■ EXIT
ダインコートのルージュ・その27


≪怖い・4≫


恐怖と騒動の一夜が明けた、8月11日早朝の帝国重工指令室。
ソフィア、イリナ、イリアはようやく落ち着き、シーナが報告に訪れた。

「やれやれ、大変だったようだな。」

高野指令は、報告に来た彼女にねぎらいの言葉をかけた。

だが、シーナが妙な顔をする。

“さゆり”嬢がそばにいるのは当然として、知的な美貌がなぜか幼子のような不安な顔つきで、高野の左腕にひしとしがみついてしまっている。

「は、はあ・・・」

シーナにしては歯切れの悪い返答だが、それだけ“さゆり”の態度が妙だったのだ。
よくよく見れば、まだ目がうるんでいて、泣きそうな雰囲気すらある。

「イリナは、私の顔を見るなり失神してしまいましたし、イリアは標本室、ソフィアにいたっては1Fトイレでしたから、一体何があったのかと思いました。」

イリナは失神が解けると錯乱状態に近いありさまで、シーナの顔を見て本気で怯えられたのは、彼女にはひどくこたえた。


「まさかセキュリティのバグの修正が、こんな波紋を起こすとはなあ。」

頭をかきながら高野がぼやいた。
今更の説明だが、シーナたちは準高度AIであり、そのシステムには非常に強力なセキュリティが組まれている。
一昨日、珍しくそれに小さなバグが見つかり、修正を行ったのだが、この修正にもミスがあった。
各準高度AIたちへのダウンロード時に、夕刻の停電が重なり、非常用電源に切り替える際の電圧の変動を、戦闘状態の警告と取り違え『知覚過敏』を起こしたのだ。

人間の日常生活で言うならば、『冷たい水が歯にしみる』とか『静電気で肌がひりつく』など、それ自体は大した問題では無いのだが、状況によっては深刻な事態も引き起こす。

というのは、本当の戦闘状態に突入した場合は、同時に感情の抑制を行い、異常な興奮やパニックを起こさないようにするのである。
プログラムミスによる戦闘状態での警告は、準高度AIの感覚だけを非常に鋭くするが、反面通常の生活では感覚が『鋭くなりすぎる』。

誰でも怯えると、ちょっとした音が非常な恐怖を引き起こしたり、揺れた物が別の生き物のように感じたりと、感覚が過敏に働いて脳に異常な刺激を与えてしまう。
それが度重なれば、脳の方が疲労から幻覚や幻聴を起こし、ありえない物が見えたり聞こえたりもする。
まして、基本構造は人間の脳に近いイリナたち。夢や空想ができるのなら、低確率とはいえ幻覚や幻聴を起こしても不思議は無い。

「ソフィアはどうしたのかね。」

高野にとっては、ダインコート姉妹は娘のようなもの。口調も父親が娘を心配する口調だ。

「トイレのカギが動かなくなって、パニックを起こしたようですが、実はトイレのドアにかけていた白衣の端が、カギに巻き込まれてしまっていました。」

苦笑するソフィア。

「トイレの中で聞こえたドアが閉まるような音は、イリナが教えてくれたのですが、2階の大型ホワイトボードが、留め金が壊れて、階段をゆっくり落ちた音だったようです。」

「なるほど、あのトイレは階段の下にあったな。あのでかいボードが落ちてくるなら、さぞ音が響いただろう。」

暗闇の不安と、ボードの音、そしてドアが開かなくなるという状況は、パニックを起こすのに十分だろう。

「そして、おそらく汗と涙で曇りまくったメガネが、梅雨で急激にカビが生えた天井を懐中電灯で照らして、目玉の大軍に見えたようです。」

「なるほどなあ。では、イリアはどうだったのかね?。」

「あれは典型的な山岳遭難例ですね。」

「山岳遭難?。」

「落下したホワイトボードが、階段の入り口をほとんどふさいでいたため、気づかずに通り過ぎて、もうひとつの掲示板の前に出たんですが、この掲示板はまちがって手前の物と同じ物が掲示してあるんです。担当者がまあよかろうとそのまま置いていたそうで。」

今度は高野が苦笑する。

「その後、暗闇と驚愕でパニックを起こして、あちこちをさまよい歩いたように見えて、実は同じところをぐるぐる回ってしまっていたんです。山岳遭難ではこのような事例が良く見られます。」

「ああなるほど、無意識に歩きやすいところを歩きまわっていたら、同じ場所ばかり歩いていたというあれか。」

「星や月を見ながらならとにかく、暗闇の中では良く起こります。怖くなってドアをどこか開けようとして、次々必死にノブを回していたら、最後に開いたのが標本室。」

3人とも嫌そうな表情になる。夜に入れと言われたら、男でも嫌だ。

「あそこは、誰も入りたがらないから、カギもかけていないからなあ。」

「あとは、自分でカギをかけてしまい、パニックで開けられなくなって、人体標本とにらみ合いをしてしまったそうです。」

「暗闇であれと向き合うのは、私でも勘弁してほしいよ。」 “さゆり”が強くしがみつきながら、うなづいている。

「そして、知覚過敏が一番強く出たのが、イリナでした。あの子は元々感覚が、我々準高度AIの中でも抜きんでています。それだけに影響も酷かったようで、懐中電灯の不安定な光が、下から照らす顔が急激に歪んで見え、幻覚を引き起こして、顔が崩れ壊れたように見えたそうです。」

