■ EXIT
ダインコートのルージュ・その23


≪地獄の検査院≫


時代をぶっ飛ばすような、最先端の技術と科学理論。
美しくあでやかな広報部。
恐るべき兵器と武力。

帝国重工は、日本の憧憬を一身に集め、青少年は元より、さまざまな階級や社会の人々があこがれ、たたえる存在となっている。

だがしかし、そんな帝国重工も、光の面ばかりではない。




「うぎゃあああああああああああっ!」

どこからか、ずだ袋を裂くような悲鳴が上がった。




ありとあらゆる製品の調査と管理を行う、『帝国重工検査院』という部署がある。
ここを知る者たちは、一度訪れると、二度と正式名称では呼んでくれない。
<地獄の検査院>という、おどろおどろしい別称が大手を振ってまかり通っていた。



今日も、誰かの悲鳴がそこに響いていた。

「はい、ねじとナットの誤差0.5ね。0.1以内に抑えろと、前回も言ったはずよ。」

地味な黒髪に、三角のきつい眼鏡をした女性が、冷たく言い放つ。

「だっだけど、そんなん無理だぞっ!、どんなに頑張ったって0.4が限度だあっ。」

大柄で脂ぎった工場主が、必死に言いつのろうとするが、三角のメガネの奥で、ギラリと鋭い眼光が放たれる。
氷のナイフが、心臓に突き刺さったかのように、太った色黒の男はヒッと息を飲んだ。

「だったら!、そんな無理な物を作ろうなんておこがましいわっ!!。
 民生品、一般商品なら十分な精度のはずよ。そっちでしっかり技術を磨きなさい。」

赤い唇と口元の黒子の凄まじい一喝に、腰を抜かす工場主。
その上、周りで事務をしている大人しそうな事務員の一人が、ぬうっと立ち上がる。
その身長、実に2メートル10センチ、頭が天井につっかえそうだ。
鼻筋が太く、顎もごつく、いかつい顔つきである。

「藪主亀雄さん、うちの三審制(スリーストライク)はご存じですな。
三度目のあなたは、これから二年間、帝国重工への出入り禁止となります。」

丁寧な口調だが、こめかみに浮かぶ青黒い筋。

『『『お帰りください。』』』

地が震えるような一言が、凶暴な睨みとともに放たれ、必死に口を開こうとした藪主は、今度こそはいずるようにして逃げ出した。
強烈な視線は、落雷に打たれたような衝撃となり、藪主は当分まともに歩けまい。




「まったく、あのしつっこさを製品技術に注ぎ込めばいいのに。」

ぞっとするような冷たい笑みを浮かべ、女性は長い脚を組んで、巨大な胸を反らせる。
黒革のぴったりしたスーツとミニは、彼女のきつい美貌と豊満すぎるほどの肉体を、強調するだけしすぎる。
網のきついストッキングが、ムチリとした肉感を漂わせていた。
冷たい笑みは、異様な色香を漂わせ、逆に美しさを引き立たせてしまう。
漆黒の黒髪をポニーテールにまとめ、後ろに長く垂らしていた。

「お嬢様、お行儀が悪いです。」

巨漢がピシリとした姿勢で、たしなめるように言う。
この口調、誰がどう聞いてもお付きの侍従か執事としか聞こえなかった。

「もう、黒太刀ったら、ここは職場よ。」

ぷっと頬を膨らませ、ほんの少しだけ冷たさが消える。
巨漢は、黒太刀真砂(くろたちまさ)といい、彼女とは浅からぬ因縁があるらしい。

太刀川津絵瑠(たちかわつえる)というこの女性、34歳だが検査院責任者だ。
何と、一般公募で入社し、この若さで責任者に登りつめたという才女。


「ですがお嬢様。」

「はいはい、分ったから仕事仕事。」


次に来たのが、細身で気弱そうな34か5ぐらいの京田松衛門と、その息子で14歳ぐらいだろう、生意気盛りと言う感じの長次郎だった。
キセル職人から、町工場を起こしている。

「ふむ、このシャフトは、プラスマイナス0.054・・・いい出来ですね。」

レーザー測定器が即座に微細構造を精査する。
松衛門はほっとした顔をし、長次郎は自慢そうに鼻をこする。

だが、津絵瑠の細く濃い眉がわずかに寄った。
長次郎の顔色と指に鋭い視線を送った。

「確かに、技術は見事です。だけど、死に物狂いで作り上げたのは認めますが、これでは量産は無理ね。息子さんの身がもちませんよ。」

親子の顔色が変わった。
特に長次郎は、目の下にくまを作り、指は傷だらけ。
100本の精密シャフトを作り上げた技術は認めるが、これが1000本になれば、たぶんこの子は倒れるだろう。

「す、すいやせん。俺がふがいないばっかりに・・・」

「お、俺もっともっと頑張るから、頼むよ、仕事が欲しいんだよお。」

泣きそうな父親と、土下座せんばかりに、必死の長次郎。
冷たい眼鏡の下で、津絵瑠の黒い大きな目がかすかに笑った。

『いいわねえ、この子。必死で、キラキラした目をして、ゾクゾクするわあ。』


帝国重工の仕事は、恐ろしく難易度が高いが、その代り報酬は民生品の倍近い。
何より、帝国へ納められるというのは、日本最高のステータスになる。
そうなれば、世界のどこへ出しても、恥ずかしくない技術者の勲章だ。
また、安いパテントで、さまざまな工業製品を国内で作らせ、世界に輸出している。
ただし、これもまた20世紀後半の工業規格に匹敵する厳しさで検査され、それを突破できないと、容赦なくパテントは取り上げてしまう。


