■ EXIT
黒江大佐の憂鬱(番外):インターミッション2


黒江大佐と真田准将に明日香嬢は問うた。
帝国重工に居る擬体/準高度AI群の正体について。


「忍びとして厳しい鍛錬を積んだ、普通の女性だとは思ってもらえないのかな?」
説得力無いだろうなと予想しながらも、黒江が広報用の公式見解を述べる。


「それは、あなた方が『天皇家を陰ながら支えてきた一族』というのと同じような戯れ言に過ぎないことは既に承知しています」



説明に窮した黒江に代わり、真田が明日香嬢に尋ねた。

「明日香さんは、古道具を永く、そうだね、何世代にも渡って大事に使い続ければ、やがて道具には神霊が宿り意識が芽生え、怪異をなしたり、人の手助けをしたりするようになる、という話を聞いたことがあるかね?」

「付喪神(つくもがみ)ですか?」
怪訝そうに答える。

「ここに桐の木が一本生えていたとする。明日香さんはもちろん、この樹にも命があり、儂らには感知し得ないにせよ、意識も感情も持っておる事を知っており、それらと意識を共有できる。違うかね?」

「いえ、おっしゃる通りです」

「その樹を木樵が切り倒し、材木商に売る。そして、指物師(家具職人)がこれを買い求め、箪笥を拵える。木樵に伐られたときに桐の木は樹としての生命を失うが、指物師によって箪笥に設えられたとき、箪笥としての新たな生命を得る。やがて箪笥は誰かに買われ、代々受け継がれて大事に使われ続けて、百年経った。その家の娘が明日は結婚という日に火事が出た。幸いにも一家は無事に逃げ出せたが、家は全焼した。準備しておいた婚礼衣装も焼け落ちた筈だった。しかし、焼け跡を検分してみたところ、煤焦げた箪笥が見つかり、中には無傷で花嫁衣装が残っていた。美しい話だと思うだろ」

「えぇ、きっと箪笥が衣装を守ってくれたのでしょう」

「欧米人は、こういった事例を『神の奇跡』と呼ぶらしい。一神教だからな。対して、八百万の神を信仰する日本人は、世にあるあらゆるものに神が宿ると信じているので、箪笥についた神様が奇跡を起こしてくれたと思う。多くの日本人は、生命が無いはずの道具にも、神霊が宿ることを否定していない。そして、意識を持つ存在は、容易に擬人化されて表現され、人に似た姿を取って現れるとされる。先ほどの例で言うなら、『燃えさかる家の中に花嫁衣装が残っていることに気付き、取りに戻ろうとする花婿の肩を押さえて止めさせ、大丈夫ですよ。と告げて、その後姿を見せない不思議な女性が居た』とかいう話が付いたりする」

「ええ、強いちから・霊力を秘めたつくもがみならば、そのくらいの業を見せるかもしれません。しかし、あの娘たちは、かりそめの姿どころでは無く、全きの実体を持った存在です」

「それはそうだ。そのように作られているからね。人形に実体が無ければ、浄瑠璃を演じてもらうことも、湯飲み茶碗を運んでもらうことも出来ない」

「つまり、あの娘たちは、人の形を精緻に模した人形を依り代とする『からくり人形』のつくもがみなのですか?」


「違うな。依り代が何か?厳密に回答すれば、それは『第3任務艦隊』ということになる」

「だいさん にんむ かんたい??」

「そういう名前の兵器システム。つまり、身を守る防具の類だと思ってもらえば良い。じゃが、あの娘らの本質は違うぞ」

「今の依り代とは違うと?」

「あぁ、第3任務艦隊は誕生してからそんな何十年も経っていない。つくもがみになるには日がまだまだ浅い。第3任務艦隊を依り代としているのは、記憶容量が大きいっていうか、まぁ強い霊力をもっておるから、というような理屈と思ってくれ」

「では、彼女たちの本質は何なのです?」


「口で説明するだけでは、判ってもらえんと思うので、動画を見せよう」 そう言いながら真田は自転車のサドルバックから、畳んで丸めて突っ込んでいた薄型ディスプレイを取りだして広げた。そして、明日香嬢に向けて、動画の再生を始めた。そこにはモノクロのかなり汚れた映像が映し出され、音楽も鳴り響いた。


♪そぉーらぁーをこぉえてぇー ららら ほぉしぃーのかなたー♪

「真田様、これは?」

「手塚治虫という医師が、儂らが前に居た世界で百年前に提唱した概念『鉄腕アトム』だ。茶坊主人形のように、人間に使役され働くための存在、儂らはロボットと呼んでおったが、そういう道具を作ろうという考えは手塚先生の前からあった。だが、手塚先生のアトムは、ちょっと違っていた。
人の代わりに命じられたとおり働くだけではなく、喜怒哀楽の感情を持ち、人と語らい、一緒に歌い踊る、単なる人間の下僕ではなく、人間の友達となる存在、それが手塚先生のアトムだった」

