■ EXIT
ダインコートのルージュ・その28


≪マロン狂想曲・その3≫


神戸港の騒動の生き残りは、全員脳の中を徹底的に探査され、情報を洗い出されていった。

呆れたことに、それぞれのグループは全くお互いの関係を知らず、ただひたすら賞金に目がくらんで争い合っていたそうである。

『ええとなに?。つまりフランス公使がアラブ人を襲撃用に送り込もうとして、サーカスの輸送船を探したら、イギリス外交官がそれに目をつけて船を提供し、同時にインド人たちを送り込んだのだけど、猛暑の上海で本来のサーカス員の1/3が食中毒で死亡、半数が入院。あわてて芸人を募集したので、『日本に送り込める!』と各国の大使がナイフ使いやら石男やら舞踊団やらに化けさせて送り込んだ??。なんですかそれは・・・???。』

なにやら頭痛がしそうな気分のイリナ。

『あの状況では無理もあるまい。広報部の情報収集網でも、ナガトショックで各国の混乱ぶりは目を覆うばかりだっただろ?。理性がぶっ飛ぶと常軌を逸する、理性というレールから外れた列車はまともには走れん、転覆するだけだ。』

脳波ネットワークのイリア特別ルームで、再びAIたちの会合中。真壁彩少佐が、高く組んだひざの上にひじをつき、手の上に顔を乗せ、皮肉な口調で話している。ちなみに、今日の彼女は黄色いミニのワンピース。細くきれいな脚を見せつけるようなポーズは、見物する男性がいないのが惜しいぐらいだ。

『おかげで私たちの面倒も少なくてすむのだがな。』

ククククと笑う様子は、元々小柄で清楚な容姿なだけに、人形が突如笑いだしたような、ひどく背徳的で悪魔的に見えた。


『外交部としては、問題は無いかしら?。』

“さゆり”嬢が少々心配げな口調で言う。
友好目的で送り込んだサーカス員に何かあったということになると、格好の騒ぎのネタにされかねない。そういう所は、あちらの外交官も狙いを複数含ませている。

『心配はいらぬ。むしろ面白いネタを提供してくれたことだけ、カス(各国外交官)どもには感謝しているよ。死体はそのまま放置して、それぞれの銃や爆弾や槍で殺し合った痕跡しかない。“異国で荒稼ぎしようと強盗を働いたが、分け前の仲間割れの末に殺し合い”でマスコミは納得している。ほぼ事実だしな。』

悦楽の極みという笑みを浮かべる彩。発する瘴気の毒々しさは、妖しいオーラとなって立ち上っている。

『各国には“最初は共闘していたが、独占を目論んで他国が裏切り、殺し合いになった”と思うように誘導しておいた。面白い事になるぞ、フフフ。』

つまり、フランスに雇われたアラブ人とアメリカに雇われたスイス用兵がお互いが裏切ったと思わせ、イギリスが使ったインド人にはドイツが使ったアフリカ人と、オランダが雇ったバルセロナ人はイタリアのシチリア人と、お互いが裏切ったように情報を操作し、あるルートで流させたのである。

外交官たちは、情報を早く集めるために、各マスコミに親しい記者や局員を作っている。 警察と防衛軍を通じて、『この事件の真相を流すと、欧米の和平にヒビが入る、だから“決して報道で流してはならん”。』と念を押して、それぞれの記者や局員に“相手が裏切った真相”を伝えたのである。隠し事ならとにかく、正面から堂々と話され、2重に警告された内容を報道する事は絶対に無いが、「これは極秘のネタなんですが・・・」とそれぞれの親しい外交官の元へ駈け込んでいくのは見越している。要は“下手に共闘したから裏切られた”と思わせれば良い。しばらくはいがみ合いでろくな活動は出来まい。

サーカス団員のふりをしていた連中は、脳探査ののち、ちょっと洗脳をかけて薬物を投与し、土産物を持たせて神戸港で放り出した。薬物は、精神不安、神経過敏、興奮状態という、爆発寸前の非常にキレやすい状態にして、雇い主の所へ一直線に帰るよう暗示をかけている。そして土産物は、貨車の中身のブリキのおもちゃ。

どうなるかというと、ブリキのおもちゃを見て、激怒した雇い主が怒鳴りつけると、瞬間的にブチ切れた連中はその場で暴れまわる事になる。一応あとを追跡させたが、どれも倉庫や廃工場、公使館などで銃声や爆発音がずいぶんあったらしい。公使館以外で生きのこった連中は、徹底して追跡調査され、保安関係のブラックリストが充実することになった。


