■ EXIT
ダインコートのルージュ・その21


≪闇の争い:8≫


青い空間に、女性たちの声がする。

無数の頭と腕を持つ、奇怪なオブジェのような物が、透明な箱のような中でじたばたと動いている。イリアのプロファイルによる、共頭佐全の疑似的な人格を露わしたものであり、その思考形態は極めて近い。

イリア『佐全のパーソナルの性格と、妙采尼さんからの連絡から、大規模な火災を計画しているようです。』
シーナ『あそこ(妙采寺)は、どれだけ諜報網を持ってるんだ?。公使館同士の連携はさすがに知らなかったぞ。』
リリス『今の気候と、風向き、それに過去の大火災を参考にするなら、プロファイルの予測通り、本妙寺が最適だわね。』
イリナ『本妙寺周辺は、現在のところ、トラック等の車両が移動できる道は一本しかありません。』
シーナ『おそらく、狙いは早朝だな。』

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AM6:00

各地で強奪されたトラックのうち2台が、東京北部の本妙寺(現代の東京都巣鴨あたり)へ向かっている。 早朝であるため、まだ道に人気は無く、計画通りにすすんでいた。

「東京 な 56−56、おなじく58−90。」

松井清子がナンバーを読み取り、昨夜各地で強奪されたトラックであることを確認する。 気の強そうな濃い眉に、ポニーテールが可愛らしい、褐色の髪の女性だが、れっきとした人間で、特殊部隊の一小隊を率いる頑張り屋さんでもある。

迷彩服の手が、さっと降られた。

ボッ、ボンッ、ボンッ、ボボッ、

並べられた榴弾砲の筒から、一斉に何かが発射され、巨大なネットとなってトラックに襲いかかる。
か細い網のように見えるが、見かけによらぬ引っ張り強さを持ち、網一枚で装甲車の突進でも止めてしまうネットである。
それが、各トラックに2重に覆いかぶさったのだからたまらない。


ネットを巻き込んだタイヤはスリップし、あっという間に2台とも急制動をかけられ静止した。転倒しなかったのは奇跡だろう。
トドメとばかりに、即効性短時間型睡眠ガスが数発撃ち込まれる。
効果時間は15分ほどで、50メートルも拡散すると効果は無くなるが、巨大な牛でもぶっ倒れる。

「さて、いいわよ。運んじゃって。」

道に迫っていた山影から、大型飛行船『銀河』(軍用スペック型)が現れ、絞ったネットごとフワリとさらっていく。この地形を利用して待ち伏せしていたのだ。

「うぎゃあああああっ」
「ひいいいいいいっ」

網の中で逆さ吊りにされた連中は、ガスが切れたとたん、哀れな悲鳴を上げて泣き叫ぶ。
大半は車の中で団子状態になって身動きもとれず、何とか車の上に逃げだせた者も、ネットのあまりの細さに、恐怖ですくみあがる。網を切ったが最後自分も落ちるのは目に見えている。
そして足の下は、ぐんぐん遠ざかっていく。
それも1000メートルあたりで、全員失神して静かになった。


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青い空間で、女性たちの会話が続く。
オブジェの入った透明な箱に、イリアが手を入れると、激しくかみついてきた。細い眉をしかめながら、その手を介して火災後の状況を思い浮かべ、なだれ込んでくる黒い思考を読み取る。

イリア『混乱に乗じて襲ってくるでしょう。おそらく、突入のために、人質を取る可能性が高いです。』
ソフィア『襲撃しても、突入できなきゃ意味ないしね。』
シーナ『人質を取るなら、幼児、子供あたりだな。火災に連携するのと、襲撃目的が帝国重工首脳部なら、午前中・・・おそらく近くの池波尋常小学校』
イリナ『なんてこと・・・・絶対に許せません!。』


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AM9:00

池波尋常小学校正門前。

授業が始まった直後を狙い、トラックがスピードを上げて走り寄る。だが、ここでもネットとガスの効果で、あっという間に征圧された。

たまに横転して、大きな音を立てるトラックもあったが、その直後に現れた『銀河』の雄姿に、誰もが見惚れて忘れてしまう。

『銀河』のサイドボディには、『今日のニュース』だの『陛下のお言葉』などが表示され、運よく見れた者たちに、格好の話題を提供していた。
そのため、銀河の下にぶら下げられていく哀れな連中のことなど、誰一人として気づかなかった。

この時間帯に、放火のグループをとらえたものも含めて、3機の『銀河』が飛びまわっていた。


AM10:00

12台のトラックが、帝国重工本社前に押し寄せてきた。

どの車も、正面ラジエーター前と、荷台の側面に子供をくくりつけ、正門のガードへ突進してくる。

「どけどけどけどけええっ、ガキどもが死ぬぜええっ!」

だみ声がトラックから響き、正門の門番はあわててガードを開いた。
次々と突入してくるトラックを、静止することも出来ず、最後の一台が通過した直後、凄まじい爆音が響いた。

