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ダインコートのルージュ・その30
≪ガスリー公使の日本滞在記・1≫
公使というと、普通はどういうイメージを持つだろうか?。
ちなみに大使は、外交官における最上位の称号。公使はその次になる。ただ、立場上は相手の国の国家元首に対して派遣される外交官であるため、この時代の日本で言うならば、国家元首でない外国人で、天皇に面会を申し込む事ができる立場と言うのが比較的分かりやすいかもしれない。
要するに、国と言うのは対等な立場の相手と話し合うというのが基本になる。大臣なら大臣同士、事務官なら事務官同士、それ以下のレベルと会うのは比較的楽だが、上と話すのは大変な手間と許可が必要になる。
しかし、どんな世界でもNo1とNo2では権力も立場も、隔絶の差がある。
大柄な胸板に、銀色の聴診器があてられる。
「ふむう・・・、心拍数の乱れ、心音の濁り、呼吸も少し荒いですな。心理的負担の増大と、最近寝られないので寝酒が多くなっておるようだの。」
灰色の目が、ギョッと見開かれる。そんなことまで分るのか?と驚いたのだ。
帝国重工に勤務する太った小さな目をした医者は、いかにも頼りなさげで、『こんな東洋人の医者に大丈夫か?』と心配したのだが、Dr佐渡島は呆れるほど鋭かった。
彼の顔色を心配した外務省の北米・南米担当の平山部長が、名医として紹介してくれたのである。ちなみに会話は英語。会話が普通に通じるだけでも、彼はかなり安心できた。
これが例えば英国担当の大使ウィルザー・コークスだったら、女王陛下づきの名医カルクス・マッケイヤーあたりが飛んできて脈でも見てくれるのだろうが、日本では望むべくも無く、自分でいい医者を探さねばならない。
いやそれ以前に、欧米以外の国で病気になると言う事は、かなりの覚悟が必要となる。考えてみるといい、言葉が通じない医者がどれほど怖いか。ちなみにガスリーは、清国で頭痛で盲腸炎と間違われ、危うく腹を切られそうになったことがある。
そういう点では、夢の薬と言われる抗生物質を作りだし、広く適正な価格で販売してくれる日本は、アジアやアフリカの未開の地に行かねばならない商人や外交官にとって、ありがたいことこの上なかった。
「あんたが米国公使である以上、立場も大変だろうし同情はするがね。ケチョンケチョンにやられた国の上層部ってやつは、例外なく『生贄の羊』探しに血眼になるもんだ。ま、今この時点で『米国公使』なんだから貧乏くじを引いたと諦めて、養生するんだね。いくら怒鳴られたって、それで死んだやっあいねえから。」
前言撤回。
言葉が通じすぎるのも問題があるぞと、米国公使ジョージ・ガスリーは、佐渡島の容赦ない言葉に膝から崩れ落ちそうになった。
『よくまあこれだけ容赦ない言葉がスラスラ並ぶもんだな』
不思議と反感や不快感は感じなかった。
まあ、佐渡島が言う所の『ケチョンケチョン』というのは、よく意味が分からないが、その口調からはある種カラッとした客観的な視線を感じる。
戦勝国の人間というのは、優越感や傲慢さを持ちやすいが、この医者はかなり優秀かつ人格者らしい。
ガスリーにシャツを着させると、リラックスデッキと呼ばれる大きなリクライニング型の椅子に座らせ、各部の角度を変えながら一番楽な姿勢を取らせる。
「ふか〜く息をゆっくり、胸の真ん中に温かい物を想像して・・・」
医者のだみ声が、なぜか心地よいハミングに聞こえ、静かに気分がリラックスし、胸に重い不快感が少しずつ流されていく。
いつの間にか眠ってしまっていたガスリーは、目を覚ますとかなり身体が軽くなっていた。
「あとはこの強壮剤を毎日飲みながら、こちらのハーブを夜に服用する事。精神安定剤なんかの強い薬物は仕事に差し支える上に、あんたのストレスを増加させてしまうからな。2日は仕事から離れて、心身を休める事じゃ。」
「ドクター、これほどすばらしい治療はアメリカでもありませんよ、ありがとう。」
「こらこら、照れるではないか。」
酒飲みらしい赤い鼻を、さらに赤くして、佐渡島は頭をかいた。
リラックスデッキは細かい技術が得意な日本らしいが、優れたカウンセリングスキルや相手の生活バランスを考えた医療法は、アメリカでもまだ確立されていない。ただそれは、21世紀における投薬一辺倒の医療への反省から生まれた物だとは、ガスリーには知るよしも無かった。
「だがの、酒を飲むなとは言わん。日本の古い言葉に『男子が酒を飲むのは、腹にある石を焼くため』というのがある。男の試練、耐えてこらえてできる思いの固まりが石となる。酒で焼くしかあるまいよ。」
