■ EXIT
ダインコートのルージュ・その13


  ≪緋色の御堂・その3≫


帝国重工の台頭は、日本の産業力、軍備、治安、行政、福祉など、
さまざまな社会レベルの向上に、大きく寄与した。

しかし、同時にそれによってはじき出された暗い勢力、
暴力、階級的権威、軍閥、麻薬、非合法売春なども数多い。

引き抜いても、踏みつぶしても、雑草がしぶとく芽を出すように、
それらはひっそりとはびこり、少しずつ己の勢力を拡大しようとする。
いや、勢力の拡大こそが、それらのたった一つの存在意義なのである。


金、権力、無法、全て勢力拡大無くしては得られない。


例えば、この世界では、ロシアの台頭で某半島の原住民は、ほぼ絶滅しているが、
あのまま歴史が変わらなければ、日本で数万人の異邦人が、
非合法な入国のあげく、狂猛して気勢を上げ、法律や道理すらも捻じ曲げ、
日本を何度も危機に陥れることになっていた。

それと同じように、それらの闇の勢力が、統合拡大するならば、
非常に厄介な存在となる。

そして、それを実行させようと『闇の親善大使』として蠢く男がいた。

鋭い目つきと、痩せた顔、青々とそり上げた頭。
墨染の衣と、脚絆に草履、見るからに修業中の禅僧と見える。

だが、その目は禅僧の清らかさは欠片も無く、
醜く濁り、醜悪に策謀の狂気をあふれさせている。

ロシアで密かに台頭していた共産主義に教育を受けた、
左翼系運動家で、共頭佐全(ともがしらさぜん)という男だ。


先日、米国船籍の輸送船から、50丁を超える高性能の小銃M1893と、
銃弾3万発を受け取った彼は、共産同志からの連絡で、
清国人のグループにその一部を分けた。

だが、その連中に期待したわけではない。
清国人が暴れることで、こちらの行動が隠れることを期待したのだ。


彼の目的はただ一つ、反政府勢力になりうる物は全て利用し、
現在の汚れた国家を倒し、世界的革命を起こして、
共産主義国家という理想郷を己の手で統治すること。

人民を飼育し、養殖し、管理し、無駄な場合は解体販売してでも、
その利益で国家を潤して安定させなければ、理想郷は単なる妄想にしかならない。
どんな手を使おうと、自分たちが行うことこれ全て正義なのである。

日本の民は、利益という毒に害され、平穏という檻に慣らされる家畜であり、
幸せや文化と呼ぶ偽善や妄想にたぶらかされる、哀れで無知な民なのである。

『世界的革命』、このぞくぞくする言葉で、この世の悪を破壊し、
真実を、世界の正義を、我らの正しい真理を、この国の愚かな民にしつけてやるのだ。


「クククククククク……」


彼は、闇の中を密かに動き回った。
まず、新たな売春管理法のために、おいしい商売を取り上げられた元業者たちを周り、
もう一度うまい商売をしたくないかと、ささやいて回った。

元々、人肉市場としてしか売春を見ない連中、
快感と悦楽、そして金儲けのうまみ、何より女をいたぶることが忘れられない連中は、
即座に耳をそばだてた。

さらに、軍閥を解体され、金づるを取り上げられた商社や商人をまわる。

殺しの腕ばかりで、ろくな知恵も無い武士の残党。
治安の向上で、居場所のないあぶれ者の集団。
四民平等の非階級化に不満のある地方の実力者。

共頭佐全とその配下は、そういう反抗心旺盛な連中を、縦横に結び付けていく。

わずか50丁ほどの銃も、ずらりとチラつかせるだけで、
連中の目の色が変わり、ハッタリは非常に効果をあげた。
おかげで数十倍の戦力と、数百倍の財力を約束させることができた。


『まったく、あれさえ無ければ、もっと簡単だったものを。』

日本の積極的な某半島譲り渡しによる、急速なロシアの南下、あれは予想外だった。

予定していた計画では、
愚かな半島の原住民を焚きつけ、清国の強欲無恥な連中を噛みつかせ、
日本、朝鮮、清国と、アジア人同士で争わせて、
漁夫の利で全部、共産革命の名のもとに、社会ごとひっくり返して、
早期に共産主義支配へ、すり替えられるはずだった。

