■ EXIT
ダインコートのルージュ・その25


≪何気ない日常の中で・その4≫


場末の酒場の、あぶらじみた縄のれんを、細い指先がそっと分ける。
大きな濃い栗色の目が、長いまつげを大きく広げた。

「ここでしたか。」

象牙を磨き上げたような白い肌に、黒々とした髪を結いあげ、ほんのりと紅をさした唇が鮮やかに赤い。
色街が不思議と似合う柔らかい声。

「ん、愛紗か」

少しだけ酒がまわった顔で、帝国重工の名物技術幕僚、真田忠道がうなずいてみせる。

真田忠道准将、帝国重工の初期メンバーの一人であり、髪は半ばまで白く、少しだけ後退の兆しを見せている。眉の太い、剛毅な顔立ちに、骨太で肉の厚い身体つきはどっしりしていて、腰を据えて飲んでいると、ちょっと近寄りがたい風格がある。

その上、帝国重工の技術系の制服は、モスグリーンを基調とし、幅の広いベルトをつけた詰襟型。
ボタンが全くない、“つなぎ”のような上下一体型で、通気性、伸縮性に優れ、見かけも非常に洗練されている。
上下一体型でベルトというと、違和感を感じるかもしれないが、様々な工具類を下げたり、位置情報確認ができたりと、これも色々な技術が仕込まれている。 真田のように体格の太い人間が来ても威風堂々、威圧感こそ少なめだが、古木のような品位を感じさせる。


ちなみに、この襟は無意味な飾りでは無く、緊急時には防毒マスクの効果のある薄いフードを引き出し、頭部を覆う事が出来る。
もちろん、服そのものにも燃えにくく、とがった物などが刺さりにくいなど、さまざまな防御効果があり、危険な技術系現場を支える様々な機能がある。

事務系、軍事系など、飾りボタンや色等の違いはあるが、本社勤務の人間にはそれぞれの部門ごとに制服が支給されていて、基本的にそれを着れば日常から冠婚葬祭に公式行事まで、あらゆる場面で万能である。ちなみにクリーニングも、帝国重工内の窓口に出せば半日で帰ってくる。
(もちろん、私服でも品位を落とさない限り、全く問題は無い。特に事務系の女性たちは、公式行事などでは制服だが、普段は色々おしゃれを楽しんでいる。)

真田クラスの人間が着る服となると、防弾機能は元より、温度調節や生命維持用の緊急装備、通信機能等も仕込まれ、ある意味宇宙服に近い。
(もちろん、将来的には宇宙進出も視野に入れているため、対真空用装備も加わる予定)


実際、帝国重工の制服と言うだけでもかなりのステータスであり(それも世界レベルで)、どんなハイクラスのパーティや酒場でも注目を集める。
それが、こんな場末の薄汚れた酒場では、場違いな事はなはだしい。
ましてや帝国重工中枢の技術幕僚とは、酒場の主人も客も、誰も想像もしなかった。

「お隣ごめんなさい」

黒を基調に、赤い花を散らした和服が、異様な艶を見せ、ほっそりとした姿は、艶やかな鬼ユリを思わせる。
もちろん、酒場の店主や客の方が、目を丸くしている。

「相変わらずですねぇ。」

これは、彼の苦い酒を理解しているから言える言葉。 今日は駆逐艦灘風(なだかぜ)の進水式があったはずだ。 がぶりと、ぐい飲みを干す真田。その太い眉は寄り、表情はたしかに苦かった。 愛紗が、彼のぐいのみに酒を注ぎ、自分の分にも満たした。
ぐっ、と軽く美しい動きで、その喉を動かす。

何も言わずとも、一人より二人。共に飲む者がいてくれれば、心の負担は軽くなる。
真田の眉がほんの少し緩む。

「思い出しますわね、あの日を。」

ほっと、真田が手を止めた。そう、あの日が、鮮やかによみがえる。









緑が吹きあがるように萌たち、ため息をつきたくなるような花弁が舞い散る四月。

夕刻、本屋からうきうきして出てきた愛紗は、人とぶつかった。

彼女は、大事に抱えていた『先進科学』の最新号に気を取られていた。
相手は、思い悩む心に囚われていた。
『先進科学』を抱え込んでいたため、彼女は見事に尻もちをついた。

