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ダインコートのルージュ・その28
≪マロン狂想曲・その2≫
その夜、神戸の港は戦場と化した。
大規模な拡張工事が行われ、貨車用の路線まで別に引かれた神戸港は、当時から国際貿易港として躍進していた。いずれは21世紀にも無い、環太平洋航路の中心になるハブターミナル港となって何の不思議もない。
港湾区域はすでに5000ヘクタール、21世紀の東京ドームで言えば1000倍を軽く超えている。(ちなみに21世紀の神戸港は約9400ヘクタール、さらに倍近い広さになっている。)
東京は情報の中心であり、物流の中心は神戸港、いずれ航空機時代が来ればハブ空港を九州に置くのが理想という、真田の意見書も上げられている。『何もかも東京に集中するのは、バカのやること』と少々過激すぎる言葉もあったが、内容的には高野も同意見である。
その広大な神戸港の中では、多少の爆発や銃撃もさほど目立たない。
引き込み線から、専用貨車が“島風”への補給物資を大量に運んでいる。
だが、その線路の上でいきなり炎が燃え上がり、運転手は急ブレーキを踏んだ。
線路にガソリンを吸わせた毛布を並べ、燃やしたのである。
イタリア系コルシカ出身の男たちが、止まった貨車の両脇に現れ、銃を突きつける。ホールドアップから運転手を縛りあげるまで、さすがに手慣れている。
「運び出せ!」
イタリア語で叫んで、貨車の扉を開けようとした後ろから、銃声が響いた。
「全員動くなよ、いや動いてもいいぜ、その方が面倒がねえ。ヒャッヒャッヒャッ」
スペイン山岳系のバルセロナ語で、ムチャクチャ筋骨たくましい男たちが銃を構えている。
「てっ、てめえら石男じゃねえか!。」
「おおーっと動くなよナイフ使い、一応同じサーカスにいたんだ。
殺さねえぐらいは考えてやる。」
人数は、コルシカ人が8人にバルセロナ人が9人だが、後ろを取られていては身動きが取れない。
バルセロナ人は、かたことの英語に変えたが、殺気は万国共通。動いたらハチの巣にされることは目に見えている。
コルシカ人を取り巻くように、後ろから銃を構えたまま近寄るバルセロナ人。
ガインッ、ゴツンッ
そこへ重たい音と共に落ちてくる、長い柄のついた『手榴弾』。
コルシカ人とバルセロナ人は、同時に目を見開くや、銃を捨てて飛び、地に伏せた。
ドーン、ドガンッ
重たい爆発音と、鈍い衝撃が広がる。
さらに数個、コルシカ人とバルセロナ人がはいずるようにしてにげ、重い爆発音が続いた。長い服をまとった浅黒い肌のアラブ人らしい一団が、走り寄ってくる。ラクダがいればさぞ絵になっただろう。ちなみに、アラブ人はフランスと縁が深いことで知られている。
「香料屋の連中かよっ!」
「むちゃくちゃしやがるっ」
アラブ人たちは、あっという間に貨車に取りつき、カギのついた鎖を手斧でぶち切る。
開いた瞬間、中から何かが突き出してきた。
ドガッ、ドスッ
貨車の中から、短めの槍が伸び、アラブ人の喉と腹を貫いた。
「ノチタレオ ウョリャシノコ」
「ルレクシウ ンジツイド クイテッモツミキ」
鮮やかな緋色の服をなびかせ、背の高い黒人が4人飛び出してくる。
貨車の一角を破り、侵入していたらしい。
「アフリカ舞踊団のマサイ&ピグミーか!」
コルシカ人たちが、転がるようにして逃げ出した。
槍を振り回すと、次々とその辺にいる人間を片っぱしから屠り、奇怪な雄叫びをあげながら暴れまわる。
さらに4人、今度は小学生ほどの身長の、真っ黒で腰回りだけ飾った黒人が、運転席にもぐりこんだ。
体は小さいが、筋肉は隆々としていて全員成人。世界最小民族のピグミーだ。
これも奇怪な叫び声をあげながら、運転席のレバーを引いた、『バック』に。
神戸港の貨車はすでに電化されていて、最低限の操作で動かせるようになっている。
長距離の移動と違い、神戸港の中で動き回る貨車は、蒸気機関では効率が悪すぎるのだ。
もっとも黒人たちがそんな事を知っているわけは無く、ただ単にレバーを引いてみたら動いたので、そのまま引っ張り続けているだけなのだが。
ゴトンゴトンゴトンゴトン