直後、銃声が響き渡り、あちこちから煙が上がり始めた。



「トラック部隊、突入シマシタ。」

双眼鏡をのぞきながら、鮮紅花がつぶやく。

「ちっ・・・失敗か。」

白い煙をにらみつけながら、佐全が不機嫌に言った。

「失敗・・・デスカ?」

「こんな晴天だ、火災が起こればこの距離でも広範囲に煙が広がってるのが見えるはずだ。それに、縛り付けられていて、泣きももがきもしねえガキなんぞいるか?。」

さすがに修羅場に慣れている佐全は、冷静に状況を見ていた。




「あいたたたた・・・、ねえ、脳波プレッシャーは切っておくはずじゃなかったの?」

トラックを運転していた綾月美里が、地面にぶっ倒れたまま、身動きも出来ずにぼやく。 無粋な野戦迷彩の戦闘服さえなければ、グラビアのトップを飾れそうなダイナマイトボディなのだが、これでシーナの片腕になれるほどの実力者だ。

それぞれのトラックを運転していた、特殊部隊の各員も苦笑いしたまま地面に突っ伏していた。 先ほどのドスの効いただみ声は、合成の音声だ。


「ごめーん、万が一のためにつけておけって、シーナの命令だったのー、今切るねー。」

警備指揮をとっていた三坂三樹子が、みょ〜に間延びした声で返答する。
見た目中学生に見られそうな、細いシルエットに、肩までのサラサラの茶髪で、くりっとした大きな目をしていて口調もこんな風だが、準高度AIの一人である。そのくせ、毒舌は凄まじく、『ちょん切られたいか素チン野郎』とにこやかに言われ、震えあがった男性は数知れない。
やれやれ、と綾月美里がため息をついた。

あちこちで、賑やかな音響装置の音と、発煙筒の煙が盛大になびいている。

車にくくりつけられているのは、子供服の人間そっくりマネキンである。
広報部の意見で作ってみたところ、あまりのリアルさに見物人が群がるほどの話題となり、子供服の売り上げが数倍になったと言われている代物だ。


特殊な合成音による脳波プレッシャーは、前もって対策を立てておかない限り、効果範囲内に突入すると人間は動けなくなる。

動物には効果の無い種類もあるが、子供を人質に立てようと、分厚いアーマーを着ていようと、人間であるかぎり、逃れようがない。
ちなみに、三坂は音波フィルターのついた小さなイヤホンをつけているので、プレッシャーを受けない。

もっとも、万が一それを逃れたとしても、待ち構えているのは、戦闘特化された多脚型特殊砲台(別名タランチュラ)の大軍である。
こんなものに襲われて、無事ですむとはとても思えないが。




背筋を冷たい舌が舐めるような、不快な感覚が佐全を襲った。
佐全のカンが、警報を全開で鳴らしていた。

「やべえな、撤退するぞ。」




その頃、脱出する要人保護用特殊車両を襲った部隊は、黒塗りの車体にトラックがぶつかると、かすり傷と引き換えにトラックが横転し、銃弾や爆薬は命中してもはじき返された。異様に車体がでかく、窓が小さいと思ったら、下から遮断板までせり出して完全防御態勢になっている。

「うっ、ウソだろおっ、何でできてんだあの車ぁ!?。」

襲った部隊の連中には悪いが、超弾性樹脂と結晶化チタン特殊鋼4層構造のこの車に穴をあけたかったら、21世紀の最新型対戦車ヒートミサイルでも使わないと不可能。

おもむろに車体から三門のパルスレーザーが飛び出し、高性能の多重レーダーがコンマ数秒で、正確に人数から武装まで分析すると、片っぱしから返り討ちにする。
それも武器だけ正確に撃ち抜く神業の射撃に、腰を抜かして逃げ出すところを、包囲した特殊部隊の砲列が押し包む。全員反撃の気力を無くして投降した。


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深く青い空間を、無数の星が覆い、巨大な白いテーブルに無数の女性たちが並んでいた。
“さゆり”嬢を筆頭に、ダインコート姉妹に、セシリア・ダインコート、リリス・レイナート、リリシア、アリシア、アリス、北条カオリ等など、帝国重工の準高度AI、135名である。

