■ EXIT
ダインコートのルージュ・その11


  ≪緋色の御堂・その1≫


夏も終わりに近づき、朝夕が涼しくなっていく。
それは、夜が長くなっていくということ。

夜陰に乗じ、徘徊する者たちにとっては、
都合の良い時間が増える、ということでもある。

日本の周辺が騒がしくなり、同時に不審な人間も増えてくる。

ピピピピピピ

小鳥のさえずりのような電子音が、警戒をうながし、
警備班が、慎重に侵入者を包囲する。

脳波プレッシャーを受けた侵入者は、何が起こったのかもわからないまま、
身動きもとれず、その場でもがいていた。

「米国ジャーナリスト、ステファン・ベルクリヌねえ…。」

警備隊の綾月美里(あやつきみさと)は、大きな漆黒の目で、ピザに書かれた名前を読み上げる。 眉がきりっとして、色白、小柄だがグラマーな体つきを迷彩服に押し込んだ美女だ。

低圧電流フェンスを平気で乗り越えてくるような相手を、
肩書き通りに認められるはずがない。
どうせ米国情報部の組織員だろう。



『対策会議』すなわちダインコート姉妹のお茶会が持たれた。
ちなみにお茶受けは、“はるな”大尉お手製の、マカロンとマンゴーアイスである。
4人とも大急ぎで集まったのは、言うまでも無い。


「やれやれ、今週に入って3日で5人か。」

シーナが呆れた口調で言う。

「相手も躍起になってますね、
 人海戦術でこちらの警備を調べている可能性もあります。」

イリナ・ダインコートが、行動パターンのデータを解析する。

「まあ、今のところ連中に対策法は無いとは思うけど。」

ソフィアが、ペンを揺らしながら警備状況をチェックする。
低圧電流フェンスの内側に張られた、音波による脳波プレッシャーは、
対策無しでは、その場で身動きができなくなる。
1902年前後の科学では、この現象は理解すらできまい。

さらにその奥の凶暴な警備装置は、今だ作動したことが無いのだから、
心配は無用と思うが、人間というのは何をしでかすか分からない。

イリアが銀のスプーンを咥えて、少し考え込む。
「連中の頻度から考えて、近くにアジトを作った可能性は?。」

「まだ今の数では、分からないけど…」
イリナの言葉をさえぎるように、綾月が入って来た。

「いらっしゃい綾さん、どうでした?」
イリナがマカロンをすすめると、嬉しげな表情でぱくり。

「やはり米国情報部ですね。あ、おいしい。ただ、気になる事がひとつ。」

脳波探査をしてみると、イリアの予想通り、帝国重工の近くにアジトを作るつもりらしい。

「近く……ここかな?」
マンゴーアイスを綾月に取ってやりながら、
ソフィアがテーブル上に映像地図を呼び出し、指さした。

「なるほど、そこなら可能性が高いな。妙采寺か。」


帝国重工に一番近い寺であり、しかも尼僧が一人いるだけ、
いかにも組みしやすそうな場所である。

「でも、彼女に異常があれば、周りの住民がすぐに気付くんじゃない?」
イリナがお茶をいれながら、人気のある尼僧を思い出す。
以前、ちょっと怖い何かを感じさせられたことがあった。

