■ EXIT
ダインコートのルージュ・その16


≪秋桜(コスモス)≫


帝国重工の一角に、賑やかな花畑が広がった。
桃色や白やオレンジ、薄緑の茎や葉に繊細で大きく鮮やかな花、コスモスである。 東西200メートル、南北150メートル、見渡す限りの花畑は圧巻だった。

明治になって入ってきた花だが、21世紀から来た女性たちにはかなり人気があり、 秋を彩る花として真っ先に要望が上がっていた。

明治の人間たちは、見慣れぬ花に驚いていたが、
空き地に広く育てられたコスモスは、秋桜の異名にふさわしく、
たちまち見る者の心を捕えてしまった。
日曜日など、重工社員が家族連れで見に来るほどになる。


モスグリーンの戦闘服姿のシーナ・ダインコートは、
服の前を緩めると、パイプ状の清涼剤を鮮やかな赤い唇に咥え、ゆっくりとすった。
薄青い大きな眼に、鮮やかな花の色が弾ける。

180の長身に、細身の引き締まった身体は、モデルでも世界を制覇してしまいそうだ。
下は黒い袖なしのシャツで、汗がさわやかな風に消えていく。
短めのプラチナの髪が、日差しを跳ね返してきらめく。

「ねえさ〜ん、まったあ?」
妹のイリナ・ダインコートが、大きなバスケットを下げてきた。
大胆なタータンチェックのスカートに、シンプルな黒の長袖シャツなのは、
陽気がいいので、上着を置いてきたのだろう。

ついでにハーフブーツは重くない藍色に、ソックスは腿まである黒で、脚線美も際立つ。


元々が知的ながら愛らしい容貌なのに、その格好をされると、
男性が見惚れてしまい、あちこちでトラブルが発生しているが、
本人は全然気づいていないのが、何とも困ったものである。

「いや、私も今来たところだ。」

芝生にシートを広げ、シーナのご要望のお弁当を広げた。

嬉しげに微笑するシーナ。
バスケットには、新米のおにぎりが、ずらりと並んでいた。

「う〜ん、すごい。でもちょっと多すぎない?。」

「4人分には、十分でしょう。」
なるほど、とシーナがうなづいた。

「あーいたいた。」
「お腹ぺこぺこだよおおっ」

白衣姿のソフィアと、赤いベレー帽が愛らしいイリアが、
転がるように駆けてくる。



「「「「いただきま〜す」」」」

女性たち4人の、嬉しげな声が、花畑手前の芝生に広がる。

パリッ
からし菜を巻いたおにぎりが、口の中で弾ける。

「うん、うまい。」
シーナは、このおにぎりが大好きだ。

梅干し、オカカ、のり巻き、佃煮昆布、
バラエティに富んだ新米のおにぎりは、みるみる数を減らしていく。

ぱくっと、意外なほど上品に食べているソフィア、
ただし、白衣の下は極ミニの黒スカートに網目の黒ストッキングガーター付き、
お尻をくねらせた横すわりときているから、目の毒極まりない。

イリナとイリアはは正座だが、一番楽しげなイリアは、
ほっぺたをパンパンに膨らませ、リスのようなありさまだったりする。
そこが可愛らしく見えてしまう、得な容姿と性格なのだが。


金色に見えそうな卵焼き、きんぴらごぼう、たくあんやナスのお漬物、
女性たちの唇に、吸いこまれるように消えていく。

まだコシヒカリもササニシキも無い時代だが、
はさがけ天日干しで、しっかり栄養を吸いつくしたお米は、
力がいっぱいに満ちた味を持っている。

二つの魔法瓶は、ワカメのお味噌汁とお茶で、
イリナが注ぐと、いい香りがぷうんと立って、どちらを口にするか迷うほどだ。

1899年に帝国重工が商業化に成功した、ガラスに銀メッキを施した二重式魔法瓶は
(史実では1904年ドイツのテルモス社)、日本人の手先の器用さもあいまって、
非常にエレガントなデザインで、世界を席巻した。
(ステンレス製は、資源が足りないので発表しない。ガラスの原料のケイ素は、いくらでもある。)
何しろ、一度沸かせば夕方まで温かく飲めるというのは、この時代には脅威の発明だった。