シーナ「戦術的には、この三段階だと思うけど、戦略的に考えると、さらにもう一段策を弄していると考えていいわね。」

セシリア、リリス、カオリらが同意する。

イリナ「妙采尼さんからの情報で、あと一名こういう人間が来ています。」

“さゆり”「なるほどねえ・・・」

それを補足する、他の準高度AIの情報。お互いを補完し、情報制度を高めていく。
メインフレームである大鳳が協力しなくても、意識リンクという超並列処理のできる彼女たちにとっては、お互いが21世紀のスーパーコンピューター10台分ほど手をつないでいるようなものだ。空間を猛烈な勢いで、情報が飛び交い、ついでにイリナと風霧のデートの話まで飛びかって、爆笑の輪まで広がる。

ソフィア「それじゃあ、例の作戦、真田さんのアレいっちゃう?」

全員が同意する。向き直った“さゆり”嬢の目が強く光る。


“さゆり”「私たちは、善人にあらず」
シーナ「正義の味方でもなければ、偽善者でもない」
リリス「私たちの愛する人を守るため」
香織「愛する国と風と水を守るため」
イリナ「子供たちの未来を守るため」
ソフィア「立ちはだかる者全て」
イリア「敵とみなし、戦うこと恐れません」


彼女たちの高らかな宣言に、135名全ての準高度AIの娘たちが、うなづく。

21世紀後半、核の炎に襲われた部隊は、この世界に飛ばされた。
彼女たちと、同乗していた全ての人々が、過去の世界の全てを失った。
今度こそ、この世界を失ってはならない。
いかなる犠牲を払おうと、この身が他者と己の血にまみれようと、
この国と人々を守る戦いに、ためらいや容赦は持たない。

同時に、会議は終了し、イリアだけを残して消えた。
この空間は、イリアの巨大な認識視野を使った準高度AIたちの集会場で、『大会議室』と呼ばれている。
どの準高度AIの娘たちも、全員との意識リンクは瞬時に形成できるが、『アバター』と呼ばれる自分のキャラクターを送り込んで、高度の並列処理まで可能にできるのは、“さゆり”嬢以外では、イリアだけの特技だった。もっとも、“さゆり”嬢はあまりに多くの仕事があるので、『小会議室』を30ほど持って作業をしているため、『大会議室』は実質イリアのみである。

『この空間に、高野司令や真田さんたちも呼べるようになると、いいんですけどねえ。』

イリアは、ちょっぴり不満そうに、自分の能力の限界を嘆いた。
だが、これを真田に言ったら、『無茶を言わんでくれ』と絶対泣くだろう。

先ほどからの、会議は30分ほどのものだが、外の通常空間では『2秒』しかたっていない。
準高度AI全員が、ほんの2秒考えただけで、あれだけの情報伝達と分析、意思決定に茶飲み話まで出来てしまうのだから、人間の脳ではたまったものではあるまい。


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『妙采寺』を出た佐全が、足を止め、銃を構えた。一連の騒動のそばで、じっと無人の妙采寺に潜み、状況を探っていたのである。
獣並みのカンが、かすかな殺気を感じ取っている。

ニヤリとかすかに佐全が笑い、鮮紅花に目をやると、彼女も目でうなづき返した。

3人の部下に手を振ると同時に、走り出す。

右へ、わざと、逃げにくい壁に沿うようにして。

妙采寺の前面は、隠れる場所が少なく、近づく人間が目立ってしまう。
立木や物影が左側にいくつかあり、そこに特殊部隊の一団が潜んでいた。

佐全たちが走りだし、部隊も釣られるように動いた。

ガシャンッ、ガキッ、

「うぐっ!」

強力なトラバサミと呼ばれる、ばね式の罠が部隊の二人の足をとらえた。

牙のような刺を植えた鋼の顎が、強く挟みつけている。
戦闘用の金属を入れたブーツだから良かったが、単なる革のブーツなら、骨まで達していただろう。

しかも、寺の前の広場には、細く長い黒髪が複数張られている。何かのトラップがある可能性があった。 昨夜の内に、鮮紅花が闇の中で用意していたのだ。

『気をつけろ、ダミーと本物が混ぜられているぞ』

骨震動マイクから、指揮官であるシーナの注意が飛んだ。
シーナは本社にいるが、状況は高高度無人哨戒機『ララミィ』などから、常に把握している。

「くそっ!」

部隊長の、馬上平戸は悔しそうに歯噛みした。
後に分かることだが、この時の妙采寺前の広場は、地雷原に等しいありさまだった。
左から突入したから良かったが、正面には、さび釘を大量に仕込んだ爆発物まで仕掛けられていて、全員がぞっとすることとなる。
もし、これを部隊が起動させてしまったら、ほぼ間違いなく壊滅している。


