■ EXIT
ダインコートのルージュ・その25


≪何気ない日常の中で・その2≫


−−−壮絶なる茶飲み話−−−


この日、妙采寺総帥の妙采尼はめずらしく“さゆり”嬢に面会を求めた。 高野とシーナも同席した。

黒のシックな僧服に、白い頭巾の妙采尼。
相変わらず、黒い大きな眼と、細すぎず太すぎず繊細な眉の形、優しい頬笑みはあいも変わらぬ年齢不詳ぶり。
美しいのだが、見る角度によって、10代のような柔らかさ、20代の成熟、30代の落ち着きが入れ替わり、思わず魅了されてしまう。


ちなみに、妙采寺に存在する妙采尼は、実質17名。
総帥以外の妙采尼は、過去名を登録されていて、帝国重工内で妙采尼の名前を持つのは総帥ただ一人である。

重工からは、各人専用の水晶のじゅずが送られていて、必ずそれを身につけて訪問するようになっている。
もちろん、じゅずと本人の体内に生体認証チップが仕込まれていて、他人が入ることは不可能。
万一妙采尼の一人が、総帥のじゅずを持って入ろうとしても、即座に捕縛されることになる。

この辺は、科学オタクと言っても差し支えのない、妙采尼の一人木瓜(ぼけ)の説明で、妙采寺内では苦笑と共に納得されている。

バリバリに警戒されている扱いだが、彼女たちの特性上当然のことだろう。
実際、江戸時代でも隠密の中枢のような妙采寺は、腫れものと毒虫をミックスした扱いであったらしい。

妙采寺ほどの妖しい集団を受け入れるには、どれほど警戒しても不思議ではあるまい。

しかし一面、妙采尼は帝国重工内では重要人物のひとりだったりする。

帝国重工広報部が仕切っている部門に、男性向け娼館と、女性向けの世界初エステサロン『クィーンズ・ルーム』があるが、この『クィーンズ・ルーム』は妙采尼が館長なのだ。 そして、ここに落ちる金額は、当初から広報部の予測のななめ上を行く凄まじさで、予約を奪い合う女性たちをさばくのに、受付がひどく苦労している。国家元首親族や王族クラスの女性が群がっているため、下手をすると、冗談でも何でもなく戦争が起きかねない。

それが、見事に治まっているのは、妙采尼の凄さだろう。
貴族社会は、レズビアンなどの退廃も横行しているものだが、そういった手合いが、帰国時に『お姉さま』と叫んで泣くシーンも、しょっちゅう。
もちろん、以後彼女たちから、熱烈なラブレターが次々と届く。

まあ帝国のばあい、イリア・ダインコートという、妙采尼のさらに上を行く凄まじい女性人脈があるので、あまり注目されないが。



話を戻すと、よもや“さゆり”嬢にそんなことはあり得ないだろうが、命と貞操と両方とも警戒せざる得ないのである。
そして、高野にとっては大事な女性だ。
最近は、女性としても意識するようになってきた彼にとって、妙采尼と二人だけで同席させるのは、心穏やかではない。

そして、二人は帝国重工の中枢そのもの。
この二人に何かあった日には、全てが崩壊する危険すらある。

シーナが、厳重な警戒を敷いて、同席するのも無理のない話なのだ。




「お忙しいところを、および立てして申し訳ございません。」

妙采尼は丁寧に頭を下げながら、穏やかな口調で話しだした。

「今日は、少し気になることがございましたので、お尋ねして見ようかと思いまして。」

すずやかな笑みを浮かべ、きれいな声は耳に心地よい。
のんびりした、庭先の花の事でも言うような、話しぶりだ。

「はい、どのようなご用件でしょうか?」
“さゆり”嬢も、のんびりした口調で、ご近所のご婦人と話すようなペース。
だが、妙采尼が『少し気になる』などと言うのは、並大抵の問題ではあるまいと、彼女も、高野も、シーナも同時に思考する。