帝国は非常に安いパテント料で、国内の優良な中小企業に、この製法を分け与え、
多様なデザインで良質な魔法瓶が競って生産され、国内産業の底上げに貢献していた。

意外だったのは、北方の寒い地域が、販売では有力視されていたのに、
東南アジアやアフリカ、赤道直下の国々すべて、どこも需要はすさまじく旺盛だった。
実は、世界でも生水をそのまま飲める地域は、きわめて少ない。
ほとんどの国では、『飲み物とは沸かして飲む物』なのである。


目の前には秋桜の花園、日差しは温かく、風はさわやか、
ピクニックにでも来たような気分である。

「新兵さんたちの訓練、お疲れ様。」

イリナがシーナにお茶を渡しながら、慰労の声をかける。
さまざまな作戦行動で忙しい合間を縫って、
シーナは特殊作戦群の訓練には積極的に参加する。
常に次代を担う兵を育てなければならないと、彼女はいつも言っていた。

「ねえソフィアお姉ちゃん、そろそろ戦車も登場する頃なんだけど、
 そちらの方は大丈夫なの?。」

イリアが、21世紀の年表を思い出し、素朴な質問を投げかけた。
ほっぺにご飯粒が付いているのが微笑ましい。

「そちらって…戦車?、ぷぷぷ、いらないわよ。」

思わずおにぎりを吹きそうになりながら、ソフィアが口元を押さえる。
長い髪が揺れ、そのしぐさがなんとも色っぽい。

「戦車なんて、大陸でこけおどしが関の山。
今の日本の鉄生産量を考えたら、トラック作った方が、ずっと役に立つわね。」

イリアのほっぺのご飯粒を取ってやりながら、ソフィアは説明した。
悲しいかな、この当時の日本は、鉄の生産量が極めて乏しく、軍備に下手に使うと産業が衰退するという、地獄のシーソーゲーム状態になっている。
当然、産業が衰退すれば、国家の総生産力は落ちる一方。
正史で、必死に朝鮮半島から大陸へ手を伸ばした理由の一つは、こういう問題も絡んでいる。

「それに、シーナが優秀な歩兵部隊を育ててるから、戦車じゃ勝負にならないわ。」

これには、イリアもイリナも首をかしげた。
歩兵が一番恐ろしいのは、戦車なのではと思ってしまう。

当のシーナは平然と笑っている。
兵器の専門家ソフィアは、ヤレヤレという顔をした。
何しろ、この歩兵部隊は、21世紀レベルの特殊部隊と同等なのだ。


「戦車って、燃費がムチャクチャ悪いのは分かるわよね?。」
うんうんとこれは二人ともうなづく。
何しろ鉄の塊に等しいしろもの、燃費のどうのと言ったらお話にならない。

「で、狭い車内、積載量が限られるから、砲弾もすぐ補給しなきゃならないわ。」
これも二人には分かる。

「つまり、補給がすごく必要なのよ。補給線を叩かれたら、戦車もただのゴミ。」
なるほど、と思わずうなづいてしまう。

「しかも、夜は完全に役立たず。」
え?、と二人は目を丸くする。

「あ、ああああ!」
イリナがやっと気がつく。
考えてみたら、この時代には赤外線暗視装置(ノクトヴィジョン)のような、暗闇を見通す方法など無い。
敵味方の識別も何もあったものじゃない。
実際、夜間戦闘被害の3割は、味方の誤射や誤爆というデータもあるぐらいだ。
当然、ライトなしでは身動きとれない。

で、21世紀レベルの歩兵部隊相手に、ライトをつけて、自分から『撃ってくださーい』と叫んでる戦車はカモそのもの。
一発の無駄すら無く、対戦車ライフルやミサイルに調理されるだけだ。

