■ EXIT
ダインコートのルージュ・その5 【美女と野獣:1】


≪朝の二幕≫


トントントントン

軽快なまな板と包丁のリズム。
ことことと煮え始めるお鍋、 手早く味噌をとき、火をとめ、塩サバの焼き加減を見る。

美しい銀髪が動き、愛らしい笑みをうかべ、 今朝もおいしくできそうな朝食に、 抜けるような白い肌をほんのり上気させる。

イリナ・ダインコートは、見かけ純粋な白人に見えるが、 大の和食党で、朝は必ずお味噌汁と決めている。 そして、作るのも大好きだ。

「いいにおいだ」

パフッと、後ろから彼女の細い体を、 引きしまった腕と胸が抱え込む。

「だめですよ、隼人さん。もう少しまって・・・んっ、」

少し無精ひげを生やした、ほりの深いちょい悪オヤジな顔、 風霧隼人がにやっと笑った。

「だめだ、とてもまてない。それに、下着エプロンって、燃えるじゃないか。」

からん、菜箸が落ちる。

「だめですって・・ば・・んっ、」

キスが、イリナの言葉を奪った。









グラグラグラグラ

ひどく煮え立つ鍋。

「きゃーっ、焦げてるううっ。」

ガチャガギャンッ

イリナによく似た、でも少し幼い顔の少女が、 いや、年齢は同じぐらいなのだが、どう見ても少女のはかなげなイメージが先に立つ。
イリア・ダインコートといい、ダインコート姉妹の末妹である。

イリアは半泣きで、必死に台所と格闘していた。

ようやく仕上がった、朝食の残骸とでも言えそうな、そういう物に、 あきらめ半分のシーナとソフィアは、よしよしと泣きそうなイリアの頭をなでてやる。

とはいえ、シーナが朝食当番の時は『レーション(軍用食)』が並ぶし、 ソフィアが当番だと、研究室の『バランス栄養食』なるものが、お茶と並んだりする。

ちなみに、その『バランス栄養食』、 研究熱心すぎて食事をはぶきすぎ、栄養不良で倒れる研究員が続出したため、 あわてて“さゆり”嬢が研究棟のあちこちに設置した『非常食』である。

ちなみに、今朝もシーナは透き通るベビードールに下着一枚、 ソフィアはピンクのネグリジェにボサボサ頭、 泣きそうなイリアは、クマちゃんパジャマに、豪快なシミだらけのエプロンという姿。