「でもねえ、そこまで頭が回るような相手かしら?」
ソフィアの疑問に、全員が考え込んでしまった。


かなりな数、帝国重工に侵入しようとする者を捕まえては、
脳探査を繰り返してみたが、

『下手に頭が良すぎる人間は、スパイには向かないのではないか?』

という、ある意味情けない意見が出るほど、お粗末な人間が多い。
いついなくなっても構わない問題児、というのが大半なのだ。

もっとも、使い方が分からない上司も多いようで、
帝国が洗脳した結果、非常に優秀な調査員になってくれた者もかなりいる。

要するに、この時代の諜報組織というのは、それほどお粗末なものだった。


「ちょっと見てきましょうか?」
綾月が、腰を上げそうになったが、ソフィアが止めた。

「まずは、警戒用の監視バードを送りましょ。
 人間を下手に送ると、騒動になるかもしれないわ。」

だが、監視カメラを仕込んだ小鳥型のマシンは、
さっそく庭に手持無沙汰そうな3人の男を映し出した。一人は白人である。

「うわちゃ、もう来てる。」
ソフィアが舌打ちした。

「ライン・フォンバルト情報副部長だわ。あ〜そういえばもう17人目か…。」
イリナが言うのは、日本での情報担当部の副部長であり、米国諜報部での地位ではない。
しょっちゅう捕まえているので忘れていたが、いい加減部下がいなくなって、首が飛びそうな状態なのだろう。

「あとの二人は、清国人かな?。」
どうも、目つきや顔つきが、日本人っぽくない。
朝鮮半島の方は、ロシアの凶暴な移民政策で、地元民は絶滅してしまっている。
おかげで、史実のデータと比較して、日本国内の治安にかかる費用は半分以下で、
社会の安定度ははるかに高くなっていた。

バードを動かそうとして、画面の奥から半裸の白人の男が、ベルトを締めながら出てきた。

「ベーブ・マキンリー部長だわね…こいつももう首飛ぶわ。」
ソフィアがジト目を画面に送る。無能なのは一目で分かるような人間だった。

しかも、ライン副部長が服を脱ぎながら、奥へ入っていき、
清国人らしいのが、涎を垂らしそうな顔をしている。
見たくもないが、全員ズボンの前が膨らみきっている。

女性たちは、全員頭痛を起こしそうな顔になった。


「ほんとに……よその諜報部というのは、ろくでなししかいないの?」
ソフィアの苦々しい口調が、全員の気分を代弁している。

何があってるかは、確認する必要もない。
奥には妙采尼が捕らわれているのだろう。

年齢不詳の相当な美人、それも異国の女性となれば、ろくでもない欲望が爆発するのは、
どこの国の戦場でも当たり前に記録がある。

「とにかく、あのバチあたりどもを、殲滅するわよ。」

シーナが、苦虫をかみつぶしたような顔で、綾月と出て行った。
もうすぐ夕刻、襲撃にはちょうどいい時間だろう。




シーナと他6名の部下が、音もなく妙采寺の土塀を乗り越える。
巨大なクモかもののけが動くように、姿だけが移動していくように見える。

日も暮れ、さすがに庭には誰もいない。

だが、シーナは眉をしかめた。人の気配そのものが無い。
手に部下の指がサインを描いた。

左奥の方から、湯気が漂ってきている。

ザアアッ

『湯の音?』


別棟の小さなお風呂場があり、そこには人の気配があった。
部下の大谷綾子がのぞくと、小柄な剃った頭が見える。

「妙采尼さんのようです。」

周辺もやはり人気は無い。シーナは意を決して、わざと顔をさらして近寄った。

「夜分に失礼します、帝国重工のシーナ・ダインコートと申します。」

ザザッと湯の音がした。

「あらあら、こんな格好ですいません。すぐ出ますから。」

「いいえ、大したことではありませんので。
 ただ、昼間見知らぬ男たちが寺に入ったという連絡がありまして、
 念のためにお尋ねにまいりました。」

妙采尼は窓際まで出てきた。 「あらあら、そうなんですの?
 ごらんの通りこちらには誰も来ておられませんよ。」

年齢不詳の美しい笑顔は、何の動揺も感じられなかった。

「そうですか、何事も無ければ結構です。
 湯冷めされませんよう、お戻りください。」

「お役目ご苦労様です。」

もう一度周辺の気配を探ったが、まったく何も感じられない。
だが、寺の周囲を警戒させていた綾月の部隊から、連絡が入る。

そこへ駆けつけた全員が、唖然とした。
寺のいちばん近くの海岸だった。

「うあ…あ……あ…」 「うう〜〜〜〜〜〜〜〜〜」 「ひい…ひい……」

海岸に長い筋が伸び、海の中へ数名の裸の男たちが這い込んでいく。
奇怪な声をあげ、目はうつろ、怯えた表情のまま寺から遠ざかろうとしている。
腰から下が立たないらしく、海へ入っても足がほとんど動いていない。

