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ダインコートのルージュ・その30
≪ガスリー公使の日本滞在記・4≫
ドバムンッ!
応接室のドアが吹っ飛ぶように開けられ、凄まじい怒声が鳴り響きました。
「ガスリー公使っ!、ガスリー公使はおるかっ!!」
その声、その気合い、窓がビリビリと震え、ティーセットがカチャカチャと音を立てます。揺れた紅茶が危うくこぼれそうです。
メンバー全員、いきなり100人ぐらいの憲兵がなだれ込んできたような錯覚を引き起こしました。
ただし、ここは帝国重工広報部の幹部用応接室。何がどう間違っても、そんなことはあり得ません。
たとえ熊の群れのごときロシア兵一個大隊が、突然帝国重工正面から『ウラー!!!』と突撃をかけてきたとしても、ゲート前で完全に止めてしまえるだけの装備と防御力があるのです。
のしのしと、身長150センチ程度の小柄なつるっぱげの男性が乗り込んできました。
だれあろう、佐渡島大太郎医師です。
全員、軽い耳鳴りがするほどの声に、イリアなぞ完全に怯えていたりします。
「せ、先生、来客中・・・というかその、ガスリー公使と面談中なんですが・・・。」
高野が耳をかばうようにしながら、ようやく声をかけますが、佐渡島先生は『ああん?!』とジロリ。
さすがの高野も、佐渡島先生はどうも苦手です。
「ガスリーさんっ!、先日ワシは『二日は休養するように』と言ったと思いましたがなぁ?!」
小さな目をひんむき、『ギロッ』とにらみつけます。
ガスリーもいろんな国の代表者や軍の統率者、歴戦の猛者とも会っていますが、この『ギロッ』には『うっ!』と思わず舌が凍りつきました。
「それとも、ワシのつたない英語では、そうは聞こえ無かったんですかぁ!!」
小さなはずの目玉が、グッグッグッと、近寄られ、アップになり、巨大化してこちらが飲み込まれそうです。
いきなり顔中、体中からぶあっと汗が吹き出し、顔が引きつるガスリー公使。
まるで、蛇に睨まれたカエルです。
「いっ、いっ、いえ、たしかにそう聞きましたっ。」
あのガスリー公使が、ほとんど悲鳴に近い声を絞り出しました。
「ほうおおおおおおっ、聞こえて、それで、ここで何をやっとんですかなぁ、あんたはぁ?」
ギロギロギロッ!
いや、だから、怖いって佐渡島先生・・・。
むんずと、ガスリー公使の首根っこを捕まえ、頸動脈に太い親指を当てること数秒。その間もガスリー公使、身動き一つできません。
「ああ、やっぱり悪化しとる。強壮剤も忘れて酒だけのんだじゃろ!。」
「うっ・・・・・。」
そのとおりでした、一言もありません。
「ワシの話の都合のいいところだけ聞いて、肝心なところを忘れてどないすんじゃいっ!。」
「し、しかしMr佐渡島、私も公使としての仕事がありますので、休んでいては・・・」
「「「死んでから仕事ができるかああっ!!」」」
耳元でマグナムぶっ放したより凄まじい声に、一瞬魂が身体から抜け出たようなガスリー公使。全員耳を押さえて突っ伏してます。
実は佐渡島先生、先日の診察の後、彼の背中を見ていて、思ったより容体が良くないことに気づき、急いで広報部のイリナにガスリーの行動予定と連絡先を聞いたのです。帝国重工からすれば、アメリカ公使の行動予定ぐらいは把握済み。ビッチリ詰まった公使のスケジュールに不安になった佐渡島先生、急いで電話をしたのですが、その夜は居酒屋に遅くまでいて連絡がつかず、翌日は各国公使に会いに出歩いていたため、あちこち探し回ってようやく、それも帝国重工本部でとっ捕まったというしだい。ま、多少の怒りは仕方ないところでしょう。
憤然とした顔で、いきなりホイッスルを取り出した佐渡島先生。
ピリピリピリピリピリ・・・・・
ホイッスルを鳴らすとすぐに、タンカを持った白衣の男性4人が『緊急搬送隊』というタスキを背負って乗り込んできました。良く見ると全員足は軍靴です。
「およびでありますか!?、佐渡島先生。」
びしっと敬礼する4人、立派な体格と顔つき、そして動作はどう見ても生粋の軍人としか見えません。
「よううっし、このごうじょっぱりを緊急入院させるぞい。ひったてええいっ!。」
ようやく身体に魂が戻った、というか状況に気づいた時は、ガスリータンカにしばりつけられていました。、
「ちょっ、まてっ、外交官特権はどうなったんだあああああっ!」
「やかましぃっ、塩詰めて口縫うてしまうぞおおおおおおおっ!」
ドドドドドドドドドド・・・・・・・・・・
強引に搬送されていくガスリーと佐渡島先生の声が、ドップラー効果を起こして急速に小さくなっていきます。
『せんせ〜い、それゾンビじゃないんだから・・・』
ようやくテーブルから顔をあげ、困った顔でそれを見送るイリナ。その騒ぎに、ソフィアがひょいと顔を出しました。
「また佐渡島先生の犠牲者なの?、今度は誰よイリナ。」
「犠牲者って・・・そういう言い方は誤解を招くわよ、姉さん。ガスリーアメリカ公使よ。」
「だって、言う事聞かない患者は問答無用で強制入院だもの。アメリカ公使館どうするのよ。」
「今頃先生が公使館に電話で怒鳴りまくってるでしょう。人道的見地では、先生に勝てる人はこの世にいないもの。」
ため息まじりで、ぼやくような言い方は、イリナも痛い目にあったことが何度かあるようです。