とにかくも落ち着き、3人で味噌汁をすすった。 が、3人の表情が凍りつく。

「……イリア、これ“お”味噌じゃないわよ、“酢”味噌よ。」

「あ〜〜〜〜っ?!」

そういえば、一昨日イリナが出かけるとき、 『ぬたを混ぜる酢味噌を入れておいたから、青物はそれを出すといいわ』 と聞いていたのだった。

「おっ、おっ・・・・お姉ちゃん、早く帰ってきてえええええっ!」

イリアの絶叫が、虚しく響いた。




「んもう、部長がいつまでも遊んでるから・・・」
「しかたないだろう、おいしそうだったんだし。」

小声で言いあいながら、 イリナと風霧部長は、帝国重工に急いで入った。

「んあ〜、おはようイリナ」

受付嬢の伊集院ツカサのそばで、 ソフィアが少しやつれ気味の顔で、高エネルギー飲料をすすっていた。 白衣姿でこの顔色だと、まるで徹夜組だ。

「おはようソフィア、また泊まり込んだの?」

「花も恥じらう乙女が、そうそう泊まり込めますかっての。栄養補給よ、栄養補給。」

思わずひきつる笑顔のイリナ。
今朝の朝食当番がイリアだったことを思い出し、だいたい想像がついた。

3人とも、夕食なら普通にできるのだが、なぜか忙しい朝食だと、 失敗、転倒、計量ミスが立て続けに起こってしまう。
特にそそっかしいイリアは、致命的だ。

ツカサは朝食の状況を、聞かされていたらしい。

「あ、風霧広報部長、“さゆり”様から伝言です。
 『昨日帰ってるのですから、報告書は早くお願いします』だそうです。」

彼女は長い黒髪に日本人形のようなおしとやかな美人なのだが、 結構性格が容赦ない。

いきなり昨夜のデートをばらされ、 二人はソフィアのジト目に、あわてて広報部へ逃げ出した。




≪珍客≫


広報部で風霧は、報告書や溜まっていた仕事をぱっぱと片付け、 イリナの入れた香り高い煎茶で、一息つく。

だが、送られてきた情報端末のデータを何気なく見て、 目つきが変わった。

フォトグラファー社という、世界的な写真雑誌のインタビューとして、 イギリスから記者がイリナやソフィア、“さゆり”らに面会に来る。

それはいいのだが、その後ろに随行員として写っている男の顔が、 どこか記憶に引っかかる。

「どうかされました?」

イリナが、風霧の気配が変わったことに気づいた。

「イリナ、この顔に見覚えはないか?」

「現状の記憶ではありませんが、類似データで記録層検索をしてみましょう。」

一目みて、自分の記憶に無い事を確認したイリナは、 そのまま重工のデータベースにアクセスした。

風霧の記憶は、19世紀より21世紀の方が多い、 そして、こちらで風霧が見聞きした事は、イリナは全て記憶している。 そう考えれば、21世紀のデータを検索する方が早い。

すぐにデータが合致した。

「スイス系アメリカ人、コンフェルネン・ダフィ氏のデータと非常に類似していますね。」

「そうか、あの男か・・・」

21世紀で有名なヘッド・ハンター(人材引き抜き業者)である。
しかも、4代前からヘッド・ハンターという、筋金入りの一族だ。

資料には随行員の名前も付属していて、21世紀のデータにそれが合致した。 ベルヘルネン・ダフィ、コンフェルネンは4代後の直系だった。

「つまりこいつは初代か。」

風霧の顔が緊張する。
芸能や武術でもそうだが、新たな流派を起こすというのは、 並大抵の人間にできることではない。

イリナは宙を見るような瞳から、急に眉をしかめた。

「さらに関連するデータがありますよ。一筋縄ではいかない人のようですね。」


21世紀の私たち(日本人)の概念では、 スイスと言えば、精密機械、スイス銀行、平和国家、 アルプスの山々、高原、ハ○ジのふるさと等が浮かぶのではないだろうか?。

だが、スイスには別な顔もある。

高原の厳しい気候と薄い空気、そして山だらけの地形は、 心肺機能を格段に高め、強靭な肉体を住む者に強制した。

農作業に不向きな地形は、必然的に狩猟や採取、牧畜が中心で、 当然、すばやい動き、高い視力、戦闘能力の増加をもたらし、 自然武器の扱いに優れるようになる。

そう、スイス地方は、古来より職業兵士『傭兵』の産地でもあった。 また、多数の国と国境を接するため、情報の流れも速かったらしい。
(現在でも、バチカンの守護として、スイス傭兵が存在する)

ちなみに、ハ○ジの父親も傭兵で戦死し、 そしておじいさんも、若い頃傭兵だったそうである。

日本でも、伊賀(三重県)、木曾(長野県)、甲府(山梨)など、 これらの山岳地帯は、忍びの里として知られている。


ベルヘルネン・ダフィは、9代前から傭兵の家系であり、 彼の出身の村は、傭兵村として古くから知られた一族だった。


「ううむ、かなり厄介な相手のようだな…。」

百戦錬磨の歴史を持つ傭兵となると、 合法非合法を問わずどんな手段でも取りかねない。

その血を濃く引き、ヘッド・ハンターの開祖とも言うべき人間が、 わざわざ日本まで乗り出してくる。

となると、目的は当然帝国重工の科学技術、 つまり、それを担う科学者たち以外考えられない。


とりあえず、警戒レベルを準戦闘時にまで上げることにした。 いざとなれば、逆に洗脳して、帝国のために働いてもらうだけだ。


だが、この時点で帝国側は少々舐めていたと言える。
『百戦錬磨の傭兵の血』というものを。
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