■ EXIT
ダインコートのルージュ・その27


≪怖い・3≫


『どうしたんだろう・・・イリアもソフィア姉さんもいないし。』

社外から帰宅したダインコート姉妹の三女、イリナ・ダインコートは、誰もいない事に不安を覚え、本社に来てみた。

ところが、ソフィアはまだ会社から出ておらず、イリアは入ったっきりであることが分かった。

「変ねえ、ソフィア姉さんとおしゃべりでもしてるのかしら?。」

「研究室ともつながりませんねえ。」

守衛さんが、通信回線を鳴らしたが、ソフィアは出ない。
ただ、今日は他の社員はほとんど帰っているので、その研究室はソフィアしかいないのだが。

「ちょっと行ってみます。」




上の階の研究室に行こうとして、階段の入り口をふさぐように、なぜか巨大なホワイトボードがあった。 これは確か上の階の踊り場に掛けられていたはずの物だが、よく見ると端々がひどく壊れている。 何かのはずみで、落ちたのだろうか?。

「イリナ」

階段を上がろうとしたイリナに、姉のシーナの声がした。
背の高い美しいシルエットと、ショートパンツにごつい戦闘用ブーツ、小さなへそを露わにしたTシャツ姿が、非常灯にぼんやりと浮き上がる。

「シーナ姉さん、どうしたの?。」

「着替えを取りに家に帰ったんだが、誰もいないからおかしいなと思ってな。」

彼女は今夜は夜番で、特殊部隊棟待機なのだが、家は本社のそばなので着替えなどを取りに帰るのはしょっちゅうである。
守衛に聞くと、3人とも本社に来ているという。

厳重なセキュリティのあるソフィアの研究室も、イリナたちなら自由に入れる。 だが、研究室は仕事をやりかけたままで、誰もいなかった。


不安になったイリナは、休息所に行ってみた。
飲み物や非常用栄養食品などがあり、休み時間の研究員はたいていそこにいる。

イリナは、テーブルの上のカップをのぞいた。カップの縁についた口紅は、明らかに姉の好むパープル系レッドだ。
ソフィアの好きなアイソトニック飲料だろうが、中の氷は全部溶けて水になっていて、周りの雫も無くなっている。
つまりかなり前にここを出たらしい。

「どうしたんだろう・・・それに、今夜はなぜか薄気味悪い。」

「うむ、私もそれは感じている。妙な気配がまとわりついている感じだ。」



カツーン、コツーン、

その時、遠くから靴音が聞こえてきた。
だが、ソフィアやイリアの軽い足音では無い。

二人は目を見合わせ、警戒した。
帝国重工本社内という、日本でも最もセキュリティの高い場所だが、ひどく不安がつのった。

シーナに取っては愛人のごとき闇だが、同時に他人を隠す幕ともなる。
イリナには、闇は恐怖という妄想を掻き立ててしまう。

懐中電灯の光を消そうとして、ボタンを見た。

シーナの影が、彼女の手元を覗き込む。
顔をあげたイリナは、シーナが『壁の向こうを覗き込む』のを見た。

『え・・・・・?』

何が起こったのか、理解が出来ない。い、今の影は・・・?。
頭が真っ白になり、ガタガタと震えた手が、懐中電灯を消してしまう。

「なんだ、守衛さんだ。」

振り返ったシーナの顔が、白っぽく暗がりの中に浮き上がる。
もちろん、影は闇に溶けた。

「え、ええ・・・」

意識が現実を拒否し、イリナは空白の状態で凍りついていた。

コツーン、カツーン、

「守衛さん」

「おや、シーナさん。お二人は見つかりましたか?。」

ぱっと大型のライトが、二人の方を照らし、目をくらませる。

「それが・・・」


ぐにゃあああ

下から、ライトの残光に照らされた、人の良さそうな初老の顔。
それが、なぜか≪歪んで≫見えた。

思わず目をこするイリナ、見ると元のままだった。

『き、きのせい・・・?』

守衛さんが、一歩踏み出した。

ぐにゃあああ

急激にまた、半分照らされた顔が歪みだす。
おもわず、2,3歩イリナは下がった。青い目が張り裂けそうに広がる。

急激に、顔が歪み、ずれ、そして・・・。

ボトッ、ボトッ、ボトッ、

重い音と共に、“何か”が落ちた。

守衛さんらしい男性の顔から、いくつもの部品や塊が、ボトボトと。
ぬるりとした赤黒い肉の塊だけが、そのままこちらを見ていた。

ごろりと、丸いものが足元に転がり、イリナを見た。
イリナの何かが切れた。

「い、い、いやああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」

悲鳴をあげて、後へ走りだすイリナ。

「どうしたイリナ!」
「どうしました!!」


「いやああっ、いやああっ、いやあああああああああっ!」

涙をぼろぼろ流し、悲鳴を上げながら、めちゃくちゃに走るイリナ。

「危ないっ!」

つきあたりに向けて、無意識にヒールの動力機構を全開し100メートル8秒台で突進するイリナに、シーナがさらに凄まじい速力で走り抜けた。

ドスンッ

鈍い衝撃音、ぎりぎりでイリナを抱きとめ、半分の衝撃を身体で吸収し、ようやくイリナは止まった。

「姉さんっ、姉さんっ!」

泣きながらしがみつくイリナに、シーナは優しく髪をなでてやる。

「どうしたんだ、いったい?」

ようやく泣きやみかけたイリナの鼻孔に、ぷうんと醜悪なただれた匂いがした。
すっぱく、はきそうな匂い。戦場で、嫌というほど嗅がされる匂い。『死臭』。

「ね・・・ねえさん・・・・」

ゆっくりと上げた顔の目の前に、氷の美貌と称えられる頬笑みがあった。 ほっと、はきかけた息が凍った。

『ひっ!!!』

目の前の光景が、急激に歪む。

ボトッ、ボトッ、ボトッ、

重い音と共に、“何か”が落ちた。



イリナの意識が、砕け散った。
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