「これが百年前に出来たのですか?」

「ご覧の通り、出来たのは絵だけだ。手塚先生は、これを示して儂ら(の先祖)を感動させた。そして、感激した者たちは、このアトム実現を試みた。普通に立って歩けるからくりを作るだけで五十年かかった。感情を持って会話らしきものができるようになるには、さらに歳月を要した。だが、長瀬たちの苦労が結実し、ついには満足のできる準高度AI群を完成させた」


話を聞いていた黒江は「長瀬って誰だっけ?」と疑問に思ったが、口を挟むのは止めた。たぶん人工知性開発において重要な発明・発展をなした伝説的な人物か何かなのだろうと。


「アイザック・アシモフという化学者の功績も大きい。彼は、ロボットとはどうあるべきか?について、多くの示唆を残した。また、………」


真田はまだ熱心に説明を続けていたが、肝心の明日香嬢は、鉄腕アトムの第一話(1963年1月1日放映のダイジェスト)を見入っており、説明を聞く方は上の空だった。


次回予告のテロップまで全て見終えた明日香嬢は、感想を述べた。

「真田様。動画を拝見して感服いたしました。かように正義感が強く、相手をねじ伏せる力を持ちながら、まずは説得を試みる理性的な態度。このアトム様のつくもがみであるならば、彼女たちも決して日本国にとって悪しき存在とはなり得ぬと実感いたしました。真田様の推し進める日本の開発計画に対して、長老たちがどのような裁定を下すかはまだ判りませんが、自然をこれ以上大きく損ねることが無ければ、怪異は起こらぬものと考えてよろしいと存じます。
自然を疎かに扱えば、手痛いしっぺ返しを受けるでしょう。しかし、これを損ねることなく大事に扱えば、大自然はきっとあなた方に大きな贈り物を届けることでしょう」




「おぉ!さっきの自転車だぁ!」
子供の声が聞こえたので、振り向くと下校中の小学生たちだった。

一番体格の良いガキ大将っぽいのが、真田の自転車に近付いて見入っている。

「タケシさん、あんまり近付いたら叱られるわよ」
女の子が注意する。しかし


「構わんよ。どんどん近くで見なさい。『壊さない』なら、触っても良いよ」
と、真田が許した。

「おい!(壊すなって言ったって?)」
黒江が注意したが、真田は取り合う気配もない。どうやら、楽しむ積もりのようだ。



そして、ふと気付くと、明日香嬢も猫も居なくなっていた。


「真田さん。あんな大ボラ吹いて良かったんですかね?」

「え?儂は嘘は言っとらんぞ」

「嘘じゃないって?『アトムのつくもがみ』なんて何処から来た発想です?」

「精緻な人工知性に魂が存在するかどうか?ってのは、未だ結論をみない議論だが、この時代の人は、紛れもなく道具に魂が宿ることを信じておる。ならば、それで良いじゃないか」

「ですが、明日香嬢にアトムの動画を見せたのは、ちょっとマズかったかもしれません」

「じゃぁお前、あれを口頭で説明できるか?」

「む、無理です」

「だろ」


「しかし、今度節子嬢にあった時、アトムの動画を見せろってせがまれそうだな」

「血筋からもあり得ない話じゃないな」

「血筋?」

「史実どおりに運べば、節子嬢の曾孫には紀宮様(清子内親王)が誕生する」

「血筋だろうな」



「やっぱり、ツネオの兄貴が乗ってるのとは違うよなぁ!」
ガキ大将の声。

「だって、兄さんの乗ってるのは、ただの国民自転車だし、こんな凄い競技用自転車とは違うよ」
ツネオと呼ばれた少年が、自転車の後輪を持ち上げながら返事する。


国民自転車とは、帝国重工が献策した構想の産物である。

この時代は、種々雑多な自転車が欧米から輸入されていた。しかし、国民自転車は、その現状を覆し、自転車の規格を統一して部品を共用することでメンテナンスを容易にし、価格を引き下げて登録台数を増やし、日本のモータリゼーションの下準備をする目的で設計されたものである。また「日本縦断大自転車競争」も、国民自転車構想の産み出したイベントである。

『壊れても、街の鉄工所や村の鍛冶屋で直せる』というコンセプトで作られており、凄い未来技術は使われていない。既存の自転車と違うのは「フリーホイール機構」(ペダルを漕がなくても勢いがあれば前に進む仕組み:なお史実による登場は1896年である)を備えていることと、数々のオプションが用意され、自在に組み合わせられることだった。