「ご存じかと思いますが、私どもはシー・リリーフ商会等の海外との交流も行っております。
おこがましいですが、ある程度は諸外国の国力なども耳にしています。
その上で、お尋ねしたいのですが、帝国重工はアメリカとは、どう対応していくおつもりでございますか?。」

表情は相変わらず、口調も声もまるで春風。
だがしかし、一点、目の光だけが笑っていない。


笑顔の下に猛獣がいる。


ぴーっ

お湯が沸いて、ケトルが音を立てる。
このタイプのケトルは、正史ではこの時代存在しない。
で、何気なしにイリナ・ダインコート嬢が、欲しいなあと言いだし作らせてみたところ、明治人たちは大騒ぎになった。

船の汽笛や、列車の警笛などでは、蒸気による音は知られていたが、まさか家庭用ヤカンで『沸いたことを知らせる』などと言う発想は、まだ無かったのである。

当然、このパテントは、国内の軽工業へ許可され、やがて国際的な商品展示会でも広く好評を得た。

今や日本のその手の製造業者は、『ミュージックケトル・メーカーズ』と名乗ってスクラムを組み、技術を競い合って世界市場になだれ込んでいる。
日本の職人芸の恐ろしさは、こういう一般日用品に芸術論を持ち込み、超小型の風車等を使って、鳥の声や虫の音、犬の吠え声等も表し、ついには簡単な音楽を演奏するという珍品まで生み出していた。
世界のバイヤーたちが、奪い合いになったのは、言うまでもない。


コポコポコポ

“さゆり”嬢が手ずからお茶を入れ、アッサム茶のいい香りが部屋にただよう。
4人は、ゆったりとした作法で、珠玉のような素晴らしい茶を味わった。

妙采尼は、何も言わず、ゆっくりと構えている。
事は、簡単な返答では済まない問題である。

だがしかし、同席している3人は、笑顔という藪の中から、巨大な雌虎じっと見ているような気分になってくる。
一歩間違えば、そのまま闇の中に、音も無く引きずり込まれそうだ。
ビリビリとした緊張感は、指先から火花でも吹きそうな、強烈な磁場すら帯びてくる。



現在、世界では2等国扱いだが、アメリカの持つ工業力は猛烈な勢いで膨張を続けている。 近いうちにその国力、産業、経済、科学、軍事力は、間違いなく史上最強の存在になる。 正史で苦渋の選択を味わわされてきた、帝国重工の面々はもちろん、知っている。
そしておそらく、それ以外の日本人としては、妙采尼も、おぼろげながらもその未来を予測しているのだろう。

シー・リリーフ商会は、謎の多いアメリカの新興巨大財閥『ドラゴン・ディステニィ』の直営企業の一つであり、なぜか妙采寺と非常に親密に連絡を取り合い、ずいぶん昔から、大量の資金供与までもしていたらしい。
アメリカ中枢に深く食い込んでいる巨大財閥、その情報を豊富に得ている彼女ならば、凄まじい伸びを示す鉄鋼生産量や、船舶製造量、その他の農業、工業、商業、各種産業の規模と伸展を知っているはず。

いずれ未来で、アメリカはどのような恐るべき姿となるか、それすら予測可能だ。

たとえば遥か後年、正史の第二次世界大戦で、ドイツ敗北の大きなミスの一つに、米国の対ドイツ参戦がある。

日本は、そのアメリカと血みどろの戦いをしていたというのに。

アメリカは太平洋で日本を相手にしながら、平然と東アジアの国民党軍(蒋介石軍とも言う、要するに単なるテロ集団だった)に大量の資金と物資供与を行い、猛獣と化した国民党軍は、清国と満州国を焼け野原にした。
三光作戦と呼んだ、自国民への略奪と焦土作戦は、大陸の日本軍とその協力勢力を丸裸にするための、アメリカの謀略と言える。

