■ EXIT
ダインコートのルージュ・その21


≪闇の争い:2≫




その日、一人の女性が荼毘に付された。

丸太を縦横に3段に並べ、中央に白い布を巻いた遺体を置き、
周りに薪を積み、火がかけられた。

「尊者善実・尊者具足・尊者牛王・尊者大号……」


風が渦を巻き、静かな経を唱える声が、陰々と響き渡る。
経を唱えるのは、17名の白い頭巾姿の尼僧たち。

口元も白布で覆い、目だけを出し、墨色の衣を来た尼僧たちは、
目元が非常に美しいだけに、異様な迫力があった。

ゴオッ

炎が、経に応えるかのように激しく燃え上がった。
まるで巨大な鶴が飛び立つかのような、激しい炎だった。

『楓……』

妙采尼の声無き叫びが、炎に吸い込まれる。
妹同然に育った楓の魂が、今飛び立ったのだと信じて。




妙采尼は、楓の他にあと二人と、先々代の妙采尼総帥に育てられた。

その二人は、彼女のすぐ後ろにいる。
『鬼姫』の別名を持つ妙采尼。旧名『花梨(かりん)』
『氷女』の別名を持つ妙采尼。旧名『木瓜(ぼけ)』

花梨の肩はかすかに震え、木瓜の小さな顎はひしと食いしばられていた。

妙采尼の目が、二人を見た。
言葉は不要なほど、その目が雄弁に語る。
『かたきは、必ず。』

『殺してくれと泣き叫ぶまで。』
花梨が凶暴に目を光らせる。

『帝国は?』
木瓜が、帝国重工の力を借りるかどうか、
そしてそれに対価があるかどうか、視線で尋ねる。

いかに秘事を分かち合ったとはいえ、事は命がけの戦いであり、
相手が納得しなければ、計画も連携もあり得ない。

『使える物は何でも使う。対価は向こうが望むものを。』

楓の遺骸(なきがら)を見た時、妙采尼はそこまで決意していた。

『命を差し出せというなら、喜んで差し出そう。
 この身を売れというなら、喜んで売ろう。
 その代り、楓を殺したやつは、八つ裂きにする。』

全員、その視線にうなづいていた。
彼女たちにとって、心は共有するモノであり、
肉体は、それぞれが己の一部である。

それが『妙采尼』という存在だった。


そして、妙采寺から人の気配が消えた。









「妙采尼さんからの申し出、受理します。」

“さゆり”嬢は、イリナからの申請に、GOサインをだした。



日本国内で執拗に暗躍する、反政府組織は、
大きく分けるとロシア系、イギリス系、アメリカ系の3系統になる。

日本国内の元来の不満分子は、日本国の政策と、帝国重工の巧妙な作戦で、
ほぼ勢力を失っている。

残っているのは、植民地を接し、清国の権益を狙う三大国につながりのある者ばかり。

中でもロシア系は、元朝鮮半島を占拠したことから、距離が近く、
同時に大国ゆえの内患、反政府勢力が強大化しつつあり、
帝国重工の科学技術や兵器製造能力に、ロシア政府も、反政府勢力も、
双方よだれを垂らさんばかりにして、日本を狙っている。

そして、それと深いつながりを持ち、利用している厄介な相手『共頭佐全』がいる。

帝国重工や日本政府の調査ですら、正体がわからないこの男、
いわば蛇の頭のような立場であり、これを叩き潰さねば、
この戦時に、安心して戦うことができない。

だが、ロシア本国と戦争を始めた以上(佐全は、それも狙いのうちだろうが)、
国内に裂ける力は限られてくる。

佐全を捕えるため、力を貸してほしいという、妙采尼からの申し出は、
帝国重工としては、ありがたいものだった。

ただ、厄介だったのが、申し出の条件、

『帝国重工の力を借りる対価を提示していただきたい』

“さゆり”嬢は目を見張り、高野も思わずうなった。

『好意』と『協力』は違うのだ。

味方は時として、敵以上に厄介な事がある。
『好意』を無限大に期待するのは、愚か者のすること。
戦いの最中に味方が足を止めれば、戦線が維持できなくなる。
長い歴史の中で、妙采寺はそれを知りぬいている。

対価を決める以上、帝国重工はそれに見合った人、物資、エネルギーを用意せねばならない。
妙采寺はそれなりの戦力を持つ組織であり、その規模は小さいとは言えない。
それに『協力』の対価を提示するのは、かなりの冒険が必要になる。

