■ EXIT
ダインコートのルージュ・その15


≪緋色の御堂その5≫


ダインコートの4姉妹と風霧部長の5人が寺に近づくと、
妙采寺の様子が一変していた。

寺の周りに、ずらりと並ぶ山伏たち。
白装束と、手甲に脚絆、一本場の高下駄。

「ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバボッケイビャク…」 (namaH sarvatathaagatebhyaH sarvamukhebhyaH, sarvathaa traT…)

彼らの唱える真言が、異様な迫力で寺を包み込み、結界を描き出す。
そして、入口に立っているのは、鉄を鍛え上げたような体に、
見事な毛皮の上着を羽織った、山人のテツロだった。

「ど、どうしたの?」

びっくりするイリナに、テツロはニイッと笑った。
巨大な犬歯がきらりと光る。

「今日は、おばばさまにおれの家族を紹介するのだ。来ていて当然。」
「おばばさま?」
「そうだイリナ。われら山人の崇める、おばばさまだ。」

イリナを呼び捨てにするテツロに、風霧がほんの少し目を怒らせた。
その視線に気づいたテツロも、ぎろっと目を光らせる。

『む……っ』
『こいつ……』

どうやら一目で、イリナのセフレとしてライバルであることを直観したらしい。

身長は同じぐらいの180センチ前後。
面長で鼻筋の通ったハンサムな風霧。
ほほ骨が高く、痩せて恐ろしげな目つきのテツロ。

単純に見れば、スラッとスーツを着こなし、スタイルのいい風霧に軍配が上がりそうだが、
ワイルドに毛皮をまとい、鉄を打ち付けたような筋肉のテツロのインパクトは強烈で、
その上、恐ろしげな目つきの中に愛嬌があるため、
下手をすると、風霧の個性が薄れて『平凡』に見えてしまいそうになる。

そしてイリナは、男という男を引き寄せる魔性に近い美貌とほほ笑みを持ち、
頭脳明晰にして超開放的、愛情たっぷりで家事万能という、無敵の美少女である。
そして、金や権力や醜美には、とんと興味が無いという変わり種。
そのハートを射止めるのは並大抵のことではない。


両者の目つきがさらに険しくなり、
竜が風を起こし、虎が地を震わすような、激しい気の応酬と化した。


「あー、はいはいはい、イリナが欲しいのは分かるけど、場所と用事を考えましょう〜。」

相変わらず白衣姿のソフィアが、あきれ果てたような口調で、
手をたたきながら雰囲気を引き戻す。

ついでにイリナが恥じらいながら、『メッ』とにらみ、両者はきまり悪げに気をひっこめた。

「まったく、こんな美女がそろってるというのに、落ち込んじゃうわね。」

さらっと後ろに長い髪を流すソフィア、
細い首筋が閃き、普通の男性ならそれだけで気を奪われかねない光景だ。


寺の中に入ると、村長や村の長老たちが紋付き袴で座っていた。

「なるほど、そういうことだったのか。」

シーナだけが、その状況を理解したらしい。

ちらりと、遠くに双眼鏡が光った。
茂みに数名の男たちが、小銃を調べなおし、油を入れた瓶を点検する。
もし状況に驚いていなければ、シーナはかすかな機械音や油の匂いに気づいただろう。

男たちの凶暴醜悪な目つきは、あの共頭佐全のそれとよく似ていた。




掃き清められた本堂の奥、大振りの茶釜の横に、妙采尼がちょこんと座っていた。

「こられましたね。」

嫣然とした微笑みは、ひどく魅力的で、引き込まれそうになる。
大きな漆黒の瞳、小づくりの愛らしいまでの表情、赤い濡れた唇。
尼僧にしても、不思議なほどの妖しさがある。