一般市販よりも、まずは警察用/逓信省(郵便配達)用という官用車として生産・調達が進められており、市井で見かける姿が多くなっては居たが、まだ民間用としては数が少なかった。ツネオと呼ばれた少年の兄が乗っているのもおそらく郵便配達用の官用車両であろう。

なにしろ、この頃は自転車の保有に税金が必要であり、その額は「自転車税を払えるならば、国政選挙で投票権が得られる」程にも高かったのだ。
国民自転車構想の発表以来、自転車税の引き下げが色々論議されているが、未だ結論には至っていない、もっとも、台数の増加に対して税単価の減免を考えるのは自然ななりゆきであり、特別税として徴収しておきながら、剰余金が生じても既得権益と考え、一般財源にして他の用途に使い廻そうとする二一世紀の政治家よりもはるかに正常な行動であるといえる。

ともかく、自転車はまだまだ高級品であり、特に競技専用車などはフォーミュラカー並に珍しい存在で、小学校児童の注目を集めるのは当然と言えた。


「いや、タケシ君。大きな所は違わないと思うよ。競技には要らない荷台とか、頑丈な立て掛け(スタンド)は無いけど、大元は同じに見えるな」
秀才っぽいのが、鋭く観察する。

「そうね、エーサイ君の言うとおりね」
女の子も同意する。

「だろ、シズコくん」

「あっ!『草履掛け』が無い!」
メガネ君が何か気付いた。

「ホントだ。ノブオ君の言うとおり、草履掛けも無いね」

「削り取った跡も無いよ」


国民自転車には用途に応じた数々のオプション部品が装備できるよう準備されていた。

荷物を沢山積むための大型荷台、二人乗り用のクッション付きリアサドル、大型の荷物を運ぶための側車、夜間走行用の発電機付き前照灯等。
これらを繋ぎ止めるために国民自転車の共通車体には様々なオプション取付用のステーやボルト穴が設けられている。
草履掛けとは、ペダル軸の直前からハンドル軸の後ろにかけて存在するステー部分の事であり、用途が知られていなかったため、一般には「草履掛け」と揶揄されていた。


「おじさん。この自転車には草履掛けが付いてないよね」

「あぁ、競技用で要らないからね」
気さくに真田が答える。

「もともと、何が付くんだろ?」

「さぁ?皆で考えてみるかな」

実は、草履掛けはまだ秘密(未公表)のオプション部品『H.D.L.』を装備・取付するためのパーツである。そして、『H.D.L.』とは、(Half Deci Liter)の略語であり、出力8キロワット程度を発揮するエチルアルコール燃料の内燃機関なのだ。競技用に使用する自転車には未来永劫必要のない部品であろう。
『H.D.L.』については、真田が開発中の、というよりも試作は既に完成しており、連続稼働耐久試験を行いながら、市場への投入時期を見極めている段階であった。その導入時期は「市井にアルコール燃料を安定供給する環境が何時整うか?」にかかっており、少なくとも、各県の県庁所在地にはアルコール燃料を供給するスタンドが出来る〜そこへ補充するインフラも整う〜までは状況を見る予定だった。

故に、少年たちが、その正体を知る日は当分先になりそうだった。

「泥はねよけを付けるんじゃないかな?」
ツネオが言った。
「だって、兄さんが雨の日は足元がゆるんで大変だって、いつも言ってるし」

「あのなぁ、お前の兄貴が思いつくことぐらい、帝国重工の偉いさんは、とうに思いついてるよ。泥よけくらい簡単に付けられるさ。もっと凄い部品がつくんだと思うぜ!」
ガキ大将のタケシがツネオの抱え上げさせた自転車のペダルを握って気分良く車輪を廻しながら答えた。

「ノブオ君は何だと思う?」
秀才のエーサイが、自分では思いつけないのか、メガネ君に尋ねる。

問われたノブオ君、腕組みしてしばし黙考の後
「羽根を取り付けて、空を飛ばせるのはどうかな?」

「いや、ノブオ。それ絶対にありえねぇって」
「いくら帝国重工が夢を実現させてくれる会社でも、それは無いと思うわ」
「じゃ、兄さんは空飛ぶ郵便配達人になるのか?そいつは凄ぇえや!」
「ちょっと、無理じゃないかな」

クラスメイトたちにはさんざんな評判だが、真田はこの少年の発想を面白いと感じていた。超軽量で強靱な素材を組み合わせて人力飛行機を作る。それは夢のような話ではあるが、全くの夢物語ではない。もっとも、この日本の底辺技術でも量産できるよう廉価な素材を採用している国民自転車を飛ばすことは不可能だろうが。