帝国重工は企業体であり、
宇宙進出という、とほうもない目標に向けて、収支をマイナスにすることは許されない。
佐全を捕らえたからと言って、それに見合う利益が出るわけではないのだ。

帝国重工の度量を見せろ、と言われているようなものだった。

ここでイリナとリリスが共同研究していたあるプランがなければ、
帝国重工も即答は避けていただろう。
それは同時に、口ごもる帝国の態度に、妙采寺側の不審を芽生えさせ、
遠い未来では大きな分かれ道を作ったかもしれない。


後に妙采尼は、謎めいた笑みを浮かべ、帝国重工の素早い返答についてこう言っている。
「当意即妙、これ即ち人生と歴史そのものでございましょう。」


これは、返答を受けた妙采寺側の衝撃も物語る。
世界は、差し引き勘定や損得だけでは測れない事が、数多くある。

会計課が腰を抜かすほどの巨額の対価と、そのプランについて、
妙采尼は恐れ気も無く承諾したが、それについては、後日語ることとしたい。


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妙采寺が人の気配を絶って10日がたった。
不審がる村人たちが、しばしば固く閉ざされた門を見に来る。

昼過ぎ、編み笠をかぶった旅の僧が、門の前に立った。
誰もいない事が分かると、また余所へ向かった。

だが、僧侶は妙采寺から離れると、急に方向を変え、
まっすぐにある寺に入って行った。


「おかしいですね」

飛行船型の高高度無人探査機「ララミィ」(命名:ソフィア・ダインコート)の、
映像を見ながら、妙采尼の一人木瓜はつぶやいた。

この女性、『氷女(ひさめ)』という別名を持ち、
イリナのノートパソコンが見せる特殊な映像にも、眉一つ動かさなかった。

科学技術に異常な関心を持ち、イリナたちの発行している雑誌『先進科学』も、
毎号つぶさに読んでいる。それどころか、1年前に娼婦として帝国の娼館に入り、
半年間勤めた事があると聞き、イリナの方が、ひっくり返りそうになった。



「何がですか?」

イリナの疑問に、静かな美貌が向いた。
半眼のその顔つきには、一切の表情が無かった。
彼女の頭脳が回りだすと、表情が消えるのである。

「私ども妙采寺は、全ての宗派との縁を失っています。
 僧侶が、あの寺から派遣されたことは間違いないようですが、
 そもそも、他の寺が私どもに関心を持つこと自体、ありえないのです。」

妙采寺の奇妙な歴史は、同時に仏教界における禁忌の一つになっている。
それに下手に触れるのは、自ら恥をさらすようなものだ。

その寺は、ある宗派の傍系であり、かなり大きな寺だった。
上も下も色々なつながりがある。

「ちょっとまってくださいよ…、ああやっぱり。」

クレア・ウィプトン・松形という、
薄い茶色の豊かな髪に、そばかす美人の米系ハーフのオペレーターが、
データを拾い出した。

「そこは、電話を引いてます。おそらく連絡をそこからどこかへ入れるでしょう。」


電話の自動交換機も、すでに帝国重工が開発し終えているが、
なにしろ、まだ村に一台とか、都市部でも家10軒に1台程度。
無駄に高性能の交換機をぶち込むより、交換手の職場確保の方が優先される。

その意味では、寺で電話を引いているというのは、かなり珍しい。

「電話、交換台に来ました。接続先は……」

北陸にある大きな寺院だった。

「なるほど、そうきましたか…」

イリナがじっと目を光らせる。
接続先は、その寺の本流、宗派の極めて高い位に位置する寺院だった。
そして『共頭佐全』が大陸に渡るとき、その宗派に名を連ねている。

「寺のことは、寺にお任せいただけますか?」

木瓜が、小首をかしげるようにして訪ねた。
イリナがうなづくと、ようやく美しい笑みで返し、立ち上がった。

イリナもほっと、気が抜けた。
あの無表情な顔つきと、異様なまでの反応の速さは、どうにも落ち着かない。
まるでコンピューター相手に会話をしているような気分になる。

とまあ、自分が準高度AIであることは、スポーンと忘れているが。




尼僧が広報部を出ようとして、人とぶつかりそうになった。

「おっと、これは失礼。」

初老の好々爺といった感じだが、技術幕僚の真田忠道准将(さなだ ただみち)
気さくな笑みを浮かべ、さっと身をかわす。
肌のつやも良く、身のこなしは30台の元気さだ。