急激に黒雲が沸き、あたりが暗くなってきた。
今にも降り出しそうな空模様だ。


「ちっ、あとを追ってこねえな。」

黄色味を帯びた視線が、後方をぎろりと見る。

遮蔽物の少ない壁沿いなら、追いすがる相手を撃ち抜くのも容易だが、追ってこない。

松の林、木の陰に入る瞬間、鮮紅花の美しくも無表情な顔が、かすかに動く。
長い黒髪を丸く左右にまとめた頭が、わずかに上がった。
細くくびれたウェストから、ジャッと、腰帯剣(ヤオダイジャン)が抜かれる。

キュンッ、ジャッ、ギンッ、ギギンッ

刃光が華麗に円を描き、飛んできた強力な半弓の矢を、次々と切り落とす。

佐全たちが松に隠れると同時に、彼女の姿がぶれた。
一気に5メートルを飛ぶように移動し、気を込めた腰帯剣が、レーザーブレードのように光った。
高速の剣筋が、光の軌跡を残し、その刃筋に触れたものは、全て切断された。

グアッ、バリバリバリッ、ドドンッ、ドンッ、

巨大な松が、次々と一方方向へ倒れ、樹に潜んでいた山人たちは、あわてて他の木へ飛び移り、あるいは飛び降りた。

佐全と他の3人が、銃撃でそれを襲い、二人が運悪く肩や足に負傷する。


それを襲おうとして、踏み出した瞬間、まるで映画の逆回しのように鮮紅花は後へ飛んだ。
20センチほどの細身の鉄の刃『くない』が2本、彼女のいた場所を突き刺した。

ジャッ

鮮紅花が、もう一本、腰帯剣を抜いた。
だが、これが異様だった。長さが2メートルを超え、しかも激しくくねり動いた。

バギュッ、バチュンッ

それは剣というより、鋼の鞭だった。
飛んできた『くない』を、火花とともに、はじき落とした。

「とんだ化け物だわねえ。」

女の声が、飛んできた方向から降ってくる。

だが、鋼の鞭は左へ飛んだ。

その鞭をかいくぐるように、カーブする軌道を描く6つの刃を持つ手裏剣。
鞭と身体がくねるように動き、短い腰帯剣が手裏剣を弾き飛ばす。
鮮紅花は、声と気配が違う位置から来ることに、驚愕を必死に抑え込む。

ザアッ、ザッ、ドドッ、

山人たちが恐ろしい早さで、倒れた木を飛び越え、木や茂みを縫うようにして、ナタやウメガイ(巨大な出刃包丁のような武器)を振りかざし、凄まじい形相で襲ってくる。
手傷を負った二人すら、さっと傷口を縛ると走り出す。
並みの相手なら、ギラギラ光る刃と怒り狂う形相に、腰を抜かしかねない。

この山人たちは、以前佐全の部下に、部族の子供をさらわれかけたことがある。
妙采尼から、佐全の事を聞かされ、本気で怒っていた。


『ちっ、頭がぶっ飛んでやがる。こんな連中、相手にしてられるか。』


佐全たちの銃撃に、左右に散開し、取り囲むように木の影を走り、肉薄する。
左側が2名と極めて少ない。通常ならば、左側を突破すべきだろう。

だが、佐全は逆に右へ走りだす。
『わざと作られた罠に飛び込むほど、阿呆じゃねえ。』

恐ろしいほどのカンである。山人たちは、左手を薄く見せ、少し離れた後方から、さらに大きく回り込んで、袋叩きにしようとしていたのだ。

立ちふさがろうとした山人たちが二人、銃に弾き飛ばされる。

佐全たちを、影のように追い抜く鮮紅花。
4人の山人が、血煙りを立てて、吹っ飛んだ。
戦闘用の分厚い毛皮に鎖かたびらを着ていなければ、4人とも即死している。

目だけを出した、茶色の頭巾をかぶった人影が二人、三人と降ってきた。

鎖かたびらをつけ、茶色い薄手の上着に、くくりばかまと呼ばれるひざ下をくくって脚絆をつけた姿は、古来から日本で忍びと呼ばれる者たちの姿だった。
ただ、わずかに骨格が華奢で、胸が大きいのが女性らしいシルエットである。

鋼の鞭がその一人へ飛び、それを短めの刀が受けた。
もう一人が、その手を強く引いて、引き倒す。

鞭が、受けた所から、内側へ強くくねり、ピュンと背筋の寒くなるような音を立てて空気を切った。
刀を受けた人間の頭があったところだ。
鋼のしなりが、そのまま武器として、受けた人間を切断する凶器となる。
鞭がおそいかかる、それを、忍びたちは、はじかず受け流すようにして、くねり入る刃を避けた。