ガキ大将のタケシがペダルと車輪を廻すのに飽きて、ノブオとエーサイに代わった時だった。エーサイが後輪を持ち上げ、ノブオがペダルを廻す。

「あっ、後ろに回しても車輪が回らないのは、国民自転車と同じだね」
そう言いながら、ノブオがペダルを勢いよく後転させた時、ガチャリと音がしてチェーンが引っかかって外れた。

「うわっ、壊した!」
ツネオが悲鳴を上げる。

「しらねぇからな!」
タケシはそう言い捨てて、逃げ出した。

「待ってよ、タケシくーん」
ツネオもその後を追う。


「あのっ、すみませんでした」
「ごめんなさい」
「ご、ごめんなさぃ」

自転車を抱え上げていて逃げ遅れたエーサイと、ペダルを廻していたノブオ、逃げ出さずに付き合ったシズコの三名が真田に謝る。


だが、真田は少年たちにほほえみかけ、安心させるようにこう言った。
「どこが壊れたか?どうすれば、もう一度動かせるようになるか、良く見て考えよう」

「直せるの?」
「ごめんなさい、ごめんなさい」と、べそをかき始めていたノブオが顔をあげる。

「それは君たちの努力次第だ」
そう言って、真田が黒江に目配せする。

黒江も気付いていた。土手の近くの草むらが、不自然に動いた事を。
了解した黒江は、ハヤテ号に近づき、鞍の反対側に回って鞄から荷物を探し始める。


「まずは、良く見るんだ。どこが、どう動いていたか?そして今、どこがおかしくなっているのか?」
サドルバックから車載工具を降ろしながら、真田が少年たちに修理方法を指導する(というか、自分で考えさせているのだが)。

「えーっと、ここがこう回ってたんだから、こっちがこう動いて……」
「待てよ、そうじゃないだろ。確かコッチに動いてたはず」
「あんまり無闇に動かしちゃ駄目よ。余計にひどくなっちゃうわ」




「一度は逃げ出したのに、心配になって戻ってくるとは、友達甲斐のあるやつだ」

土手のそばの茂みに隠れて、様子を覗き込んでいた二人の背後から、黒江が声を掛ける。

「わわっ!」
「えぇ!?」

びっくりして慌てて藪から這い出したタケシとツネオが、真田に「すみません」と謝り、修理をしていた三人に加わる。
真田は機嫌良く受け入れ、修理に必要そうな工具を渡した。


そして、真田は黒江のところにやってくると、少年たちに聞こえない程度に低い声で尋ねた。
「あめ玉か何か、子供が喜びそうなものがあるか?」

「非常食として、板チョコなら二枚ありますが?」

「最高だ!ちょっと分けてくれ」

「構いませんが、子供たちへのご褒美か何かですか?」

「まぁ、そんなところだ」


「やっぱり、この部品だ。この部分がしっかり留まっていないから、歯車が不用意に動いてチェーンが外れたんだ」

「じゃぁ、その部品を外してごらん」

「えっと、このレンチを使うんだね」
「あれ?スルっと回るぞ?」
「うわ、抜けた!!」


「どれ、取れたボルトを見せてごらん」
少年たちから抜け落ちた部品を受け取る。
「あぁそうか、ご覧、ネジ山がすり減ってるだろう。これではちゃんと歯車を留めることはできない。幸いにも、代わりの部品があるから、交換すれば、元通りだ」

「良かったぁ」
「どうなるかと思っちゃった」
「まだ、直ったわけじゃないんだぞ。喜ぶのはそれからだ」

とか言いながら、安堵しつつ修理を続ける。そして……

「これでここを締めれば終わりだ」
レンチでボルトを増し締めしつつ、ノブオがつい声にだしてしまう。

「よーし、俺たちが抱えるから、ペダルを廻してみろ!」
タケシとツネオが後輪を持ち上げる。

ノブオとエーサイが両側からペダルに触れ、まずは一回転ほど後転(フリーホイール)させ、異常がないのを確認してから、ペダルを前に回した。
修理なった自転車は、チェーンを確実にギヤに絡ませ、しっかりと後輪を動かし始める。

