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帝国戦記 外伝 第17話 『心理戦 5』


悲観主義者は機会の中に出来ない理由を求め、
楽観主義者は難しさに機会を見出す。

ウィンストン・チャーチル


東ヨーロッパ平原の北東部に位置するエンゲルス基地では、欧州大戦で活躍していたイギリス空軍から義勇軍としてチャールズ・ヒューバート・ブラント准将率いる精鋭の第4飛行隊が展開しており、来るべき条約軍の第14航空戦隊からなる爆撃機を迎え撃つべく出撃準備を整えつつあった。

第4飛行隊はイングランド南西部ウィルトシャー州にあるネザーエイヴォン基地からロンドン郊外のハンプシャー州北東部にあるファーンボロ基地へと根拠地を移動したばかりの部隊だ。戦闘機部隊を中核とした、偵察機、水上偵察機からなる制空と偵察を主任務とした部隊でもある。今回のエンゲルス基地への移動を含めると、移転ばかりしている部隊といえるだろう。移転の数が多いとはいえ、航空部隊としてはイギリス王立陸軍航空隊の部隊として1912年8月に編成されているので歴史ある部隊と言っても良い。主な戦歴は1914年の「モンスの戦い」、1917年の「フランダースの攻勢」、1918年の「リスの戦い」である。欧州大戦が終結して月日が流れていたが、それからも十分な訓練を受けており経験、練度、装備充の実度を含めて精鋭部隊と言って申し分ない。

そして、彼らが第14航空戦隊を待ち構える事が出来るのは、イギリス帝国の戦争省情報部が合法や非合法を問わずに集めた情報を纏め上げた結果によって今回の爆撃作戦に辿りついていたのだ。後は情報を取り扱う上層部の判断がモノをいう。

天候不順などの予想外の作戦変更にも対応可能だった。

それは、大編隊による爆撃機ともなれば、直前の点検や稼働に即応できる様態を維持するために飛行場の駐機所(エプロン)でのアイドリングによる発動機の起動待機が不可欠であり、そのエンジン音が届く距離は距離減衰を考慮しても遠く数キロにも及ぶ。つまり出撃タイミングに関しては基地周辺に猟師の格好をした工作員を配置すればよい。幾つもの中継地点を設けてリレー伝いで行えば、小型無線機でも十分に必要な情報を届けることが出来る。小さな観測所を幾つも設ければ情報の確度も増すだろう。観測情報として必要なのは長大な暗号文ではなく爆撃機隊の発進情報を示す信号だけで十分だ。

「先ほどペトロスコイ基地で大規模なアイドリングが発生したと報告を受けた」

条約軍の第14航空戦隊が発進準備を進めていた同時刻、ブラント准将はエンゲルス基地防空指揮所に呼び出していたアンドリュー・ボーシャンプ・プロクター大尉に言う。プロクター大尉はイギリス帝国の支配下にある南アフリカ軍の士官であったが、欧州大戦では軍用気球16機、航空機38機の撃墜を誇るエースパイロットの一人である。プロクター大尉は将官のために司令部で指揮を執らなければならないブラント准将に代わって前線部隊を率いるのが役目だ。

「では爆撃が行われると?」

「爆撃目標はこれまでに得られた情報からも、この基地で間違いないだろう。
 それに残念だがこの近辺には大規模な爆撃機隊を投入してまで、
 叩くべき価値のある基地は他には無い。
 大尉には至急、全力出撃の準備を進めてくれ。
 時間の猶予は余り無いぞ!」

ブラント准将は断言していたが、プロクター大尉も爆撃が行われるだろう事実は同感だった。航空機の出撃は、相応の費用が掛かってしまう。それが大規模となれば、大作戦は確実といえる。各地に点在する陸上部隊を重爆撃機で叩くには非効率であるし、他の前線に近い飛行場は大抵が酷い状態になっていた。消去法で残るのがエンゲルス基地とも言えるだろう。

日本側に対するエンゲルス基地に駐留している第4飛行隊の編成だが、戦闘機のソッピース7F.6ドラゴンが84機、偵察機(汎用型)のフェアリーIIIDが44機である。本来の定数である戦闘機隊が48機から大幅に強化されていたのは、各方面から中隊単位の増強を受けており現在の規模まで膨れ上がっていたのだ。