「おお、すまん。だいじょうぶかね?。」

渋い男の声と、頑丈そうな大きな手が差し出される。

『あら、すてきなおじさま。』

少しだけ痛そうな顔に、ポッと恥じらいの色を浮かべる。
かっぷくのいい制服姿で、骨太の体格に頑丈そうな筋肉をまとい、頭髪はかなり白い。
そのくせ肌の色つやは極めてよく、丸い目はキラキラしていて、うずくような少年の目をしている。その最後の一点が、彼女の急所を突いている。

愛紗はまだ10代のくせに、そうとう年上の(と言っても限度と言うものがあってよさそうだが)男性に強く惹かれる性癖があり、中でも少年の目を持つ男性に弱い。
そして、目の前の男性の目は、傷ついた少年の目。

真田の目から見ると、白いかんばせにかすかな恥じらいを浮かべる美女は、24,5歳だろうか。どこか色街の女性らしい艶っぽさがあり、和服を通しても、すらりとした肢体に優美な腰つきが浮き上がっている。細いうなじの白さが、ずきりとするような快感を感じさせた。

『こりゃあ、えらい美人だな。』

真田は、心の鬱屈を少しだけ忘れて、目線をそらした。


「もうしわけございません。」
「いや、こちらこそすまんかった。」

その手に、軽い体重がかかると、まるで羽が舞うようにフワリと起き上がる。それも、片手はしっかり本を抱えたまま。それなりに体術に優れていないと、両手がふさがっているのに、こんなに軽やかに起き上がる事は出来ない。

「ん?、変わったものをもっとるな。」

真田は思わず声にだした。起き上がる時ですら、しっかと抱き締めて離さない『先進科学』最新号。どう見ても色街の女性が持つには、奇妙さがある。だがそれが今日のめぐりあいのだめ押しをしてしまったと、知るのははるか後の話。
それに、彼にはその本に気恥ずかしさを感じる理由があった。

「うふふ、私これが大好きなんですの。特に今月号は雪風の特集がもう、」
「あ、あのな、特集は大したことはないぞ。ほんとだぞ。」

嬉しくてたまらない表情を浮かべ、説明を始めた彼女に、急に慌てふためいたように、真田は言葉を遮る。

彼女は先進科学の最新号を読みだすと、一時間は何も耳に入らないほど本に没頭する。
特集された兵器や船舶、機械の公表されたサイズや機能はもちろん、何ページに何を書かれているか、超希少本と化して手に入らなかった創刊号を除けば、残り42号全部覚えていると豪語する。
科学技術について話し出すと止まらず、友人や同僚を辟易させるほどの科学マニア、いや20世紀に自然発生した科学オタクと言っても不思議ではない。

実は、江戸時代から幕府隠密の中枢を担っていた妙采寺の一員なのだが、そんな事は関係無しに、帝国重工の娼婦館に務めると、女性たちの教育のために、出版物はただでくれると言う事をどこからか聞きつけ、ためらいも無く娼婦館に務める事を決めたというから、ある意味筋金入り。まあ、妙采寺の総帥も、帝国重工の内部教育や科学技術を裏側から覗けるチャンスだと、同意したのではあるのだが。

で、その話題を振られて真田が焦ったのは、もちろん理由がある。だがしかし、すでに手遅れ。

「あら、あの真田忠道准将が特集に筆を取られたんですのよ。あの方の剛毅な論説は、読み応えがありますわ。何か、もっともっと言いたい事があるのに、それを押し隠すような執筆は、その裏を読むのが通ですわ。『先進科学』でもまだ2回しか読んでいませんけど、すごく楽しみに・・・・あら、どうされましたの??。」

もちろん、真田は真っ赤で、気まり悪そうな顔つきだ。尻から背筋がこそばゆく、ここに穴が会ったら頭から飛び込んでいる。

日本人の特性なのか、オタク特性のひとつなのか、真田は写真嫌いで、しかも顔を出す事を極端に嫌がる。
そのため、真田の名前は非常によく知られていても、顔はまったく知られていない。愛紗が分からないのも無理はない。
変な所で恥ずかしがり屋なものだから、人前でほめられたり目立ったりすると、もう逃げたくてたまらない。
何が何でも目立とう、顔を出そうとする外国人たちとはえらい違いだ。

