■ EXIT
ダインコートのルージュ・その20


≪日露戦の裏で≫


「部長は、モカブレンド。」

コポコポとサイフォンが沸き立つ。

「葉子さんと松谷君は、玄米茶濃い目。」

イリナの白い手が、急須と湯のみにお湯を入れ、
一流のバーテンダー顔負けの手際で、適量の茶葉をきっちり分ける。

「カレンはコーヒーでいいって言ってたけど、
 最近カフェイン多くなってるしなあ…ミルクティにしましょ。」

うふ、と魅力的な笑顔とふっくらした唇を動かし、
ミルクをさっと沸かす。

他にも、色々好みに合わせた飲み物が、次々とスタンバイする。

サイフォンを下りてきたコーヒーが、伊万里焼のカップに満たされ、
大ぶりの湯飲み二つが、深い香りを立ち上らせ、
優雅なティーカップが、甘いミルクと紅茶を交わらせる。

その合間に、ミルクの小鍋がささっと洗われ、
茶葉が捨てられ、ティーポットとコーヒーフラスコが保温カバーをかけられる。


人の出入りが多く、忙しい広報部は、お茶は各人で確保するのが原則だが、
まれに、部内会議などでみんなで取ることもある。
で、一番人気が高いのがイリナのお茶だ。


手際の良さと、入れ方の上手さでは、余人の追随を許さない。
しかも、各人の好みや状態をよく覚えていて、それに合いそうな飲み物を用意してくれる。

現在、日本とロシアの間で戦争が起こっている。
海戦で双方に相当な被害が出ていて、佐世保などは焼け野原にされた。

イリナはもちろん、戦争は嫌いだ。
被災した人たちや、戦死した軍人たちを思うと胸が痛む。
だけど、降りかかってくる火の粉は、吹き飛ばして徹底的に消さねばならない。
戦う以上、半端なことでは許されない。

そのためにも、みんなに明るく、力をつけてもらいたかった。
『一杯のささやかなお茶でも、みんなのためになれますように。』
その心が、彼女のお茶をとてつもなく高めていた。

彼女の料理もそうだが、お茶に撃墜された男性も、記録更新中である。


そしてもう一つ。

「ほお、今日はブラックのレイヤード(重ね)かい、良く似合ってるよ。」

部長であり、ボーイフレンドでもある風霧のほめ言葉に、ちょっと嬉しそうなイリナ。

イリナは、広報部の他に“開放派”と呼ばれる、
女性が女性による大胆な美を世に広めようという派閥にいる。

取材や公的な行事などではシックな服を着るが、
取材などの無い日の広報部内の服装は、かなり大胆な服を着ることがある。
彼女の服装を見たら、この時代のファッション雑誌はよだれを流して飛びつき、
センセーショナルに報道しまくるだろう。

上着は薄い七分そでのシックな黒で、柔らかな布地に腿までの長さ、
首元を大きく開き、胸の前で銀のシンプルな留め金で一か所だけ止め、前開きである。
下は黒と淡いイエローの大胆なジオメトリック柄で、腿の付け根近いミニのワンピース。

前のスリットから、きれいな生足がにゅっと伸びるのは、見ていてドキッとする。

思わず鼻の下が伸びそうなのを、どうにか堪え、風霧は恋人の美しい姿に見惚れた。
もちろん、彼女の美しい姿を見て、元気になる男性は数知れない。
ただ同時に、これからも彼女に撃墜されるであろう、ライバルの多さに悩ましい気分でもあった。




姉のソフィアと妹イリアも来ていて、
ソフィアは香り高いダージリンストレート、
イリアは甘いホットチョコである。

ソフィアは相変わらずの白衣に、黒の網タイツという、ある意味最悪の組み合わせ。
イリアは、クリーム色の愛らしいスーツ姿。

もっとも、ソフィアが白衣を脱ぐと、
ボディコンシャスな、パープルのベアトップ。
白い肩むき出しで、乳房から腰までだけを覆う、超ミニワンピースである。
伸縮性ボディ密着型で、キュッと締め付ける服は、
その見事なナイスバディを、むき出しにする凶悪さだ。

おかげで帝国重工内では、白衣を脱ぐのは厳禁とされている。

「やれやれ、遅くなってしまったな。イリナ、ブラジル濃いやつたのむ。」

カツカツと、足音高く長女シーナが入ってきて、
『姉さん』と言おうとしたイリナの唇が凍りついた。


一瞬、パリ・コレクション最新スタイルを決めたスポットライトが、目の前に見えた。
それもおそらく、前衛主義かどうかで大論争を起こしそうな。


身長180の長身に、クールな美貌の長女のシーナは、
ファッションモデルに立てば、世界制覇確実のトップモデルになれるが、
普段は、迷彩柄や黒ミリタリー系の武骨な服装に身を包み、もったいないことはなはだしい。


