以上のレベルを持つ文明国家において、長年積み重ねてきた行為はほぼ全て、銀行という情報機関を通じて、個人だろうが国だろうが、『あからさまに』評価されてしまうのである。

19世紀末では、日本という国家ですら、その当時の評価たるや情けないほど低いものがあり、その一企業などという存在はチリかホコリのようなもの。貿易をしてもらうだけでも、大変な労力が必要だった。

ましてや世界的な金融会社が、まともに相手をしてくれるわけがない。


そういうわけで、設立当初の帝国重工としては、一日も早く日本の未来の大計画『宇宙進出』の準備を進めたいのだが、それには先立つものがいる。お金もうけには、現金商売では小さい金しか動かせない。信用取引ならば、手持ちの資金よりはるかに巨額の取引で、支払いの余裕もそれなりに持てる。つまり早く経済を大きくできるのだが、そんな信用はどこにも無い。

さすがの帝国重工中枢メンバーたちも、この難題はどうにもならず、がっくりと力を落としかけた。


「無いなら作るしかないな。」


そこへ、のほほんとした声で、天気の話でもするように言ってのけたのが高野司令だった。


「「「はい???」」」


“さゆり”嬢や真田はおろか、ダインコート姉妹や風霧情報部長までが、声をそろえて呆れ返ったのは、なかなかの壮観だったそうである。

後の風霧氏いわく、

「あいつ(高野指令、ちなみに風霧は親友)は、天才的詐欺師になれるぞ。」









信用には、直接の経験や記録の他に、『他人の評価』という部分が必ずある。

場合によっては、これの方がはるかに大きい場合も多い。

19世紀末の日本の企業であっても、他の国の企業や他の国家そのものが評価していれば、当然信用はぐーんと高くなる。

ましてや、両方からの信用があれば、絶大だ。



テレスがいるアメリカ企業イリュミン・ダイア商会。

帝国重工が総力をあげてでっちあげたこの会社、表向きはアメリカのスウェーデン移民が、正式に立ち上げた貿易と鉱山開発の会社であり、誰が何をどう見ても、何の不思議もないアメリカ新興企業である。だがその本質は、スウェーデン移民によるスウェーデンのための企業であり、母国への愛国心に燃えている。ただ、それ以上に無条件に、帝国重工の技術と組織と人間を、心から信奉しているというだけである。

多少疑問に思う人間がいたとしても、帝国重工の人々の教養の素晴らしさ、製品の優秀さ、利益率の高さなどを、熱意を込めてつばきを飛ばし、とうとうと説かれると、相手は辟易しながらも納得する他に無い。

現代の日本では考えにくい事だが、この時代の商売の鉄則は『だまされた方が悪い』。

どこの国の製品でも、破損や不良品が10%を超える事も珍しくなく、下手をすれば粗悪品を平然と押し付けて、あとは国の力で脅して済ませる事も『当たり前』。パッケージは販売担当の人間が、いちいち開けて中身を調べないと、何が入っているか分かったものではないというありさま。

例えば、帝国重工の製品は、製造ミスが極めて少ない(0.1%未満)。しかも、値段に比べて高品質なので、かえって相手が『これは商品見本のニセモノだ!』と疑って信用してくれないほどだ(この頃の日本国の評価がそれほど低い)。それゆえ帝国の商品は一個当たりの利益は少なめでも、返品の手間や損失が無く、いちいちパッケージを空けて調べる必要も無く、他国の商品に比べて利益は恐ろしく大きいのである。

イワシの頭でも、信心すれば立派な神器だ。たとえ洗脳が元であっても、これほど安心できる取引相手は、この世界のどこを探してもいるわけがない。何しろ、正史でも後に世界に名を轟かす日本である。10年後には、世界中からうらやましがられるようになっている。