そして、大きな本屋の前で人目は多いわ、相手はすごい美人だわ、目立って仕方が無い。 和服の美しい女性は頬を染め、それこそ夢中で話しかけている。
加えて彼自身忘れているが、帝国重工の制服姿なのだから元々目立つことおびただしい。

周りからすれば、何をどう見ても『初老の男が和服のすごい美女とぶつかって、その美女が帝国重工の制服を見て必死にアプローチをかけている』となる。

「くううっ、あんな美人が必死に・・・」
「あのじじい、帝国の制服だけで・・・」
「ふ、ふ、不公平だああああっ!!」

自然、もてない男どもの視線が、涙と殺気すら帯びてくる。
物理的圧力と化して、真田の神経をザリザリと削り取る。

「ちょ、ちょっと暑いな。」

まだ肌寒いような4月なのだが、たしかに彼の顔は汗すら書いている。
21世紀のマスタークラスのゲーマーであり、オタク特性最大値の真田は、必死に人目を避けようと、そして話題をそらそうとつい・・・。

「ぶつかったのも何かの縁だ、おわびに一杯どうかね?。」



話がまとまったのか、二人は仲良く歩きだし、特に女性は嬉しそうな表情で、艶やかな事この上ない。

ぶつかって、顔を見合わせ話し出し、歩き出すまでわずか3分。一流のジゴロでもこうはいくまい。

ましてや、毎日男が必ず声をかけてくるという美女の愛紗。
後に残された、いかにももてなさそうな男たちの群れは、涙が赤く染まるのを覚えながら、発狂した。

「「「ちくしょおおおおおおおおおおおおっ!!」」」




なんだか激しい怨念のようなものに、背筋をぞくりと震わせながら、真田は近くのなじみの料亭に入った。
『さぎん亭』という、帝国でもよく利用する上質な料亭だ。

真田は、帝国重工の中でも比較的(というかかなり)年齢が上なのだが、なぜか女性たちに良く誘われる。
イリナやイリアは、彼の父性にある種の刺激を感じるらしいし(ある意味甘えたいらしい)、ソフィアは武器開発の仕事上しょっちゅうだし、シーナは真田のポン友の江藤新平が惚れているらしく、彼をだしに呼びたがる。
“さゆり”嬢も、高野が交遊で別の人も呼びたいと思ったら、まず真田に声をかける。

そのほかの女性陣も、気前のいい真田に甘えて、酒の席に呼ばせて頂く事がしょっちゅうだ。
もちろん、真田がポンと酒代を出してくれるからだが、それにしても女性たちの評判も人気も高い。


当然、店の方にとっても、真田はとても大事な客である。
何しろ、一緒に来る客のレベルも数も半端ではない。
今あげたのは、帝国重工内だけの話だが、それにポン友で台湾副総督の江藤新平、総督の児玉源太郎までいる。
さぎん亭がひっくり返りそうなドンチャン騒ぎなど、日常茶飯事と言えた。

ただ、真田が一人で女性を連れて料亭に来るというのは、誰も見た事が無い。

「ちょっとちょっと、真田様が一人だけで女性連れ?」
「えーっ、もしかして本命さん!?」
「すごい美人だったわよ、それに真田様もちょっと顔色赤かったし。」

若い女中さんたちが、ひそひそだが妙に悔しそうである。真田のおじさまは、女中さんたちにも大人気らしい。
だがまあ、ご存じの通り、本人たちは全然状況に気づいていない。

愛紗の方は、上等そうな料亭にすたすたと上がっていく真田にちょっと驚いたが、自分の職業を考えるとむしろいい機会だと開き直る。
真田の方は、つい慣れた場所に普段通りに行っているだけなのだが、何しろ動転していて気が回らない。

「きれいなお店でございますねえ。」

夫婦連れや、カップルなどで使う小ぶりな部屋に通され、ちり一つ無いきれいな屋内は、木と香の香りが静かに漂っている。

帝国重工の営業する娼婦館に務める愛紗は、まだ店に出て半月の新人娼婦である。
新人の娼婦は、客の注目も集めるし、彼女の美貌も肉体もさらに男性を引き寄せる。
結構忙しい愛紗だが、まだ外でこういう会い引き(つまりデート)をした事はない。

