■ EXIT
ダインコートのルージュ・その28


≪マロン狂想曲・その1≫


「くっりくっり、いっがいっが、くっりいっがさん♪」

可愛らしい声が、珍妙な歌声を山道に響かせる。豊かな緑の中に、あちこちモコッ、モコッとしたトゲだらけの固まりが落ちている。

緑のリュックを背負い、愛らしい笑顔でイリアが現れる。
光の具合で金色に見える黄色の長袖シャツに、綿の細い黒のパンツと動きやすいスニーカー姿。それでなくても細い足が、別種族、たとえば空想上のエルフのような妖精じみたスタイルに見える。

「くっりくっり、いっがいっが、くっりいっがさん♪」
それに唱和して、ほんの少し背の高いイリナが、現れる。
こちらは、赤のリュックに緑のシャツ、青いデニムのジーンズ姿。プラチナの髪が、キラキラ光を反射し、これまた魂を奪われそうな光景だ。イリアに比べると女性らしいボディラインだが、胸元をほんの一つ開けたボタンが、誘われるようなエロティズムを発している。

その後から、苦笑しながらついてくるのは、背の高い迷彩服姿のシーナだった。


ここは丹波篠山、現在の兵庫県中東部あたり。京都への街道筋に当たるため、京文化の影響が強い地区の一つ。この地方の丹波栗といえば、日本最古の書物『日本書紀』にすら名前があるという、この地方の名物。その中でも一番大事にされている栗山に、3人は来ていた。


リスのようにテテテテと駆け寄ると、イリアはイガの中から火ばさみで、ひょいひょい大ぶりの栗の実だけを拾いあげ、布袋をあっという間に一杯にしていく。

「むっ!」

青い目をギラッと光らせるや、チョロチョロッと木の間をすり抜け、熟した栗の実を拾いあげる。目線が低いせいか、落ちているのがよく見えるらしい。

「は、はやっ!」

イリナも拾おうと思うのだが、落ちている栗はすぐ虫がたかり、穴が開けられる。白いくずが実からこぼれているのは、『試食済み、虫』と書かれているようなものだ。イリナがようやく1個拾った時には、イリアはすでに30個近く拾っていた。

「お姉さま、後ろ後ろ。」

え?と思ったら、イリナの後から2個、丸々とした栗を拾いあげた。
驚いてさがったら、

骨っ!

「ひいんっ」

後ろ頭に、ぐさっと何かが刺さり、思わずしゃがみ込むイリナ。

「おお、これはすごい。」
「わお、お姉さま大当たりですぅ。」

まだぶら下がっているぱっくりと割れたイガは、彼女の両手にあふれるほど大きく、中には特大の栗がぎっしり詰まっていた。なるほど、痛いわけだ・・・。














このクリ拾いの3日前、イリナとイリアは神戸港に、観戦武官たちを迎える用意で来ていた。神戸港は丹波篠山から見てほぼ南にある。

パッパッパラッパッパッ

ドドドドドドンッ

トランペット他の管楽器が、輝くような音を放ち、太鼓の太いリズムが華やかさの中に渋い重みをつける。
赤と白の楽隊が動き出すと、港の見物客、船員、そして観戦武官たちは一斉に歓声を上げた。その響きが港を震わす。

全観客の目が、楽隊の先頭に立つ赤と白と金の鮮やかな姿に、くぎづけになる。

音楽隊ぐらいは、どこの国にでもあるだろうが、楽隊の前に並ぶバトントワラーの艶やかですらりとした姿は、おそらく世界初。

前つばのある白く高い帽子に、上着はエナメルのように輝く素材のノースリーブミニのワンピース。両肩と帽子の上には金糸の飾り。ワンピは両脇が白、真ん中が赤と縦に三分割されたような色合いで、日章旗をイメージしている。薄く白い二の腕まである長い手袋に、白の腿まであるハイソックスとブーツ。

ピーッ、ピピピピ!

