ダインコートのルージュ・その7
≪何気なく、至福の午後≫
がちゃん、がちゃん、がちゃん、
なんとものんびりした音をたてて、黒光りする金属のアームを上下させると、
澄み切った冷たい水が、どどどどと赤錆びた金属の口から吹き出してくる。
昔は日本のどこにでもあった、手押しポンプだ。
“つるべ”で組み上げる井戸は、常に掃除をしてきれいにしないと、
汚れや雨水、ボウフラや虫の発生がありえる。
手押しポンプの井戸は、きっちり封をしてあるので、
汚染される可能性は少ない。
最初に少し、赤いさび水が出ることもあるが、
しばらく押していれば、きれいな水がこんこんと出てくる。
大きなたらいに、スイカやトマトを浮かせ、
水で冷やして食べるのも、夏の味わいの一つ。
出来れば湧水でやりたいところだが、
山からの水脈がある所でないと、そうそう湧いてはくれない。
「ふう…」
イリナは少し汗ばんで赤い頬を、
流れ出る冷たい水で、さっと湿らす。
水色系のキャミソールに、紺色のホットパンツ、
白い花のついたサンダルが濡れて輝く。
冷蔵庫で冷やす温度と、舌が美味しさを感じやすい温度は少し違う、
その点、井戸水や湧水はそれに近いので、おいしい。
錦糸卵に、シイタケの煮物、刻みミョウガに、最近生産を始めたツナのフレーク。
おいしいだしで、おろしわさび、スライスのトマトも鮮やか、
そして井戸水のおそうめんは、まさに夏の至福だった。
「はああああ…おいしいいい。」
「ツナって、意外に合うのね〜。」
「でしょでしょ、夏バテ予防にもぴったりよ。」
イリアがミョウガと錦糸卵をのせ、
ソフィアがノリとツナを合わせて食べ、
イリナが嬉しそうに話す。
うんうんとシーナもうなづき、つるつるとそうめんをすする。
今日は休日、みんな家で久しぶりにのんびり、
お昼のおそうめんも、気合が入っている。
もちろん、全員袖なしの薄い服で、
迷彩色の袖なしシャツに、黒の超ミニのシーナに、
イリアの金魚のシャツを胸下で縛って、薄い黒のスパッツ姿、
ソフィアはフェミニンカラーと呼ばれる、淡い色合いの大きな横じまコットンワンピース。
家の周りは樹木が多く、日差しの割には風が涼しい。
チリン、
風鈴が風流な音をたてて、夏の風を涼しく彩る。
「こんな井戸が町のあちこちにあるんだな。」
シーナが空っぽになった容器を片付けながら、つぶやいた。
サクッ、サクッ、サクッ、
イリナが大きなスイカを、きれいに切り分ける。
鮮やかな赤い三角は、滴る汁に輝き、これまた美味しそうだ。
「山が迫っている分、水脈の勢いがいいから、湧き水も多かったのよ。」
「“多かった?”」
ちょっと悲しげな口調に、シーナが聞きとがめる。
甘い香りと、滴る雫、塩を振ったりしながら、口元を赤く濡らす。
「20世紀に、むやみにダムや護岸工事をしたでしょう。」
「その反動でか…」
シーナがスイカを持ったまま、少し考え込む。
水源の確保は必要だが、大規模なダムとなると、自然環境への影響はかなり大きい。
ソフィアが、ふと思い出したことを言い出す。
「技術局に九州の人がいてね、父親が子供の頃に、
20キロ以上上流でダムを作り始めたとたん、
近所に7つもあった井戸や湧水が、いっぺんに枯れたって言ってたわ。」
湧水の池があり、昭和30年代までは夏の涼を求めて、人が押し寄せるほど、
冷たく、大きくきれいな池だったらしい。
「水の管理とは、難しいものだな。」
日本の発展と共に、都市部の人口は急増する。
そこに充分な水やエネルギーを確保するのは当然だが、
同時にダムや水源の問題も急増する。農村との共存もおおごとだ。
「水も資源だものね、浄化管理やリサイクル計画も大事よ。」
しゃくっ、ソフィアの口元からいい音がして、赤い雫が滴る。
「うんうん、こんな美味しい水、なくしちゃもったいないよ…ふあ、おなかいっぱい。」
イリアの平和なあくびが、昼食のお開きになった。
扇風機の涼しいそよ風、
風通しのいい部屋で、ゴロゴロとしどけなく、たわいなく、
美しい女性たちは、静かな午後、安らかな寝息を立てて眠った。
明日からの英気が、“平穏無事”な眠りの中でやしなわれる。
チリン
優しいそよ風が、また風鈴を鳴らした。
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