■ EXIT
ダインコートのルージュ・その21


≪闇の争い:6≫


「ふうっ…第二段階は終わったわね。」

イリナは、少しだけ悲しげな視線を、凄惨な画面に向け、息を吐いた。
琵琶湖の湖面は、血に彩られ、無数の死体が浮いていた。

普段は、虫を殺すことも嫌がるほど、優しい娘であり、子供たちを愛し、母性の化身のような優しさを見せるイリナだが、いざ戦場となると、情動抑止プログラムにより、感情の起伏は、小さく制限される。

二十一世紀後半、彼女たち準高度AIの娘たちは、『戦争をするため』に作られた。
そのための機能である。


当時の左系の文化人や、有識者は、準高度AIによる戦闘擬体の作成計画に、もろ手を挙げて賛成した。

最後まで日本の参戦に抵抗し、戦争が始まっても、徹底的に邪魔を続けた、社会・共産主義系の政党は、これまた喜んで賛成した。

『国防は出来るだけ、機械任せにする方がいい』
『日本人が銃器を取る事は、絶対避けねばならない』

また、 『いざとなれば命令一つで、相手の国と戦えないようにできる』
という、どす黒い期待と計画も秘めていた。

だが『人を殺すのは武器ではない、それを使う人間である』という言葉がある。

武器を持たせて敵を殺すのも、無抵抗にして味方を殺すのも、同じ殺人であり、悲しいAIの娘たちに人殺しをさせるのが、全て自分たちが殺すのと同じだと、最後まで気づく事は無かった。

むしろ、彼女たちを育て、感情を持たせた高野司令こそ、その罪を理解し、己が背負う事を覚悟した男の中の男だと言える。




イリナの言う『段階』の第一は、佐全の正体の確認と、プロファイル作成を言う。

そして第二は、プロファイルによる予測から、佐全が陽動として行うであろう、佐全の情報追跡で起こる琵琶湖での戦闘の制圧。

佐全は、かなりの規模の捨て駒を使い、琵琶湖に布陣をさせて、帝国重工の戦力をそちらへひきつける計画を立てた。

妙采尼が死んだ今、帝国重工は機動力を生かして、佐全の追撃を行うと読み、同時に、佐全本人は本当の目的へ移動する。

もし万一、琵琶湖での佐全への追跡が無かったなら?。
捨て駒の部隊は、そのまま琵琶湖を船で移動し、沿岸部の大津や堅田、近くの京都など、都市にある帝国重工の支社を狙い、大きな騒動を引き起こしていただろう。

おそらく、佐全はその動向をうかがい、チャンスを狙っているはずだ。


“イリアプロファイル”は語る。
おそらく、佐全の本当の目的は『帝国重工本社』。




−−−琵琶湖の乱戦の一週間前−−−



「ちっ、しけてやがんな。」

坊主頭としわの多い顔に、凶暴な不機嫌をあらわし、ずらりと並ぶ60名近い男たちの中を、のし歩く。


日本海側の各地で、佐全が声をかけておいた、悪党のボスどもが、送ってきた手下である。
手下といっても、それなりの手だれぞろいのようだ。

ゴスッ、ガスッ

「ぎゃっ!」
「うががっ!」

固いつま先が、その辺のスネやひざを蹴り、恐ろしく痛い一撃に、凶暴そうな男たちが悲鳴を上げて転がる。

「見かけ倒しが。」

どの顔も、傷や歪みがあり、いかにも凶暴そうでありながら、佐全に蹴り飛ばされると、まるで小僧のようにひっくり返り、怯えた目をした。

前もって構えていた者すら、簡単に蹴り転がされ、その薄っぺらさを表してしまう。
一撃で上下関係がはっきりし、転がされた連中は、自分の情けなさに頭を下げた。
逃げるような者は、そもそも相手にすらされない。

ボクッ

佐全の拳が、一人巨漢を殴った。

さほど大柄ではない佐全だが、その一撃は目が白く明滅するほど痛い。

「てめえはちったあましだ。」

濃い肌をした巨漢は、殴られたというのに、奇妙な喜悦に表情を緩ませる。
背筋が震えるほど嬉しさを感じていた。
その男の他にも、5人殴られ、表情が激変するほど歓喜する。