動き出した貨車に、スワヒリ語(?)らしい叫び声で、緋色の服を着た黒人たちが飛び乗り、猛スピードで元の線路へつっぱしる。
「ウキャーッキャキャキャッ」
たちまち置いてけぼりとなる他の襲撃者たち。
黒人たちは、うまくいったと大騒ぎしているが、肝心なことに気づいていない。
レバーを引きっぱなしなので、この貨車、後ろへつっ走っている。
減速すべき枝分かれポイントに、全速力で突っ込んだ貨車は、当然ながら曲がりきれない。
地響きとともに、貨車は脱線転覆した。
「もうムチャクチャですねえ。」
小型飛行船型高度無人探査機、MILK−372を中継し、情報を伝えていたイリアが、ため息をついた。
『他国の連中、思いっきり<使い捨て>を集めまくったな。』
シーナがぼやく<使い捨て>とは、要するに使い捨てのできる手駒になるチンピラ達の事を言う。
傭兵崩れや、ギャング、盗賊に山賊、金次第で使える手駒は案外多い。
『それにしても、どこからこれだけ連れ込んだんでしょうねえ。』
あまりに色々すぎて、あきれ返ったイリナ。
彼女たちは準高度AIであるため、脳波を瞬時にリンクさせてネットワークを作成することができる。
そしてイリア・ダインコート嬢は、その意識下に特殊な空間を形成して、各AIたちのアバターを集めて会話しているのだ。
『先日フランス公使が招き、イギリスが船を都合した『アビニョン大サーカス』が原因だ。』
真壁彩少佐が、まるで男のような口調で話す。昼間のバトントワラーでは、見た目ほっそりして、はかなげな美少女というイメージだったが・・・。
『あのカスども、しゃあしゃあと国際親善などとぬかしおったわ。連中の血の匂い、我らが分らぬと思うてか。』
黒い笑いを浮かべるその美貌、血まみれの首狩りカマのような陰惨な美がぬらりと輝く。彼女はドSで知られた恐怖の中隊長。特殊作戦群中佐であり、広報部の特別部『外交部』の一人で、外務省にも正式な外交官としての所属がある。外交官特権は特殊作戦群にとっても何かと便利なため、彼女のような準高度AIが何人かいる。そして彼女は何と言っても、見かけがアレなため、だまされた男性数知れず。外交官としては極めて優秀といえた。
彼女の言うイギリスとフランスのカス、すなわち外交官たちは、この戦時に大きなサーカスを大陸から呼び入れ、あちこちで見せていた。もちろん、<使い捨て>を大量に持ち込むためのごまかしだが、彩少佐は怪しいと思い、相手の動きをじっと見張っていたのだった。
ちなみに、コルシカ人たちはナイフ投げの見世物。バルセロナ人たちは肩の上で数十キロの丸い岩石を転がす『石男』。アラブ人たちは香水やお香を扱う『香料屋』。アフリカ人たちは音楽や踊りの『アフリカ舞踊団』でサーカスの出し物に出ていた。
『あ、あはははは・・・、それにしては連携がまるっきり無いですね。仲間割れかしら?。』
イリナとイリアが、恐怖と困惑の混ざったひきつり笑いを浮かべる。少佐が黒い笑いを浮かべる以上、船を都合したイギリスと直接招いたフランスの外交官たちは、まず無事では済むまい。何と言っても、外交官の彼女に嘘をついたのは事実なのだ。彼女にとって、事故としか見えない大けがなど、朝飯前。恐らく『本人の不注意による偶然の事故』で、公使や外交官たちは、半年以上病院暮らしをする羽目になるだろう。
脱線転覆した貨車に、ターバンを巻いた一団が襲いかかる。
『あー、そういえばサーカス内にインド料理の店もあったな。』
もはや平板な真壁の声は、下手に脅すよりよほど怖い。
映像の中では、アフリカ人たちの手足がへし折られ、失神させられていく。
『ほお・・・』
シーナが思わず声を上げた。
その背後を、ちらっと影が動いた。手慣れた動きと銃器の構え方からみて、傭兵だろう。スイス傭兵かもしれない。
「綱渡りやボール乗りが上手な傭兵がいていも、いまさら驚かないわね。」
イリアが疲れたような声でぼやく。
ズガンッ
小銃が火を噴き、ターバンの頭が消えた。
「うひいいいっ!」
イリアが思わず声を上げ、先ほどの言葉も忘れて本気で驚いた。
頭が吹っ飛んだのではない。真後ろに首がぶらんと曲がったのだ。
別の男が胴を狙って撃った。
ドンッ