しかし今日は……、
しなやかな細い腰に、3段に白いフリルのついた黒のミニスカートを、
ズボン吊りのような細いベルトで、肩から止めている。

なぜそれが分かるのかと言うと、『それを隠すものが無い』からである。

むき出しの白い肌がまぶしい。

細いくびれ切ったウェストは、あまりに美しく、
黒ベルトの間で、愛らしいへそが欲望をあおるように息づいている。

黒く細いベルトは、真っ白な素肌の上を、切り取ったように伸びる。

前を止めていない極端に短い、袖なし黒ラメのジャケットが、
かろうじて肩と豊満な胸を隠してはいる。
だが、『下は何も着ていないのっ?!。』

驚愕したイリナの青い目に、エアロビック用らしい乳房ぎりぎり下までの、
密着型伸縮性抜群、極薄のセパレートレオタード上だけが、ようやく見えた。
しかもわずかにクリームかかった白!。

白人種であるダインコート姉妹は、全員抜けるように白い肌だ。
その上巨乳でノーブラのシーナが、こんな服(?)を着たら、誰でも誤解するだろう。


とどめに巨乳の上にななめ書き「target」の黒い文字。

長い脚線美の極致のような細身の足は、
極薄で透ける黒のロングソックスと、白レースをつけた黒ガーターベルト。

スカートの“極限”ミニが、ガーターと黒レースの下着を、
わざと見せているようにしか見えない。

広報部は、あまりのエロスと凶悪さに凍りついた。


「あ、あ〜〜〜〜っ!。それあたしの上下!!」


ソフィアが悲鳴を上げた。
身長差、実に15センチ、サイズが合わないはずだ。

「おお、そうだったか。いや急いで着替えを探したんだが、
 つい急いでいたものだから、すまない。」

その上どこから持ってきたのか、白い艦長帽までかぶっている
もちろん、足は黒のハイヒールブーツ。

このまま鞭を持たせたら、誰かを踏みつけた大人のいけないショーの主役を張れること、間違いなしである。



ソフィアの悲鳴で、ようやく呪縛が解けたのか、
急に広報部がにぎやかになる。

「と、とにかく姉さん、着替えを〜〜。」
「もう時間がぎりぎりだぞ、みなさんを待たすわけにはいくまい。」
「あ、あたしのまだ着てないおニューなのにぃぃ、」
「あわあわあわ、と、とにかくおち、おち、おちゅちゅきまそうっ!、
 あうっ噛んじゃった…」

まあ、一部パニックもあるようだが、
やれやれそれじゃ、とソフィアがその場でスカートを脱ぎかけ、
本気でイリナとイリアが悲鳴を上げ、他の部局や警備員が何事かとやってきて、
全員必死に事態収拾へと動いた。

実際、男性たちにも、本気で心臓に悪い光景だったらしく、
風霧はイリナに睨みつけられ、
他の男性たちも、鼻を抑えたり、首をたたいたり、前かがみになったりと、
色々苦労したようである。


ようやくイリナがお茶をいれなおし、
みんな疲れた表情で席に戻った(シーナを除いて)。

「えーと、なんでしたっけこの会合…?」

イリナが首をひねり、風霧がようやく本題を思い出す。

「ああ、そうだった。帝国議会の大沢グループの件だ。」
「そういえばそうでした、クーデターの可能性もありましたねー。」

風霧の言葉に、イリアが天気の話のようなのほほんとした答えを言うが、
あまりにのんきな口調に、シーナが首をひねった。
ちなみに今は、首から下に引っぺがしたカーテンを巻きつけさせられている。
あの恰好で、足など組まれたら、男性たちはとても会議にならない。