先頭は小柄なイリアで、ちょっと大きめの帽子が彼女の愛らしい容姿をさらに強調する。

 きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーっ

いや実際、さほど多くは無い女性客が圧倒的な黄色い歓声を上げたのは、女性に特別に好かれるイリアの魅力である。

そして先頭のイリアの姿は、整然とした部隊の威圧感を見事に昇華し、見る者の頬笑みを誘った。
会場の気分が驚愕から微笑みに昇華した瞬間をとらえた彼女のホイッスルに合わせ、トワラーたちの胸元に構えたバトンが、さっと天を指す。

音楽に合わせ、銀色のバトンを振る彼女たちの美しさとみごとさに、歓声が止まらない。

イリアの真後ろのイリナが、半歩右に足を伸ばす。
全員が一斉にその動作、左から右へと銀のバトンが踊り、肩から右腕とバトンが一直線に並ぶ。
くるりと回る銀のバトン。
風になびくプラチナの髪。
鮮やかなステップでくるりと回転し、宙に投げ上げられたバトンが、左手に納まる。

どっと拍手が沸いた。

おびただしい観戦武官たちがいたが、これほどの衝撃的で素晴らしい歓迎式典を受けた者は一人もいない。また女性たちの魅力的な事、これまた衝撃的である。



「日本はなんでこんなに美人が多いんだ。よりどりみどりじゃないか!」

イタリア出身のギリシャ海軍少佐ベンウィスが、うめくように言う。 イタリア男としては、目の前で踊る女性たち全員を今すぐ口説けないのが、拷問のように思える。

「ふざけるな、よりどりみどりだなどとと誰が許可した!?(全部俺のだ)。」

フランス系オランダ海軍大尉のマルベルトが、半分本気でにらんだ。
フランス男も、本能への忠実さでは、あまり負けていない。

「君たち、女性にも選ぶ権利というものがあるのだよ?(血筋と鏡に相談して見たまえ、全員私の元に来るのがふさわしい)。」

イギリス海軍少佐で男爵位も持っているピッツバーグは、片メガネをちょっと動かし、キザったらしく言う。もちろん、貴族を鼻にかけているので、全員から嫌な眼で見られる。

『こいつら、何しに日本まで来たんだ?』
巡洋艦春日の甲板長、大浦正志は連中の大声を聞こえないふりをしながら、呆れかえっていた。帝国海軍や国防軍に所属する士官たちは、最低限2カ国語以上が話せるのが礼儀という不文律があり、大浦も英語の他にフランス語、イタリア語、ドイツ語が話せる。

元々観戦武官は、優秀な武官であることの証明のような物で、訪れた国でも賓客として扱われる。滞在費用は母国が払うが、受け入れる国も歓迎パーティから、戦場への移動、戦場での観戦用の軍艦や車両や宿泊場所など、結構な負担がある。国を代表して来ているのだから、武官たちは外交官的な友好と礼儀も表さなければならない。だが、最近来る武官たちはだんだんおかしくなっている。

ひどくイライラしていたり、武官同士衝突も多い。日本に対しては、必死に礼儀を守ろうとしているが、それでも態度に何か変な部分が出ている。

そして酒と女がひどくはなはだしい。



とびっきりのプラチナの髪をした先頭の二人、イリナとイリア姉妹はもちろん、流れる黒髪の佐原マエミ少尉、すらりとした谷村恵少尉、男が溺れたくなるような爆乳の宮谷香織中尉、少々頬を赤らめ恥ずかしげな表情が初々しい真壁彩(まかべあや)少佐など、観戦武官たちはよだれが垂れそうな顔付で見入っている。

ただ、彼女たちの名前すら知らない彼らは、少尉や中尉、少佐という階級を聞いたら耳を疑うだろう。軍の階級上、指揮官クラスばかりということになる。

それもそのはず、全員シーナ・ダインコート直属の準高度AIで戦闘特化型特殊擬体の、特殊作戦群に所属する死の女神たちだ。もちろん、シーナも来ているが、彼女の名はあまり表に出せない上に、イリナやイリアと並んだら目立つ事おびただしく、作戦に支障をきたす可能性がある。

つまり、今日の式典は作戦行動込みの狙いがある。


それは武官たちの異常と、大いに関係があるのだ。




この日、急変した天候を避け、応急修理も兼ねて駆逐艦島風が入港してきた。春日に乗る観戦武官たちに、奇妙な緊張が広がる。


島風の行動そのものは、当然のことだが、問題は神戸港と言う場所にあった。

元々国際的な良港として栄える地勢的条件があり、開国後は急激に発展した区画。外国人居留地があり、色々な勢力がこっそりと蠢いている。つまりスパイが元々多い。 そして、観戦武官とは戦場全体を見て掴まなければならないため、膨大な情報収集をしなければならない。 武官そのものは純粋に軍人であっても、その部下や通訳など、取り巻きは裏のある人間が忍ばせてある事が多いのだ。