当然スウェーデン王国も、この企業だけは本気で入れ込んでいる。

当然ダイア商会が、日本の帝国重工を強く信用して、こことの取引を押すならば、スウェーデン王国もほぼ無条件で信用した。

両方の信用の絶大さは、間に立ったユナイテッド・アメリカン銀行が、『即座に』日本との莫大な取引を保障してくれた事でもお分かりだろう。

この経歴が、さらに次の信用取引の元となるのである。


しかも、これにはスウェーデンの門戸開放というおまけがついていた。


この19世紀末は、欧州がさんざん世界経済で暴れまわった後であり、どこの国も貿易や通商協定で、痛い目にあわされている。

いい例が日本の徳川幕府で、イギリスと通商協定を結ばされた時、単純に言えば日本の物の価値は1で、イギリスの物の価値は3と決められてしまった。

イギリスは、同じ物を日本から1/3の価格で買うことができ、日本はイギリスからだと3倍の価格で買わざるえなかった。おかげで、他国から買いたたかれた日本は、金や銀をはじめ物不足から凄まじいインフレを引き起こした。討幕運動ぐらい起こって当然だったのである。



こういう『えげつない』事を、世界中でやりまくってくれたおかげで、どこの国も貿易には恐ろしく神経をとがらせ、他国に簡単には門戸を開いてくれない。 貿易立国を目指したい日本としては、やりにくいことおびただしい。だがこれもスウェーデン王国のような例をあちこちに作り、からめ手から開かせる手段で、貿易を広げることに成功していた。

いざ貿易が始まり、帝国重工の優れた商品が入ると、それを他国に売ることで儲けを拡大するスウェーデンに、他国が指を咥えて見ているわけがなく、我も我もと門戸を開きだしていた。



まさかアメリカ企業をでっち上げたのが、帝国重工だったなどと、この時代の誰も想像などできるはずもなかった。




さて、長い前置きで、多少はご理解いただけたと思うが、イリュミン・ダイア商会はこういう理由でスウェーデンに深く食い込んでいた。

商会の活躍で、人口の流出も食い止め始めていて、わずかだが流出率も下がりだしている。

それをさらに推し進めるように、テレスの人気と活動はスウェーデン王国に明るさを醸し出していた。

そして鮮烈な社交界デビュー。
テレスはスウェーデン王国のアイドル的な地位を獲得したといっていい。



その翌日から、イリュミン・ダイア商会には、おびただしいラブレターや贈り物や招待状が、続々と届くようになった。









王宮の一室、見事な天蓋つきの赤い絹のベッドに、一組の男女が強く抱き合っていた。

すでに幾戦が戦い終えたのか、二人はしっとりと濡れ、男の白い肌も、女性の艶やかな小麦色の肌も、汗に輝いている。


「テレス、そなたと出会えたことを、心から神に感謝しようぞ。」

「まあ、ふふふ・・・・」

濡れたように輝く緑の妖しい目に、吸い寄せられるように、唇を重ね合う。

もちろん男性は、現スウェーデン国王オスカル3世(43歳)。

ちなみに、正史ではまだオスカル2世(70歳)の統治の時代なのだが、2世は1895年の4月23日に突然死している。
(日付から考えて、どうやら大鳳の部隊がこの世界に押し出された反動で、こぼれおちた一人らしい。)

国民から人気の高かった父親の風貌を受け継ぎ、人気だけはダントツに高い。




これぞ名付けて、『蜂蜜の罠大作戦』。

『・・・・って、そのまんまハニー・トラップじゃない』(イリア)

『でもね、英語にしちゃうとどこかで漏れ聞こえたら、すぐばれちゃうわよ。』(テレス)

『日本語でいうのがミソなのよ。北欧で日本語でしゃべって、理解できる人なんかほとんどいないわ。』(イリナ)




社交界、それも侯爵家の名だたる貴族たちのいるパーティで、テレスは注目の的となった。


それだけに、彼女に誘いやあからさまな招きをかける貴族は数多かったが、
テレスはそれを、凛とした態度と、謎めいた言葉でけむに巻き、いわば手練手管でことごとくフリながら、さらに彼女を求めたくなるような会話を花開かせた。


