■ EXIT
ダインコートのルージュ・その21


≪闇の争い:7≫


ピッ、ピピピピ・・・

巨大な40型モニターが3面、その中に無数に動くウィンドウと情報。

プロファイルに納められた200TB(テラバイト)ほどのデータベースの中から、共頭佐全に関するデータが、次々と赤い蝶の形を取り、飛び立つ。

 ザザザ・ザアアアアアッ

イリア・ダインコートの視線と解析によって、蝶は凄まじい羽音を立てて群れをなし、羽を絡ませあい、圧縮しながら形を為していく。
それは、データ同士の連結と整合性、すなわりリンクの形成。

時間列、空間列、分岐構造と関連。

あまりに高速すぎ、複雑すぎて、人間にはその構造形態は読み取れないが、巨大なAI認識視野をもつイリアは、地上を見る女神のように、きわめて異様な姿を明るいオレンジに輝く瞳に写した。

おびただしい電子網が、淡いラインを認識視野に浮かばせ、それを形作る。 最大の要因は、『出生』と『大陸』。



1894年、大陸を目指した松介は、まず朝鮮半島の釜山へ渡り、言葉の習得と、裏の黒社会への足がかりを得ようとした。

だが翌年、日露の秘密交渉によって、日本の利権を受け取ったロシアが、軍を朝鮮半島に展開。半島は大混乱に陥る。

ロシア人だらけになっていく半島で、松介は4年を生き抜いた。

4年後、松介が、中国黒社会の大者に招かれ、大陸へ脱出するまでの間に、奇怪なデータが残っていた。

松介が根城にしていたソウルでは、4年の間に2人のロシア人監督官(市長にあたる)が殺され、4人が罷免されている。
詳細は不明だが、強盗、殺人、誘拐、騒乱、火災が異常に頻発し、ロシア政府も手を焼いたらしい。
松介が大陸へ移った翌年からは、それらは10分の1以下に減っている。もちろん、監督官の殺人や罷免もゼロである。
その意味することは、『誰が原因かは言うまでも無い』。

その後の、行動や交流など、おびただしいリンクがさらに複雑化し、様々な側面を作り出していく。


古典のSFに、『ラプラスの魔』と呼ばれる概念がある。
世界に存在する全ての原子の位置と運動量を知ることができるような知性が、もしも仮に存在すると仮定すれば、未来も過去と等しく予測が可能となるという概念である。
(不確定性理論の出現によって、現在は否定されている。)


リンクしていく情報が、次第に異形の怪物のような形を産み、やがて自我のごとき動きを始める。
無数の牙の生えた頭を持ち、おびただしい手足を振り上げ、同じ認識視野にいるイリアの意識に襲いかかる。
これこそが、佐全を形作るパーソナルデータの疑似体である。

攻撃的で、凶暴で、狡猾。
それでいながら、異様に同類の人種に、強烈なカリスマを与え、支配する。

イリアは、AI認識視野で己の手を広げ、まっ白な肌を晒し、凶暴な怪物を小ぶりな乳房で抱きとめ、激しい火花と、醜悪な汚濁の酸に焼かれ、悲鳴をこらえながら、怪物の正体を現していく。それは佐全を理解することであり、同時に、イリア自身の自我に危機的な被害を与えている。

それの牙は毒を含み、気が狂うような痛みを起こす。その爪は汚濁の酸で、凄まじい臭気と火傷を刻みつける。
AI認識視野でありながら、イリアの精神形態が焼けただれ、ひびを走らせ、幻想の痛みは現実と違い果てしなく続き、イリアを壊し続ける。

あまりに強烈な個性は、他者の意識にとって猛毒となる。
相手の意識や、個性を形成するパーソナルデータを、直接己の意識にリンクさせることは、コブラの巣穴に手を突っ込むより恐ろしい。
意識を犯され、揺さぶられ、場合によっては破壊されることすらある。

