■ EXIT
ダインコートのルージュ・その6 【大英帝国の陰謀:7】


  ≪大陸にて≫


「もういやじゃっ!、朕はよそへ行きたい!、ロシアかフランスへ行くんじゃぁぁ」

“紫禁城”と呼ばれる広大な城の中に、奇妙な叫び声があがった。
あわてて数人の武官や燕尾服姿の男が走っていく。

「なんだ、また“おむずがり”か。」
「英国人は子供すらあやせんのか?」

5本指の竜の、華麗な扉を開くと、
苦虫をかみつぶしたような英国大使と、
喚き騒ぐ子供のような、小柄で貧相な顔つきの東洋人が、振り返った。

ちなみに、東洋人の服は輝く絹と金糸に包まれ、
鳳凰(ほうおう)の華麗な刺繍が施されている至上の芸術品。

「ロシア大使〜〜、こやつが、こやつがぁぁぁぁ」
「皇帝陛下、どうぞお気を確かに、少し後宮でおくつろぎください。」

大騒ぎする清国皇帝陛下を、巨体のロシア大使は体を小さくかがめ、
ようやく後宮へと送り出した。

ロシア大使と武官たちはため息をついた。


「すこしは、努力とか工夫とか、しようとは思わんのか英国人は。」

「ふんっ、勝手な事ばかりいうサルに、しつけは必要であろう。」

「あれが本気でいなくなったら、困るのは我々なのだぞ。
 お前たちが、自分で清国を統制できるとでも思っているのか?」

口をへの字にまげ、しかし言い返すこともでず、あさっての方を向く。

ロシア人は、ロシア皇帝という厄介な荷物を背負っているため、
貴族や王族の扱いは、意外に手慣れている。

逆に大英帝国は、王といえど絶対権力と言うものは無く、
国家の運営は議会が行うため、めったには口出ししない。

当然、こういう絶対権力の相手は、理解しずらい。

また、アヘン戦争で清国を負かした実績もある。
何とはなく、清国を見下してしまう傾向があった。

「まったく、他の国の迷惑も考えろ。
 我々は遊びや趣味でここに来ているわけではない。」


本来、皇帝といえば国家の最高権力者であり、
それより上は存在しないはずである。

だが、現在の清国はいくつもの国家が入り込み、
その意向や命令を無視できない。
特に義和団の乱の後は、権威は地に落ち、
乱を治めた諸外国へヒザを屈するありさまだった。
(最大の戦功を上げたのは、ほとんど要求もしない日本だったが)

だからと言って、皇帝をあまりにないがしろにしては、
それを利用する価値がなくなってしまう。

最小の労力で最大の利益を上げるのが目的であり、
徴税や収穫まで自分たちでやらされてはたまらない。
清国の国家機関は、絶対に無くては困るのだ。

だからこそ、皇帝の面目を保つため、
各外交官や武官たちが、個人で面談して、頭を低くし、
自尊心を満足させてやる必要がある。

だが、元々プライドの高い英国大使は、
しばしば皇帝ともんちゃくを起こした。


外交官や武官といえば、国王の配下の配下の配下の配下、
そんな連中に自尊心を傷つけられては、
さっさと国を放り出して、どこか外国へ逃げ出したくなるのも無理はない。

『皇帝が自国から逃げ出す?』と、
不思議がられる方もいるかもしれないが、
国王や皇帝が自国から逃げ出す例は、歴史上いくらでもある。


「そのような事は分かっている。だがあの情けないざまはなんだ、
 我が王家の威厳から見れば、サルも同然ではないか。」

ロシア大使はしらけた目をした。

「ジェームス2世のお国が、何を言い出すのやら」

『くそったれのジェームズ("James the Shit")』と、
自国の兵士にののしられたジェームス2世は、
戦争に負けたあげく、兵を見捨ててフランスに逃げた17世紀の英国王である。


血管を浮き出させ、血が噴き出しそうな顔になる英国大使に、

「くだらんプライドなど犬に食わせろ。それより真面目に仕事をしろ。」

体を倍近く膨らませ、元々巨体のロシア大使は、さらに上から強圧を加えた。
さすがの英国大使も、ぺちゃんこに潰され、小さくなった。

元々この表敬訪問は、各国の大使が念入りな論議と調整の末に決められた約束ごとであり、 ロシア大使が怒るのも無理は無かった。

『くそっ、いつかこの国から追い出してやる』

反論も出来ず、悔しそうな目をする英国大使。

『まったく、英国人は海の上だけいりゃあいいんだ。』

いらだつロシア大使。

この両国がいずれ、清国を挟んで対立するのは、火を見るより明らかだったといえる。




だが、この日はとことん大英帝国に分が無かった。

嵐による大規模な海難事故があったらしいことは、情報として聞いていたが、
青島に、嵐を逃れてきた英国船籍らしい船が入り、略奪騒ぎを起こした挙句、
銃を発砲し、かなりの犠牲者を出した。

もともと同族意識の強い東洋人、地元の人間たちは猛烈に怒り、
英国船を焼き討ち、さらに英国排斥の暴動が、あちこちに飛び火し、
一時は、義和団の乱の二の舞になりそうな勢いになった。

それは、同種の事件が沿岸部で多発したからだった。

大陸近くを航行し、嵐から極めて運良く逃れられた犯罪者たちの船が、
次々と接岸したのだ。

嵐の恐怖と、内乱の血祭りで、半狂乱の犯罪者たちは、
もはや火のついたタンクローリーに等しい。

特に上海は、おびただしい死骸と残骸が流れつき、
地獄のような海岸の様子に、一目見て吐く者が続出。

その上、台風がもたらした南からの温かい風が、最高気温39度を記録。
熱風が死臭を沸き立たせ、広大な市内にまで流し込んだのだからたまらない。

卒倒する者や病気になる者があいついだ。
その中で、狂乱した犯罪者が次々となだれ込み、
恐怖と狂気、発狂と暴走、暴動と流血が、理性と秩序全てを崩壊させた。

これは史実にないが、『赤い8月17日』と呼ばれ、
遥か後年まで忌み嫌われた大事件に発展した。
犠牲者、行方不明者は、2万とも3万とも言われている。


また、犯罪者たちは、ほぼ全員が大英帝国の査証(ピザ)を持っていたことから、
英国排斥の暴動が加速したのだった。

英国大使は大恥をかきながら、各国への協力を要請、
沈静化するまで2週間もかかった。

それがようやく終わった頃、
一つの情報が、世界に流れた。


それが大英帝国への、女性たちの反撃だとは、
事件が終わるまで、いや、終わってからも気付かないままだったが、


−−−始まったのだ。
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