「私の聞き違いでなければ、クーデターの可能性とか言わなかったか?。」

「そうですよー姉様、まだ可能性の段階です。」

「なんだ、つまらん。」

彼女たちの会話を聞いていると、
クーデターより、スカートの所有権の問題のほうが、よっぽど深刻な気がしてくる…。




現在、ロシアが一方的に殴りかかるような開戦で、日露戦争が勃発。
激しい戦いと少なからぬ被害の情報が、日本の国内に流れている。

それも佐世保海戦のように、一般庶民でも多くの情報を、
目の前に見せつけられるとなれば、
どうしても『流言飛語』は避けられない。


『日本の戦艦は、半分以上が海の藻屑にされたそうじゃ』
『佐世保は火の海になって、10万人近い市民が死んだとか』
『外国の戦艦がくるなら、山奥に逃げた方がええぞ』


『うわさ』は根も葉もない怪物となって、人々の口の間を飛び交っていく。

その上、ロシアに攻め込まれた形になったため、
どうしても受け身になる。
敵ロシアの領土は広く、首都は地球の反対側に近い。
日本は肉弾戦なのに、ロシアは敵陣の要塞の中から砲撃してくるような感覚だ。

これで、日本に有利と考えるものがいたとしたら、
よほどの変人と思われるだろう。

日本政府と帝国重工は、慎重に、しかし最大限正確な情報を流すよう、
丁寧に細やかな配慮を行った。

下手に情報を抑え込むと、流言飛語はどこまで変質するか、知れたものではないからだ。
それは、常に騒動や混乱の種となる。

帝国重工広報部の手腕はさすがで、今のところ混乱はほとんど起きていない。

しかし、執拗に、執拗に、とこからともなく、悪意に満ちたささやきが出てくる。


『不安』
『苛立ち』
『現政権への不審』


イリナたちはその流れを疑問視し、さらに綿密な調査を行った。
そして疑問が確信に変わる。

『間違いないわ、この噂は国家の上層部から流れてきている。』

通常、流言飛語は社会の下層部から、無知と情報不足の闇に湧きおこる。
だが、今回は逆だ。
社会の上の方、それも、帝国議会の周囲から漏れ出てきていた。

もし、政府と帝国の丁寧な報道と情報操作、治安維持活動、
そして日本人の識字率の高さによる情報確認能力が無かったら、
社会不安や暴動などが、次々と発生していただろう。

それをあおろうとしていた人間も何人か逮捕されていて、
しかも、不自然に組織化されている事が分かっていた。

意外だが、一般の若者たちは、大国ロシアが喧嘩を売ってきた事に
『自分たちは同じリングに上がっているのだ』と、
ある種の誇りと矜持を抱いていて、ほとんど扇動に乗らず落ち着いていた。




帝国議会の中に、
『このまま戦争を続けていいのか?』
と、疑問を上げる一派がいても、不思議ではない。


だが、その勢力がひそかに、そして急激に拡大し始めていた。

帝国議会は、貴族院と衆議院の二院制だが、
簡単にいえば、天皇が大権を持ち、それを承認する、意見を言うというのが議会のあり方。

貴族院の方が、皇族(まず出席しないが)、華族、勅選議員や高額納税者等で、
衆議院より権力は強い。


貴族院議員で、現体制に批判的な大沢次郎がフィクサー(後ろ盾)となり、資金その他を提供。

やはり貴族院議員だが若手の鳩胸次郎が、江戸幕府大老酒井家の血筋という七光りで、
代表として、勢力をまとめる。

こうして後世における『派閥』の原型とも言えるグループを作っていた。

彼らは、戦争容認派の議員たちを、こっそりと引き込み始めていた。
それどころか、帝国軍の一部までも抱き込みを開始する。

陸軍の、前野参謀の能力と問題の多い人格に目をつけ、引き入れる。

ロシアとの停戦と和解(すなわち条件付き降伏)、
帝国重工の解散、財産の国家総分配、帝国軍による国防軍の接収などという、
呆れた計画を、本気で話し合っていた。

議会を武力で抑え、陛下に意見を申し上げて同意していただき、
大権の元、議会を再編するという、内容はほとんどクーデターに近い。




その日の場所は、鳩胸の親族が所有する、高級料亭華月の二階座敷。

「だいたい、あの帝国重工というのは、信用できるのかね。
 外国人まで多用し、しかもどれだけ金を貯め込んでいるか、見当もつかぬ。」

大沢次郎が、杯を傾けながら、あくの強い悪党面で眠そうな目を、ギョロつかせる。

「私も、それは懸念しているところであります。
 日露の開戦にしても、はたして本当に勝ち目があるのか、
 あるいは、最初から日露開戦に持ち込もうとしていたのではないか?と。」

前野参謀は、神経質そうな細面に、吊りあがった目の酷薄そうな表情で、
帝国重工へ言われの無い不審を強く抱いている、頑迷不毛な軍国主義者である。
そのくせ、国防軍の装備は無駄で不要、帝国軍に全て任せるべきと、常々口にしていた。
『素人が高級なおもちゃを持つべきではない』と。