鮮紅花もうすら笑いを浮かべながら、心中は焦っている。
曲がって飛んでくる刃物(六方手裏剣)など、彼女も初体験だからだ。
囲まれて一斉攻撃を受けたら、助からない。


佐全が、声を上げた。今は失われた朝鮮語だった。
一瞬、忍びたちの対応が遅れた。

一斉の銃撃と同時に、鮮紅花がさらに右後方へ下がる。

全身のバネを効かせ、弾丸のように飛ぶ鮮紅花を、茶色の忍びたちが追った。

「アイヤアアアアアアアアアアアアアアアアッ」

気合いが、松林を突き抜け、銀光があらゆる角度で舞った。

柔らかな鞭のごとき刃が、まるで銀光の長剣のように、周囲全てを切りはらった。


ドドドドドドドドド


八方の松が、あらゆる方向に倒れ、崩れ落ちる。
先ほどの攻撃を見ていたため、警戒していた忍びと山人たちは、大きく飛び下がり、足を止めた。


ザアッ、ザザザザ。
激しく雨が降りだした。


追跡に遅れること、1分。

海岸に出てきた時、すでに沖合にボートが高速で走っていた。
帝国重工の管理している船舶置き場から、一隻だけ盗み出されたものだ。
オーストラリア船籍の中型貨物船ジョージ号へ向けて、一直線に走っていた。

これに乗られてしまうと、海洋法の関係上、手出しが非常に難しくなる。
そして、現在の東京湾には、稼働中の戦闘艦は一隻もいない。
佐全は、そこまで見越しているに違いなかった。

発信機兼通信機を取りだし、忍びの一人が頭巾を外した。
もちろん、妙采尼総帥である。

「ええ、残念ですが取り逃がしました。・・・・はい。」



−−−帝国重工本社−−−


「ウェザーコントロール好調です。予定通り降り出しました。」

ヨウ化銀の化合物を、高度3000メートルあたりに打ち込み、雲を活性化して雨を降らすのは、21世紀のアジアで行われたオリンピックなどでも盛んに行われた。
帝国重工も、これを使って雨を降らしている。もちろん、周囲の視界をゼロにするためだ。

「試験砲台、準備よし。」
「新下瀬爆薬弾、装填完了。」

もし、この言葉を聞いたら、世界の海軍関係者は真っ青になっただろう。

正史では日清戦争頃に開発され、日露の海戦で使われたこの爆薬は、当時の砲弾の主流『綿火薬(ニトロセルロース)』を遥かにしのぐ、凶悪な爆気量と熱量をほこり、海面に落ちただけでも爆発する(それまでの砲弾は、海面では爆発しなかった)。 伊集院信管という感度の高い信管や、爆薬の安定のために砲弾内部に漆を塗るという、日本独特な改良法も加えられている。

3000度を超える凶悪な燃焼ガスは、直撃弾を受けなくても、海面より上の戦艦の接合部を熔解し、艦上の構造物全てを焼き払い、主砲の砲身すら、熔けて歪んだほどであるのだから、その凶悪な攻撃力は当時の軍関係者の想像を超えていた。

正史の日露戦争で、バルチック艦隊を破ったのも、この火薬の力が大きかったと言われている。 こんな火薬を、だれも知らないような、ごく普通の技術者が実用化したというのが、日本の未来を象徴しているようでもある。


帝国重工は歴史に敬意を表し、極秘に製造している21世紀の強力な炸薬『HMX(シクロテトラメチレンテトラニトラミン)』を、下瀬爆薬の改良型『新下瀬爆薬』と名付けていた。その破壊力たるや佐世保海戦で、わずか155mm口径の砲弾が、一撃で炸薬庫まで貫通し、ロシア側の旗艦であった戦艦レトウィザンを真っ二つにへし折っている(ちなみにロシア側の主砲は305mm)。

こんなものを喰らったら、商船など跡形も残らない。

この時代のオーストラリアは、白豪主義と人種差別、そして反日感情が凄まじいが、そんな事より、共頭佐全に全面的に協力する船に、帝国重工はいかなる情けもかける気はない。
まかり間違えば、数十万人が巻き込まれ、帝国重工と日本はズタズタにされている。
彼らの怒りにふれた、オーストラリア政府とこの船こそ、愚かと言う他無い。

そして、試験砲台とは文字通り、テスト用とされているが・・・。


ゴウン、ゴウン、ゴウン、

100メートルほど離れた倉庫の一部が、割れたように開き、巨大な3連砲台がせり出してきた。
雪風にも搭載されている、95式54口径127o連装砲である。
その有効射程は実に、29,800mメートルに及ぶ。
加えて、レーザー測量による東京湾の精密測量と、多重レーダーによる船舶の位置把握、『ララミィ』による超高度からの赤外線映像解析、そして固定砲台の強みで、土砂降りの中でも最大誤差2メートルという、超絶な射撃精度を誇る。