「人の一人や二人、殺してねえで男を名乗るんじゃねえ。
 今殴られた奴、人の殺し方を教えてやれ。」


佐全は、人を殺した事がある者だけを、的確に見抜いている。
そいつらが、小グループのリーダーとなる。

ふと、隅にひざを抱えてうずくまる、小柄な男を見つけた。

「ほお…」

初めて佐全がにやりと笑った。

小柄で気弱そうな男が、佐全の方を見た。
無害そうに見えながら、その目に狂気がある。

『いるじゃねえか、見所があるやつが。』

ずかずかと近寄り、じろっと目をのぞきこむ。

「てめえ、親を殺したな。5、6人は殺したな。」

小さく、嬉しそうに、たたえるように、おぞましい言葉を吐いた。
とたんに、小男のおびえたような顔が、喜悦に染まる。

「ちょっとこい。」

腹に響くような声に、小男が立ち上がる。

「待って下さいよ、佐全さん。」

先ほど蹴飛ばされた一人が、不服そうに言う。
佐全の気に入った風な口調が、気に食わない。
弱っちそうなのが、自分より気に入られているのが、むかつく。

「こんなチビが、何だってんで、うごあっ!」

歯をむき出した小男が、袖口から鋭く光るノミを出し、
瞬時にアバラの下をえぐりあげた。

「チビが、なんだって、ええ?。ギャハハハハ。」

笑いながら、白目を剥く相手の腹をこねくりまわした。


「おい、そうじしとけよ。」

佐全は楽しそうに歩きだした。



チンピラ達が、異様な熱気のまま琵琶湖での襲撃部隊となり、鬼姫たちに全滅させられることになる。

そして、佐全に呼ばれた小男が、琵琶湖の湖畔にある極道の親玉の別宅から、湖上の戦いを見張り、佐全に連絡を入れるのである。

この全滅はむしろ予測の範囲内であり、佐全にとっては手順の一つに過ぎない。




−−−琵琶湖の乱戦の二日前−−−


ザザザザ……ボオーッ、ボオーッ

オーストラリア船籍、中型貨物船ジョージ号。

貨物室の奥、その一角は天幕のようなものが張られ、かすかに明りが洩れている。

内部には、ペルシャ製らしい豪奢な絨毯と、毛布がしかれ、禿げた初老の男と、若い清国人らしい女が、激しくもつれ合っていた。

男の激しく一方的な動きに、女は白く整った顔を悦楽に歪ませ、身勝手な欲望を、甘えるように受け止め、白い指を男の背に食い込ませる。

激しい雄の欲望が、女の中に解き放たれると、甘える女をうるさそうにひきはがし、男は酒を注いだ。

邪険な扱いにも、女はむしろ嬉しそうに身を寄せて、細く吊りあがった目が、淫らに濡れている。

20ほどの、若く美しい女だが、その有様を見たら、彼女のいた黒社会(清国の裏社会)の暗殺結社『黒河』の連中は、見た物が信じられず、目を剥くだろう。

反政府組織、国民党は麻薬売買を禁じていて、扱うものは死刑にする。
その狩り出しに『黒河』を使っていた。麻薬売買を国民党が独占するためである。

だが『黒河』ですら、あまりの殺人狂に手に負えず、持て余していた殺戮チャイナドールがこの女“鮮紅花”だった。


女は、赤く濡れたような唇で、酒を飲む佐全の股間に潜り込み、その汚れた物を、口と舌で丁寧にぬぐい去る。

「打てるだけの手は打った。」

ぼそりと、しわの深い顔をゆがめ、独り言を言う佐全。
腐臭と、血と、憎悪がにじみ出るような顔で、にやりと笑う。

「仕上げをごろうじろだな。鮮紅花、ケツむけろ。」

「サゼンサマ、オノゾミノママニ。」

まるで初々しい小娘のように、頬を染めて、ぷりぷりした尻を向ける。

「まったく、変わっただぜ。」



最初、この国に上陸した時の鮮紅花は、この世全てに何の関心も無い、剃刀の刃そのもののような無表情だった。

象牙を切り込んだような、すべらかな白い肌に、鮮血を落としたような唇、吊り目で黒目がちの大きな瞳。
黒髪は頭部の両側部に丸くまとめられ、細い顎から首のラインは優美で美しく、細身で引き締まった体は、袖無しでスリットの深い赤のチャイナドレスをまとい、悠然と白く長い足をひらめかせている。
胸はなかなかの張りで、形が良く、チャイナドレスに強く突き出していた。
その容姿だけ見れば、絶世の美女と言っても不思議はない。

だが、その本質は、触れるものすべてを切り落とし、そぎ落とし、血まみれにしてしまう、何もかもあきあきしたような目の殺戮機械。


「毛が言ってた、殺戮人形ってのは、てめえか。」

佐全の厭らしい、粘つくような声とセリフに、同行していた3人の内、べん髪の巨漢と、小柄な猿のような男は、顔色を変えた。
もう一人は、頭巾をかぶり表情を見せない。

鮮紅花は、薬と針でボスとして決められた相手に絶対服従になっているが、それ以外は、下手に鮮紅花に、激しい感情や言葉を向けると、殺意の塊となって飛びかかっていく。

殺人マシンとなるよう、行われた手順のどこかにミスがあったらしく、どうしてもそれを止めることができなくなっていた。

その上、それ以外の素材と、殺人の技巧と教育は最高という、始末に負えぬ欠陥品である。
暴発を起こさないよう、耳が聞こえないふりをさせ、普段は筆談で会話を行うようにしていた。
佐全にもあらかじめ、そう連絡がされているはずだった。