21世紀後半、意識のダイレクトリンクによる、感覚共有の実験は、おびただしい悲惨な結果を招き、タブーとして闇に葬られた。
ただ、準高度AIの創造された個性だけは、それに耐えることができる。
歪みや破壊を、メインフレームによる補正で、すぐに修復することができるからだ。

そしてイリアは、ダインコート4姉妹の中では、一番おとなしく、その分意識の柔軟性が極めて大きい。
相手を許容し、どこまでも受け入れる、優しく大らかな大地の女神のごとき精神の許容量が、相手を露わにしてしまう。


イリアの手の中に、グロテスクな獣が、ようやく抑え込まれた。

その意図するところが、『ラプラスの魔』の未来予測のように、ゆっくりと明確にされていく。



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東京湾の巨大な倉庫に、おびただしい殺気が渦巻いていた。
凶暴な200名の男たちと、冷たい銃器の油のにおい。

「ぐふふふふ・・・・」

獰猛な獣が、舌なめずりをするような、くぐもった笑い声がする。
共頭佐全が、楽しげに、毒々しい笑いを浮かべていた。

日露の開戦は、佐全のような悪党にとって、最高のシチュエーションだ。
それまで猫かぶりにかぶっていた、社会主義者の衣すら脱ぎ棄て、己の欲望をむき出しにする。
今や、協力者はいくらでもいる。

佐全の闇のコネクションに、戦時にあくどく儲けたい者、勢力を拡大したい者、騒乱を起こしたい者等が群がる。
そして諜報機関が、壊滅状態に追い込まれている諸外国公使館は、すがらんばかりに佐全に接触してくる。

日本がひっくり返った時、ピラニアのように群がり、一番おいしいところをかっさらいたいと、誰もが必死だ。

先日の大型飛行船や、双胴式飛行艇の出現で、諸外国は混乱していた。

万一、戦争が長引き、ロシアが戦争国債の支払いを渋るようなことになれば、その被害は目も当てられない。
(もちろん、ロシアが負けるなどとは考えてもいないが。)
各国公使館や、関連のある企業は、佐全が内心あきれるほど、積極的に金やその他で協力してきた。
大英帝国は、カバン一杯の金貨を渡し、米国は清国から『毛』の送り込んできた人材を運び、武器を格安で提供し、オーストラリアにいたっては、移動用の船まで提供してきた。

「やりてえ放題だぜぇ。」

人が死ぬ、町が燃える、国が滅びる。
女子供が襲われ、無残に殺され、悲鳴と怒号が渦巻き、阿鼻叫喚の光景が広がる。
それこそが、佐全の最高の至福。朝鮮半島で直面した、滅びの光景が、背筋を走る。
この国を滅ぼしたいという、どす黒い望みに、最高に勃起していた。




ジリリリリリリ
黒い電話機が、甲高い音をたてた。


江戸時代、人口密集度が世界最高だった江戸は、火災も異常に多かった。
木と紙の安い長屋は、簡単に火事が広がる。
それに、秋から冬にかけて、関東平野は乾いた北風が吹きやすく、火災を助長するのである。

「第一班、用意にかからせろ。」

琵琶湖から連絡を受けた佐全は、即座に命令した。

第一班のグループが、東京の北にある本妙寺(明暦の大火の火元)へ向かった。
このグループは少人数で軽装だが、放火用の油や火種を多数持っている。

放火犯は例外無く愉快犯であり、火の魔力に囚われている。
グルーブの全員が、放火の前科があり、火を放ちだしたら、狂ったように駆け回るだろう。
十分な金を持たせ、火をつけるだけつけたら、散り逃げるように言い渡してあるが、おそらく捕まるまで放火を続けるに違いない。


明暦の大火は、別名『振袖火事』とも言われ、世界三大火事にも上げられた、江戸最悪の火災だ。
江戸城を含む市街の六割を焼き、死者は10万とも言われている。

すでに秋に入り、好天が続き、北からの風がふきはじめている。
本妙寺のある地域は、東京という都市の鬼門とも言うべき場所であり、火災が最も警戒される位置にある。
ここから、広範囲に火をつけ、風に乗せて大きな火災を引き起こす。
最悪、東京は火の海となり、警察、消防、軍はそれに手いっぱいになる。