「日本の怪談で言う、≪のっぺらぼう≫か。」

つるんとした顔でも怖いだろうが、目や鼻や口が崩れ落ちて見えたりするなら、たまったものではあるまい。

「もしかして、“さゆり”も?」

「ああ、何かもやもやしたものがいくつも、部屋の中をさまよっていてな、私が一喝したら消えたが、昨夜からひどく怯えているんだ。」

「そうでしたか、まあそういう事だから、大丈夫だぞ“さゆり”」

「そ、そうなの?。よかった・・・・」

シーナの力強い声に、ほっと安堵の声を漏らす。 普段なら絶対に見せない、幼子のような表情で、大きな黒い瞳がうるうると潤んでいて、ちょっとつつくとすぐ泣きそうだった。

「まあそういうことだ。」

“さゆり”嬢のきれいな頭髪を撫でながら、よしよしとあやすような表情で微笑みかける高野。
だが、その目がちかっと光って、シーナを見る。
その意味を悟って、シーナが目線で送り返す。
アイコンタクト、どちらも思っていることを確認し合う動作だった。こういうのを腹芸というのだろうが、これならたとえ準高度AIが相互リンクしても、悟られることは無い。

『わかってます、言いませんよ。』

セキュリティバグの修正による『知覚過敏』が原因と断じて、“さゆり”の気持ちの安定を目論んでいるのだが、実は『なぜ、人間である高野に見えたのか』という問題は解決していない。それに、理性的なはずのソフィアが混乱したり、動きなれているはずのイリアが迷ったり、イリナにいたっては幻覚がやたらリアルすぎる。

ソフィアに言わせると、
『本社(つまり世界最強のセキュリティの建物)の中で、姉妹4人まとめてこれだけの異常が起こるなんて、おかしいわよ!。絶対にあり得ない。』

まあ確かに、偶然で済ませるには、少し異常な事が多過ぎたが、ここでそれを言い出しても、何の解決にもならない。『怪力乱神を語らず』(常識を揺るがすような異常な事件は、社会の安定のために口に出さない)と言うやつだ。 実際、妙な報告が上がっているのは、帝国重工本社だけで、他の全ての準高度AIには、ほとんど何の異常も起こっていない。
そして、AI以外の普通の人間にも、昨夜本社にいた人は、いくつか妙な体験をしているらしかった。



高野は、それを別に不思議とも思っていない。なにしろ、もうすぐお盆である。

彼は大鳳の司令官だったころまでに、船上で何度も鬼火や人魂らしきものを見ている。
何より、時には何百という人間を殺し、何千という敵の乗る船を沈める事もある。
砲弾で一瞬に身体を吹き飛ばされれば、死んだことが理解できず迷う亡者もあるだろう。

あれは自分が成した亡者かもしれず、あるいは自分がいつか成る姿かもしれない。 それを恐れるなど滑稽であると思う。
彼は、ただ静かにそれを見て、心の中で冥福を祈るだけだ。

そしてシーナは、特殊部隊指揮官であり、その手で多くの敵を抹殺してきた。
色々、不思議なことを見たり感じたりしたことが無いとは言わないが、死者が生者を直接どうにかできた事は一度として無い。
『安心しろ、どうせいずれ私もそこへ行く。』
シーナは、そう心の中でつぶやく事にしている。



ピロリロリン

インターホンが鳴った。

「なんだね?」

『高野指令、妙采寺の木瓜様がおいでです。』

「ん?、すぐいく。」

普通なら“さゆり”がおもむくところだが、今の状態ではしばらくは仕事になるまい。 もちろん、高野は可愛い“さゆり”のためなら、仕事が倍に増えても気にしないが。


妙采寺の木瓜は、白い頭巾をかぶった尼僧姿で来ていた。しかも、でっかいスイカを抱えてきている。

「わあ、大きい。」
妙采尼の木瓜が来たと聞いて、イリナやイリアたちも出てきていた。
木瓜は妙采尼18人衆の一人で、特に科学マニアとも言うべきかなりのオタク。気さくで話しやすく、帝国重工の名物技術幕僚、真田忠道の愛人でもあるらしい。
真田は特に女性陣に人気があるので、当然彼女も非常に好意的に迎えられている。

