■ EXIT
ダインコートのルージュ・その3


1896年 12月11日 水曜日
この日は、雪風級護衛艦一番艦、雪風の公式なテストが行われた。

帝国重工にとっては、単なるテスト試験にすぎないのだが、 明治天皇の通達により、海軍大臣の西郷従道大将も参加しているため、 公式なものとして取り扱われることとなった。

だが、一部の参加者にとっては、 かなりの『萌える』イベントだったらしい。

「イリナ〜〜〜〜っ!、起きなさああああいっ!」

いきなり布団を引っぺがされ、 薄桃色のスキャンティ一枚で寝ていたイリナは、 卵を剥いたような裸身を晒され、 寝込みを襲われた淑女そのままに、

「にゃ・・・、えっ?、きゃ〜〜〜〜〜っ!」

寝ぼけまなこの青い瞳が、いきなりまん丸になり、 胸元を押さえて、悲鳴を上げた。

「なっ、何なのよおおっ、ソフィア姉さあんっ!」

時計を見れば、まだ朝5時15分。
起きるどころの時間ではない。

「何言ってるの! 今日は雪風のお披露目の日よっ!!
 ゆっくり寝てなんかいられますかっ」

いやもう、ピンクのネグリジェ姿で仁王立ち、 ハイテンション上がりまくりのソフィアである。

「なんなのよぉ」
「うにゅ〜〜、お姉ちゃあん、何事ぉ〜?」

可愛そうに、長身に透き通るベビードール姿の長姉のシーナに、 クマちゃんパジャマの末妹のイリアまで、起こされてしまった。

「目を覚ませええい、皇国の興亡この一戦にありよっ!。」

活火山の噴火のごとき、ソフィアの咆哮に、 3人ともため息をついて、二度寝はあきらめた。




雪風のテストと言っても、 帝国重工の側からすると、多少来客が多いのと、 直前のチェックが多少増えるだけだ。

雪風は、すぐさま実戦投入ができるレベルまで仕上がっており、 21世紀レベルでの、ありとあらゆる実戦・実験記録に基づく、 内外のチェックは終わっている。

分かりやすく言えば、 世界一流の劇場やオベラの振り付け師が、 幼稚園児のお遊戯の手伝いをするようなもの、だろうか。

その上、ソフィア嬢らを始めとする、 準高度AIの献身的な研究と努力が、 『慢心』など欠片もない活動を行い、 どのような大規模演習でも必ず起こる『ぬけ』が、 ほとんど何も見つからない。

もちろん、ソフィア嬢たちを、 献身的な研究者としてしか知らない一般社員たちは、 まだ純朴な日本人の、素朴で感受性の高い精神に、 彼女たちを規範として、必死に学ぼう、追いつこうと、 さらに努力を重ねていくことになった。

ただ、ソフィアたちのみならず、“さゆり”嬢や高野までも、 帝国重工中枢部の全員、誰一人として、楽観も油断もしていない。

むしろ、世界の中の日本という“現実”をよくつかみ切れていない政府官僚もいれば、 政治家の中にも、楽観が過ぎると思える言動がある。

正直に言えば、明治天皇のお達しが無ければ、 海軍大臣の西郷従道大将には、見せるべきではないかもしれぬと、 高野は心配していた。

「大丈夫ですよ、西郷さんなら。」

“さゆり”がそう言ってくれた事で、 心配性のある高野も、何とか安心できたが、

人とは弱いものであることを、長い経験から、よく知っている。

これから見せる、彼らにとってあまりに衝撃的な光景によって、 危険な楽観主義を起こす可能性がゼロとは言えなかった。

「そうだな、不安に足を止めては、何も出来はしないな。」

そういって、寄り添ってくれる“さゆり”の手をそっと握った。 彼もまた、弱い人間の一人に過ぎないのである。 誰かが側にいてくれねば、この困難極まりない事態を乗り切ることはできない。

いかに21世紀の科学とは言え、 しょせん全ての根本は、日本国の総生産力に過ぎない。

格闘技の有名な言葉に『技は力の中にあり』というのがある。

格闘技というリアリズム(現実主義)を追求した果ての言葉は、 国と国の関係をも、その中に完全に取り込める哲学を持った。 神秘的根性論の精神主義など、現実の力の差の前には、何の慰めにもならない。

総生産力が10倍を超えるなら、 戦争で勝つ可能性は、ほぼゼロである。

ちなみに、欧米列強と呼ばれる国家で、 19世紀末の日本との総生産力比較が、 10倍以内などという“ささやかな”“しおらしい”国家は一つも無い。

なにしろ、国家の中の1財閥すら日本を馬鹿にする経済規模だ。

ただ、全ての国境を海に囲まれた日本は、 いきなり陸戦に持ち込まれる事だけが無い。

しかも、幸いな事にというか、貧乏でさほど価値のない国と見られ、 貿易より、船舶の中継基地(水や食料の補充、休息等)としての価値から、 ペリーらに開国を迫られたという、なんとも情けない事情まである。

今はただ、耐え忍ぶ時である。

日本の総生産力を出来るだけ高め、 21世紀の技術で、その力をさらに強化し、 海からの侵攻を、簡単には無理だと思わせる実力をつける以外、 彼らの遥かなる夢、宇宙へと至る気の遠くなるような道はない。

