■ EXIT
ダインコートのルージュ・その6 【大英帝国の陰謀:6】


≪神の御手≫


「帝国重工、オールコンバットモード(完全戦闘状態)、
 テストケース1、スタート!」

8月11日早朝、
“さゆり”嬢の号令が、美しいソプラノの響きとともに、
日本全土と、太平洋上の公爵領にある、帝国重工全ての施設内を駆け抜けた。

同時に、あちこちでサイレンが鳴り、 設備の形態が変化していく。

開放的に見えた出入り口が、床から現れた壁に狭まり、 その壁の内側床面に丸いハッチ(昇降口)が現れる。
内部警戒のレベルが2ランクアップし、 敷地内外の各所に、銀色の箱のような物がゆっくりとせりあがる。。

ハッチは、自律行動兵器すなわちロボット兵の出入り口であり、 一体で、21世紀中期の陸戦部隊一個分隊に匹敵する。 この19世紀末ならば、一個中隊でも互角に戦えるだろう。

銀色の箱は、自動防衛システムの一部で、 最大では、21世紀の主力戦車で押し寄せても、 直上、及び直下部から粉砕できる攻撃も行える。

テストケース1では、暴徒鎮圧程度の重機関銃をセットしてある。
巧妙に計算された配置で、死角はゼロ。 1000人程度の暴徒なら、即座に鎮圧できる。

小さな事業所と言えど、帝国の目と耳の機能を解放し、 様々な情報収集能力をランクアップする。

日本国防軍はこの年から、南シナ海、日本海、太平洋の全域において構築した、 SUAV(Strategic Unmanned Aerial Vehicle、自立型無人戦略航空機)による成層圏監視システムを開始しており、 リアルタイムでの全船舶の出航から寄航までの監視追跡を行っている。

船舶内の人数すら、熱紋迷彩対策型の高度赤外線探査装置によって把握できる。

まさに、日本の形をした巨大な竜『帝国重工』が、その機能の一部を表したのだ。



「成層圏監視システムオールグリーン。」

「船舶の監視と確認開始…異常行動を取る船をマーキングします。」

オペレーターたちが、予定された計画通り行動していく。

「マーキング数計測、台湾南東部220、太平洋西部30、清国沿岸部958」

「うわっちゃ〜、予想はしてたけど、清国からはすごい数だねぇ。」

ソフィアが、計測値に舌打ちする。

「ほとんどは、小型船かジャンクですね、沿岸部での略奪が横行しているようです。
 赤外線測定から推測して、人数はおよそ九千五百から一万人ほど。」

「朝鮮半島西部より、20確認。ロシアの犯罪集団と思われます。」

ツインテールのオペレーター、大連撫子が、航路予測を出した。

「日本到着予測は、8月15日が90%、のこりは以後になります。」

「90%?!、なにそれ。」

「彼らの目的は、はっきりしていますからね。」

ソフィアが、思わず自分を指さす。撫子がコックリうなずく。

「はうう…対象はわずか5名、一分一秒でも先に行こうと集団ヒステリー状態ってわけか。  それにしても、お盆に突撃かけてくるたあ、失礼な連中め。」

しかも、輸送船や客船などは、ほぼ全ての船が犯罪者たちに脅され、 他の船に遅れまいと必死になっている。

故障や内乱、火災などで遅れた船を除けば、ほぼ固まりあっている。

良く見れば、清国からの船もくっつきあって、茶色い帯に見える。

「まあ、くっつき合ってくれてるなら、世話はないけどね。」

そう言って、あらかじめ組んであったプログラムをロードする。


予測画面では、帝国軍が展開し、13日夜明けと同時に清国からの船は殲滅する。
こちらは渡航許可すらない略奪された船だ。
一歩たりとも領海内には侵入させない。

ロシア、太平洋、台湾南東部から回ってくる連中は、表向きは輸送船や客船が多い。
航路を外れれば、日本海軍と協力して即拿捕。

また、領海内に入れば、軍の艦隊がまとめて誘導し、
四国沖に設置した大型フロートへ係留させ、その上でしばきあげるのだ。

「ん…あれ?」

ソフィアが眼鏡をはずし、目の間をもんだ。

だが、眼鏡をはめなおしても、それはあった。

「さゆり〜〜っ、フィリピン沖5時間前からの映像をだしてっ!」

そこには、不吉な雲の塊が発生していた。


わずか5時間の映像で、みるみるそれは膨らんでいく。

南海の海という寝床に、それは生まれた。

小さな熱い気流の渦巻きにすぎぬそれが、 膨大な熱量と、濃厚な湿気のミルクを飲み、 次第に雲を身につけ、風をまとい、体内に莫大なエネルギーを飲み込み続け、 さらに巨大に膨らんでいく。