『ならば、そちらの問題はOKね。』
『ああ、これで当分は厄介事が減るだろう。私たちの時間にも余裕ができる。』

AI女性陣がほっとした顔をした。

『フランスが面倒事を持ち込んできた時は、どうなる事かと思ったわ。』

ソフィアが脱力したようにイスに伸びた。

『さすが彩にゃん、これでタイムリミットに間に合うね。』

イリアが、彼女が勝手につけた愛称で話しかける。彩の顔がひくっとひきつるが、イリアには通じない。怒るのも大人げないし、真壁彩少佐のこけんにかかわりそうだし、さすがの猛毒女も、イリアにだけは調子が狂う。

『さあ、それじゃあ準備準備!。』

イリナの声と共に、半分涙目で脱力している彩以外は一斉に立ち上がった。彼女たちにとっては、これからが『本番』だったりする。

『高野はるな大尉、よろしく頼みますね。』

『はいっ!』

小柄な愛らしい容貌の高野はるな大尉が、元気よく答えた。もちろん言わずと知れた超一流のお菓子職人“パティシエはるな”である。









今や、洋菓子の名店として広く知られるようになってきた『榛名』。様々なケーキやデザート類が並び、味にうるさい海外要人ですら絶賛する。

だが、彼らですら口にできない、未だ店頭に並んだことが無い逸品が存在する。

それを作る時には、帝国重工内部でメールによる予告が流され、同時に予約が殺到。店頭に並べる余裕が無いのである。

それはシャリッとした糖質のキラキラした皮をまとい、武骨な濃い栗色を下に隠している。 ゆっくりと歯の間で壊すと同時に、とろりとした甘い雫があふれ出る。それはほのかな渋みと柔らかい甘味、鼻孔を刺激する洋酒の香りの中に自然の息吹のごとき栗の柔らかな香りが絡み合い、口中の雫の中からも蕩け出るようにホクリとした濃い味わいがにじみ出て、舌先から喉が秋の芳香に包まれていく。それを飲み込む時の喜悦と快感がゆっくりと喉をすぎていくと、思わず目を閉じてその余韻を最後まで味わってしまう。

栗を使った最高級洋菓子の一つ、マロングラッゼ。榛名のそれは、初めて食べる人が、例外なく数分間呆然として我を忘れるという。帝国重工の女性社員の間では『榛名グラッゼ』とまで呼ばれて愛されている。しかも、恐るべき手間と秘伝中の秘伝という工夫を込めてなお、良心的な値段でしか売らないため、人気はすさまじかった。

ところが残念な事に、今年は気象の異常が栗に合わなかったらしく、良い栗が極めて少なく、また味も良くなかった。 普通の年ですら、購入した栗の半分以上が、はるな大尉の厳しい目からはねられる。今年はマロングラッゼになれる栗が5%に満たない。これでは商品を作れない。彼女としては、良い材料が入らない以上、今年は諦めるしかないと残念そうに告げた。ファンの女性社員たちの落胆ぶりは凄まじく、かわいそうなぐらいだった。


その直後、高野は『陛下』と談話中に尋ねられた。そばにはいつものように“さゆり”嬢もいる

「高野君、前から聞いていたが、今年はそんなに栗の生育が悪いのかね?。」

陛下は日本の農業について、常に心を傾けて見ておられた。農作物の生育については、驚くほどよく知っておられる。

「はい陛下。生育もですが味が良くないそうです。」

「それは残念だな。毎年榛名のマロングラッゼは楽しみだったのだが。」

驚いて高野がお尋ねすると、侍従長の姪が帝国重工に勤めていて、姪からプレゼントされたそれを陛下に召し上がっていただいたのだそうだ。以来、侍従長の姪の名前で予約し、手に入る分を楽しみにしておられたそうである。