音と同時にターバン男の上半身が消えた。腰からいきなりへし折れたように曲がっている。
「なっ、何だありゃあっ。」
さすがの傭兵たちも、あまりに異様な光景に思わず声をあげてしまう。
一斉に射撃を始めたが、ターバン男たちは低く伏せた。低いと銃撃はなかなか当たらない。だが、高度無人探査機MILK−372は、高感度映像で見ていた。ターバン男たちは全員“仰向け”になっている。
そして、傭兵たちが様子を見ようと銃撃を止めた瞬間、ざっと動きだした。
「いやああああああっ!」
『きっ、キモいっ!』
『マジキモッ!』
『気持ち悪っ!』
イリアたち全員が悲鳴を上げてしまう。
仰向けのまま、両手両足だけを立てて、頭頂部を下に向けると蜘蛛のようにカサカサカサと動きだしたのだ。異様な早さと、人間と思えない奇怪な動き方に、一瞬挙動が遅れる傭兵たち。
人間蜘蛛たちは、表情の無いさかさの顔のまま、傭兵たちに飛びかかった。
そこからは、人間同士の取っ組み合いだが、傭兵たちは掴まれた瞬間ひねり壊され、身体を紐のように絞められ、ほとんど距離の無い位置から蹴りで顎をぶち割られる。
『うむう、インド武術カラリパヤットか。』
シーナが思わずうめく。
「それは何ですの?、お姉さま。」
イリアが、可愛く首をかしげる。
『極めて簡単に言えば、ヨーガを含んだ格闘技とでもいうのかな。』
『ああ、あのキモい身体のへし折れ具合は、それでしたの。』
真壁少佐が、いやそうな口調で思い出す。インドの秘儀ヨーガの身体操作術があれば、あのような非常識極まる身体の動きも可能だろう。
『凄い武術みたいですけど、シーナ大丈夫?』
“さゆり”嬢が心配そうな声で聞いた。
『いや、珍しい武術だがどうという事は無い。ただ、こんな極東に果てるのは、少しもったいない気もするが。』
『確かに、他のチンピ・・いえ襲撃者たちとは、腕がけた違いですわね。インドとなると、イギリスの支配下。恐らく下層カーストの出なのでしょうね。』
インドは非常に厳しい社会階級『カースト』がある。イギリスはその社会構造を利用して、ほとんどあらゆる富を吸いまくっている。たとえばインドで綿花を大量に、国内では売りさばけないほど作らせて安く買い占め、膨大な綿織物を輸出してインドの織物産業を破壊し、イギリス製しか買えないようにして、ずっとイギリスの独占市場にして売りまくるというありさまだ。しかも大半のインド人はそのからくりすら理解できず、ただひたすら生活全てを搾取されまくり、奴隷同然になってしまっている。それから抜けるにはインドから出るしか無い。そのためには金がいる。
『貧しさの中、誰もが必死か・・・』
死の女神は、ほんの一瞬憐れみを浮かべたが、それは瞬時に消えた。
「シーナお姉さま、どうやらインド人が最後に残った部隊のようです。」
観戦武官の報告から、軍艦のタッチパネルの存在を知ったイギリスは、とにかくあらゆるサンプルを欲していた。
インド人たちは、弾薬、部品、測定器、防護服、救命具など、食料や医薬品以外の物で見たことの無い物は何でも持って、領事館や公使館に飛び込むように命令を受けている。イギリス人が見たことが無い物であれば、一つにつき500ポンドという破格の代金が支払われる。インドなら一家族が数年は食べていける金額だ。持てるだけの物を持っていこうと、狂ったようにあらゆる箱やトランクを引っ張り出し、あさり始めた。
だが、彼らの行為は全て無駄なのである。島風の寄港そのものが罠であるならば、貨車は獲物をつり上げるための『寄せ餌』でしかない。貨車の事を連絡した観戦武官たちは、みな睡眠学習のそれを本気で信じていた。そして中身は全てそれらしいブリキの玩具なのだ。貧しい下層カーストの人間に、見分けなどつくはずもなかった。
『では、いくぞ。全員ガスマスク装備。催眠ガスで無力化する。5分ですませろ。』
闇夜に無音飛行をしていた4式大型飛行船『銀河』が、15メートルの高さに静止し、伸びたロープから、地上へと部隊員たちが降りていく。
夜の闇は、何事も無かったかのように、静かにふけていった。
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