今日は総帥妙采尼の代理らしい。

「本来なら、総帥が挨拶に来るべきところなのですが、現在精進潔斎(飲食をつつしみ、欲望を押さえ、身を清める行為)のために、寺を出ることが出来ないのです。」

寺の責任者が、特別な精進潔斎とは穏やかではない。めったにある事ではない。

「何かありましたか?」

高野の問いかけに、少し上目遣いで逆に問い返してきた。

「と申しますか、昨夜、何かございませんでしたか?」

ちょっと恥ずかしげな顔が、異常に可愛らしい。

『え?』と、一瞬イリナたちの声が出なくなる。高野もさすがに目の色を隠しきれない。

「あーやっぱり。」

木瓜が、本気のため息をつく。

「誠に申し訳ございません。おそらく今日の真夜中には終わると思いますので、もう少し我慢してくださいませ。」

心底気の毒そうな声に、ダインコート姉妹や高野たちは、ぎくりとする。

「え、えっと、それどういう意味?」

ソフィアが、ちょっと青い顔で聞き返す。

「言いづらいのですが・・・、ここは設立時に妙采寺の敷地を譲りましたでしょう。」

高野がはっと気づいて、静止しようとしたが遅かった。

「お寺って、色々あるんですよ。『首塚』とか。」

全員が、さあっと青ざめる。

『首塚』、文字通り首を埋めた塚の事。
塚を作られるほどになると、歴史に残るような大物か、大量の首が埋められているかだったりするが、妙采寺の場合は両方だった。

平安時代にある強力な武将が、関東に独立国を作ろうと奮闘し、事破れて京都まで護送され首を切られたが、その首は凄まじい怨念で関東まで飛び戻ったという。それに賛同していた彼の義兄弟とその一門が、全員首を切られて埋められたのが妙采寺の首塚だった。あまりに祟るので安土桃山時代までは一里四方には村一つ無く、徳川家康はその押さえも兼ねて、妙采寺をここに持ってきたらしい。もっとも、初代妙采尼だけでは応じきれず、天海僧正も四苦八苦したとだけ伝わっている。

「ああ、もちろん塚移しはいたしました。ただ、普通なら昨日の8月10日に施餓鬼供養を行うのですが、寺の三宝具の一つ、銀の宝珠杵 (ほうじゅしょ)にヒビが入りまして、初代から『三宝具が一つでも欠けたら施餓鬼供養はしてはならない』と伝えられていたものですから、施餓鬼が出来なかったのです。今日やっとそれも直りました。」

全員、足元が異常に気味悪く思えてきた。
ここはお寺と首塚の痕の上に立っているのだ。

「日がずれましたので、ちょっと塚の中の方たちが、退屈してうろつくかもしれませんが、大したことはありませんので、ご安心ください。」

どこを安心しろというんですか・・・と、イリアが口をパクパクさせるが、声が出ない。
すでに半泣きである。
ちょっと考えれば分ることだが、まだ塚を移してあまり時間がたっていない。
そして、亡者を穏やかに調伏する施餓鬼の時間がずれれば、当然、元の場所あたりまで『なにか』がうろつく可能性は、否定できない。
そういう『陰』の気配がうろつけば、『陽』に属する人間たちは、当然違和感や恐怖を強く感じやすくなる。 昨日の騒動は、それが一番の原因だったらしい。

「当寺の秘義ですので、今宵真夜中から施餓鬼を行います。ご興味のあられる方は、遠慮なく見に来て下さいませ。なかなかの見ものですよ。」

にっこりと笑うその笑顔が、非常に邪悪に見えるのは気のせいだろうか?。
もちろん、全員全力で首を横に振った。
“さゆり”嬢やイリナたちも本気でおびえていた。

『今日は、仕事にならんなこれは・・・』

高野とシーナが、諦めたように視線を交わした。
恐らく今日は、日暮れ前に大半が早退するだろう。まあ、13日から15日までは、重工もお盆休みなので、あまり問題は無いが。


「それでは、お忙しいところを失礼いたしました。」

木瓜の小柄な姿が、ぺこりと頭を下げて出て行った。
だが、その様子に何人かが違和感を覚えた。

そして、

バタッ!

「さ、さゆり、どうした?!」

突然“さゆり”嬢が失神した。何とか高野が抱きとめたが、完全に血の気を失っていた。

「どうしたというんだ・・・?。」

「ちょーーーーーーーーーーっ!」

広報部の事務員正木葉子が、すっとんきょうな声をあげた。
その横では、受付嬢で準高度AIの一人、伊集院ツカサがひっくり返っていた。
ちなみに正木葉子の全身は、首までびっしり鳥肌が立っている。

彼女が覗きこんでいるのは、受付の監視用モニター。

「まて、見ない方がいいぞ!」

シーナが止めたが、耳に入るもんじゃない。
野次馬で覗き込んだ全員は、再生された映像を見て一瞬の静寂の後、

「ひいっ」「ぎゃっ」「いやあっ!」「あうあう」「ひっ!」「うそおっ!」

一斉に悲鳴があがった。

受付の横には、大きな鏡があり、受付嬢の死角を無くすよう工夫がされている。
そこには当然、木瓜の頭巾姿が映っている。

ただ問題なのは、実物も、鏡の中の彼女も、『同時にこちらを向いている』という事なのだが・・・。
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