「お申し付けいただけたら、何とかさせましたのに。」

“さゆり”嬢の言葉に、陛下はゆっくりと首を振る。

「皆が楽しめるものを楽しめれば良い。私だけの楽しみなど楽しみではないよ。」

静かな温かいお言葉に、思わず頭が下がる二人。

「今年も丹波の栗が来ていたが、あれではどうだろうか?。」

二人は陛下から下賜された栗をはるな大尉に見せると、彼女は飛び上がった。

「こっ、これです。この皮と色つやを見れば分かります。これほど適した栗は他にありません!。」

その栗は、毎年皇室のためだけに丹波のある村が、山そのものを大切に守り育ててきた栗山の栗だった。即位前の皇太子や退位後の上皇などが、お忍びで栗拾いに来ることもあるそうである。ただし、誰でもが入れるわけでは無く、山守の役目を受け継ぐ村長や一部の村人以外は、皇室の許可を得た人間しか入れないし、入れる期間も限られている。資源保護と環境保護の観点から見れば、最上の手段を守っていると言えた。だから今年も優良な栗が生育出来たのだろう。

聞けば、栗山に入れる期間はあと1週間しかない。商売で作っている栗では無いため、その厳格さは神事に等しく、絶対にずらしてくれないのだ。
東京から丹波まで、この当時の鉄道とバス、そして歩きで最低3日。天候次第では足止めもあり得る。期限的にはかなりギリギリだ。それに栗拾いぐらいで、まさか航空機や高速艇を使うわけにはいかない。はるなはすぐにマロングラッゼの栗以外の材料と用意を始めることにした。何しろ栗を味付けするシロップや洋酒も、数々の技術や秘伝があり、大量に作るには調整に時間と手間がかかる。“さゆり”嬢が栗集めを誰を行かせるか決めようとした時に、外交部から緊急連絡が入った。フランス公使館が招いたサーカスに、怪しい動きがあると。

マロングラッゼ用意のニュースが、帝国重工内にぱっと流れた直後なだけに、悲痛な悲鳴が上がった。

「ちょっとおおおっ、何でこんな時にいいいっ!」

イリアの悲鳴が、全員の気持ちを代弁している。
栗山に入れるのは、陛下が名前をご存じで、信頼のおける人間に限られる(入山には陛下の一筆が必要)。帝国重工でもごく一部、せいぜいダインコート姉妹ぐらいまでだ。ところが、外交部の連絡はデフコンならば3レベル。テロの危険度が高い状態で、帝国重工の首脳部はほとんど身動きができなくなる。つまり栗拾いはまず不可能。

マロングラッゼとテロと天秤にかけるなと言われそうだが、緊張の続くロシアとの戦争中である。究極癒し系榛名のマロングラッゼの存在は、乙女たちには非常に重い。それを阻害するやつはゴキブリ以下。ましてや陛下のご厚情を無にする奴は、地獄に堕ちろとマジに呪った。

「・・・“さゆり”、いっそまとめて対処した方が早い。」

真壁彩少佐がぼそりとつぶやいた。サーカスの動向を注視して、報告したのは彼女である。

「連中に先手を取らせるのね?。」

さすがに“さゆり”嬢は察しがいい。偽情報を流して、連中を食いつかせ、まとめて処分すれば手間が省ける。

「ちょうど4日後に、巡洋艦春日が神戸港に入る。例のフランス系オランダ海軍大尉(フランス外務省とつながりがある)が乗船している。連中の狙いは軍事技術だ。観戦武官たちに偽情報を流して、急な軍艦の修理と補給を行えば、恐らく食いついてくる。」

「考えたわね〜、神戸港なら丹波の南。距離も近いし、高速艇を使う理由もあるし。」

イリナの言葉に、彩が折れてしまいそうにほっそりした首を横に振る。

「銀河を使うべきだろう。」

4式大型飛行船『銀河』は巡航速度395.4km/h、飛行継続時間336時間という性能を誇る高性能の飛行船である。
その輸送力に加え、滑走路を必要とせず、音もほとんど立てない隠密性や、長い飛行継続時間で、さまざまな作戦活動にも大活躍している。

「そ、そんなにおおごとなの?。」

ぎょっとしたイリナに、彩がくわっと目を見開いて向き直り、彼女の細い両肩をがっしと掴んだ。

「いいかイリナ、」

濃い栗色の目が、強い光をたたえてイリナを見ている。思わず唾を飲んでしまう。

「栗とはああ見えて繊細で賞味期限が短いのだ。おいしく食べられるのはせいぜい一週間が限度。一秒一秒その味も繊細さもどんどん落ちていく。イガが開いた直後から、急激に実は乾燥を始める。まして秋の日差しは空気が澄んでいる分強い。日差しに長く照らされていては、あっという間に乾燥が進んで、固く締ってしまう。しかも必ずと言っていいほど、虫が卵を産みつけている。卵がかえる前に冷蔵処置をし、一ミリグラムたりとも虫などに食わせてはならん。取ったら一分一秒を争い、最高の状態で処置をしてそれをとどめねばならんのだ。船の上になど置いたら、日差しと照り返しと虫の発生で大変なことになるぞ。そうなったらおいしさは半減、そんなマロングラッゼが食べたいとでも言うつもりなのか?。取ったそのあとの時間こそ、本当の勝負なのだ。」

