■ EXIT
ダインコートのルージュ・その6 【大英帝国の陰謀:2】


≪日本の片隅で2≫



 土臭い匂いがする。

 身体の下は、皮と木の葉。
 体には色あせたぼろ布をかけ、
 天井は低く、岩がむき出しの洞窟、

 そして横に寄り添って眠る男。

 クスッ

イリナは、目を覚ますとかすかに笑った。
目の前の男は、テツロと名乗っていた。
痩せて骨ばった顔は髑髏のようで、頬はこけ、 目はギョロ眼で、歯並びも悪く、少し出っ歯だ。
どこをどう見ても、美男子とは言い難い。

ぼろをまとい、生臭い匂いもし、長い蓬髪はくしゃくしゃ。

だけど、イリナは気にもならなかった。
たくましい腕で、裸のイリナを抱き、眠っていても離すまいとしている。

激しく荒れる夜の中、 せつない声を上げながら、何度も身体を交わしあった。

嵐の轟音、落雷の響き、荒れ狂う土砂の地鳴り、 人は何とちっぽけで、小さなものか、 そんな中で、寄り添って眠るしか、安らぎは無いのだと、 昨夜の熱い抱擁の中、何度も溶けて、達した。

自分は子を成せないと言うと、テツロは泣いた。

何度も、デキロ、デキテクレ、と叫びながらイリナを抱いた。

イリナも泣きながら、それにただ応え、受け入れ続けた。

子狼のアールグレイが、洞窟の入口で静かに待っていた。
また、世界に戻らねばならない。

「カエル、ノカ」

ぼそっと、声がした。

ゆっくりとうなずくイリナに、さみしげな眼が向けられる。

だが、彼は里には降りられない。
イリナの白い柔らかな体も、山にはいられない。

心と体を激しく交わし合ううちに、テツロはそれを悟った。
いとおしく抱きしめれば抱きしめるほど、その手を離さねばならない事を感じた。

ぎゅっと、イリナの柔らかい腕が彼を抱きしめ、 熔けて意識を失いそうな、白いふくらみが顔を包んだ。

「テツロ、また来るわ。」

かすかに、巨大な男はすすり泣いた。




冷たい滝の水で、体を清めた。
テツロの姿は、山の上に駆け上がっていた。

「イリナ!」

叫ぶ声に、イリナが手を振る。 その姿は山の向こうに消えた。




テツロは山を降りられないと言った、 「山人」は、里に長くいると死んでしまうという。

イリナは、その事を考え続けた。
アールグレイがちょこなんと座り、イリナを見ていた。

「そうか…キミたちと一緒なんだ。」

アールグレイの目をみて、イリナは気づいた。
狼が絶滅しかけた理由は、一つはキリスト教からの忌避と殺戮、 そしてもう一つは、海外から入って来たジステンバーなどの伝染病。

山の清浄な環境に住んでいる者が、下界の人ごみに長くいれば、 それまでかかったことの無い伝染病に、簡単にかかる。

おたふくかぜや、水ぼうそう程度の病気でも、「山人」には致命的だ。
ましてや、スペイン風邪などのインフルエンザが入ってきたら、 一族全部が死んでしまう。

たとえ少数生き残っても、まず間違いなくその部族は絶える。



山が、まだ生産性の高かった時代、 食料、狩猟、燃料、建築材、食料、運輸、薬、鉱脈、 実に様々な人間が、山に入り、生活を立てていた。

同時に、修行の場として、自然との合一を目指し、あるいは己の神を求め、 山を崇める者たちも、実に様々な文化や宗教を持ち込んでいた。

生活と宗教があれば、そこには部族も形成される。

様々な職能を持ち、あるいは山の聖域を守り、過剰な介入を拒む者たちが、 海と同様に山にも数多くいたのである。

だが、江戸時代の差別政策で「山人」は理不尽な圧力にさらされ、 山役人として赴任する武士は、鉄砲で領民とならない「山人」を殺した。

そして、明治以降の文明開化で、山の生産性は下がり、 人が山に近づかなくなると、「山人」はさらに減少していく。
それに追い討ちをかけたのが、狼と同じく、海外からの伝染病だ。