要するに、国防軍の装備や資材に、凄まじい嫉妬を抱いているのだ。


「どういう意味かね?」

「このまま戦争がロシアの勝ちとなれば、
 連中は手のひらを返して、日本と財産を差し出し、
 ロシアの下で同じように経済活動を繰り返すだけではないのか、
 いや、ロシアの庇護のもと、経済の世界制覇に乗り出すために、
 日本を利用しているのではと。」

要するに前野は、日本の企業でありながら、外国人がやたら多いのが気に食わない。
日本の企業なら、全員日本人であるべきという考えに凝り固まっている。

そして中心にいる高野は、単なるお飾りで、そのうち外国人企業の本性を剥きだしにして、
日本を食いつぶすか売り渡すに決まっている、と信じている。
帝国重工がどれほど日本に尽くしているかなど、最初から眼中に無い。

ただ、欧米の企業活動の動向調査を見ると、無理もないと言わざる得ない。
それを見る限りにおいては、前野の妄想も残念ながら、真実味を帯びてくる。
欧米の大企業や財閥に、いいように振り回され、絞りつくされる小国の悲哀は、
数え上げたらきりがないほど、世界にはあふれていた。


「うーむ、それはありえるな。」

だが、実際大沢は、口で言うほど理解はしていない。
要は、帝国重工を潰して、その莫大な富を接収できる屁理屈があればいいのである。

『このまま戦争を続けていいのか?』

と、この男は、さも戦いを憂うように、議会やマスコミに疑問を投げかけているが、
その後の本音は、

『日本がロシアや欧米に略奪される前に、さっさと植民地として高く売り渡すべきだ』

それができれば、“日本植民地”の支配者の椅子を、ある人物から約束されている。
その人物は、ロシア国内に台頭する社会主義勢力と、強力なつながりを持っていた。

穏便にロシアに日本を売り渡したのち、
帝国重工の兵器や装備を、ロシア軍に接収させるように見せかけ、
社会主義勢力に協力を約束している軍だけに、全てを渡す。

強力な装備を帯びた軍は、社会主義革命軍に変貌して首都と各地の拠点を制圧。
ロシア内部から、社会主義革命を起こす計画を打ち明けられている。

他の誰から聞いても、妄想かたわごとと切り捨てられそうな話だが、
その人物だけは、大沢も鳩胸も信じざる得ない。

そのためにも、帝国重工の技術と兵器はぜひとも押さえておく必要があった。


だが、日本を譲り渡すはずの相手ロシアが、戦争で正当に奪っては、
それも無効になってしまうため、大沢は焦っていた。

「ところで、あの方は?」

鳩胸が、そのある人物のことを思い出し、不用意に口にした。

だが、大沢は返事をせず、ぎろりと凶悪な目つきでにらみつけ、ただ首を振った。

その人物については、本人からも厳重に釘を刺されていて、
彼らの間では最高機密であり、その人物の気配すら匂わせてはならない。
それほど、政府や帝国重工からマークされている人間である。

大沢がこの料亭の2階を選んだのも、
周りから聞かれたり覗かれたりしないためである。

用心深さでは、お坊ちゃんの鳩胸は、大沢には及ばない。
事情をある程度教えられている前野参謀は、さすがだとかすかに笑った。
もちろん、この男も日本の将来などこれっぽっちも考えてはいない。

日本が朝鮮を見捨て、大陸制覇への夢を断たれた陸軍は、
活躍華々しい海軍に比べると、どうしても斜陽産業のように見えてしまう。

陸軍へ渡される兵器や装備も、海軍に渡される巨大な戦艦に比べると、
ひどく貧しく、惨めなおもちゃに見えた。

その悔しさは次第に変質し、この小さな島国に閉じこもる国家全体を憎むようになった。
もともと嫉妬心が異常に強いのだ。

大沢の『本音』に深く同調し、自分の保身と、日本が植民地になった後の栄達だけが望みだった。


だが、座敷の暗い笑いをあざ笑うかのように、外の青空はのほほんと明るく、
そして100メートルほど離れた高い木の梢や、建物の屋根の陰には、
帝国重工製の高性能集音マイクが、連中の座敷を狙っていた。