そして同時に、何事も無かったかのように、大西洋側のヨーロッパ戦線に参戦し、ドイツは『ぷちっ』と叩きつぶされた。

アメリカが、太平洋と大西洋両方へ向け、5割近い力を出したのは、歴史上第二次大戦だけだろう。
それすら、大量の余力を残していたことは、直後の食糧難や物資不足に苦しむ国に、どしどし供与していた事実から、どの国も嫌というほど思い知らされている。以来、朝鮮だろうとベトナムだろうと、湾岸戦争だろうと、アメリカが戦力の2割以上も出したことは、一度もあるまい。

まさに怪物。

現在、日露戦争中とはいえ、ロシアの同盟国ドイツやフランスとも、可能な限り直接の戦火は避けねばならない。
日本の国力では、ヨーロッパのどの一国が直接加わっても、極めて危険な状況に陥る。 だが、潜在能力では、アメリカこそが将来に禍根を残さぬよう、慎重に取り扱わねばならないのである。




胃が痛くなるような緊張、ふっと、息をついた“さゆり”嬢が、ちらっと目を向けた。

「いかがですか?」

妙采尼はにっこりと笑う。

「おいしゅうございます。」

「妙采尼様、アメリカの独立の、直接のきっかけになったのが、紅茶であることはご存じですか?」

「たしか・・・ボストン茶会事件とか聞いています。」

ほほう、と高野は表情を変えずに驚いた。
この時代に、ボストン茶会事件を知っているとは、なかなかの博識だ。



1773年12月、入港した船の茶を暴徒が港に投棄するというボストン茶会事件は、イギリスが資金難で、植民地であるアメリカへ砂糖、印税などさまざまな植民地課税を行い、アメリカ人たちはたまりかねて暴発、ついには独立戦争へ発展した。

イギリスやフランス、それらからの移民、インディアンのいくつもの部族連合、アフリカ系奴隷などが入り乱れ、アメリカは凄まじい混沌と化した。
大体にアメリカは広すぎ、戦線が巨大すぎた。
その巨大さに飲まれイギリスは敗北し、アメリカに協力したフランスも、財政破綻してフランス革命へと落ちていく。
この独立戦争の凄まじい混沌が、のちのアメリカを形作る最初のエネルギーと言える。 そして、ボストン茶会事件を知っている妙采尼は、その内容もかなり知っているはずだ。



「あの国は、実に複雑な顔を持っています。いえ、いくつもの頭と体を持っている、と言ってもいいでしょう。」

「州制度と移民制度ですね。」

妙采尼の言葉に、こっくりと“さゆり”嬢がうなずく。

「それぞれの州が、国家に匹敵するほどの規模を持ち、しかも、移民という形で他国の人材をどれだけでも受け入れる。しかも国土は肥沃でいくらでも余地がある。埋蔵資源は底を知れず。何より、宗教、人種、言語、さまざまな軋轢を最初から飲み込んで作られていくモザイク国家。」

“さゆり”嬢の言葉にすら、わずかなあきらめがある。
絶望的な相手に対する、苦い気持ち。

「普通の国家でしたら、軋轢を減らそうと、規範たる『王』を定めて民族や言語、宗教などを統一しようとするのでしょうけど、最初からそれらを認めて、それぞれのナワバリに大きく分れて、好き勝手をやって、国家としては協力しようという、卑怯なほどの巨大さと自由気ままっぷりですもの。手に負えませんわね。」

実際、アメリカは州によって、民族、宗教などかなりの偏りがある。
“さゆり”嬢の言葉に、妙采尼も思わず苦笑い。
そして、高野やシーナにも共通する表情に、『ああいう相手とは、喧嘩をするだけ馬鹿を見る』という共通認識を感じた。
それこそが、妙采尼が確かめたかった事実である。

「皆様が、そういうおつもりでしたら、心配するだけ“ヤボ”でございました。」

小さな白い頭をていねいに下げる妙采尼。

「いいえ、妙采尼様には、大事な仕事を受け持っていただいているのですから、疑問や意見はどうぞこれからもお聞かせください。」




妙采尼をにこやかに送り出した後、高野も“さゆり”嬢もシーナですら、へたへたと椅子に座り込んだ。
正直、あれだけの緊張がこれ以上続いたら、身が持たない。
喉がからからになった高野が、もう一杯紅茶を所望する。