また、この戦域に展開していた赤軍航空隊は壊滅しており、イギリス側の義勇航空隊が制空権を担う状態へと移行している。

そして、偵察機のフェアリーIIIDは1920年に初飛行を終えたばかりの新鋭機だ。汎用型(搭乗員2名)と偵察型(搭乗員3名)の2タイプが存在し、改装すればフロート水上機としても使え、230ポンド(105 kg)まで爆弾の搭載が可能な汎用複葉機だった。固定武装は前方に7.7oヴィッカース機関銃1基、後方の先回機銃に7.7oルイス軽機関銃1基である。この基地に配備されているフェアリーIIIDは32機が汎用型のもので胴体部は全金属製であり、翼も金属製の物だった。

本来は翼および胴体部を金属化したタイプは1926年に配備が進むF型まで実現しなかったものだが、日本製戦闘機の猛威と偵察機の消耗率を前にして、イギリス側が出した回答というべき機体である。第4飛行隊にあった水上機版もエンゲルス基地への駐留に伴って全てが陸上型へと改装済みだ。これまで使用していたブラックバーン偵察機の最高速度157km/hと比べてフェアリーIIIDの最高速度は190km/hと速度面の強化も行われていた。

プロクター大尉は敬礼を終えると飛行隊の発進準備を始めるために、
防空指揮所を急いで退室する。

「頼んだぞ」

ブラント准将はプロクター大尉を見送る間もなく、副官に対して周辺の高射砲陣地に対する戦闘待機の通達を行うよう指示を下す。副官もプロクター大尉に続いて防空指揮所の室外へと出て行った。ブラント准将は、それらを終えると電話機の受話器をとって電話交換手の応答を待つ。

『番号をどうぞ』

「ブラント准将だ。
 1458回線へと繋いでほしい」

『判りました。
 お繋ぎしますのでお待ちください』

連絡を受けた電話交換手はブラント准将の要求に応じて、電話交換台にある接続用ケーブル両端の電話プラグを差し替えていく。しかし、直ぐには繋がらない。この時代の長距離電話はプラグを中継回線へと差し替えて、遠隔地の電話局にいる別の電話交換手に接続を行わなければならない。7分ほどして互いの通話が可能となった。長距離電話の回線接続は全て手動なので手間は掛かるが、これでも一般的なものと比べると必要時間が倍近く時間の短縮となっている。

「私です。
 鷹が目覚めました。」

ブラント准将と話している相手の会話内容は聞こえてこないが、気を使った話から方からして、相手の位の高さが伺えるであろう。 このように義勇イギリス軍は周辺の基地のみならず、上級司令部に対しても交換局を通じて連絡が取れる様に通信網を整備していた。また、長距離無線ではなく有線通信を行ったのは、生の情報のやり取りと情報漏えい対策を重視していたのが理由だ。

「はい。
 ええ、既に配置は終えてあります…」

言い回しが多い会話なのは、この時代の電話交換手は通話中の会話を自由に聞ける状態なので、情報漏えいに対抗するための措置であった。"鷹"は"第14航空戦隊"を示す符丁であり、"目覚め"は大規模な離陸準備を進めている内容を示す。

「判りました。
 マグパイですね?
 直ちに命令を下します」

ブラント准将は受話器を下ろすと行動に移す。

エンゲルス基地にはダイムラーMk.III運搬車の砲架にQF 13ポンド 9cwt高射砲を乗せた対空車両の8台、歩兵を搭乗させた欧州大戦で多用された自動車であるヴォクスホールDが6台、18ポンド野砲などの重量物を運べる装軌式装甲牽引車ヴィッカース・ドラゴン Mk.Iが2台からなる、指揮系統は上級司令部が持っており、特別な事態が無ければ動かすことが出来ないとエンゲルス特務部隊が展開していた。

エンゲルス特務部隊の指揮権を掌握できる、符丁"マグパイ"を受け取ったブラント准将は、特務部隊を動かすことが出来るようになっていたのだ。空軍将校が陸軍部隊を動かすのは可笑しいと思われるが、1920年にヒュー・トレンチャード航空参謀長のように装甲車両連隊を動かした例も存在しているので前例としては十分すぎるものがあるだろう。