「おばばさま」

テツロが膝をつき、妙采尼の前に指をついて、深々と頭を下げた。

「わが家族、イリナをつれましてございます。」
「テツロ、そんなにかしこまることはありませんよ。
 あなたの信じた女ならば、私が信じぬわけはありませぬ。」

凛とした声に、テツロがはっとまた頭を下げる。
そして、頭をあげると、イリナの方をむいた。

「イリナ、我ら山の民が崇めるおばばさま、妙采尼様だ。
 俗世では、八百比丘尼(やおびくに)と呼ぶ者もいるが。」

八百比丘尼、伝説などで必ずと言っていいほど、
日本各地に名を残す尼僧だ。
その主な話は、人魚の肉を食べて、年をとらなくなり、
八百年を生きた後、入滅したというのである。


「テツロ…妙采寺のことは知らないって…」
半ば呆然として、イリナはつぶやいた。

「うむ『妙采寺』のことは知らん、我らが知っているのは、
 はるかな昔から、山人を導いてくださってきた妙采尼様だけだ。」

平然とした口調だが、口元がかすかにひくついている。
必死に押さえているが、その眼はどう見てもいたずら小僧のそれだった。

ジト目でにらんだイリナは、ぷっと膨れた。
その顔も可愛らしかったが、それからスネまくるイリナに、
テツロはねを上げる羽目になる、がそれは後の話。


「ほっほっほっ、そんなたいそうな者ではありませぬよ。」

口元をそっと押さえ、快活に笑う妙采尼は、明るく美しかった。
伝説のような、陰々滅滅とした暗さは一片も無い。

「数年に一度、全国の山々を巡られ、山の民とまじわり、
 多くの功徳を授けて下さるおばばさまに、
 我らその御恩忘れたことはありませぬ。」

普段、口数の少ないテツロだけに、その言葉の力は異様な迫力がある。

「その我らの役目も、帝国重工が代わってくださる事となりました。
 これも時代というものなのでしょう。」

シーナを除く全員が、あっと顔をあげた。
山人と帝国重工そして妙采尼がつながったのである。

「イリナさん」

名を呼ばれ、イリナは素直にハイと返事する。

「あなたがテツロの家族であるならば、私にとっても家族です。」

深い、慈愛に満ちたまなざしに、イリナは信じられると思った。

「家族が隠し事などするものではありません。
 ですから、私たちの秘儀、お伝えしましょう。」



だが、その瞬間銃声が響いた。


ダアンン、ダダンッ、ダアンッ


M1893の強力な弾丸は、かすめただけで骨を砕き、
頑強な山伏たちですら、吹き飛ばした。
直撃を受ければ、手足がちぎれることもある。
幸い、重傷者が出る前に、彼らは岩や木に体を隠した。

「寺なんぞに入ったのが運の尽きよ!」
「死にやがれええっ」

共頭佐全の残党たちは、主人の仇打ちとばかりに、
銃を乱射しながら、妙采寺に接近してきた。

佐全がいてこそ、内外の協力があったのであり、
このままでは、共産闘士の名がすたり、食えなくなる。
今現実に、それまで協力的だった会社や人間が、
佐全がいなくなったとたん、一切関わりを絶ってきていた。


帝国重工も、密かにしかし猛烈に絞りあげ、佐全たちに協力した者は抹殺するぞと、
本気で最後通牒を突きつけている。

まあ、武器密輸に、テロに、子供の誘拐と人身売買まで晒されては、
司法がどうこうする前に、怒った国民が焼き打ちとリンチぐらいやりかねない。
この時代の日本人は、その程度の勇猛さは十分に持っていた。


ここは是が非でも、帝国重工に何らかの目立つダメージを与え、
一発でかい山を当てようと、必死に見張っていた彼らの前に、
有名なダインコートの姉妹が、寺へ入っていくのが見えた。