「壁に耳あり、障子に目ありってね。知らぬが仏と言ったら、仏様に失礼かしら。」


ソフィアは記録を聞きながら、クスクスと笑った。

このマイク、1キロ先からでも、声による個人識別ができるほどの性能であるため、
大沢たちの目の前にマイクを突き付けているかのように、
座敷の様子は、全て筒抜けである。

ちなみにカメラは使っていない。
脂ぎった醜男の宴会など、誰も見たいとは思わないからで、それ以外の何物でもない。


もちろん、この会合ばかりではなく、
大沢グループやそれに引き込まれた軍部のメンバー全員の行動も、
24時間監視盗聴されていて、構成から背景、会話記録、予定まで、
帝国重工は、大沢本人より知っている。


風霧部長が苦笑いし、シーナが清涼剤のパイプを吸った。




まず『流言飛語』を、信じやすい筋から、徹底的に流す。


人間は3回違う人から聞くと、どんな信じがたい話でも、
信じてしまうという心理学的証明がある。

混乱時に徹底して流せば、単なるデマも真実味を帯びてくる。
『前の歴史』で、関東大震災は、おびただしいデマによる暴動や騒乱が多発した。

大沢たちは歴史を知っている訳ではないが、彼らを操る人物は、
その効果を良く知っていて、各地に騒乱や暴動をあおり、
軍の介入や議会への揺さぶりをかけ、大沢たちの勢力を使って、
日本の中枢を抑える計画を立てた。

単なる計画だけでなく、投入される資金や、諸外国からの協力、
人材の配置、そして一部軍人の抱き込みに至るまで、
大沢たちですら、成功を信じるほどに、用意されていた。

あとは火ぶたを切るだけだが、その最初のステップが切れないでいる。

もし、帝国重工が21世紀から来たのでなければ、
この計画はかなりの成功を収めたかもしれない。




「これは、21世紀にある政党が行ったのと、同じ手法ですね。」

情報分析のプロフェッショナルであるイリナが、
彼らの活動を詳細に解析し、行動パターンをあらわにしていく。

「戦時と言う不安心理が多くの国民に内在します。」

薄いグリーンの画面に、イリナの言葉と同時に様々なデータが現れる。

「不安心理は、大きな不況や社会不安などでも、広範囲多数に起こりえます。」

そのデータは21世紀に起こった、ある大きな政変を表した。

「21世紀初頭の世界的経済混乱において、日本も影響は免れませんでした。
 加えて、多額の国債発行について、社会不安をあおりたて、
 それがさも政権党の無責任による、社会的混乱であるかのようにすり替えられました。」

少し困った表情を浮かべ、小さく息を吐く。

「実際は、好況期の社会とほとんど変わらない状況だったのですが、
 政権を狙っていた政党は、混乱を好むマスコミと結託。
 子供のいる家庭への多額の現金支給、農村への収入補助、
 医療や介護のさらなる高度福祉、高速道路などの半公的施設の無料化等をちらつかせます。
 それを支える原資として、
 特別会計から国政への大規模な資金提供が可能であるかのように宣伝。」

「特別会計って言ったって、要は経済活動の一環でしょ。
 半分は国債を払い戻すための金だし、
 お金が宙に浮いてる訳じゃないんだから、どこからそんな金持ってくるのよ。
 お金をぶっこぬかれたら、日本経済そのものがストップしちゃうわよ。」


ソフィアの疑問はもっともだろう。
サメ等の一部の魚類は、泳がないと、エラに充分な水が入らず酸素不足で溺れてしまう。
経済はまさに、『水(お金)を泳ぎ続けないと溺れてしまう魚』なのである。
うっかり大量の水(お金)を引き抜いたら、魚(経済)は身動きとれなくなってしまう。

第一、『誰かの借金は必ず誰かの資産』という、経済の絶対法則がある。
日本国の巨額の国債(赤字)とは、すなわちほぼ全額、国民全体にばらまかれた資産(黒字)なのだ。
特別会計に国家予算規模のお金が余ってるなどと思ったら、大間違いだ。


逆にいえば、国債を国が買い戻すと、
それは何にも使えない、ただの紙切れが国庫に戻るのである。
赤字国債を急いで買い戻せば買い戻すほど、国はやせさらばえていく。

国債発行を止めて、買い戻しだけを気長にやると、
自然と赤字国債は消えるが、医療や福祉は吹っ飛ぶだろう。

あとは、増税と共に医療や福祉の金額を切り詰めるか、定額化し、
それ以上かからないよう決めて、減らしていくしか方法が無い。
が、これに大反対を唱え、豊かな福祉社会とかいう幻想と、
更なる金のバラマキ約束で、その党は票をかき集めた。