だが、驚愕が巨漢と猿のような男を襲った。

「ハ、ハ、ハイ。鮮紅花デス。」

あの無情の殺戮人形が、目を潤ませ、へたへたと座り込むと、その足元にひざまずいたのである。

頬を赤く染め、まるで忠実な犬のように、見上げていた。

「ド、ドウシタヨ鮮紅花。」
「ナニカ、ヘンナモノタベタカ。」

普段の禁忌も忘れ、うっかり鮮紅花に声をかけた瞬間。

ジュキンッ

銀色の長い刃が、連中の首筋をひやりとさせた。
その刃は、鮮紅花の腰のベルトから抜かれ、首に絡みつかんばかりに触れている。

腰帯剣(ヤオダイジャン)と呼ばれる、暗器(隠し武器)の一つで、薄く鋭い、風でも揺れるような鋼の刃である。

「キサマラ、ナンノヨウダ。」

無表情ではなく、すでに殺したくてたまらない声。
血走った目が妖しい輝きを放っている、こうなったら、もう止まらない。

「サゼンサマ、殺シテイイデスカ。」

嬉しそうに佐全が笑った。

「いいぜ。」

ヒュンッ

恐ろしく薄く軽い刃は、一瞬引かれたかと思うと、
激しくしなうや、風を切って二人の首へ走った。

「イヒイイイイイッ!」
「止めろ。」

男たちが小便を漏らす。
首筋が刃に触れる直前、佐全が声をかけた。

ヒュイン!

鞭のように襲いかかった薄い青光りする刃が、ヒタリと薄紙一枚の差で止まる。
その瞬間、刃は長い剣のように、微動だにしない。

普通、腰帯剣は護身用のひ弱な武器で、剃刀のような鋭い刃で、手傷は負わせられても、致命傷はほとんど無理だ。
第一骨が切れない。

だが、暗器の天才である鮮紅花は、この武器で簡単に首を飛ばす。
それを、何度も目の前で見せられてきた二人は、本気で魂を飛ばしそうになった。

「ようし、よしよし。
 殺せと言ったら殺せ、止めろと言ったら止めろ。
 それがきっちりできるんなら、そばに置いてやる。」

鮮紅花には珍しく、殺しかけた相手の事などころっと忘れ、佐全にすり寄った。

男たちは、命が助かったことで腰が抜けた。



鮮紅花にとって、他の人間は全て、異なる動物。
オオカミがウサギを狩るように、言わば、他の人間は全て餌であるという、捕食者の精神を持っていた。
『殺スノハアタリマエダ』
しかも、始末に悪いことに、格闘技、暗器、暗殺の腕は恐ろしいほどの才能がある。

針と薬によるロボトミー(脳改造)は、とんでもないミスをしでかしたものだ。


だが、佐全に合った瞬間、彼女は理解した。
この世で初めて遭遇する『同類の男』であると。
それゆえ、彼女は生まれて初めて、猛烈に欲情した。
世界にただ一匹という、孤独に乾いていた鮮紅花に、殺意は起こりようが無い。

『黒河』の訓練で、女としての媚術やSEXの技法なども、徹底的に刻みこまれていたが、そんなものはどこかにぶっ飛んでしまい、鮮紅花は佐全の女になった。


船は横浜を周り、東京湾に入っていく。

べん髪男と、サルのような小男に、琵琶湖での計画を任せ、佐全の本当の狙いは東京にあった。

「サゼンサマ、オタズネシテヨロシイデスカ?」

ようやく落ち着いた身体を、ゆったりと横たえ、たくましい胸にすがりながら、恐る恐る鮮紅花が尋ねた。

『あの二人に、何も無かったらどうするのか?。』
琵琶湖にかなり大規模な戦力を集め、殲滅戦を仕掛けるのはいいが、それが空振りになったら無駄ではないのかということだ。
鮮紅花の問いに、ケッとせせら笑う。

「あのキ○ガイども(帝国重工)が、あれすら見逃すようなら、苦労しねえ。」

佐全に言われては、帝国重工は立つ瀬が無いと怒るだろうが、重工の装備、諜報、技術、どれも佐全にはキ○ガイじみて見える。

佐全はあれが成功するとは考えていない。
むしろ、全滅して当然だろう。

だが、連中は企業体である。
無駄に兵力を用意しているとは思えない。

そして調べたところ、帝国軍に武器や技術の一部は供与しているが、国の軍や警察の組織を、帝国重工の中に組み入れる事はしていない。

それならば、琵琶湖に戦力を向けている間、東京は手薄になるはずだ。

妙采寺の存在を知り、その背景につながる帝国重工のバケモノぶりを再確認した佐全は、帝国重工そのものがこの国の弱点になると結論づけた。

ならば、企業は企業の弱点がある、それを突けばいい。


どす黒い、邪悪な笑いは、鮮紅花をうっとりと酔いしれさせる。

暗黒街の住人たちも、麻薬にしびれるように、次々とひきつけられ、佐全に協力していた。

悪には悪が、その黒い輝きに、引き寄せられ、虜と為していくのである。



その夜、佐全の命を受けた数十組のグループが、東京周辺の村や町に現れた。
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