そして、マグパイとは英語圏で鳥綱スズメ目カラス科の1種の留鳥であるカササギを指す。

符丁として使われたマグパイは金属など光るものを集める習性がある鳥であったが、言い得て妙というか、このエンゲルス特務部隊の目的は迎撃した日本機の残骸回収であった。何より凄まじいのはイギリス帝国としてはエンゲルス基地が大打撃を受けても、日本新鋭爆撃機の残骸を確保できれば良いと思っている点であろうか。

準備は万全だ。
あとは敵を待つのみ。
本作戦で技術解析が出来る状態の機体を幾つか確保が出来れば良いのだが…

ブラント准将が不安に思うのも当然だろう。
防戦主体の条約軍の航空機の残骸を集めるのはかなり難しい。

甲式戦闘機の3型や4型ならば多少の残骸は確保できていたが、4式艦上汎用機「流星」などの輸出対象になっていない高性能機の残骸は1機も確保できていない。4式艦上汎用機「流星」は堅牢な機体の為に被弾して中破したとしても、かなりの距離を飛行することが出来るので、基地まで帰投が困難な機体であっても大半が安全圏まで飛行を行い、そこで不時着を行ってしまう。安全圏以外の地域で不時着した機体に対しては、ヘリを使った搭乗員の救出や機体からの機密物資の回収や破壊、場合によっては固定翼機を使った空爆で対応している。

後の世ではパラレスキューと呼ばれる活動で不時着機に対応していたのだ。

そして、今回は新鋭機を多数投入した大規模作戦を待ち受けるイギリス帝国としては、是が非でも墜落機回収を行いたいと、かなりの物資と予算を投入している。

この場面になるとブラント准将が出来ることは、
基地に於ける迎撃体勢と得られる情報の確認ぐらいしかなかった。

4機の偵察型フェアリーIIIDが基地に迫るだろうの敵爆撃機を捕捉する為に、
戦闘機隊に先立って滑走路で離陸準備を進めてく。
偵察型は3人乗りで無線機を搭載しているので、早期発見の期待が掛かっていた。
工作員からの情報だけに頼らない点が堅実さを伺わせる。

そうしている間に防空指揮所に副官が戻って来た。

「高射砲陣地への戦闘待機命令を伝え終えました」

「ご苦労。
 あとは新兵装が何処まで活躍するかだな。

そうですね、と副官が応じる。新兵装とは空対空ロケット弾であった。史実の欧州大戦でも空対空ロケット弾は実践投入されていたのだ。フランス軍のイヴ・プリエール中尉によって開発され、大戦中を通して対飛行船、対観測気球用の迎撃に使用されたル・プリエールロケット弾が有名だろうか。

この世界では欧州大戦に対してはフランスが不参戦だったので、イギリス帝国側での空対空ロケット弾の実戦投入が史実よりも遅れていたが、イギリス帝国も大戦期中に対飛行船、対観測気球用の空対空ロケット弾の実戦投入を行っていた。

欧州大戦後に日本機の異常な堅牢性に対抗するべく、イギリス帝国は対飛行船・対観測気球用から対航空機用に改良した新規の空対空ロケット弾の開発を進めていたのだ。本来の目標は4式艦上汎用機「流星」を落とす為のものだったが、命中精度からして戦闘機に対して使えるような品物ではなかった。しかし、大型機であれば、120mまで接近して発射すれば、辛うじて実戦に使えるだろうと思える兵装に仕上がっていたのだ。発射はル・プリエールロケット弾と同じくコクピットからの電気点火により行う。

作られた空対空ロケット弾は安直にヘイルズ・ロケット弾と命名されていた。

欧州大戦時に飛行船ツェッペリンLZ38などを撃沈したヘイルズ爆弾から来ていたが、この時期のイギリス帝国の開発力でかつ現実的な価格で調達できる空対空ロケット弾としては、かなり十分な完成度を誇っている。

ソッピース7F.6ドラゴンならば左右の翼を合わせて8発、フェアリーIIIDならば左右の翼を合わせて12発の空対空ロケット弾を搭載することが出来るのだ。根を張る諜報網、周囲に張り巡らされた高射砲陣地郡、新開発の空対空ロケット弾、イギリス帝国による迎撃の準備は整いつつあった。
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【あとがき】
この世界では、史実で第4飛行隊が参加していた1915年の「ヌーヴ・シャペルの戦い」、1916年の「ソンムの戦い」、「第二次ソンムの戦い」は発生していません。

更新に少し間が開きましたが今後ともよろしくお願いします!

(2020年10月14日)
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