これこそ天の与えたチャンスと、獲物を見つけた野良犬のように襲ってきたのだ。

油を入れた瓶に、口火をつけ、次々と投げ入れる。

「焼け死ねえええっ」
「佐全様ばんざあああいっ」

もはや獣以下の顔つきで、人殺しの快感に興奮しきった連中は、
銃を乱射し、怒声を上げ、よだれすらまき散らしながら狂乱した。

ボギッ、ゴキゴキッ、

「え…あれ??」

小銃の堅い台尻が顎にめり込み、歯が砕け落ちた。衝撃でしびれて、そのままひっくり返る。

風霧がニヤッと凶悪な笑いを浮かべる。
銃口を瞬時に下に下げられ、恐る恐る握っていた手の中で縦に回転したのだ。


別の男は、腕がタオルを絞ったようにクロスし、骨が飛び出ていた。

「保持の基本がなっとらんな。」

走り抜けたシーナが冷酷につぶやく。
長い小銃が、握ったまま高速で横にひねられ、てこの原理で、腕が破壊されていた。

どちらも、超一流の白兵戦のプロである。
この程度の連中はシロウトに等しかった。


銃撃が別の方向から聞こえた。

南側の高い杉の上、100メートル以上離れた場所から、
寺めがけて小銃をめったやたらに打ちまくっていた。
かなり腕は劣るが、万一ということもある。
庭に出ていたイリナたちと妙采尼は、銃撃を避けるために急いで本堂に逃げ込む。

「ちっ!」
「陽動かっ!」

残り二人へ二本のナイフを投げると、
あとすら見ずに、シーナと風霧は、本堂の裏口へ殺到した。

正面東口からの襲撃と、南からの遠距離射撃は明らかに陽動、
ならば北の裏口からが一番危険な襲撃があるはず。

ナイフで足の筋を切られ、残った襲撃者は転げ回った。

杉の上の狙撃手は、獰猛な唸り声とともに駆け上がったテツロの一撃で、
15メートル下に転落する。


「動くな。」

妙采尼の小さな形のよい頭に、武骨な銃が押し付けられていた。
コルトの38口径、かなり大型の拳銃だ。
彼女の頭ぐらい、簡単に弾き飛ばすだろう。

イリナたちにも、もう一人の銃が突き付けられていた。

見かけは平凡な中肉中背の男たちだが、かなりの腕前らしく、
少しも動揺が見られない。
シーナと風霧は、動けなかった。

「その場に伏せな」

相手の動きを奪うには、伏せさせるのが一番だ。
その状態では、何をどうしようと全員即座に殺される。
じりじりと、身体を低くする二人、だが、最後の瞬間まで全神経を尖らせ、隙をうかがう。