まして、初めて誘われた男性が、もろ彼女の好みの男性で、かなり裕福そうである。これは期待していいだろう。

「いや、突然こんな場所に連れてきて、申し訳ない。あそこでは、少々いたたまれなくてな。」

「いえいえ、こういう所にお誘いいただけるなんて、光栄ですわ。」

しなりと柔らかく頭を下げる愛紗。

「私、愛紗と申します。帝国の娼婦館に、先月から務めさせていただいています。」

動きの美しさ、身体の柔らかさ、見ている真田が思わずごくりと喉を鳴らす。
帝国の娼婦館は、他の追随を許さぬハイレベルの女性がそろっているが、彼女の動きの優雅さ、美しさは、日本の芸能の粋を感じさせるものがある。
先ほどの起き上がる時の、羽のような軽さといい、よほど踊りなどをやった女性なのだろうか。
まして、気軽に男女としてつきあえる女性と知ると、思わず血が一か所に集まりそうになる。

「まさか、こんなに積極的に『会い引き』にお誘いいただけるなんて、思いませんでしたわ。」

「は?」

一瞬、真田は意識が止まった。
そして、状況を振り返ると、もろデートに誘ったとしか思えない事に気付いた。
しかも、女性はすっかりその気らしいまなざしを、色っぽく送ってくる。

「くっ、ぶ、ぶ、ぶははははははははは!」

思いっきり笑いだす真田。豪快に、爽快に、いやあまいったなあと言う感じがありありと出ている。

「たしかに、たしかに言われてみれば、会い引きですなこれは。」

「あら、お気づきじゃありませんでしたの?」

「まったく、棚から牡丹餅、ヒョウタンから駒です。」

ものすごい幸運だったと言外に匂わせ、目をキラキラさせながら話す真田に、愛紗もコロコロと笑った。

「自分は、さ・・・江藤源太郎です。帝国の技術部に勤めております。こんないい『おんな』がいるなどと、今日まで知りませんでした。」

先ほどの騒動で、本名を名乗るのはあまりに気恥ずかしく、思わずポン友二人の名を借りた偽名を名乗ってしまったが、思いを込めた『おんな』という言葉は、強い言霊をもって愛紗の耳にずきりと響く。

「まだ入ったばかりで、右も左もわかりませんが、よろしければごひいき下さいますと、嬉しいですわ。」

柔らかく、しかし決して媚びず、それでいて女としての色香は男をその気にさせる熱を持つ。 『良いおんなだなあ』と、真田は本気で思った。



春の掘りたてのタケノコや山菜の前菜、とれたての貝や魚のお造り、甘くさわやかな酒とともに舌を楽しませる。
彼女の酌を受けながら、談笑する。実にいい雰囲気である。
その酌の手つき、姿勢の良さ、美しい座り姿にますます真田は愛紗を気に入ってしまった。

「そういえば先ほど、技術部とおっしゃっておられましたが、どういうお仕事をしておられますの?」

何気ない問いかけに、ちょっと困る真田。
真田は技術幕僚という、技術部門の総統括を行い、最高指揮官である高野に状況と予定計画を常に示唆する役割にいる。
しかしまあ、しょっちゅう現場を飛び回り、あるいはさまざまな高度なシュミシュレーション(趣味シュレーション?)から、日本全土から樺太や南洋まで様々な開発計画や方向性を示し、長い人生経験から、若いスタッフに豪快で爽快な見識をたたき込んだりと、その多様性は凄まじい。

「特に、船の整備などを中心にやっとる。」

彼の心に引っかかっていた事が、ついポロっと口をついた。

「まあ、もしかして沖風や島風などの雪風級とか?」

江藤と名乗った男の、気さくな態度や、軍関係者らしくない陽気な雰囲気に、ベテランの整備士だろうと思った愛紗は、戦艦の葛城級とかではなく、むしろ巡洋艦など利用頻度の高い船の整備関係者ではないかと思ったのだ。日露戦争後は、佐世保海戦で大活躍をし、隻数で3倍以上の圧倒的なロシア海軍を相手に、凄まじい戦いぶりを見せた帝国海軍の船の名前は、子供でもそらで言えるほど知られているが、二人が出会ったこの時は、まだ開戦前だ。船の名がさらさら出てくる愛紗のオタクっぷりは凄まじい。

「う・・・まあな。」 「すごいわ。あの雪風級や葛城級の新型艦は、世界の海軍に大変な衝撃を起すと思いますわ。」
「ほほう、なぜかな?。」
「だって、未だに正式な性能を公開していないじゃありませんか。しかもひとかけらの情報も流れてこないなんて、よっぽどの事ですわ。あの帝国重工と、帝国軍がここまで秘匿するんですもの。」