イリナからの報告と推測を聞き、高野も“さゆり”嬢もうなづいた。

「狼を保護して、人間を保護しない理由などない。」

これは、帝国重工として立派に遂行すべき目的だった。

意外な所から、強い賛同の声が上がった。
技術幕僚の真田忠道准将である。

「これは、環境保全の分岐点になるかもしれませんぞ。」

日本の国土は、実に7割が山林なのだが、 20世紀後半、一時高騰した山林資源は、その後極端に低迷する。

成長が早く、上質の材木が取れて儲かると、 何とかの一つ覚えのように、杉やヒノキの針葉樹ばかり植林し、広げ続けた無計画。

日本中その山林ばかりになった頃、建物は鉄とコンクリートとガラスがメインとなり、 安い輸入材は豊富に入り、材木はさほど必要とされなくなってしまった。

以後、山林は荒れ、自然災害は膨大な河川土木にもかかわらず、たびたび起こった。

そして同種ばかりの植物相は保水力が低く、天災に弱く、他の種族を支えてやれない。 急激に動物や昆虫、植物すら絶滅が増える。

明治初期に、日本を訪れた外国人たちは、 野生動物の豊かさに、一様に驚嘆の声を上げているのとはえらい違いだ。。

真田が愛用する都市開発ゲームの最上位版で、 自然条件まで加味した超難易シュミシュレーションでは、 日本を設定すると、この点がどうにもならぬほど困難で、 悔しい思いをさせられていたのだった。

もし、ここから多様な樹林の環境を保全し、 より高度な自然環境利用を発達させられれば、 山林は、生産性が高くなり、多くの人が目的を持って利用する。 利用するところに、開発と保全の両輪は成り立つのだ。

その導き役に、「山人」たちはうってつけであろう。

これは、遺伝子保全のためだけでも、計り知れない価値を持つ。
未来に宇宙へ進出する時、遺伝子のデータは最強の財産の一つだ。

そして、山林の保全が、沿岸部の海洋資源にまで役立つのである。

真田の怒涛のごとき、長大な視点と計画に、 高野たちは呆然と聞き入っていたが、遺伝子保全は確かに未来への重要な布石だ。

山の職能者たち「山人」は、その橋渡しができる存在になれる。

研究班を立ち上げ、「山人」の保護をいかにすべきか、検討が始まった。









≪大英帝国2≫



大英帝国・植民地省に、ひそかに、金融関係の責任者たちが呼び出された。

イングランド銀行、シティ銀行、ロイズ銀行等等、 ロンドンの中枢シティに本社を置き、世界に広く力を持つ金融機関ばかり。

大臣ジョゼフ・チェンバレンは、彼らにある協力を依頼した。

最初は全員難色を示していたが、植民地大臣の強権と、『国策』に抵抗するすべはない。 金融条件の緩和や、植民地経済への協力依頼をかなりの好条件で取り付け、 その『債務保証』を約束した。

世界のシティと、影響の及ぶあらゆる場所、 つまりほぼ世界中の文明圏で、その『債務保証』は実行される。

おそらく最大でも数件、数も金額も彼らからすれば大したことは無い。

ただ、内容一切を機密とし、『大英帝国の関わりは厳重に秘匿される』。

後に、ナチスの財産を秘匿しぬいたスイス銀行のように、 金融機関は多少の泥はかぶっても、実質(儲け)がとれればいいのである。

植民地大臣は、ニンマリと笑った。

「よし、ボストン、準備は整ったな。」

筆頭秘書官は、万全でございますと、端的に応えた。

大英帝国各地の領土や植民地の、 (大臣とつながりのある)貴族や大富豪の名前で、 各地の暗黒街へ向けて、あるメッセージがひそかに流された。 実質は、海軍基地を通じて流されたようである。

『高野さゆり、ダインコード四姉妹の内誰かを、
 五体満足のまま大英帝国の軍艦に乗せれば、
 一人につき1万ポンド、もし複数乗せることができれば、さらに1万ポンド追加する。』

ちなみに金本位制の大英帝国、1ポンドは金7gに相当する。 女性一人でも、70kgの金塊と交換できるポンド紙幣が、ほぼ無条件で渡されるのである。

口頭によるメッセージのみで、一切証拠になるものは無いが、 支払い保証は、世界的な大銀行ばかりだった。

そして、銀行は問い合わせに対して、全てこう応えている。
「艦長の発行する証明書をお持ちになれば、問題ございません。」

当然、各地の暗黒街は大騒ぎになった。
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