「早くしねえか!」

息を吐くと人はわずかだが脱力する。
怒声とともに息を吐いた瞬間、天井から白いものが降ってきた。

いや、壁の板が回り、床板がはずれ、如来像の後からも。

「あら、何をしてるの?」

妖しい笑みを浮かべた尼僧が、男の目の前に立った。
驚愕のあまり、硬直した男たちは、致命的な隙をさらけ出した。


ゴキッ

異様な音がして、コルトがポロリと落ちた。
手首がはずれ、異様な形になっていた。

ガーン

床で暴発した銃弾が、もう一人の男の耳を吹き飛ばした。

「うふふふふ……」
「くすくすくすくす」
「ふふふふふ…」

笑い声が男たちを打ちのめし、その場にうずくまらせた。

そして、尼僧姿の女性たちが振り返り、全員が恐怖に髪の毛が逆立った。

同じ顔、同じ姿、居並ぶ11人の尼僧は全員が妙采尼だった。



「あらあら、とんだ紹介になってしまいましたねえ。」

シーナのそばで、銃を突き付けられていたはずの妙采尼が、のんびりした声をあげた。




無事だった山伏たちや、村人たちが総出で火を消し、
被害は、ほんの少し縁側が焦げたぐらいだった。


だが、イリナ達は驚愕のあまり、あいた口がふさがらない。


改めて茶を立て、水菓子(果物、この日はカキ)を、
妙采尼そっくりの女性たちが置いていく。

よくよく見れば、少し顔つきに違いもあるし、背丈も微妙に違うが、
それでも、雰囲気が異様に似ていた。

尼僧たちは、次々と妙采尼の後ろに並んだ。

「改めて紹介しますね、私も含め、皆、妙采尼。同じ一族の者です。」

シーナだけが表情を動かさず、風霧とイリナがあっと理解した。
ソフィアとイリアは、まだ呆然としている。

「八百万の神々、八百八町、この国の八百とは数多くという意味もあります。
 私たち妙采の一族は、しばしば初代の濃い血を引く者が生まれます。
 そうすると妙采寺にあずけ、妙采尼の一人になるよう育て、教えるのです。
 ちなみに得度(僧になる儀式)前は、私は枝折(しおり)と呼ばれていました。」


もともと同じ血を引く一族、化粧と姿を統一すれば、似てくるのも無理はない。
彼女たちの他にも、あと7名の妙采尼が全国を行脚しているという。

「じゅ、十八人も同じ人がいるのっ?!」
イリアが、悲鳴に近い声を上げる。
今でも、ずらっと並んだ同じ顔の人たちは、正直怖い。


山人たちを訪ね、各地を回り、行脚が彼女たちの修業にもなっている。 一日十数里(約五十キロ)の山道を歩き、雪山を平然と踏破する。 小柄な姿にも関わらず、峰入りの修験者に等しい体力を持っている。 そして、この妙采寺をあずかる尼が、総帥として統括を行う。 山人たちの相談や、病の治療、部族の橋渡しなど、 その付き合いは恐ろしく古くから続いているらしかった。 しかも尼僧姿だからといって、彼女たちには何のタブーも無いので、
山人たちとまぐわったり、夫婦の子作り指導なども行っている。
筆おろしが妙采尼だったという男も、数多い。

それで、行脚中に身ごもる場合もあるが、自分が育てるもよし、
望まれれば山人や村人に渡すもよし、大らかなものである。


「周辺の漁村も、ご一族ですか?」
シーナの質問というより、確認の声。

「ええ、我ら一族といえど、大半はごく普通の民として生きる者。
 名古屋、大阪、京都、金沢、小倉、それら5つにも同じような集落があります。」


そうとう多産な家系であるらしく、妙采寺をあがめる一族は3千を超える。
関わりのある支族も含めると、万を越すという。
それだけの勢力が背景にいれば、大抵のことはできてしまうだろう。


「元は集落は9つまであったのですが、討幕運動などの影響で4つが消えました。
 また、彼らの支えあって、我らも妙采尼として世に棲んできました。
 さ、茶が冷めますよ。」

イリナが真っ先に豊潤な茶を喫した。
たとえここが敵地であったとしても、テツロを信じると言われて、
女として引き下がるわけにはいかない。

丁寧に石臼でひかれ、上手にたてられた茶はとてもおいしかった。

「結構なお手前でした。」

皆ほとんど同時に、茶を飲み干した。
シーナは毒物に詳しく、ソフィアは薬物に関してプロである。
彼女たちが安心して飲めるなら、まず問題は無い。
妙采尼がにっこりとほほ笑む。


「私たちの起源からお話しますね。」

あの殺戮と、この慈愛の笑み、その二つが違和感なく溶け合っている。

「今から四百年ほど前のことです。
 元亀元年と呼ばれた、織田信長が室町十五代将軍を擁立した年、
 妙采尼の名が、歴史の片隅に初めて現われています。」


居並ぶ11人の妙采尼の上、古い板に墨絵の絵姿が、琵琶を背負い杖をついていた。
その絵の前には、古びてひび割れた、何の価値も無さそうな琵琶がある。
その絵の初代妙采尼は、請われれば物語を歌い、男性の相手もした、
歌比丘尼と呼ばれた一人なのかもしれない。