これまで帝国重工は広報部を使い、新型機や新技術はかなり積極的に公開している。
もちろん、新型駆逐艦や戦艦についても、かなり写真などは広まっていた。だが、その恐るべき戦闘能力に関する情報は一切流れていない。
帝国重工だけならまだしも、どー見てもゆるいはずの帝国軍からも、これだけ厳重に情報が隠されているところを見ると、世界が驚愕するようなスペックのはずだ。

その上、愛紗は特殊な能力があり、様々な写真がのせられている『先進科学』を見て、風向きや服のはためき、人の傾きなどから、ある程度速度や運動状況を読み取ることができる。写真撮影時の速度は15ノット、おそらく最高速度は30ノットを超える。他国の戦艦など軽くぶっちぎれるスピートである。ただし下手にそのスピードや旋回性能をばらしたら、スパイ扱いされても文句が言えないからないしょだが。

事実、初の大規模艦隊戦となった佐世保海戦では、世界中の軍関係者がひっくり返った。英国は次世代戦艦の開発を急がせ、ロシアはあわてて他国からも戦艦をかき集めるはめになる。
佐世保海戦は隻数では日本1にロシア3、排水量や火力から見れば、1:5と言っても言い過ぎではない。普通これだけの戦力差があれば、一方的な袋叩きにできる。それが負けたとはいえ、ロシアが戦艦7隻、装巡3隻、防巡5隻、駆逐12隻が沈没という、対等どころではない大被害を受けているのだから、実にとんでもない結果だった。おかげで、他国の観戦武官の乗船願いや、エンジンの情報公開要請を断るのに、かなり苦労させられるはめになる。もっとも、見たからと言って、理解出来るとは思えないが、人間というのは、見てしまうといつかそれを形にしてしまいかねない潜在能力がある。情報はまだまだ秘匿が必要だ。

「それに、葛城級の常盤や八雲なども凄いですけれど、私は駆逐艦や魚雷艇のような、身体を張って闘う船の方が好きなんです。」

愛紗の意外な言葉に、ホロッと涙ぐみそうになる真田。

駆逐艦クラスの雪風級は、言ってみれば国防軍の“スタンダード”であり、最高機密の戦艦長門級などとは違い、技術幕僚すなわち技術系最高指揮官が、その製作や整備にわざわざ出張ってくるような必要性はない。

だが真田は、忙しい合間を縫うようにして、駆逐艦や魚雷艇などの製作現場に積極的に足を運び、改良や改善を出来うる限り全力で行っていた。
設計図をいくら精密にひいても、現実に形にすれば、実に様々な状況が起こる。
厚みのわずかな違い、リベットの歪み、そんな小さなものでも積み重なれば大きく影響する。
ズレすらも活用し、わずかな鉄の残りを隅の補強材に使い、薄紙を積み重ねるようにして、0.001%レベルの強度強化を無数に上げていく。

現在の日本では想像もできないだろうが、わずかなスクラップ、加工時の欠片や切りかす、それらも徹底的に集められ再利用された。

彼は言う、『身を張って闘う船こそ、大事なんだ。歩の無い将棋が勝てるか!』

戦闘が始まれば、軽快に動き回る駆逐艦や、相手の懐に飛び込んでしとめる魚雷艇は、奇襲や視界の悪い状況になるほど重要性を増す。

風や波の激しい時、霧や雨の視界の極めて悪い時、敵の停泊している港、逆にこちらが停泊している時の警戒、そして双方に不運なまったくの遭遇による戦闘。歩や香車のような、彼らこそが主役を張る戦闘場面は、実に多い。

「そうだ、そうだよなあ・・・。俺もそう思うんだ。」

目頭が熱くなり、視界が歪みそうになる。
思わず、心の重しを外したくなった。

「身体を張って、命を張って、必死に戦ってくれるやつら、本当に偉いよ。」

上を見る目が、強く光っていた。その目に、愛紗は黙って聞いている。

「嵐の中も、真っ暗な夜の海も、砲弾の嵐の中も、死なせたくねえよ、誰一人としてな。あと10センチ装甲を厚くしてやりてえ、砲数を増やしてやりてえ、エンジン性能や装甲構造を上げてやりてえよ。だけどなあ、日本は小さいんだ。鉄がねえ、合金の材料がねえ、砲弾だって数が足りねえ。武器や戦艦にだけ使ってたら、みんなが困っちまう。」