このような隠し砲台を、東京湾の内側に30か所以上仕込み、理論上は50隻のドレッドノート級戦艦が東京湾に乗り込んできても、帝国重工が主砲の射程圏内に入る前に、十字砲火で全滅させる事が可能という、とんでもない首都防衛構想があった。もちろん、発案したのは技術幕僚の真田忠道准将。彼の情熱あふれる趣味『完全無敵極悪非道七転八倒絶対防衛ライン構想』は、あまりのゲテモノぶりと、“さゆり”嬢がおもわずめまいを起こしたという莫大な予算に、さすがの帝国重工も『ダメダメダメッ!』と却下。ここは、その時の試験用砲台だった。


激しい土砂降りの中でも、妙采尼は目を見張り、息をのんだ。
鈍く光る鉄色の巨大な三連砲、それは、あらゆるものを破壊し、抹殺する、悪魔のような鉄の暴君に見えた。

『お約束通り、発射はあなたにお任せします。』

一瞬の逡巡があった。
佐全を捕え、八つ裂きにする代わりに、その船ごと全て、一人残らず焼き尽くすという。
妙采尼総帥ですら、その苛烈で容赦のない決断に恐れを感じた。
同時に、佐全に味方する全ての者を、同じく敵と見なす凄まじい意思に、戦う者としての敬意を覚えた。


妙采尼は、赤い唇をマイクに寄せた。

激しい雷鳴が、天地を貫いた。



「やれやれ、終わったみたいね。」

“さゆり”嬢が、ほっと息をつくと、電話が鳴った。

『妙采尼様が、面会を求めていらっしゃいます。』

オペレーターの声に、“さゆり”は小首を傾げ、面会室へ向かった。
面会室では、白い頭巾をかぶった袈裟姿の妙采尼がちょこんと座っていた。

「どうかなさいました?」

妙采尼は、困ったような表情を浮かべ、何かの紙を渡すと、窓の方を指差した。

『黙って、そちらを見てください。』

その文章を見て、素直に、しかし注意深く窓の方をむいた“さゆり”に、妙采尼は隠し持っていた鋭いナイフを振りあげた。



翌日の新聞紙上に、ある海難事故の話が載っていた。
雷雨の中、オーストラリア船籍の中型貨物船ジョージ号が、落雷による火災により、全焼、沈没したというのである。
可燃物を大量に積んでいたらしく、豪雨の中でも一瞬で炎が燃え広がったと見られ、周囲の船すらも、雨が上がった後に、大量の油と浮遊物で気がついたという。
船員は一人残らず、強烈な熱であぶられ、ほとんど消し炭と化していたらしい。死体の損傷のひどさに、確認作業は困難を極めると報じていた。



「やれやれ、や〜っと終わったか。」

船着き場の、砂地の一角が割れ、佐全のだみ声が出てきた。
よく見れば、そこは海へつながるマンホールが砂に埋まっていた。

部下たちをモーターボートに乗せ、ジョージ号に向かわせると、自分と鮮紅花は、ここに潜ったのである。降り出した激しい雨が、マンホールの上を砂で薄く覆い、ほとんど分からなくしていた。

とはいえ、マンホールの中も雨の増水で濁流と化し、散々な目にあった。
鮮紅花も、びしょびしょで、チャイナドレスが身体にぴったりと張り付き、妖艶な事この上ない。
佐全がシケモクをふかすと、満足そうに紫煙を吐いた。
鮮紅花が、もう一本を咥え、佐全のそれにつけて火を貰う。
そっと寄せる頬が白く、かすかな火の赤に染まる。
死闘を終えたあとの虚脱感は、彼らのような外道たちにとっては、SEX後の至福感よりさらに強烈な、満ち足りた感覚を感じさせる。

 ふうっ

鮮紅花のガラスのような瞳が、青い空をはじき、息が、甘く響く。紫煙が散った。

人の足音が近づく。
鮮紅花が、さりげなく腰帯剣に手を添える。

「共頭佐全様ですか?。」

丁重な口調で、スーツをピシリと身につけた男が、頭を下げる。
いかにも、人畜無害そうな、人の良さそうな顔つきに、佐全はなめきった目を向ける。
その表情に、鮮紅花は警戒レベルを少し下げた。
鷹揚に佐全が応えると、男は再び深々と頭を下げた。

「帝国重工広報部の者でございます。高野指令より、極秘に申しつかってまいりました。」

黒く巨大なスーツケースを、そっと音もなく目の前に置いた。

「開けろ」

広報部の男は、ケースを開けた。中にはドル札がぎっしりと並んでいた。

「50万ドルございます。こちらは、日本政府の正式な旅券です。」

さすがに驚いた顔をする鮮紅花に、佐全はにたりと笑う。
それでは、と男が立ち去ると、佐全はつまらなそうに息をついた。

鮮紅花と一緒に来た3人の中に、顔を見せない一人がいた。
『顔写し』と呼ばれる、なり済ましの名人の女で、たいていの相手に化ることができると言われている。顔つきどころか、声音までそっくりに変われるため、暗殺者として黒社会で使われていた。
佐全は、長崎で妙采尼を殺した時、『顔写し』を隠し玉として、妙采尼そっくりに化けさせていた。