「妙采尼は、始め尾張に現れ、安土に庵を結びました。
 本能寺の変の後に京に現れ、千利休や堺衆と多く交わり、
 関ヶ原の戦いの後に、江戸へ移っています。」

そう、その時代の天下の主を追うかのように。

「それは、まさか……?」

風霧が、少し青ざめる。はたとその名前に思い当ったのだ。


妙采の妙を分解すると少女、つまり若い女となり、ひっくり返すと采女(うぬめ)となる。
これは、天皇の身辺で食事や身の回りの雑事を行う女官の事を指す。

歴史のあちこちに散見する名前、未だ確認はされていないが、
必ずいたであろうと言われる『天皇の隠密』ではないのか?。


「今となっては、わかりません。あまりにも時がたちすぎました。
 私たちには、天皇家との縁を繋ぐものは、何もないのです。」

静かに首を振る妙采尼。

「ただ私たちは、男たちの社会に、女を武器として絡みつき、その力で生きてきました。
 秀吉や前田、武田に上杉、それらが抱えた忍びたちは、
 山の民に崇められる私たちを頼り、私たちの虜となり、
 無駄に血を流さず、情報を得るよう飼われていきました。」

口元を妖しく隠して、かすかに笑った。

「忍びなどと言っても、生活に安定も未来も無い男たち、
 妙采の女たちには、子供よりも手なずけやすかったそうです。
 くのいちと呼ばれる女たちの話は、そういう所から来ているのかもしれません。」

ゆるゆると茶をたてながら、妙采尼の赤い唇が動く。
その色が妖しく、淫らに見えるのは、気のせいばかりではあるまい。

そして、彼らの技術や能力も、妙采尼たちは密かに受け継いでいた。
何より、妙采の女たちは平然と忍びたちの子を身ごもり、産んだのである。
秘密もへったくれもあったものではない。

襲撃者をあっさりと倒した技も、甲賀に伝わっていた体術の一つだ。


「北条の風魔は、江戸へ移るときに手を貸してくれたそうです。
 妙采の一族に交じった者もかなりいたのでしょう。
 そして、江戸幕府が開かれれば、お庭番たる伊賀、甲賀の一族は、
 妙采寺に入り浸るようになりました。」


幕府のはるか以前からの付き合いである、
そして、妙采の女が生んだ子供も、望まれれば伊賀、甲賀に渡していた。
これでは頭が上がるわけがない。
何より、江戸幕府については、つい最近の話なのだ。

幕府隠密などと言っても、たかのしれた下級武士。
ここで女たちの柔らかな腕に抱かれ、落ちぬほうが不思議だ。



そのたくましい繁殖力を、シーナはようやく納得できた。
山人や忍びたちの血を代々受け入れてきた歴史は、
極めて強い遺伝子となって、受け継がれているのだろう。

彼女ほどの女傑でも、その歴史と証がうらやましくなった。
人工の擬体と準高度AIの自分たちには、決して叶わぬ夢なのだ。




そして、周辺の漁村、他8つの全国に散らばる集落は、
みな飛び地の幕府直轄領となっていて、極めて緩やかな統治を許されてきていた。
それもそのはず、それらは幕府諜報機関の一部として扱われてきたのだ。


言ってみれば、幕府の諜報機関はほぼ妙采寺を通したということ。
そして、妙采寺には、出入りが楽になるよう、不審に思われぬよう、
いくつもの地下道や抜け道、少し離れた所には、秘密の巨大な地下壕が作られた。


時代とともに、様々な工夫や思案が凝らされ、今も残っている。


鷹やハヤブサを使い、遠くと連絡を取り合う技法なども、
真夏だろうと真冬だろうと、狂ったようにタカ狩りを行った、
徳川家康のタカ狩り好きにきっかけを得たそうである。