本気で触りたくもない光景だが、死んでからでは情報は取れない。

海から引きずりあげると、まるでひっくり返されたカメのように、
その場で手をバタバタさせるだけというありさまだった。

その上、無残なほど陰部が枯れ果て、藁の切れはしのような状態で、 陰嚢は縮みきっていた。


「いったい……何事だ?」


氷の悪魔のあだ名をもつシーナも、表情がこわばる。
だが、周囲に張り巡らされた感覚が、何かを感じた。

「だれだ!」

白い影のようなものが、海岸の茂みの陰にいた。
5人?、8人?、いやそれ以上か?。

ウフフフフフフフ
クスクスクスクス
フフフフフフフフ

かすかな笑い声と共に、その気配はすべて消えた。

シーナとその部隊の、研ぎ澄まされた感覚すらも捕らえられず、
もう一度周辺を探索したが、人っ子一人いなかったことだけが確認された。


海岸でばたついていた5人の男たちは、
ベーブ・マキンリーら、例の監視バードの映像に写っていた4人と、
おそらく、寺の外を見張っていた一名だろう。

というのが、形相が一変していて、髪は白くなり、
一気に30年ぐらい年老いたような有様な上に、
意識が白痴に近い状態で、何の返答もできないのである。

特に腰はがたがたで、しばらくは立つこともできないと診断された。



運悪く、監視バードがタカに襲われ、映像は途中で途切れている。
ただ、最後に誰かが来たらしいことだけが、連中の顔色から読み取れた。

まさか『監視してましたから、何があったか教えてください』などと、
と言うわけにもいかず、妙采尼が平然としている以上、何も言えない。
ましてやあの時の状況は、下手な事を言えば、
尼僧を侮辱することになってしまうからだ。

「不思議な事件ですねえ。」

さすがにWさゆり”嬢も報告を聞いて首をかしげた。

「えっとお、妙采寺って言いました?」

その時、横で聞いていたツインテールのオペレーター大連撫子が、
端末を叩きながら尋ねた。

「その寺、現在はありませんよ?。」
「えええええええっ?!」

イリナが仰天し、シーナも顔色を変えた。
撫子が端末から情報を引き出す。

「ほら、這入宗総統寺の系列でしたが、慶応4年(1868年)の太政官布告「神仏分離令」、
 つまり、一番最初の廃仏毀釈令で、完全に断絶しています。
 しかも、断絶の正式な理由は『妙采尼死亡』ですね……え??。」

ここまで言ってから、撫子は首をかしげ、そしてざあっと青ざめた。


江戸時代には、寺院は完全に系列化され、
日本中の末寺に至るまで、系列不明の寺は無くなっていた。

そこで断絶するということは、僧侶はいないはずなのだ。
そんな場所に坊主も尼僧も、だれも行くはずもなく
、 また入ったところで、宗派から完全に外れてしまう。
極端な言い方をすれば、神父がキリスト教から外されるに等しい。

その上、檀家はない上に、どこの寺も世話も援助もしてくれない。
相互扶助が当たり前の寺院で、そんな寺はありえなかった。

今更だが、帝国重工が敷設される際、
こんな小さな寺の事を、混乱した新政府が調べる余裕も時間も無かった。
政府が地元民からの仏事の確認だけで済ませたため、
完全に調査の埒外にあったといえる。

「じゃあ、いったい妙采尼さんって、誰なんですか……?」

イリナの疑問が、全員の背筋を冷たく撫でた。
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