「それに、ダメ大統領の生贄にするには惜しい人物だしな。」
高野もやれやれという顔でした。
「いやはや、ああいう人物を残そうとは、感服しますな。」
偉石も、神妙な顔つきで高野を見ました。彼が話した織田信長の話、実はガスリーから電話があった直後に、高野から聞かされたのです。
それだけで、偉石は高野の遠大な計略に気づきました。偉石自身はイギリスと手を結ぶ事で、日本の安全な位置を得る考えをもっていました。高野は、それをイリナから聞いているはず。その上で、ロシアとの接近への考えをアメリカ側に匂わせ、アメリカに必死にさせます。そのための触媒的な役割に、優れた外交・政治能力と平和主義的な思考を持ち、なおかつ親日的なガスリー公使を使うという事は、どういうことか?。ガスリー公使の体調も、上層部は知っているはずです。放っておけば、近いうちに倒れる。それを佐渡島に治療させるという事は、これからも彼に動いてもらうつもりなのは間違いないでしょう。
つまり現在最強のイギリス、老大国のロシア、まだ若いが未知数の可能性を持つ次期の大国アメリカ、それらと平和的なバランスを築き、親日的な国交を築くと言う事ではないか?。これこそ、ガスリーが述べた『まず努力をする。日本とアメリカが友好的であれば、戦争が起きる前にもっと、回避するための努力を双方のためにしただろう。』により、争いの回避に真っ先に働く力となります。
「彼は、本気でしたよ。」
「今のアメリカに、奇跡を起こそうと言うのですからな。」
にこやかに言う高野に、にまりと笑う偉石。
高野の人物評価にはケタはずれな凄さがあり、21世紀でも彼が見込んだ人間は間違いないと言われていました。それは21世紀から19世紀末へ飛ばされるという異常事態でも、部隊で誰ひとり乱れなかった事からも、良くお分かりと思います。
世界中を回り、凄まじい体験と見聞を積んだ偉石の鑑識眼も、日本では飛び抜けた鋭さがあります。
高野が『本気』と言い、偉石が『奇跡を起こす』というのなら、彼は本当にやり遂げるでしょう。
そうなれば、ガスリーが『親善大使』と呼んだ、21世紀でいう『特命全権大使』が日本へ『最恵国待遇』で通商条約を申し出るでしょう。
どちらが先になるか分りませんが、恐らくロシアも同じ行動をとる事は間違いありません。
そうなれば、イギリスも黙ってはいられません。恐らく、3国が争うようにして、アジアの小国に『最恵国待遇』の通商条約を結びに来る事になります。
ロシアやイギリスだけでも手を結べば、日本と敵対する国は大変ですが、同時にこの3国と友好的な関係を、対等に持てば、世界は驚愕するでしょう。そして表立って敵対できる相手がいなくなる、つまり日本への侵略がほぼ不可能になる、ということでもあります。今の世界で、この3国を敵に回して、生き延びる事が出来る国家はありません。
もちろん、経済的な競争や侵略はあるかもしれませんが、軍事的な戦いを挑まれる危険性が大きく減るだけでも、今の日本には大きなプラスです。
宇宙進出を目指す日本にとって、時間は黄金より貴重です。軍事に裂く時間が少なければ少ないほど、技術と人間を育てる時間に向ける事が可能になります。しかし、それには強力な保険が必要です。この国家間の安定ほど重要な保険は、そうそうはありません。
偉石は、帝国重工メンバーではないので、宇宙進出の事は知りませんが、日本が他国から侵略されない事がどれほど大事か、悲惨極まりない植民地や隷属国を見て回って、いやというほど思い知っています。そのためには、『軍事』は大切だが『軍事だけ』ではだめだと悟り、『植民地異界』という本を書きあげたのでした。
二人は見ている場所は違っても、根底たる部分でがっちりと理解し合っていると言えます。
「となれば、我々としても。」
「うむ、我々としても、ですな。」
何やら分らぬ事を言う二人ですが、これだけの会話で、どちらも何が言いたいか、完全に伝わったようです。
「ね、ねえ、イリナ。なんだかやたらと怖い雰囲気なんだけど・・・」
「姉さん、あれ、まさか・・・」
ソフィアが、頬をひきつらせ、イリアが不穏な雰囲気に怯えています。
イリナも、こめかみに汗を一筋。
『はあ〜〜、また何か悪だくみを・・・えらい事にならなければいいんだけど・・・。』
高野の場合、彼は基本的な部分で善人ですので、悪だくみと言うのは、生涯一度もした事がありません。ただ・・・ただ、彼の発想があまりに飛びぬけて凄まじいので、下手な悪謀などぶっ飛んでしまうぐらい、凄まじい結果がしょっちゅう発生します。ちなみに、イリナたち準高度AIを『感情のある独立存在型(スタンドアローン)』でここまで育て上げたのも彼でした。21世紀でこれをやろうとして、成功した例は記録されている限りでは存在しません。(というか、これが成功した事が知れたら、彼自身暗殺される危険がありました。彼一人で世界と戦争が可能になってしまいますから。)
偉石は、その高野とがっちり組める人間ですから、その器量と策謀の深さはちょっと計り知れないところがあります。まして、世界中に顔見知りがいると言うのは、とんでもない強みです。こんな人間が何かを謀ったら、何をやらかすか想像がつきません。
「やれやれ、紅茶が冷めてしまったな。イリナ、もう一杯貰えるかね。」
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