『つまり銀河は、栗の輸送のため?。彩少佐、どんだけマロングラッゼが好きなの??。』

とうとうと栗の話をする彩の迫力に、ただこくこく首を振るしかないイリナ。

「1年だぞ1年。私たちは一年間、あの輝き、あの味、あの香りを、じっとじっとじ〜〜〜〜っと待ち焦がれ耐えてきたのだ。しかも数には限りがあり、昨年は出張が重なったため、3個しか買えなかった。ホントは15個は食べたかったのに!。それでもじっと耐えて、寒い冬を、穏やかな春を、燃えるような夏を超え、この秋を待ち焦がれてきたのだ。それが食・べ・ら・れ・な・いと知った時のあの絶望、『こんなことなら出張なんか行くんじゃなかった』と、どれほど後悔したと思う?。我々帝国重工女子たちが絶望の淵に立たされ、舌上の至福、口中の喜悦、鼻腔の悦楽、女子として生きる幸せの大半を諦めかけたその時、優しき陛下のご厚情はカンダタの一筋の糸のごとく我々を救う光明として下ろしてくださった。陛下、最高です。貴方のためなら、私は何回でも万歳を叫ぼう!。それをあろうことか、あのカスどもは、この時期、このタイミング!。42,195キロをメロスのごとく走り抜こうとした瞬間、ダカールラリー1万キロのゴール寸前、ようやく実った結婚式のキスの直前、限界の高ぶりを、ゴールの興奮を、燃え上がるキスの絶頂を、狙ったかのようにぶち壊す厄介事を引き起こしやがったこと万死に値するわっ。断じて許すまじ!。」

細い右手を思いっきり握り締め、見開いた眼には狂気が充満し、天を突くがごとくして咆哮する彩。

「「「「ゆるすまじ!!」」」」

さすがというか、完全に彩のあおり文句に乗せられ、帝国の女子社員は一丸となって同じポーズで燃え上がった。

「だからこそ、今我々には銀河が必要なのだ。愚劣な西欧諸国のスパイども、そのテロ活動をまとめて処分し、連中の本拠地を突き止め急襲殲滅。カス外交官どもの首に鉄鎖と鈴をつけ、陛下のご厚情を絶対に無にせず、一分一秒でも早く終わらせて運ぶため、銀河の使用許可を申請する!。」

「「「「異議なし!」」」」

事務方の中心をなす全女性社員の燃え上がる総意。
いや実際、男性社員もいるんだし、風霧部長もいるんだけど、その影の薄さはウスバカゲロウの羽より薄く、忍術の秘術でも使ってるんじゃないかというぐらい目立たない。

誰でも本能的に悟っているのである、今の彼女たちに口を出すことは自分の死刑執行書にサインをするぐらい恐ろしいと。

高野司令も、笑って承諾したのだった。


それにしても『食い物の恨みは恐ろしい』というが、それに『女性の』がついた時は・・・まあ『人間あきらめが肝心』かもしれない。



かくして、イリアとシーナとイリナが拾いまくった栗200キロは、すぐさま銀河で東京晴海へと送られた。


1ヶ月後、榛名謹製マロングラッゼは、重工の女性たちの感謝の寄せ書きとともに、陛下の元へ届けられたのでした。



「あ」
「あんっ」
「あ〜〜〜」


至福〜〜〜〜〜〜。

可愛らしいエプロンドレスのイリナがのけぞり、いつもの白衣でおっきな胸を揺らしてため息のソフィア、ブドウ色ベレー帽のイリアがほっぺに手を当て声をあげ、軍服姿のりりしいシーナもうっとりとしたまなざしでちょっと頬を染めていた。

紅茶とともに、幸せの極致のような顔をして、思わず悶えるダインコート姉妹。なかなか壮観である。

帝国重工内のあちこちでも、幸せそうな声が上がっていた。
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