「まあ、例のアメリカ船舶の問題を考えると、彼女の心配も無理はないだろう。」

アメリカがロシアと契約した、10隻の戦艦の問題である。
あれでアメリカと軍事衝突を起こすハメになったら、目も当てられない。
対ロシア戦には負ける気はしないが、他国との関係は、凄まじいまでの情報戦と綿密な作戦、状況判断が求められている。

そんなディープな状況を、妙采尼がどこから知ったかなどという疑問は、それこそ“ヤボ”だろう。
いずれ、この問題は爆弾となって、アメリカに大変な痛手を被らせるだろうが、それはまた別の話。



「ほんっと、地獄耳ですねえ。」
「ただ正史で、M主党という集団が、国政を司ることになった時、真っ先に『アメリカ軍を排除しよう』などと言いだしたのを思い出したよ。」

ああ、あれかとシーナが秀麗な眉をゆがめ、額に手を当てた。
あの歴史を学習した際、本気で頭痛がしたほど、理解不能な事例だった。

「あの時代、あの国際状況と経済関係で、あれだけ凄まじい愚行は、他に例がありませんよ。あれが一国を預かる与党の言うことですか。」

“さゆり”嬢も、思いっきり情けない顔になる。

「修飾語だけは派手でしたが、相手国の意思すら考えず、国家間の条約をひっくり返そうとするんですもの、この時代だったら即戦争ですわ。」

今でもロシア相手で手一杯なのに、そういう事態になったら、本気で危なくなる。
高野の頬が引きつるのも無理はなかろう。

「しかも基地のあった某県は、踏んだり蹴ったり、最後は放り出されたり、もうムチャクチャだったな。」

「加えて、北朝の国が狂いだして問題を起こした時だったから、いや日米が混乱したから、あの馬鹿国家が好機と見て狂いだしたのか?。
 愚劣な総理大臣が、点数稼ぎに南朝の国に『協力する!』と必死にパフォーマンスしてましたが。」

「アメリカとぎくしゃくした日本が、協力すると言ったところで、何一つ役に立たん。アメリカに大きく頼っている南朝としては、アメリカの不機嫌を助長するだけだから、むしろ迷惑極まりなかっただろう。」

不幸中の幸いは、この時の南朝の大統領が経済界出身の現実派で、“大人”の対応をしてくれたが、飛び降り自殺した愚物の前大統領だったら?、とぞっとする。
シーナの皮肉な口調に、あきらめ口調の高野が、小さくため息。



まあ、その後も色々不幸な歴史が続き、日本は第三次世界大戦に巻き込まれることになって、彼らはここに飛ばされたわけなのだが、“バタフライ効果”をいまさら言わなくても、さまざまな因果がつながっていることは、改めて理解できた。
逆を言えばほんのわずかな違いが、未来を大きく変えることもありうる。未来への可能性を絶対に守らなければならない。



「まったく・・・明治人の方が、よっぽど国際認識がしっかりしている。昭和の軍部といい、平成の鳩○総理といい、だんだん歴史が後になるほど、手に負えないバカが指揮者になりやすくなっているんじゃないか?。」


長い付き合いの“さゆり”だが、下品な言葉がつきそうなほど生真面目な高野のこれほど砕けた言い方は、聞いたことが無い。
あまりに事実が深刻だと、逆に軽く言うしか気力を保つ方法が無くなるからである。


結局、妙采尼は単なる茶飲み話に寄ったようなものだが、気分はまるで、フレンチフルコースと中華満漢全席を喉に詰め込まれたような感じだ。
帝国重工首脳部に、茶飲み話でこれだけダメージを与えられる人間は、世界中探してもおそらくいないだろう。

「今夜は、食欲が無くなってしまいました。」
「そうか、私もだ。」

“さゆり”嬢とシーナは、同時にため息をついた。
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