朝鮮が全滅してしまったため、計画は日露を噛みあわせるよう、
変更しなければならなくなった。
共産主義者たちは、ロシアの対日強硬派を強力にサポートした。



やがて日露の戦争が始まる。
世界はロシアの圧勝と思っているだろうが、
陸軍の支援が無い島国相手では、簡単には終われないと佐全は見ている。

ならば、長期戦になったところで、
両国とも、外からの手出しには注意しているだろうが、
中から騒動を起こせば、比較的簡単に日本政府も倒せるだろう。
ロシアの方でも、同志が同じように内部からの革命準備を始めている。

そして、日露双方を、共産革命で変革するのだ。

米国もいやらしい手で、武器を過剰にアジアに輸出し、
各国の治安を不安定にすることで、支配の手出しをしやすくし始めた。

ぐずぐずしておれない。

白豚どもに、このアジアの牧場は渡さぬ。
人民は、皆共産主義の理想と服従の下で、
我々に奉仕し、我々に尽くし、我々のために死ぬべきなのだ。


『それこそが、アジアの平和と幸福になる。』


うすら寒い笑いを浮かべ、
共頭佐全は、同志の一人が営む料亭『大東亭』に平然と入った。
木造だが4階建てで、恐ろしく巨大な建物である。
京都西部にあり、料金も格式も、平民では入ることすらできない。

この日、ようやく組み上げられた闇の組織の代表者たちが集い、
会合が行われる予定だった。

軍の一部も取り込み、かなりの力ができてきている。
このままいけば、内部からの革命は、うまくいきそうだ。

唇の赤い、ふっくらした頬の美しい女中が、
華麗な帯をしめて、白い足袋を閃かせながら、案内した。
普通の料亭なら、女将で通りそうな気品と美貌だ。

『そういえば、女もしばらく抱いていないな。』

酷薄な目に、いやらしい笑いを浮かべ、女中の豊かな腰を舐めまわすように見た。

「女、名は何という。」

女中はかすかに微笑みながら、

「妙菜(たえな)と申します。」

「ほほう、なかなか粋な名じゃのう。今宵はわしの部屋に来い。」

もちろん、女中に拒否などできない。
『大東亭』の中の女は、みな奴隷以下であり、客や主に殺されても文句は言えない。

それが、彼らの理想とする社会のあり方なのだろう。

どこかで、物悲しげな三味線の音が流れていく。




「まるで、池田屋の討ち入りですね。」
シーナ・ダインコートの部下、大谷綾子が小声で軽口をたたいた。

「昼間だがな。」
シーナはくすりと笑った。
突撃部隊10名、サポートに15名、
少人数だが、精鋭ばかりそろえてある。

幕末、京都の池田屋で尊王の志士(テロリスト)の集まりに、
新撰組(対テロリスト部隊)局長近藤勇が、
わずか10名の部下と共に殴りこんだのは1864年、
同じ京都で、しかも人数まで同じなのだが、もし近藤勇がここにいたら、
目を剥いたことだろう。
全員妙齢の美人ばかりなのだ。