「それだけじゃないわ、整備は常にしなきゃいけないし、
 乗り心地は最悪も最悪で乗員は休息しないと身が持たない。
 で、戦車が集まれる場所なんてそうそうは無いもの、
 止まっている時は優秀な歩兵さんたちの餌食よ。」

「要塞や基地だと、戦車が大量に入ってくれるなら、実に攻めやすいんだかな。」
と、つけくわえてシーナはにやりと笑った。

恐竜最強と言われたティラノザウルスも、
巨体をもてあまして、長距離は走れなかったという。

戦場正面から見れば、恐ろしい鉄と砲撃のモンスターだが、
彼女から見れば、燃料と砲弾を満載した、『ただの引火物』にすぎない。
その上、整備中周辺は燃料やら機械油やら、燃える物だらけ、

夜の闇にまぎれ、要塞や基地に潜入した歩兵部隊からすれば、実においしい獲物だ。


「脱落した車両が出れば部隊の編成を変えなきゃいけないし、移動コースも選択が大変よ、道幅が狭かったら方向すらかえられないわ。
 山越え無理にしようとして、木に引っ掛かって止まったなんて情けない話もいっぱいあるの。
 何にもない平原で大軍を広げるならまだしも、日本みたいにせまい国だと、あんなもの作っても無駄よ無駄。」

さすが兵器開発部、21世紀の陸自が泣きそうな痛い部分を的確に突いてくる。
まあ、戦車が空輸されるような時代になれば、また話は変わるだろうが、正直いつ来るかわからない、いや来るかどうか分らない上陸部隊相手の戦略を考えるより、まず海軍力を充実させる方が、数万倍重要である。そして次は絶対に空軍。無駄な鉄は1gとて無いと覚悟しなければならない日本なのだ。

「えーっと、つまり案外『おまぬけ』?」
「なんだか、だんだん戦車のイメージが壊れてくるわねぇ。」
本気で情けない顔になってくる二人。

「まあ、これはあらゆる兵器兵装に言えることだけどね。」

ソフィアの言葉に、ふとイリナが首をかしげる。

「ええと、空軍、海軍、今の話が全部通じるんじゃない…?」
「基本的にはその通りだろうな、それゆえ『歩兵は戦場の女王』という言葉もあるぐらいだ。」

みずみずしいナシが、シーナの白い歯の間でシャクリと雫を散らした。

20世紀末からこちら、あらゆる戦争において、決着をつけるのが、
特殊部隊、つまり訓練を受けた歩兵の潜入や奇襲作戦ばかりになってきている。
重火器が異常に進化し、ゲリラ戦の凄まじさは、大国でも手を焼くなどと言うレベルではない。
小国が大国と渡り合うには、それなりの作法と準備が必要だ。

「それに、歩兵が陣地を占領しなければ、戦いは終わらない。
 『戦いは歩兵に始まり歩兵に終わる』よ。」

シーナの言葉は、実践を積んだ者だけが言える重みがあった。

米軍を例にとれば、グリーンベレーのような特殊部隊が、
敵の基地や陣地を撹乱し、空陸混合部隊が奇襲を行うとか、

航空機が大規模な爆撃を行い、敵の施設や軍備を破壊、
歩兵を大量投入して、残敵の掃討と、情報の収集、
情報から適切な部隊を派遣して、
残りの敵や施設、部隊を破壊していくとか、
そういう戦闘プログラムが良く組まれる。



「いずれは、パワードスーツを来た歩兵部隊も出来るの?。」

半分に割った栗の、ホクホクした実を、さじで救い取りながらイリアが訪ねた。
ハインラインという小説家が考えだした思想で、
機械と兵器と装甲を、コンパクトにまとめて身にまとい、
宇宙空間でも戦える装備をいう、20世紀末にかなり流行した時期があったが…。