そのおかげで、各地の妙采尼たちは簡単に連絡を取り合っている。
先日の共頭佐全襲撃と、子供たちの救出は、そうやって連携していた。


前の寺が接収された際、今の寺は、地下壕の上に作られた。
そのため、前以上に出入りや動きは便利な場所になった。
地下道の一つは、海岸の古い石垣に続いている。

「ですが、黒船の来襲と共に、せき止められていた時が動きました。」

鎖国をし、時間を遅らせ、支配を保たせようとしていた江戸幕府も、
時代に乗り、力を得た薩摩や長州、土州の連合軍に敗れた。
幕府隠密たちは、各藩の諜報役の者たちと次々と戦い、
ほぼ合い討ちに近い状態で全滅した。

この時、一時は50名を超えていた妙采尼も、
半数近くが巻き込まれて死亡し、当時の総帥も死んでいる。
集落も4つが散り散りになった、こうして彼女たちの力は衰えた。


「時は再び天皇家を、歴史の表に引き出しました。」

だが、今の天皇家は諜報機関すら、持っていなかった。
当然、彼女たちにいる場所は無くなってしまった。


廃仏毀釈の折に、妙采寺が名を連ねていた宗派は、
幕府の瓦解と総帥の死亡の折に、この不気味な寺と縁を切った。
だが、もともと妙采の一族の本山なのだから、
廃寺にされても、何も影響は無かった。ただ…

「自分たちの役目は終わったのか、そう考えるようになると、
 これからの暗い道のりに、一族は急速に衰えました。ですが…」

急に妙采尼はくっくっくっと、おかしそうに笑う。

「本当に驚きましたわ、突然あんなものが出来るのですから。」

そう、突然現れた帝国重工。
しかも、寺の土地を譲ってくれと申し出てきた。

当然、妙采の一族は仰天した。
それまで、幕府と付き合っていただけに、
行政機関や組織の大きさの概念は、そこらの役人ふぜいより正確に理解している。
それすら及ばぬほどの、規模と組織が立ちはだかっていることがわかった。

「その上、内外の人々が、時々のぞきに来たり、
 騒動を起こしたり、これでなかなか退屈しませんでしたわ。」

もちろん、先日妙采尼が巻き込まれた騒動も含まれている。

それまでは、妙采寺には4〜5名の尼僧しかいなかった。
だが、帝国重工が現れ、その出方を観察するためと、
出没する内外の諜報組織の動きが、彼女たちを多くとどめるようにした。

妙采尼が縛られ、嬲られる様子に、地下にいたほかの11人の妙采尼も現れ、
仰天した男たちは、彼女たちに酒を飲まされ、前後不覚になったところで、
思う存分絞りつくされたのだそうだ。

忍びや隠密たちですら、手玉に取ってきた妙采の一族。
能なしの諜報機関なぞ、相手になるはずがなかった。
ちなみに、米国の他に、ロシア、フランスの諜報機関の男たちも、
彼女たちにしゃぶり尽くされたあげく、その情報まですべて吸い出されたらしい。

「そ、その男たちは?」
「さあ?」

風霧の質問に、とぼけた返事を返す妙采尼に、シーナですらぞっとした。
先日の海岸の様子が、網膜に浮かんだ。


そして現在、妙采の一族から、かなりの数娼婦として、帝国の娼舘に入っているという。
これには、全員あっけにとられた。
娼館の教育、衛生、科学技術、睡眠学習にいたるまで、妙采尼はほぼ理解していた。


「帝国の情報を知ってるはずよねえ…」


ソフィアが頭が痛そうな表情でつぶやく。
帝国に潜り込もうとして捕まって、洗脳後娼館に送り込まれた女性諜報員は結構いるが、
最初から娼館に諜報員を送り込んできたのは、妙采の一族が初めてだろう。