もっとも中身は、対テロリスト戦に熟達した戦闘用擬体と準高度AIという、
死の女神の群れなのだが。


闇の中を密かに蠢き、石川地区の清国人グループの事件以後、
一切の足取りを掴ませなかった共頭佐全だが、たった一つミスを犯した。

軍の反動分子と接触したことである。

連中は、最初から帝国重工情報部の監視下にあり、
そこへ偶然、佐全の部下が接触してきたのだ。

重工側は、佐全のグループの行動を綿密に洗い出し、
首魁の佐全は、間接的にしか見張らなかった。
そうすることで、カンの鋭い佐全を油断させ、全貌をあぶり出したのだ。

通信機が静かに鳴った。

「佐全が『大東亭』に現れました。」

「了解、作戦を開始しましょう。」




「こちらでございます。」

目にまぶしい白い障子が開けられ、
さらに金襴の鮮やかな衝立が立っている。

衝立を回った佐全は、ぎょっとして足を止めた。

「こ…こ…これは?!」

  ギ…ギギ…、ギ、

不気味な音が、革紐と欄間の間でいくつも起こっていた。
物悲しい三味線の音が、冗談のように聞こえてくる。

恨めしげな顔をした男たちが、
細い丈夫な革紐を首に巻きつけ、二十数人ずらりとぶら下がっていた。

卑しい顔つきの女郎屋のオヤジ、
脂ぎった顔つきの強欲な商社社長、
ひげばかり立派な、地方郷士、
情けない顔つきは、やくざの親分、
泡を吹いている元武士の浪人、
ちなみに、一番手前にぶら下がっているのは、この大東亭の主だ。

「どっ、どっ、どういうことだ?!」
「お気に召しませぬか?。あなたがお招きなさったのでしょう。」

妙菜(たえな)の平然とした声に、頭の血が下がった。
佐全は、ものも云わず懐のコルト社製六連発銃を抜いた。

カタン、カタンッ、カタン

同時に他の障子もさっと開かれた。
まるで、障子がひとりでに開いたようだった。

「うっ、うわああああああっ!」

今度こそ佐全もたまらず悲鳴をあげた。

立派な松も、苔むした石灯篭も、梅の古木も、
そこらじゅう、ぶら下がった男ばかり。

風は死臭と化し、美しいはずの庭園は凄惨な死肉倉庫と化していた。

ここに集まった連中の、部下や用心棒、そして佐全自身の部下も。

「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」

妙菜(たえな)の美しい声が、ぞっとするような凄愴の気を帯び、
般若心経と呼ばれる経文を唱え出す。

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。」

ドガンッ

銃声が妙菜(たえな)の胸を貫いた。
だが、その姿がくしゃくしゃと倒れ、着物と帯、そしてカツラだけになっていた。

「舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。」

白い僧服のみをまとい、3メートルも先に妙菜は尼僧の姿で立っていた。

「こっ、こっ、この化け物っ!」

ドガンッ、ドンッ、

だが、恐怖で震える手では、弾丸は彼女をとらえられない。

「この国に仇なす僧形の亡者よ、地獄へ帰るがよろしいぞ。」

静かに微笑みながら、手に持っていた、薄い経文をシャッと振った。

 ジャキンッ

20センチほどの薄くよく研がれた鋼の板が、
次々と伸びて、長い一枚の刃となり、
3メートルも先の佐全の首のあたりを通過した。

柔らかい刃は、波打つように振られると、
シャキシャキシャキシャキとばね仕掛けで戻り、元の経文の姿に戻った。

「……羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経」

ブシュッ、

激しく血が噴出し、呆然とした顔の佐全の首が、ころりと落ちた。


銃声に驚いて、シーナの部隊が突入した時は、
すべてが終わっていた。

血まみれで首が落ちている共頭佐全、
無数にぶら下がって、息絶えている共謀していた男たち、
生きている者は誰もいなかった。


大東亭の料理人や女中たちは全員縛られ、一部屋に押し込まれていた。

彼らが言うには、獣のような巨大な男たちに襲われ、
縛られたのだという。

「いったい何があったというのだ…?」

さすがのシーナも、茫然とするほか無かった。




「妙采尼様」

山道をのんびりと、しかし大の大人でも追いつけぬほどの速さで、
白い頭巾をかぶり、尼僧姿で歩いて行く妙采尼に、野太い声がかかる。

「子どもたちは無事でしたか?」

「はい、一人残らず、またさらわれてきた子も、元の家へ。」

森の中でひざまづいている巨漢が、丁寧に返答する。
実を云えば、この男の娘もさらわれていたのである。

共頭佐全が起こした闇の組織は、各地で子供や若い娘をさらい、集め、
未認可の売春宿にあっせんを始めようとしていたのだ。

「あなたの真亜ちゃんも、無事でよかったわ。」
凶暴そうな顔つきが、とたんに泣き笑いで崩れる。
涙をぬぐう男の腰に、巨大な包丁のような武器ウメガイが音をたてた。
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