だが、その後の帝国の動向や、対応の速さから、自分と同じく替え玉を使っていた可能性を思いつき、『顔写し』を帝国重工本社に送り込む事にしたのである。
帝国重工が何らかの手段で、ジョージ号を拿捕、あるいは撃沈した直後の、帝国が弛緩した瞬間を狙い、“さゆり”に面会を求めさせ、彼女を殺害した後にその姿を借りて、高野指令を殺し、成り変わる。  

かなり大雑把な手段だが、相手が緊張を解いた瞬間を突くこの方法は、過去何度も試していて、案外成功率が高かった。べつに『顔写し』がいなくても、相手が高度の警戒を解いて油断をすると、呆れるほど容易に、他人に面会してしまうのである。 成功すれば、ここに金と旅券を用意させるよう、命令していた。そして、全てが届いた。

「つまんねえな・・・・」

あとはもう、佐全にやることは無い。
成功した場合に、呼び寄せ、変わりの頭脳として使う人間も、協力する銀行すら手をまわしている。佐全の最大のスポンサーだった、清国とロシアの社会主義系テロリストたちに、帝国重工は完全に乗っ取られていくだろう。

佐全は、ふと再び札束を見た。ドルを持って来させたのは、なんとなく高跳び用としてだが、次第に顔つきが変わり、あの厭らしい笑いが浮かんできた。

「今度は、アメリカをひっかきまわすか・・・いや、中南米の方が面白いかもしれねえ。」

「ドチラヘデモ、サゼンサマ。」
鮮紅花も、嬉しそうに立ち上がった。これほど面白い人生は、彼女は初めてだった。まして男がこれである。どんな地獄でも、面白くてたまらないだろう。




「これでよろしかったのですか、“さゆり”さん。」

イリナが「ララミィ」からの映像を見ながら、“さゆり”の方を向いた。
もちろん、正真正銘の本物である。

映像の中の二人は、何も気づいていないが、すでにジョージ号撃沈から『一か月』が過ぎている。

イリアプロファイリングは、佐全が部下と替え玉をジョージ号に送り返す事まで予測していた。
何しろ、船の上では逃げ場が無いのである。逃亡時に、船に逃げ込むような事を、あの用心深い佐全がするはずが無い。

盗まれたボートのあった場所を、徹底的に捜索し、マンホールの中に人が潜んでいる事を探知して、ガスで眠らせて、二人を丁寧に洗脳した。
佐全は、成功した日本に興味を失い、アメリカや中南米で思う存分暴れまわる事を『思いつく』のである。
恩も義理も、欠片ほども感じない性格上、この部分は、洗脳の必要すらなかった。
その上で、顔にも多少の整形を施し、自分で別名も考え出した、と思い込んでいる。

旅券は、手回し良く日系人『松介・ベネブ・ロンドン』となっていた。
佐全は、それに何の疑問も抱かない。
まあ、ある意味『共頭佐全』という男は、死んだことになる。

もちろん『顔写し』も、ナイフを振り上げたところを、光学迷彩をまとって側にいたシーナ・ダインコートにあっさりと捕えられ、十分な洗脳を受けて、今は別の方面へ、スパイとして送り込まれている。


「ええ、だってあれだけの人材よ、実に稀有な存在だわ。いずれアメリカが我が国最大の敵として立ちはだかる事になるのだから、それをひっかきまわせるのなら、高野指令の負担を少しでも軽くできるわ。ぜひ応援してあげなければね。」


はあ〜と、イリナはため息をついた。
ある意味、“さゆり”は佐全よりよほど怖い。


あの砲撃は、一つには妙采尼の復讐心を満たさせるためであり、もう一つはオーストラリア政府への最終警告だった。

何者かが『ジョージ号火災爆発』を一面に乗せた大東京新報の朝刊に、黒いリボンを添えてオーストラリア政府高官全員に送りつけている。

そして日本政府は、ジョージ号と乗組員の『残骸』を丁寧に集め、ガラス張りの棺桶に氷漬けにして、照合データと詳細な拡大写真まで添えた。
当時の気象データから、東京湾の入港状況、周辺1000メートル以内にいた5隻の船の証言にいたるまで、げっそりするほど丁寧にまとめ上げ、全て丁重にオーストラリアまで輸送している。