あるパーティで、ついには国王陛下ことオスカル3世が招きをかけた。


いくらなんでも、これを断るわけがあるまいと、周りが見ている前で、『その日はさすがに・・・』と断りを言う。
顔色を変えた国王、だが、テレスは侍従長にそっと耳打ちした。


青ざめた侍従長は、大急ぎで王のそばに寄った。王も思わず言葉を濁した。

その日は、国王の祖母の命日であったのだ(しかも国王の名付け親)。

こんな日に色恋沙汰で遊んでいたら、他の王族に何を言われるか分かったものではない。


同時にテレスの聡明さに、ますます関心が掻き立てられる。

その3日後を約束して、王はわくわくして待った。

だが、3日後大規模な火事が、鉱山で発生する。

電信で知らせを受けたテレスは、真っ先に鉱山へ乗り込み、多くの工夫や市民を救った。

これにはさすがに王も、文句も言えず、さらに待たされること2週間。

待ち焦がれた気持ちが最高潮に達したとき、テレスが訪れた。


その後どうなったかは、言うだけ“やぼ”というものだろう。


だが、今度はテレスがあきれた。

良く考えてみれば、通俗情報なんぞまるで無いこの時代、“性”の情報であふれかえるインターネットも無ければ、お手本となるような映像も無い。

ましてや王にそういうことを教えてくれる者などいるわけもない。

せいぜい女官の手引きで、多少の快感と満足のイロハを覚えるだけ。

女性はひたすら王の欲求に耐えるだけらしく、SEXはほとんど中学生レベルのあわただしさ。

テレスは王がかわいそうになった。遊び歩けるヒマな貴族や、どこで野垂れ死にしてもいい余計者の王子はとにかく、後継ぎと決められ、一生を通じてほとんど外の世界に出ることのできない彼は、あまりにその方面を知りえなかったのだ。


「王様、キスにはこのような派生形もありましてよ。」


帝国の公娼館で鍛えた、濃厚なキスから、全身に及ぶ愛撫、そして相手に感じさせる方法まで手ほどき。

攻守を変えた、始めて知る世界で、オスカル3世は生まれて初めて爆発的な歓喜の快感を知った。




これが中世であったなら、テレスは後宮に閉じ込められ、国王に愛されながら、二度と外に出ることはできなかっただろう。

だがすでに時代は、スウェーデン王国ですら議会制に移り始めており、絶対王政の頃のような無茶は通らない。


生まれて初めての歓喜で、子どものようにすがる王に、『また来ますから』となだめる彼女は慈母そのものの笑顔だった。




そして、今日はその2回目だったのである。


かぶりつく王を、最高のテクニックでもてなし、おぼれさせ、虜にした。

王との約束ももちろんだが、彼女の息抜きと欲求不満の解消、そして何より今日は目的があった。


王の豊かな髪をそっとなでながら、寝物語につぶやく。

「私の義妹は、やはりスウェーデン移民の男性と結婚しております。義弟は、欧州へ仕事で回っているのですが、とても心配している事がありますの。」


『彼女の義妹が』というのはもちろんウソ。だが、その内容は王も思わず身を起こした。 軍へ食料品を納める関係から、イギリスとドイツの裏方の会話がもろに聞こえて、両国の覇権主義がやがて北欧に及ぶ恐れがあるというのである。実際、軍の実情を最もよく知っているのは補給部隊であり、補給の第一は食料と燃料。砲弾や火薬と思われがちだが、人間腹が減っては戦は出来ぬのである。それに砲弾や火薬は、戦闘中以外は必要が少ないが、食糧と燃料はあらゆる状況で常に必須だ。そしてどの国も、補給部隊への情報統制はザルのように素通しだった。