「無理だな。」

目の前のコスモスを、そっとなでながら、断言する。

「コストを考えると、軍ほどの非効率組織ですら、
 とてもパワードスーツなどやってられない。巨大なモビルアーマーなど論外。
 歩兵部隊を鍛え上げる方が、はるかに効率的で有効性が桁違いに広い。
 それに、そういう部隊に潜入や奇襲など出来ないだろう。」

「でも、戦いには有効なんじゃない?」
どうしてもイリアは、戦場で戦うシーンを想像してしまう。

「たとえば、だ。」

シーナはケースごと拳銃を取り出す。
ドイツのH&K P7を、帝国重工で改良し、独自仕様にした拳銃だ。
H&K P7は、小型で安全性が高く、隠密性に優れ、使用感もよく、
メンテナンスも楽という、非常に優れた拳銃である。


「この銃は、私が特殊部隊で使うには非常に優れている。
 だがもし、私が米国開拓時代の西部に突然飛ばされ、
 西部劇の世界で戦うことになれば、この銃では役に立たない、なぜかわかる?。」

そういえば西部劇では、リボルバー式の拳銃ばかり出てくる。

「砂ぼこりがいつも舞っているような気候では、
 このような精密な拳銃はすぐ故障してしまう。
 リボルバー式は、弾の詰め替えが面倒だけど、機構が簡単な分、
 多少粗雑な扱いでも、問題は少ない。」

そう言って、ケースのまま、また身につけた。
彼女は、拳銃を外に出すことはめったにない。
まれにこうして見せる時も、ケースからはまず出さない。
兵器の怖さともろさを、よく知っているからだ。

「こんな拳銃一つでも、環境や気候、温度や湿度、メンテナンスの調整、
 わずかな違いで使えなくなる。ましてや、それを外殻にまとってとなると、
 恐ろしくて、とても戦いなど出られないわね。」

使えなくなった兵器は、即捨てて、使える物で戦わなければならない。
だが、身体を邪魔だと捨てるなど、できるわけがない。
手足のどこか一か所でも動かなくなれば、戦場では即死ぬだけだ。


「それに携帯可能な、対戦車ミサイルや、地対空ミサイルが出来た時点で、
 戦車や戦闘ヘリの優位性は、どんどん小さくなっている。
 歩兵部隊が戦場を調査掃討してくれないと、
 ヘリも戦車も安心して出撃するのは難しい。」

各部隊が連携しないと、近代戦は進むことすらできない。
突出した部隊は、連携した敵に袋叩きにされる。

大量の歩兵が展開し、戦況を分析し、適時適正な戦力を投入して残敵を掃討する。
それを効率よく、高速で進めるのが勝利方法なのである。

「だからこそ、今は大規模艦艇を魅力的に見せないといけないの。」 ソフィアが後を引き取るように言った。


今、日本や帝国重工は、海洋国家としての力と、その海軍力を、
ロシアをサンプルとして、世界に見せつけようとしている。

サンプル扱いされるロシアこそ、いい面の皮だが、
いずれ滅びるのだから、せいぜい役立ってもらおう。
それに、ロシア皇帝が逃げ出してくれば、亡命ぐらいは受け入れてやるつもりだ。

そして、海軍力の脅威に目を奪われれば、各国競って巨大戦艦開発競争になる。
いくら巨大な経済力を持つ欧米でも、超巨額の資金と大量の資源が必要な、
巨大戦艦開発競争になれば、下手をすると国家が傾く。

その分、強力な歩兵や空軍、その先の宇宙開発は遅れるのである。
彼らには、ずっと地上にいてもらおう。


「宇宙(コスモス)が私たちを待っている、無用な我欲や無駄な騒乱は、
 地面にいてもらわないとな。」

日本人に争いが無いとは言わない。 だが、植民地主義の毒に犯され、我欲や侵略思想が染み渡った他国のように、
争いを前提とした思想や文化は、無垢の宇宙には似合わない。

淡い秋桜の香りと、目をなでるような光景が、
そのまま宇宙の広がりにつながるような、そんな秋の日なのでした。
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