そして、大沢グループは、21世紀のマスコミの代わりに、軍の一部と結託する。


「当時は経済への認識と理解が、まだまだ浅かったんです。
 だから、ほとんどデタラメのような公約でも、通用したんでしょうね。
 あと、政権党の経済担当者が、特別会計の甘いチェックに義憤を起こしたのを、
 かなり巧妙に利用されたようです。」

「『母屋がおかゆをすすっているのに、離れはすき焼きを食っている』ってあれ?」

「ええ、チェックが甘く、無駄遣いがあると言うだけの話だったようですが、
 お金がジャブジャブ何十兆円もあふれているかのように曲解されてしまったんですね。」

イリナは、冷酷な機械のように、感情の無い声で説明する。
下手に感情を入れれば、データとしての精度が下がる。

「国民へはバラ色の未来として、予算も何も考えない公約をし、
 海外、特に西にある大国へ協力を仰ぐために、
 真っ先にへつらい訪問をし、
 さらに外国人参政権を出して日本の統治の一部を売り渡す約束をし、
 そちらからの協力も取り付けて、当時の政権党を引きずり落としています。」

当然、中国へ食い込みたい企業は、その政治家の口利きを期待せねばならず、
莫大な協力が、そのフトコロに入っていくことになった。
政治資金規正法でがんじがらめになった政権党は、資金面でも苦境に立たされたのである。



つまり、社会に動揺を広げ、混乱を多数発生させる。
戦時であるために、日本は国内に手が回らないはずだった。
(21世紀では、サブプライム問題による経済混乱を政府の責任とし、
 景気対策=無駄遣い、財政再建=弱者切り捨てとレッテルを張る等)

その責任を追及する形で、議会を一部の軍で抑え、拘束。
(21世紀では、マスコミが軍の代わりに世論操作、支持率等で押さえこむ)

天皇に、計画を承認させて、天皇の命令によって、
大沢たち『義憤に燃える議員と軍』による統治に移行。
ロシアとの停戦と、和平交渉という条件付き降伏。
(21世紀では、総選挙による議院の圧倒的多数)

日本降伏の後、ロシアは国内から、帝国重工の装備に身を固めた、
革命軍に喉首を食い破られることになる。



「とすると、見えてきたなこれは…。」
「ですね…。」

風霧が、こめかみに指を当て、つぶやく。
シーナが、白い指で細い顎をなでた。
戦略情報ならば、シーナも得意とするところだ。

イリナとイリアは、頭痛のしそうな顔でその姿を眺めた。
身体に白いカーテンを巻きつけた姿で、
裸の白いきれいな腕だけがにゅっと出ているのだから、あまりに不穏。
だからと言って、カーテンを外したら、もっとアブナイ。
回り中の男性が情緒不安定になること間違いなしである。


外国の勢力まで取り込み、これだけ大型の政変を計画する技量は、
大沢や鳩胸程度の3流政治家に到底成しうる技量は無い。
まして、外国勢力にろくにつてがあるはずが無い。


「ええ、海外からの勢力を受け入れ、現政権をひっくり返したい革命派思想の人間、
 それも、かなりの資金や人材を動かせる力を持つ人間が、
 中心となっている可能性が極めて高いです。
 過去彼らに接触した人間から、活動パターンを洗い出すと……」

イリナがピッ、とある人物のデータをはじき出す。
徹底した用心深さは、逆にいえばよほど知られている人物であり、
活動パターンは、自分がいないと思われていることを、確信している節がある。
つまり、情報の上では死んでいる。

「こいつか…」

『左翼系運動家、共頭佐全(ともがしらさぜん)』と表示が出る。

「たぶん、先日京都で殺されたのは、替え玉かと。」

「こいつを狩り出せば、国内での問題は減りそうだな。」

シーナが美しい凶暴な笑みを浮かべた。


大沢グループについては、誰もほとんど心配はしていない。
高野司令と“さゆり”嬢からの指示もあり、
後日連中は、新型睡眠学習装置の実験データを提供してくれた。

豆粒ほどの大きさの学習装置は、彼らが自宅で眠っている最中に、
『罪悪感』と『反省』の意識を、洗脳で強烈に植え付け、
2週間後、良心の呵責に耐えられなくなり、、
そろって辞職願を出した後に、大沢と鳩胸は出家した。

ちなみに前野は屯田兵に志願して、北海道へと渡って行ったそうである。


そして、反撃の狩りが始まる。
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