もちろん、軍艦にはそういう人間は絶対に乗れないが、武官たちは手引きをしたり、何かしら調査に協力をしようとしたり『させられていた』。


『させられていた』と言うのにも、理由がある。


佐世保海戦において、圧倒的戦力差を相手に、素晴らしい健闘を見せた日本海軍。その船の詳細なデータや技術について、どの国もよだれを垂らしている。 一瞬でもスキがあれば、『ありったけ断りも無く無料でかっさらっていきたい』のが世界全ての国の本音。

まだ特許などという言葉は、ごく一部のステータスにすぎず、既得権(コレハオレノモンジャ)を決めるのは最終的には『暴力』になる。


これは珍しくも無い、清国のある光景。

清国人「か、返してよ、俺の妹を返してええっ」
欧米人1「この猿、まだ自分の立場が分っていないようだな。」
欧米人2「人間様に反抗する猿、すなわち害獣」(銃を抜く)
欧米人3「まあまあ、猿ごときに大人げない。獣をしつけるのも人間の仕事でしょう。」

人の多い往来でボコボコにされ、血まみれの清国人と、泣きながらさらわれていくその妹。

『上の光景は、法に基づいた、正当な権利による行為である。』

植民地政策とは、これすなわち圧倒的暴力を背景にした、絶対的上下関係の確立。そこにいる原住民、これすなわち人としての権利を持たず。

欧米諸国は植民地の文化を破壊し尽くし、キリスト教を植えつけ、『白人種はみな絶対的な神の使者』という精神的恐怖までも利用する。

小さな島国でのんびり暮らしていた日本人には、想像がつかぬ世界こそ、醜悪な現実そのものだった。


−−−−それだけに、


その後の壮絶極まりない『日本海海戦』。

常軌を逸した、いや、圧倒的不条理と非現実的な悪夢が足を上げて踊り狂った様な結果に、欧米人の理性は見事にどつき倒された。
それは、彼らの存在意義すら崩壊させかねないほどの凄まじい衝撃となり、どう対処すればいいのか、考えることすらできない規模のしろものだった。それはやがて恐怖と化した。

植民地政策において、海軍力は最終兵器に等しい。

ましてロシア連合艦隊は、世界最大級の大戦力。多少日本の戦艦が優れた性能があったとしても、絶対的な数の優位で負けることなどありえなかった。 戦艦46隻、装甲巡洋艦20隻、巡洋艦1隻、防護巡洋艦58隻、砲艦4隻、仮装巡洋艦3隻、駆逐艦17隻、総数は実に149隻。

この当時、英国が掴んでいた日本の戦力となる戦闘艦の数は、葛城級戦艦10隻に雪風級巡洋艦32隻。
長大な海岸線を持ち、公爵領となる群島まである日本は、その防衛上『全戦力一点投入』など、出来るわけがない。保障占領を狙い、別戦力を展開しているイギリスや、日本を目の敵にしている白人至上主義のオーストラリアなどは、鵜の目鷹の目で日本を狙っている。

そうなると、薄く広く軍艦を展開せざるえず、それを一点突破すればいいのは誰でも考えることだ。実際の海戦では、ほぼ確実に戦力比が10倍を超える。

佐世保海戦では、戦艦2、巡洋艦8の艦隊戦力で、戦艦8、装甲巡洋艦6、防護巡洋艦12(内3隻は偵察行動)、駆逐艦10のロシア艦隊に、健闘はしたが壊滅している。単純に数だけ比べれば1:3、それが1:10では勝負になるはずが無い。

押し寄せる装甲駆逐艦や防護巡洋艦が、日本の戦艦にイルカに群がるシャチのようにたかり、四分五裂した日本の戦艦を連合艦隊戦艦群の圧倒的な火力で袋叩きにすればよい。おそらく戦艦の半数も撃沈されれば、日本軍は白旗を上げ、全ては連合艦隊にとっては無事に収まる・・・・はずだった。

だが日本海海戦は、この最終兵器をバカバカしいほどの凄まじさで、完璧に無力化し尽くした。

突如現れた、日本の信じられないような超巨大戦艦。
それは無数の砲弾や魚雷までも複数喰らいながら、ものともせずに圧倒的な火力と命中率でロシア連合艦隊を粉砕、撃沈、爆沈させ、圧倒的優勢のはずの勝負は、席に着いた途端に大理石のテーブルごとひっくり返して叩きつけられたようなありさまとなった。撃沈率は連合艦隊136対日本5、しかも日本の戦艦は一隻も沈んでいない。先頭に立って戦い抜いた悪魔のごとき超巨大戦艦は『ナガト』と呼ばれ、世界の海軍に所属する全ての者の脳裏に、歴史に残る悪夢『ナガトショック』として深く刻みつけられたのだった。



