■ EXIT
ダインコートのルージュ・その4


ザアッ

風の音に、びくりと肩をすくめる。

深い森の中、アップダウンの多い地形、 ほんの10メートル先が確認できない。

だが分厚い枯れ葉や、木の枝は、 天然の警戒装置としての働きもある。

だが、それすらも越えて、何かが感じられた。

帝国重工特殊作戦軍、末松軍曹は手をかすかに下げ、 全員に『動くな』と警戒を促す。

周囲と、先頭から後方へと視線を動かそうとした。


だが、一瞬遅い。


風の音の反対側、音も無く、黒い影が木の葉の間を揺らめいた。

「散開!」

即座に、末松と7人の部下は、バラバラの方向へ散った。

その散った瞬間、

 タタタタタタタタタタタ

軽い、気の抜けるような連続音が、 さまざまな高さと角度から、襲いかかる。


『なっ、何人いるんだっ?!』

末松の心中の悲鳴と同時に、 胸、腹部、腰、あっという間も無く、全員が赤く染まり倒れた。

彼の身体も、3発の衝撃が襲った。

『20、いや30人・・・?』

地に伏せながら、彼は信じられない状況に呆然となった。




「各員状況の確認と敵兵の確保をせよ。」

ハスキーな女の声が、最低限の大きさで指令を出す。

声の主は180の長身に、白く抜けるような肌がちらちら見える。

前衛芸術のような迷彩のペイントが、顔を覆っていなければ、 氷の彫刻のような美貌が拝めたことだろう。

プラチナの髪を短く刈り、細い首がすんなりと長い。
体つきも細身だが、重量感のありそうな胸が突きだし、 逆にウェストのくびれ方は、蜂のようなイメージがある。

『キラー・ビー(殺人蜂)』のあだ名は、このスタイルも関係しているのだろう。

「作戦は予定通り、全員の抹殺を前提としている、
 確認後、息のあるものはとどめを刺せ」

髪をお団子にまとめた、かわいらしい女性が、 表情一つ変えず、20センチのナイフを抜き、肩と足を赤く染めた男性の心臓を刺した。

「作戦終了、これより帰還する」

女性は初めて、はっきり聞こえる声を出した。




「まったく・・・・信じられねえっすよ」

腹と胸を真っ赤に染めた、左党上等兵がぼやきながら起き上った。 もちろん、胸と腹を染めているのはペイント弾だ。
ただし、特殊部隊訓練用のこれは、かなり痛い。

「現実だ、しっかり認めろ」

末松軍曹が苦笑しながら起き上る。 ちなみに、先ほどの女性が抜いたナイフは、硬めのゴム製である。 これも結構痛い。

「しかし、あれで同じ八名とは・・・恐ろしいもんだな。」

末松の小隊は、特殊作戦群訓練兵としては、トップグループなのだが、 シーナ・ダインコートが率いる部隊では、相手にすらならなかった。



帝国重工の『特殊作戦群』とは、 極秘の表にできない案件、事件、帝国重工の要人警護などに対処する、 特殊部隊で組織された部門である。

帝国重工には、21世紀の、それも最先端の技術、知識、実物が詰まっている。 また、高野を始め、人的財産は失われたら取り返しがつかない。

“さゆり”嬢などの準高度AIにしたところで、 その擬体を作るには、この19世紀末では、戦艦一隻作るより大量のエネルギーと構成作業が必要だ。

それらをどう守るかは、帝国重工にとって難問だった。

元々、旧日本軍の部隊には、 移動先に橋頭保を確保しなければならなかったため、 艦隊でありながら、特殊部隊が同乗していた。

おかげで、最初期の活動には何ら不自由が無かったが、 帝国重工の世界的な活動を支えるには、この部門の拡張強化は必要不可欠だ。

この部門は、今の日本軍に協力は頼めない。

機密漏れも心配だし、何より、カチコチの軍人では頭がついていけない。

実際、日本軍が高野たちの警固を申し出たりもしていたが、 丁重にお断りを申し出て、それでも執拗に言ってくるので、 実戦形式でシーナたちにねじふせさせた。

どうも、スパイと監視を兼ねているような気配があったからだ。 もっとも、その様な動きは最高意思決定機関によって直ぐにでも封殺されたが…

帝国重工の発足と同時に、この部門も設立されている。
(日本国防軍より早く、あとから軍内部に組み込んだ。)

ここに入る人員は、各部門で特殊工作軍に適したと思われる人員を、 様々な適正試験の後に、振り分けられる(だから、本人も最初知らないのである)。

もちろん、最終的には本人の同意を得て行うが、 危険な任務にもかかわらず、拒否された例がほとんど無かったのは、重工の方が驚いた。

これは、当時の日本が、世界の中でも『異常に』識字率が高かったためらしい。

江戸時代で実に6割、19世紀末では7割を超えた。
(正確には、19世紀末男子9割女子5割、欧米列強は、良くて5割に満たない)

広報部の活躍もあったが、その広報を『読める』人間が大半だったため、 若者たちは、未知の世界へのあこがれと志を激しく掻き立てられ、 重工ですら想像外の効果で、すぐれた人材が集まっていたのだ。




余談だが、 『もし同じ事が日本以外の国で起こっていたら』 という仮想試験が行われたことがある。

“大鳳”の貴重なリソースすら一時使い、 20カ国余りの例をあげて試験された結果は、 全員背筋が寒くなるような、悲惨な未来が示された。

中でも識字率の低さは、意外なほど悪影響を続け、 結果的に、未来の知識が暴力と扇動に支配される世界を広め、終末を早めた。

実際20世紀でも、ある軍事独裁国家は、暴力と扇動を革命と呼び、 自分たちの優位性を絶対にするため、『文字の読める』人間(知識階級)を『人民の敵』と名づけ数千万単位で虐殺している。