やがてそれは、ゆっくりと産声を上げた。
激しい風と雨が、海上を揺さぶった。

「まだ150キロ四方程度だけど、これはどんどん大きくなるよ。」

しかも、その隣に、もう一つの赤子が産声を上げていた。
もう一人の赤子を、仲間を喜ぶがごとく、それは産声を上げ続ける。
莫大な熱量は、赤子たちに充分な乳を与え、みるみる巨大に育て上げた。

半日の内に画面を埋めていく巨大な双子の渦巻きに、 “さゆり”もオペレーターたちも青ざめる。

「テストケース1中止!、大規模災害対策プログラムへ切り替えます!」

朝のサイレンより、はるかに激しい警戒警報が帝国重工に流された。

この国において、台風と火山活動と地震は宿命である。

中でも、毎年必ずと言っていいほど襲ってくる台風は、 自然と言う荒神の恐ろしさを、日本列島一万五千年の歴史の中で、 絶対に忘れさせなかった。



風速50メートルの歌声が、海上を揺るがし、天空をかきまわす。
元気な赤子は、たくましい青年となり、ぽっかりと巨大なひとつ目を見開いた。

そして、弟に別れを告げるや、まっすぐに北北東の海へと走り出す。

踊る、踊る、踊る、

回り、駆け抜けるその巨体。

どこまでも広い海面を、思うがままにふみつけ、風の歌を世界へと轟かせる。

哀れな海面のゴミ、茶色の千ほどの船も、
かすかな悲鳴と、絶望と、祈りをあげながら、粉々に踏み砕かれた。

「怖い、怖いよおおっ」
「いやだあっ、死にたくないいいっ!」
「おっかああっ、おっかあああっ!!」

己の脳裏に刻んでいた黄金と略奪の夢も忘れ、 ただただ、生を願い、死を恐れ、何故こんな所へ来たのかを後悔し、 全ての絶望を、己の脳髄ごと、海の中へ投げ捨てた。


自由だ、自由だ、自由だ、

歓喜の叫びをあげながら、彼はさらに加速し、 凄まじい風をまき散らし、朝鮮半島をけりつけ、あらゆる建造物をぶち壊した。


遅れて目を覚ました弟も、 兄の行く末に手を振り、己の道を探して、北東の海へと歩み出た。

彼は、兄に比べると、のんびりしていた。
あたたかい日差しを、もっと欲しいと思い、 たっぷりとした湿気を、もっと飲みたいと欲した。

ふらふらと蠢く夏の台風。
『8月の台風は迷走する』という言葉すらある。

東シナ海から沖縄を横断、北へ上ったかと思うと、 鹿児島直前でまた南西へ、ふらふら、ふらふら、

予想すら出来ないコースをうろつきまわる台風に、 海上の船は悲惨なことになった。

ほとんどの船は、犯罪者たちに指揮権を奪われて、 日本へ向けてのチキンレースを行っていた。

だが、この嵐にたまりかねた船員たちが、 船の指揮権を奪い返しに立ち上がったのである。

この時点で、彼らの運命は決まっていたと言えた。


指揮権を奪い返した船員たちは、頭の血が下がると、 大英帝国の査証(ピザ)を持つ客であったことを思い出した。

恐怖のあまり、息があるかどうか確認もせず、斧を振るい、 バラバラにして、海へ投げ捨てた。

指揮権を守り抜いた犯罪者たちは、気がつくと、 船員のほとんどを殺してしまっていた。

ろくに動かすことすら出来なくなった船に、 風速50メートルを超える嵐が、容赦なく襲いかかった。


兄の台風は、次第に衰え、命が尽きていくのを感じた。 だが、もっと、もっと、もっと走りたかった。

朝鮮半島を蹴り、海へ海へ、 最後の一息まで走りぬいた。

突如走り抜けた突風に、 ロシア北東の沿岸部は、林はなぎ倒され、家は倒壊し、鉄道は脱線した。

弟の台風は、ゆったりとうごきまわり、 太平洋の上を北へ北へと進んで、 ハワイ沖にまで到達して消えた。

ただ一つ、無事に航海を終えようとした、アメリカからの船30隻は、 帝国軍の雪風級護衛艦2に挟まれ、その威容と、威嚇の艦砲射撃一発で、 完全に縮み上がった。

「人が…命が…消えていく…」

大型コンソールを前に、イリナが涙を流しながら、 凄まじい光景に、消えていく反応に、つぶやいた。 無数の消えていく光点、一つ一つが命。

イリアが、彼女のヒザにすがりつき、すすり泣いていた。

“ゆかり”も、シーナも、ソフィアも、悲痛な顔でその光景を見ていた。

彼らは倒すべき敵だった。
己の手を血に染めて、戦うべきはずの相手だった。

だが、人が自然という神の前に、どれほどちっぽけで哀れなものか。
綿ぼこりのように、人の命の灯りが消えていく。

その無残なありさまに、哀れみの思いを抱かずにはいられなかった。
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