加えて、各国公使館には、ある申し合わせが通達されている。
『万一、大火がおこった場合、各国公使は共同で救援を求める事』

これは、東京で申し合わせたものではない。
もし、東京で公使が会合し、こんな申し合わせをしていれば、日本国も警戒する。
これは上海租界にいる各国大使たちが、ロシアの音頭とりで秘密裏に会合を行い、日本の各公使館はその通達を受けただけである。
あくまで、大使たちの人道的な緊急措置という超法規的解釈(いわゆる『現場の判断』)になっているのがいやらしい。
本国は知らぬ存ぜぬ、大使が勝手にやったことというタテマエである。

その背後には、佐全と深く関わった、ロシアの社会主義的テロリストたちの暗躍があった。
ただし制約もあり、戦争とともに公使が出国したロシアを除く、アメリカ、大英帝国、フランス、ドイツ、オランダ、清国の3つ以上の公使館が危なくなった場合に発動する。

万一これが実行されれば、日本は終わりだ。
日露の戦争の最中に、各国の軍船が共同で『救助活動』の名の下に、東京湾へ乗り込んできかねない。
静止すれば、世界的な国際非難は避けられず、各国が共闘して乗り込んでくる口実になる。
静止できなければ、日本は清国の末路、義和団の乱の二の舞になる。

この時代、公使の救助活動と、他国への征服、略奪、暴行、強姦は矛盾しない。
義和団の乱の鎮圧『後』に、連合軍の各国兵士は平然と北京と紫禁城を襲っている。
各国公使保護と治安回復の名目で、主都も皇居も征圧され、東京は清国同様の租界と化すこともあり得る。


第二班も、動き出した。

このグループは人数も130名以上、かなりの重武装で、帝国重工本社周辺の小学校近くに、盗んだトラックで乗り付け、子供たちを誘拐する。
そのまま帝国本社へ向かい、トラックに子供を縛りつけ、盾にして突入する。

東京が早朝の火災で大騒動になり、混乱しているうちに、行動させるのだ。
この計画は、夜の闇より、朝の喧噪を狙い、大量の人間が移動することを自然に見せかける。
何より、人は都市部に朝から集まってくる。明暦の大火も昼間の火事であり、それ故に大勢の人間が巻き込まれた。

そして、誘拐、突入、本社の内部混乱こそ本当の狙いだ。

突入を終えれば、ガキは放っておき、帝国の内部を、壊し、放火し、爆薬を投げ、徹底的に破壊するよう命令している。
子供をさらう事には、抵抗を感じる者もいたが、『突入後はガキは放っておけ』という命令に、ほっとした顔をした。
佐全に言わせれば、子供を助け出す人手が必要な分、突入組を迎え撃つ戦力は減るというだけだが、ほっとした連中は、その分存分に暴れ狂うだろうとまで計算に入れている。


そして、最終グループは40名ほどだが、もっとも武装が多く、えり抜きの腕利きをそろえている。
本社から逃げ出してきた最高責任者の高野やその他を襲撃し、捕えるか殺すかするのだ。

企業の最強の武器は人だ、同時に弱点も人だ。

帝国重工を機能マヒに追い込むには、中核となる人間を、抑えるか殺せばいい。
本社という要塞から、その人間たちを追い出すのが、最終的な目的なのである。
運良く捕える事ができれば、拷問にかけて重工の機密を徹底的に絞りだせる。

そして、帝国重工がマヒすれば、日本帝国軍もまた、脳卒中にあったように身動きが取れなくなる。
戦争の最中に、中枢がマヒすれば、勝敗は明らかだ。
あとは『やりたい放題』だろう。


ギャハハハハハハハ・・・・

最終グループがではらった、大型の倉庫の闇の中で、あらゆるものを呪い、恨み、焼き滅ぼそうとする佐全の奇怪な高笑いが、耳触りに響いて行った。
次の話
前の話