選抜された人員は、特別な催眠学習と高度暗示を受ける。
特に念入りに行われたのが、『21世紀の技術を見ても、驚かないこと』である。

たとえば、今日の訓練でもベレッタ社が開発したXM8のカスタムモデルが使われているが、 単発、三点バースト、連射と状況に応じた切り替えができる。使用弾は6.8mmx43弾であるが、特殊樹脂を多用して重量が抑えられているので、小柄な女性でもフルオートで連射可能だ。

いまだ機関銃の存在しない世界では、破格の超技術と言っていい。

もちろん、分解掃除も組み立ても、訓練兵は出来る。
だが、それは当り前のことで、何も不思議ではない。

超小型の通信機や、盗聴器、映像記録装置なども、 『当り前の物』で、何も不思議がる物ではない。

ただ、それを帝国重工以外の人前で口に出そうとすると、 ど忘れし、気にもならず、おぼろげな概念にとって代わる。

通信機は『遠くから聞こえた』、盗聴器は『こっそり聞いてたやつがいて』 映像記録装置は『のぞいてたのがいてなあ』などと、なる。

また、体内に埋め込まれた認識生体チップが、 彼らに支給される武装や兵器を管理し、万一違う者が使おうとすると、ロックしてしまう。 (防護服にしたところで、開封のロックが解けない)

そして各員は、定期的な深層心理調査が行われるのである。

末松軍曹は入隊3年目で、この訓練は2回目、 彼の部下たちは、半年の研修と訓練、そして半年の特殊プログラムをへて、鍛え上げられた新兵たちだった。 彼らの他にも6個のグループがあり、競い合っている。

その中で、年2回、訓練兵トップグループは、 “特殊部隊最強”と言われるシーナの部隊と戦わせてもらえる。
いわば優秀な成績をおさめた事への『ご褒美』である。

だが、最初シーナの部隊と顔合わせした時は、 必ずと言っていいほど勘違いをしでかす。

なにしろ、シーナを筆頭として、美女ぞろい。

男性の前で恥じらったり、優雅なしぐさで男性たちが見とれたりと、 極上の美人である事を除けば、ごく普通の女性ばかりのような気がしてしまう。
だが、彼女たちは戦闘用の特殊擬体と、準高度AIの戦闘特化型という、 まさに死の女神たちなのだが、さすがにそれは分からない。

『この戦闘でいい所を見せてお付き合いを・・・』などと、 ふらちなことすら考える者も、例外なくいる。

ただ、開始時に一言だけヒントが与えられる。

「接敵時間は11時の予定よ。」

作戦終了は、11時3分だった。

全員どれほど落ち込んだかは、言うまでもあるまい。



「立ち、座り、伏せ、全ては基本の射撃姿勢。
 ただ、姿勢を瞬時に変え、即座に移動する。
 たったそれだけのことが、敵をパニックに追い込み、
 プレッシャーで圧倒してしまう事が可能。」

その場で正座させられ、シーナの講義が始まる。

「講習と訓練は違い、訓練と実戦さらに違う。
 今回の敗北から、そのことをよく認識するように」

訓練兵たちは、その意味を極めつけ痛い思いで感じ取る。
撃たれた瞬間、彼らはあらゆる角度から飛んでくる弾丸に、 ほぼ全員がパニックを起こし、たった八人を何倍もの数に錯覚してしまった。

氷のような美貌と、冷徹な言葉が、なおさら痛みを助長する。
戦場のシーナは「殺人蜂」の他に、「氷の悪魔」という有り難くないあだ名もある。

「小隊単位で行動する時は、各員が各員に責任を持たねばならない。
 友を守れぬ者は、友から守ってもらえぬ。
 先ほどの訓練でも、互いに警戒の連携を高めていたなら、
 半数は初撃を逃れられた可能性があった」

一人、とどめを刺された者が立たされる。

「彼は仲間の動向に注意を向けていて、その向こうにいた襲撃部隊の動きを察知した、
 それゆえ、散開の命令に即座に反応し、即死は免れている。
 君と組んでいた相手はだれだ?」

あいにく、そちらの方は、彼の反応に気づかず、背中から即死。
末松が手を下に下げた動作『止まれ』の命令中は、 アイコンタクトしか取れないのである。

「常に仲間に気を配ることで、100に1つだが、背後からの攻撃もかわす可能性が出る、覚えておくように」

そして、初めてシーナがにっこりとほほ笑んだ。

「彼は、察知したにも関わらず、散開の命令が出るまでじっと耐えた。
 これはとても大事なことだ」

シーナたちは、各員の動き、反応、行動目的から心理に至るまで、じっと見ていた。

「言わずとも分かると思うが、危険を感じたからと、我がちに逃げるような臆病者は、特殊作戦群には一兵たりとも必要ない。たとえ、己の身を危険にさらしても、仲間のために耐える、それが出来て初めて、軍人の軍人たるゆえんを得られるのだ」

そしてシーナが、彼女の部隊員たちが拍手を送った。

圧倒的な相手に対して、勝つことが目的ではない。

生きるために最善の努力を尽くし、なおかつ仲間のために死を恐れぬこと。
これこそが、この訓練の眼目であり、参加者の最高の栄誉だった。
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