「あら、真田様。お久しゅうございます。」

美しい尼僧に、懐かしげな声をかけられ、真田はきょとんとした。

「はて、どちら様だったでしょうか?」 『いやしかし、私の名を呼んだよな…』

真田の抜群の記憶力でも、尼僧に知り合いは思い出せない。

「うふふふ」

妖しく笑った尼僧が、すっと顔を下げた。

白い頭巾が外れると、長い黒髪がゆらりと踊る。
伸びあがるように身を起こすと、急に背が5センチは伸びた。

キッチリ着こんでいた僧服が、ふわりと緩み、首元胸元が白く広がる。
押さえていた胸が、『ボン!』と急に激しく自己主張を展開する。

目元に、紅が薄くアイシャドウのように塗られ、
一瞬にして妖艶な雰囲気の美女が現れる。
墨色の衣が、むしろ妖しい強烈な色気まで発散していた。

赤い和笠をさした彼女と、桜吹雪の中を歩いた思い出が鮮やかによみがえる。

「あ・あ・あ、愛紗?!」

どうやら、娼婦の時の源氏名らしい。

「ごめんなさいね、突然辞めたりして。」

「おまえ、尼さんになったのか。」

思わず手を握り、目を白黒させる真田。

「いえ、元々尼僧なのですよ。」

普段、技術武官としては、クールで熱い男の真田氏だが、
今日ばかりは顎が外れたかと思うほど、あんぐりと口をあけた。

その生々しい会話と、肉体の接近度合い、見つめあう目線の色、
二人の関係がどうだったか、分からない方が不思議だろう。

まあ実際、真田の若さはいろんな意味で驚異的で、
いい年してマスター(達人)クラスのゲーマーであり、
常人なら、手引書と首っ引きで1年はかかる超巨大都市開発ソフト
『CXXcity-maximum』(最高難易度)を、1ヶ月で制覇している。

台湾副総督後藤新平とは、肝胆相照らす飲み友達で、
居酒屋で大騒ぎしながら、飲み歩いているのを、
警備関係者が、青ざめて探しまくる事も何度かあった。

もっとも、後藤の上司にして台湾総督の児玉源太郎までそろってしまうと、
『暴れん坊三将軍』とまで恐れられるドンチャン騒ぎをやらかし、
手がつけられないと、警備関係者を嘆かせたのは有名な話だ。

今さら、孫ぐらいの女性と遊んでいたからといって、誰も不思議がらないだろう。


「真田さん、いくらなんでも尼僧様となんて……」

イリナがジト目でにらみ、おどろおどろしい声を上げる。
広報部の女性陣もあきれたような目で見ている。

「ご、誤解だああああっ!!」

何が誤解なのか、真田本人も良くわからないが、
それこそゆでダコ並みに真っ赤になった顔に、全員必死に笑いをこらえた。

「愛紗あああ、おまえからも何とか言ってくれよおおっ」

「あらん、今更何をおっしゃいますの。男女の姫事は、明かすものではありませんわよ。」

その実、彼女もノリノリでからかいに参加する。
普段、悠然と見えるだけに、からかうと面白いのが真田の味というか、何というか。

ついに、我慢が切れたイリナが、女子社員達がどっと笑った。

ようやく真田もからかわれていた事に気付いた。

「お、おまえらなあ…」

だが、汗までかいている赤い顔を、白い手がひやりと包んだ。

「うふ、相変わらず可愛い方。」

柔らかな甘い果実が、怒りかけた真田の唇を塞ぎ、思いっきり絡み合わせ、
唇がちぎれそうなほど激しく白い歯が噛み、舌が別の生き物のように交わり吸い出され、
唇の間を、蛇の絡み合うようにくねりあわされる。
激しい交わりの記憶が、唇に再現され、真田の身体をエクスタシーが突き抜ける。

呼吸困難と、脳の沸騰、蕩けるような甘美の三段攻撃に、
男の本能が狂猛し、真田の目が白く弾けた。

完全にのぼせた真田が、ひっくり返り、ソファにころがった。

「あらあらあら、ちょっと刺激が強すぎたかしら。」

「うわ〜〜〜、キスだけで男性を落とすなんて、初めてみました…。」
さすがのイリナもちょっと経験が無い。

「あらん、真田さんったら、元気なんだからぁ。」

子猫がじゃれるような声に、イリナも他の女子社員達も真っ赤になる。
どうやら、娼婦愛紗になると、性格までぶっ飛んでしまうらしい。

「ちょっ、だめ、だめですよおっ、ここじゃあああっ!。」

真田の股間にたわむれる彼女を、必死にひきはがし、急いで真田を医務室へ運んだが、
彼の名誉のために、タンカには、なぜか毛布が沢山かけられていたそうである。
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