米国大統領は、報告を3度聞きなおした後、その場で絶叫しながら卒倒した。『NOOOOOOOOOOOOOOOO!!』 イタリア海軍大臣は錯乱状態となり、ピストル自殺した。遺言はただ一文 『メローデ、ネハンデマツ』 オーストラリア首相は、精神に異常をきたし、病院からまだ出てこない。『これは夢だ、これは夢だ、これは夢だ、これは夢だ・・・』 イギリス海軍卿は、メモに走り書きを残した後、行方が知れない。『前略、探さないでください』

それ以外にも、ロシア連合艦隊に協力した国では、同じような騒動が続発、大混乱になっている。

議会から絞め殺される米国大統領はとにかくとして、他の国家の大臣や首相は、なぜ錯乱したのか?。 被害の凄まじさもさることながら、最悪だったのが、ロシア連合艦隊の圧倒的勝利を確信し、『戦艦』に観戦武官の名目で乗りたがる各国大富豪や上流階級のバカ息子どもがわんさといたのである。

多少の性能差があろうと、数が違いすぎるのは小学生でも分る。で、そいつらが何を考えたか?。

第一に、日本の船を袋叩きにしてボコボコに叩きのめし、撃沈する様子を眺めながら、勝利の美酒を味わいたい。
第二に、その後日本へ突撃して、全土を(船の上から)火の海にし、白色人種に逆らう愚かな猿どもを絶望という教育をする『使命』を神に与えられている。 第三に、世界に名の知れた美女であるダインコート4姉妹や“さゆり”嬢らは、ちっぽけで愚かな国にいるべきではない。自分に召し使われてこそ幸せになれるのだ。

・・・・・・とまあ最低愚劣な欲望丸出しで、『戦艦』にのりたがった。

でかくて、強くて、まず沈まない『戦艦』にである。

まかり間違っても、『装甲駆逐艦』や『防護巡洋艦』などお話にもならない。
そんなところへ回したら、『貴族の僕を舐めてるのかい?』だの『私の顔に泥を塗って、父上が黙っていると思うのか?』だの『侯爵家三男の私にあんな狭い船に乗れと言うのか!』だの、ろくでもない脅しと、世の中を舐めきった甘ったるいセリフを山ほど投げつけられる。しかもそれが、現実的な権力をまとって襲いかかってくるのだから、手に負えない。

しかたが無いとはいえ、政治家たちはとにもかくにも苦労して、全員『戦艦』に乗れるよう色々手配をしていたのだった。


もちろん、それを押し付けられた『戦艦』の方はたまったものではないが、断る方法などあるわけが無く、押し寄せてきた見かけだけのひ弱な貴族の子弟どもを、受け入れざる得なかった。本格的な訓練を始めると、とたんに凄まじい船酔いでゲロまみれになりながら、執事や世話人を引き連れ、恨みと具体的な仕返しを山ほど訴えてくる役立たずどもに、各艦の船長たちは、こいつらロープをつけて海に放り込みたいと、何度願ったか分らない。


ただしこれは、最高司令官のマカロフ中将は毛ほども知らない。

ひとつには実際に日本と血みどろの戦いをしているため、ロシア上層部の緊張感も半端では無く、こういうふざけた申し出など出来る雰囲気は欠片も無かったのだ。人の口は閉ざせない。ロシア国内では、日本がどれほど恐ろしい国か、かなり知れ渡り始めていた。

他国では、日露の大戦争といえどしょせん他人事。ロシア以外の国は、上も下も日本をなめきっているのである。

そして各国のエゴが絡み合う連合艦隊とはいえ、各国船団の司令官たちや、『戦艦』の艦長たちは、ロシア連合艦隊の優れた訓練の中で、密かに彼を『マカロフ爺さん』と呼び、本気で尊敬していた。かなりの高齢であり、命を削るような激しい訓練や会議にも、辛抱強く、最善の手段や方法をひねりだし、全軍に伝え、教育していくマカロフの姿は、同じ海の男としてあっぱれという他なく、彼にならば命を託せるとまで信頼を得ていた。それゆえに、『爺さんにだけは、迷惑はかけられん』と、苦々しい内部事情と迷惑な客の事は、全力で抑え込んでいた。