「シズコくん、変速操作を頼む」
エーサイが言うとおりに、シズコがギアの変速レバーを操作し、前2段、後6段の12段変速がスムースに切り替わっていく。

「良くできた」
真田が拍手で完成を祝った。

「さて、皆。手を見せてごらん」

差し出された少年たちの両手は、油とチェーングリスで汚れていた。

「石鹸を貸してあげるから、そこの川で手を洗っておいでなさい」

子供たちはきょとんとしながらも、石鹸を受け取り、小川に降りていった。


小川から戻ってきた少年たちから石鹸を受け取り、手ぬぐいを渡して拭かせると、真田はチョコレートを割り与え、(自分が持っていた)キャラメルを二粒ずつ配った。


「さて、これは先ほど交換してもらったボルトだ。見事にネジ山が摩り切れている。こんなになるには、君たちがそこで自転車を動かしたくらいでは、とうていならない。もっとずっと、遠くから自転車に乗って動いてこなければね。つまり、ノブオ君やタケシ君が遊び始めるまえから、このボルトは壊れていた」

「えっ、そうだったの?」
「ずるいや」
「壊しちゃって、どうしようかと思ったのに」

「でも、君たちが自分の手を汚して修理してくれたので、ちゃんと直った。そのお菓子は、まぁ、お駄賃といったところだ。遠慮なく食べなさい」

「はいっ、ありがとうございます」「ありがとうございます」
「ありがとうございます」「ありがとうございます」
「あっあの、凄く勉強にもなりました。ありがとうございます」

気分の良い謝辞が帰ってくる。

真田は満足げにうなずくと、自転車のサドルの上に薄型ディスプレイを載せて少年たちに見せた。

「お菓子を食べている間だけで良いから、ちょっとおじさんの道楽に付き合っておくれ」


「何が始まるの?」


「本邦初公開。真田おじさんの『紙芝居:寡婦艦隊(イノン・バレー物語)』の始まり、始まりぃ」
かけ声とともに、静止画像によるスライドショーを始めた。


「時は安土桃山時代、太閤秀吉が亡くなり、後を継いだ秀頼君を取り巻く上方勢の力を、いかに殺ごうかと、徳川家康公が虎視眈々と狙っていた頃のこと。九州は松浦半島、東シナ海を荒らし回っていた海賊・倭寇の頭目の娘、喜久姫は………」

活動絵画の内容を静止画&音声ミュートで再現しながら、ナレーターと全声優役を真田一人でこなしていく。実に楽しそうに。
そして、少年たちも真田の(あまり迫真ともいえない)演技を、それなりに楽しんでいる。


黒江は思い出したように、ハヤテ号の鞄から水筒を取り出し、中身を飲んだ。

冷たいスポーツドリンクが喉を潤し、頬にあたる風が心地よく吹き抜けていった。









その後

路線改竄等の汚職事件も無ければ、怪異現象も起こらず、道路建設は着々と進み、大部分は未舗装で、片側二車線もまだまだほんの一部という状態ではあったが「日本縦断大自転車競争」は、ツール・ド・フランスに先んじて開催された。
参加したのは、陸軍の師団チームや海軍鎮守府チーム、警察チーム、逓信省チーム、そして民間からの参加の企業チームだった。帝国重工ももちろん参加したことは言うまでもない(さすがに真田は出走しなかった)が、成績では無く、評判が一番良かったのは帝国重工広報事業部チームであった。
開放派の彼女たちが、健脚ならぬ美脚を披露したわけであるが、当初は「参加資格に男女を問うていない」ので、フル参戦するつもりだったらしい。しかし、高野総帥に「それは、競技になりません」と却下されて、エキシビション参加となった。これが決まるまで競技実行委員会は「どれだけハンディ付けりゃ良いのか?」と、かなり悩んだらしい。

真田が余暇に始めた紙芝居屋は、広報事業部と内務省がアイディアを横取りして全国展開することとなった。すなわち、帝国重工が自転車をまとめて購入し、国に献納する(この時点で自転車税免税車両となる)内務省は紙芝居屋希望者に自転車を廉価で貸し与え、劇場や映画館も無いような地方の村々を巡業させ、政府公報や報道記事、娯楽番組を僻地の国民に提供する。給与としては広報事業部からそれなりの給付(娯楽番組にはスポンサー提供があり、資金はそこから捻出された。つまり企業CMである)がある他、子供たちに駄菓子や雑貨を売るという副業も認められており、希望者が殺到した。おそらくは「自転車に乗れる」という夢の職業でもあったのだ。
史実よりも30年早く誕生した紙芝居屋は、TV放映が始まるまで、政府公報と庶民の娯楽を届け続けることとなり、TV放送開始後は、俳優や動画声優、番組の演出者を紙芝居屋経験者の中から輩出することとなるのである。


なお、明日香嬢から鉄腕アトムの情報を聞き出した九条節子姫が、黒江に動画を所望したか否かについては

皇室の秘密事項となったため、非公表である。
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