『技を生かせる力』を、徐々につけていかねばならない。




「テスト、開始いたします」

西郷をはじめ、参加者の視点が海上へ、標的艦「比叡」へ向かった。

武器開発責任者のソフィア・ダインコート他のメンバーも、静かに控えている。

ただ、ソフィアの上司、開発部門部長の宣長種秋(のりながたねあき)と、 総括をしている“さゆり”嬢はハラハラしていた。

実を言えば、ソフィアは精密な立体映像で、ここにはいない。 何かの受け答えは、彼女自身がいるかのように行えるが、 他のメンバーとうっかりぶつかったりしたら・・・・。

もし万一、立体映像という存在をまったく知らず、理解しようがない19世紀の人間が、 彼女の実体が無い事に気づいたら、どれほど驚愕し、大騒ぎになるか、 考えるだけでも、頭が痛い。

まだこの時代、人間は妖怪や幽霊が、実在するものとして恐れているのだ。

ちなみにソフィアは、と言えば、雪風に乗り込んでいた。

雪風の主砲とそのシステムは、 21世紀の技術と設計思想をもって作られている。 だが、それを19世紀に手に入る素材を組み合わせた船にはめ込むという、 いわばハイテクとローテクの複雑怪奇な融合作品であり、 ソフィアが心血を注いで作り上げた、我が子も同然の傑作だった。

彼女が、ぜひとも雪風に乗りこみ、その眼で実戦形式の稼働を見届けたいというのを、 止めるすべがなかったと言える。




今の日本、海戦で有利な点は、圧倒的な長距離射撃と、多元的で極めて制度の高い照準性能、 高速移動を可能とするシステム、そしてもう一つ・・・・・。

ドオンッ

腹に響く、凄まじい衝撃。
音も暴力だと、理解する。

「照準修正、一番仰角2度下げ、二番仰角3度上げ、三番仰角1度上げ!」

雪風甲板に、仁王立ちに立つ白衣姿。

耳を保護するマッフル型防護用具をつけ、 青い眼には狂喜の光を宿し、精密ウォッチと各種測定器を保持して、 凄まじい爆風をものともせずに計測するソフィア・ダインコード。

「よおおっし、予定内プラス0.02秒!」

その後ろで、半泣きのイリナが、必死に船内へ引っ張ろうとする。

「お姉ちゃん、危ない、危ないからああっ!」

だが、いかなる力か、ソフィアの細い身体は、根が生えたように動かない。

「修正完了っ、タイムラグ0.01っ、いけえええええええぇっ!!」

彼女の小さなこぶしが天を突き、火炎が天空を彩った。

ドム、ドム、ドム、ドム、ドム、ドム、・・・・

延々と続く、破壊と殺戮の猛撃。 一分間に70発を超える連射、しかもそれは戦闘艦艇の主力砲撃。 近距離で耳にすれば、鼓膜が破れ、 衝撃波は、大男ですら腰を抜かす。 長大な砲塔から伸びる火炎は、地獄の炎もかくやという長さ。

いまだ機関銃すらない世界において、 これほどの連射を行う機関は、帝国以外には存在しない。

「あーっはっはっはっはっ、いいぞおっ、いけっ、いけっ、ぶっ殺せええっ!」

衝撃波は白衣を跳ね上げ、黒い下着一枚の腰があらわになる。
汗と体液に濡れた、細身の美しい下半身が、陽光を照り返す。
凶暴な衝撃波も、彼女には火照りをさます心地よい風に過ぎない。

哀れな標的艦「比叡」は、ソフィアの狂気の声の命ずるままに、 みるみる砕け、破壊され、穴だらけとなって消滅した。

その間、わずか10秒。
鉄骨木造の廃艦とはいえ、2250トンの船体である。

19世紀末において、この光景が与える衝撃は、 もはや悪夢か、狂気の詩人の妄想、 あるいは宗教が語る『終末の日』の光景にも匹敵した。

だが、これこそが現在の日本の切り札。

反撃不可能な圧倒的遠距離からの攻撃、 超精密な照準能力、 悪夢のように凶悪な連射能力。

そして、絶対に敵が射程距離に追いつけない高速移動で、 常に敵の射程外から、徹底的に敵艦隊を粉砕する。

大規模な経済力を持つ諸外国を相手に、 大規模な戦いで、完膚なきまでに叩き伏せ、 心理的に『負けた』と思わせるには、 20世紀初頭では、この方法しかない。

そもそも、敵に反撃可能なほど近づかれた時点で、 日本にとっては、敗北なのである。

先に述べたように、 対等な戦いでは、圧倒的に経済力の大きい者が、必ず勝つ。 そこに引きずり込まれたら、日本は終わる。

近代戦において、戦いは常に『先手必勝』。 まして、これだけ凶悪な艦砲射撃相手では、 分厚い装甲も、ダメージコントロールも、ほとんど何の意味もない。

最初の一撃で、相手を無力化するのだ。

そして、そのイメージを世界中の軍関係者に浸透させ、 大鑑巨砲主義信仰によって、世界の軍事と経済のバランスを歪ませていく、 それが、雪風に与えられた影の指名だった。

「はっはっはっ、さすがさすが、私の雪風だわ。
 ……あら、イリナどうしたの??。」

艦砲射撃の衝撃波で、完全にグロッキーのイリナは、 甲板の片隅で、お尻をあげたうつぶせのまま、ピクリとも動かなかった。

どーしてお姉ちゃんが、なんとも無いのか、 目を回したイリナは、不思議でしょうがないのでした。
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