『あああ、またお嬢様が悪い癖を・・・』

彼女の事を誰より知っている黒太刀は、その悪癖を思い出して、冷や汗を流した。

「頑張る?、そんなセリフの『何を』信用しろって言うの。え、ボーヤ。」

ギラッと光る眼は、生意気盛りで怖いもの知らずの長次郎に、ぐさりと突き刺さった。 恐怖が背筋を凍らせ、足ががくがくと震えた。

「舐めた口叩くんじゃないよ。このシャフト一本でも間違いがあればどうなるか、分っているのかい。」

ドスの効いた声が、往復ビンタのように部屋に響いた。
少年は完全に縮みあがっている。

『ウフフフ、可愛いわあ。よだれが出ちゃいそうよ。』

お分かりと思うが、この女性、超ドSである。
その気になれば、SM嬢の女王様が、余裕で務まること間違いない。
すでに、いたぶられて道を誤った男性は、たぶん両手の指に余るだろう。

「見なさい。」

ぺしゃんこになった少年(父親はとっくに恐怖で頭を抱えている)に、容赦なくトドメを刺しにゆく。

目の前に出されたディスプレイで、白黒のCGが、新型の飛行機を描きだした。
すでに、テレビ型受像機が市販され、放送も始まっているため、親子は違和感なくそれを見た。

プロペラが回転を始め、優雅に飛び上がった小型の飛行機が、突然きりもみを始め、あっという間もなく地面に激突した。

「お分かり?。このシャフトは、飛行機の方向を決める精密シャフト。もし不良品が混じれば、こういうこともあり得るのよ。」

「う、ううう、ひっ・・・、ひっ・・・、」

自分がどれほどの責任を負うことになったか、その場で実感させられた少年は、呻くように泣いた。
津絵瑠の頬が、かすかに赤く染まり、厳しそうな表情がほんのわずか、よほど彼女を知る者でない限り分らないぐらいだが、緩んでいる。
もちろん、楽しみを必死で押さえて出さないようにしているのだ。

「少年、だけどあんたの頑張りには、みどころがあるわ。その恐怖を忘れず、頑張れるなら、一流になれる。」

「だ、だけど、だけど・・・」

ぐしゃぐしゃの顔を舐めるように見ながら、巧妙な助け船を差し向ける。

「帝国重工は、頑張る気のある技術者には、応援を惜しまないわ。
 効率化を図れるよう、低利の融資も用意されているから、私の添え状があれば、それを受けられるわよ。」

帝国重工の保証なら、かなり有利な条件で資金が借りられる。
そうすれば、生産の効率化や高度な機械化も可能だ。

地獄へ蹴り落とされた少年は、カンダタの蜘蛛の糸のような、希望の光を見た。
もっとも、その糸を垂らしたのは、蹴り落とした本人なのだが。

「お、お願いします。本気で、命がけで、俺たちやりますから。」

男の命がけの表情が、強烈なエネルギーを放って訴えかけてくる。

『ああ〜〜ん、いいわあ。この表情、ぞくぞくしちゃう。これだから止められないわよねえ。』

厳しい表情でうなづきながら、内実は完全女王様モードの津絵瑠。

陰でこっそりとため息をつく黒太刀。
『長次郎君が、お嬢様の犠牲者の一人にならないよう、心から祈っておこう。』

あいにく津絵瑠嬢の、舌なめずりしそうな顔つきから見て、長次郎をよほど気に入ったようである。
彼が取って食われたとしても、運命として諦めてもらう他あるまい。



正史の21世紀では、日本は世界に冠たる技術大国になっているが、それは日本人が特別というわけでも何でもない。
単純に『死に物狂いで努力した』結果にすぎない。

資源なし、資金なし、領土なし、都市と言う都市は焼け野原、第二次大戦でぼろ負けし、無い無いづくし丸裸になった日本。
どんなことをしても明日のご飯を稼がねばならないという、恐怖に背中を焼かれながらの死に物狂いは、現代人にはとても想像がつくまい。

たとえば戦後の朝鮮戦争で、確かに特需と呼ばれる注文は入ったかもしれないが、固定相場ドルが360円という値段で材料を仕入れ(材料から日本には無い上に、それを供給できる余力のある企業は、欧州が復興に必死だった当時、これまたアメリカ企業しかありえない)、世界最強最大の工業国家アメリカより安い値段で入札させられ、元請け企業はまだしも、下請や孫請けは、血の小便のごとき甘い状態ではなかったことは間違いない。おそらく、全身から汗の代わりに血を流すような苦しみの中で、死んだ方がましと言いたくなる努力が、日本を世界最強クラスの工業国にしたのである。

それゆえに、帝国重工も甘い顔は一切できない。
こういう、超ドSの検査院があるのも、いたしかた無いことであろう。


「ひいいいいいいいいいいっ」
今日もまた、見苦しい悲鳴がひとつ響き渡る。
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