スウェーデンはイギリスに、何度も痛い目にあわされている。

また史実では、前の王のオスカル2世こそ『汎ゲルマン主義』に魅せられ、ドイツと親交を結んでいるが、現在のオスカル3世は、軍事にうつつを抜かすドイツの国民性に大きな危惧を抱いていた。そして、3世の家臣たちもドイツの戦争好きの性癖を危ぶみ、警戒していた。

そこへテレスの寝物語である。寝室のこの一言は、決定的だった。


「うむむむ・・・・」

オスカル3世は、ここがベッドである事も忘れて、本気で考え込んだ。

イギリスとドイツが大国同士争い、スウェーデン王国が漁夫の利を得ることも一つの方策だろうが、それに巻き込まれたらたまったものではない。

海を隔てているとはいえ、その海こそ国の生命線。海上戦闘で貿易が止まるだけでも、スウェーデンの経済が危うくなる。

また各国戦争となれば、他国を巻き込む気満々であり、巻き込まれた方が悪いというのが『勝った方』の理屈となる。
うっかり負けた方に加担すれば、国が傾くぐらいの賠償は当たり前だ。


「お役にたつかどうか分かりませぬが・・・」

苦悩する王にテレスは、アメリカの州兵制度の話をしだした。
アメリカは国をいくつもの州に分け、その州ごとに州兵を用意しているというのである。

「何のことだ?」

思わず目を光らせるオスカル3世。テレスはくすっと笑った。

「ノルウェーをイギリスの防波堤に、デンマークをドイツの防壁に使いなさいませ。」

ギョッとするオスカル3世に、妖しい微笑みのままささやく。

「同君連合では、ノルウェーは本気で戦おうとはしないでしょう、それならばむしろ独立させて恩を着せ、北欧連合を作って、スウェーデン王国を欧州の脅威から守るのが筋ではありませぬか?。そして北欧連合の議長に、オスカル様がなられれば良いのです。」



もちろん、王はそれに即答などせず、テレスも求めはしなかった。要は、その重要性を深く認識させればよいのである。

しかもこの時、テレスは香水によるアロマテラピー効果と、身体接触による快楽操作方(いわゆる房中術)、そして一定の音律を重ねる発音方法による『催眠誘導』の技法まで用いている。ある意味軽度の洗脳とすら言っていい。
城に入る時に、女官に裸にされ、風呂にまで入らされて暗殺予防の手段はとられているが、こういう方法には対処しようがあるまい。

だが何よりこの案は、名誉欲の強いオスカル3世にとって、きらびやかな北欧の中心人物となる連合議長の座が、実に甘美であった。


むっつりと黙りこむ王の横で、羽根布団にくるまり、安らかな寝息を立てながら、テレスは一週間の予定を頭の中で再確認する。

それも、ほとんどが彼女に誘いをかけた、大貴族や官僚たちとのデートの約束である。

もちろん、全部『蜂蜜の罠大作戦』の獲物たちであり、欧州の脅威と北欧連合(カール王子の言う、北ゲルマン国家協力会議)の情報を植えつけていく。
また、同時にようやく許可が下りた欲求不満のテレスの生贄でもあり、そしてイリュミン・ダイア商会をとことん信用させる手練手管でもあった。


カールに北ゲルマン国家協力会議と吹き込み、オスカルには北欧連合と吹き込んだのは、誰かの差し金だと思わせないための戦術の一つ。
名前は違っても、他の国が同じ事を考えていると思えば、同意もしやすくなろうというものだ。
良い例として、日本でも大政奉還前に、薩摩と長州の連合がなれば倒幕はなると考える者が多かったが、それを実行しようという坂本竜馬が現れたため、多くの希望が彼に託されて結実したという。



『男は天下を動かし、女はその男を動かす』とは、日本海軍の名提督山本五十六氏の名言だが、この後スウェーデンでテレスの毒牙にかけられた男女は、3ケタにのぼると言われている(帝国重工極秘調査より)。
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