まだまだ、日本の粗鋼生産量は悲しいほどに小さく、鉱山の無い日本は材料の鉄鉱石すら船ではこばねばならない。そして作った鉄を様々な形にして売らねば、民の暮らしを守ることもできなくなる。そしてありったけの技術と努力をしても、現実の分厚い敵戦艦に数で押されれば、物量負けに追い込まれてしまう。外国の2クラス上の戦艦2隻相手でも対等に戦える雪風級だが、5隻や10隻相手では、どうにもならない。そして、欧米の大国はそれが可能な実力を持っている。

「今日はな、乱風(みだれかぜ)の進水式だった。俺たちの汗と知恵の結晶だ。可愛いが実に有能な船さ。だがよ、どんなに可愛くても特別には出来ねえ。装甲も、砲数も、変えてやるわけにはいかねえ。無事で、帰ってくれと祈るしかねえんだ・・・。」

愛紗は胸がキュンと鳴るを感じた。
この純で、優しい男の心意気と願い、それを愛しいと思った。

とくとくと、男の盃を満たす。

「その願い、必ず通じます。船も、乗る人も、必ず分っています。ささ、飲みなさいませ、私と思いっきり。」

自分が側にいるから、思うままに飲み、今宵は全部吐き出してしまいなさいと。

「ああ、ありがとうよ。」

今日は、思いっきり酔おう。このいいおんなと一緒に。
どこかで、チントンシャンと三味線の音が、にぎやかに、しかし物悲しく響いていく。


だが・・・。


ジャン、ジャン、ジャン、ジャン、

だんだん三味線の音が、大きく派手になってきた。


「さても今宵のチントンシャン」  「一人美人を抱いて寝る」
「この濡れ(エロ)オヤジ、年を知れ」
 「こっちにもちとよこさんかい」
「おやっさん、本音がでとりますがな」


なんともすっとんきょうな、半分歌声のようなセリフが、三味線と合わせるように隣の座敷から響いてきた。

「こっ、この声っ?!」

ぎょっとして身体を起こす真田。

ジャンジャンジャンジャン

にぎやかに連続する三味線に合わせ、境のふすまが左右に開いていく。

で、そこの座敷には、見るもおぞましい男二人。
一人は、小さな鼻ひげを生やした、ちんちくりんの太った小男で、何故か真っ赤なうちかけを羽織り、正座をして膝にもう一人の男の頭をのせている。
で、膝枕の男は軍服姿だが、だらしなくにやけた顔で、膝に頭を擦り付けるように動かしている。

「あ〜、女は若い娘にかぎる〜。」
と膝枕の男。

「あらは〜ず〜か〜し〜」
黄色というより、ドドメ色という裏声が、なんともおぞましい。

言うまでも無く、真田と愛紗をからかっているのである。

「お前らあああ〜〜っ」
顔が真っ赤になって怒る真田に、ふふんと言う顔でばっと立ち上がる二人。

「江藤新平でーす!」
「児玉源太郎でーす!」

片手をあげながら、大声で名乗りを上げる二人に、愛紗の方が目が点になる。 台湾総督の児玉源太郎と、副総督の江藤新平以外の何者でもない。
もちろん真田のポン友、飲み仲間。座敷の芸者さんたちは、すでに慣れているのか、苦笑い。

「やーやー、これは『江藤』『源太郎』君じゃないか。」
「きぐうだねえ『江藤』『源太郎』君。」

思いっきり偽名を強調され、真っ赤から、怒りにどす黒くなってくる真田。 「貴様ら、どこから聞いてやがった!」 「何を言ってるんだね『江藤』『源太郎』君。やあお嬢さん、『江藤』新平というけちなチンピラです。」
「うむうむ、『江藤』『源太郎』君のお連れは、きれいだねえ。お嬢さん、児玉『源太郎』というけちなジジイです。」