ところが、政治家たちの苦心は、そのまま最悪の結果に終わった。日本海海戦で真っ先に潰されたのは、『戦艦』だったのである。

当然それに乗っていた貴族の子弟どもは、大半が海の藻屑と消え、生き延びた連中も良くて手足の一、二本は欠損、他は全身火傷だの精神異常だの、救命ボートを自分一人で占拠しようとして下士官たちにリンチだの、五体満足で帰還したのは一人もいなかった。

乗船を願い出たのはそいつらでも、沈むような戦艦に配置したのは政治家の責任。怒り狂った権力者の親たちから、間違いなく吊るされる。おかしくなっても無理は無い。 もっともゲイで有名だったイタリア海軍大臣は、子爵家の“次男”メローデ・ヴェノッサの死亡にショックを受けたという説もあるが・・・。

イギリス海軍卿は、直接の被害こそ少なかったが、宗主国としてオーストラリア首相にねじ込んで、同じようにバカどもを戦艦に乗せていたのだから、夜逃げするしか道は無い。

ロシア海軍大臣も、完敗の責任を背負って危うく自殺しそうになったらしいが、ロシア皇帝から『そなたの罪は、職を命じた我の罪でもある。』という寛大なお言葉をいただき、泣き伏したという。




『何としてでも、いかなる手段を持ってしても、日本海軍の秘密を探ってこい!』

日本海海戦の後、目を血走らせた各国元帥・大将・大統領らは常軌を逸した命令を下していた。哀れな観戦武官たちは、日本に到着して、自分がスパイの諜報組織に組み込まれている事に愕然としたのである。そして、あろうことかコソ泥のように、あちこち嗅ぎ回らねばならなくなっていた。

観戦武官たちが手引きをしたり、何かしら調査に協力をしようとしたり『させられていた』というのは、こういうことだった。


実際問題、各国を仲介し連合を組ませるような勢力があったら、日本も本気で危なかっただろう。だが、この世界においてそのような鷹揚さと度量を持ちえるのは、おそらくロシア皇帝ぐらいのものであり、当然日本と大戦中の皇帝にそんな余裕などあるはずが無い。むしろ火事場泥棒のようなどさくさまぎれを狙って、日本の技術を横からかすめ取ろうとする各国の卑劣な動向に、本気で怒りを押さえている状態である。

半狂乱になった各国はイギリスを筆頭に、飢えた野良犬のように帝国重工への『抜け駆け・独占』を狙い、報酬を猛烈に釣り上げた。

スパイたちは暴騰する報酬や名誉に目がくらみ、凄まじいまでの足の引っ張り合いや闘争を繰り返し、日本の治安関係者の手を焼かせていた。スパイたちはすでに手段と目的を取り違えているが、それすら気づく余裕も無いありさま。


おかげで武官たちの軍服の袖の中には、糸ノコや万能ドライバーが仕込まれ、護身用の銃の代わりにケースには、ペンチやスパナが入っている。 スキあらば、船の各部をこそこそ盗んだり、切り取ったり、開いて覗いたりするためだ。


しかし、常軌を逸した命令というのは、たいてい根本的な部分、つまり『常識』で大まちがいをしでかしている。


情けない話だが21世紀の日本でも、予算のあてもなく、国民に莫大な金配りを約束しまくったり、他国の同意を得なければならない基地問題を、そちらを無視して勝手に変更しますと言ったりしたあげく、悲惨な失敗をして問題は放りっぱなしとなった。『常識』の無い命令の悲喜劇である。

この場合、各国首脳部は、観戦武官の意味と立場を完全に忘れていた。

観戦武官とは、国家による軍隊を育てる事への協力と、士官学校や国際法などの制度を研究推進するために組まれた制度である。 その存在意義は、同じ死を賭して闘う男同士への友情に近く、国軍を担う者への敬意と互いの練磨鍛錬を多く含んでいる。そして仮にも観戦武官を仰せつかるような武官は、最低でも佐官クラス以上の将校。

誇り高く、死を恐れぬ勇者としての自分を磨く者たちにとって、日蔭者で卑怯で恥ずかしいスパイ連中にあれこれ指図されるなど、凄まじい屈辱であり、そんな命令を下した最高首脳部に、従いはすれども、はらわたは煮えくりかえっている。スパイ行動は国家レベルの行動原理だろうが、観戦武官にとっては自分たちの存在意義そのものが、崩壊の危機に追いやられているのだ。もしこの行為がばれたら、観戦武官という名誉は地に落ち、侮蔑と共に日本を追いだされる。しかも、おびただしい他国の観戦武官の目の前でである。