「日本人はもちろん、他国から来られた女性たちも、本気で幸せそうだと聞いていますわ。」

妙采尼の意味深な笑いは、その女性たちが訳ありだと知っているのだ。

「そ、そういえばリリシアさんが言ってましたが、娼婦さんたちの相談役のようになって、
 娼館をすごく助けてくれる女性たちがいるって……まさか??。」

「いる場所を過ごしやすくする、当然のことですわ。」

しゃらっと、当たり前のように言ってのける妙采尼に、イリナはめまいがしそうだった。
彼女たちがその気になれば、娼館を内側から乗っ取ることもできただろう。
どんなに堅固な組織でも、内側から食い荒らされれば、崩れるのはあっという間だ。

「そして、私たちの居場所は、この国そのもの。」

聞く者がぎくりとするような冷厳な言葉。
妙采尼は、自分の黒い茶碗をゆっくりと傾けた。

「弱きものに優しく、女たちを思い、余所の国々に迎合せず、己を過信しない。
 あなた方帝国重工は、この国を託すのにふさわしい方々だと、私たち妙采の一族は信じました。
 どうかゆめゆめ、我らの思いを裏切られませぬよう、お願い申しあげます。」

静かに頭を下げる妙采尼だが、その激烈な意思は白刃を突き付けているような迫力だった。
その背後には、初代の墨絵が静かに立っている。

思えば、妙采尼が現れたのは戦国末期。
長い欲望にまみれた争乱の時代を、一番嘆いていたのは、
無意味に夫や子供を戦争で失う女たちだったろう。
妙采尼とは、その女たちの願いが、凝縮したかのような存在だった。

「この国は、平穏でばかりはいられません。それでもよろしいか?。」

シーナが目を強く光らせながら問うた。

「我らには大した力はありませぬが、少しだけおぼろげながら、
 時を見通す力があります。
 我らが落胆したのは、この国が闇へ突き進もうとする道筋が見えたため。
 しかし、それを一筋の光が阻止し、新たな道を開こうとしています。
 我らはそれに賭けてみたいのです。」

ふっくらとした笑みを浮かべる。
光とはもちろん、帝国のことだ。

「道を切り開く者は、無傷ではいられません。しかしそれこそ望むところです。」

倒幕時に、妙采尼たちは無傷でいようと思えばできたはずだ。
だが、彼女たちは決して引きこもったりはしなかった。
愛した男たちを、少しでも手伝おうと体を張ったのだった。
そんな彼女たちだからこそ、山人たちも無条件に従う。

妙采尼の目が、どこか遠くを見ていた。

「あなた方は、遥かなる高み、それもいかなる英雄も成しえなかった地へと、
 血を流し、旗を掲げ、皆と手を取り合って行かれる。」


妙采尼たちも、帝国重工を徹底的に見通し、その夢に憧れを抱いた。
そこへ行く旅へ、自分たちも連れて行ってほしい。
そのためには、私たちも全てを捧げて手伝わせてほしい。
再び夢を、すばらしい目的を抱くことができるなら、
生を捧げて悔いはないと、妙采尼たちは心を決めたのだった。


「ですが、そのためには、これからなお多くの方々の協力が必要です。
 私たちだけでは何ほども出来ることはありません。
 妙采尼さん、どうか帝国重工に力を貸してください。」

イリナが、青い眼を輝かせ、激しく燃え上がる心を言葉に乗せた。

「あなたは、私たちの家族です。
 私たちの小さな力でも、家族に尽くすのは、当然のことです。」


こうして、この日の茶会は静かに幕を下ろした。
イリナ達は、妙采寺を振りかえり、夕日に輝く緋色の御堂に手を振った。
それは、赤々と、しかしとても美しく、妖しいまでに輝いて見えた。




夕闇が、本堂を静かに染めていく。

ピーン、ピロン、ビン、ビン、ピロン、ロン、ロン、ロン、

誰もいない御堂の中で、誰もひく者のいない古びた琵琶が、
喜びを秘めた音色を、妖しくかき鳴らし続けた。
次の話
前の話