やたら元気よく、思いっきり楽しみいたぶりまくるぞと、目が笑っている二人。
二人の名を使った偽名は、真田忠道一世一代の間違いであろう。

ただ、この二人にチンピラとか、けちなジジイとか言われては、一般人は立つ瀬が無い。 台湾の運営では大変な力量を発揮し、後世に名を残した江藤新平と、同じく統治にも優れ、軍を動かせば『児玉がいる限り日本に負けは無い』とまで英国の軍参謀に言わしめた陸軍大将児玉源太郎である。

軍服の上から赤いうちかけを羽織った児玉が、急に尻もちをついた。
それに手を伸ばす江藤。

「おお、すまん。だいじょうぶかね。」
芝居気たっぷり、悠然と声をかける江藤。

「もうしわけございません。」
またもおぞましい、ドドメ色の裏声で児玉。
もちろん、本屋でぶつかったあのシーンである。

「おもいっきり最初から見てんじゃじゃねえか!。」
怒りに吠える真田。普段はあの中にいて、一緒に人をおちょくりまくるのだが、自分がおちょくられると実に腹が立つ。

「いや、こちらこそすまんかった。ん?、変わったものをもっとるな。」
ますます調子にのる江藤。

「あらん、いやですわ。うふふ、私これが大好きなんですの。」
と、手を相手の股間にやる児玉。もはや芝居も勝手に話が変わっていく。

きゃーと、芸者さんたちが楽しげに声を上げた。

「きさまら、死ねえええええええっ!」
「きゃーっ、真田さまご乱心よ〜〜。」
「忠道様、殿中でござる、殿中でござるううっ」

まあ、さすがに年には勝てず、1分もたたぬうちに(はやっ!)、酒が回って3人ともぶっ倒れたが。
その後は、『大杯持ってこい』『ドンブリじゃああっ』と、言うも凄まじい飲ませ合いになった。




壮絶な酒乱の後始末も終わり、脱ぎ散らかされた靴下やふんどしも、芸者のお姐さん達が嬉々として片づけ、座敷は再び静かになった。
ちなみに、あの二人も女性にもてる事では真田に負けていない。芸者さんたちで仲がいいお相手は、片手の指ではたりないだろう。

庭から、ふんわりとした春の香りと、夜の冷気が漂ってくる。そっと雲の合間から、膨らみだした月が顔をのぞかせた。

「ん・・・」

光にそっと起されたのか、真田が目を覚ました。すごく柔らかく温かいものに頭が乗っている。

「お目覚めですか」

間近に、月が降りてきたような、そんな頬笑みがあった。
一瞬、ぼーっとする真田。が、猛烈に喉が乾いてくる。

「水を、くれるか・・・」

甘く柔らかい水が、口を覆い、喉を濡らす。
覆いかぶさる愛紗の黒髪が、とばりのように二人を隠す。

「おつな、もんだな。」

名残惜しげに、離れていく赤い唇を見つめる。

「いいお友達ですね。」
「ケッ。」

もちろん、江藤と児玉のこと。
ちょっとすねたような口調で、柔らかなひざの上で頭をそむける真田。
だが、彼も分かっている。全部聞いていたなら、連中は真田の苦い心情もまた良く分かる。彼らも巨大な組織の上に立つ人間であり、幾度となく真田のような思いを噛みしめた事があるからだ。だからこそ、思いっきりふざけ散らし、笑い飛ばし、共に倒れるまで飲みまくった。

『嫌になるほど・・・・、嫌になるほど、あいつら、こっちの心情を察しやがって。』

涙腺が緩みそうになり、本気で困った。

「真田忠道様・・・今日は、ゆっくりお眠りなさいまし。愛紗がそばにおりますゆえ。」

まるでその言葉が魔法のように、真田をすとんと眠りに落とす。穏やかで、優しい眠りの中に。
偽名を使った理由も立場も、彼の心情も友情も、真田忠道という男を丸ごと許した声が、優しくその頭を抱いていた。




−−−以来、二人は半年をつきあい、愛紗が娼婦館から消えるまで、関係は続いていた。




なわのれんを、真田と愛紗がくぐり出た。
あれから色々あって、そしてまた二人は出会った。

ぶらぶらと、夜の街を、ぶらぶらと、愛しい男と女は歩きだす。

『おい、もう勝手に消えるなよ』
『そうですねえ、考えておきますわ』

言葉にならない手と手の動きが、男と女の戯れをささやきあっていく。

ぶらぶらと、夜の街を歩きながら。
■ 次の話 ■ 前の話