『もしそんな恥辱に陥ったら、死んでも死にきれない。』

と、各国観戦武官たちは、ほぼ全員同じ命令に悩み、苦しみ、のたうちまわっていた。
他の武官に一言でも漏らすのは、恥辱の極みと思っているから、誰にも相談などできるわけがない。武官たちは、全員そろいもそろって歯でも痛いような顔つきで、黙りこくって酒ばかり飲んでいる。観戦武官としての能力はおろか、スパイとしてもとても使える状態ではないというのは、はたから見ると笑う他あるまい。


そういう状況の男性たちにとって、『優しく接してくれる女性』は猛毒のように凄まじい効き目がある。帝国重工はその効用知りぬいており、各国内部事情もほぼ完全に把握していた。長い間の諜報活動や、情報収集システムの構築が、見事に実を結んでいる。


歓迎式典は、観戦武官たちの無意識に強烈な一撃を与え、女性への渇望を煽りたてる。

そして、艦内ではイリナら美しく優雅な女性武官たちが間近に接し、本能を刺激。 他の礼儀正しくけなげな一般女性隊員たちに驚愕し、本気で自分たちの愚かしい命令に苦悩させる。 とどめが、艶やかで妖しく甘い夜をとことん楽しませる娼館の毒に浸されて、幸せな気分で陥落してしまう。

勇猛果敢で優秀なはずの武官たちは、コロコロと女性たちに転がされた。

一つには、この時代の女性の地位は非常に低く、男性の頂点とも言える軍将校ともなれば、ハッキリ女性を見下している。つまり『警戒など考えもしない』。 そして娼館の女性に、柔らかな膝枕で酒など飲まされた日には、たまりにたまっている鬱憤と共に、機密でも何でも呆れるほどぶちまけてくれるのだから、世話が無い。中には、泣きながら女性の膝にすがりつくのもいて、酷く罪悪感をくすぐられる。

『正直、ここまで無警戒だと、私たちの方がものすごく悪人みたいよねえ。』とはリリス嬢の弁。

軍港には必ず帝国重工の経営する娼館があるし、観戦武官たちには慰安の名目で、娼館の割引券が優先的に配られている。そして、観戦武官たちのお相手は、娼館の中でもトップクラス、その道のツワモノのお姉さまたちが配置され、手ぐすね引いて待っているのだから、ほぼ間違いなく骨抜きにされてたらしこまれてしまっている。つまり、情報戦はその根本から帝国が握ってしまい、欧米へ情報操作したい放題の状況だった。まあこの場合、哀れな武官たちを責められまい。




さて、異常な武官たちから、娼館のおねえさまたちがいいように情報を吸い出したところ、各国のスパイたちは観戦武官にべったりとひっつき、日本軍の機密を一つでも奪おうと死に物狂いなっていた。だが、帝国重工相手ではあまりのガードの固さに、近寄ることすらできない。思案の末、ほぼ同時に一つの案にたどり着いた。

『軍艦が緊急の物資搬入を行う時、それを襲えばいい』

船が港に寄る時は、必ず何らかの物資を調達する。海の上ではまず絶対無理なのだから、当然だろう。
そして、緊急の事態というのはどんな船や軍隊にも必ず起こる。それならば、どんな警備態勢でもスキが出来るはずだ。

そういうアイディアを、各観戦武官が同時に思いつき、いっせいに各国スパイへながした。

ここで『いくらなんでも、同時は無いだろう』と思った人、正解です。

これはその日、娼館で眠りこけている武官たちに、こっそり催眠学習で流し込んだのである。わざと全部のスパイたちを同時に行動を起こさせ、一網打尽にしてしまうため。当然だが、島風の急な神戸港への入港も、最初からプログラムの中に組まれた周到な罠だったのである。情報を集めるための武官たちに、スパイたちが必死で頼っているため、逆に相手を操るような行動も可能だった。



鮮やかな白と赤のチアラー服がたたまれ、見事なボディラインにフィットした青い薄手のスポーツブラが、武骨な迷彩服に覆われる。
引き締まった腰の曲線美が、巨大なホルスターをぶら下げる。
優しく微笑んでいた美貌は、瞬時に冷たい冷酷な氷の彫刻と化す。

シーナが着替え終わった全員にうなづく。

「さあ、宴の始まりだ。」
■ 次の話 ■ 前の話