入港に際しては、儀礼にのっとった礼砲を撃ち、船には喪に服する黒布をかけ、日本の領事館は楽団まで雇って、国賓待遇の扱いで葬列を演出した。
その全てに、オーストラリアは何一つ日本へ文句のつけようが無く、執念とあくどさすら感じるほどの丁重さに、オーストラリア首相を始め、政府高官は辟易させられた。

しかも、
『大海を超え東洋の海に没した、勇気あるオーストラリア国民に最大の鎮魂と敬意を払うものであります。  ゆえに国家最大の財産である国民の、遺体と、照合データと、拡大写真は、万一の間違いも無い様、全て国家による確認と署名捺印をお願いしたい。』

集めるだけ集めた貴賓や観衆、マスコミや各国公使の面前で、特命全権大使で前外務大臣の高橋是清(たかはしこれきよ)が発表したものだから、オーストラリア政府は泡を吹きそうになった。その数、実に12000点以上になる。しかも、断りたくても断れない事情があった。

海外での生活が長く、奴隷に売られた事すらあるという、とんでもない経験を山ほど積んでいる高橋是清は、オーストラリア連邦が大英帝国の指揮下にあることから、そちらへ手をまわし、オーストラリアへの全権大使特派の理由と要請を、正式に大英帝国に受理させていた。

元々、共頭佐全の事では、すねに傷持つ大英帝国。
『オーストラリア国民の遺体を、丁重に送るので、全てオーストラリアによる確認と署名捺印をお願いしたい。』という人道的かつ至極当然に聞こえる理由と要請に、女王陛下は一も二も無く賛同している。何しろオーストラリアの正式な統治者は女王陛下であり、その下に代理として総督がいる。そしてその下で実際に統治するのが首相である。その決定意思に反論できるような度胸が、首相や官僚にあるわけがない。

この時の高橋の名演技はオスカー賞もので、参列者たちの涙を誘い、亡くなった船員たちへの哀悼の意を漏れなく表し、同時に日本への歴史と畏敬を感じさせる見事な演説を行っている。正史でも大活躍した偉大な政治家高橋の、面目躍如であろう。

そして、“国家による確認と署名捺印”は、船員の家族や親戚に渡されるため、マスコミも誰も反論する余地が無い。むしろやって当然と世論が賛同する。あの忌み嫌っていた日本が、他国民にここまでやったのだから、オーストラリアが自国民に対して手を抜いたら、彼らの大事な白人社会の恥さらしである。

ひきつった顔で、遺体を受け取った首相と、政府高官たちは、寝る暇すらなく莫大な数のそれらと格闘するはめとなり、それから一カ月ほどは全員、肉が一切食べられなくなったらしい。 この凄まじいまでの最終警告を、オーストラリア側が理解できないならば、次は覚悟をしてもらう事になる。


イリナは思うが、“さゆり”は高野のためになら、神や悪魔とでも、平気で手を結び、平然と利用しかねないだろう。
恐れを含んだ視線も意に介さず、“さゆり”はつぶやいた。

「人間は、凄いわね。善であれ、悪であれ、一人であそこまで戦えるのですもの。」

彼女は彼女で、人の持つ凄まじいエネルギーに、素直に驚いていた。
だが、それだけに、制御できない力は悲惨だ。
そして、制御するのもしないのも、どちらも本人の意思でしかない。

日本人の中にも、佐全のような者も生まれれば、妙采尼のような人間も育つ。
ただ、“さゆり”は、自分たち『個性あるAI』を生み出せた日本人を信じている。
AIとは、読み方を変えれば『愛』なのだから。


正直言えば、イリナは佐全たちを解き放つことも怖い。
まるで、歩く原子炉か核兵器のようなペアを、世界に解き放っていいものだろうかと考えてしまう。

今回の騒動で、佐全を押さえこむのに、総予算は21世紀の経済に換算すると、八十億円を上回った。
『もし(イリナとリリスが)共同研究していたプランが無かったら?。』とイリアに聞いてみた。

イリアが言うには、帝国重工が最初の段階で躊躇して、妙采寺と共同戦線を張らなかった場合、
経済損失は10倍を超え、下手をすると佐全の圧勝の可能性もあったそうである。

結論として、この結末がよりベターな解決になるという。

「ベストではないの?」
「イリナお姉ちゃん、ベストな結末は、神様にしかむりだよぉ。」

絵本を読む子供のような仕草が、むしろ天使の悲鳴のように聞こえた。

そのバランスを読める“さゆり”嬢は、さすが準高度AIの最上位にいると言う他あるまい。
洗脳の効果で、帝国重工は単なる金づるとしか考えず、二度と敵対することは無いが。


ただまあ・・・・映像の中の二人は、実に楽しそうに歩きだしている。

どんな地獄を作り上げようとも、彼らにはそれこそが、パラダイスなのだろう。
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