いかにも酒飲みの佐渡島らしい言葉だが、ガスリーは何か深遠の哲学のような感銘を受けた。こういう所は、長い文化を持つ国家らしいと思う。まだ独立して日の浅いアメリカには、とても憧れるものがある。
礼を言って出ていくガスリーの、力無い後ろ姿をじっと見て、佐渡島は電話をかけた。
「もしもーし、おうオレだ。急ぎイリナ嬢ちゃんとつないでくれ。大至急じゃ!。」
米国公使館は、平屋で50坪ほどの、日本ではそれなりに立派な建物で、4段の木の階段を上がるとこれだけは立派な樫の一枚板を使ったドアを見て、入らずに向きを変えた。ちなみに英国にある大使館だと、2階建てで150坪ほどのしろものになり、これと比べたら城と民家ほどの違いに感じるだろう。
つまり、日本と英国では国際的な地位にそれほど差があり、アメリカの感覚はその程度だったと言える。
日露戦争が勃発後、公使ガスリーは日本という国のさまざまな情報を本国へ伝え、燃料ペレットの優位性とその流通の影響などを例として『たとえロシアが優位でなくても、一刻でも早く停戦させることが望ましい』という彼なりの結論を送った。
日本公使という、欧州大使などに比べれば窓際に近い立場とはいえ、ガスリーの人格と過去の功績は認める者も多く、ホワイトハウスはかなりの論争になった。だが、議会を動かすまでにはほど遠い。
そして好戦的で野心家のマッキンリー大統領は、『戦勝国の名声』と『ロシアに恩を売り外交の優位を作るチャンス』と『アジア利権に食い込む機会』と『帝国重工の技術権利を得る見返り』というきらびやかな利益プラス『アジア人を見下す白人至上主義という正義』に水を差す公使の必死の意見を、苦虫をかみつぶしたような表情で握りつぶした。
加えてロシア国債を大量に買いまくった国内有力者たちの圧力は、日に日に増している。ロシア優位が無い状態で停戦など言い出したら、彼らはマッキンリーの首を吊るすロープを持って押し掛けてきかねない。
だがしかし、最初の佐世保海戦を除けば、ロシア側に不穏なニュースばかりである。そして、ラザレフ戦でのロシア軍の全滅。それを聞いたアメリカの不安が膨らみ、ついにはイギリスから格安とはいえ5隻もの戦艦を買い取って、戦艦14隻、装巡10隻、防巡20隻という膨大な量の軍艦を『義勇艦隊』として送り出した。もはやアメリカは『坂道を転がり落ちる石』となっていた。
当然だが、日本の現状をつぶさに見た優秀な公使の意見を無視し、甘い甘い考えで莫大な艦隊と兵員を送ってしまったアメリカの代償はとてつもないものとなった。
燃料ペレットについては、日本の寛大な態度で流通を減らさなかったため、酷い事にはならなかったが、日本海海戦はホワイトハウスをパニックに突き落とし、そのまままっさかさまに転げ落ちていっている(現在進行形)。むしろ、本番はこれからだろう。米国世論が凄まじい状況なのは、想像がつく。
せめて同等の闘いと結果ならばまだしも、世界最大級の大艦隊をもって、極めて小さな国の領海へ攻め入り、その小さな国に正面から堂々と向かい討たれて歴史に残る大惨敗をしたのだから、恥もここまで盛大だと言葉が無い。
同様に世論も、日本へ文句のつけようがない。葛城級の長門級のと言ったところで、本来40年ほど前にアメリカが無理やり開国をさせた国である。血気盛んで凶暴なアメリカ国民は、政府と軍への非難が沸騰・爆発寸前の状態だ。
この状況をあえて描写するならば、日本に手榴弾を投げようとピンを抜いたとたん、足元の階段を転げ落ち、階段の先の火薬庫のドアを締め忘れていたことに気がつき、絶叫しながらその部屋に手榴弾ごと飛び込み、両隣りがガソリンタンクとニトログリセリンの工場だったというオチまでついている。
人生経験の豊かなガスリーは、この時点で自分の運勢を諦めた。
彼の知るかぎり、人間とは勝手なもので、大失敗した後は、忠告してくれた相手に『なんでもっと強く言ってくれなかった!』と恨む方が圧倒的に多い。
案の定、彼が必死の思いで書きあげた報告書を、握りつぶした張本人マッキンリー大統領は『在日公使の怠慢がこの事態を招いた!』と絶叫する。
新型戦艦に対する情報収集の不備、日本の情勢分析の不足、日本世論へ介入の失敗(東洋人は簡単にだませると思っている)、白人への威厳を植え付けそこなった怠慢、とまあ、あらん限りの罪をなすりつけられた。
一部のお抱え新聞にいたっては(大統領の妻が大株主)『怠慢な在日公使を吊るせ!』とまで書き立てた。
彼がストレスで体調を崩すのも、無理の無い話である。
公使館や領事館の館員もどことなくよそよそしい。じきにろくでもない運命で首を切られる上役に、ゴマをする必要など無いわけである。
ついでに、本国にいる妻のロザリアから『子供たちの将来のためにも離婚してちょうだい!』と、脅迫じみた手紙と離婚手続き書が送られてきている。これが一番痛かった。
これで敵対した国の公使館に日本人が石でも投げてくるなら、まだ日本への恨みが救いとなったかもしれない。
だが日本の穏やかな民たちは、礼儀正しく、威張らず、理性を持って接してくれるため、正直自国のなさけなさで泣きたくなった。
日本は正々堂々と戦った相手に礼儀を尽くすのが、文化にまでなっている。
(もっとも礼儀が通じなかったり、山賊や強盗レベルの相手もいて、第二次大戦では逆に捕虜虐待と戦犯にされた例もあるが)
正史の日露戦争でも、日本軍の捕虜となったが、捕虜への寛大な扱いに感動し日本人になってしまった兵士もいたという。
どう見ても、米国公使には似合わない横町、油じみた居酒屋の入り口を、ガラガラっと開けた。
「オジサン、クジラステーキ、イカフライ、冷ヤヤッコ、焼キ鳥3本、ビール生大オネガイシマス。」
縄のれんをくぐるや、慣れた様子で注文を出すガスリー。
「あいよっ。ガスリー先生は体がでかいから、しっかり食ってくれや。」
白い立派な口髭で、紳士的な風貌を持つガスリーは、コウシはコウシでも大学の『講師』か何かだと思われているらしい。居酒屋のおやじはガスリー先生と呼ぶ。元来堅苦しいのが嫌いなアメリカ人、気楽でいいのでガスリーは誤解をそのままにしていた。
突き出しは酢味噌であえたキャベツと白身の魚で、これも彼の好物だった。
公使館には、アメリカから来た専属のコックもいるが、大味で単純な料理(たいてい夕食は薄く広いステーキと、ジャガイモとスープである)にはうんざりしている。
以前イリナ嬢に、居酒屋なる場所へ連れて来られ、その味と安さにびっくりして以来しょっちゅう来ているのだ。
値段つまりボリュームだけならアメリカも負けていないが、何と言ってもドルから円の交換は強い。両替すればいい勝負、味付けや種類では完全に居酒屋の勝ちである。
ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ、
喉を鳴らして飲むビールのうまいこと、うまいこと。
『なんでこんなにうまいのだ?!』
毎度、最初の一杯は、心の中でそう叫ばずにはいられない。
一応、彼も外交官として、フランス料理やらワインの味やら知らない訳ではない。だがしかし、日本流にいうなら『ソンナモノクソクラエ』である。
これはかなり下品な表現らしいが、今の気分には一番ぴったりくる。どうせもうすぐ首を切られる身、ぼそぼそテーブルマナーで肩を凝らせたり、ちまちま赤がどうの白のどうの、やってられるか!。
ヒゲを泡だらけにして、ぷはーっと息をつく。
「オジサン、モウイッパイッ!」
帝国が協力した醸造所は、急速に味を高め、生産量を増やしている。冷凍技術の発達は、氷を安くし、冷えたビールが安価に飲めるようになっていた。
サイコロ状の分厚い赤肉は、しっかりした歯ごたえで、独特の味がある。脂肪は少ないが独特の味わいがあり、さっぱりしていて幾らでも食えた。
クジラの肉は、この当時の日本の貴重なタンパク源。日本の海軍力が強大化するにつれて、アメリカの捕鯨船は、日本近海にあまり近づかなくなっていて、その分クジラは繁殖している。
何しろ日本人は、肉は食べる分と缶詰分ぐらいしか取らないし、皮からヒゲから骨から、捨てる場所が無いほど使い切るので、たくさん取らなくても十分利益が出る。が、正史では、海外の捕鯨船は鯨油(ゲイユ)という、工業、食用、ランプ用など多様な用途を持つ良質の油をとるためだけに、捕鯨する。しかも肉は脂肪が少ないので、すぐ海に捨てる。当然たくさん取らないと利益が出ない。取って取って取りまくったため、あっという間にクジラは絶滅寸前まで追い詰められた。しかもクジラを食べる日本人が、なぜかクジラ激減の責任者にすり替えられ、食べられなくなった日本人こそいい面の皮だ。
ガスリーが21世紀でこのようにモリモリ食べたら、捕鯨反対派かシー・シェパードあたりが、目の色変えて辞任を迫るのは間違いあるまい。
居酒屋の客も増え、にぎやかな騒ぎに、ガスリーのカントリーソングもまざって拍手喝采だった。
深夜に酔って帰ってきた彼は、水をごくごくと飲んで、ふうとため息をついた。
おそらく、すぐにでも召喚命令が出るだろう。議会での吊るし上げと責任を取らされることは間違いない。
いや議会に出る暇も無いかもしれない。本国についたとたん、港で興奮した群衆にリンチにあう可能性も高い。
『だが、自分は米国公使ジョージ・W・ガスリーである。』
ガスリーは上を向いてふっきれた表情をすると、ベッドにもぐりこみ、すぐにいびきをかき始めた。
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